皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
実務者研修の修了証が送られてきた。これを提出したら来年の国試を受けることができる。試験なんて、運転免許の試験以来。勉強・・・。試験勉強・・・。しなくちゃいけないなあ・・・。でも来年だしなあ・・・。鬼が笑っちゃうよなあ・・・。とかなんとか言っ
一か月あまり入院していた利用者さんが帰ってきた。デイサービスは大盛りあがり。「わあ、Yさんが来はったでぇ!」「おかえりなさい!」「おかえり、Yさん!」「わあ、久しぶりやなあ」「よう帰ってきはったなあ」皆さん口々に喜び、笑顔で迎え入れる。Yさ
昨日ぜんぜん動けなかった理由が、わかった。今頃わかった。不機嫌のせいかと思ってたけど、違った。・・・単に疲れていたみたい。まあ、当たり前なんだけどね。ぜんぜん休みもなかったしね。ちょっといろいろやりすぎたよね。来月からまた忙しくなるんで、が
今日はとってもヒマだった。朝からオヤジはデイサービスへ、母はショートステイに行ってくれたからだ。・・・本当なら、今日は私のワクチン接種の予定だったから、副反応を警戒してショートをとっていたのだ。ドタキャンされたけど。私の予定がなくなったから
ワクチンを打つか打たないか、いろんな考え方があるようだけれど。在宅介護している人は、とくに一人で介護している人は、打っておくべきだと思う。だって、もし介護者がコロナに感染したら、どうなるだろう?どんなにしんどかろうが高熱が出ようが介護する人
介護の仕事には別れがつきものだ。亡くなったり入院されたりと理由はさまざま。施設入所されたら後の消息はほとんど伝わってこないので、生きておられるのかどうかも私たちには分からない。ふとした拍子に、そういう方々のお顔を思い出してしまう。『翼をくだ
職場のデイサービスでアイスクリームパフェを作った。そう話したら母が「いいなあ!うちでも作ろうよ」ということになった。我が家レク。アイスクリームパフェ作り。フルーツ、コーンフレーク、ミニケーキ、ポッキー、チョコレートソース、それからもちろんア
次から次へとケチがつきまくった東京オリンピック2020。こんなコロナ禍の中やるべきなのかと思う。思うけどな。・・・始まってしまったな。昨日の開会式。こぢんまりしてたけど私は楽しかった。なにしろ真矢みきさんが出てきたし。ピクトグラムさん楽しか
この季節は、夜明けの頃が一番涼しくて気持がいい。今日もぐっすり寝入っていた。本当に気持よかったんだ。けれど・・・どすーーーーーん。物音と共に家が揺れて目が覚めた。いや、地震ではない。原因はわかりきっている。オヤジがどこかで転倒したのだろう。
利用者Tさんの家は大きい。訪問介護サービスは、まずTさんの所在を探すことから始まる。「おはようございまーす!」と声をかけると「はあーい!」返事は聞こえてくる。だが姿はない。台所にもいないし寝室にもいない。トイレもいないみたい。まさかお風呂じ
今日は朝ちょっとだけ仕事があって、そのあとは休み、のはずなんだけど。やっぱり一日バタバタしていた。銀行・薬局・市役所へ行って、買い物を済ませ、母にご飯を食べさせて、訪問美容に来てもらって、それから歯医者とケーキ屋さんに・・・ここで、ハタと気
今日で実務者研修が終わった!あとは国家試験にさえ受かれば、晴れて介護福祉士の資格をもらえる。試験に受かれば・・・受かれば・・・試験は1月だし、受かるかどうかわかんないし、まだまだ遠い話だ。でもとにかく「8日間の実習を受ける」という難関をひと
認知症のご主人を介護中の奥さんが、「もう、やめたの」と話してくれた。「『こうやったらいいんじゃないか、ああやったらいいんじゃないか?』って考えるの、やめたの。本当は、リハビリさせたり、皿を運ぶのとか主人にできることを探して自分でやらせた方が
私はこの日を待っていた。待ち焦がれていた。郵便受けの中に緑色の封筒を見つけたときは、心臓が高鳴った。ついに「それ」が来たのだ。もしかしたらダメかもしれない。でも、もしかしたら。もしかしたら今度こそ。ドキドキしながら思い切って封を切った。宛名
オヤジはだんだんできることが減ってきた。かつては料理までしていたのに、今ではご飯も炊けなくなって。袋麺を鍋で温めていたのに、カップ麺しか作れなくなって。・・・昼ごはんは毎回パンでも用意するべきか?と、思ってたら。「チーン!」台所から電子レン
皆さんはデイサービスのレクリエーションというとどんなものを想像されるでしょうか。懐メロや童謡を歌う?豆つかみゲーム?ゆっくりした体操?塗り絵?貼り絵?それともいわゆる・・・お遊戯?デイの職員は毎日頭をひねり知恵をふりしぼってレクを考える。子
