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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

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  • 記憶の花びらが

    このところの妻の言動や行動に惑わされていると、だいぶ以前に亡くなった母のことがしばしば思い返される。当時、母の近況が書かれた手紙を妹からもらったことがある。新しい介護施設に移って2週間、環境が変わったけれど、母にはなんら変わった様子もみえないという。妹は1日おきに施設を訪ねているが、そのたびに、初めて訪ねてくれたと言って淋しがるらしい。それでいて、ケアマネージャーには、娘が毎日来てくれることが唯一の楽しみだと言ったりするという。まばらになった記憶が、時と場所をこえて繋がったり切れたりするようだった。手紙の中で妹は、「わたしたちは、まばらではあっても記憶が1本の糸で繋がっているのだけれど、ばあちゃんにはもうその糸が無くなって、花びらが舞ってるみたいなのかもしれません。その花びらの1枚がひらひらと目の前に落ち...記憶の花びらが

  • 花は咲き 花は散り

    あっという間に、花から若葉の季節にかわった。季節の足が速すぎるような気がする。私の脚がだいぶ重くなってきたせいもあるかもしれない。桜という言葉を失ってしまった妻は、もっぱらピンクピンクと言いながら花を追った。季節と駆けっこするつもりはないけれど、なんとなく周りのいろいろな動きに、置いてきぼりにされている思いがする。引きこもりがちの春だったから、仕方ないといえば仕方ないか。季節の歩みが遅いと感じていた頃もあった。その頃は若かったのだろう。先走っていたり慌てていたりすることが多かった。速いということがなにより優先と、習慣づけられていたのかもしれない。せっかちといえばせっかちだった。それが生来のものだったのか、それとも躾けられたものだったのかよくは分からないが、背後にいつも父の声がしていたことも確かだ。「はよせ...花は咲き花は散り

  • ラブレター

    ラブレターにまつわる思い出は、どれもほろ苦くて、心に痛みを伴うものばかりだ。最初の関わりは小学生の時だった。クラスのある男子からある女子に架空のラブレターを渡す。そんな悪戯を考える悪ガキがいた。グループの中で、たまたま私が清掃委員だというだけで書き役にされてしまったのだ。好きだとかキスしたいとか、それぞれが好き勝手に言い出す内容を、作文の才もない私が手紙らしくまとめていく。内容は覚えていないが、とても稚拙なものだったと思う。その手紙を、グループのひとりが紛失してしまった。担任は若い男の先生だった。ひとりひとり詰問されて、気の弱い子が白状してしまった。その結果、書いた私が犯人ということにされてしまった。昼休みに教室にひとりだけ残された。いきなり先生のびんたが顔に飛んできた。私はそばの机で体を支えているのがや...ラブレター

  • 夢の感触

    夜中に目が覚めた。みていた夢の残像でもあるかのように、手のひらに柔らかい感触が残っている。その感触に懐かしさがある。小動物の柔らかさだった。子供の頃の、記憶の底深くに沈んでいたものが、突然なんの脈絡もなく、眠りの切れ目に浮かび上がってきたみたいだった。ぼんやりと、記憶のさきに知らない人が現れた。その人は大きな布袋をぶら下げていた。その袋のふくらみをそっと撫でた。温もりのあるものが動いた。とっさに胸に込み上げてくるものが大きくて、声もかけられなかった。それが子犬との別れだった。子犬は6ぴき生まれた。茶色が2ひき、黒が1ぴき、白が1ぴき、そして茶色と白のブチが1ぴき。もう1ぴきは憶えていない。もしかしたら5ひきだけだったかもしれない。茶色と白のブチだけが、他の子犬よりも食い気が勝っていて成長が早かった。いつも...夢の感触

