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藤 正悟
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2021/02/07

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  • 卒寿小論 626 川柳アラカルト 3 家族 (祖母)

    叩いたら叩き返せと祖母達者 山崎初栄 「目には目を」と、トランプ大統領のような気合の入った、 カクシャクとした祖母であった。 母方の祖母は、若くして旦那をなくし、(私が生まれた時には祖父はいなかった) 6人の子どもを農業で育て上げた。 小柄な祖母であったが、元...

  • 卒寿小論 625 落日の輝き「宗麟」9 宗麟の誕生

    第21代当主は、大友義鎮(よししげ)は出家して宗麟と号しました。 1562年、永禄5年5月1日、33歳の若さでありました。 義鎮が出家を決意した直接のきっかけは、怡雲禅師の般若心経の講義であります。 加えて、嫡子義統が流ちょうにに般若心経を朗誦した事であります。 義統が、ど...

  • 卒寿小論 624 落日の輝き「宗麟」8 わしは出家するぞ

    嫡子義統(よしむね)が、どもり初めてから、父義鎮(よししげ)は義統を連れて 府内館の周辺を散策する日が多くなりました。 5月の新緑の若葉が目に沁みる1日を武芸道場へと向かいます。 武芸道場では、剣術の稲田次郎左衛門が厳しい稽古をつけておりました。 武芸道場は入門者の数が常時...

  • 卒寿小論 623 落日の輝き「宗麟」7 長寿丸よ、オー 長寿丸よ

    大友家始まって以来の活気が豊後府内に満ち満ちていました。 1562年、永禄5年の春を迎え、嫡子大友義統(よしむね)長寿丸は、 過保護すぎる父義鎮(よししげ)と厳しすぎる母のもとで4歳を迎えました。 大友館の縁側、桜が散り始めたのを背に長寿丸は、修道士のルイ・ペレイラから 貰...

  • 卒寿小論 622 花かるた色は匂へ 山吹(春)

    山吹の一重の花の重なりぬ 高野素十 山吹の桧垣抜け出し一枝かな 富安風生 山吹は、日本固有の花で、古くは万葉にその名が見られます。花言葉 気品、崇高、金運 和名の「山吹(ヤマブキ)」は、細くしなやかな枝が風に揺れる様子から「山振り(やまぶり)」と呼ばれ、それが転訛し...

  • 卒寿小論 621 落日の輝き「宗麟」 6 パニックな女

    1553年、天文22年の宣教師、バルテザル=ガゴの報告によりますと、 第21代当主大友義鎮(よししげ)は、足利将軍より父、義鑑(よしあき)の持っていた豊後・肥後の守護職を安堵されていましたが、服部宇京亮(はっとりうきょうのすけ)、一万田弾正忠(いちまんだだんじょうちゅう)、...

  • 卒寿小論 620 落日の輝き「宗麟」5 暗 殺

    第21代大友家当主、大友義鎮(よししげ)後の宗麟は、戦が嫌いでありました。 宗麟の願いは戦のない国であり、彼の本質は、書画、能楽、茶道、蹴鞠を 楽しむ文化人でございます。 戦国時代の武将とは程遠い人格の持ち主でありました。 日本が第2次世界大戦後、敗北の中で日本国憲法を制定...

  • 卒寿小論 619 落日の輝き 宗麟4 第21代当主誕生

    世に言う2階崩れの変で、父義鑑公を見殺しにすることで、義鎮(よししげ)、 後の宗麟は大友家第21代の当主となったのであります。 宗麟の生涯を通して、父を見殺しにしたということが、 彼の心の重荷となって彼に覆いかぶさってくるのであります。 今で言うところのトラウマとでも言いま...

  • 卒寿小論 618 落日の輝き「宗麟」3 不安からの脱出

    義鎮(よししげ、後の宗麟)に襲い掛かってくる得体の知れぬ不安を取り除くのは、 義鎮にとっては酒が一番の薬でありました。 頭の周りに張り詰めていた不安が、時が経つにつれて薄れてゆき、 頭の奥の方に隠れていた人間の本性が義鎮を勇気づけ、 彼がもつ一面の闘争心を煽り始めます。 義...

  • 卒寿小論 617 落日の輝き「宗麟」2 不安の青春期

    別府分館の梅の花が散り、桜のつぼみが勢いを増してきました。 大友義鎮(よしいげ・後の宗麟)は、分館の縁側より別府湾に突き出た 国東半島の連山を眺めて、深いため息を漏らす日々が多くなったのであります。 「父、義鑑(よしあき)殿は私を嫌っておる。私を憎んでいる。 私を亡き者にし...

  • 卒寿小論 616 仮題 大友宗麟「落日の輝き」1

    音楽 (鶴崎踊り 猿丸大夫) 静かに流れる 来ませ見せましょ鶴崎踊り 何れ劣らぬ花ばかり (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ) 娘島田に蝶々がとまる とまる筈だよ花じゃもの (踊りは 花だよ 花だよ) わたしゃ踊りの鶴崎育ち 品の良いのは親ゆずり (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤ...

