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藤 正悟
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2021/02/07

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  • 卒寿小論 559 令和ダンチョネ節 1

    株式投資で 笑ってくらす 裏金ためますネ インサイダー ダンチョネー 昭和平成 令和と生きて 浦島太郎にネ なりました ダンチョネー 朝寝朝酒 朝日を浴びて あとは書斎でネ ひまつぶし ダンチョネー ダンチョネ節を歌って暮らせる日本は平和だ ありがとう...

  • 卒寿小論 558 けじめのつけ方 政治家編

    赤い羽根に寄付、8億円というけじめのつけ方は、初めてですな。 過去のけじめのつけ方を思いめぐらしていました。 何といっても、可愛いけじめのつけ方は、何か不祥事があったり、 試合に負けたりすると全体責任で全員が坊主頭になったものである。 武士やヤクザのけじめのつけ方は、怖いで...

  • 卒寿小論 557 俳 句 アラカルト

    1 この道や行く人なしに秋の暮れ 芭 蕉 (初めての赴任地で、一度きりの人生を生きていく覚悟を持ちました) 2 夏川を超すうれしさよ手に草履 蕪 村 (2年目にあなたに出会って、登山しましたね。ありがとう) 3 旅に病んで夢は枯野をかけ巡る ...

  • 卒寿小論 556 川 柳 アラカルト

    1 子には子の悲しみがある虫の墓 一 車 (教師への門出の一句です。わかるよ、お前の気持ち。) 2 神様がくすぐっている子の寝顔 杉本瓢居 (泣けるなあ、ありがとうよ。父ちゃん頑張るからな。) 3 聴診器胸の話を聞いてやり 田...

  • 卒寿小論 555 二宮金次郎と宝くじ

    「兄さん、廃校になった小学校にいってみますか」 義弟から誘われて、新卒で最初に赴任した県最南端のK小学校へ行って見た。 当時の木造建築は鉄筋の3階建てに建て替えられていた。 昔の面影は全くなかった。運動場は雑草で敷き詰められて いかにも廃校の跡という風情である。 運動場南の...

  • 卒寿小論 554 裏金寄付されてもなあ

    裏金問題にけじめをつけるために、寄付されても貰った方が困るよな。 「この寄付は、記載すべきか不記載にすべきか、それとも誤記と言って胡麻化すべきか」 このけじめのつけ方って、江戸の任侠の世界、清水次郎長を思い出してしまった。 参考=清水次郎長は、幕末・明治の任侠、博徒、実業家...

  • 卒寿小論 553 不登校34万人超・休職教員7千人超

    「正悟先生、大変な時代になりましたね」と、 散歩の途中で知り合いの男性から声を掛けられた。 「先生を卒業して、28年になります。正悟さんだけで、・・・」 「でも、若い時からの習慣で、今更・・・ずっと正悟先生でいきます」 二人で笑いながら、肩を並べて散歩をした。 「ここまで来...

  • 卒寿小論 552 分をわきまえよ たかが選手が

    一介の新聞記者に過ぎない男が、 日本の権力者を牛耳るところまで出世した物語り 「無礼な事を言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」 巨人オーナーの渡辺恒夫氏の発言で、球界始まって以来のストライキに突入した。 野球選手会の古田敦也会長(当時)がオーナーと 話をし...

  • 卒寿小論 551 「尊敬」から「憧れ」の社会へ

    学生時代に「尊敬」できる医師にめぐり逢ったことを幸せに思う。 一言で言うなら、「和顔愛語」を地で生きた医師である。 いつも悠々自適の風格で、どの患者に対しても公平平等に接し、 的確な診断と治療を行った。 夜は、家の電話を解放して、心配事があるときはいつでも電話を掛けられるよ...

