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意志による楽観主義のための読書日記 https://blog.goo.ne.jp/tetsu814-august

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ム

意志による楽観主義のための読書日記
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2015/07/14

  • 「人それぞれ」がさみしい 石田光規 ***

    10-20歳代と50-60歳代では、意見や考え方が大きく違うことはよくあること。同世代であっても、会社組織で働く人と個人経営者とでは意見表明の方法が違うだろうことも想像できる。会社や職場の組織では、そうしたことがある前提で、面と向かって複数の人とどのように過ごせるのか、が問われてきた。会社でも小さな組織でも同じ目的を共有していれば、異なる意見を集約、ある人は我慢、ある人の意見を尊重して、しぶしぶでも合意して前に進むことは可能である。戦後の経済成長時代には、今は貧しくても、今はできなくても将来はもっとましな社会になる可能性が感じられたので我慢できたことが、国としての経済的な成長が大きくは見込めない現在では、先の希望を持ちにくい若者が増えたように感じる。低成長ではあっても、みんなで共同生活しなくても、個人が自...「人それぞれ」がさみしい石田光規***

  • 謎解き 洛中洛外図 黒田日出男 ***

    京都の景観を描いた絵画の中で、特に戦国時代に出現した屏風絵は京都の内外の様子を描き生活する貴賤の人々の姿を描き出し、当時の様子が伺える貴重な歴史史料である。現存する洛中洛外図は70点を超える。中でも戦国から安土桃山時代に描かれた価値が高いとされる、初期洛中洛外図の佐倉の国立歴史民俗博物館保管の町田本、東京国立博物館の狩野永徳による東博本、上杉家に伝わる狩野永徳作とされる米沢市立上杉博物館に保管される上杉本、国立歴史民俗博物館所有の高橋本の4点が名高い。本書では上杉本に関し、その作者、来歴などについて、定説と反論、筆者としての結論を記し、作品の位置づけを確定しようとしている。戦国時代からの大名家である上杉家に伝わる作品で、天正2年に信長が上杉謙信に贈ったとする近世の史料があり、1995年に国宝に指定されてい...謎解き洛中洛外図黒田日出男***

  • シリーズ《本と日本史》① 『日本書紀』の呪縛 吉田一彦 ***

    日本書紀が編纂されたのは1300年前のはるか昔だが、日本史は今でもその呪縛のもとにある、というのが本書。養老年間に編纂されたという日本書紀は、古代天皇制が開始された時期に、天皇家とそれを支える中臣氏(藤原氏)により過去、現在、未来を規定する歴史書として作成された。その内容は、その当時の政権担当者と天皇家が中心となり、政権担当者の氏素性が神話の時代から続く正当性を歴史書という形で国内外に宣言し証拠として残すことが目的だった。実際、日本書紀はそれに続く奈良時代、武家政権が始まる鎌倉時代以降においても一定の影響力を維持し、近代になると明治新政府は武家に代わり政治の頂点として規定した天皇を、ナショナリズム発揚のシンボルとして位置付ける原点として日本書紀を位置付けた。学校教育では国の始まりの歴史としてその内容を教育...シリーズ《本と日本史》①『日本書紀』の呪縛吉田一彦***

  • 知られざる王朝物語の発見 物語山脈を眺望する 神野藤昭夫 ****

    日本の文学には平安時代に大きな「山脈」とも思える大きな作品群がある。もちろんそれらは、源氏物語や枕草子、伊勢物語や蜻蛉日記などだが、その作品を書いた人物たちはなにを学ぶことでそのような物語や日記を紡げたのであろうか、またそのあとに続いた人たちに何を残したのだろうか、という問いにこたえようとした一冊。筆者は跡見女子大学の教授で王朝文学の専門家。概要をサラッと説明するのではなく、各エピソードごとに、選んだ一つの題材を深く分析し考察してみることで、読み手に王朝文学の奥深さを実感させてくれる、大変読み応えのある一冊、良書だと思う。大河ドラマ「光る君へ」で描かれる姫様たちを取り巻く勉強会、それは帝や上流公卿のプリンスたちの目に留まるためのサロン。サロンのトップは皇后・中宮、そして都にあったとされる斎宮のサロンであり...知られざる王朝物語の発見物語山脈を眺望する神野藤昭夫****

  • 幕末の大誤解 熊谷充晃 ***

    江戸時代末、幕末の歴史にはドラマチックな展開が多くて、小説や映画化も多くされているため、そちらのお話の方が記憶に残っていて、その内容が実際の歴史的史実とは若干離れてしまっている場合も多い。明治維新の逸話などは子母澤寛や司馬遼太郎の作品内容の方が人口に膾炙していることが多いと警鐘を鳴らすのが本書。薩長が多くを占めた明治の政治家や官僚より、小栗忠順や榎本武揚など、旧幕臣には優れた人が多かったと記している。本書は、実際はこうだった、という40のエピソードを記した一冊。脱藩して官軍と戦った大名がいたという、その名は林忠崇、古くから徳川家を支える譜代の上総請西藩主で、1867年に20歳で家督を継いだ青年大名だった。幕府陸軍の一隊に撒兵隊という組織があり、江戸開城に対して徹底抗戦したいと、主犯の大鳥圭介に率いられて上...幕末の大誤解熊谷充晃***

  • 独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 大木毅 ***

    1941年6月ナチスドイツとその同盟国の軍隊は、独ソ不可侵条約を破りソビエト連邦に侵攻した。1945年まで続いたこの戦争を独ソ戦と呼ぶ。その戦線はフィンランドからコーカサスまで数千キロに広がり数百万人の大軍が衝突した。歩兵による対陣、装甲部隊による突破進撃、空挺作戦、要塞攻撃など現代陸戦のあらゆるパターンが展開されたという。この戦いの中で、ジェノサイド、捕虜虐殺など、軍事的には無意味である蛮行が繰り返され、絶滅戦争と称される。日本における太平洋戦争の死傷者数と比較すると、独ソ戦の規模が想像できる。1939年時点の日本の総人口は7138万人、動員された戦闘員のうち210-230万人が死亡、非戦闘員は55-80万人が死亡したとされる。一方、ソ連の1939年人口は1億8879万、戦闘員の死者数は866万ー114...独ソ戦絶滅戦争の惨禍大木毅***

  • 坂本龍馬と北海道 原口泉 ***

    NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」「琉球の風」「篤姫」の時代考証を担当したことで知られる筆者は、南九州や琉球の近世、近代史の専門家。明治維新が成る直前に殺害された坂本龍馬は、海外との交易に関心が強かったことが知られるが、海外との窓口として開港された箱館、そして開拓の可能性にビジネスチャンスを見出されていた北海道に行くことを計画していたという。2009年には函館十字街に「北海道坂本龍馬記念館」が開設された。お菓子で有名な六花亭の包装紙は、坂本龍馬の姉の千鶴の子孫である画家の坂本直行が描いたことでも有名。記念館には坂本家ゆかりの品々が100点以上展示されており、姉の乙女宛の龍馬自筆の手紙には北辰一刀流千葉定吉の娘、佐那との相思相愛関係を示す文面がある。薩長同盟成立の期待の中で、姪に宛てた手紙もある。その中には命を...坂本龍馬と北海道原口泉***

  • 中東 共存への道 パレスチナとイスラエル 広河隆一 ****

    ガザを巡るイスラエルとハマスの戦闘報道を見て、今までの経緯を知りたくて、家にある本を再読してみた。本書は1993年のイスラエルとPLOとの和平合意の1年後に書かれた一冊で、合意は同年9月13日、アメリカのクリントン大統領が立ち会い、ワシントンでイスラエルのラビン首相、パレスチナのアラファトPLO議長が握手し、パレスチナ暫定自治に関する原則宣言に調印、オスロ合意として確定した。合意内容は、今後相手、特にPLOをイスラエル政府が交渉当事者であると認め交渉開始に合意したということ。しかしその2年後、イスラエルの強硬派、和平反対派による和平合意のイスラエル側の当事者ラビン首相暗殺があり、オスロ合意は暗礁に乗り上げた。オスロ合意は相手の存在を認めたことに意義があった。イスラエルの合意以前の立場は、パレスチナ人という...中東共存への道パレスチナとイスラエル広河隆一****

  • 絶対に挫折しない日本史 古市憲寿 ***

    筆者は、従来からの日本史は固有名詞の連続で、記憶を強いられることが理解への困難さを増長すると主張。本書では可能な限り固有名詞を使わずに通史として概説した。本書によれば、日本史を古代、中世、近代と3区分。約4万年前に日本列島に訪れた人類は、長い間おおむね平和な生活を送っていた。しかし約3000年前ころからコミュニティが発達し、戦争も増えていった。3世紀ころには列島を穏やかに支配する王権が生まれ、7世紀には最高権力者を「天皇」と称し、国号を「日本」と呼ぶことを定めた。こうした列島を一つにまとめようとする時代区分を古代と呼ぶ。12世紀になると天皇、上皇、貴族、武士、寺社など複数の権力が併存する中世へと移行していった。朝廷の権威と中央政権の勢力が弱まり地方勢力の力が増す時代だった。16世紀の戦国時代を経て、17世...絶対に挫折しない日本史古市憲寿***

  • 世界史としての第一次世界大戦 飯倉章 ****

    第一次世界大戦は欧州中心に戦いが展開されたため、日本からは遠い戦争であるかのように思われているかもしれないが、戦死者は軍関係で850万人、民間人も含めると1600万人が亡くなった大変な戦争であった。原因としては、イギリスの3C政策とドイツの3B政策の対立だとか、三国同盟と三国協商との対立があったともいわれるが、いずれも戦争の直接の原因とはできない。1917年に発刊されたレーニンの「帝国主義論」では、帝国主国家同士が海外市場や植民地を求めて外側に進出すると、帝国同士が衝突して戦争になるという説が唱えられた。これは第二次世界大戦の原因をよく説明できるため、1940年代以降、その説が遡って第一次世界大戦にも適用されたという。確かに第一次大戦以前にも列強の間での対立はあったが、いずれも外交的な解決が行われ成功して...世界史としての第一次世界大戦飯倉章****

  • 平将門と天慶の乱 乃至政彦 ***

    天慶の乱が起きたのは939年、平安時代のこと。将門の生年は不明、若い頃の史料は見当たらないが、参照できるものは軍記「将門記」で、将門の動向を克明に伝えるのはこの一冊と言って良い。原本は失われ、作者は不明、制作年は天慶三年6月と本文最後に記されているが、タイトルは徳川時代になって仮につけられたもの。また、残された写本の冒頭は欠けているという。この時代にはまだ正史としての歴史書が編纂されなくなった時代であり、公家が日記を書く習慣もなかった。その他の手がかりとしては、将門記の原本全部を読んで亡失部分を抄出した文献があり、「将門略記」「歴代皇紀」「今昔物語」そして後世にまとめられた系図類も参照できる。「将門記」は将門の言動も詳細に記されており、将門の陣営に属していた人物が作者と思われ、法話の色彩も強く、坂東の僧侶...平将門と天慶の乱乃至政彦***