  • 卒寿小論 615 花かるた色は匂へ 椿

    落ちざまに水こぼしけり花椿 芭 蕉 古井戸のくらきに落る椿かな 蕪 村 ツバキ全般の花言葉は、「控えめな優しさ」「誇り」 赤いツバキ、「控えめな素晴らしさ」「気取らない...

  • 卒寿小論 614 トラウマに悩む役者見るよないい男(宗麟)

    大友宗麟は、戦国時代にあって正に現代感覚の知恵と生き方を身につけた 今風に言えばイケメンでございました。 宗麟の一番の願いは、戦のない国で、次が個人の個性を生かせる楽しい暮らし。 だから、どうしても教育と医療と経済活動重視の世の中を目指したのであります。 大友館の庭園は四季...

  • 卒寿小論 613 人で読む豊後大分(宗麟)

    何をするわけでもなく、花冷えのする春の景色を眺めながら、 歴史に残る豊後大分県人を思い描いた。自分勝手な連想を楽しむ。 一番に浮かんだのが、福沢諭吉である。 福沢諭吉が浮かぶと連想ゲームのように広瀬淡窓、三浦梅園、帆足万里の 豊後三賢人と言われる学者、教育者の名前が浮かび、...

  • 卒寿小論 611 家から1週2422歩の散歩道

    出 発 家の前の校庭の桜 校庭北側のサッカー場 帰り道のこぶし 帰り道、家の前の桜 家を出て、帰り...

  • 卒寿小論 610 自然の風土と人柄土地柄(宗麟)

    気候温暖で自然災害の少ない自然と風土が、 人柄土地柄に影響を与えたことは確かである。 大分県の南部はリアス式海岸、中部から北部にかけては、 火山地帯で温泉が出て、火山地帯独特の石仏文化が形成された。 九重火山地域を中心に、別府、由布院、湯の平、長湯と 湯量・泉質ともに世界に...

  • 卒寿小論610 川柳アラカルト2 酒の2

    溶けてゆく淋しさ盃に沈め 村山白雲 何かの拍子に淋しさが急に襲ってくることがある。 いつも一緒にいる妻が都合で家を空けて一人になると思ってもいなかった 淋しさが家中に満ちて来る。 妻が旅立って、2年過ぎた。 こんなはずではなかったと...

  • 卒寿小論 609 川柳アラカルト1 酒

    我執捨てきってぽつんと酌む夜寒 日向久悦 歳を重ねてくると我執はかなり小さくなることは事実である。 しかし、捨てきるところまではなかなか難しい。捨てきったつもりでいて、 何かの拍子に我がでる。まあ仕方ないか。 我執が小さくなっていくと元気も小さくなり、 その分...

  • 卒寿小論 607 自分の体臭は自分では嗅げない(宗麟)

    生まれも育ちも豊後大分なのに、豊後大分のことは何一つ分かっていない。 自分の体臭を自分では嗅げないのと似ている。 それで豊後大分のことを少しだけ詳しく知りたいと思い、 若い時から興味を持っていた大友宗麟を起点に、 鎌倉時代から学習をし直すことにした。 2030年、令和12年...

  • 卒寿小論 607 旧約聖書派それとも新約聖書派?

    日本人は「敵討ち」精神が伝統的に生きている。 赤穂浪士の討ち入りが、日本人の仇討のお手本であろう。 旧約聖書の「目には目を、歯には歯を」と「やり返す」ことを長らく 正当化してきた人と「右の頬を打たれたら、左の頬も向ける」 新約聖書の人達の変化は大きいが、どうみてもキリスト教...

  • 卒寿小論 606 医者と僧(坊さん)は大事にせよ

    江戸の諺です。いいこと言いますね。 医者は体の病を治し、僧(坊さん)は心の病を治す。 また併せて、医者と僧(坊さん)は年寄りが良い。とも言います。 大事な命と心を預かる仕事は、経験豊かな人に任せた方がよいということです。 ところが近年、医学の道も宗教の道も「いい歳を重ねたベ...

  • 卒寿小論 605 動物俳句かるた 鮊子(いかなご 春)

    海の色に鮊子の干し上がり 宮城きよなみ いかなごにまづ箸おろし母戀し 高濱虚子 宮城きよなみ、本名皎。明治35年生まれで伊賀俳壇を代表するホトトギス派の俳人。 功績に感謝して名張川を見下ろす所に句碑が建てられた。...

  • 卒寿小論 604 「保守」の意味が分からない?

    「保守」とか「保守的」とか「保守党」という言葉を耳にするが、 その意味が分からない。 『保守とは「保ち守る(こと)」という意味であり、 それまで続いてきた・続けられてきた状態を維持し続けること、 および、維持するための取り組み、あるいは、そのような主義・主張を指す表現である...

  • 卒寿小論 603 花かるた色は匂へ たんぽぽ (春)

    たんぽぽの絮(わた)飛んで来し本の上 藤松遊子 たんぽゝと小聲で言ひてみて一人 星野立子 藤松遊子、大正13年~平成11年(1999年)(75歳) 佐賀県、本名 直哉。 ホトトギス同人。 とんぼうの空音もなく深かり...

  • 卒寿小論 602 日本にとって怖い国はどこ?