  • 卒寿小論 550 令和小咄 公開方法の工夫 (笑悟)

    「公開方法工夫支出」法案は、「記憶にございます」 以来に久しぶりに笑ってしった。 元気のよかった時の自民党では、こんな「公開方法工夫支出」などという 弱気な馬鹿正直なネーミングはなかった。 もっと堂々としたネーミングを付けたはずである。 例えば、「公開しない情報について」な...

  • 卒寿小論 549 発言する自由、発言しない自由

    「五木寛之と栗山英樹の対話の力」、を先日購入した。とても参考になる。 教育の現場こそ、正に対話のドラマである。 生徒との対話がない時代があった。 1976年(昭和51年)に小学校から中学校へと校種を変えた。 小学校では、うるさいほど「ハイ、ハイ」と、手を挙げて積極的に発言す...

  • 卒寿小論 548 ワン・スリーの次の一球

    近ごろ野球をテレビで見る機会が多くなった。 以前は、ワンストライク・スリーボールの次の一球は、 待ってフォアボールを期待していた。 フォアボールにならない時は、ツー・スリーで勝負するのが私の考えであった。 ところが、この頃はワンストライク・スリーボールの次の一球は、 思い...

  • 卒寿小論 547 夢 三 夜

    若いころに、若いと言っても30代後半だったと思う。 夏目漱石の夢十夜を読んだ。その時は怖い感じだけが残りそれ以後読んでいない。 夢三夜がとてもすっきりした夢であったので、漱石の本を取り出して、 夢十夜の「第一夜 こんな夢を見た」を読み返してみた。女との別れの場面である。 「...

  • 卒寿小論 546 三日坊主の勧め 正悟一言

    1 三日坊主も繰り返せば、力となる。 継続は力、三日坊主の力は多種多彩である。 2 大谷翔平は、人間じゃない。なんと。 そうです。大谷翔平は瑞穂の国の仙人なんです。 3 生まれ持ったもので、厄介なものは性格である。 今は、性格も変えられるそうだ。有り難い。 4 宿命...

  • 卒寿小論 545 長命・短命は心がけで 益軒

    『園に草木を植えて愛する人は、朝夕心にかけて、水をそそぎ土をかひ、 肥をし、虫を去りて、よく養なひ、其のさかえを悦び、衰へをうれふ。 草木は至りてかろし、わが身は至りて重し、豈、わが身を愛する事、 草木にもしかざるべきや。』(原文3) 人生の養生の基本は、まず我が身を損なう...

  • 卒寿小論 544 お山の大将われ一人

    今は、昔の遊び。昭和20年代後半まで遊んでいた。 低い盛り土の頂上に一番に上った者が「お山の大将われ一人」と叫びながら、 後からくるものを突き落とす遊び。 この時代のお山の大将は、大概地域の「ガキ大将」で、先ず腕力が強く、 集団をまとめることに長けていた。 当時、ガキ大将を...

  • 卒寿小論 543 老いは、老いて分かること

    分かっていたようで、全く分かっていなかったことを 米寿を迎えて分かり始めた。 その歳にならなければ、その歳の人のことは分からない. 良く言われる「親の歳になって初めて親の気持ちが分かる」と。 アメリカの詩人で実業家のサミュエル・ウルマンが 70代で書いた詩が老人を励ます名言...

  • 卒寿小論 542 わがままな患者が名医をつくる

    お利口な患者が増えて、名医が育たない。 わがままな患者はそうお目にかかれない時代になった。 わがままな患者と掛け合いながら、患者を丸ごと診て、身体も心も治療していく。 いつの間にかわがままな患者は立派な患者に成長し、 それと並行して医師も名医になっていく。 88年の人生の中...

  • 卒寿小論 541 本家「養生訓」貝原益軒

    健康本の古典で、江戸時代に活躍した儒学者で 医師である貝原益軒の著書である。 人生50年と言われた江戸時代に80歳まで生きた長寿者で、 益軒の「養生訓」は説得力がある。 現代にいたるまで、多くの人が益軒の養生訓を実践し、記録を残している。 手元にある本では、1910年(明治...

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