  • 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学 山鳥重 ***

    「わかる」の第一歩は知覚することであり、知覚するためには視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚により認識する必要がある。「第六感」とはこれ以外のひらめきのことだが科学的には証明されていない。知覚には鈍感な人と敏感な人がいるのは確かで、ソムリエは他人よりも味覚や嗅覚が敏感であり、その結果分析が細かく分類されているため、ワインの銘柄やブランド、産地などを言い当てることができる。このように、知覚を研ぎ澄ますことが「わかる」ことの第一歩。知覚をより研ぎ澄ますために、記号、言語が有用であり、記憶のちから、分類力、関係性の分析、論理性の理解などがその力をより一層研ぎ澄ませてくれる。記憶や分類力、比較分析、論理性分析がなければ「わかる」ことは難しい。逆に「わかる」ということは行為に置き換えられ、応用も可能となる。「わかる」と...「わかる」とはどういうことか認識の脳科学山鳥重***

  • あなたの知らない埼玉県の歴史 山本博文 ***

    埼玉県は、江戸時代までは現在の東京都、神奈川県北部とともに武蔵の国を構成。古い遺跡が多いことで有名で、稲荷山古墳から出土した鉄剣は「ワカタケル大王」の銘があるもので、五世紀後半の雄略大王との関係がこの東国でもあったことを示す貴重な歴史史料。吉見百穴も古墳跡で、古代史ファンには見どころが多い。中世には鎌倉を支える武士団が出現、室町時代には関東管領の扇谷上杉氏が河越城を根拠とするが、戦国時代には北条氏に押されて滅亡し、北条氏の支城が武蔵各地に作られ支配地となる。徳川の江戸入府以降は川越、忍、岩槻には城が置かれ老中居城となる。中山道、日光街道の宿場も設置され、埼玉エリアは大いに繁栄。明治維新以降は大宮県、川越県、忍県、岩槻県が成立、明治9年に現在の埼玉県となる。ただし、さいたま市誕生までは中心都市がなく、目立た...あなたの知らない埼玉県の歴史山本博文***

  • (株)貧困大国アメリカ 堤未果 ****

    本書は再読、2015年に読了したので、内容はそちらをご参照いただきたい。本書主張のポイントは、政府による市場至上主義を前提とした効率化の名のもとによる行政民営化の弊害を示すこと。そして神谷秀樹による「強欲資本主義」や原ジョージさんによる「アメリカ式資本主義」に紹介される勢力が政府や議会に入り込んでいる実例紹介、マスコミの株主になり、本来は多様な主張を持つマスコミ経営者を統合することで、政府に批判的なマスコミも含めて、大企業に不都合になる報道の方向性にまで影響を与えている実態を示した。全米所得トップ1%の層が資本と政治に対する力で農業、教育、軍事、食品、公共サービス、そしてマスコミさえ牛耳る実態に戦慄する。市場原理こそが経済発展のカギであるというフリードマン理論では、政府機能は小さいほうが良くて規制緩和を進...(株)貧困大国アメリカ堤未果****

  • 客観性の落とし穴 村上靖彦 ***

    「エビデンスを示す」、これは古くからある課題認識で、主張をするためには事実を押さえてから、述べたい主張を支える定理や実証済みの論理も示せると説得力がある、というもの。本書では、個別の事情を拡大解釈して主張することには、世の中の平均化された状況や統計情報をベースに述べるよりも、説得力を持つ場合があるという解説。ドキュメンタリーでも、聞き手が特記すべきと感じるような特異な経験や特徴ある固有の事情を詳述することで、説得力ある主張や受け入れやすい説明が可能である事例を解説する。新書大賞2024で第3位を獲得した一冊。主観的な主張も、客観的測定結果や実証済みの定理や理論で裏付けることにより説得力を増すことはよくあること。しかし世の中には数値化できないことや個人の心の中の数値化には無意味なことも多いはず。統計学は世の...客観性の落とし穴村上靖彦***

  • ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2 東浩紀 ***

    「動物化するポストモダン」の続編だという本書。一読して実践編という位置づけであり、「東浩紀はなぜそう思ったのか」という本編の謎解き的位置づけだと分かった。ライトノベルの台頭は、従来の明治以来の自然主義的リアリズムに対して、近代的な現実から決別したマンガやアニメ的リアリズムのバリエーションとして世に出てきたとする。そこでは物語そのものよりもキャラクターが紡ぎだす一連の「データベース」を積み重ねて、そのデータベースを参照して更なるキャラクター小説が作り出される、という循環的な物語生成があるという。物語は衰退するが人工的環境の文学として生き残る、これはもはやオタクの世界というよりも、大きな社会的、文化的視野の中で捉える必要があるという。日本文学は100年ほども前に自然主義的文学を誕生させ、60年前にマンガが、そ...ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン2東浩紀***

  • ヤマト王権 シリーズ日本古代史② 吉村武彦 ***

    ヤマト王権は4世紀前半に成立したと想定され、律令制国家が形成される7世紀後半まで存続した王制の政治的権力機構である。この時代の文字資料は極めて少ないため、本書では中国の歴史史料、後代の史料、考古学資料を手掛かりに実像に迫る。邪馬台国と書かれた魏志倭人伝の時代の「台」の読み方について、現代の母音とは異なる5音甲類とは別に3音乙類があり、台の読み方は当時としては乙類、今の「づ」と「と」の中間音であり、現代音で書くとしたら「やまどぅ」国となる。当時の地名で奈良地方の大和は乙類、九州筑後や肥後の山門は甲類であり、音節でいえば近畿説が有利。また魏志倭人伝の使者は女王に会見したと書かれているが、実際に女王国に赴いたのかどうかは道程記述の伝聞調からは疑問がある。記述を信じるとしても様々な解釈が可能。しかし当時の魏呉蜀の...ヤマト王権シリーズ日本古代史②吉村武彦***

  • ルポ 貧困大国アメリカII 堤未果 ****

    2010年に本書を読んだ。実録インタビューを中心に、教育ローン問題、社会保障の崩壊、医療保険問題、刑務所問題を取り上げた一冊。内容はそちらを参照してほしい。2009年からのオバマ政権発足で国民健康保険の導入、皆保険制度を謳った「オバマケア」に期待したリベラル派、民主党支持者だったが、保険業界のロビー活動で骨抜きにされ実現しなかった。私自身も1998-2000年に家族4人でカリフォルニアに暮らしたが、医療保険と医療費の高さに驚いた。個人で加入する医療保険は歯科医を除く健康保険掛け金が月額家族4人で900ドルだった。当時の為替レートは135円程度なので、月121500円となり、年額145万8千円。これ以外に歯科医療保険があり、アメリカでは、会社が負担する場合もあるが、年金も健康保険も個人で民間の保険会社と契約...ルポ貧困大国アメリカII堤未果****

  • 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 東浩紀 **

    2001年発刊のオタク論であり、現在の「押し活」にもつながる現代文化論。本書でいうポストモダンとは、日本でいう70年代の大阪万博以降の文化的世界を指す。「オタク」とは、江戸時代の粋に直結するような、作品からのメッセージよりも作品が示す「世界」や「趣向」を読み解くことに重きを置いているとする。80年代にカルト的支持を集めた「うる星やつら」は民俗学的なアイテムとSFファンタジーが混淆した独特の作品世界で知られており、鬼や雪女、弁財天をモチーフとした宇宙人が、セクシャルな衣装を纏っては次々と現れて事件を起こすドタバタコメディ。オタク的幻想が日本的意匠に囲まれて成立することを現わしているという。日本的オタク文化は日本文化のサブカルチャーとして世界に広がり、エヴァンゲリオンの主人公である綾波レイのフィギュアにはネッ...動物化するポストモダンオタクから見た日本社会東浩紀**

  • ルポ 貧困大国アメリカ 堤未果 ***

    2008年発刊、2009年度新書大賞の一冊、911以降のアメリカで民営化が進み、国内における自由化が進んで経済格差が拡大、貧困層が増加した結果、現在に至る経済的分断が生まれたことを描いたドキュメント。2001年に誕生したブッシュ政権はその一期目には対テロ戦争に終始し、第二期目には新自由主義に基づき、経済・財政政策において大規模な減税と国防支出の拡大を実施。これは、1980年代のレーガン政策を踏襲するともいえる政策であった。その結果、中流家庭が貧困層と上流層に分断され、増加した貧困層ではフードスタンプに依存する家庭、肥満児童が増えた。二期目に起きたハリケーン・カトリーナへの対応では人災ともいわれるまずい施策により、災害として過去最大の犠牲者を出し、政府の不十分な災害対応と遅れが非難された。災害時には住民を災...ルポ貧困大国アメリカ堤未果***

  • 「東北の独眼竜」伊達政宗 榎本秋 ***

    伊達政宗は1567年に゙輝宗と義姫の長子として生まれ、12歳で初陣、17歳でその器量を認められ輝宗から当主の座、家督を譲られた。当時の東北地方には蘆名氏、佐竹氏、大崎氏という強敵が揃っていたが、お互いが入り婿、嫁取りを繰り返し、微妙なバランスを維持していた。しかし政宗は1589年には蘆名氏を滅ぼし蘆名領だった会津に入る。1590年には秀吉による小田原攻めが始まり、出陣の命令に遅刻。しかし政宗のブレインであった片倉景綱のアドバイスと家康による取り成しで事なきを得た。しかし旧蘆名氏領は取り上げられる。その後の会津での一揆を陰から扇動したのではないかと疑われたときには、数種類を使い分けていた花押に込めた秘策(本物なら針で穴を開けている)ことを秀吉に訴え、再び命拾い。朝鮮への出兵時、京の街への出陣式では、派手な装...「東北の独眼竜」伊達政宗榎本秋***

  • 総図解よくわかる日本史 ***

    日本通史を図解入りでわかり易く解説した一冊で、高校の日本史副読本にしても良い。時代別に全13章を13人の筆者が担当して執筆。歴史の網羅的解説は退屈になり、理解しきれないことが多いが、エピソードごとに読み切りで書かれていて、分かったような気にもなれる。時代別に書かれた歴史エピソードコラムも楽しい。コラムエピソード:漢倭奴国王金印は偽造?、世界最大大仙陵古墳の建造、徐福伝説、平将門と藤原純友の乱、紫式部と清少納言、安倍晴明の正体、楠木正成の正体、斎藤道三の国盗り物語、浅井三姉妹の流転、細川ガラシャの殉死、由比正雪の幕府転覆計画、八百屋お七の恋慕、竜馬とお龍、大逆事件の真相、福沢諭吉と岡倉天心、岩倉使節団と津田梅子、などなど。https://amzn.to/3TZfhlK総図解よくわかる日本史歴史読本編集部KA...総図解よくわかる日本史***

