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意志による楽観主義のための読書日記 https://blog.goo.ne.jp/tetsu814-august

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ム

意志による楽観主義のための読書日記
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2015/07/14

  • 三体III 死神永生(上) 劉慈欣 ***

    三体世界は地球より遥かに優れた科学と技術力を持つ文明だった。羅輯は三体が送り出した地球侵略のための艦隊が地球に辿り着く前に、黒暗森林理論にもとづいて三体世界の座標を全宇宙に向けて発する脅迫により地球を救った。羅輯は、三体世界による侵略計画に対抗するための「面壁計画」により全人類より選ばれた面壁者。実は面壁計画と同時に、侵略者に対してスパイを送り込む計画が進んでいた。人類のスパイとして選ばれたのが孤独な男、雲天明。その雲天明に若い頃から声をかけ続けていたのが、後に航空宇宙エンジニアとなる程心。程心はエンジニアとして宇宙エレベータである「階梯計画」の実現に貢献する。そして、面壁者である羅輯に代わって次の面壁者として程心は選ばれたのだが、三体世界から送り込まれた智子(ソフォン)はこのタイミングを狙っていた。引き...三体III死神永生(上)劉慈欣***

  • 三体Ⅱ(上) 黒暗森林 劉慈欣 ***

    天体物理学者の葉文潔が宇宙に向けて発信したメッセージに対応した三体世界からは1000隻の宇宙船が地球に向けて発進、450年後には太陽系に到達すると予想されている。三体世界は地球での科学技術進歩を阻害する智子(シフォン)を送り込み、同時に地球上におけるすべてのコミュニケーションをモニターする。地球では、その計画を読み取られないための防衛方策として、決してその思想を口外しない、その上で地球上における最上級の優先度を与えられる4人の面壁者を指名した。もと米国国防長官のタイラー、前ベネズエラ大統領ディアス、脳科学者のハインズ、そして社会学者の羅輯(ルオ・ジー)だった。タイラーは、策を読み取られ自殺、ディアスは創設された宇宙軍に核融合エンジンによる小型戦闘宇宙船を1000隻作り出すアイデアを考え出すが、三体にとって...三体Ⅱ(上)黒暗森林劉慈欣***

  • 三体Ⅱ(下) 黒暗森林 劉慈欣 *****

    三体世界から発された11次元の陽子「智子(シフォン)」の存在で、三体世界から出発した艦隊が地球に到達するまでの400年間の高エネルギー物理学の素粒子実験を封じられ、さらに智子は全人類のコミュニケーションを監視しているという状況から第二部は始まっている。全人類からたった4人選ばれた面壁者のうち、一人目の「蚊群戦闘機」による計画、二人目の「水星における核融合爆発による太陽系破壊による脅し」計画は破壁者により葬り去られ、3人目のハインズが人類の記憶に刻んだ勝利に向けた信念は、行き過ぎた楽観主義として未来社会に受け継がれていく。のこるは羅輯による計画であるが、彼が放った「呪いのメッセージ」は50年後にしかその結果がわからない。物語は登場人物が冬眠に入り、それが明ける200年後、現代よりも遥かに科学技術が発達した世...三体Ⅱ(下)黒暗森林劉慈欣*****

  • お殿様の定年後 安藤優一郎 ****

    江戸時代には「300諸侯」と言われ、それぞれに第XX代という歴代の殿様がいたはず、つまり、260年の間には一世代で25年とすると300X10=3000人ほどの殿様がいたということになる。基本的には世襲なので家督を譲ると隠居することになるが、そのためには幕府の許可が必要だった。隠居年齢は人さまざまで40-60歳程度が多かった。庶民の寿命は35程度と言われたが、食糧事情が良い殿様は70-80歳程度まで余生を楽しむ大名もいた。しかし、その余生は娯楽や文化事業で、その負担は各藩財政を圧迫したという。現役時代はしきたりや江戸詰め、登城など堅苦しい生活を強いられたが、隠居後は多くは大都会のお江戸で余生を楽しむ殿様が多かった。本書では、水戸藩え「大日本史編纂」を始めた徳川光圀、大和郡山藩で柳沢吉保の孫として生まれ六義園...お殿様の定年後安藤優一郎****

  • 三体 劉慈欣 ****

    物語にはいくつかの背景がある。まずはタイトルの三体、宇宙空間にある巨大物体、例えば恒星が2つ近接してあると、互いの引力で二連星となりある距離で安定するが、それが3つあると相互の関係や距離は安定しない。それがもし恒星で、その3つの恒星に惑星系があるとしたら、その惑星系で起きることは、予想がつかない。もう一つは地球環境の悪化は人類の活動によるもので、この悪化速度は中生代の終わりをもたらしたと言われる巨大隕石衝突後の地球環境の悪化に伴う種の絶滅スピードを上回っているというもの。過去と現在が交互に語られる構成。まずは子供時代の文潔は父親を文化大革命で虐殺される。政治的に問題ありと烙印を押されながらも、物理学者としてのキャリアを重ねるが、将来に希望が持てないときに謎の施設に来ないかと招聘される。そこは目的がよくわか...三体劉慈欣****

  • 幕末雄藩列伝 伊東潤 ***

    江戸時代末期、特にペリー来航あたりから、幕府内部だけではなく300あったと言われる各藩でも「開国」と「攘夷」で論が二分された。これは「佐幕」か「倒幕」の戦いでもあったが、倒幕は当初は討幕であり勤王と言われてさまざまな動きがあった。水戸藩は親藩の一つでもあるはずなのに、「尊王攘夷」思想を藩主である水戸斉昭自身が掲げ、思想の理論的支柱として藤田東湖、会沢正志斎を輩出した。水戸藩からは、勅許を得ずに開国したことに反発、井伊直弼殺害の桜田門外の変に脱藩浪士が参加、攘夷運動としての天狗党を武田耕雲斎と東湖の息子、藤田小四郎を生み出した。将軍徳川慶喜も水戸藩出身であり、藩論が二分、三分されていたと言える。その慶喜は父の斉昭の言葉「朝廷には誠を尽くせ」との言葉に、大政奉還、戊辰戦争から江戸無血開城と、最後まで縛られるこ...幕末雄藩列伝伊東潤***

  • 月と蛇と縄文人 大島直行 ***

    表紙の妊婦写真が印象的な本書。これは油絵だそうで、写実的なこの絵画と縄文時代のシンボリックな土偶妊婦像を対比するために採用したのだとか。本書は筆者の強い主張に満ちている。読者へのメッセージは明確である。狩猟民族である縄文人の価値観は現代人とは大きく異なり、生命への敬意と感謝に満ちていることを理解することが本書理解の前提となる。有名な火焔土器を見て、容器や鍋としては使いにくそうな土器を作った意味はなんだろうと考えるのはやめて、祭祀的使用目的、美的感覚で解釈する必要があるという。土器だけではなく、竪穴式住居、貝塚、土偶、石器などあらゆる生活の道具や環境までもが生命、水、多産、再生などのシンボリズムに満ちているという。「月」は新月から満ちていって満月となり、また新月に戻る。そしてその繰り返し、つまり誕生と成長、...月と蛇と縄文人大島直行***

  • プロジェクト・ヘイル・メアリー(上・下) アンディー・ウィアー *****

    この一年で読んだ小説の中で一番面白かった。私がSF好きだということを差し引いても、誰にでもおすすめしたい作品。火星に一人で取り残される「火星の人」を知っているなら、その宇宙旅行版だといっても良い。以下ネタバレありのため注意が必要である。WBCでの日本の勝利を知った上でも、手に汗握り日米戦決勝のビデオを見られる方は以下もどうぞ。病院の一室のような閉じられた空間で徐々に目覚めた主人公は、自分の名前も今いる場所、そしてなぜこうなったかを覚えていない。同室には自分の世話をしてくれるロボットと、2つのベッドに横たわる死体が二人。物語は、主人公がいる宇宙船の現在と、徐々に思い出してくる過去の経緯が交互に現れ、読者にも状況が分かってくる。過去の経緯が現在起きている状況の説明になり、現在に危機が迫ると、その過去が危機の原...プロジェクト・ヘイル・メアリー(上・下)アンディー・ウィアー*****

  • 宮廷政治 山本博文 ****

    関ヶ原の戦い以降も、秀頼が大坂城にいる間は徳川家と秀吉に恩顧を感じる大名の間に緊張感があった。しかしそれは、家康が大御所となり秀忠が将軍になり、そしてさらにその子、家光が将軍となっても、転封、改易と言うかたちで継続していた。西国の大名で旧秀吉恩顧大名だった広島の福島正則、熊本の加藤清正の子忠弘、などちょっとしたきっかけを見つけて改易させられた。秀忠が将軍となったのは、1605年、27歳の時。秀忠は三男で、家康の長男・信康信長の命で切腹、次男秀康は秀吉の養子、その後は結城家へ。三男だった秀忠が徳川将軍家を相続することになったのである。しかし将軍となっても実権を握っていたのは、大御所家康。そして夏の陣で秀頼が殺されたあと、家康もなくなり秀忠の時代が来ると、家光に実権を渡すあいだにも40もの藩を取り潰し、改易す...宮廷政治山本博文****

  • 『ザ・タイムズ』にみる幕末維新 皆村武一 ****

    1852年から1878年にかけての幕末維新の日本関係のザ・タイムズ記事は450もに上る。ペリー提督浦賀来航から西南戦争、大久保利通暗殺まであたりである。当時の日本の政治、経済、文化、風土はちょうどアジアへの進出を企図していた英国人にとっては興味と関心の的。しかし、保守(トーリー)党と自由(ホイッグ)党対立がある英国議会では、植民地への支配と人権状況についての議論と対立があった。アヘン戦争による中国侵攻への非難であり、同様の対応を隣国日本では取るべきではないという議論であった。国際社会を意識し始めた日本の様子を、他の外国人の見聞記とともに描いた一冊であり、当時、日本はどのように議論されたのか、その視点に改めて客観的な日本に対する見方を教えられる。1852年当時の日本からのニュースは香港経由で英国到着は2ヶ月...『ザ・タイムズ』にみる幕末維新皆村武一****

  • 薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実 桐野作人 ***

    「人斬り半次郎」の異名は池波正太郎の小説から有名になったと言われるが、幕末には中村半次郎、維新後は桐野利秋は幕末から近代史の西南戦争あたりで目にする名前。密偵時代には人殺しもしたが、その後西郷隆盛の側近として征韓論に与し、西郷とともに西南戦争を指揮して死んだ。西郷隆盛が征韓論に拘った理由としては、維新後の旧士族への待遇不満を背景にした新政府への不満を対外対応で逸したいこと、そして日本人への反感をあらわにしていた朝鮮民族への反感があったという。桐野利秋はそうした西郷の側近として薩摩の旧士族をとりまとめ率いて、西南戦争で最後を遂げた、とされている。江戸時代には、各藩の武士階級には上士と下士があり、大きな身分差があったことは知られている。薩摩藩でも鹿児島城下に主に暮らす城下士、地方の郷に居住する武士団である郷士...薩摩の密偵桐野利秋「人斬り半次郎」の真実桐野作人***