  • 花は忘れない

    今朝はじめて、ハナニラの花が咲いているのを見つけた。ハナニラは触れるとニラに似た強い匂いを放つが、それ自身も季節を嗅ぎつける鋭い嗅覚をもっているのか、冬の間ベランダで忘れられていた植木鉢に、いち早く春を運んでくるのもこの花だ。ささやかではあるけれど、忘れてはいなかったよと。ベランダの植木鉢で、ハナニラが咲き始めたのはいつ頃からだろう。最初はおそらく、小鳥か風が運んできたものではなかろうか。ある年の春、うす青色の小さな花が咲いているのが見つかった。その花はひとつかふたつ、ひっそりと咲いた。雑草にしては可憐だなと思った。そんな春があった。また、ある年には、ベランダの植木鉢のすべてを侵食するほどの勢いになった。ハナニラは雑草のように繁殖力も旺盛だった。その頃は家族も増えて、家の中もにぎやかだった。手狭になると幾...花は忘れない

  • 父の帽子

    父の死後、3年ほどがたっていたと思う。その頃はまだ、玄関の帽子掛けに父の帽子が掛かったままになっていた。何気なくその帽子をとって被ってみた。小さくて頭が入らなかった。父の頭がこんなに小さかったのかと驚いた。離れて暮らしていた間に、父は老いて小さくなっていたのだろうか。私も背丈は高い方だが、父は私よりも更に1センチ高かった。手も足も私よりもひと回り大きくて、がっしりとした体格をしていた。父の靴と私の靴が並んでいると、父の靴のほうが大きくて、私の靴は萎縮しているようにみえたものだ。一緒に釣りに行くと、たいがい父の方が多く釣った。将棋も花札も父には敵わなかった。いつだったか、パチンコをしながら父が言ったものだ。勝とうと思ったら、まじめに真剣にやることだ、と。私の記憶の、おそらくは最も古い部分に、大きくて温かい父...父の帽子

  • だったん、春の足音が聞こえてくる

    季節は海のようだと思うことがある。秋は引き潮のように遠ざかってゆき、春は満ち潮のように寄せてくる。大きな季節の巡りのなかで、遠ざかっていたものが、ふたたび戻ってくる。春はそんな季節だろうか。遠くから潮騒のような音を引き連れてやってくる。春は、海からの音が聞こえてくるような気がする。お水取りが終わると春が来る、と近畿では言われている。奈良東大寺二月堂でのお水取り(修二会)の行事は、3月1日から14日までの2週間行われる。火の粉を散らしながら外陣の廊下を駆け抜ける大松明(おおたいまつ)は、11人の練行衆を本堂へ導くための足元を照らす明かりだという。激しくて華々しい火の粉を、冷たく深い闇にまき散らしていく。冬の大気を焦がしながら、強引に春の扉を押し開いていくようだ。かたや堂内では、千年以上も欠かさずに続けられて...だったん、春の足音が聞こえてくる

  • わたしを忘れないで

    新しい朝は、どこからかやってくる。明け方の、薄れかかった夢の中へ、ラジオの低い声が侵入してくる。ニュースでもない、朗読でもない。アナウンサーの声に乗ってくるのは、誰かが放送局に送った「お便り」だった。その年は、お雛様が飾れなかったという。とおい終戦の年のことらしい。だいじなお雛様が食料の米に代わってしまったのだ。ひと粒の米が、人の命をつないだ時代の話だった。その人はお雛様を手放したことが忘れられない。生きることが辛かった時代を忘れられない。まさに、その年の3月10日には、東京大空襲があり、10万人が命を落としたという。そんな時代のかなしい話だった。お便りの人は、この季節になると、その失われたお雛様のことや、戦禍で亡くなった親しい人たちのことを、しみじみと思い出すという。お雛様が繋いでくれた貴重な命を生き延...わたしを忘れないで

