退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
ちょっと調子が悪いだけオヤジの調子がおかしくなったのは2週間ほど前だ。その木曜は朝から少し調子が悪かった。寝起きのせいかふらふらしている。でもそれだけで、朝ごはんも普通に食べていた。デイサービスから帰ってきたとき、スタッフさんからも「ちょっ
「タバコをやめないと寝たきりになるよ、最悪死ぬよ」とみんなに脅されていたのにオヤジはタバコを手放さなかった。「タバコのためなら、かまわない」と言い放ち、私の苦労など気にも留めない。そんなだから体がよくなるはずもない。バタンと倒れる脳梗塞では
我が家は両親そろって血管性認知症。母は左麻痺で車椅子のってる要介護4。年齢とともに衰えつつはあるけれど口先だけは元気なばあちゃんです。対するオヤジは、多点杖をつき、えっちらおっちら歩ける要介護2でした。要介護2と4の両親。介護度だけなら要介
こんにちは。皆様ご無沙汰しております。半年ぶりの更新です。最初にいっておきますが、私は元気です。ここ1,2年、両親の介護が重くなり、仕事も増えて、猛烈にバタバタしておりました・・・いや、時間がないというより精神的に余裕がない状態です。このブ
両親がショートステイに行ってくれたので、姪っ子の椿と2人でUSJに行ってきた。三が日は過ぎたとは言え、かなりの混雑。「うわあ2時間待ち・・・」「でもこっちは190分待ちだよ」「2時間のほうがまだマシかあ」いや、文句なんか言ってる場合じゃない
新年あけましておめでとうございます。昨年は気を抜きすぎてしまいましたが、今年もきっと気を抜くでしょう。在宅介護生活もそろそろ10年。なるべく手を抜いて、ゆるゆるやっていく所存です。今年もよろしくお願いします。さて、昨夜。オーストラリアに住む
2022年も残りわずか。今年一年を振り返ってみると・・・ああ・・・書かなかったな・・・としか言いようがありません。介護福祉士の資格をとったり、仕事の種類が増えたり。講演の仕事がちらちら舞い込んできた李、オヤジの介護度が上がったり。今年も一年
サンタさんお願いですお金をください現金をください電気代とガス代とオムツ代と薬代をください袋いっぱいの万札をくださいそれができないのなら戦争を止めてください魔法使いがいないのは知っていますそれでも願うことが許されるなら今夜だけ望みを口にするこ
子供の頃、本が好きで、ずっと本ばかり読んでいた。冒険の話が好きだった。トム・ソーヤーにロビンソン・クルーソー。小人のニルス・カールソンに長靴下のピッピ。ETやグーニーズのノベライズも好きだったな。現実がおもしろくなかったから物語の中に逃げて
案内ハガキが届いたのはいつだっただろうか。オヤジの職場のOB会のお知らせはがき。退職した人たちでゴルフをしてお茶会をする会で、コロナで中止が続いていたけれど「今年は集まります」と。「行きたい!」とオヤジは言った。オヤジがこんなにはっきり意思
火曜は私は仕事の日。両親は家にいて、ヘルパーさんや訪問看護にみてもらう、そういう日だ。昨日も安心して出かけていった。午前中の仕事が終わり、さあ家に帰ろうというタイミングで。着信があった。ケアマネさんである。車を停めて電話にでると、ケアマネさ
訪問介護をしていたら利用者さんの話がおもしろくて、もっと聞きたいと思うけど仕事しなくちゃだから時間が足りない。そう言ったら、職場のひとに「なんでそんなの聞きたいの?」不思議がられた。「なんで?」なんでって!おもしろい、から、です!利用者さん
猫のことをあまりよく知らない人たちは、猫はツンツンしているとか、冷たいなどというけれど。全然そんなことはない。少なくとも我が家の猫たちは感情表現が豊かだ。そのうえよくしゃべる。サンジもシシィも、うちのオヤジなんかよりずっと多弁。朝はちゃんと
介護が終わったという方からリハパンを頂いた。「まだ1枚しか使ってないから、もったいなくて!」ありがたい。本当にありがたい。うちは2人ともリハパン使用なので紙パンツ代が途方もないのだ。こういうことはちょくちょくある。介護って、突然始まるけど、
昼ごはんにレトルトカレーを食べようと思った。それでオヤジをスーパーへ連れていき、「どれにする?」と選んでもらおうとしたら、オヤジは絶句した。レトルトカレーも種類がめちゃくちゃ増えたので困ってしまったようだ。そこで私はオヤジが好みそうなものを
