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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

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  • いつか、朝顔市の頃

    朝顔は朝ごとに新しい花をひらく。日々が新しいということを花に教えられる。朝顔はもともと中国大陸から渡ってきたものらしい。その時の名前は「牽牛(けんご)」あるいは「牽牛花」だったという。当時の中国では朝顔の種は高価な薬で、対価として牛一頭を牽いてお礼をするほどだったという。牽牛(けんご)という言葉の語源は、そんなところからきていたりする。牛から朝顔などというと、とても連想しにくいが、朝顔が好まれた江戸時代の日本では、いつしか朝顔姫とも呼ばれるようになったらしい。七夕の牽牛と織姫の連想から、日本人が好む優しい夢のある名前に変えられていったのだろう。浅草の古い裏通りで、江戸時代と朝顔を連想させるような、そんな風景にいちどだけ出会ったことがある。浅草は古い時代の雰囲気のようなものがまだ残っている街だった。飯田橋の...いつか、朝顔市の頃

  • アサガオの朝がある

    きょうも朝があった、と思う。変な感覚だが、朝というものを改めて知る。そういう朝を、アサガオの花に気付かされる。のんべんだらりではなく、毎朝あたらしい花が咲く。あたらしい朝がある。これは素晴らしいことなのかもしれない。いまは昼も夜も境いめもなく暑い。一日のうちに、はっきりとした区切りがない。朝らしい朝がなく、昼間らしい昼間がなく、夜らしい夜もなく、夢らしい夢も、見ているか見ていないかもわからない。ひたすら暑さに耐え、体も心も伸びきったようになっている。だからアサガオだけが、別の朝を生きているようにみえる。アサガオの花には昼と夜はない。日中すぐに萎れてしまう。それでも朝があるだけいいと思ってしまう。一日の終わり、夏バテ気味の私の視界の中で、萎れた花のかげから立ち上がってくる、アサガオの尖った蕾が新鮮なエンピツ...アサガオの朝がある

  • 赤土の窓

    このところ疲れているのかもしれない。しんどい夢をよく見る。どこか知らない街にいて、家に帰りたいのだが道も駅も分からない。路地のような処をさんざん迷った末に、目の前に突然赤土の壁が現れる。そんな夢を見たことがある。壁の一部分が崩れている。その崩れ方に見覚えがあって懐かしく感じた。目が覚めてからも夢の感覚が残りつづけて、その後しばらく寝付けなかった。だいぶ以前に書いた「赤土の窓からおじいさんの声がする」という、詩のような語句を思い出した。そして、夢に出てきた赤土の壁が、この赤土の窓と関わりがありそうに思えた。赤土の窓なんて変な窓だが、詩の言葉だから何でもありで、読んだひとが勝手にイメージを広げてくれればいいし、それを期待しての表現でもあった。しかし改めて、その光景を散文で表現しようとすると、すこしばかり言葉の...赤土の窓

  • ネズミはどこへ消えたか

    いまでは、いちばん古い記憶かもしれない。幼少期、祖父に力づくで押さえつけられ、灸をすえられたことがあった。だからずっと、祖父のことを恐い人だと思っていた。その後は九州と大阪で離れて暮らすことになったので、長いあいだ祖父には会うことがなかった。高校生になり一人で旅行ができるようになって、10年ぶりに祖父と会ってみると、おしゃべりな祖母の後ろで静かにしている、そんなおとなしい人だった。夏休みの短い期間だったが、無口な祖父と高校生では会話も少なかった。だが気がつくと、祖父は私のそばに居ることが多かった。なにか用がある風でもなく、ただ黙ってそばに居た。そんな祖父だったから、その口から出た少ない言葉はよく覚えている。それは息子のこと、すなわち私の父のことだった。父はよく障子や襖にいたずら書きをする子どもだったという...ネズミはどこへ消えたか

  • 記憶の川を泳いでいる

    大気が湿っぽい今頃の季節になると、ふるさとの川で魚釣りばかりしていた少年のころを思い出す。さまざまな魚たちの、その素早い動きやなめらかで冷たい触覚は、いまでも手の平から滲み出してくる。雨の匂いがすると、私はすぐに近くの川に飛び出していく。魚が呼んでいるというか、魚のにおいに引き寄せられるというか、釣り少年の本能がかきたてられるのだった。そんなときは川上で雨が降っていて、川の水が急に濁りはじめて水かさも増してくる。大岩の脇の淀みを目がけて釣竿を振ると、そこには、水の濁りに異変を感じた魚たちが、避難のためかエサ取りのためか、いっぱい集まっているのだった。ウグイのことを、その地方ではイダといい、まだ若い小型のものはイダゴと呼ばれた。大型のイダはもっぱら夜釣りで、小型のイダゴは昼間の川でもよく釣れた。エノハと呼ば...記憶の川を泳いでいる

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