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2020/05/22

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  • 予言と破壊衝動

    所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なのでしょう。 少なくともそういう願望を抱く人にとって都合の良い『設定』なのは確かです。 それは、「この世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をする」というような『設定』のことです。 その『設定』には「それをカミサマみたいな善いモノがずっと昔から望んでいるのだ!」みたいな『設定』が2段重ねで乗っかっています。 なので、所謂『予言』というのは「この世界にルサンチマンを抱く者の破壊衝動の産物だ」と言い換えることができます。 噛み砕いていえば「オレが本気出したらこ…

  • 呪詛返しもまた呪詛である

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 呪いというのは、一…

  • 親友と師匠ってのにはなかなか出会わない

    ある時メンターという言葉を知りました。「優れた指導者。助言者。恩師。顧問。信頼のおける相談相手」という意味らしいです。自己啓発系の人とかがよく使われる言葉のようです。「成功したければメンターを持ちなさい!」みたいな感じでね。でもね、そんなにホイホイ持てるものなんでしょうかね、メンターとやらは? 例えばメンターを親友という言葉に置き換えてみます。フレンドリーな性格の人なら、ユルい友人程度の知り合いならすぐに出来るかもしれません。でも、親友ってなるとどうでしょうか?交友関係の広いっていう人でも親友と呼べるような人間が片手以上いるなんてことは滅多にないだろうと思います。ていうか親友なんてそうそう出来…

  • 視野の狭い人の使いたがる言葉

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 全能感ほど無知から遠いモノはないからです。 ここでいう全能感とは何でも知っていると思い込むココロのことです。 「全能感が強い」というのはそれだけ「心の視野が狭い」というこ…

  • 『ブレない自分』を目指すのは混迷と狂乱への道

    人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。 大怪我しない程度にそういうのを体験しなければ歩けるようにはなりません。 マトモに歩けるようになるためには、そういう痛い思いを味わいながら『学習していくこと』が必要ってことです。試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか人の生きる道はないのです。 それは身体だけではなく、心もまた同じです。試行錯誤を捨てさるのは、生きながら死んでいるのと同じことです。 どんな進歩でも進歩ってのは、あっちへぶつかりこっちで躓きながら、その結果として何かを掴むことで初めて成り立ちます。 たまたまでは無く必然として…

  • 『無知』は時に身を滅ぼします

    ロシアンルーレットは、回転式拳銃(リボルバー)に1発だけ実包(弾薬)を装填し、適当にシリンダーを回転させてから自分の頭(特にこめかみ)に向け引き金を引くゲーム。 心霊スポット巡りというのは、ロシアンルーレットみたいなモノです。 これまで何も起こらないからといって、これから何かが起こらない保証は何処にもないって意味でね。 ロシアンルーレットでいう『一発の弾丸』がいつどこで炸裂するかなんて誰にも分からないってことです。 というか最初から「弾丸(危険性)がない」と舐めて掛かると痛い目にあいます。 そういうことは別に心霊スポット巡りだけではないです。そういうことっていうのは「無知による思い込みによって…

  • 自然を支配しようと思えば思うほど自然の道からハズレます

    人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くことができるって考え方自体傲岸不遜であろうと感じます。 そもそも不自然で、無理があるからです。 人間は自然という巨大なモノの『微細な一部』に過ぎません。自然の中に動物がいて、植物がいて、人間がいるのです。 自然にとって人間が特別だったことはないし、これからも特別であることはないでしょう。 私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。 というか「人間ってなんて出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと心を離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた結論などではなく子供の頃からずっと…

  • 時代の変化とエネルギーの変化

    私のヒーリングを受けた方はご存知ですが、ヒーリングをしている時というのは時々ゲホゲホとかいう以外は見た目は基本黙って静かな状態になります。 「何やってんだ? このおっさんは~」って感じかもしれません(^_^;)そういう時に何が起きているのかというと簡単にいえばあまり良くないエネルギーが出てきているのです。あまり良くないエネルギーを線香の煙みたいなモノと捉えてもらえれば分かりやすいのではないでしょうか?線香の煙がブワッと顔にぶつかった感じと申しましょうか…まあ、いつも必ず咳き込むわけではないです。また正直「どうして咳き込む時とそうじゃない時があるのか?」その違いについて深く考察したことはありませ…