  • 明治日本はアメリカから何を学んだのか 小川原正道 ****

    以前読んで感動を覚えた「イザベラ・バードの日本紀行」を思い出した。彼女の日本訪問は王立協会後援の視察であり、日本へのキリスト教布教のための調査旅行でもあったが、日本への発展の期待とともに深い懸念があることを伝えている。「多大な政府による借金、経済発展至上主義、欧米の良い技術だけを取り入れて日本人だけでうまく運営しようとする考え方、倫理道徳教育の欠如、アイヌやアジアの人たちへの差別的考え方など」である。江戸末期の知識階級は、中国がアヘン戦争で骨抜きにされ、列強諸国にいいように植民地されるのをみた。そして自分たち武士階級が幕府体制をひっくり返して開国を実現させることを実現した。殖産興業、富国強兵で坂の上の雲を見た明治日本人の夢は日清・日露戦争の勝利、第一次世界大戦後の領土拡大で達成できたかに見えたが、科学的分...明治日本はアメリカから何を学んだのか小川原正道****

  • 渋沢栄一と勝海舟 安藤優一郎 ***

    渋沢栄一の生涯を描いた大河ドラマを見た方なら、栄一が徳川慶喜への感謝と尊敬の思いを生涯いだき続け、幕末維新での慶喜公の悔しい気持ちと維新以降の忍従の日々について徳川慶喜公伝として後世に残したこと知っているはず。一方の勝海舟は、幕末の幕府代表として、江戸城無血開城へ向けた東征軍との交渉にあたり、戊辰戦争後は海軍顧問として新政府にアドバイスする傍ら、徳川家維持のために貢献した。しかし海舟は戊辰戦争で朝敵とされた慶喜公に対しては、旧幕臣の悔しさと新政府への配慮から、最後まで複雑な感情をいだき続けた。海舟は栄一よりも20歳ほども歳上であり、海舟の交渉手腕を高く評価した栄一だったが、最初の出会いでは小僧扱いされたことでプライドを傷つけられた。栄一による海舟の評価は幕末の三傑よりも一段下、というあたり。一芸一能の器で...渋沢栄一と勝海舟安藤優一郎***

  • 吉田松陰 津本陽 ****

    明治維新政府とその後の長州閥政治家や軍人たちに、なかば神格化されてしまった感のある吉田松陰。ファンは多いかもしれないが、本書は彼の業績とともにその生涯を客観的に俯瞰してみようという一冊。吉田松陰は長州藩の下級藩士で兵法師範の家系、杉百合之助の次男として1830年(天保元年)に生まれた。しかし6歳のときに、兵法師範役だった叔父吉田大助の死去に伴い山鹿流兵学師範の吉田家を継ぐ。それからは、もう一人の叔父、玉木文之進から厳しく教育を受ける。幼かった松陰は、母の瀧の優しさに守られながら文之進の朱子学に根ざした厳しい教えを受け止めた。貧しい暮らしに耐えていた両親や親族は幼いときからその学問の才能の片鱗を見せていた松陰の将来に期待した。松陰もそうした期待に答えるべく学問に精進、10歳にして藩主毛利敬親に山鹿流兵学を講...吉田松陰津本陽****

  • 姫君たちの明治維新 岩尾光代 ***

    江戸時代後半になると、江戸幕府は朝廷や有力大名との関係を良好にするために、徳川家と有力公家、各大名家の婚姻をすすめた。幕末の事例で大河ドラマにもなった13代将軍家定に嫁した島津敬子、天璋院篤姫の家系図を見ると和宮や島津家と将軍家のつながりが分かる。家定には、18歳のときに結婚した鷹司任子(あつこ)がいたが家定25歳のときに死去、一年後一条秀子を継室とするも1年後に病死していた。30歳で将軍となり33歳のときに藤原敬子を継室とする。将軍の正室となるため、摂関家近衛家の養女となり結婚。しかしその1年9ヶ月後、家定が死去、篤姫の後継者だった島津斉彬も死去してしまう。その後は新将軍家茂の後見人として勢力を増した篤姫だったが、鳥羽・伏見の戦いの戦いで立場は急変。江戸に逃げてきた将軍慶喜と面会し、確執のあった家茂の妻...姫君たちの明治維新岩尾光代***

  • 女系天皇 天皇系譜の源流 工藤隆 ****

    日本に現存する天皇制度は、世界に誇れる王室文化であり、残していきたい、というのは日本人の総意であろう。しかし、側室制度や皇室への養子制度を容認しない現在において、男系男子にこだわれば、皇位存続の危機は早晩訪れるに違いない。天皇の歴史を顧みれば、過去には8名の女性天皇がおり、女系により継承できた王位もあったことが分かる。明治維新新政府が決めた男系男子継承のルールは今見直す時が来ている、というのが本書の主張。古代天皇制が始まったのが天武・持統天皇時代と考えると、それ以前の大王では、縄文時代から続く日本的シャーマニズム、アミニズムの色彩が強く、大王には神祇、神との対話を期待する部分と、行政、安全保障、司法的決断など現実社会の統治を期待する部分があった。魏志倭人伝に記された卑弥呼時代には、倭国騒乱により単独の男子...女系天皇天皇系譜の源流工藤隆****

  • 斗南藩 「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起 星亮一 ***

    美濃松平家から養子に入り会津藩主となった容保は、28歳の時に京都守護職を拝命したが、当時の会津藩内では京都守護職への着任に反対する声も大きかった。反対した最先鋒が筆頭家老の西郷頼母。容保は頼母に謹慎を命じて守護職に着任し、のちに新選組となる「壬生浪士組」を誕生させた。この時代、薩摩藩と会津藩は同盟を結び朝敵としての長州征伐を行い、京都市内で守護職であった容保の配下には新選組、見廻組などを率いて、反幕府勢力を徹底して取り締まった。長州勢が御所に攻め込んだ禁門の変では会津が長州勢を撃退したことで容保は孝明天皇からの信頼は非常に厚かったが、長州藩士たちはこの時の会津藩に深い恨みを抱いた。薩長同盟成立後、孝明天皇の死後は一気に倒幕の勢いが増し、鳥羽・伏見の戦いの後その立場は朝敵へと暗転した。徳川慶喜と共に大坂城を...斗南藩「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起星亮一***

  • 暗い時代の人々 森まゆみ ***

    1910-1945年は日本近代史の中では言論を抑圧された暗い時代、その時代に自分の意見を表明し、さらには行動につなげていくことは容易なことではないはず。最初の兆候は「大逆事件」、明治天皇を暗殺しようとしたという嫌疑で捕らえられ、それを理由に反政府的な言動をする人たちと、その友人たちもなんの嫌疑かも明らかにされないままに拘束され処刑されてしまった人がいた。その次のきっかけは普通選挙法と同時に制定された治安維持法の成立。自由主義的言論で、反政府活動とみなされ拘束されたり、監禁・拷問され虐殺される人々がいた。その後は満州事変から太平洋戦争へとまっしぐらだった。そうした中でも、自身の言論を変えず、主張すべきは貫いた人たちがいた。本書はそうした9名の紹介。出石に生まれた反骨の政治家、斎藤隆夫。立憲主義を信奉し、大正...暗い時代の人々森まゆみ***

  • 戦国夜話 本郷和人 ***

    筆者は中世史を専門とする本郷和人さん、話題は方々に広がるが、関ヶ原の戦い前後で、戦国大名だった地方の上杉氏、前田氏、そして細川氏がどのように天下取りに関わってきたのか、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康との関係はどうだったのか、各家内の内紛をどのように処理してきたのか、などを72のエピソードで語り尽くす、という本書。関ヶ原の戦いで天下の趨勢が決した、というのは歴史を知っているから分かるのであって、当時の各勢力は、これからどうなるか、分かっていなかったのではないかというのが一つの疑問。東方の筆頭は家康、西方は石田三成、それとも毛利輝元、それとも豊臣秀頼。当時はまだまだ豊臣政権下であり、五大老の勢力争いが始まっていた。五大老の一人、上杉を打とうと東に移動した家康の不在を狙って、秀頼を奉じて五大老の一つ格下、五奉行の...戦国夜話本郷和人***

  • 写真で愉しむ東京「水流」地形散歩 小林紀晴 ***

    関東平野の南東に位置するのが現在の東京都区部だが、その場所は古くは多摩川扇状地の上に横たわる武蔵野台地であり、その昔は南側を多摩川が流れ今ではその名残が立川崖線、国分寺崖線として残っている。武蔵野台地に湧出する水源からは、武蔵野台地の僅かな東向きの傾斜に従って、何筋かの川が隅田川や東京湾に流れ込んでいる。渋谷川、善福寺川、妙正寺川、神田川、石神井川、そして江戸時代に掘削された小名木川、玉川用水などがある。川は大地を削り、谷を形成するが、江戸時代以降の人口増加と都市化進行で、川は暗渠となり、土地はコンクリートで覆われ、さらにはその上に高層ビルが建設されて、本来の土地の高低や地形がわからない場所が多い。東京都区部の北東側は縄文海進時代には海岸線となっていた日暮里崖線があり、京浜東北線がその崖下を通るが、崖の高...写真で愉しむ東京「水流」地形散歩小林紀晴***

  • 刀の日本史 加来耕三 ***

    日本刀ブームだという。上野で開催している国宝展では何振りかの日本等が展示されているらしいが、何が人気なのか。日本刀の各部の名称を見てみると、刀の先っぽの膨らみがフクラ、その部分を鋒(きっさき)、刃先があり刀の地金がある部分を鎬(しのぎ)といい、背側を峰もしくは棟と呼ぶ。峰の地が鎬地、鐔(つば、鍔)との境目にある金属が切羽(きりは、せっぱ)、手で持つ部分が柄(つか)でそれを巻いているので柄巻。鎬を削って、地金が現れて、切羽詰まって、鍔迫り合いする、多くの日常用語になっている日本刀である。古代の戦闘に使われた武器は、最初に弓矢、そして近接戦闘では石斧、石矛。最初は青銅、その後鉄で作られた矛が進化して、乙巳の変で蘇我入鹿が殺されたのは直刀で、平安時代に湾刀(太刀)が登場したという。太刀は腰に佩く(吊るす)もので...刀の日本史加来耕三***