  • 経済で読み解く織田信長 上念司 ****

    室町時代から戦国時代に戦乱が多かった理由はデフレによる経済不調、その結果としての政権不安定化が原因、という筆者。天下統一まであと一歩にまで迫った織田信長はデフレを終わらせ適度なインフレを実現できたのか、その経済施策はというのが本書の視点。室町時代の金融の要は、荘園を所有し資金力豊富な寺社勢力で、土倉や酒屋などの金融業者に資金提供をしていた。日宋貿易、日明貿易の担い手も実は寺社勢力だったが、当時の日本での貨幣は宋銭であり自国通貨は流通していなかった。明朝が地球寒冷化による農業生産不足から財政難に陥り、不換紙幣を発行してインフレが過度に進行、その反動としてデフレになったのが日本の義満政権から義教政権に移行する頃。義満は日本国王とは名乗ったものの、明朝に対しては冊封体制に入り朝貢する姿勢を示したため、日明貿易は...経済で読み解く織田信長上念司****

  • 日本史が面白くなる「地名」の秘密 八幡和郎 ***

    百済滅亡による亡命渡来人が増えてきたとき、大和朝廷は九州に百済の飛び地国家ができてしまうことを懸念、渡来人を計画的に全国各地に分散させた。666年、百済人2千余人を東国に移し、669年には近江国蒲生郡に7百余人を移し、716年には高句麗人1779人を東国に移すなど。埼玉県新座市は新羅郡の表記を新座と変更して読み方を変更。日高市高麗郡、高麗山聖天院、高麗神社、高麗川、東京都狛江、大磯町高麗、高座郡、滋賀県東近江市の百済寺、枚方市の百済王神社、百済寺などがその名残り。京の都、メインストリートは朱雀大路、今の通りで言えば千本通。朱雀門は今のJR二条駅の北あたり。平安京の設計時には北の船岡山から田辺にある甘南備山へ向けて南北線を引いて決めたという。室町時代には上京と下京に二分されていた京の街、その境目は今の二条通...日本史が面白くなる「地名」の秘密八幡和郎***

  • 日本史X世界史 つなげてみれば超わかる 森村宗冬 ***

    日本史と世界史を別々に学ぶよりも同時並行的に並べて理解するほうがよりよく分かる、という一冊。日本列島の黎明時代に人類の祖先が約1万年かけてアフリカ大陸から日本列島にやってきた頃、世界でも人類の世界的拡散が進んでいた。約1万年ほども続いたという縄文時代には、東地中海ではクレタ島に金石文化が興りエーゲ文明が誕生。エジプトではメネス王が上下エジプトを統一、エジプト第一王朝が樹立。メソポタミアではシュメール文明が興り、ウル、ウルク、ラガンシュなどの都市国家が形成。中国大陸で生まれた文明により玉器の加工技術が発展し、長江文明や北方、南方文化などが融合して縄文文化が形成された。地球温暖化と寒冷化は繰り返し興り、寒冷化の時代におきた動乱の余波を受け、日本列島に逃れてきた大陸からの渡来人たちにより稲作が列島にもたらされた...日本史X世界史つなげてみれば超わかる森村宗冬***

  • ことばの発達の謎を解く 今井むつみ ***

    赤ちゃんはどのようにして母国語を学んでいくのかを考察して、言語の仕組みを解析する試み。日本語を基本にして言語の仕組みを考えていくのが本書で、赤ちゃんが動詞と名詞の違いに気がつくところから。赤ちゃんは数多くの事例を学びながら2-3歳程度になる頃には、どの言葉が動詞なのかに気がつくという。また、「投げる」のは手であり足ではないことにも、間違いながらも理解が到達するのがこの頃。高い低い、高い安い、前後左右、対象物の前と後ろ、自分と対象物の位置関係などとの関係にも気がついてくる。色彩表現は言語により違いがある。日本語の赤橙黄緑青藍紫と他言語では同じ赤や紫でもレンジが異なり、黄色とオレンジでは明らかな違いもあるという。これらは色彩表現全体のシステムとしての理解が重要となり、単色を一つずつ理解というよりも、全体系統を...ことばの発達の謎を解く今井むつみ***

  • 言語の本質 今井むつみ、秋田喜美 *****

    人はどのようにして言語を獲得してきたのか。類人猿との違いは何かを、オノマトペの特質から入り、赤ちゃんはどのように言語を身につけるのかを考察。身振り手振りによるコミュニケーションから言語への移行、オノマトペの言語による違い、帰納法と演繹法、さらには仮説検証(アブダクション推論)による推論、AIにおける記号接地問題などを絡めて考えた一冊。ヒトがどのようにして言葉を生み出してきたかを考えた感動的ともいえる言語論。AI研究で唱えられたのが「記号接地問題」で、AIの世界や現実世界の言語が、実世界や人間による実体験と結びつくことにより、記号や言語の本質的な意味を理解することをいう。つまりAIが宿るコンピュータは機械であり人間が実体験することで得られる本当の意味での理解はできないのではないかという問題である。例えばメロ...言語の本質今井むつみ、秋田喜美*****

  • 荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで 伊藤俊一 ****

    日本史の古代から中世にかけて、政治や文化の後ろ側にあったのは土地所有形態の変遷であり、土地の所有を巡って律令政府は国有化を目指し、開墾奨励のために私有化を許した。しかしその土地からの納税を巡ってなんとか徴税を逃れるための方策が寺社や貴族への寄進による荘園化であった。灌漑や農作技術の進展により田畑面積の拡大が進み、その土地のあり方の中で日本史で特徴的なのが荘園の存在だった。奈良時代、聖武天皇は天然痘の大流行からの復興と仏教振興のため開墾田の私有を認める墾田永年私財法を発布、寺社や貴族により設置されたのが荘園の濫觴。郡司を勤めてきた古代豪族が力を失うと、摂関期には国司(受領)に権限委譲し有力農民である田堵に経営と納税を請け負わせた。税の軽減を認めて更なる開墾を認め、それを免田とした。官物を免除されるのが不輸、...荘園墾田永年私財法から応仁の乱まで伊藤俊一****

  • 日本史サイエンス 播田安弘 ***

    筆者は三井造船で造船の設計を担当した船の専門家。日本史におけるいくつかの不思議に科学的に迫る一冊。本書で取り上げたのは、船にまつわる3つのエピソードで、文永の役で蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか、羽柴秀吉の中国大返しはなぜ成功したのか、戦艦大和は無用の長物だったのか。元寇では日本側は当初古来の作法に従って一騎打ちを挑んで、集団で新兵器を用いた蒙古軍にさんざん打ち負かされたというのが通説であり、その後蒙古軍が暴風雨に襲われて日本は九死に一生を得た、という神風神話。しかし博多湾の深さ、操船技術と当時の船の大きさなどから、船から2万人という大軍勢が一日では上陸できないこと、上陸可能な場所は博多市街からは距離のある百地濱だったこと、「一騎打ち」を挑んだというのは絵巻に描かれた戦いの様子に引っ張られた解釈であり、日本...日本史サイエンス播田安弘***

  • 続・竹林はるか遠く ヨーコ・カワシマ *****

    「竹林はるか遠く」の続編、太平洋戦争敗戦後の朝鮮半島からの引き揚げ実体験者によるドキュメント、感動的な2冊の本である。朝鮮半島での引き揚げ時に共産軍化した朝鮮人や、日本人を賞金稼ぎの対象とする現地の人たちに命を狙われたり、性暴力を受けたりした経験を綴っているため、コリアンの反感を買って韓国では販売停止に追い込まれたといういわくつきの一冊で、それがかえって日本でのブームになるという何とも皮肉な顛末付き。主人公の川嶋擁子は引き揚げ時には13歳、その兄が朝鮮半島から一人で遅れて引き揚げるときには親切な朝鮮人家族に助けてもらったり、一方で母と姉、そして擁子の3人が、同胞であり同じ引き揚げ者から意地悪されたり暴力を振るわれたりもする。読み手からすれば13歳の少女の視点によるフラットな実体験であったと思われるが、日本...続・竹林はるか遠くヨーコ・カワシマ*****

  • 竹林はるか遠く ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著 ****

    1986年にアメリカにて刊行、中学校教科書に教材として採択された11歳の少女の視点による、太平洋戦争敗戦直後朝鮮半島からの引き揚げの物語。著者は1933年、青森で生まれた川嶋擁子、生後6か月で南満州鉄道に勤める父に連れられ、家族とともに朝鮮北部の羅南、現在の清津に移住。1945年敗戦間際に母、16歳の姉好とともにと共に羅南を脱出、朝鮮半島を縦断する決死行で日本への引き揚げをするという体験をした。帰国後、京都市内の女学校に入学、働きながら学業を続け卒業し大学で英文学を学んだ。卒業後は米軍基地で働きアメリカ人と結婚し渡米。現在ケープコッドに住んでいる。本書は英語により書かれて1986年米国で発刊され、日本語版が平成25年日本で日本語により発刊された。1945年7月29日の真夜中に、「ソ連兵が攻めてくる」と言わ...竹林はるか遠くヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著****

  • 新書100冊 視野を広げる読書 高橋昌一郎 ***

    中央公論新社が主催する『新書大賞』については、有識者など105名による偏向審査があって、中公新書にあまりにおもねった結果となっていることから中央公論新社による「新書大賞」の「廃止」を提言している。2022年の結果を見ると、上位20冊の8冊が中公新書、岩波、講談社、ちくま、NHK出版が各2冊ずつ、集英社、小学館、幻冬舎、日経プレミアムが各1冊となっていて偏りが激しい。光文社、ブルーバックス、文春、平凡社、朝日選書、角川などの新書が登場しないのは不思議だという。例えば、売上高、Amazonレビュー、新聞などの書評より選出されればもう少し納得性は高まるはずだともいう。そして本書では、筆者により100冊が公正に選ばれたというが、筆者による新書が5冊も入っているのはどうか。まあそれはおいておいて、選ばれた100冊は...新書100冊視野を広げる読書高橋昌一郎***

  • 聖徳太子の正体 小林恵子 ***

    記紀による記述に従って理解されている日本の古代史には多くの疑念があることはよく知られている。編纂時のヤマト政権は天武・持統天皇であり権力者は藤原不比等、彼らの都合がいいように過去の記述がなされていることは想像に固くない。疑念の一つが本書タイトルの聖徳太子であり、蘇我氏、そして推古王朝時代の業績である。7世紀末のヤマト政権は中国大陸の大国唐への対抗心から、我が国日本の歴史が長く続いており、大陸にも引けを取らない立派な体制を持っていることを示そうとしていた。その一つが天皇家が万世一系で1000年以上も続いてきた王朝であること。しかし天武・持統政権のほんの100年前の政権であった推古時代の記述にさえ疑念が持たれている。蘇我氏の隆盛は未だに人々の記憶にもあり、記紀記述においても隠しようがなかったが、聖徳太子とされ...聖徳太子の正体小林恵子***