    80年前の1945年、3月10日は、東京大空襲で一夜にして 10万人を超す人が殺された日である。 更に、その年の8月には、2発の原爆で、 51万8000人以上が殺された日である。 当時私は、小学校3年生で戦争の本当の怖さを知らないままに過ごした。 歳を重ねるにつけ、戦争の怖...

  • 卒寿小論 601 少子化を解く鍵は「兼好法師」にあり

    『わが身のやんごとなからんにも、まして数ならざらんにも、 子といふ物なくてありなん。・・・』 (第6段) (わが身が高貴であろうとそうではなかろうと、 子どもというものはないままでいるのがよい。 ・・・子孫が劣っていることを思うとみっともないことである。) 『…住み果てぬ世...

  • 卒寿小論 600 「ポツンと三軒家」になってしもうた

    自民党をぶっ潰すと、「郵政民営化」を公約に内閣総理大臣になった小泉さんのお陰で、 日本列島のあちこちの「村々」で、「ポツン三軒家」を見かけることができるようになった。 「郵政民営化」は、日本の国の在り方、特に小さな村や町を潰した効果はある。 日本列島の小さな村々や町が人の生...

  • 卒寿小論 599 動物俳句かるた 田螺(たにし・春)

    なつかしき津守の里や田螺あへ 蕪 村 はづかしと客に隠すや田螺あへ 几 董(きとう) 蕪村 江戸中期の俳人 さみだれや大河を前に家二軒 四五人に月落ちかかる踊りかな ...

  • 卒寿小論 598 知らぬがほとけでここまで生きた

    いろんなことを知ってるつもりで生きてきたが、本当のことはほとんど知らずに 今日まで来たような気がする。 新しい情報が出るたびに、驚いている。 昔のことも、明治維新のことも、太平洋戦争のことも、日本憲法のことも、 安保のことも、取り上げていけば、その真実の意味はまったく知らな...

  • 卒寿小論 597 「命売ります」か「命買います」か

    昨日、突然、三島由紀夫の「命売ります」という小説を思い出した。 1968年(昭和43年)の三島由紀夫の長編小説である。 小説は読んでいないしドラマ化された作品も見ていない。 昭和48年、私37歳。団塊の世帯と言われる集団が20代後半になった時期かと思う。 「命売ります」は、...

  • 卒寿小論 596 今だ独立国たりえず 日本

    トランプ政権が返り咲いて、ますます「日本は独立国ではないのだ」ということを 再認識させられる日々である。 アメリカの属国なんだ。 アメリカにとって都合の悪い産業を次々潰してきた。 繊維産業、航空機産業と潰されるたびに日本政府は、国民の税金で補償して、 乗り切った歴史がある。...

  • 卒寿小論 595 花かるた色は匂へ 梅

    梅が香にのっと日の出る山路かな 芭 蕉 むめ一輪一りんほどのあたゝかさ 嵐 雪 花言葉 高潔」「忠実」「忍耐」 白梅は「気品」 服部嵐雪(はっとりらんせつ)、蕉門の最古参。 冬蝶の落てゆくと羽ばたけり 竹の子や児(ちご)...

  • 卒寿小論 594 花かるた色は匂へ 犬ふぐり(春)

    犬ふぐり星のまたゝく如くなり 高浜虚子 犬ふぐりどこにも咲くさみしいから 高田風人子 花言葉は、「忠実」「信頼」「清らか」 高浜虚子 1874年(明治47年)~1959年(昭和34年)85歳没、旧松山藩士の5男 春...

  • 卒寿小論 593 動物俳句かるた 白 魚 (春)

    明ぼのやしら魚白きこと一寸 芭 蕉 白魚をふるひ寄たる四ッ手かな 其 角 松尾芭蕉 江戸前期の俳諧師、俳諧(連句)。 現三重県伊賀市の土豪の一族。享年50 19歳の初句 春や来し年は行けん小晦 (はるや...

  • 卒寿小論 592 動物俳句かるた 猫の恋(春)

    濡れて来し雨をふるふや猫の妻 太 祇 濡れ縁に戸開くを待てり猫の夫 星野立子 太祇 (炭 太祇 たんたいぎ) 江戸中期の俳人 美しく日和になりぬ雪の上 山路きてむかふ城下や凧の数 星野立子 昭和期の俳人 高浜虚子の二女 まゝごとの飯もおさいも土筆...

  • 卒寿小論 591 西部劇 荒野の決闘 ジョン・ウェイン

    トランプさんを観ていると西部劇の世界に引き戻される。 ならず者を次々と倒していくジョン・ウェインだが、ちょっと違うのは、 トランプグループの方が、ならず者集団に見えてくるのが面白い。 日本で言うならば差し詰め、旗本奴や町奴の ヤクザ者や無頼漢に当たるのであろうか。 江戸時代...

  • 卒寿小論 594 国会議員さんにお尋ね

    「自国民が拉致されても、取り戻せない日本国家」について、 国会議員お一人お一人の考えをお聞きしたい。 なぜ、拉致被害者を取り戻せないのか。取り戻す手段をどう考えているのか。 立法府の一員である議員は、法律を作りその法律が守られているかを 監視していく義務があります。 人の命...