  • 戦況図解 信長戦記 小和田哲男 ****

    信長の家臣、太田牛一が書いたという「信長公記」をもとに、信長の動静が記録されていない130日間の出来事と、その後の出来事に焦点を絞ったという、「信長空白の百三十日」という本を読んだことがある。その筆者は信長を裏切った惟任日向守(光秀)の部下でもあった斎藤利三が首謀者だったのではないかという仮説を建てているが、もちろん確証はない。信長戦記という本書を通読すると、こんなに多くの戦いを続け、数しれないほどの一向宗たちを虐殺し、多くの部下に無茶な命令を下し、そして裏切られ、こんなにも多くの部下を粛清してきた信長を恨んでいた人間は多かったと考えられる。側近で最も信頼してきたはずの惟任日向守に裏切られ殺された信長であり、信長の首を取れば、その日を待ち続けてきた何人もの武将たちが味方になってくれるはず、という秀光の思い...戦況図解信長戦記小和田哲男****

  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか 早島大祐 ****

    徳政令といえば「債務放棄を可能とする幕府による命令」と考えていたが、本書によればそれは当初の徳政令であり、その名の通り庶民にとっては善政の証しのような幕府命令だったが、その後の時代変遷とともに世の中から嫌われる幕府令となっていったという。鎌倉幕府崩壊以降は武家と公家による共同統治時代で、南北朝時代を経て戦国の世に突入、社会は荒廃していく。債権・債務放棄が可能な宣言が幕府から出される可能性があると考え、その後の世の中から社会信用が失われ、金融機能が不全となり、社会不安が高まったからである。同時に戦国の世の中になるにつれ、幕府や守護の戦争費用捻出のために、自らの債務放棄を宣言するようになると、それはもう庶民にとっては苦痛でしかない内容となる。室町時代の寺社には財源となる荘園管理と徴税という権利が残っていた。し...徳政令なぜ借金は返さなければならないのか早島大祐****

  • 徳川四代 大江戸を建てる! 河合敦 ***

    門井慶喜の「徳川家康の江戸プロジェクト」で読んだ内容とほぼ同じだが、本書特徴は絵図が豊富に使われていて分かりやすいこと。倭健命の東征で失った妻を偲んで名付けた「吾妻」が東、坂東の地、東国となる。坂東武者たちは平安の時代から京の貴族に憧れながらも反骨の心を持つ。平安末期に登場したのが秩父に始祖を持っていた江戸重継で、その本拠の地に建てられた城が江戸城。平氏の武将としてのし上がった江戸氏だったが、後に頼朝に臣従して鎌倉の御家人として勢力を伸ばす。室町時代には室町幕府の出先機関に反抗、平一揆を起こして鎮圧され所領は没収、滅亡する。関東はその後、関東管領と古河公方との対立の場となり、関東管領の上杉氏は旧利根川を境にして対立した古河公方を警戒。砦として建てたのが岩附、河越の城であり、それらを築城したのが太田道灌。江...徳川四代大江戸を建てる!河合敦***

  • 対決!日本史 戦国から鎖国篇 安部龍太郎、佐藤優 ****

    歴史は地理的な広がりと時間的なつながりの両方を踏まえて理解しなければならないという本書。戦国時代は、ポルトガルとスペインが世界の果てまで進出を図っていた時代であり、その両者の思惑と戦略を理解しておかないと、日本の歴史の理解が正しくできない。1494年に両国はローマカソリックの教皇が承認したトリデシリャス条約で大西洋に勝手に縦線を引き東側をポルトガル、西側をスペインの制海権であることを取り決めた。ポルトガル人が日本にも現れ始めたのはこの流れだったのが、それに対抗したのが当時のプロテスタント教会を支持したオランダで、ポ・ス両国のキリスト教布教は領有の前触れであると、信長、秀吉、そして家康に説明した。もう一つの流れがレコンキスタで、711年にイスラムに奪われたイベリア半島の権益をカトリック教会は軍隊を派遣して取...対決!日本史戦国から鎖国篇安部龍太郎、佐藤優****

  • カラー版 敗者の日本史 消えた名家・名門の運命 ***

    日本史には古代から近代まで数多くの氏族や武家が登場するが、華々しい活躍の場面のあとには必ずと言っていいほど没落の運命が待っている。しかし没落したからこそ、その行く末が明らかでない場合や、それを知ったからと言ってためになるほどの情報ではないケースも多い。本書が良いのは、写真と系統図、地図などのビジュアル情報でそれを補っていること。特に、写真や地図は、次にその付近に行ったときには顔を出してみようか、という自分の関心の置き土産を残せること。古代ヤマト王権を支えた豪族たちの勢力分布は、現在の地図に当てはめてみると、その位置関係や広がりが一目稜線。大伴氏では、継体朝で登場する大伴金村は、武烈の次の大王を越の国から応神の5代孫とされた男大迹王を迎えて継体王とした。その後、百済への4県割譲で失脚するが、子孫とされる旅人...カラー版敗者の日本史消えた名家・名門の運命***

  • 相続の日本史 安藤優一郎 ***

    日本史の出来事の多くは相続の諍いに関係すること。女性天皇の誕生は、跡継ぎがおらずに兄弟で揉めるといけないからと、皇后が即位した例が多い。厩戸皇子が未成年だったので敏達天皇の皇后額田部皇女が推古天皇に、舒明天皇の皇后の跡取り息子で実子ある中大兄皇子が若いので皇極、そして乙巳の変以降、重祚して斉明天皇に。乙巳の変は、中臣鎌足というよりも実際は孝徳天皇となる軽皇子と中大兄皇子が協力したという説が有力。しかしその後二人は離反、中大兄皇子が即位。自分の孫に継がせたくて皇后自らが即位した持統天皇。その文武の息子が後に聖武天皇となる首皇子だが、若年だったため、さらには元明天皇、元正天皇とが即位。聖武天皇の皇后は藤原不比等の娘光明子で、光明皇后は自分の子を天皇にしたくて阿倍内親王を女性最初の皇太子にし孝謙天皇に。ここで道...相続の日本史安藤優一郎***

  • 格差と序列の日本史 山本博文 ****

    日本列島でも農耕生活が始まり、各地に豪族が起こり、ヤマトに政権が確立した頃には律令制度が整備され、中央政権への租庸調納税と官僚制度が始められた。社会における序列は官僚制度に始まり、世代を超えた格差はこの官僚制度により強化されてきた歴史がある。本書では、日本史における官僚制度を概括し、歴史上の序列と格差について考察、現代社会に存在する格差について考えてみる。ヤマトに王権が確立する頃、大王家に続いて、臣として蘇我氏、平群氏、葛城氏、連として大伴氏、物部氏が氏族として序列化され、大王家から分かれた小氏族や地方の有力豪族が君と称され、国造を務める地方豪族が直(あたい)と呼ばれ、ランクづけられる。氏族ごとに職務を分担させる仕組みで、官僚制度とまでは言えない。その後、大化の改新から大宝律令へと制度が見直され、冠位十二...格差と序列の日本史山本博文****

  • 伊勢と出雲 韓神と鉄 岡谷公二 ***

    伊勢と出雲には神宮と大社があり、それぞれに古代史の一部を垣間見せてくれる痕跡があるはず、と現地を訪れて、現地の人の話を聞き、現場を検証してみた、という一冊。検証の前提は、2世紀から7世紀の日本列島では、従来からの狩猟採集民に加えて、稲作、灌漑、酒造、養蚕、機織り、石積み、支石墓、造船、製鉄、鉄器、文字、天文学、計算、そして仏教などの文化と技術を持った渡来人が大陸、朝鮮半島から移住してきていた。秦氏、東漢氏、西文氏、王仁氏、加茂氏、など、移住は散発的だが重層的で、数百年をかけて狩猟民の人口を凌駕する稲作農耕民が列島で優位性を持つに至る。特に製鉄の技術は、武力行使や農耕技術に強い影響があり、鉄鉱石の産出地と製鉄技術者確保は、この時代の最重要課題だった。その大きな流れが、律令制を列島に持ち込んだ大和政権により編...伊勢と出雲韓神と鉄岡谷公二***

  • 地形と地理でわかる古代史の謎 千田稔 ***

    本書がカバーするのは、先史時代、縄文・弥生から古墳、飛鳥、奈良、平安時代までで、60の項目について解説する。歴史書を読んでいて、時間軸で語りながらも、その事象が起きた場所の関係性も想像すること、それは地図情報を思い浮かべることである。しかし、例えば日本が古墳時代、朝鮮半島の高句麗、新羅、百済、伽倻そしてその時代の北魏、宋、そして契丹と柔然の地理的関係を即座に思い浮かべられるだろうか。それ以前には日本は邪馬台国が存在していた時代であり、朝鮮半島は馬韓、辰韓、弁韓となり、北には濊と高句麗があり、帯方郡、楽浪郡を擁していた魏、南には呉、北には鮮卑があった。文字で書くとこのように数行を要するが、地図なら一目瞭然。魏が南の呉、蜀と三国で争う時代、魏は国際的な自国のポジションを示したかった。西には今のインドがある場所...地形と地理でわかる古代史の謎千田稔***

  • 伊勢神宮と出雲大社 瀧音能之 ***

    本書の理解のためには、大和政権と出雲に勢力を持っていた一族との関係を理解する必要がある。大枠としては、日本列島にいた狩猟採集生活をしていた縄文人のところに、朝鮮半島、大陸、南西諸島経由で水稲耕作をベースにする弥生人たちが渡来し、征服や従属なしに混血を繰り返して、徐々に置き換わっていった歴史を、神話として記述したのが記紀。弥生人のグループも何度も何度も繰り返し渡来したため、日本海側からは、新羅、北九州宗像神社、出雲のグループ、敦賀、能登、越経由のグループ、百済、北九州の倭人伝グループ、琉球から南九州のグループなどそれぞれが各地で勢力を張っていた。後に、瀬戸内、山陽、丹後、近江などから畿内、河内、大和に勢力を伸ばした一部が三輪政権の核となった。三輪政権も合従連衡を繰り返し、その後も河内、越、近江、丹後などのあ...伊勢神宮と出雲大社瀧音能之***