  • 日本源流の古代史 神浩二 ***

    学術研究ではなく、古代史が大好きな一般人が想像してみた日本列島に住み着いた先祖たちの物語、という一冊。学者ではないので、想像の翼の広がりは果てしない。二千数百年前、日本列島が弥生時代の中期と呼ばれる時期に、中国大陸では秦の時代、始皇帝治世の末期頃に、長江の南、江南と呼ばれる地方から、北方の黄河文明との軋轢を逃れて、長江文明の担い手の後裔と考えられる人々の一部が、亡命の地を求めて海上を移動、日本列島に次々とたどり着いた。稲作技術や養蚕、陶器作成、製鉄等とともに、祖先の神話ももたらしたかもしれない。日本列島にはすでに北方サハリンなどからの移住者や南方、琉球諸島沿いに渡ってきた人たちが住んでいた。大陸から来た人たちは用意周到に準備し、測量や土木工事、男女、若い働き手なども集団には含まれていたことだろう。そうした...日本源流の古代史神浩二***

  • 明治という奇跡 皿木喜久 **

    日本史で学んだ「明治維新」は日本人が思う以上に奇跡的な国家的変革を成し遂げたことを見直そうという一冊。数百年も続いてきていた封建制度を、戊辰戦争という戦いは経ていたものの、国民的には破壊的な戦乱とはならずに廃止できたこと。そして武士の立場を捨てても国民国家を目指そうという理想を実現しようとした幕末から維新にかけての志士たち、そして明治の元勲と呼ばれる人たちの高い志を筆者は称賛する。変革を成し遂げるには人々を引き付ける象徴が必要であり、幕末には尊王攘夷というキャッチフレーズ、明治維新後はその象徴が天皇であった。攘夷の部分は列強諸国の実力を実感して、それを信奉していた孝明天皇が死去するやすぐに撤回され、ご維新の精神は「五箇条の御誓文」に象徴されるフレーズへと変貌を遂げた。明治に入り、天皇に対する考え方として改...明治という奇跡皿木喜久**

  • 藩と県 日本各地の意外なつながり 赤岩州五 北吉洋一 ***

    江戸時代265年ほどの間、増減はあったが270ほどの藩があり、廃藩置県後の整理統合で現在の47都道府県に落ち着くことになる。本書では、参勤交代が地方特産物を江戸にもたらし、大名の配置換えである転封や江戸における藩屋敷の位置関係などのつながりで、各藩が他地方の藩とどのようなつながりを持っていたのかを調査し、特産品や習慣の由来などについて解説している。ケンミンSHOWで小倉の糠味噌で炊き込んだ鰯や鯖を特産物として紹介していた。「じんだ煮」と呼ばれるこの食べ物、実は小倉の大名細川氏に代わって譜代の小笠原忠真が転封して来たことに由来する。忠真の前任地は播磨の明石、その前が信州松本だった。松本には福井由来の「へしこ」があり、ハラワタを抜いた鰯や鯖を一年間寝かしたもの。長野では「こんか鰯」つまり小糠であり、千国街道経...藩と県日本各地の意外なつながり赤岩州五北吉洋一***

  • 江戸の橋 鈴木理生 ***

    室町から戦国時代に作られ、江戸時代以来発展し続けていた街、江戸には多くの堀と橋があった。それは現代の東京からは想像もできないほどの水路の街で、当然水路を渡るための多くの橋が存在した。本書では、慶長のはじめにはまだあった日比谷の入江と江戸前島をどのように埋め立てて、丸の内、八重洲、銀座、日本橋、京橋、茅場町、築地などが蔵、舟堀、町民地と武家屋敷に生まれ変わっていったのかを文献などから解き明かす。17世紀はじめに記された「慶長見聞録」と現代の「東京地質図」から復元した江戸時代初期の地形とその後の掘割の合成図を見てみる。江戸城は当初日比谷入江に直接していて、その後日比谷入江と河川などを付け替え埋め立てながら、城壕そして運搬路としての舟堀、水路を開削していったことが分かる。平川の流れの先に開削されて水路とされたの...江戸の橋鈴木理生***

  • 戦国武将の死亡診断書 ***

    大河ドラマを見ていると、武将たちが頻繁に酒盛りをしている。あんなに酒を飲んで戦に行けるのかと心配になる。もう一つ、誰か止める人がいなくて肝硬変になってしまうと思っていたが、そのとおりだった。幕末の山内容堂は有名だが小早川秀秋や前田利家もそうだった。戦に向けてのストレス解消や裏切りへの鬱憤には酒を飲んでウサを晴らすことが重要だった。16世紀のはじめ頃に日本列島にもたらされたのが梅毒。戦国武将たちは、遊女から移され、病気の知識もなく多くの武将たちが感染したという。本書で紹介されたのは、好色家で大酒飲みだった加藤清正、30歳を過ぎて感染し鼻が欠損、神経過敏被害妄想もあり梅毒が進行して第4期まで行っていたと考えられる結城秀康、足が不自由だったが、梅毒が原因と考えられる骨髄炎の疑いがあり、晩年は大言癖、誇大妄想が見...戦国武将の死亡診断書***

  • 私の日本古代史(下) 上田正昭 ***

    古代とされる時代の継体朝から記紀編さんの時代までを概括的に述べた一冊。上巻では列島文化の始まりから出雲や吉備、大和盆地に豪族勢力が集まり、政権の母体が櫻井近辺に集約されてくるまでを記述。依拠するのはもちろん古事記と日本書紀となるが、その成り立ちと目的はそれぞれで、古事記が「邦家の経緯、王化の鴻基」を定めんとするのに対し、日本書紀は「日本国の紀としての面目」があり、作為や潤色が見られるとする。書紀には編纂されたとされる720年にこの世を去った藤原不比等が深く関わっていたとする。大王家の系譜によれば仁徳のあと葛城の磐之媛を母とする履中、反正、允恭が大王に即位、こうした王位継承の争いが王族内部に抗争を広げた。雄略の後も、清寧、顕宗、仁賢、武烈の大王を経て、応神の五代孫とされた継体が即位。清寧から武烈の間は20年...私の日本古代史(下)上田正昭***

  • シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立 石川日出志 ***

    本書は古代史シリーズの第一巻で、縄文から弥生に至る日本列島の農耕社会成立、そして古墳時代を迎えるまでをまとめている。論点としては、縄文から弥生への移行が、日本列島内で数百年の時間的幅と西日本から近畿、東海と東北、関東という列島の中での地理的差異があったこと。そして、その移行は縄文人から渡来系を中心とした弥生人への入れ替わりがあったわけではなく、列島に従来から住み続けている人たちが中心となり、渡来人がもたらした灌漑稲作を生活の一部として取り入れながら従来からの狩猟採取生活も続けていたということ。つまり「弥生時代」とは、紀元前1000年ほども前から北九州で灌漑稲作が始められてから、瀬戸内海沿いに何百年をかけながら東に向けて広がり、日本海側からも北陸、東北地方、そして関東にも伝わっていく幅広い時代を指しているの...シリーズ日本古代史①農耕社会の成立石川日出志***

  • 地図と写真から見える!京の都歴史を愉しむ!

    時代劇で、特に今年の大河ドラマの紫式部の物語、住まいや出来事の位置関係を頭に描きながら見ると一味違うと思います。式部の住まいだとされる廬山寺、朧月夜や花散里もこのあたりに住んでいたのかも知れません。廬山寺は御所の東隣り寺町通り沿いにあり道長の住まいとされる鴨沂高校からみれば徒歩5分程の位置にあることが分かります。物語の最初の部分で、まひろと三郎が出会った川は多分鴨川。この時代にはまだお土居はなかったはずなので、広小路から丸太町の河原近くでは店が出て芸人たちが散楽などを披露していたのかもしれません。実際に会ったのかどうかは不明ですが、すれ違うことは時々あるくらいの位置関係です。陰陽師安倍晴明は陰陽寮に勤めていたので清涼殿の直ぐ側に居たので呼べば直ぐ参上できる。呪詛、などといえば現代なら暇なことをと考えがちで...地図と写真から見える!京の都歴史を愉しむ!

  • ホモ・デウス(上・下巻) ユヴァル・ノア・ハラリ ***

    現生人類はホモ・サピエンスと呼ばれる種であるが、それ以前にも人類種は存在した。ジャワ島で発見された10万年前ほどに絶滅したというホモ・エレクトス、主にシベリアと東アジアで発見されているデニソワ人、太平洋の島々に生息していたとされるホモ・フローレシェンシス。彼らに何があって絶滅し、ホモ・サピエンスは、その後なぜ生きき続けられたのか。ほんの少しの手先の器用さであったのかもしれないし、ひょっとしたらコミュニケーション能力が高かったのかもしれない。小さなDNA上の遺伝形質が歴史を左右した可能性もある。現生人類に現時点で何が起きているのかを俯瞰してみると、10万年間苦しめ続けられたであろう食料確保の問題、飢饉を効率的農業により概ね解決し、有史以来も苦しめ続けてきた解決不可能と思われてきた感染症や原因不明の疫病に対し...ホモ・デウス(上・下巻)ユヴァル・ノア・ハラリ***

  • 出島ー異文化交流の舞台 片桐一男 ***

    以前、「オランダ商館長が見た江戸の災害」を読み、出島に赴任して江戸の将軍に挨拶に来るオランダ商館御一行が江戸での大火災に巻き込まれる様子を知った。江戸時代の挨拶、手土産、お礼、日程調整などの面倒な様が、同時に得られる貿易による実益により我慢すべき事柄と認識されていたことがわかった。本書は、その様子を出島に限定して紹介したもの。出島の存在は、キリスト教布教禁止と貿易継続の両立を願う江戸幕府政策の一環。島原の乱までは多くいたポルトガル商人を一箇所に集め、管理する必要があった。長崎の有力町人25人に出資させて江戸時代初期の1636年に人工的に築港させたのが出島。1637-38年の島原の乱後はポルトガル人はマカオに追放、平戸に開設していたオランダ商館を出島に移転させて貿易の管理徹底を図った。唐蘭定期貿易船の検閲、...出島ー異文化交流の舞台片桐一男***