  • 日頃から勘を養えば運の波に乗りやすくなる

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 だから、生きるというのは見知らぬ海でサーフィンボードに乗るようなモノです。巡りくる運の波に上手く乗れたり、乗れなかったりしながら人生は進んでいきます。 「人には添うてみよ! 波には乗ってみよ!」なのです。人生は大波小波を乗り越え、また乗り越えながらなんとか溺れないように進んでいくしか道はありません。 「運命を拓く」とは、出会いと選択を繰り返しながら、運の…

  • 因果を勝手にリセットすることは出来ません

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の『原因』があります。逆に言えば『結果』の無い『原因』なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものは全ての事象に遍くあります。 ただ、それが一人の人間サイズの時空間にスッポリ収まるとは限りません。 また誰もが分かりやすく認識できるカタチで、いつも表現されるわけではないのです。 それに、因果応報って言っても悪いことばかりを指すわけじゃありません。その人の積み上げてきた原因は吉凶禍福いずれにしろ結果を生みます。その人の選び取ってきたことの『報い』として必ずね。 何が言いたいかというと、「今まで自分が生…

  • 波動のレベルが下がればその分人間らしい感受性を失う

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 「親近感を持つ」ということは、「それらがウエルカムな心の状態になっていく」ということです。何が怖いってその心の状態になるのが一番怖いわけです。何故なら、そのことによって他人からすればドン引きするようなモノを自慢して見せるような『鈍感さ』を手に入れてしまうからです。すなわち、それ…

  • 人の想いのチカラは簡単に消したりできません

    この世においては肉体を持っているということは圧倒的な強みです。 肉体がないモノと肉体のある者とではエネルギー的な強さが全く違うのです。よって、肉体のないモノは肉体を持つ者に『依代』を求めたがります。 ここでいう『依代』とは現実世界にアクセスするためのツールという意味です。 逆にいえばその依代が無ければ肉体のないモノたちは現実世界に強力にアクセスすることが出来ません。身体を持たないエネルギー体がこの世界で制約もなく動き回れるのなら、何もわざわざ生きている人間と所謂『悪魔の契約』など結ぶ必要はないのです。自由気ままに人間に取り憑いたり離れたりすればいいだけの話ですので。ここでいう『悪魔の契約』とは…

  • 『ありのままの自分』とは『進歩がない自分』である

    世の中には「ありのままの自分」みたいな言葉を好んでお使いになる方々がいらっしゃいます。 「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです\(^-^)/」みたいな感じでね。でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。 自分の魂のことなのか? 自分の肉体のことなのか? 自分の心のことなのか? どれなんでしょうねぇ… あと、「ありのまま」ってのは時間軸でいえば「現状そのまま」ってことになるのでしょうかね?以下は「ありのままでいい」ってのは「現状をそのまんま変えないぞ!」って意味だという仮定の上で話を進めます。もしそれが心のことなら「ありのまま」じゃあ…

  • 3割引の視点と狂信へと至る道

    眼に見えない世界の情報というのは現実に裏付けが取れないことのほうが圧倒的に多いです。だから、幾ら本物っぽく感じたとしても眉に唾付けて3割引くらいで捉えておいたほうが無難ではないでしょうか? それは別に目に見える現実社会でも同じです。 この『3割引』の視点というのは物事を俯瞰的に見るためには随分役に立ちます。 『3割引』の視点ってのは、簡単にいえば自分を含めて「世界は絶対じゃない」という想いをいつも忘れないということです。 「世界は絶対じゃない」という想いというのは、「人生には或いは世界には、いつどんなどんでん返しがあるか分からないよね」って感じていることです。そのどんでん返しってのを小難しい言…

  • 心のノスタルジー濃度を濃くしすぎない方が生きやすい

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想もそうですし、古今東西よくある考え方なのでしょう。私からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになるって考えるのは、「現在進行形の『世界』を呪詛してるだけだろう」と感じてしまいます。本当は大して良くもなかった『過去』を持ち上げることで、今ここにある自らの不遇を『世界』のせいに…