オヤジは努力することが苦手だ。必要に迫られるから仕事はなんとかやってたみたいだけど、向上心をもって学んだり、コツコツ頑張ることができない。昔からそういう性格なのだそうだ。だから「健康のために」「体のために」といわれてもピンとこない。「このま
昨日、前職の先輩にお会いした。なんと10年ぶりの再会!お互いこの10年は介護に追われて、いろんなことがありすぎて、会うチャンスがなかったのだ。とっても嬉しくて、調子にのっていっぱい話した。ぺらぺらしゃべった。普段は話さないようなことまで話し
今日は「いい夫婦の日」だそうで。世間的には「会話の多い夫婦ほど円満である」といわれているが、なんとか離婚をまぬがれている我が両親にはおよそ会話というものはない。高次脳の母はとぼけた話ばかりしているし、オヤジはまるで口をきかない。「おとうさん
先日はじめた両親の日記はなんとかまだ続いている。日記がめんどうくさくなる理由の一つは「何を書けばいいのかわからない」ということだ。母などは「だって今日は何もしてないもん。『退屈な一日だった』終わり!」という。オヤジは黙ってノートを見つめてい
職場のデイサービスで紅葉をみにいった。ご近所のただの並木道が、秋の日ざしに照り輝いていた。赤や黄色やオレンジや・・・目もくらむほどに美しかった。「わあ、すごい色!あれみて!」「きれいやなあ」「なんときれいな!」利用者さんたちは口々に感嘆した
健康診断にひっかかった。生まれて初めてのことだから「おっ!」と驚いた。「いよいよ私もそんなトシになったか!」といってもコレステロール値とかじゃなくて。『肺のレントゲンで影が写ったので再検査を受けてください』とのこと。再検査のために仕事を休ま
母がどうしても見たいというので行ってきた。映画館にいってきた!以前はよく見に来てたんだけど、コロナ渦だったのとつい面倒になってたのとで足が遠のいていたのだ。前にきたときは、車いす席と介助者席とが通路をはさんで離れていたが、今日は「車椅子の隣
急速に衰えていくオヤジをなんとか留めておこうと、朝の散歩を始めた。そしてもう一つ、始めたことがある。日記を書くことだ。オヤジはもともと言語能力が低い。話すことも書くことも極端に苦手である。そのうえに左脳の脳梗塞をやらかしたもんだから、言語野
日曜に冷たい雨が降った。朝からどんよりとして起きにくい。前の晩から眠れなくて変な夢ばかりみて。今日は何もしたくない。ちょっと体調が悪いのかな。寒さのせいか。気圧のせいか。雨のせいか。一日中ぼーっとしていた。一夜明けてもまだぼんやりが抜けなく
母は毎日猫をだっこして眠るが、実は犬派である。子供の頃からずっと犬がいる生活を送ってきた。「死ぬまでにもう一度犬と一緒に暮らしたい」私も犬は大好きで、一緒に暮らしたいという母の希望を叶えてあげたい。毎朝、犬と散歩にいくことにちょっとあこがれ
職場のデイの利用者さんたちが待ち焦がれていた「明日」。おでかけイベントの日だ。皆さんちょっとおしゃれをして。いつもよりちょっといい服を着て。イヤリングなんかつけてきて。みんなで車にのってカフェへ行き、ランチを食べた。そしてコーヒーとケーキも
「Kさん、明日のこと、すごく楽しみにしてるんだって。娘さんがそう言ってた」同僚が弾んだ声で教えてくれた。「えっ、Kさんが?」「そうよ、口では『あんまり行きとうない』とか、嫌々つきあってるふうに言うくせにね。内心すっごく嬉しいみたいで、家では
掃除をしていたら引き出しの奥から古いメモを見つけた。カレンダーの裏書、メモというよりもただの走り書きだ。日付は・・・2015年1月29日。「ああ!あれか!」思わず声がでた。・母が左手でバイオリンをつかんだ!・母の肘があがった!・私はサードポ
「今夜は皆既月食ですよ」とお知らせすると、心を病んで部屋に引きこもっている利用者さんが、ふっと顔をあげて「うちのベランダからはお月さんがよう見えるんや」とつぶやいた。そして「どや、晴れとるか」と、久しく締め切っていた掃き出し窓を開けたんだ。
朝はなかなか戦争です。オヤジの黄色い池がなかったとしても、必ず毎日、なんかある。まず母が起きない。ぜんぜん起きない。どうしても起きない。今日はデイのある日だから起きて!って言ったら「行きたくない」と返ってくる。「ずーっとお布団で寝ていたい」