  • 万葉集があばく捏造された天皇・天智天皇(上) 渡辺康則 ****

    日本書紀は、その内容が史実かどうかが疑われる箇所があり、特に初代神武から7代までは実在が疑われて、5世紀ころまでの大王についても実在と在位年が疑われているところは定説。7世紀中盤の大事件、乙巳の変あたりには、特に疑問が多い。蘇我氏を滅ぼして推進されたとされる大化の改新で行われた政治改革は、その多くが推古朝以降、蘇我氏を中心とした政権が推進してきた内容と同じなのはなぜ。乙巳の変後に中大兄はなぜすぐに即位しなかったのか。万葉集で有名な額田女王と大海人皇子が蒲生の野で遊んだあとにお互いを詠んだ句は、天智の人妻となっているはずの額田女王が、元の夫である大海人皇子を、中大兄と大勢の人々がいる前で大ぴらに互いの気持ちを表現したと思われる。なぜこんなことが許されたのか。皇太子の最有力候補だった古人大兄はなぜ中大兄にいと...万葉集があばく捏造された天皇・天智天皇(上)渡辺康則****

  • 万葉集があばく捏造された天皇・天智天皇(下)渡辺康則 ****

    すごい仮説、学者でもない著者が、日本古代史の通説に真っ向から異を唱える。題名の通り、万葉集をよく読めば、乙巳の変の首謀者の一人、中大兄は大和朝廷の皇子ではなかったことを示す上下巻。著者は、サンデー毎日の編集委員等を経て、現在は作文塾の経営者であり、本書を読めばよく分かるが、歴史や和歌に通じていて詳しい方。記述は時に大変詳細であり、重複もあるが、かえってそれにより筆者の執念を感じられる。本書では、一般読者だけではなく日本古代史の学者、研究者、そして古代史全体に問題提起している。下巻では、まず斉明時代の皇太子は誰だったのかを究明。日本書紀を普通に読めば、中大兄は舒明紀から称制天智紀まで引き続いて皇太子だったように読めてしまう。しかし、よく分析すれば、斉明朝の皇太子は中大兄だとは記述していない。皇極帝の最後と孝...万葉集があばく捏造された天皇・天智天皇(下)渡辺康則****

  • 永田鉄山と昭和陸軍 岩井秀一郎 ***

    昭和初期に、陸軍の中での勢力争いがあり、合理的な戦略立案と実行を企図する統制派、天皇への敬慕と熱き愛国心を重視する皇道派に分かれていた。永田鉄山は統制派の首魁であり、皇道派から敵視され、昭和10年8月12日、狂信的愛国者の相沢中佐に軍務局長在任時、執務室内で斬殺された。同僚や上司から評価され部下からも慕われていたという人物評価から、殺されなければ東條に代わって陸軍大臣や首相にもなっていたと評価される逸材だった。永田鉄山は病院長の息子として誕生、陸軍士官学校、陸大を次席で卒業、教育総監付きの「軍隊教育令」を作成する仕事に携わる。首席は士官学校でひとつ上の梅津美治郎、いずれも陸軍のエリートである。教育令を作る難しさは、軍の長老の意思をいかに統一するかであったが、永田は忍耐強くこの任にあたり、意思を統一しただけ...永田鉄山と昭和陸軍岩井秀一郎***

  • 乱と変の日本史 本郷和人 ****

    乱と変以外にも、前九年の役、長篠の戦い、宝治合戦、大阪夏の陣、霜月騒動などが使い分けられているが、明治時代の学者・先人がそういった、従来からそう言われている、という理由によるらしい。秀吉による朝鮮出兵の文禄・慶長の役や蒙古襲来による文永・弘安の役は海を超えての戦争であり、大がかりな戦争を意味している。各藩におけるお世継ぎを巡る騒ぎなどで使われそうなのが「騒動」。「霜月騒動」は、鎌倉幕府の御家人安達泰盛が滅ぼされた事件なので、本来は「乱」と言ってもおかしくはない。観応の擾乱に至っては、これ以外に擾乱と呼ばれる事件はないのだから、「観応の乱」でも良いのではないか。「関ヶ原の戦い」は実際には家康が上杉景勝を成敗するために出陣するところから始まり、毛利輝元を大阪城から追い出すまでを指し示す、家康天下取りの戦い全体...乱と変の日本史本郷和人****

  • 満洲事変 「侵略」論を超えて世界的視野から考える (PHP新書) 宮田昌明 ***

    相手国戦力に対する甘い見通しと無謀で向こう見ずな国力評価、世界情勢への誤判断から突入してしまったのが日本にとっての太平洋戦争。そしてそこに向かう道を決定づけるきっかけとなったのが満州での権益確保と満洲事変。本書では、そこに至る歴史を中国側、ロシア・ソ連側、米英側、そして日本側と多面的な分析を施す。中国国内では、アヘン戦争までは清朝の繁栄が続いていたが1840年以降は太平天国の乱、アロー号事件と英国を始めとした欧米列強による植民地的権益の蚕食が進んでいた。しかし一方で、中国大陸のマジョリティを占める漢族は東トルキスタン、内モンゴル、満州への入植をすすめ、チベットに対してもその支配の食指を伸ばして、英国との対立を招いていた。朝鮮半島を巡っては、日清戦争を挟んで日本からの侵入と権益拡大圧力を受け、満州に関しては...満洲事変「侵略」論を超えて世界的視野から考える(PHP新書)宮田昌明***

  • 花押を読む 佐藤進一 ***

    花押は大河ドラマや時代劇に時々登場するが、それは何を象徴するのか。信長は生涯で多くの種類の花押を使ってきたと言われるが、麒麟の「麟」のいち字を花押としたことがある。麒麟とは「至治の世に出現する想像上の動物」であり、平和の時代への願望を意図したことが明らか、とするのが本書。これを用い始めたのは、松永久秀が将軍足利義輝を弑殺した事件がきっかけであり、信長の確固とした政治意志の現れだとした。勝海舟もその名「麟太郎」の一字「麟」を取ったため、信長の花押と類似している。花押の伝統からすれば、親子、一族、主従の花押は相互によく似ていながら多少とも違い、同時に明確に区別できるものである必要がある。署判者が紛れもなく本人であることを証明し、保証することが花押の第一義的な機能であるからである。しかし、名前とは一切関係のない...花押を読む佐藤進一***

  • 江戸藩邸へようこそ 久住祐一郎 ***

    大名に江戸のまちなかに与えられた屋敷が「江戸藩邸」で、国替えがあって領地が変わっても江戸藩邸は変わらないケースも多かった。屋敷は大名に対して与えられたものであるが、藩邸の持ち主が変わることもままあって、それは国替えとは無関係に行われたという。江戸時代の街図絵には「松平伊豆守」のように屋敷の主人名が書かれ、三河吉田などと地名では表記されていない。江戸藩邸で暮らすのは大名一家に加えて、江戸藩邸で勤務する江戸詰めの家臣、すなわち定府番とその家族ならびに、国元から単身赴任でやってきた勤番である。江戸の武家人口は約60万人で、その多くは大名とその家臣、家族であった。これは参勤交代の制度化により多数の大名屋敷が建てられたことによる。参勤交代制度により、各藩の出費の約半分以上が江戸での経費だったと言われる。上屋敷は江戸...江戸藩邸へようこそ久住祐一郎***

  • 写真で見る 日めくり日米開戦・終戦 共同通信編集委員室 ***

    太平洋戦争に至った理由は何、という問いについて、新聞記事から考えてみたという一冊。満州事変から回帰不能点となった南部仏印進駐まで、真珠湾攻撃までの1ヶ月、ポツダム宣言受諾までの1ヶ月、そして敗戦後の1ヶ月と4部に分けて写真つきでまとめられている。戦争は突然は始まらない、必ず手順を踏む、というのが保阪正康。明治維新以来、第一次大戦後までに日本国は日清・日露戦争を経て、南樺太、台湾、西太平洋、朝鮮半島などの権益を獲得してきたが、その欲望をさらに中国大陸にまで広げたのが満州事変。ここが回帰不能点だった。きっかけは1931年の柳条湖事件、比較的日本への配慮もにじませていたリットン調査団報告を受け入れようとしない日本は、国連を脱退した。1934年にはドイツでヒットラーが政権を奪取。1937年には盧溝橋事件をきっかけ...写真で見る日めくり日米開戦・終戦共同通信編集委員室***

  • 富士山宝永大爆発 永原慶二 ***

    歴史に残された最後の富士山爆発は江戸時代、赤穂浪士討ち入りがあった元禄時代のあと、宝永4年となる1707年11月23日に起きた溶岩流出を伴わない噴石と砂礫噴出による大爆発で宝永噴火と呼ばれる。それ以前にも1083年(永保3年)、864年(貞観6年)、800年(延暦19年)に爆発記録がある。何年経過すると危ないという規則性のようなものはないが、富士山噴火の歴史をさらに振り返ると、貞観から宝暦の624年ほどの間隔は、観測できる限りはこの期間が最長。そのため宝暦大爆発のエネルギー蓄積は巨大だった。宝永大爆発の49日前にはM8.4の宝永大地震が起きているが、それより以前も以降も東海・東南海に大地震は起きていて、爆発との関係性は否定できないものの、大地震があれば爆発するというものでもない。江戸の町でも地震に伴う大火...富士山宝永大爆発永原慶二***

  • 板垣退助 自由民権運動指導者の実像 中元崇智 ***

    板垣退助はどんな人?昭和の百円札で肖像画を見た人も多いはずだが、総理大臣経験者?自由民権運動の指導者と言うけれど、国会設立に貢献したと。そういえば「板垣死すとも自由は死せず」と言ったとか言わなかっただろうとか。顔は知っているのにその足跡、業績について知らないことが多すぎる。幕末の板垣は土佐藩で、山内容堂、吉田東洋に抜擢され、その後土佐藩倒幕派の中心人物として活躍。戊辰戦争で官軍の指揮官として活躍して名声を獲得。板垣は土佐藩藩政改革を実施、維新後は政権に参議として参画するが、明治8年の政変で権力闘争に負けて西郷隆盛らと下野。西南戦争が西郷たちの敗北となり、板垣は西郷に呼応しなかったことで武力による政権奪還も不可能と成る。そこで板垣は言論による自由民権運動に活路を見出して民選議会設立に邁進。1870-80年代...板垣退助自由民権運動指導者の実像中元崇智***

  • 紫式部 清水好子 ***

    約1000年前に全54巻の源氏物語を書き上げたという紫式部、実は生誕年も実際の名前も分かっていないという。平安時代の女性でそういう記録が残る女性は皇族で、それも皇后などになった人だけだと。分かっているのは越前守などを務めた藤原為時の娘で、藤原宣孝の妻となり、夫の死後1004-1011年ころに藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子の女房となり仕えたということ。父親が式部大丞を務めていたため、宮中では藤式部と呼ばれていたが、源氏物語で紫の上が有名となり、後年紫式部と呼ばれた。しかし、紫式部が書き残したとされる書物は多い。彼女が残して一部編集したという紫式部集、道長が式部の才能を見込んで宮中の出来事を書き残させたという紫式部日記。そしてもちろん源氏物語。特に自身でその配列を考えたとされる紫式部集は、彼女の娘時...紫式部清水好子***