  • 縄文探検隊の記録 夢枕獏、岡村道雄、かくまつとむ ****

    2018年12月発刊の本書は、小説家で「陰陽師」「闇狩り師」などの幻想小説を書いてきた夢枕獏と、奥松島縄文村歴史資料館名誉館長の岡村道雄の対談をライターのかくまつとむが構成したという一冊。縄文愛が深い夢枕獏と岡村道雄の会話が秀逸。縄文時代は15000年ほど前が草創期、氷河期が終わり温暖化した日本海側に暖流が流れ込み土屋根の竪穴式住居に栗が利用され食用にもされ、無文土器などが作られた。11500年ほど前からが早期定住集落、土偶などが作られる。ひょうたん、えごま、麻、豆類などの栽培が始まる。鬼界カルデラが大爆発したのが7300年ほど前。7000年ほど前からが前期で環状集落、貝塚などが見つかっている。5500年ほど前からが中期で装飾的な土器、翡翠、琥珀が流通し、アスファルトが接着剤として使われる。4400年ほど...縄文探検隊の記録夢枕獏、岡村道雄、かくまつとむ****

  • ヒトと文明 尾本恵市 ***

    人類学、人類遺伝学を専門とする学者先生が筆者。人類学を学んできた半生を振り返り、日本人を中心とした人類の起源を解き明かす。後半は、人類学から文明と文化論、そして狩猟採集生活から定住農耕社会への移行に伴う、先住民族の権利についても言及。植民地主義からの現代文明論にまで発展する一冊。大型類人猿とヒトを比べてのヒトの特徴は、直立二足歩行、縮小した咀嚼器官、大きな脳、貧毛。さらに、性差について、ヒトはペニスと乳房が必要以上に大きく、類人猿の中でも性的存在であると。言語、踊りと歌、共感、価値判断と反省などにヒトの特徴が見られる。ヒトに飼育されたイノシシが豚に、野牛が乳牛になったように、農耕生活で類人猿がヒトになった、との指摘はドキッとする、日本人の起源については、遺伝子分析によれば世界の集団は大きくは6つに分類でき...ヒトと文明尾本恵市***

  • 地名で読む京の町(上)洛中・洛西・洛外編 森谷尅久 ***

    地名は長く残るその地の歴史を表すと言われる。京都は桓武天皇が都として建設した8世紀以来、長く日本の中心都市として栄えてきたため、平安貴族、室町幕府を支えた新興武士たち、京の町を大きく変えた秀吉、そして江戸時代は幕末の動乱、維新後は日本近代の夜明けを経験してきた都市。漢語のみやこを表す普通名詞だった「京都」が平安時代の間に固有名詞となった経緯があるという。本書で言われる洛中洛外という境界線も時代とともに、もしくは使い人により少しずつ変化すると言われる。本書では上京、中京、下京を洛中、洛外は東西南北に分けて使用。洛東は左京区南域、東山区、山科区。洛西は右京区、西京区。洛南は南区、伏見区。洛北は北区、左京区北域。洛外として宇治、八幡、大山崎、向日、長岡を紹介。縄文遺跡は北白川一帯で、弥生遺跡は桂川流域から盆地西...地名で読む京の町(上)洛中・洛西・洛外編森谷尅久***

  • 日本民族大系5 山民と海人ー非平地民の生活と伝承 ****

    日本列島には狩猟・採集社会があり、そこに稲作民が渡来してきて、混在しながら、やがて稲作民が多数を占めていった、と雑に古代以前の日本列島の歴史を理解していると、本書に気付かされるところが多い。日本列島には水量が安定的に確保できる平地は少なく、あっても風水害など災害に見舞われる。山地や河川が多いため、多くの列島住人たちは山地での焼畑農業や河川、海辺での漁撈生活に依存していた。また、当初の稲作は灌漑技術や労働力集約が不十分なため、収穫量も不安定で少なく、脱穀や精米技術も未熟なため、稲作だけでは十分なカロリー収得ができなかった。本書に記載の山民、海人の生活は、ほんのすこし前の現代まで、日本列島のいたるところで営み続けられてきた基本的な農耕民の暮らしである。魏志倭人伝には、海人の黥面文身や漁撈生活が描かれている。玄...日本民族大系5山民と海人ー非平地民の生活と伝承****

  • 日本人の禁忌 新谷尚紀 ***

    「そういうことはしてはいけない」という教えは、主に両親などから教わったと思う。中には当たり前のこともあり、ある教えには理由がわからないものもある。理由を聞くと、昔からそういうもんだ、という答え、なにか釈然としなかった思いもあった。「人のものを盗んではいけない」「人を傷つけたり殺してはいけない」こういうことは犯罪。「嘘はつかない」「嘘つきは泥棒の始まり」「お年寄りや親は大切にする」「人さまに迷惑をかけない」など、これも道徳として分かる。「親の言うことは聞くもんだ」「他人に笑われる」これも時には分かるが反抗したこともある。「食事のときには音を立てない」「目上の人には乱暴な口を聞かない」など礼儀としきたり、一人前の人間としての振る舞いなどもある。あとは、宗派、「お葬式のしきたり」などで、戒律的なことも宗教にはあ...日本人の禁忌新谷尚紀***

  • 物語 朝鮮王朝の滅亡 金重明 ****

    朝鮮王朝は1392年、李成桂が高麗の恭譲(コンヤン)王からの譲位という形で王位に就いたのが始まり。当初の政権は安定しなかったが、第4代世宗(セジョン)の時代になり安定を見る。しかしその後も王位を巡っては血で血を争う争いが繰り広げられ、その中で朝鮮半島の民衆は虐げられ収奪されつづけた。筆者は両親が朝鮮半島生まれの在日二世。愛国心は近代に生まれた迷妄であると言い切る人物。ユーゴスラビアでも朝鮮半島でも、愛国心やナショナリズムは戦争で利権を得ようとする連中が人々を扇動する手段だと言い切る。本書では朝鮮王朝の歴史を振り返り、幕末から明治維新にかけて、先に近代化に成功した日本の帝国主義政権に良いように蝕まれ続けた朝鮮王朝の姿を描く。朝鮮における近代化で決定的な遅れをもたらしたのは、1802年から1882年までの鎖国...物語朝鮮王朝の滅亡金重明****

  • 古代朝鮮と倭族 鳥越憲三郎 ***

    本書は2016年にも一読している。「弥生時代」とされる時期に、日本列島に渡来してきた人たちは、大陸華南地方やタイ、カンボジア、ラオスあたりの水稲稲作高床式住居の人たちで、多くは大陸沿い、朝鮮半島経由、琉球列島沿いなどの経路で移住してきたとされる。様々なバリエーションが有り、時期的にも幅がありそうだが、本書ではそうした人々のことを「倭族」と称し、彼らが日本列島にもたらした文化の痕跡を、神話や宗教、習俗、儀式、神社などの切り口から解き明かす。弥生から古墳時代にあたる時期の大陸では、周、春秋・戦国時代から秦、前漢、後漢を経て、魏・呉・蜀の三国時代へと変遷している。戦いに疲弊した人たちの中には、一族を挙げて新地開拓を目指す集団も多かった。日本列島に渡来してきた人たちのなかにも、途中の大陸沿岸地域や朝鮮半島に一時住...古代朝鮮と倭族鳥越憲三郎***

  • 新説『古事記』『日本書紀』でわかった大和統一 家村和幸 **

    記紀解釈は終戦後の占領政策で、皇紀2600年の歴史が奪われた結果歪められた、という主張。魏志倭人伝の記述との矛盾は、大陸側の都合がいいように日本列島の歴史を歪めて書いていると解釈。日本列島における歴史は、土器使用、工具や漆塗り製品は当時の世界最先端だった。水田稲作は紀元前4400年に始まっており、世界に冠たる先進文明だった、と考えている筆者。記紀記述は年代も含めて正確なもので、記紀記述を相互に補い合って解釈を進めれば、本来の正しい日本古代史を知ることが可能というのが本書。記紀編纂を命じた天武天皇は、当時存在していた帝紀、旧辞が漢字以前の読めない文字で書かれていたので、それを漢字で書き直すことをチベット生まれの渡来人である稗田阿礼に命じた。当時の政府人材を集結して、諸豪族に伝わる物語や記録、朝廷や太宰府の記...新説『古事記』『日本書紀』でわかった大和統一家村和幸**

  • 神社に秘められた日本書紀の謎 鎌田東二監修 渋谷申博著 ****

    推古朝に始めた遣隋使で、蘇我氏が中心となる連合政権は自国の国家としての成り立ちの遅れを痛感した。その後も継続した遣隋使、遣唐使を通じ、ヤマト政権は、当時の先進国であった隋、唐の先進文化を取り入れながら、国家として必要な制度設計をし続けていた。乙巳の変で蘇我氏からの権力奪取に成功した政権は、自国における歴史書をあらためて作成することを思い立ち、天武朝・持統朝に編纂を指示。元明・元正天皇時代に国内向けに古事記、他国向けに日本書紀を編纂し終えたという。内容的には大筋は共通するものの、それぞれの性格の違いから異なる部分もある両書であるが、中国の歴史書との整合性や、その当時の豪族たちの立場、人々の記憶との整合性を配慮し、ヤマト政権の正当性と由緒正しく長い歴史を有していることを訴える内容として体裁を整えた。推古朝以前...神社に秘められた日本書紀の謎鎌田東二監修渋谷申博著****

  • 最新科学で探る日本史 安蒜 政雄 / 門脇 誠二 / 神澤 秀明 ***

    タイトル通り、ゲノム分析、X線分析、放射性炭素年代測定などの科学的な分析結果と従来からの説を対比。今言える結論をビジュアルに紹介。ゲノム分析による現代日本人の1割は縄文人由来。旧石器時代の日本人の暮らし。卑弥呼と記紀記述のアマテラスとスサノオの神話についての整合性。古墳時代奈良時代の鏡の神秘性。大仏建造に使われた水銀が平城京でのタタリ病の原因。などなど。ムック本で、大判なので読みやすい、「最新科学で探る日本史」安蒜政雄/門脇誠二/神澤秀明https://amzn.to/3tKk7q8最新科学で探る日本史(TJMOOK)安蒜政雄宝島社 最新科学で探る日本史安蒜政雄/門脇誠二/神澤秀明***

  • 宇治市史1 古代の歴史と景観

    製茶の歴史が知りたくて先日「宇治市史2中世編」を手に取ったが、平等院や製茶以外にも、藤原氏の別荘の経緯やその別荘に付随する荘園がお茶畑になっていく歴史、茶師たちが、室町時代には幕府の支援で成長していく中で、戦国の戦いに被害を受けて、立ち上がり国一揆にまで発展していくさまを知った。そのストーリーの前にも、飛鳥や藤原京、奈良の都と平安京の中間地点としての宇治の働きがあり源氏物語・宇治十帖につながっていく、南山城の濫觴が知りたくて、古代編を手に取った。古代、大陸・朝鮮半島と日本列島の間には人と文明のやり取りがあった。その経路は、大陸から海伝いに先島諸島、朝鮮半島経由で南と北九州に至る経路とサハリン、北海道経由の経路があった。当初の日本列島に住み着いた人類は狩猟・採取生活を送っていたと思われるが、徐々に大陸南部か...宇治市史1古代の歴史と景観