  • 人形のとき

    まだ雪が舞う日もあるような春だった。九州の田舎の、すり鉢のような小さな街を、雛の節句を祝う静かな華やぎの風が漂っていた。さまざまな雛人形が、古い時代の装いや表情をして、家々の玄関や店先に飾られていた。人形のあるところには、いつもとはちがう少しだけ華やいだ風景があった。住む人も減り、人の影もめっきり少なくなったのに、着飾った人形ばかりが勢ぞろいして、かつて賑わった街の記憶を無言で語りかけてくるようだった。そんな季節に、父は逝った。父は翌日出かける予定があったのか、ていねいに髭を剃り顔も洗って寝た。そして、夢のなかで出かける場所を間違えたのか、そのまま戻ってくることがなかった。その夜、家族は眠り続けている故人を取り囲んで、記憶の中の父と語り合った。冬でもないが春でもない、夜が更けるにつれて外の冷気に包まれてく...人形のとき

  • 天然のスイーツ

    山裾の一角の、岩肌が露わになったなんでもない場所が、とつぜん夢の中で浮かび上がってくることがある。ふだんは思い出すこともないが、子供の頃のある時期には、とてもだいじな場所だったようなところ。そんな場所だ。そこはいつも、山の清水が滴り落ちている。寒い冬の朝、雫が凍って氷柱(つらら)になっている。手を伸ばして氷柱を折る。細く尖った先の方から口に入れてガリリっと噛み砕く。氷が溶けて、口の中に草のような土のような匂いと味がひろがる。冷たくて麻痺した舌に、岩肌を伝ってきた岩苔の味もかすかにのこる。それは夢の情景だが、目覚めてみると、子供の頃の記憶の情景と鮮明に繋がっている。北国の冬ではないから、いつも氷柱が出来るとはかぎらない。とくに寒い朝だけ、その一角に珍しく貴重な氷の柱が現れる。氷柱には大小のさまざまな形があっ...天然のスイーツ

  • 瞑想する椅子

    近くの公園に、丸い形をした石の椅子がある。椅子は数個あり、それぞれの座面にいろいろなわらべ唄がプリントされている。そのひとつに座って、私は瞑想もどきをすることがある。今朝の椅子には、次のような唄があった。おさらじゃないよはっぱだよはっぱじゃないよかえるだよかえるじゃないよあひるだよあひるじゃないよかっぱだよ解るようで解らない唄だ。ややこしい椅子に座ってしまった。私の雑念が始まる。椅子は一所不動。それ自体が常に瞑想状態にあるといえる。その椅子に腰掛けて瞑想しようとする私は、言葉が迷走する椅子と対峙し、すぐさま雑念に捉われることになる。瞑想が極まれば木の葉が地面に落ちる音が聞こえるそうだが、私の耳に入ってくるのは「はっぱじゃないよ」という雑音ばかりだ。はっぱでなければ何なんだ。おさらだよ、という声が聞こえる。...瞑想する椅子

  • 泳ぐことや飛ぶことや

    鳥になって空を飛んだり、魚になって水中を泳いだりする、そんな夢をみることは、たぶん誰でも経験することだと思う。かつてアメーバだったころの古い記憶が、ひとの深層にある眠りの回路を伝って、原始の海から泳ぎだしてくるのだろうか。あるいはまた、かつてコウノトリに運ばれた未生の感覚が、意識の底から夢の中へと舞い戻ってくるのだろうか。近くにある公園の池に水鳥が飛来している。毎年、こんな小さな池を忘れずにやってくる渡り鳥たちも、何か抗いがたい自然の力に支配されているのかもしれない。彼らにエサを与えるのを日課にしている人もいるのを心得ていて、鳥たちは人の気配を感じると橋の下に集まってくる。三角の尾をピンと立て、さかんに鳴き騒ぎながら、次第に興奮状態になっていく。人の手が欄干の上に伸びると、鳥たちは水面を十センチほど飛び上...泳ぐことや飛ぶことや