いい天気だ。絶好の秋晴れ。こんな陽気はきっと今だけ。そう思って、両親を散歩に連れていった。いつもは渋るオヤジも珍しくついてきた。「いつもの公園へ行こう」途中でお昼を買って、公園で食べよう。歩きだした散歩道。黄金色の並木道。家から公園まで、私
先日、利用者さんに「怠惰です」と言われてしまったとおり。私はさぼっていた。手を抜きまくっていた。家の介護も。介護ブログを書くことも。最低限にしておこうと、逃げていた。なんだかちょっと疲れてしまっていたのだ、介護というものに。本格的に追い詰め
久しぶりに、両親をつれてお出かけしてた。瀬戸内海がみえる道の駅。ご飯もおいしかったし、近くにコスモス畑もあったりして楽しかった。本当はもっといろいろ連れていってあげたいけど、私一人で車いす2台は押せない。オヤジが歩けるのは、駐車場からレスト
夢をみている間は楽しいが、醒めるときはつらいもの。目覚まし時計が鳴っている。起きなくちゃいけない。ここから抜け出さなくちゃいけない。まぶたをこじ開ける。ぼんやりと夢を反芻しながら起き上がる。つらいなあって思う。たとえそれが夢でも、実体のない
お墓参りにいってきました。ひさしぶりの山。いや、ひさしぶりに太陽を浴びた気がする。そんなはずはないのだけれど。できたらまあ・・・もうちょとだけイイ所に行きたかったかな。
一通のハガキが届いた。『KY会 開催のおしらせ』KY会は、オヤジが定年まで勤め上げた会社のOB会。出欠の連絡を乞うハガキだった。コロナ禍は中止だったはずだから数年ぶりの開催だろう。オヤジは目を輝かせて「いく!」と答えた。問い合わせてみると「
手をつなぐ育成会の創立50周年式典に出席してきました。母が元気だった頃、バリバリ活動していた団体です。もちろんこの10年間は名前だけの会員ですけれども。一応はまだ会員。ということで、オープニングセレモニーで2人バイオリンを弾かせていただいた
私と母の2人バイオリン。リハビリ病院に入院中に弾き始めてから数年間、子供たちのオーケストラに混ぜてもらって弾いていましたが、今年に入ってからは、人前でも弾くようになりました。自治会やボランティア団体の催しなどに呼んでもらっています。だいたい
文章を書くのって体力がいる。一日の終わりにはもう精根尽き果ててしまって頭が働かない。言葉は散らかり、文章は解れ、PCに向かう指もおぼつかない。ひどい有様だ・・・。それでも少しずつ、少しずつ。書いていかなくては。怠らず精進しなくては。Tさんに
皆様こんにちは。だだでございます。前回の更新から半年あまり。すっかりご無沙汰をしてしまいました。知人や友人を通し、心配してくださる声もいくつか届いておりまして・・・え、生きてますよ?死亡説が流れてるってホンマですか!?いやいや、ありがたいこ
利用者さんちに犬がいる。黒い雑種の中型犬。名前はクロさん(仮名)。最初の訪問では吠えられた。2回目では「また来たの」って言われた。3回目になると「こんにちは」としっぽをふってくれた。「私はお客さんじゃなくて、お父さんとお母さんのお手伝いにき
今年も桜の季節がきました。デイサービスからも毎日のようにお花見にでかけます。母はなんでも「行く!」と言い。オヤジはなんでも「行かない」と言います。「だって・・・めんどうだから」歩くのが。外に出るのが。面倒だから。私は言ってやります。「これが
花はそれぞれの音楽をもっていると思う。同じ風に吹かれていても、花びらの揺れるリズムが違うし、陽の光にきらめく角度も違うし、雨粒を受ける音の高さも違う。曲をつくる人たちは、そういう花の音を実際に聞いて、譜面に写してくるのだろう。白木蓮が咲いた
皆様ご無沙汰しております。1ヶ月ぶりの更新です。ずいぶん長く休んでしまったのでご心配をおかけてしてしまいました。私も家族も猫たちも元気です。元気なんですけど・・・モチベーションが落ちてしまいました。在宅介護をはじめて9年。疲れが出てしまった
脳出血の後遺症にはいろいろあるが、疼痛もその一つ。とくに麻痺側が痛むようだ。皮膚感覚もないくせに筋肉が痛いと母はいう。冷やしても温めても治らない。薬だって飲んでいるのに。もっとたくさんリハビリやマッサージをしてほぐしてあげたらいいのだろうが