  • 日本史ひと模様 本郷和人 ***

    筆者は最近テレビ出演が増えているようだが、この「歴史エッセイ」を発刊したのにも通底する理由がありそうだ。学問としての日本史とエンタメとしての日本史を繋ぎたい、という筆者なりの努力。日経新聞にコラムとして2018年6月から2019年7月まで書かれたコラムを一冊の本にしたのが本書。読みやすい文章で、日本史で日本史学者の筆者や読者の投書で疑問となるポイントについてまとめられ、面白い日本歴史学の読み物となっている。たくさんあるので、一例を上げると「カルロス・ゴーンと源実朝」。1219年に実朝は甥の公暁に殺害された。実行犯は公暁、しかし裏で糸を引いたのは北条義時。朝廷の方ばかりを向いている実朝は鎌倉御家人のリーダーにはならないというのが御家人の総意だった。実朝の父は頼朝、京生まれの頼朝だったが常に鎌倉武士たちと共に...日本史ひと模様本郷和人***

  • コロンビア商人がみた維新後の日本 ニコラス・タンコ・アルメロ ****

    原文作者は1830年生まれのコロンビア人ではあるが、大蔵大臣も務めた父をもち、初等教育をNYC、中等高等教育をパリで受けたという当時としては最高の教育を受けたインテリ商人である。反政府活動の末にキューバに亡命、製糖工場の管理職となる。キューバでは中国人労働者を手配する必要性に迫られ、1855年、ニコラスは中国に代理店を設置する任務を負って米国、英国、フランス、マルタ、エジプト、セイロン経由で香港に赴任、中国人クーリーを調達してハバナに送り出す仕事を始めた。香港生活は3年間、その後も中国との貿易業務に従事、日本にも1871年以降3回訪れた。当時外国人による日本国内旅行は認められていないが、アメリカ人外交官による「旅行免状」により実現。人力車夫2名と通訳一名を伴う旅行だった。本書執筆は1888年で、西欧人イン...コロンビア商人がみた維新後の日本ニコラス・タンコ・アルメロ****

  • 宇治市史2 中世の歴史と景観 ****

    宇治の茶業の歴史を知りたくて手に取った。初版2500部印刷されたという宇治市史の第二巻は本文724Pの大書で中世地図が付録しており、昭和49年発刊。中世編で年代的には治承・寿永の乱あたりから関ヶ原の戦いあたりまでを宇治に関する歴史書として編纂されている。地方史は全国各地で編纂され発刊されていると思うが、宇治は地理的に古代から奈良と京に挟まれた交通の要衝であったため、歴史的事象には事欠かない。特に古代には日本海・越の国から琵琶湖・大津・山科経由で奈良盆地に向かう道筋にあたっていた。平城京から平安京に遷都が行われたあたりからは、奈良から京に向かう大和街道の要衝となり、奈良に郷愁を抱く貴族たちの別業地となる。南山城から大和盆地への南北の通行のためには、宇治川を渡ることが最も近道で、現在の宇治橋の場所に、646年...宇治市史2中世の歴史と景観****

  • ヤマト王朝は海を越えてやって来た 村石利夫 ****

    本書では、日本書紀の編纂者が創作した古代日本史の中では、崇神朝以降の大王家の歴史が実在しており、1-9代はそれ以降のヤマト王朝とは継続しないと主張を展開。崇神は紀元前2世紀呉・楚国7国内乱で敗走した中国大陸にける呉王朝の末裔で、大陸臨海部、朝鮮半島南部を経由して九州に到達する。九州に先住の人たちは魏志倭人伝で、末羅、奴国、邪馬台国などと記述された集団で、崇神の一団はその地を避け、瀬戸内鞆を経由して、紀州南部から大和盆地に到達した数百名の集団の長だった。崇神の一団は鉄器、稲作技術、灌漑などにより食料生産をする一団で、大和平野に先住していた、稲作民との戦いを経てそこに定着、三輪王朝となる、という主張。その当時の日本列島には、1万年以上も先住してきた縄文系の狩猟民や山の民が分布していたが、そこに、稲作を生活機軸...ヤマト王朝は海を越えてやって来た村石利夫****

  • 将軍の日本史 榎本秋 ***

    鎌倉幕府の初代将軍は源頼朝、そして頼家、実朝と続くが、その後は名ばかり将軍となり、執権北条氏による政権運営が続いたのが鎌倉時代。建武の新政を挟んで室町幕府は初代尊氏からの15代、江戸幕府の15代と中世、近世の日本史はこの将軍の歴史をたどるとほぼ網羅できると言える。つまり、本書は日本中世・近世史をコンパクトに纏めた一冊。興味を持って読んだ部分は、やはり鎌倉殿の13人前後で、特に北条政子の活躍する承久の乱とその後。実朝には実子がおらず、源氏の正統が断絶するなら、せめて官位による権威で将軍親政を確立させたいと考えた。しかし、それを抑えたのが北条義時。朝廷との権力闘争に勝ちたいと機会を狙っていた義時に対し、公家社会へのあこがれを抱く実朝は後鳥羽上皇にとってはコントロールしやすい対象だった。後鳥羽上皇は実朝の官位を...将軍の日本史榎本秋***

  • 椿井文書ー日本最大級の偽文書 馬部隆弘 ****

    江戸時代後期の南山城在住の人物、椿井政隆による大量の偽文書についての一冊。椿井流兵学、国学、有職故実に通じ、弓術師範をしていたという。椿井文書と呼ばれるその数百種類も確認されている文書には中世絵地図、城郭や失われたはずの大伽藍の絵図、家系図などが含まれ、お互いにその存在を示すような関連性があり、既存の他文書との補完関係もあるためその存在が補強されてきたため、信用する歴史学者が後をたたないという。文書は南山城の綴喜郡京田辺を中心とし、自らの椿井一族の歴史的由来を誇張し、明治維新前後には、椿井一族とともに、南山城地方の富農の士族昇格にも利用された。また、その文書記述は近畿一円に及び、歴史や地方自治体が編纂する地誌、市史、自治体にまつわる歴史物語などにも影響を与えている。椿井文書の全貌になんとか迫ろうとする筆者...椿井文書ー日本最大級の偽文書馬部隆弘****

  • 地名に隠された「東京津波」 谷川彰英 ***

    東京の街を歩いていると坂道やちょっとした丘がビルに隠れてあることに気づく。京都や奈良は街なかは平らで、町を山が囲む。古代人は安全な場所を知っていた。東日本大震災では東北地方東岸を中心に大津波が起きたが、その一部が東京湾にも来ていた。東京都では1.5m、木更津港では2.83mだったというが、東京湾や駿河湾直下型の地震であれば、東京湾内に大きく侵入する津波が想定できる。隅田川以東のゼロメートル地帯においての対策は難しいものも多いが、東京の地名を見れば、縄文海進の名残があった鎌倉、室町、江戸時代の地形を感じることができる。火災、倒壊、液状化に加えて最大10m程度の津波対策を訴えるのが本書。10mの津波で海水が川沿いに遡上するとどうなるか。下町から都心部一帯はもとより、谷根千、千駄木まで、神田川沿いでは早稲田、高...地名に隠された「東京津波」谷川彰英***

  • 岩倉使節団という冒険 泉三郎 ****

    明治4年12月末からの1年7ヶ月、新政府の主要メンバーである岩倉具視を団長として大久保利通、木戸孝允、そして伊藤博文などが欧米を視察したのが岩倉使節団。訪問国は米、英、仏、独、露、伊などで結果として632日間の世界旅行となる。大政奉還から始まった明治維新の改革をどのようなビジョンで進めるべきなのか、まずは先進諸国の実態を見たいということだった。アヘン戦争を見て危機感を抱いていた、四国艦隊下関砲撃事件で欧米の戦力を実体験した、先行留学者からのヒアリングで進んだ欧米文明の知識はあった。徳川幕府を倒してひとまずはスタートを切った明治政府だったが、薩長の主要な維新メンバーたちの頭の中にもあるべき新政府の姿は描ききれていなかった。留守居役は三条実美、西郷隆盛、板垣退助、大隈重信らで、維新の立役者の多くは派遣メンバー...岩倉使節団という冒険泉三郎****

  • 井伊一族のすべて 歴史と文化の研究所

    井伊氏は現在の静岡県にある井伊谷に本拠をおいていた豪族で、戦国時代には今川氏の配下にあった。大河ドラマに描かれたのは戦国時代の井伊直虎で、許嫁の直親と結婚するはずが、直親の父が讒言により殺害され破談。直虎の父も桶狭間の戦いで戦死、直親も殺害され、滅亡の危機にひんした井伊氏の家督を継承したのが直虎。女戦国大名と言われた。その後を継いだのは、直親の遺児、直政。直政は家康に見出され、徳川時代には家康に登用されて、結果として譜代筆頭大名として彦根藩を治めてた。有名なのは幕末に大老となり、安政の大獄、通商条約調印、桜田門外の変で殺害された直弼。本書は10人の書き手により、井伊家の歴史を紐解く。章立ては以下の通り。井伊家のルーツ:成長し挫折する一族浜田浩一郎今川氏と井伊氏:相次ぐ一族・家臣の死と直虎登場千葉篤志直虎と...井伊一族のすべて歴史と文化の研究所

  • 見開き2ページで分かる!「世界史X日本史」エピソード100 玉木俊明 ***

    日本史は世界史の一部、日本史上の出来事は世界史の中でどのように位置づけられるかを分かりやすく解説した一冊。15-10万年前にアフリカ大陸を出た現生人類は、3万8千年前の氷河期にサハリンから北海道、朝鮮半島から北九州、台湾、与那国島から先島諸島へと主に3ルートで日本列島に到達した。今は世界6大文明と言われるのは、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河、これに長江、古代アメリカ。定住者が生み出したのが6大文明だった。縄文時代は16000年前から3000年前ほどで、定住生活を始めた人類は結核、下痢に苦しめられるようになった。その後人口集積が始まると都市部では腺ペストと麻疹に苦しむようになる。疫病は定住生活が生んだとも考えられ、交易拡大はパンデミックを生む。紀元後1世紀の後漢時代には遊牧民族の匈奴は東西に分裂、東...見開き2ページで分かる!「世界史X日本史」エピソード100玉木俊明***