  • 恋する水鳥たち

    近くの池で、水鳥がひときわ変わった泳ぎをしている。2羽で追いかけっこをしている。それも、どちらが追いかけて、どちらが追いかけられているのか判らない。ぐるぐるとコマが回っているような円を描いている。その動きは激しくて、池のその部分だけが沸騰しているようにみえる。水鳥が恋をしているのだと思った。雄と雌2羽は相思相愛の仲。追いかけているのか追われているのか、その動きが証明している。片思いであれば、どちらかが追いかけ、どちらかが逃げる。その動きは直線になるはずだ。だが、この2羽はひたすら円を描きつづける。もう何も見えないといった激しさで渦巻きつづける。恋というものを目に見える形にすると、このような絵になるのかもしれないと思った。また、あるときは20羽くらいが集団で渦巻いている。こちらも激しい動きで熱気がある。さし...恋する水鳥たち

  • 星の世界をゆく

    いままでに見た、いちばん心に残った夜空の星は、標高1800メートルの山頂で見た星空だった。美しいとか素晴らしいというよりも、圧倒されたと言った方がいいかもしれない。星が幾重にも重なって輝いている透明な壁のようだった。手を伸ばせば触れることができそうで、それでいて無限に深く澄み渡っているのだった。星ではない何か、空を覆いつくしているもの、空そのもの。昼でもない夜でもない、もうひとつの、はじめて見る空の形だった。夜に向かって山に登るな、という山登りの鉄則は知っていた。だが、目当てにしていた麓の山小屋が雪崩をうけて潰れていた。もはや引き返すこともできない。そのまま山を越えることにしたのだった。すでに陽も沈み、登るほどに夕闇が追いかけてきた。山頂に着いたときは、すっかり夜の幕が下りていた。冷たい風が吹き抜けていく...星の世界をゆく

  • 星の神さま

    地上の夜があまりにも明るすぎて、夜空の星がどこかへ隠れてしまった。そんななかで偶然、ひとつの星を見つけたようなものだったかもしれない。ごく最近のこと、図書館でのことだった。山尾三省、それは初めて目にした名前ではなくて、私の記憶の本棚の中の、ずっと古いところに埃をかぶったまま置かれてあった、そんな懐かしい本の名前との再会だった。いつかどこかで会ったことがある、かなり昔の知人に出会ったみたいだった。記憶をたどると、実際にいくどかサークルの部室で会ったことがあり、名前と顔だけは知っていた。その頃の彼は小説を書いていた。大学の文学同人誌に載った彼の小説が難解すぎて、彼とは距離を感じて近づくことができなかった。いちどだけ彼からデモに誘われて同行したことがある。そのときは、早稲田から代々木だったか四谷だったかまで歩い...星の神さま

  • いま森の神はどこに

    近くの森は、いまは冬の森だ。落葉樹はすっかり裸になって、細い枝々が葉脈のように冬空にとり残されている。深い海のような空があらわになって、そのぶん森は明るくなったけれど、森にひそむ神秘な影が薄くなった。この森はとても小さな森なのだが、冬はいちだんと侘しくなったみたいだ。サワグルミやトチノキ、ヒマラヤスギなどの大木も幾本かはあるが、シカもリスもいない。ヘビくらいはいるかもしれないが、いまは地中に隠れて冬眠中なので、この森の中で動くものは小鳥しかいない。熊楠の森には、「奇態の生物」というものがいるという。熊楠とは南方熊楠(1867〜1941)のことだが、和歌山の熊野の森にこもって粘菌の研究をした学者である。熊楠は柳田國男への手紙の中で、「粘菌は動植物いずれともつかぬ奇態の生物」だと書いている。この「奇態の生物」...いま森の神はどこに

  • 北の国の神たち

    その言葉が耳から入ってきたら、どんな風に聞こえるだろうか。もしかしたらそれは、神の声に聞こえるかもしれない。シロカニペランランピシカンコンカニペランランピシカンこの美しい響きのある言葉は、アイヌ語とされる。もちろん、もとの言葉は口伝えによるもので、これは『アイヌ神謡集』に収められた13編の神謡(カムイユカラまたはオイナ)の冒頭の部分である。それまで口承によって伝えられたものを、ローマ字で表記し初めて日本語に訳したのは、知里幸恵(1903〜1922年)という女性。彼女はアイヌの血を引き、アイヌの環境で育った19歳の若い女性だった。その言葉は、次のような美しい日本語に訳された。銀の滴(しずく)降る降るまわりに金の滴(しずく)降る降るまわりにさらに不思議な言葉は続いている、という歌を私は歌いながら流れに沿って下...北の国の神たち