介護職だから仕方がないんだけど。高齢者だから仕方がないんだけど。訃報って、いつまでも慣れるもんじゃない。仲のよかった利用者さんが亡くなった。とてもしっかりした方で、独身を貫いた「シングルの先生」だった。「人間はね、いくつになっても変われるん
職場のおじさんが病気になった。奥さんを介護しながら働いてる人だ。私はなんとなく同志のように感じていたから、正月前などは「しばらくデイサービスがお休みで大変ですよね。お互い頑張りましょう」とか声をかけたりしたものだ。おじさんは「あんたもな」と
『となりのチカラ』を見た。お人好しの主人公が、困っているご近所さんを助けようとするドラマだ。第2話のテーマはヤングケアラーだった。ネタバレになるので嫌な人はUターンで。近所に住む高校生の男の子はおばあさんと2人暮らし。両親はなく、おばあさん
母がデイサービスのバスで帰宅したとき、職員さんが「フィギュア見れましたよ」と教えてくださった。北京オリンピックのフィギュアスケート・男子シングルのフリー。4回転半に挑む羽生結弦選手の出番を母は待ち焦がれていたのだ。朝、今日はデイサービスに行
冬季オリンピックが真っ盛りである。お祭り好きの母は1人で大盛りあがり。一日中でもオリンピック中継を眺めている。しかも今日からフィギュアスケートの男子シングルが始まった。母の大好きな羽生結弦選手の登場である。母がどれくらい羽生ファンかというと
母が通っているデイサービスがコロナのため休業になった。入所施設のほうで感染が広まり、職員が足りなくなったのだそうだ。お見舞いの言葉を述べるしかできることがない・・・。母がデイに行ってくれないと私の仕事が困ってしまう。だが幸い、母はデイをいく
朝、体が動かなかった。目が覚めて布団から出ようとしているのに、まったく体が動かない!疲労でとか寝ぼけててとか、そんなレベルじゃない。ビクとも動かないのだ。これは!もしや!金縛り!!!!そういえば胸が重たい。肩のあたりもズッシリとした重苦しさ
「もう死にたいわ」と利用者さんが言った。介護をの仕事をしていると、こういう言葉を受け取るのは珍しくない。とくに訪問介護はお家の中だから本音が出るし弱音も吐きやすい。体の痛み、病気の不安、経済的な苦しさ、人生がうまく運ばないもどかしさ、そして
ホームヘルパーの資格をとるための講義で「紙パンツを履いて過ごし、感想を書く」という課題が出た。「利用者さんがどれだけ不快な思いをされているか体感してみましょう」と先生は言った。言われたとおり、紙パンツは本当に不快だし恥ずかしいしつらいと思っ
オヤジの体調には波がある。調子のいいときは顔つきがシャンとしてるし、受け答えもクリアだ。着替えも1人でだいたいできる。要支援でいいんじゃないかと思うくらい。ところが悪いときは全然ダメ。何を言われてもぼーっとしている。しりとりをやらせたら一つ
近頃、母の疼痛が強くなった。脳卒中の後遺症であちこちが痛むが、とくに麻痺のある左足がきついらしい。トイレに立つたびに「いたたたた!」長い時間座っていても「いたたたた!」薬を増やしたらマシにはなったが、それも一時的だった。これ以上どうしたらい
昔、わりとブラックな職場にいて毎日悲壮なくらいしんどかったとき、先輩が貴重な休み時間をつぶして勉強をしていた。「試験を受けるのよ」といって。「一応、国家試験なの」仕事だけでも大変なのによくやりますね、しんどくないですか?「まあ、気分転換にな
介護福祉士の試験を受けた。あんまり知られていないかもしれないけど、国家試験だ。去年はコロナワクチン前だったからあきらめて、今年1年がかりで研修を受けて準備して。私なりに勉強もした・・・つもりなんだけど。なんだかざわざして、それどころじゃなか
オミクロンの嵐が吹き荒れていますが、皆様お元気でおられますでしょうか。先週行われた自治会のイベントの動画です(先週でよかった・・・)。私と母が2人バイオリンを披露しています。曲はザイツの協奏曲第5番。ザイツは子供のための協奏曲をたくさんつく
ご近所の自治会のコミュニティハウスで「おしゃべり会」をさせてもらいました。講演、というのかな?1時間の枠で、私と母がウィーンに行った話をし、2人バイオリンを3曲披露。もう一度言います。大勢の前で!2人バイオリンを!3曲披露!うっわ緊張する!