  • 「ひとり」の哲学 山折哲雄 ***

    人間、とくに男性が退職、引退などで妻と二人暮らしになる、もしくは一人で過ごす時間が増えてくると、そこからの老後のことを考えるようになる。お年寄りが一人になったあとに自宅で死んだりすると、「孤独死」「独居死」などと、一人住まいが悪いことだったかのように報道されることもある。人は生まれるときも、死ぬときも「ひとり」であることは自明のこと。人は孤独と向き合うことで一生の最後の数年間を豊かに過ごせる、という本書。日本語の和語の「ひとり」と漢語の「孤独」、日本における和語「こころ」と漢語の「心」。それらを考える上で、鎌倉時代の法然と親鸞、道元、日蓮、一遍ら、思想の先達の生き様と考え方を振り返り、日本における「ひとり」哲学を考えた一冊。日本には多くの仏教寺院が残ってはいるが、多くの日本人が仏教を意識するのは先祖供養の...「ひとり」の哲学山折哲雄***

  • 陰謀の日本近現代史 保坂正康 ****

    第一部は、明治維新以降の新国家建設から太平洋戦争に至るまでを振り返り、軍部が独走して全国民と近隣諸国を巻き込む大戦争に突入することになった背景と理由を考察する。第二部は、太平洋戦争が如何に無謀な戦争であるか、軍部中枢にいたエリート軍人たちの思考経路と現実の戦争現場との乖離を描く。明治四年の岩倉使節団は新国家ビジョンを見定めるための政府首脳達による先進諸国の実地見学だった。そこで見たのは、派遣された大久保からみて自由すぎるアメリカ、伊藤博文が思うのは進みすぎたイギリスであり、当時の新国家プロイセンと宰相ビスマルクの演説に大久保、木戸孝允は心を奪われた。西洋諸国に伍していける新国家建設のためには、法律、正義、自由の理以上に、軍事力強化が重要であり、国民皆兵による徴兵制度と統帥権を行政・立法から独立させたプロイ...陰謀の日本近現代史保坂正康****

  • 昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人 保阪正康 ****

    本書は、第一部「太平洋戦争、七つの謎」そして第二部「昭和史七大事件」の二部構成。第一部、誰が開戦を決めたのか?手続き的には御前会議だが、その前に行われていた「大本営政府連絡会議」で実質的には決まっていた。メンバーは9人。軍サイドは陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、参謀次長で、政府側は首相、陸軍大臣、海軍大臣、企画院総裁(国務大臣)、外務大臣、大蔵大臣。しかし具体的な人名を見てみると首相は陸軍大臣兼任の東條英機で、政府側と言っても海軍大臣も軍人。軍人と文官は6人vs3人の比率であり、開戦への方向性は明らかだった。軍の意向には逆らえない雰囲気は、五・一五事件以降の各種テロや中国戦線での戦いとその報道などで一層高まっていた。さらに会議メンバーで軍人の陸軍東條英機、杉山元、海軍の嶋田繁太郎、永野修身、田辺盛武、伊藤整...昭和史七つの謎と七大事件戦争、軍隊、官僚、そして日本人保阪正康****

  • 下剋上 黒田基樹 ***

    家臣が主君を排除して領国を乗っ取る行為、それが下剋上。本来の意味はもう少し広くて、下のものが上のものに取って代わる、という古代中国の言葉。日本史では南北朝時代の頃から、身分が下位の者が実力をつけて身分上昇を目指すこととして「成り出物」と表現されている。室町時代の身分時代とともに成り上がりもの、身上がりものとして広がり、戦国時代の下剋上へと繋がり、秀吉の全国統治とともにピタリと止んでしまう。つまり、国としての中央政権統治の力が弱まったところに乗じて、自分の身分も上げてしまおう、という活動と解釈もできる。戦国時代の代表的大名は、陸奥の伊達、南部、出羽の最上、関東の北条、佐竹、里見、東海の今川、徳川、北畠、中部の武田、織田、斎藤、北陸の上杉、朝倉、畿内の三好、六角、浅井、中国の大内、尼子、毛利、四国の長宗我部、...下剋上黒田基樹***

  • 歴史のIF 本郷和人 ***

    日本史で過去に起きた事件や出来事で、この人物はなぜこんな判断をしたのかを疑問に思ったり、これは偶然だ、と感じることもある。大河ドラマを見ていると、そんな場面をたくさん目にする気がする。本書では、そのような判断があったと思われる場面を選び、その場面に至る経緯を解説した上で、もし違った判断をしていたらどうなっていただろうかを、歴史学者の立場で推測してみる、という一冊。<石橋山で梶原景時が源頼朝を「見つけたぞ!」と叫んでいたら>たった300人の手勢で3000人を相手に立ち上がったのが石橋山の戦いだった。相手方の御家人だった梶原景時は、先祖の代には源氏の家来であり、宿敵ではなかった。関東の地侍たちは、京の都で天皇家の権威を背景として威張っている平氏に頭が上がらなかったが、逆らう勇気もないという状況だった。頼朝は関...歴史のIF本郷和人***

  • 天正伊賀の乱 和田裕弘 ***

    天正年間とは1573-1792年、信長、秀吉が天下人となる時代で、天下の動向は京を中心として近江、大坂、大和、そして三河、尾張、美濃、越前などがその領主たる戦国大名たちとともに天下取り物語の舞台となる。乱とは世の中の安寧が失われるほどの内乱や中央政府に対する反乱というほどの戦いがあるときに使われる。しかし、天正伊賀の乱は、信長、信雄による伊賀攻めが実態で、日本史の中でもその扱いは地味。北から阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の伊賀4郡では室町幕府からは伊賀国守護とされていた仁木氏を実質的には飾り物とし、惣国一揆という体制をとる。国衆と呼ばれる地侍や有力百姓などが複数人集まり、伊賀一国の4郡を治める、それを惣国一揆と呼ぶ。天正伊賀の乱は、隣国伊勢国を治めていた織田信長の次男で北畠氏の養子となっていた信雄による天...天正伊賀の乱和田裕弘***

  • 東京復興ならず 文化都市構想の挫折と戦後日本 吉見俊哉 ***

    太平洋戦争時の空襲で一面焼け野原となった東京を見て、戦後都市復興を構想した人間が居た。東京帝国大学の南原繁学長、終戦時に東京都都市計画課長だった石川栄耀、建築家の丹下健三。「復旧」と「復興」は違うんだと災害時にはよく言われるが、戦後東京が目指したのは復興、新しい文化都市としての復興を目指したが、それは大震災、戦災という東京中が焼け野原になる状況となっても叶わなかった。構想の設計図は書かれたが、それは既存の土地所有権や目先の庶民生活を考慮しない机上の空論だった。そして、五輪や万博開催という「お祭りイベント」の掛け声により一気に交通利便性向上という視点でのみ一気に進んだ。文化都市とは程遠い、江戸以来の都市文化を破壊するような開発行為だった。文化都市構想とその破壊は、バブル経済とその崩壊、二度目の五輪とコロナ禍...東京復興ならず文化都市構想の挫折と戦後日本吉見俊哉***

  • 奈良の寺社150を歩く 槇野修 ***

    京都の寺社505を歩くの筆者が書いた奈良の寺社バージョン。京都なら人気の寺社は北が嵯峨野、上賀茂神社、東が清水寺、西は苔寺、南でも東寺、行っても伏見稲荷大社。まあ、バスとと地下鉄利用で歩いて回れるコンパクトさがある。少し離れた三千院、比叡山延暦寺、善峯寺、平等院でも、まあ半日で往復可能。だから505を歩く、と数が多くても到達可能だし、外した場合にもダメージ回復可能な範囲に代替寺社が見つかる。それが奈良の場合・・、それが本書。単なる寺社観光案内なら、読んでいても退屈だと思うので、同時並行読書として、「藤原氏」「神社が語る古代史」を読みながら本書に挑んだ。結果的にはこれは良かった。石上神宮、磐船神社ー物部氏、蘇我坐蘇我津比子神社ー蘇我氏、大神神社ー三輪氏、大和神社ー倭氏、興福寺、春日大社ー藤原氏などが立体的に...奈良の寺社150を歩く槇野修***

  • 神社が語る古代12氏族の正体 関裕二 ***

    古代史の謎といえば、邪馬台国の場所、蘇我氏と聖徳太子の活躍、中臣鎌足の出身、神道と仏教の関わりなど。本書は、神社に祀られた神とそれを祀った氏族に焦点を当てて、古代史の謎に筆者の推測を加えていく、という一冊。学者ではない作家なので何を主張しようとも自由、読者の方もこれは読み物、と捉えれば古代史エンターテイメントであり、楽しく読める。神道といえば伊勢神宮や出雲大社、神社に関わる新嘗祭や大嘗祭、収穫への祈りと感謝の祭祀などと思いつくが、西暦237年頃の魏志倭人伝に描かれた倭国の様子にはそのような神道の気配は薄い。そもそも数ある神社の創建は7世紀初頭を遡るものは殆どなく、それ以前は古墳時代で、前方後円墳も方墳も神社の登場とほぼ同時期に入れ替わるようになくなる。その古墳の始まりが3世紀初頭の纏向古墳で、そこには日本...神社が語る古代12氏族の正体関裕二***

  • 藤原氏ー権力中枢の一族 倉本一宏 ***

    乙巳の変以降、権力の中枢に宿り木のように寄り添って明治維新以降までも生きながらえてきた「藤原氏一族」。天智・天武・持統天皇時代に淵源を持ち、律令制の奈良時代から摂関政治の平安時代にピークを迎えたあとも、摂関家、大臣家、清華家、羽林家、名家、半家などとして公卿の各門地として、鎌倉、室町、戦国、江戸、そして明治維新までも、貴族の役割を分担しながら生きながらえてきた。日本史の中での権力維持と行政執行機関を概観すると、邪馬台国時代のヒメと弟、推古と聖徳太子・蘇我氏、奈良から平安時代の天皇と摂関政治、鎌倉から室町では天皇、将軍、執権、江戸時代にも天皇家と将軍家、明治以降も天皇家と政権、現代でも総理とそれを操る影の実力者、というふうに、象徴的権力トップとそれを支える実行者という組み合わせを踏襲しているようにみえる。中...藤原氏ー権力中枢の一族倉本一宏***

  • 歪められた江戸時代 古川愛哲 ***

    250年以上続いた江戸時代のイメージを作り上げたのは、大正・昭和時代だった、という指摘が本書。明治維新、政府は四民平等、旧弊打破、文明開化の名のもとに、国を挙げて江戸時代の文化を旧来の風習として、できるだけ脱して西欧の進んだ風習を取り入れようとした。「断髪脱刀令」や歌舞伎や講談における合戦モノの禁止、剣術や柔術は剣道、柔道と改名された。その結果、「江戸時代が懐かしい」などとは言いにくい雰囲気が醸成されたという。しかし大正昭和の時代になり、武士の精神見直し、忠信孝悌の重視などにより、江戸時代ブームが巻き起こった。江戸時代の実態を知る人がいなくなった中で、江戸時代っぽい風俗が大衆小説や演芸の中で生み出され、それが現代まで受け継がれている。鞍馬天狗、丹下左膳、遠山の金さん、鬼平犯科帳、武士の一分などでは、江戸時...歪められた江戸時代古川愛哲***