我が家は両親そろってデイサービスに通っている。そして両親とも、複数のデイサービスに通っている。母は週3日、A、B、Cと3箇所に通い、オヤジは週2日、AとBに通っている。両親は常に別々に通い、デイで顔をあわせることはない。こんな家はちょっと珍
両親のワクチン接種に行ってきた。今日が2回目。1回目はミスをしてお役所の方にご迷惑をおかけしたが、今回は手抜かしなし!・・・の、はずだったんだけど。ちょっとだけもめた。受付で「お母様が11時で、お父様が11時15分の予約ですね」と言われたの
残すところわずかになった介護福祉士の研修。制度や法律の勉強から介護技術まで、いろいろなことを習う。実習では基本的なことができているかを確認する。基本的なことのはずなんだけど、仕事ではちゃんとできてると思うんだけど!家での介護と比べてみると「
母につきあってドラマを見ていた。このあいだ始まった『#家族募集します』というドラマだ。子育ての話だけど、とてつもなく共感してしまった。妻を亡くし幼稚園児を育てるシングルファーザーが、友達に「大変だな」と言われて「やめろよ。当たり前のことをし
ショートステイって素晴らしい。在宅介護的に神である。なにしろ、このややこしいのを一晩中預かってくれて、私はゆっくり眠れるんだから。ただショートステイには準備が必要だ。服や入れ歯ケースや薬や・・・そのすべてに名前を書かなければいけない。もちろ
サンジ。トラ猫。こう見えて13才のおっさんである。おっさんはおっさん同士、仲がいい。夜はオヤジのベッドで寝るし、昼間もしょっちゅう一緒にいる。サンジはオヤジが大好きなのだ。オヤジが食事するときは必ず膝か、同じ椅子に座ろうとする。朝ごはんなん
最近、母は足が弱ってきたような気がする。リハビリを怠っているのと、太ったせいかな。そう言うと、「そんなことないよ」と母は反論する。でも、最近は立つのも下手になったし、お尻が重くなったでしょ?よっこらしょー!どっこいしょー!って何回も言わない
スーパーで親子連れとすれ違った。お父さんとお母さんと車椅子の女の子。女の子には、全身の麻痺がひと目で分かる障害があった。車椅子も重々しいバギー。どうしても気になる。気になってしまう。その子がどんな表情をしているのか知りたくなってしまう。だっ
「大変ね!」と、よく言われる。在宅介護してる人はみんなそうだろう。「え、2人も家で介護してるんかいな、大変やな!」なんならお医者さんにも言われるくらいだ。「いいえ、ぜんぜんですよ」と私は返す。強がっているわけじゃない。無理をしているわけでも
私は現在、学校に通っている。介護福祉士をとるための実務者研修。一昔前にはホームヘルパー1級と呼ばれていたものだ。生徒は全員、介護従事者。特養や病院やデイサービスで働いている人たちだ。先生はもちろんその道何十年のプロである。もう楽しくて仕方が
さっきからシシィがうるさい。にゃーにゃームームーミィミィ鳴いている。理由は簡単。「おかあさんが帰ってこない!」と心配しているのだ。母にはショートへ行ってもらってる。明日、私は実務者研修があって、一日中、家にいられないから。心配しなくても明日
競泳の池江璃花子選手がまた日本新記録を出した。しかも今日は池江選手の21才の誕生日だった。そのニュースを見て「バンザイ!」母が大喜びした。「私、池江璃花子ちゃんと誕生日が同じだ、やったあ!」そうなのだ。今日は母の74才の誕生日。盛大に祝って
昨日、デイのレクリエーションで七夕飾りをつくった。わっかの連なり。三角形の連なり。切り込みを入れたヒラヒラ。お月さまやお星さまも。メインはもちろん、短冊だ。「だださんも書いていいよー」と先輩が言ってくれたけど。今年はちょっと、ためらった。も
新型コロナのワクチンを接種するにあたって必要なものが2つある。一つは接種券。送られてきたワクチンクーポンである。そしてもう一つは、身分証明書だ。運転免許証とか。保険証とか。パスポートとか。ここで私はハタと立ち止まる。オヤジは現在、身分証明書
近頃ミスが多い。仕事でもプライベートでも本当に多い。大事なものを失くしたり、忘れ物をしたり、約束をすっぽかしそうになったり。このあいだ記事にも書いたように、今ちょっと頭がいっぱいいっぱいなのだ。今日もとんでもないミスをして、どんよりと凹んで
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------