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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

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  • 6月の風

    いまは6月の風が吹いている。空は灰色の雨雲に覆われ、風はたっぷり湿っている。天気が気になる季節でもある。空を見上げることが多くなり、風や雲の存在が急に近くなる。雲がだんだん厚くなっていくのは、水でいっぱいに膨らんでいるからで、風がせわしなく吹いているのは、雲の膜を破って雨を降らそうとしているからだ、などと思い込んでいた頃もあった。雲の動きを見つめながら雲の形や色を、灰色のクレパスでノートに描き写してみたことがある。写しとってみると、それは雲ではなかった。雲は手に取ることも確かめることもできなかった。正確に写しとったつもりでも、ノートの雲はまるで別物だった。とても雲には見えなかった。風や雲のような茫漠としたものを手にとってみること、ものの本当の姿を捉えようとすることは、とても難しいことだと知った。草も木も潤...6月の風

  • あんたがたどこさ

    私が子どもの頃は、子どもたちはみんな、家の前の道路で遊んでいた。ゴム跳びや瓦けりは、男の子も女の子もいっしょになって遊んだが、球技はもっぱら男の子の遊び、鞠つきは女の子の遊びと決まっていた。ぼくも鞠つきには何回か挑戦したが、どうやっても女の子にはかなわない。女の子が手まり唄を歌いながら鞠をついているときは、側でぼんやり眺めているしかなかった。あんたがたどこさ肥後さ肥後どこさ熊本さ鞠つきが人一倍に上手なエミ子という女の子がいた。手まり唄の最後で、「それを木の葉でちょいとかぶせ」というところで、スカートでひょいと鞠を包み込む。このときに鞠を落としてしまうと駄目なのだが、エミ子の動作はすばやかったし、決して鞠を落とすこともなかった。ただ、エミ子はパンツを穿いていなかったので、鞠にスカートをかぶせるとき、スカート...あんたがたどこさ

  • 木にやどる神

    クリスチャンではないので、教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会のことは強く旅の印象に残っている。その素朴な建物に魅せられたのだった。引き寄せられるように教会の中に入ってしまったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、木の温もりがあり、その温もりの中に神が宿っていそうだった。ただそこに居て、木の椅子に座っているだけで、誰かに抱きしめられているようで心地よかった。「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なり」と規定される西洋の神よりももっと古い、言葉よりももっと古い神が、木には宿っているような気がしたし、私らが慣れ親しんでいる神があるとすれば、そのような木の神に近いものだ...木にやどる神

  • 海の道

    姪の結婚式に招待され、九州に帰ってきた。私の九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。詳しくはわからないが遥かなとき、海を渡った種族の血が海の道へと誘うのかもしれない。祖父は四国から九州へ渡った。父は大阪から九州へと渡った。私は九州から大阪へと渡った。海を渡ることによって、体の中の血も沸きたち動くような気がする。航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな光の道しるべに誘導されるのが心地いい。おだやかな潮の流れに浮かんで、日常とは違う波動で夢のなかを西へ西へと運ばれていく。海の道は忘れていた何処かへ戻ってゆくような、緩やかな夢路でもある。夢から覚めると、朝もやの海に浮かび上がってくる、山のかたちと風のにおいが懐かしい。深く深呼吸をして、す...海の道

  • ガラス玉遊戯

    久しぶりに、孫のいよちゃんに会ったら、前歯が一本なくなっていた。笑ったとき、いたずらっぽくみえる。乳歯が抜けかかっていたのを、えいやっと自分で抜いてしまったらしい。それを見て母親はびっくりしたと話していた。その母親は、初めて乳歯が抜けたとき大声で泣いたものだった。親子でもたいそう違うものだ。わが家に来ると、いよちゃんはどこからか、おはじきを取り出してくる。彼女の母親が、子どもの頃に遊んでいたものだ。私は昔の男の子だから、おはじきは得意ではない。それで、ちょうど組みし易い相手として、私が選ばれることになる。彼女は負けず嫌いだから、ズルばかりする。ルールは無視するし、形勢が悪くなると、いっきにかき集めて自分のものにしてしまう。そんな、おはじき遊びだった。きょうは様子がすこし違っていた。おはじきとおはじきの間に...ガラス玉遊戯

  • 心の旅をしてみる

    最近読んだ旅の冊子に載っていた記事で、「仏とは自分の心そのもの」という言葉が頭の隅に残っている。旅に関する軽い読み物の中にあったから、ことさらに印象に残っているのかもしれない。仏縁とか、成仏とか、仏といえば死との関わりで考えてしまうが、仏が自分の心そのものという考え方は、生きている今の自分自身をみつめることであり、仏や自分というものを死という概念から離れて、もっと明るい思考へと誘ってくれる気がした。宗教としての仏教は、難しい教義や儀式があって、われわれの日常生活からは遊離してしまっている。葬式や法事など、儀式としての形だけで関わっているにすぎない。しかし、ときには本来の仏教がもっているにちがいない、生きるための宗教としての部分にも触れてみたくなった。丹田に力を込め、静かに呼吸を整えながら瞑想をする。深い呼...心の旅をしてみる

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