  • 新説の日本史 古代から現代まで 河内春人、亀田俊和、矢部健太郎、高尾善希、町田明広、舟橋正真

    古代から現代までの日本史における疑問点を新たに説き起こした一冊。6人の歴史学者が解説している。1.宋書によると倭の五王は、讃・珍・済・興・武の五人。記紀におけるどの天皇に比定できるかという議論だが、結論は「できない」というもの。記紀が記述する五世紀の「天皇」は、実在が確認できておらず、その親子関係、兄弟関係も特定できないのが実態。そこに無理やり呼び名の一文字を当てはめたり、想像したりで対応付けることに無理がある、という解説。そもそもその5世紀の時点で、大和政権からの大王が倭国を代表していたのかどうかも不明。2.学生時代には「薬子の変」は藤原薬子がおこしたと習ったが、実態は平城上皇の変だった。平城上皇が寵愛した薬子は、上皇への情報伝達の役目を持ち、恣意的な情報操作を行える立場にあったため、首謀者だと考えられ...新説の日本史古代から現代まで河内春人、亀田俊和、矢部健太郎、高尾善希、町田明広、舟橋正真

  • 性からよむ江戸時代ー生活の現場から 沢山美果子 ***

    自分の性生活の実態を日記に残していた小林一茶、不義の子供を巡る裁定、出産と堕胎、間引きの記録、買春する男と身を売る女、生類憐れみの令から妊娠、出産管理までの幕府政策などを記録をもとに述べた一冊。小林一茶は巡回する俳諧師だった。江戸や旅した各地の事件を記録しておくことは重要であり、別の土地に行ったときには格好の話のネタとなる。他地方における男女の営みのお話については、どの地方でも興味をひいたに違いないが、自分の経験も記録に残していた。一茶が俳諧師となったのは15歳のとき。しかし継母と弟との間に遺産争いがあり、ようやく本百姓の身分を得て28歳の妻、菊を迎えたとき、一茶は52歳になっていた。あわてて跡継ぎをもうけたいと思っていたので、結果的に菊との間には三男一女をもうけたが、全て幼くして死んでしまう。そして菊も...性からよむ江戸時代ー生活の現場から沢山美果子***

  • 戦国北条家の判子行政 現代につながる統治システム 黒田基樹 ***

    現代の課税、徴収、督促、延滞料、公共事業、母国防衛などの国家統治の仕組みのルーツは、戦国時代から始まったという内容。筆者の得意とするのは北条氏文書であり、基本的に北条氏を例に取った解説である。本書内容には土地所有と領地支配構造の歴史的変化が背景にある。奈良時代に始められた律令制・土地国有制は、開発した田畑の私有制を認めたが、租税徴収やその土地管理のシステムは時間とともに有力寺社や豪族管理による荘園制へと移行した。平安時代には、朝廷は主要な収入源である荘園からの上がりを、確実に朝廷への収入とすべく、その存在や管理が不明確になった荘園を整理する「荘園整理令」を度々発令した。一方、荘園からの収入により藤原氏支配は強まっていったが、その弱体化に向けた変化は後三条天皇による荘園整理令がきっかけとなる。荘園整理令は、...戦国北条家の判子行政現代につながる統治システム黒田基樹***

  • 百姓一揆 若尾政希 ***

    学生時代に繰り返し読んだ「カムイ伝」には、百姓正助が大規模な百姓一揆に立ち上がる様が描かれていた。冷害による飢饉、過酷な代官からの年貢取り立て、冷酷な権力者への反抗的組織運動のような、当時の学生運動を思わせる描写だった。しかし本書はそれを歴史的事実ではなかったとして否定する。百姓一揆は階級闘争のような百姓と武士階級の戦いではなく、本来あるはずの、大名による「仁政」を踏み外すような代官達による無理難題の存在を、村を代表して国のトップである大名に訴える非日常的運動だった。決して体制転覆を狙った革命運動ではなく、本来あるべき仁政を取り戻してほしい、という集団的訴えであった。そのため、百姓サイドも権力側も鉄砲や弓・槍を使わず、農機具を手にし、百姓に敵対的行動を取る庄屋や商人の家屋に放火したり打ち壊したりする活動を...百姓一揆若尾政希***

  • まれびとたちの沖縄 与那原恵 ***

    沖縄の歴史と沖縄に関係してきた人物を4人を選んで語る「沖縄学」。最初の一人はその父といわれる伊波普猷。彼の得意とした領域は、沖縄言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡る。彼のカバーした領域をまとめて「沖縄学」と称され、伊波普猷が「沖縄学の父」と言われる。本書では特に貢献したとされる「おもろさうし」研究と、彼にその研究を託したとされる新潟出身の国語教師・田島利三郎について述べる。田島は明治26年、伊波の学ぶ五年制の沖縄尋常中学校に赴任してきた若手教師。最初の講義「土佐日記」に生徒たちは魅了された。田島が語る芝居、歌舞伎、音楽、全てが生徒たちには新鮮だった。その田島が手掛けていたのが「おもろそうし」研究、見込みがありそうな教え子伊波に田島はその調査内容のすべてを託した。「おもろさうし」は、15...まれびとたちの沖縄与那原恵***

  • 変わる日本史の通説と教科書 本郷和人 ****

    学生時代にならった日本史の内容は50年ほども前のこと。今では、新発見や解釈の変更で変化しているという話は聞いていた。高校時代に使っていた年代暗記のための語呂合わせ集を見つけて驚いたことがある。「新羅のゴロツキ任那日本府滅ぼす562年」というもので、現代ならこんな表現はないし、任那日本府などは存在が確認されていない。教科書は通説に基づき記述されているはずで、現代の解釈や大勢はどうなのかを取りまとめた一冊。稲作が北九州地方に伝わり、瀬戸内海や日本海沿いに列島に伝わるのに800年ほどかかったという。そもそも稲作が桜前線のようにきれいに伝わることが想像しにくいし、東北地方には朝鮮半島から直接伝わったので、関東よりも早く稲作が始まった。稲作以外にも、定住していたか狩猟のために移動していたかは、その地方や時期によりさ...変わる日本史の通説と教科書本郷和人****

  • 日本人の気風 増岡道二郎 ***

    「小粋な江戸っ子の心意気」が江戸の町から東京下町に広がり残ってきた歴史的背景とその意味を紹介した一冊。筆者は昭和13年神田に生まれ江戸時代から続く町火消組頭を務める。町火消しが鳶により組織されたのは、1657年の明暦の大火、俗に振袖火事と呼ばれた大火事で江戸の下町の多くが灰燼に帰したのがきっかけだった。元吉原は日本橋から浅草田圃に移転、日除け地が設けられ、幕府直轄の定火消しも組織された。「鳶」とは、職人が使った木材を引っ掛ける道具の先の形が鳶口と呼ばれたから。揚水技術が貧弱だったため、火消しはもっぱら類焼可能性がある家屋の破壊によったため、家屋の仕組みを知り、身軽に動ける鳶職が火消しに最適だった。江戸城建設、大名屋敷建設のために全国から集められた鳶職、大工、左官職人は江戸城下の神田に集められた。江戸の人口...日本人の気風増岡道二郎***

  • 昭和とわたし 澤地久枝 ***

    山崎豊子の「運命の人」を読んだとき、関連して、西山太吉の「沖縄密約」や本田靖春の「複眼で見よ」、そして澤地久枝の「密約ー外務省機密漏洩事件」を読んだ。沖縄返還交渉のプロセスで、日米政府間で開示できない約束があったのではないか、という取材を通じて毎日新聞記者の西山太吉が、日本政府は米国に代わって400万ドルの費用負担を密かにしていたことを明かした。大変な国家機密が明かされたとして国民の目は、マスコミに注がれたが、明かされた機密情報が外務省の女性職員により漏らされたこと、西山記者と男女関係にあったこと、というニュースソースに関する点に報道の焦点が移ってしまった。澤地久枝は、国民の知る権利や報道の自由と沖縄の基地問題、各持ち込み疑惑など、本質的問題は何だったのかを多面的な問題点を冷静な筆致でまとめていた。193...昭和とわたし澤地久枝***

  • 浮かれ三亀松 吉川潮 *****

    柳家三亀松の一生を描いた作品。筆者は生前の三亀松について関係する人たちに取材して、徹底的に調べ上げるプロセスで、三亀松のことを大好きになったと思う。しかし、筆致にはその感情を表に出さず、あえて抑えた表現が読者に与える感動が印象的な一冊。私は三亀松のことは読む前には知らなかった。柳家三語楼の弟子になり、金語楼の弟弟子にあたる。都々逸や新内、さのさ、声色、ものまねなどを三味線片手に語るその姿を見て、女は惚れて、男はその小粋さに憧れたという。東京は深川、材木問屋で材木の仕分けをする川並の息子として明治34年に生まれた。ご近所の大人たちに深川っ子の小粋、男伊達、江戸っ子の心意気を教え込まれて育った。材木問屋で働く父に従い川並として働き始めるが、その声が良いことに気がついた人に進められ、新内、常磐津、都々逸、さのさ...浮かれ三亀松吉川潮*****

  • 斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史 榎村 寛之 ****

    式子内親王の生涯を描いた「玉の緒よ」を読んだときに、内親王が10歳からの10年間、賀茂神社の斎院を務めた、という話があって、物語は内親王20歳の頃から始まった。伊勢に行きっぱなしで寂しい伊勢斎王よりはずいぶん楽なはず、という感想がでてきて「斎王ってなに」と疑問に思った。天皇の代替わりごとに占いで未婚の皇族女性が選ばれ、伊勢神宮に仕える―これが斎王。壬申の乱で伊勢神宮にお詣りすることで勝利したと信じた天武、持統は、その後、斎王を伊勢神宮に送り天照大神にお仕えすることを決める。その時代から後醍醐の建武新政で、天皇が南北に分かれてしまうまでの六百年間、六十人以上の皇女が斎王となったという。日本書紀には崇神・垂仁の時代から斎王があったかのように記述されているが、それは天皇の存在の裏付けのようなもので神話・伝承の一...斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史榎村寛之****