  • 卒寿小論 589 戦後教育の失敗

    日本の社会は荒れている。 戦後も、社会は荒れた。殺人、詐欺、窃盗、万引き、強姦等々あらゆる事件が頻発した。 が、頭の部分はまだ確りしていた。 現代の荒れは、戦後すぐの時代と違って頭の部分が腐ってきている。 戦後の荒れと今の荒れの違いであろう。 頭の部分が腐り始めると「美しん...

  • 卒寿小論 588 久しぶりの散歩日和

    一人で、パソコンに向かっていると無性に出歩きたくなる時がある。 そんな時、亀の井バスに乗って、別府駅まで、足湯ならぬお手湯につかりに行く。 別府駅東口の玄関前に、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」で、 別府温泉を全国ネットに乗せた油屋熊八翁の銅像があり、 その足元に別府温泉...

  • 卒寿小論 587 どうする東大三人男

    「共同声明発表の後にだれがどんな発言をするのかが楽しみである。」 と、前回のブログで書いたところ、出るは出るは、いのいちばん会談後の発言、 少し長くなるが、ネット情報も引用しながら、楽しんでみよう。 いの一番のネット情報 引用(少し長くなるが) 『前駐オーストラリア大使で外...

  • 卒寿小論 586 トランプ、石破会談 意外とね

    トランプ氏は、人を見る目が高い。意外と石破さんと馬が合うかも。 石破さんの少し不器用な動きやマナーが、かえって人間性を良く表しているので、 たぶんトランプさんは、そこを見抜いてフレンドリーな関係をリードするのではと思っている。 今、どちらかというと世界の国から裸の王様的に観...

  • 卒寿小論 585 佐高信氏に抗議しないのですか?

    佐高信、1945年(昭和20年)1月19日生まれ80歳。慶応大学法学部卒、 評論家、東北公益文化大学閣員教授、山形県酒田市出身。 自民党の岩屋外相が共同代表を務める「超党派石橋湛山研究会」の 講師としての佐高氏の発言がネットに載っていた。 「SUT (世襲・裏金・統一教会)...

  • 卒寿小論 584 参考人招致拒否 どうする野党

    自民党旧安倍派の会計責任者が参考人招致に応じないと回答したことを受けて、 どう対応するのか、野党の動きを注視したい。 参院選を目前にしてまたとないチャンスである。 裏金問題と合わせて、その実情を丁寧に国民に知らせるとよい。 何故自民党は参考人招致拒否を支持するのか。 を国民...

  • 卒寿小論 583 花かるた色は匂へ 茶の花(冬)

    茶の花に隠れんぼする雀かな 一 茶 江戸後期の俳人 好きな句2句 めでたさも中くらゐ也りおらが春 一 茶 ともかくもあなた任せのとしの暮れ 一 茶 茶の花のわづかに黄なる夕かな 蕪 村 江戸中期の俳人 好きな句2句...

  • 卒寿小論 582 嘘も方便、許されるうそ

    先日亡くなった森本卓郎さんに男らしい旅立ちの仕方を知り、 死について参考になりました。 私は、ずーっとモリタクさんを誤解したままに今日まであなたを見てきました。 私の人を見る目の浅さを実感しています。 引用が長くなりますが。 『若いころは「死ぬのが怖かった」というが、大学生...

  • 卒寿小論 581 花かるた色は匂へ 蝋 梅(冬)

    蠟梅の香の一歩づつありそめし 稲畑汀子 花言葉は「先導、先見」 稲畑汀子 1931年~2022年(91歳) 俳人高浜虚子の孫 日本伝統俳句協会会長 「ホト...

  • 卒寿小論 580 いつも金の問題から始まる

    戦後初めて、与党自民党が過半数を割った時も、 今回、自公与党が過半数を割ったことも、共通するのは「金」ですね。 最初の過半数割れの引き金は、自民党副総裁の金丸信さんの「ヤミ献金」が発端で、 今回は自民党による「裏金」問題が引き金となった。 「ヤミ金」と「裏金」の違いは、「ヤ...

  • 卒寿小論 579 議員の皆さん幸せですか、

    議員の皆さん幸せですか、国会は楽しいですか。 こんな言葉を投げかけてみたい。どんな時に幸せを感じますか。 時代のキャッチフレーズとして「強い日本」「豊かな日本」「美しい日本」 「楽しい日本」を思い出す。この流れの中で「楽しい日本」だけが少し違うような気がする。 「強くて」「...

  • 卒寿小論 578 花かるた色は匂へ 侘助(わびすけ)

    侘助や昨日は今日の昔なる 佐藤漾人(ようじん) 1885-年 最上郡鮭川村生まれ 医学博士 本名:佐藤要人 季節の花300より 侘助は唐椿の一種です。 玄関先に椿、山茶花に混じって白の侘助があるのだがなかなか花をつけない。 何年...

  • 卒寿小論 577 なぜか今、細川護熙(もりひろ)連立政権を思い出す 次の参院選で何かが起こりそうだ

    1993年(平成5年)宮沢改造内閣不信任決議案に賛成して、 羽田孜、小沢一郎を初め衆議員50数名が離党し、自民党が過半数を割り、 自民党が下野した。 日本新党代表の細川護熙氏が第79代の内閣総理大臣となる。 非自民・非共産の連立政権、 佐川急便より一億円借り入れ事件を追及さ...