訪問介護の利用者さんはおしなべて愚痴が多い。「もうアカンわ」とよく言われる。体調のことだけじゃない。「自分では何もできなくなってしまった。生きる価値もない。お荷物になるだけだ」と。そんなことないですと私は答える。本心からそう思ってる。本人は
「兄貴が将棋を始めた」と、オヤジが嬉しそうに教えてくれたのは2年くらい前。将棋はオヤジにとって数少ない健全な趣味だ。体が弱って将棋サークルに通えなくなってきた頃だったから、「これからは兄貴と将棋ができる」と喜んでいた。最初のうちは互角だった
片麻痺の母と2人で1挺のバイオリンを弾く「2人バイオリン」。正月休みに練習していた。近頃は「ユーモレスク」と「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を練習してたんだけど、アイネクは私にはちょっと難しすぎた。モーツァルトって難しいんだ。気分転換に
皆様あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年の年末年始も我が家は静かでした。少しだけお節をつくって、年越しそばを食べたら、それで終わり。紅白を見る人もいないので、母はクラシックを、オヤジは演歌を、私はドラマを見ながら
皆様10日ぶりにこんにちは。おかげさまでなんとかやっております。ここしばらく動悸がひどかったのですが、2週間前にはついに過呼吸のような状態になってしまいました。頭が真っ白で簡単な計算さえできない。助けを呼ぶという判断もできない。指がふるえて
やりたいことと、やらなくちゃいけないことと、不可避なことが目白押し!毎日がお祭り騒ぎです。近頃の口癖は「ああもうこんな時間!」バタバタ、バタバタ、毎日ずっと走ってる。走って走って・・・とうとう体が追いつかなくなりました。さすがにちょっとしん
朝の冷え込みがキツくなってきた。朝にはわりと強い私だが、昨日あたりからちょっと起きづらい。アラームを止めてから「あと5分だけ・・・」とお布団のなかでトロトロしていた。すると「ニャーーーーーー!」にゃんこが起こしにくるのである。シシィはルーテ
10日間におよぶリフォームが終わった。お風呂とトイレのバリアフリー化と、玄関まわりの工事。見た人全員が異口同音にこう言うだろう。「手すり多っ!」なんでこんなに手すりだらけになったかっていうと。オヤジは今までに何度も転んでいる。何度も何度も。
https://dadacat.net/blog/archives/10730
近頃、動悸がするんです。なぜか心臓がドキドキしてるんです。ドキドキ・・・ドキドキ・・・「これは・・・もしかして、恋?」とか言ってたら「それは更年期」と母に言われました。今週の私の鉄板ネタになりました。ちくしょう。来やがったのか更年期。さてこ
何度も書いてるけど、我が家にとってスマートスピーカーAlexaはなくてはならない存在だ。移乗介護で手がふさがってる時でもテレビを消すことができるし、夜中の嘔吐のときにもとっさに電気をつけることができる。母は朝な夕な好きなクラシックを聴き、通
「わしはもうお迎えを待つだけの身だ」と、90半ばの利用者さんが話しはじめた。「そやけどあんたは違う。あんたはこれからずうっと生きていくわけだから。言うておこうと思うよ。あんただけやなしに今の若い人みんなに言いたいことやけど」・・・私は掃除の
新しい掃除機を買った。しばらく前から調子が悪かったのだが、とうとう電源が入らなくなった。そろそろ寿命なんだろうと買い直した。買ったのは日立のスティック掃除機。訪問介護の仕事でいろんなお家の掃除機を触ってきたが、その中でもお気に入りのやつ!コ
昨日、新しいスリッパを買った。いつもよりちょっとだけいいやつを買った。温かくて履き心地のいいスリッパ。なのに。ものの数時間でオヤジの黄色い池を踏んでしまった。なんでこんなところにオシッコ池が!トイレはもうちょっと先だぞ!まあ、間に合わなかっ