  • 余話として 司馬遼太郎 ****

    『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』など数多くの歴史小説を書いてきた司馬遼太郎は、執筆にあたっては「軽トラで神保町に買い出しに行った」という少々大げさなエピソードが語られるほどの下調べをしたという。幕末、会津松平藩の支藩の飯野藩の剣術指南役だった森要蔵の血をひく野間寅雄を書いた「アメリカの剣客」。森要蔵は千葉道場で坂本龍馬と分家道場同士だった関係で調べてみたという話。寅雄は昭和9年にアメリカに渡り、フェンシングをならって「タイガー・モリ」と呼ばれるほどのフェンシング選手となった。寅雄の言葉「フェンシングは勝つための技術。剣術は己を鍛えるための道」、そしてアメリカで剣術連盟を組織して会長となり、アメリカで日本の剣の道を教える。1969年に亡くなったという。日本の暗号は欧米各国にはバレバレだったという「策士と暗号」。日露戦...余話として司馬遼太郎****

  • 三題噺 示現流幽霊 愛川晶 ****

    とても良く構成された「落語ミステリー人情噺」、作者のミステリーの力量と落語力がうかがえる。3つの中編「多賀谷」「三題噺示現流幽霊」「鍋屋敷の怪」はいずれも、脳梗塞で口元がおぼつかなくなり、リハビリ中で復帰を目指す山桜亭馬春師匠のカムバック高座に向けたお話。惣領弟子の福之助とその妻で寄席の事務とマネージャーを務める妻の平田亮子が師匠の復帰に努力する。へそ曲がりで頑固者の師匠は、素直に感謝の気持を表す代わりに、偏屈ぶりを発揮して弟子夫婦を困らせる。復帰の高座にかけるお題目は何にしますかと問うと「海の幸」、誰もその噺を知らない。ミステリーなので、ここでネタバレはしない。師匠が落語に詳しいのは当たり前としても、妻の聞きかじりの知識では謎解きには至らない不可思議な出来事を、2つ目の福之助もよほどの勉強家であるらしく、謎解...三題噺示現流幽霊愛川晶****

  • 新・民族の世界地図 21世紀研究会編 ***

    世界では21世紀の今になっても諍いが絶えない。その原因やきっかけとされるのが、国境を定めた歴史的経緯や宗教・民族・言語の違い、そして資源の存在である。そして侵略を受けた民族や国民が侵略者を憎む事がある。その際、侵略者の言語やシンボルマークを憎悪の対象とするすることもある。第三者から見れば些細な相違をあげつらっているようにみえる場合でも、当事者同士ではそうはいかないケースが多い。そもそも世界は繋がっていて、地球上の諍いに第三者など存在しないのかもしれない。本書は、民族、言語、宗教、国境などの歴史的背景を解説する。旧ソ連を形成していたCIS諸国とバルト三国では、ロシア語とキリル文字を強制されていた恨みの反動から、独立後は独自言語を公用語とし、グルジアは国名もジョージアに変更した。ニュージーランドの先住民マオリ族は白...新・民族の世界地図21世紀研究会編***

  • 神よ憐れみたまえ 小池真理子 ***

    タイトルになったアリアがあるマタイ受難曲は、演奏には3時間もかかる宗教曲で68曲からなる。学生時代に、楽器運搬のアルバイトをした時に、NHKフィルと、コンマス徳永二男、全盲のバイオリニスト和波孝禧の共演のゲネプロを聞いた。毎週教会に行ってお祈りし、ユダの裏切りや最後の晩餐などキリスト受難の物語を知って、そのストーリーに沿ってこの曲を聞いたら感動するのかもしれない。学生の管楽器奏者だった自分には正直、長くて退屈な曲だったが、570ページもある本書は一気に読んでしまった。Wikipediaによれば第一部は29曲ありユダの裏切り、最後の晩餐、イエスの捕縛まで、第二部は39曲で、イエスの捕縛、ピラトのもとでの裁判、十字架への磔、刑死した後、復活を恐れた墓の封印までを扱う。本書タイトルはその第39曲アリアのタイトルより。...神よ憐れみたまえ小池真理子***

  • 「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 磯田道史 ***

    司馬遼太郎の小説や随筆、たくさん読んだ。1986-87年に文芸春秋に連載された歴史随筆「この国のかたち」では、統帥権干犯問題、これが1905-1945年の日本を誤った進路に推し進めてしまった、という主張だった。大日本帝国憲法では、軍隊の統帥権は天皇が持っていて、議会や行政の枠外にある。さらに、帷幄上奏権は軍隊の責任者が天皇に直接意見を述べることができるため、象徴的な実権しかもちえないのが実態だった天皇を軍部の意のままに操ることも可能となった。軍部がそこまでの力を持ってしまったのは、日清・日露戦争での国民からの軍部への信頼醸成であり、メディアの軍部への迎合にあった、と司馬遼太郎は考えた。その軍隊を作ったのが、長州周防の村医から討幕軍の総司令官となり、近代兵制を作り上げた大山益次郎だった。彼を主人公にしたのが「花神...「司馬遼太郎」で学ぶ日本史磯田道史***

  • 歴史戦と思想戦 山崎雅弘 ***

    「慰安婦問題」の本質は、女性を戦地に送ったり、戦地に赴く戦士たちのために性的サービスを強制したりしたことを反省し、二度とそうした人権侵害を引き起こさないようにすること。戦地などで民間人を虐殺したり、戦争時に無差別な殺人を繰り返すことは、戦闘状態だったからと言って許容されない、これも「歴史認識」というよりも永続的な人権問題である。「戦争反対」は、こうした歴史的事実から目をそらさず反省し、二度と同様のことが起きないようにするための意思表明である。ウクライナにおける民間人虐殺には世界中が戦慄し、こうした暴挙をなんとか食い止めたいと思っているが、ロシア国民にはこうした事実が正しく伝わっていない。「プロパガンダ」と今は呼ばれる国内向け報道に、なんとかロシア国民にも事実を伝えたいものだが、これは戦争中に日本でも「大本営発表...歴史戦と思想戦山崎雅弘***

  • 平成批評 福田和也 ***

    筆者は文芸評論家の慶応大学環境情報学部教授。平成から令和に移る日本における日本人の思考未成熟を改めて問う一冊。キーワードは近代、国家、天皇、政治、教育、文学、世相である。発刊は2019年4月でロシアによるウクライナ侵攻前だが、今本書を読んで深く考えさせられる。平成の始まりの時点で起きたのが湾岸戦争で、日本ではイラクに対抗した多国籍軍に自衛隊を派遣ができないので多額の軍事支援をした。130億ドルもの支援をしたのにも拘わらずクウェートから明確な感謝の表明がなく、日本ではさまざまな議論を生んだ。当時の国際貢献可能な範囲が「平和と生命の尊重」という価値観以上の合意形成ができなかったことによる。国際平和協力を武力派遣により行うことにより、それが蟻の一穴になり軍国主義の再現を招きかねないという国内議論だった。平成26年の内...平成批評福田和也***

  • 戦乱と民衆 磯田道史、倉本一宏、F・クレインス、呉座勇一 ***

    歴史書を読むとき、登場するのは中大兄皇子、足利義政、秀吉と家康、西郷隆盛と大久保利通などの、歴史に大きな働きをした中心人物。その時期に最も多くの活動をしていたはずの一般人はどのような影響を受けたのか、歴史に影響を与えたことはあるのか、という視点が殆どない。本書では、各時代を専門とする専門家に民衆はどうしていたのかを語ってもらう。白村江(はくそんこう)の戦いの具体的場所は、河口に何百艘もの大軍が戦った場所として東津江河口から錦江河口だと推測。出兵目的は百済(ひゃくさい)の援軍であり、百済復興のために、新羅と陸上で戦うつもりだったので、海戦は想定外であり大敗した。おまけに倭国の一行は九州や西国中心の豪族の寄せ集め軍だった。豪族は地元民である農民兵が中心で装備が貧弱、戦いの目的がわからずモチベーションは低かった。それ...戦乱と民衆磯田道史、倉本一宏、F・クレインス、呉座勇一***

  • 元号戦記 野口武則 ****

    毎日新聞記者で平成、令和改元時の報道に携わったのが筆者。日本における元号は大化元年に始まり、西暦701年の大宝よりは切れ目なく元号が継続している世界で唯一の国が日本である。明治維新までは天変地異や吉事、凶事などにより改元が行われたが、それ以降は天皇交代を元号改定の契機とする。昭和までは天皇制度が国体護持でもあり、天皇尊崇を国家国民の意思統一の象徴ともみなされたが、新憲法のもとでは、すべてが憲法による国民の意思の統治下に置かれることとなる。本書は、こうした歴史を振り返りながら、元号制定の意味と実際の制定に携わる学者、内閣担当者、政治家の関わりを解き明かした。令和改元時に、安倍晋三首相がこだわったのが国書からの出典。直後の報道では、漢籍の易経からも「久化」、史記から「万和」、詩経から「万保」も提案されたというが、中...元号戦記野口武則****

  • 東アジアの論理 岡本隆司 ***

    中国での強権的政権はなぜ中国の人々には支持されているのか。韓国の政権による慰安婦合意無視は、国民によっても正当化されているのはなぜか。日本人から見れば正直不思議な現象である。中国には秦の始皇帝以来、2000年以上「皇帝」が存在する帝国だったが、今では共産党政権になっているのは周知。統治を支えたのは儒教思想だが、今はその思想は通用しない。その思想にかわり唱えられるキャッチフレーズは、「領土主権」「一つの中国」であり、その思想は今では習近平思想と呼ばれる。外から見れば主席が唯我独尊的に他論を排し、独善的政策実行に邁進する皇帝化しているように見えるが、中国国内ではその思想のもとに集権化が行われる。香港での一国二制度の国際約束は「一つの中国」思想が優先し、思想弾圧が強行された。「法の支配」は中国では「中国法による支配」...東アジアの論理岡本隆司***

  • 八幡さんの正体 八幡信仰と日本人 鍛代敏雄 ***

    神社本庁調査によれば、祭神をおなじくする神社の分布表によると八幡さんが7817あり第一位、続いてお伊勢さんで4451、第三位は3953ある天神さん、第四位は2924あるお稲荷さん、2693ある熊野神社となり、八幡さんがダントツ一位である。八幡大菩薩が源氏の軍神となり氏神として勧請され、鎌倉に鶴岡八幡宮が創建されると鎌倉御家人らの武家が鎮守神として分霊を繰り返したとのこと。後三条天皇による荘園整理令により、石清水八幡宮に属していた山城、河内、和泉、紀伊、美濃、丹波にあった34箇所の荘園のうち、13箇所が没収され、その後、八幡大菩薩が遷座した地が宮司領として石清水八幡宮に寄進され逆に100を超える荘園を持つに至ったとある。鎌倉幕府による八幡宮保護と国役免除などが関係しているらしい。別宮や別院と呼ばれた神社でも幕府や...八幡さんの正体八幡信仰と日本人鍛代敏雄***

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