  • 卒寿小論 576 田崎さんのおもろい発言、久しぶりに楽しい一日

    田崎史郎、1950年(昭和25年)生まれ、中央大学法学部、 時事通信社、政治ジャーナリスト ネット情報で、田崎さんが、石破首相の施政方針演説をばっさり。 「言葉がつまらないんですよ。人の言葉を使っている。楽しい日本は、堺屋太一さん、 列島改造は、田中...

  • 卒寿小論 575 楽しい日本をどうとらえているのか?

    2025年1月25日(土)のネットニュースで、 「幼稚で低レベル、もはや国家の悲劇」…石破首相が掲げた 「楽しい日本」に怒り噴出 小沢一郎氏らの痛烈批判」が大きく報じられていた。 小沢一郎さんは、「楽しい日本」をどう捉えているのか。お尋ねしたい。 過去、「強い日本」で、戦争...

  • 卒寿小論 574 コメントは難しい、怖いですね。

    総理の施政方針演説が終わると例によって、コメントが発表される。 約50分ほどの演説に対して、1分以内のコメントは大変です。 1分以内のコメントで、批評や論評はできない。 だから野党のコメントは批判が中心になる。 コメントを聴いている国民は何のことかわからないことの方が多い。...

  • 卒寿小論 573 野党統一候補の予備選挙、むり無理

    野党統一選挙の予備選挙、先ず、無理でしょう。 それぞれの政党の支持母体には過去の歴史がある。 今、1に連合(組合員約700万人)、2に全労連(約300万人) 3に全労協(約11万人)の大きくは三大労働組合がある。 連合は昔の(総評系)で、官公庁や日教組が主体となる 昔の社会...

  • 卒寿小論 572 がんばれ 石破総理

    歴代内閣総理大臣としては、不器用で信頼のおける総理としての第一の人である。 真のリーダーは、国民である。 国民の声を聴いてリーダーシップをとるあなたの存在は、 一部の人々とにとっては、厄介な存在である。 このまま手をこまねいていると石破総理の長期政権が続くかもしれない。 そ...

  • 卒寿小論 572 NHKラジオ深夜便は楽しい

    布団にもぐってラジオを聴く癖がついたのは、中学生の2年ごろからである。 一時中断したが、定年退職後いつしか布団にもぐってラジオを聴き始めた。 今は、毎夜「ラジオ深夜便を楽しんでいる。 午後11時5分からラジオ深夜便が始まる。 内容の豊富なこと、日本各地からのレポート「日本列...

  • 卒寿小論 571 生きとるだけで丸もうけやで

    「生きとるだけで丸もうけやで、明日は明日の風が吹く」 これが油屋熊八の口癖であった。 コメ相場に失敗した時も、2度の株取引で失敗した時も 「大丈夫、生きとるだけで丸もうけや」といって乗り切っていった熊八。 このキャラクターが多くの人を引き付けて、多くの仲間で事業を成功させて...

  • 卒寿小論 569 山は富士、海は瀬戸内、湯は別府

    久しぶりに風もなく快晴。昼から亀の井バスに乗って 別府駅まで油屋熊八さんに会いに行くとしよう。 別府駅東口の正面に油屋熊八翁のブロンズ像が 万歳をしてお客さんを迎えています。 ブロンズ像の横に足湯ならぬ「お手湯」が湧き出ているので、 お客様気分で手を別府温泉につけて、熊八翁...

  • 卒寿小論 568 レイモンド・チャンドラーの名言

    1 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ。 打たれる覚悟ができている奴ってどんな奴だ。 安倍さん覚悟できていたのかなあ。 2 女にとって、善良な女にとってさえも、 自分の肉体の誘惑に抵抗できる男がいると悟ることは、とても辛いことだ。 誘惑...

  • 卒寿小論 567 老後貧乏は永久に不滅です

    「正ちゃんヨー、近ごろ世間じゃ老後貧乏チュウ言葉がはやっとるようじゃナー」 「そうだよ武ちゃん、預金がなく年金がどう考えても足りないで、 60歳を迎える人を老後貧乏と言うらしいナ」 「冗談じゃネーヨナ、こちとら生まれてこの方、貯金なんぞにお目にかかったことなんぞネーヤナ。 ...

  • 卒寿小論 566 一目惚れ、一番

    一目惚れは、交通事故のようなもので、 思わぬ時と場所でいつ遭遇するかもわからない。 人生における最大の事故である。 一目ぼれすると、そのあとは短所も一目惚れのうちに入って、 生涯気にせずに過ごしてしまう傾向にある。 人は第一印象を変えることは難しい。本当は長い生活の中で、 ...

  • 卒寿小論 565 今、学校現場はどうなっているの?

    子どもたちの登下校の姿を見る限り学校は落ち着いているようである。 終戦後、1950年(昭和25年)前後に全国的に中学校が大荒れにあれた。 その時の中学生が、現在80歳の後半を迎えている。 荒れた中学生時代を経験した代表として、唐牛健太郎(かろうじけんたろう) 全学連委員長が...