  • 天皇・コロナ・ポピュリズム 筒井清忠 ****

    歴史上の出来事は形を変えて再び起きるが同じ結果に成るとは限らない。本書ではコロナ禍をきっかけにした緊急事態に日本政府と日本人がどのように振る舞い、対応したのかを考察して、メディアの役割と一般的日本人の同調圧力について述べている。章立ては以下の通り。第1章岐路に立つ象徴天皇制第2章天皇周辺の「大衆性」―近衛文麿と宮中グループ第3章戦前型ポピュリズムの教訓第4章コロナ「緊急事態」で伸張したポピュリズム第5章ポピュリズムと危機の議会制民主主義―菅内閣論第6章大正期政治における大衆化の進展第7章関東大震災と「ポピュリズム型政治家」後藤新平第8章「大正デモクラシー」から「昭和軍国主義」へ第9章太平洋戦争への道程とポピュリズム終章ポピュリズム型同調社会と政治的リーダーの形成感染症流行で緊急事態に陥ったとき、政府や行政...天皇・コロナ・ポピュリズム筒井清忠****

  • 天正壬午の乱 平山優 ****

    天正壬午の乱とは、天正十年、本能寺の変をきっかけとして起きた東国での戦乱。その年の3月には甲州を中心に強大な勢力を誇った武田氏が織田勢に攻め込まれ滅亡、そして6月に本能寺の変が起きたことが引き金となり、織田勢力が切り取った信濃、甲斐、上野が空白地帯となる。そこに、北からは上杉景勝、東から北条氏直、西からは徳川家康が一斉に攻め込んだ。信長後継を巡って秀吉、柴田勝家らが揉めている間、「元は自分の領地」と北条、真田、上杉らが動き出したところに、家康が信長後継の代表を名目に攻め込んだ。しかし、信濃の各豪族たちは家康の正当性を信じない、北条とのつながりを重視した信濃の国衆は当初、北条と手を結び、家康は苦戦する。これが東国の状況で、秀吉らは家康の正当性を担保するため援軍を送ることを約束するが、勝家と秀吉の対立が激化し...天正壬午の乱平山優****

  • 大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯 藤井一二 ***

    古代の10以上ある主なる豪族の中で平安時代に生き残り続けたのは断トツで藤原氏であり、その他の蘇我、物部、葛城など多くの主要豪族が先細りになる中、藤原氏の周辺豪族として生き残っていた豪族の一つが大伴氏。家持は718年-785年の人で、天平を代表する歌人、万葉集編纂に関わったとされるが、大伴氏は従来武辺の家系。祖父が従二位大納言だった安麻呂、父が従二位大納言にまで出世した旅人、妻は従姉妹にあたる坂上大嬢、その母が坂上郎女で、安麻呂の娘である。遠くは継体王朝を実現させた大伴金村の子孫として従三位中納言参議にまで上り詰めた。道鏡、恵美押勝、橘奈良麻呂の変など数多くの政争が渦巻いた時代に生きながらも470首の歌を残した。大伴氏を背負って立つ立場にまで出世しながら、政争にまきこまれ陸奥鎮守将軍として死亡したとされる。...大伴家持波乱にみちた万葉歌人の生涯藤井一二***

  • 遊郭と日本人 田中優子 ****

    「遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」と語る筆者。借金のかたとして身柄の自由を抑制され、厳重な監視下に置かれるという遊女たちがその中にいたから、そして病と暴力の危険にもさらされていた遊女たちの身を守るすべがなく、病気予防は運に任されるような体制だったことがその理由。また遊郭内では地位の格差が大きく、暮らしの様子は低位にとどまる多くの遊女では、飲酒などの食生活や不規則な日常生活面などで、早死にするケースが多かったという。一方、吉原遊郭は江戸文化の基盤であり、その影響は同時代の歌舞伎や芝居、新内などの娯楽、そして庶民の日常生活、年中行事にも多大であった。本書は吉原遊郭に関する一冊。幼い時から遊郭で育てられた遊女は、禿、新造、そして花魁、と出世するに従い、その社会的地...遊郭と日本人田中優子****

  • 古代豪族の興亡に秘められたヤマト王権の謎 古川順弘 ***

    3-4世紀にかけて、奈良の桜井市にある纏向遺跡あたりにヤマト王権の中心地があったとされている。その盟主が大王家であり、王権を盛り立てていたと考えられるのがその地方に群雄割拠していた豪族だといわれている。豪族たちの合議制による政権運営は7世紀、乙巳の変から大化の改新へと続く時代まで続いた。本書で取り上げられたのは、葛城、物部、忌部、蘇我、中臣、大伴、吉備、出雲、上毛野、秦の10氏であるが、そのほかにも天皇家に妃を多く出した尾張氏、和邇氏、琵琶湖周辺を本拠とした息長氏、紀国の国造だった紀氏、賀茂神社の賀茂氏、出雲系の出雲氏、古墳築造を担った土師氏、海部族の安曇氏など多くの豪族が地方にもあった。豪族を示す名称には氏と姓(ウジとカバネ)があり、氏は居住地や本拠地の地名や職掌に多く由来、地名によった事例が蘇我氏、平...古代豪族の興亡に秘められたヤマト王権の謎古川順弘***

  • 渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か 上田正昭 ****

    大陸から朝鮮半島伝いで日本列島に移住してきた人たちを渡来人と呼び、縄文、弥生、古墳、奈良と続く日本文化の黎明を築き、支えてきたのは渡来人たちだったとする。百済・伽倻系の人たちが漢人(あやひと)、新羅系が秦人(はたひと)、高句麗系が高麗人(こまびと)と分類して、それぞれが果たしてきた日本史における役割を解き明かす。帰化人という呼び方があるが、帰化とは統治された国または組織体制に外部から帰属するという場合に使い、大陸からの移住者たちの多くが日本列島に移動した時期は、列島に統治された国はなかったのだから、その頃の移住者たちは渡来人と呼ぶ必要があるという主張。日本書紀が、日本国の歴史を立派に見せたいという意図から、古渡の移住者にも「帰化」という表現を使ったという解釈。日本という国号は天智天皇670年以降で大宝元年...渡来の古代史国のかたちをつくったのは誰か上田正昭****

  • 謎の大王 継体天皇 水谷千秋 ***

    武烈大王が跡継ぎを残さずに、ライバルを皆殺しにしたまま死んでしまい、次の大王を誰にするのかで混乱した時代があった。時の有力豪族の一人、大伴金村は越後、近江で地方豪族として生き延びていた応神の5代孫とされる継体を次期大王として即位させたが、大伴をはじめとした蘇我、物部、葛城、平群、紀、膳、巨勢、阿部、坂本、春日、中臣、三輪という集団合議制を形成していた13の中央豪族の意見は分かれ、継体は大和盆地に直接は入らず、樟葉、綴喜、乙訓と20年ほど場所を移しながら力を蓄えた後に磐余玉穂宮、大和盆地に入ったとされる。つまり、今までの血統とは別とまでは言えないが、武烈までの血統とはかなり離れた皇族の中から選ばれた大王が継体。それに加えて、次の大王を決めるのに、前の大王の意思とは全く別のところで決まるという合議体制が形成さ...謎の大王継体天皇水谷千秋***

  • 縄文人と弥生人-「日本人の起源」論争 坂野徹 ***

    最新の定説は、日本人のご先祖は、最初に大陸から移住してきて定住し始めた狩猟採集民が縄文人となり定住した日本列島に、渡来系の米作民が混血して生まれた、というもの。DNA分析によれば、大陸北方民からの移住者と南方島伝いと大陸南方陸地伝いの移住者が混じり合っているという。さらに、縄文時代と弥生時代の境目も明確には決め難く、狩猟収集生活と漁労生活、そして稲作、農作による生活は、気候変動や灌漑、鉄器などの技術進歩とともに時間をかけて混ざり合い、列島を東西から南北へと漸進して広がっていったことが考えられる。この定説が定着するまでに、人種交代説、固有日本人説、混血説、変形説などの様々な仮説が唱えられてきた。日本で唱えられる縄文時代と弥生時代という土器に基づく歴史的区分呼称は、世界での旧石器時代、新石器時代、金属器時代と...縄文人と弥生人-「日本人の起源」論争坂野徹***

  • 地球の履歴書 大河内直彦 ****

    45億7千万年前に誕生したという地球の歴史がたどる軌跡を科学の視点から一般読者にわかるよう、面白く解説した一冊、面白かった。45億3千万年前にティアと呼ばれる火星ほどの大きさの惑星が地球に衝突、地球上は想像を絶するカオスが出現し数十年後に地球から2万メートル離れたところに月が誕生した。現在の月はその距離38万メートルなので、見た目で今の20倍ほどの大きさに見えたはずである。ドロドロに溶解した地球では、重い鉄やニッケルが中心部に沈みコアを形成、続いてケイ素やマグネシウムを含む物質が沈殿、マントルを形成する。表面は硬化して地殻となるが、45億年経過した今でも内部には溶解したままの物質が存在する。その後蒸発していた水分が地上に降り落ちて海が形成され、地上には地殻をすっぽりと覆う海ができた。月がクレーターだらけな...地球の履歴書大河内直彦****

  • 日露戦争史 横手慎二 ***

    日露戦争は日本にとっては日清戦争に続く大国との対外戦争であり、辛くも勝利したとされているが、戦闘に参加した軍人軍属は108万人、戦死者84000人、戦傷者143000人という膨大な人的損害を被った。ロシアにとっても、シベリア鉄道で戦場に送られた人数が129万人、戦死者5万人以上を含む27万人の喪失というデータが残っている。戦争の目的は朝鮮半島と満州における双方の利権確保であり、旅順や日本海海戦での日本側の勝利から、日本サイドとしては賠償金と樺太割譲の要求をしたがロシアは断固としてこれに応じなかった。もともとの戦争目的であった韓国の保護国化ならびに遼東半島租借地、東清鉄道支線譲渡はすんなり決着がついたため、樺太の北緯50度線以南割譲のみで、賠償金なしという決着で全権大使小村寿太郎は交渉を終えた。軍部としては...日露戦争史横手慎二***