  • マウンティングと支配欲

    「みなさんご存知の通り…」 「みんなこれくらいは知ってると思うけど…」「これは常識だと思いますけど…」 繰り返しこんな感じのことを言うか、もっと巧妙ならそういう言葉すら直接使わずにそういう雰囲気を醸しだす物言いをよくする人が自分の周りにいたら気を付けた方がいいでしょうね。日頃からそういう話し方を常としている人は「自分の言ってることは正論である、真実である」という前提で話を始めようとしてる可能性が高いからです。 ある種のマウンティングなんでしょうけどね… 「自分は本当のことを何でも知ってますよ!」って感じを出して、「自分の言うことと違うこと言ってるヤツは間違ってるから!」って言外に匂わしているわ…

  • 『オラオラ系の物言い』と『分相応の物言い』

    自分の意見をハッキリ表明すること自体はなにも悪くありません。 ただ、自分の意見だけが唯一絶対の真実のように語るのは如何なものでしょうか? いや、単に人に語って聞かせるだけなら、まだマシな気がします。 問題はそれをむやみに振り回して他人を攻撃するための武器にすることです。 個人的には表向きだけでも〇〇説みたいに主張すれば随分マイルドな感じになるのになぁって考えるんですけどねぇ…少なくともそういう言い回しをすれば相手の意見を100%否定することにはならないので。 例えば古代史好きなら邪馬台国の所在地には畿内説と九州説があるのをご存知でしょう。二つの説を提唱する人々が、それぞれ長い間自説の正当性を主…

  • 創造主というモノを設定した人類と眼に見えない大きな存在

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。「神というのはあれでそれでこれで、こ…

  • 波動のレベルと荒々しさがもてはやされる時代

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 日々の何気ない言葉や行動の集積がその人の波動のレベルを形作っていきます。 そうやって形作られた波動のレベルがまた次の波動のレベルの土台となるのです。 日常的に言葉が荒々しいというのはその人の波動が荒々しいということです。 波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことを指しています。 日ごろから荒っぽい言葉を使い続けていると意図せずとも波動のレベルが下がりやすい心のカタ…

  • 所謂宇宙人神話ってのは古くからある神話の焼き直しである

    所謂一つの『宇宙人神話』って個人的に呼んでるモノがあります。 ここでいう『宇宙人神話』というのは「遠い宇宙の果てからやってきた知性体が高度な技能によって地球を生物の住めるような星に改造し、人類という存在をテクニカルに作りだしたのだ!」という風なお話全般のことです。元々そういう類いのお話は「地球人と同じように物理的に存在する先進的な宇宙人が、この地球上で人類の歴史に関わるような色んな工作を行ってきたんじゃないか?」というような話が主流だったと思います。 例えば「宇宙船に連れ込まれて発信機みたいなものを埋め込まれた」とか「ミステリーサークルが一夜にして出来てた」とか、あくまでも現実世界で起こってい…

  • 仮定盛りとフワフワした万能感

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「これはそうに違いない!」という思い込みを土台にして、「これがそうなら、やがて必ずこうなっていくはずだ!」という風に、仮定の話をまるで『ブレない真実』のように盛り付けていくやり方を表す言葉です。 で、そうやって盛り付けた仮定の話は、直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に新たなる仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションなんですけどね…

  • 操れる系と「禍福は糾える縄の如し」

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで何かと繋がって最後は『大きな一つの絵』になるのです。その大きな一つの絵を人は『運命』と呼ぶのだろうと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやか…

  • チカラ比べと殺伐としたココロの世界

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。それは眼に見えないチカラの話だけとは限りませんがね…よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても『返り…

  • 不安と恐怖とブレながら進む人生

    森羅万象すべてのモノには波動があります。波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。生あるものにとって「不変とは澱むこと」に他なりません。心がずっと一ヶ所に踏みとどまることはすなわち「劣化」を意味します。だから、生きている限りブレながら前へ進み続けるしか手はないのです。死ぬまで『迷い』と『不安』を友としながらね…人間は元々主観的な存在です。純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは古今東西誰一人存在しません。『主観』…