  • 卒寿小論 564 殺すか殺されるかの真っただ中で

    大友宗麟、いや大友宗麟だけではない国の始まりから現代に至るまで、 男は常に殺すか殺されるかの真っただ中で生きてきたのである。 大友21代当主として誕生する時から、殺すか殺されるかの狭間で生きた。 不幸なことに初めから、父と子の家督争いであった。 父が殺されて、家督を手に入れ...

  • 卒寿小論 563 権力を手にした男は・・・

    大友宗麟については、多くの資料が残されているが、 その人物像は資料によって真逆の物が多い。 江戸時代に記録されたものは概ね良くない。 どちらかというと非難に満ちた資料の方が目を引く。 さらにイエズス会の宣教師や修道士の書簡も合わせて読んでみると、 また違った面が伺える。 イ...

  • 卒寿小論 562 正室・継室・側室の女たち

    大友義鎮(後の宗麟)には、正室 一色義清の娘、義清の娘を離婚して、 継室(2番目の正室)奈多鑑基の娘を正室として、その他一萬田夫人を筆頭に 7人の側室を抱えておりました。 正室・継室・側室について少し説明をしておきます。 正室は、大名とか公家の身分の高い家の本妻のことであり...

  • 卒寿小論 561 大友氏の出自 虚弱体質の流れ

    豊後大友氏の始まりは、遠く鎌倉時代にまでさかのぼります。 大友氏の本貫は、本貫と言いますのは現代で言うところの本籍地でございます。 大友氏の本貫は、相模の国大友郷の豪族で、大友家初代の始祖は 大友能直(よしなお)と申します。 大友能直は、鎌倉幕府の将軍、源頼朝に見出されまし...

  • 卒寿小論 560 元旦の計 今年の抱負

    あけましておめでとうございます。88歳の今年の抱負。 今年は、1年かけて豊後の大将大友宗麟の資料整理をしたい。 大分県では、宗麟生誕500年に向けて、大友館や庭園の復元を始めている。 2030年(令和12年)が生誕500年に当たる。これに合わせて何らかの形で 発表できるよう...

  • 卒寿小論 559 令和ダンチョネ節 1

    株式投資で 笑ってくらす 裏金ためますネ インサイダー ダンチョネー 昭和平成 令和と生きて 浦島太郎にネ なりました ダンチョネー 朝寝朝酒 朝日を浴びて あとは書斎でネ ひまつぶし ダンチョネー ダンチョネ節を歌って暮らせる日本は平和だ ありがとう...

  • 卒寿小論 558 けじめのつけ方 政治家編

    赤い羽根に寄付、8億円というけじめのつけ方は、初めてですな。 過去のけじめのつけ方を思いめぐらしていました。 何といっても、可愛いけじめのつけ方は、何か不祥事があったり、 試合に負けたりすると全体責任で全員が坊主頭になったものである。 武士やヤクザのけじめのつけ方は、怖いで...

  • 卒寿小論 557 俳 句 アラカルト

    1 この道や行く人なしに秋の暮れ 芭 蕉 (初めての赴任地で、一度きりの人生を生きていく覚悟を持ちました) 2 夏川を超すうれしさよ手に草履 蕪 村 (2年目にあなたに出会って、登山しましたね。ありがとう) 3 旅に病んで夢は枯野をかけ巡る ...

  • 卒寿小論 556 川 柳 アラカルト

    1 子には子の悲しみがある虫の墓 一 車 (教師への門出の一句です。わかるよ、お前の気持ち。) 2 神様がくすぐっている子の寝顔 杉本瓢居 (泣けるなあ、ありがとうよ。父ちゃん頑張るからな。) 3 聴診器胸の話を聞いてやり 田...

  • 卒寿小論 555 二宮金次郎と宝くじ

    「兄さん、廃校になった小学校にいってみますか」 義弟から誘われて、新卒で最初に赴任した県最南端のK小学校へ行って見た。 当時の木造建築は鉄筋の3階建てに建て替えられていた。 昔の面影は全くなかった。運動場は雑草で敷き詰められて いかにも廃校の跡という風情である。 運動場南の...

  • 卒寿小論 554 裏金寄付されてもなあ

    裏金問題にけじめをつけるために、寄付されても貰った方が困るよな。 「この寄付は、記載すべきか不記載にすべきか、それとも誤記と言って胡麻化すべきか」 このけじめのつけ方って、江戸の任侠の世界、清水次郎長を思い出してしまった。 参考=清水次郎長は、幕末・明治の任侠、博徒、実業家...

  • 卒寿小論 553 不登校34万人超・休職教員7千人超

    「正悟先生、大変な時代になりましたね」と、 散歩の途中で知り合いの男性から声を掛けられた。 「先生を卒業して、28年になります。正悟さんだけで、・・・」 「でも、若い時からの習慣で、今更・・・ずっと正悟先生でいきます」 二人で笑いながら、肩を並べて散歩をした。 「ここまで来...

  • 卒寿小論 552 分をわきまえよ たかが選手が

    一介の新聞記者に過ぎない男が、 日本の権力者を牛耳るところまで出世した物語り 「無礼な事を言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」 巨人オーナーの渡辺恒夫氏の発言で、球界始まって以来のストライキに突入した。 野球選手会の古田敦也会長(当時)がオーナーと 話をし...