  • 明治十四年の政変 久保田哲 ***

    明治維新後の日本では政治経済分野で特に国の形を変える様々な改革が行われた。明治を前期、中期、後期と分けると、前期は維新で活躍した維新三傑とも呼ばれる、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允が活躍したが、廃藩置県、版籍奉還、徴兵制度、地租改革、などの大改革を実現しながらも、それぞれ戦死、暗殺、病死を遂げた。中期は、江戸時代末期締結の不平等条約の改正、国力増強、富国強兵のための殖産興業、国民国家の樹立のための議会設立、憲法制定、藩閥政治改革などがテーマ。活躍したのは維新二世代目とも言える、伊藤博文、井上馨、大隈重信、福沢諭吉、黒田清隆、五代友厚など。その頃起きたのが北海道開拓使払い下げ事件で、それが取引材料のようになり、積極財政から緊縮財政への転換と議会設立が図られたのが明治十四年の政変。大隈重信が下野し、払下げは中...明治十四年の政変久保田哲***

  • 東大寺のなりたち 森本公誠 ***

    著者は東大寺に入門して70年以上、東大寺の長老にして2004-7年に218世別当を勤めた。奈良の大仏で有名な廬舎那仏が建立されることになるのは、743年の聖武天皇による詔により、747年より鋳造が始まったとされる。その前身は、若草山麓に創建された金鐘寺(金鍾寺とも)が起源とのこと。728年に、聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くした基王を弔うため山房を設け、これが金鐘寺の前身となる。741年に国分寺建立の詔が発せられ、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ金光明寺と改められた。749年には娘の孝謙に譲位、大仏の鋳造が終了、大仏開眼会が挙行されたのは752年。その後、754年に待ち望んでいた鑑真和上来日、大仏殿の建設も始められ、758年に完成した。聖武天皇が即位したのは724年のことで、誕生した701年に制定されたの...東大寺のなりたち森本公誠***

  • 人事の日本史 遠山美津男、関幸彦、山本博文 ****

    古代から近世までの日本史を振り返り、「人事」の本質について考察してみた一冊。視点は次の三つ。1.歴史上重要な人事の決まり方2.歴史上の人物たちは人事に対してどのように考えふるまったか3.日本における人事に対する論理はあるのか経済雑誌「エコノミスト」2003-4年連載の記事をまとめた本書。読者のサラリーマンたちにどのように訴えるのか、朝礼の挨拶で使えるフレーズなどを意識したと思われる。日本歴史と思うと遠い昔の話、しかし人事と考えれば身につまされて自分に引き寄せて考えられるというもの。確立された人事制度として記録に残る日本史最古のものと言えば、冠位12階と憲法17条、厩戸皇子制定とされるが、内容から書かれた内容は天武朝以降のものと考えられる。官職の等級ではなく、組織に属する人間の上下関係、トップとの距離を服装...人事の日本史遠山美津男、関幸彦、山本博文****

  • 人名の世界地図 21世紀研究会編 ***

    日本では生まれてきた子供に希望と期待を込めて、自分が気に入った名前を付けるが、キリスト教圏など宗教がらみの名前を付けることが一般的。そのため、名前の種類はある程度限定される。本書は世界の姓と個人名の由来をまとめたもの。Peterは新約聖書のペドロに由来。ドイツでもPeter、Petri、Petris、フランスではPierre、イタリアではPietro、スペインではPedro、ロシアではPyotrとなる。出身地を示す姓ではイングランドを示すEngland、Inglis、ブリテン島をしめすBreton、Brett、Britt、スコットランドはScollan、Scott、ウェールズはWalch、Wallace、Wallis、Welch、Wellsman、コーンウォール地方のCornell、Cornwell、アイ...人名の世界地図21世紀研究会編***

  • 日本史の内幕 磯田道史 ***

    「武士の家計簿」の筆者でもあり、本書の筆者の磯田さんは本書によれば15歳で古文書の解読を始めたとのこと。古文書が読めれば、貴重な一次資料に出会う確率が高まるので、歴史学者としては必要不可欠な能力となる。本書は、自分で見つけて解読した古文書から分かったこと、これをまとめているので、ニセ情報も中にはあるが、本で学んだだけではない、当然聞きかじりではない、本物の歴史的事象に巡り合うことができるかもしれない。家康が信玄に大敗した三方ヶ原の戦について検証している。通説では信玄軍2ー3万、家康軍が8000、信長からの援軍3000としている。信長からの援軍はこんなに少なかったのかというのが目の付け所。3000人の根拠は1685年成立の「織田軍記」で、その他の資料からは過少な数字の可能性があると見た。徳川重臣最古参の酒井...日本史の内幕磯田道史***

  • 「お金」で読む日本史 本郷和人 ***

    米価により過去の金額を現代に置き換える手法でみると、鎌倉時代の一石(1000文)は10万円ほどとして、大仏鋳造に使われた宋銭(一枚2gが6000枚ほど使われたと換算)相当で、1石が150Kgとする換算では60億円ほどとなる。承久の乱後に地頭に任じられた御家人の年収は、200町歩とすると年貢が得られるのは18町ほど、172石として計算すると1720万円。信玄が獲得した最大領地は甲斐、信濃、するが、上野の西半分、越中、飛騨、美濃、三河、遠江の一部で、太閤検地での石高で120万石、1200億円ほどとなる。4公6民とすると480億円ほどにもなる。津具金山からの収入だけでも24万両で180億円。領内の金山は28あったとのことで、金収入が莫大であったことが分かる。江戸時代の暮らしでは、新田開発が進み菜種の栽培が増加、...「お金」で読む日本史本郷和人***

  • 戦国、まずい飯! 黒澤はゆま ***

    戦国時代を描くドラマを見ていると、大名はやたらにお酒を飲んでいるが、どんな食事をしていたのだろうか。とくに戦場での食事は、大将と一般侍、そして足軽ではずいぶん差があったのではないか。そもそも、ドラマで女性陣が戦場向けにみんなで作る美味しそうな握り飯など本当にあったのだろうか。赤米:戦国時代までは、治水、灌漑、施肥、害虫対策などのため、限られた人出と農機具性能の限界があり、水稲と陸稲が混在し、美味しいが手間がかかる白米以外にも促成栽培が可能な大唐米と呼ばれた赤米が育てられていた。地主に納めるのは白米だが、百姓自らは赤米や稗・粟を季節をずらして栽培し食していた。精米に必要な石臼も、室町前期には全戸に設置なされていた訳でもないので、五分つき程度のの穀類を吸い物と一緒に飲み込むように食べていたと考えられる。糠味噌...戦国、まずい飯!黒澤はゆま***

  • 英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱 小林恭子 ***

    イギリスはロンドンのキューにある国立公文書館には、この1000年に発生して保管されてきた中世から現代までの膨大な歴史資料が存在する。期限が来れば誰にでも閲覧可能、その期限も50年から最近は20年にまで短縮されている。日本では見られない外交資料も、ここに来れば見ることが可能なため、近代の外交史を調べたい学者はここに来るという。具体的には、最古の公文書である土地台帳、マグナカルタ、ヘンリー8世の離婚証明書、蒸気機関車の見取り図、世界初の切手、ロンドン万博の記念手袋、タイタニック号からの無線メッセージ、米国独立宣言のポスター、シェイクスピアの遺言書、欧州分割を決定づけたチャーチルの手書きメモから、夏目漱石の名前が残る下宿簿、ホームズや「切り裂きジャック」の手紙、ビートルズの来日報告書などあらゆるジャンルの資料が...英国公文書の世界史一次資料の宝石箱小林恭子***

  • 家康クライシス 浜田浩一郎 ****

    大河ドラマ「どうする家康」の副読本的存在の一冊。本書の章立てをたどることは、一年間の大河ドラマを思い出す作業と重なるほど。松平家の前史では、葵のご紋について。葵は京都の賀茂神社の御神紋で、松平家は古代賀茂一族だったという説もある。三河の賀茂郡がその所縁の地。松平家の中には賀茂朝臣と自称するものもいたという。ちなみに先祖だという新田氏の家紋は一引両。松平家は十四家もあったといわれ、大給、桜井、深溝、福釜、藤井、滝脇、長沢、竹谷、形原、大草、五井、能見、東条、三木。今川と織田の人質になった子供時代があり、織田信長との盟友関係につながるようにドラマでは描かれたが、真相は不明。家康の三大危機の一つが三河一向一揆、三方ヶ原、そして伊賀越えだが、三河一向一揆は中でも家臣の中にも信者がいて大変な問題となったはず。当時の...家康クライシス浜田浩一郎****

  • ナンバー2の日本史 榎本秋 ****

    日本史上、国のリーダーシップはどのように操られてきたかという視点で、ナンバー2がそれを握ってきたというのが本書。殿を支える家老、若将軍を支える老中、天皇を操る摂政や関白、そして院政を牛耳っていた治天の君。古代から近世までをざっと概観する。古代、大王や天皇の補佐役は連綿と役割を果たしてきた。卑弥呼の弟、伝説上ではあるが神功皇后、武内宿禰、聖徳太子に蘇我馬子、藤原鎌足とその子不比等、長屋王、藤原四兄弟、橘諸兄、藤原仲麻呂、道鏡。摂関政治の時代には、藤原一族から百川、良房、基経、時平、忠平、実頼、師輔、兼通、兼家、道隆、道兼、道長、そして頼道。途中菅原道真もいた。その後は院政時代で、白河、後白河、後鳥羽などと続いた。鎌倉時代はナンバー2の執権が実権を握るが、その北条氏の中でも得宗家とその支家が勢力を争った。室町...ナンバー2の日本史榎本秋****

  • 戦国の忍び 平山優 ****

    「忍者」と呼ばれるようになる存在は、明治以降の物語や昭和になってからのアニメや漫画で有名になってきた存在。歴史学者に「忍者」はいたのかと問うと、いなかった、と答える人が多いという。室町時代に出現してきた「悪党」は、災害や凶作、飢饉、戦乱などの結果、耕作地を放棄して他所に逃散した百姓やあぶれ者の一部が強盗や盗人になったもの。そうした悪党たちを戦国時代の各勢力は足軽や偵察員、調略要因、待ち伏せ要員、後方かく乱要員、非常勤職員として利用した。その活動は夜間が主で、盗人としての特徴が生かされたため重用され、城の乗っ取りなどでも活躍した。彼らは地方によっては「草」「伏し」「野臥せ」「かまり」そして戦国時代には乱波(らっぱ)、透波(すっぱ)などと呼ばれるようになる。「すっぱ抜かれる」はこれが由来。これらはその後「忍び...戦国の忍び平山優****