先日も書いたが、オヤジが布団をうまくかぶれなくなった。もともとすぐ脱いでしまう人だが、脱ぐだけでなく、かぶれないのだ。毛布と布団の2枚だと、毛布だけしか体にかけられない。何度かけなおしても、布団は体の下に敷いてしまう。これからどんどん寒くな
私は料理が苦手だ。苦手だが、与えられた仕事はこなさなくてはいけない。・・・訪問介護のサービスの中に「調理」という項目があるのですよ。それで今日も必死になって食材と格闘していた。必死すぎて脇目も振らない。利用者さんの様子さえあんまり目に入って
介護福祉士の試験が1月末に迫っている。もう2ヶ月しかない!なのにぜんぜん勉強がはかどらない。勉強しなくちゃとは思うんだけど、とにかく寝てしまうのである。参考書も問題集も開いたとたんに寝落ちする。スマホアプリでも寝落ちする。なんなら「座っただ
お風呂のリフォーム工事2日目。臆病者のシシィさんもちょっとだけ慣れてきた様子。当たり前のことなんだけど、工事中はお風呂が使えない。2週間ほど使えない。これはもう仕方がない。仕方がないんだ。仕方がないから、近所の温泉に行ってきた。行って帰って
ついにリフォーム工事が始まった。初日は浴室を取り壊すという。心配なのは猫たちのことだ。工事の音や器具や職人さんたちの匂い、何が起こっているのかわからないことで、大きなストレスがかかるだろう。それで母に「猫たちをよろしくね」と頼んで出かけてい
いよいよ明日からお風呂とトイレのリフォーム工事が始まる。今日は祝日だというのに大工さんが来てくれて下準備をしてくれた。廊下の養生と、それから・・・猫脱走用ドアの設置。猫たちが工事現場に入り込んだら危ないし、脱走したら大変だから。廊下をふさぐ
うちの両親は同じデイサービスに通っているが、日は別々だ。2人とも「同じ日に行くのはイヤ!」と言うからだ。なにか恥ずかしいんだろう。けれど今日はデイの方から「お二人で来てください」と連絡があった。イベントをやるらしい。11月22日・・・「いい
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退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
ちょっと調子が悪いだけオヤジの調子がおかしくなったのは2週間ほど前だ。その木曜は朝から少し調子が悪かった。寝起きのせいかふらふらしている。でもそれだけで、朝ごはんも普通に食べていた。デイサービスから帰ってきたとき、スタッフさんからも「ちょっ
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
ちょっと調子が悪いだけオヤジの調子がおかしくなったのは2週間ほど前だ。その木曜は朝から少し調子が悪かった。寝起きのせいかふらふらしている。でもそれだけで、朝ごはんも普通に食べていた。デイサービスから帰ってきたとき、スタッフさんからも「ちょっ
「タバコをやめないと寝たきりになるよ、最悪死ぬよ」とみんなに脅されていたのにオヤジはタバコを手放さなかった。「タバコのためなら、かまわない」と言い放ち、私の苦労など気にも留めない。そんなだから体がよくなるはずもない。バタンと倒れる脳梗塞では
我が家は両親そろって血管性認知症。母は左麻痺で車椅子のってる要介護4。年齢とともに衰えつつはあるけれど口先だけは元気なばあちゃんです。対するオヤジは、多点杖をつき、えっちらおっちら歩ける要介護2でした。要介護2と4の両親。介護度だけなら要介
こんにちは。皆様ご無沙汰しております。半年ぶりの更新です。最初にいっておきますが、私は元気です。ここ1,2年、両親の介護が重くなり、仕事も増えて、猛烈にバタバタしておりました・・・いや、時間がないというより精神的に余裕がない状態です。このブ