伊達政宗は1567年に゙輝宗と義姫の長子として生まれ、12歳で初陣、17歳でその器量を認められ輝宗から当主の座、家督を譲られた。当時の東北地方には蘆名氏、佐竹氏、大崎氏という強敵が揃っていたが、お互いが入り婿、嫁取りを繰り返し、微妙なバランスを維持していた。しかし政宗は1589年には蘆名氏を滅ぼし蘆名領だった会津に入る。1590年には秀吉による小田原攻めが始まり、出陣の命令に遅刻。しかし政宗のブレインであった片倉景綱のアドバイスと家康による取り成しで事なきを得た。しかし旧蘆名氏領は取り上げられる。その後の会津での一揆を陰から扇動したのではないかと疑われたときには、数種類を使い分けていた花押に込めた秘策(本物なら針で穴を開けている)ことを秀吉に訴え、再び命拾い。朝鮮への出兵時、京の街への出陣式では、派手な装...「東北の独眼竜」伊達政宗榎本秋***