  • 卒寿小論 551 「尊敬」から「憧れ」の社会へ

    学生時代に「尊敬」できる医師にめぐり逢ったことを幸せに思う。 一言で言うなら、「和顔愛語」を地で生きた医師である。 いつも悠々自適の風格で、どの患者に対しても公平平等に接し、 的確な診断と治療を行った。 夜は、家の電話を解放して、心配事があるときはいつでも電話を掛けられるよ...

  • 卒寿小論 550 令和小咄 公開方法の工夫 (笑悟)

    「公開方法工夫支出」法案は、「記憶にございます」 以来に久しぶりに笑ってしった。 元気のよかった時の自民党では、こんな「公開方法工夫支出」などという 弱気な馬鹿正直なネーミングはなかった。 もっと堂々としたネーミングを付けたはずである。 例えば、「公開しない情報について」な...

  • 卒寿小論 549 発言する自由、発言しない自由

    「五木寛之と栗山英樹の対話の力」、を先日購入した。とても参考になる。 教育の現場こそ、正に対話のドラマである。 生徒との対話がない時代があった。 1976年(昭和51年)に小学校から中学校へと校種を変えた。 小学校では、うるさいほど「ハイ、ハイ」と、手を挙げて積極的に発言す...

  • 卒寿小論 548 ワン・スリーの次の一球

    近ごろ野球をテレビで見る機会が多くなった。 以前は、ワンストライク・スリーボールの次の一球は、 待ってフォアボールを期待していた。 フォアボールにならない時は、ツー・スリーで勝負するのが私の考えであった。 ところが、この頃はワンストライク・スリーボールの次の一球は、 思い...

  • 卒寿小論 547 夢 三 夜

    若いころに、若いと言っても30代後半だったと思う。 夏目漱石の夢十夜を読んだ。その時は怖い感じだけが残りそれ以後読んでいない。 夢三夜がとてもすっきりした夢であったので、漱石の本を取り出して、 夢十夜の「第一夜 こんな夢を見た」を読み返してみた。女との別れの場面である。 「...

  • 卒寿小論 546 三日坊主の勧め 正悟一言

    1 三日坊主も繰り返せば、力となる。 継続は力、三日坊主の力は多種多彩である。 2 大谷翔平は、人間じゃない。なんと。 そうです。大谷翔平は瑞穂の国の仙人なんです。 3 生まれ持ったもので、厄介なものは性格である。 今は、性格も変えられるそうだ。有り難い。 4 宿命...

  • 卒寿小論 545 長命・短命は心がけで 益軒

    『園に草木を植えて愛する人は、朝夕心にかけて、水をそそぎ土をかひ、 肥をし、虫を去りて、よく養なひ、其のさかえを悦び、衰へをうれふ。 草木は至りてかろし、わが身は至りて重し、豈、わが身を愛する事、 草木にもしかざるべきや。』(原文3) 人生の養生の基本は、まず我が身を損なう...

  • 卒寿小論 544 お山の大将われ一人

    今は、昔の遊び。昭和20年代後半まで遊んでいた。 低い盛り土の頂上に一番に上った者が「お山の大将われ一人」と叫びながら、 後からくるものを突き落とす遊び。 この時代のお山の大将は、大概地域の「ガキ大将」で、先ず腕力が強く、 集団をまとめることに長けていた。 当時、ガキ大将を...

  • 卒寿小論 543 老いは、老いて分かること

    分かっていたようで、全く分かっていなかったことを 米寿を迎えて分かり始めた。 その歳にならなければ、その歳の人のことは分からない. 良く言われる「親の歳になって初めて親の気持ちが分かる」と。 アメリカの詩人で実業家のサミュエル・ウルマンが 70代で書いた詩が老人を励ます名言...

  • 卒寿小論 542 わがままな患者が名医をつくる

    お利口な患者が増えて、名医が育たない。 わがままな患者はそうお目にかかれない時代になった。 わがままな患者と掛け合いながら、患者を丸ごと診て、身体も心も治療していく。 いつの間にかわがままな患者は立派な患者に成長し、 それと並行して医師も名医になっていく。 88年の人生の中...

  • 卒寿小論 541 本家「養生訓」貝原益軒

    健康本の古典で、江戸時代に活躍した儒学者で 医師である貝原益軒の著書である。 人生50年と言われた江戸時代に80歳まで生きた長寿者で、 益軒の「養生訓」は説得力がある。 現代にいたるまで、多くの人が益軒の養生訓を実践し、記録を残している。 手元にある本では、1910年(明治...

  • 卒寿小論 540 「村」が子を産み育てる

    村が元気な時は、少子化問題もなく食料問題も起こらなかった。 「農村」「漁村」「山村」、農業・漁業・林業を育てることをやめた時から、 政治が「村」を軽く扱うようになって、少子化、高齢化、自然災害の問題が 社会問題として国民に迫り始めた。 それに輪をかけたのが「平成の大合併」で...

  • 卒寿小論 539 やめたらすぐにできなくなる

    「ぼけますから、よろしくお願いします」の映画監督、 長友直子さんの父、良則さんの言葉である。 2011年、妻が認知症に、2018年に脳梗塞で入院、 その妻が退院したら自分が全部のことをやるために、 98歳で筋トレを始めた良則さん。 その気持ち痛いほどわかります。同感です。 ...

