信長・秀吉・家康が東海地方から西に向けて進出して天下統一を目指したとき、その鍵を握ったのが瀬戸内海。伊予は中国、四国、九州を結ぶ要、瀬戸内海での鍵となる地域となっていた。そこで活躍した海賊衆が村上氏、来島氏らで、彼らを束ねたのが河野氏と毛利氏。彼らは西国に向けて天下統一を進めようとする秀吉との衝突を余儀なくされた。日本における「海賊」は外国のように一般の船を追い回して積荷を奪うような盗賊ではなく、設けられた海における海関を通る商用船など一般の船から決められた関銭を徴収することを権力者から任された存在だった。彼らは軍船を巧みに操る技を持つため守護大名や戦国大名の軍隊の一翼を担うこともあり、学術的には水軍と呼ばれる。瀬戸内地域では水路は陸路と表裏一体の位置づけであり水軍である彼ら一族が荘園の代官を務めることも...秀吉と海賊大名藤田達生***