  • 人はありのままに生きれば欲望のモンスターになる

    欲望というのは善でもなければ悪でもありません。 それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないからです。 「生存している」というのは「肉体を持っている」ということです。 「肉体を持っている」ということは、「その肉体を維持する必要に常に迫られている」ということを意味します。 肉体を維持するための推進力として生き物には欲望が与えられているのです。 なので、欲望は常に『増大する方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと出世して権力が持ちたい!」 この「もっと! もっと!」に限りはありません。この「…

  • 思考と勘と運命のタイミング

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって『一つの絵』になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するようなモノではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピー…

  • 「日にちを記念する」というのは所謂ひとつの呪術である

    森羅万象すべてのモノには波動エネルギーがあります。 だから、当然言葉にも波動エネルギーがあるのです。今まで何度か申し上げてきた「呪をかける」という行為もまたその言葉のエネルギーを使っています。ここでいう「しゅをかける」とは強い言葉で相手に衝撃を与え心に『隙間』を作り、そこに不安や恐怖を打ち込んで縛ることです。 『言葉』のチカラを使って人の心をコントロールするために為されるモノです。それは『他者』の心を支配し、時に『場の空気』まで支配しようとする呪術です。 なので、「呪をかける」という行為は最初は特定の個人なり集団によって行われるものです。ただ、繰り返しかけれた呪はいつしかそれ自体が独り歩きし出…

  • 相手をねじ伏せるためのタダシ書き理論は波動のレベルを下げる

    世の中事態がどう転んでも言い逃れ出来るように意図的に『タダシ書き』を使う人は少なくようです。 個人的には「何があっても自分に都合のいい方向へ物事を動かそうとする人がよく使う手だ」と思っています。 例えば「自分の拝んでるのは本当の稲荷のキツネだけど、誰それの拝んでるのは邪悪な妖狐である」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。 「キツネは神さまです。ただし、中には妖狐ってのがいてそれは妖怪なんです!」ってな話です。 以上のように『タダシ書き』を付ければ解釈変更なんて幾らでも出来ます。 この『タダシ書き』と似たようなモノに「絶対外れないようになってるリバーシブルな予言」ってのがあります。実際…

  • ホンモノの神とニセモノの神

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。今回に限らず私がカミサマって言う時は『そういうモノ』のことを想定しているとお考えください。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。じゃあ、「何故そんな風に神を規定するのか?」というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは、他ならぬ人間だからです。「神というのはあれでそれで…

  • チャネリングと主観の歪み

    人間ってのは元々『主観的な存在』です。 それは純粋に客観的な視点を持つ人間など古今東西一人もいないということです。主観というものには大なり小なり偏りが存在します。一人一人が見ている『世界』というのには、それぞれに常に偏りがあるってことです。 で、そんな偏りかある存在 (人間) を通してしか表現されないのが『言葉』というものです。 だから、人の舌の上に乗った瞬間にそれがどんな言葉であろうと主観によって歪みます。「人の言葉は歪む」ということを頭に入れておかないから、『絶対不変の真理の言葉』なんて見果てぬ夢を追い求めるのでしょう… スピリチュアル界隈で『チャネリング』と呼ばれるモノがあります。いわゆ…

  • 「人間が地球で一番偉い!」というのは人間が勝手に作った価値観である

    例えば菜食主義の人の頭の中には「人間>哺乳類>魚類>植物」というヒエラルキーがガッチリ刻まれているんじゃないでしょうか? その人たちの中には人類を頂点とする『生物のピラミッド』があり、「人間に近いものほど生き物として偉いんだ!」という生物観を成り立たせているのだろうと思われます。そういった生物観はスピリチュアルな世界にも少なくないように感じます。 例えば「亡くなった動物の多くが低級霊になって悪さをする!」みたいな筋のお話が古来より語られてきているのがその一例です。もちろんどのような価値観をお持ちになろうとそれぞれの全くの自由です。 「人間は万物の霊長で地球の王様なんだぞ!」と考えたって自由です…

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