  • 卒寿小論 538 女の一言が流れを変える

    大友義鑑(よしあき)、宗麟の父、より4家老を切れという命を受けた 入田親誠(ちかざね)は早速、近習の若侍、かまど新助と小田隼人を呼んだ。 「今夕方、本門を閉めた後、小門より入ってくる小佐井、斎藤両名の者を切れ、 殿の仰せぞ、ぬかるな」 その夕方、かまど新助と小田隼人はあっけ...

  • 卒寿小論 538 令和養生訓 黒木医師

    帯津良一医師(88歳)の食養生に続いて、 黒木登志夫医師(88歳)東北大医学部、 「転ばぬ先の杖」としての養生訓を考えてみる。 1 毎年の健康診断を受ける。早いうちに気づく。 2 年齢に比例して病気は増えてくる。 3 心疾患、脳血管障害のリスクの上昇。 4 小太りが一番長生...

  • 卒寿小論 536 令和養生訓 帯津医師

    結婚するまでは、母の料理、結婚してからは妻の料理でここまで健康に 生きてきたので「養生」のことについての関心はあったが 実践はいい加減なものであった。 妻が先だってからは、お一人様の生活になって健康のことを考えるようになった。 これまでほとんど病気もなく健康で生活できたので...

  • 卒寿小論 536 天才肌の人を3人挙げよと言われれば

    躊躇なく、1に立川談志、2に北野武 3に百田尚樹 3氏の名前が浮かんだ。 天才肌と天才とは、少しばかり違う。 天才と思う人をとなればまた別の人になる。 天才の特徴は、集中力、頭の回転の速さ、独特の価値観、探求心、 好奇心が旺盛、感受性が豊か、決断力、協調性に欠ける。 この...

  • 卒寿小論 534 横綱83歳の壁

    粋な現代的な北の富士関さんが亡くなった。 北の富士関と同じ時代に横綱にはならなかったのだが、 無口なイケメンの関取がいた。 名前が出てこない、この関取は現職で早くに亡くなった。 横綱寿命ベスト5 1位 15代 初代 梅ケ谷 83歳3か月(没) 2位 49代 栃の海 8...

  • 卒寿小論 533 人生は暇つぶしである パスカル

    人生の第4コーナーを廻って、ゴールがよく見え始めると 「俺の人生って何だったのか」なんて、思っても考えても 正解のないことを考えることがある。 そんな時、パスカルの「人生は暇つぶしである」 という言葉を思い出して、それを正解にする。 昨日、今東光の「上等なひまつぶし」という...

  • 卒寿小論 532 国民を守れない日本国家の姿

    考えてみると、今の日本国家は日本人の命さえ守れていない。 北朝鮮による拉致問題一つ取り上げても国家としての役目を果たしていない。 立法、行政、司法、の国家三権力に加えて、 マスメディアは第四の権力と言われている。その第四の権力が、 政治家の不倫問題ばかりを根掘り葉掘り報道し...

  • 卒寿小論 531 二刀流は日本の文化

    娘に縁談が二つあり、ひとつは大金持ちのぶ男、ひとりは貧乏な色男、 どちらにしたらよかろうか両親が娘に語ると、 「両方へ嫁入りしましょう」 「とんだことを言う。両方へ嫁入ってどうしようというのじゃ」 「昼はおかねもちの家で食って、日がくれたらよい男のうちで寝ます」(江戸小咄よ...

  • 卒寿小論 530 日常のちょっとした運動が大事

    横 田 天台宗の高僧である堀澤祖門先生(比叡山)・・・ もう94歳なんです。矍鑠としていて、タッタカと歩いていらっしゃるんですよ。 「人間が元気に長生きするためにはやっぱり筋肉、筋力だ」とおっしゃるんです。 ・・・スクワットのような運動をだいたい50回ぐらい、腕立て伏せを5...

  • 卒寿小論 529 呼吸法が元気のもと

    帯津良一医師の「心とからだを磨く生き方」の本を注文したら3日で届いた。 帯津医師と横田南嶺禅僧の対談形式になっていて、読むだけで心が和む。 帯津良一 1936年生まれ 88歳 東京大学医学部卒、 がん治療の現場で62年目に入る。 横田南嶺 1964年生まれ 60歳 臨済宗円...

  • 卒寿小論 528 壁に挑むのが好きな男ども

    国民民主「103万円の壁」 養老孟子「バカの壁」 石川達三「人間の壁」 安倍公房「壁」芥川賞受賞小説 日本の壁の始まりは、安倍公房ではないかと思う。 安倍公房1924年(大正13年3月7日生まれ)東京大学医学部卒、1993(平成5)年1月22日没、68歳、小説家、...

  • 卒寿小論 527 穏やかな老衰を迎えるために

    近ごろ、和田秀樹医師(64歳)の情報を卒業して、帯津良一医師(88歳)と 黒木登志夫医師(88歳)の情報に関心が向いている。 同じ年齢の現役医師の情報はなんとなく訴える力が強い。 帯津医師は、気功、太極拳をベースに呼吸法の大切さを説く実践的な内容で、 黒木医師の方はどちらか...

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