  • 日本の歴史を旅する 五味文彦 ***

    旅行するときに、その土地の歴史や謂れを知って訪れると楽しみが増えるし、感動や記憶も深く刻まれるのではないか。本書では、いくつかの地方、地域を選んで、「人」芭蕉、連歌師宗長、菅原真澄、若山牧水「山」筑波山、立山、白山、六郷満山「食」讃岐うどん、若狭もの、佐渡の味覚、宇都宮餃子「道」四国巡礼道、山陽道、山陰道、会津街道に分類して解説している。芭蕉と言えば奥の細道、しかし本書ではその前に執筆した場所とされる近江大津。育った地が伊賀上野で、晩年庵を結んだのが大津の幻住庵、大津は芭蕉にとっては特別な場所だった。大津は天智天皇が都をおき、中世には馬借の根拠地になり、近世には東海道の宿場町として栄えた、つまり交通の要衝であり、文化の交わる場所だった。大津市周辺にあるのは、園城寺、そのそばに大津城、北には近江大津宮跡、そ...日本の歴史を旅する五味文彦***

  • 怪しい戦国史 本郷和人 ***

    歴史書によくでてくる定説を疑ってみようという本書。新聞連載のコラムをまとめた読み物風のエッセイ集という一冊。●信長の兵力戦いを決する「兵力」の謎では、桶狭間の戦いで、信長の攻撃は正面からの攻撃であり、兵力差は大きかったが、信長からの指示を的確に忖度して実行できる精鋭部隊だったのが勝因だったと分析。●秀吉の行軍力秀吉の天下取りと「行軍力」では、近代の軍隊での歩兵の行軍スピードを一日20Kmとしたときの戦国時代の行軍を評価。秀吉の中国大返しでは、備中高松城からの200Kmを10日で移動して天王山の戦いで光秀を破った例。徳川秀忠は大阪冬の陣で、江戸から京都まで1日27Kmで進んだのに、落ちこぼれが出たことを家康に咎められたとか。●信玄の城攻め武将が「城を攻める」意外な理由の一つが、領地の境界線上の城は、攻撃の第...怪しい戦国史本郷和人***

  • 物語 ウクライナの歴史 黒川祐次 ***

    ウクライナのある場所は歴史上、東から西からの大国に蹂躙されてきた。騎馬・黄金の民族と言われるスキタイ人が紀元前750年ころから2世紀ころまで暮らしていたその場所は、スキタイの滅亡の後、4世紀にはフン族、6世紀にはアヴァール族が侵入、6-7世紀にはスラブ人によりキエフ・ルーシ公国が建国された。しかし14世紀にはリトアニアとポーランドに併合され、15世紀にはオスマントルコがクリミア半島を支配下に置く。その後もコサック登場、モスクワ公国支配、ポーランド支配、オーストリア帝国支配、クリミア戦争、ロシア帝国支配などを経て、1914年の第一次大戦と1917年のロシア革命でウクライナの地も大転換点を迎えた。ロシア二月革命でウクライナにも中央ラーダと呼ばれる独立を目指す組織が設立、ウクライナ自治宣言が出される。10月革命...物語ウクライナの歴史黒川祐次***

  • 織田信長の家臣団 ー派閥と人間関係 和田裕弘 ***

    大河ドラマを見ていると、家臣団同士のつながりは地縁と血縁で固められていることが多いことに気が付く。織田の家臣同士でも尾張、美濃の地縁とともに、織田家と家臣とのつながり、そして家臣同士の血縁を作り出すことにより、裏切りを極力防ぎ、結束を強めようとしている。それでも裏切りはあるわけで、信長の妹お市の方が嫁いだ浅井長政は信長に敵対し滅ぼされ、お市は本能寺の変の後柴田勝家の妻となるが、秀吉に担がれた信孝と敵対し、滅ぼされることになる。明智光秀の娘を娶っていた細川忠興は、本能寺の変後、明智の謀反に手を貸すことはなかった。織田家中の最古参だった佐久間信盛は、婚姻や養子縁組による人脈がなかったため、本願寺攻めの不手際から信長に追放されたとされているが、本当にそれだけなのだろうか。本書では、信長の生い立ちとともに成長過程...織田信長の家臣団ー派閥と人間関係和田裕弘***

  • 暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」 大泉光一 ***

    歴史の時間に習った支倉常長の使節派遣は、宣教師の派遣要請とメキシコとの通商交易開始。本書では伊達政宗が、江戸幕府に対抗して、幕府には極秘にスペインから武器と軍隊派遣をを要請し、オランダのイギリスのプロテスタント対抗軸をカソリック勢力の支援を得て東北に構築しようとしていたというもの。その記録は日本国内ではすべて廃却されているものの、ローマとスペイン、メキシコには記録が残っていた。史料は古典ロマンス語と言われるラテン語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語なので、そうした古文書を読解することに本書筆者は50年を費やしている。政宗はこうした意図の発覚を免れるため、使節団に持たせた親書には具体的なことを記述せず、すべては使者の支倉常長と宣教師ソテロに伝えたとしている。使節団には幕府のメンバーもいたが、日本からメキ...暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」大泉光一***

  • イギリス人の患者 M・オンダーチェ ****

    時は第二次大戦末期、場所はイタリア北部のフィレンツェの北にあるサン・ジロラーモと呼ばれた屋敷跡。登場するのは4人。若いカナダ人の女性看護婦のハナは戦争で傷ついた大勢の若い兵士たちを看護し看取ってきた。父を戦争で亡くしている。その父の友人だったカラバッジョおじさんは元泥棒で、連合軍に情報屋として雇われたこともあるが、ドイツ軍に捕らえられて拷問にあった。かわいい姪っ子であるハナが北イタリアに残っていると聞いてここまでたどり着いた。インド人でシーク教徒のキップは英国軍に所属する工兵で、地雷や不発弾処理を任されてきた。イギリスの文明や宗教に惹かれる部分があるが、戦争の体験、工兵としての苦悩が、有色人、アジア人としてのアイデンティティに目覚めさせる。そしてイギリス人だと自称する大やけどを負った患者。ハナ、キップ、カ...イギリス人の患者M・オンダーチェ****

  • 戦国武将の病が歴史を動かした 若林利光 ****

    戦国時代の大名同士の運命の帰趨を決めた大きな原因は大将の健康、病気だった、という本書。関ヶ原の戦いで寝返ったことで有名な小早川秀秋はその時19歳だったが、すでに肝硬変が原因による精神的な問題が数多くあらわれていた。西軍への裏切りは戦いがその山場を迎えるころまで遅れて実行されたとされるが、寝返りは事前に小早川陣営の家老たちと黒田官兵衛により合意済みだったのに、秀秋はそれをなかなか決断できなかった原因を肝硬変による精神疾患にあったのではないかと著者は推察。秀秋はこの時代の名医、曲直瀬玄朔の診療を関ヶ原の戦い後に受けて、飲酒による黄疸だと記された資料がある。結果的にその遅れた寝返りタイミングが絶妙な作戦となり、大谷吉継の軍勢が一気に押し戻され、西軍敗北の要因となった。19歳で酒の飲みすぎ、それは戦国大名の元服が...戦国武将の病が歴史を動かした若林利光****

  • 地名で読む江戸の町 大石学 ***

    東京の地名では有楽町や八重洲の名前の起源は有名だが、旧江戸市街は結構東西南北に広がっている。灌漑用水の水源地だったのが水元、明治22年に誕生した村名だが、1929年に開発された灌漑用水だったので水元と呼ばれていた。柴又の地名が最初に文書に登場するのが正倉院保管の養老2年(718年)の戸籍で嶋俣里というもの。奈良時代の島俣には42戸の家があり370名の住人がいた。小松菜の名前のもととなった小松川。鷹狩に来ていた将軍吉宗が食した菜が美味しいと「小松菜」と名付けたという。小松川は葛飾区新小岩の小松村から流れていたので小松川と呼ばれていた。巣鴨は近くに石神井川が流れていたためそれに臨んだ地域として洲処面と呼ばれた。下谷は戦国時代に、入谷は江戸時代にみられた地形から名付けられた。下谷という広域地域名の中に入谷、稲荷...地名で読む江戸の町大石学***

  • 図解 東アジアの歴史 三城俊一 ***

    米中関係、日韓関係、北朝鮮拉致問題、北方領土交渉などなど、いずれも歴史問題が絡んでくるので、アジアの歴史を知らずしてニュースの理解もままならないはず。特に近世、近代史をどれほど私達は理解しているだろうか。思い込みもあるかもしれないし、勘違いの可能性もある。好きと嫌いだけではなく、次々に起きる出来事の是非判断が難しいのが近隣関係。最低ラインでも理解しておきたいというのが本書の狙い。歴史上、必ず登場するのは中華秩序と朝貢関係を結ぶ東アジア諸国の存在。中華文明の根本まで遡り、諸子百家、儒家である孔子孟子の思想から、道家の老子、莊子、墨家の墨子、兵家の孫氏、呉氏などを紹介。こうした多士済々たる諸子百家の中でも歴代王朝の国教という特別な地位を占めたのは儒家思想。隋以降取り入れられた科挙試験でも儒教の経典理解は前提知...図解東アジアの歴史三城俊一***

  • 考証 鎌倉殿をめぐる人びと 坂井孝一 ***

    2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見終わって、中世史の鎌倉幕府誕生前後の歴史上有名な場面にも関わらず、知らないことが多いことに気がついた。初代執権時政とその子義時、そして泰時の関係や時房の位置づけ、朝廷側から見た新参者の関東勢力に対する見方と、武力にまさる関東勢力との立場の転換、頼朝とその子達、政子と北条執権家の立場、土地の所有への執着とその安堵の力などなど。自戒するにこれは歴史を時系列に起きた出来事として理解していた認識力の限界だった。本書は、登場人物別にその来歴や業績をまとめており、加えてその時代の制度や文化を解説、一年を通してドラマを見終わった後に、その歴史の転換点をより深く三次元的に理解しておくためには有用な一冊。鎌倉時代の歴史を記述した北条氏による歴史書が「吾妻鏡」で、13世紀末から14...考証鎌倉殿をめぐる人びと坂井孝一***

  • 日清戦争 近代日本初の対外戦争の実像 大谷正 ***

    日清戦争の当時、日本も清も東アジアにおいては強国として存在はしていたものの近代的国家とは言えない状態。両国ともに19世紀中期に西欧列強各国が東アジアに持ち込んだ西欧的外交関係に取り込まれて不平等条約を締結させられていた。同時に中国は伝統的に自国を中心とする中華圏のなかで朝鮮との朝貢関係を維持し、日清戦争の原因となる朝鮮を巡る国際情勢では、この2つの国際関係が絡み合っていた。朝鮮問題を契機として戦争を仕掛けたのは日本サイドで、清サイドは李鴻章が北洋通商大臣として戦争回避に努めた。東アジアに権益を持つ欧米列強のイギリス、ロシアは戦争回避のための調停に乗り出したが日本は無理を重ねて開戦に踏み切る。日本としては出遅れたが今は開国した国民国家として、西欧諸国と同様の植民地を東アジアに築きたいという欲望があり、その手...日清戦争近代日本初の対外戦争の実像大谷正***

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