  • 反骨の神さまが居た

    正月は、ふだんは疎遠な神さまが身近に感じられたりする。お神酒やお鏡や初詣などと、神事にかかわることが多いせいだろう。最近では、初詣も近くの神社で済ませてしまうが、かつては山越えをして奈良まで出かけたものだった。大阪平野と奈良盆地を分けるように、南北に山塊が連なっているが、その中のひとつに葛城山という山があり、この山の奈良県側の麓に、地元では「いちごんさん」と呼んで親しまれている神社がある。かつてよく通った一言主神社である。境内には樹齢1200年の大銀杏がある。この神社の神さまは、司馬遼太郎の『街道をゆく』にも登場する。その中で、この神は葛城山の土着神であり、ひょっとすると、葛城国家の王であったものが神に化(な)ったものかもしれない、と記述されている。また『古事記』や『日本書紀』にも記録があるらしい。雄略天...反骨の神さまが居た

  • 陽は沈み、陽はまた昇る

    いつだったかの年末に、明石の魚の棚商店街という所に立ち寄ったことがある。地元では「うおんたな」と呼ばれていて、アーケードがたくさんの大漁旗で賑わっていた。近くの漁港から水揚げされたタコやシャコ、タチウオをはじめ、魚介類が生きたまま売られていた。本州と淡路島がいちばん接近している明石海峡は、潮の流れが速く魚の身がよくしまっていて美味しいという。とくに明石のタコは、関西ではブランドものになっている。せっかく明石にまで来たのだから、タコ焼き、いや明石焼きのタコぐらいは味わって帰りたかった。明石では、明石焼きとかタマゴ焼きとか言われて、大阪のタコ焼きとはすこしちがう。私も本場の明石焼きは初めて食べる。明石焼き専門の店が70店ほどもあるそうで、いたるところタコの看板があがっている。焼き方や食べ方も店によって多少ちが...陽は沈み、陽はまた昇る

  • 木にやどる神

    クリスチャンではないので、教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会のことは、強く旅の印象に残っている。その素朴な建物に魅せられたのだった。引き寄せられるように教会の中に入ったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、親しみのある木の温もりの中に、優しく癒されるものが宿っているようだった。正面の十字架の周辺には四角い窓があり、眩い外光が、頭上のⅩ字型に組まれた木の柱や椅子に、やわらかい影をつくり、山小屋や農家の納屋にいるような、厳粛さなどとはちがった、もっと和やかで穏やかな空気を漂わせている。やはり木は優しいのだ。木は建物の一部になっても生きつづける。その木肌に折々に触れた人々の汗や...木にやどる神

  • 神の造られた宇宙(石の教会)

    神はどこにいるのか。神から離れ、神に見捨てられたときから、私たちは神を探し始めるのかもしれない。何かを捨てたとき、その存在に気付くように。かつて、神は風の中にいたようだ。風は鳥が運んできたという。鳥は神の使いだと信じられていた。風は目に見えるものではなかった。ひとは神をただ感じた。神は山にも川にも、木にも草にも、存在した。森羅万象、あらゆるものの中で、古代のひとは神の恩恵を享受することができたようだ。「天然の中に神の意思がある」と説いた思想家・内村鑑三は、「神の霊がときに教会の形をして現われても不思議ではない」とも言った。その理念を受けて造られたのが、軽井沢・星野の地に建てられた「石の教会」だった。建築家ケンドリック・ケロッグが自然と対話しながら創りあげた、きわめて独創的な教会である。その天井は蒼穹であり...神の造られた宇宙(石の教会)

  • 白い道

    スマホなどない頃だった。パン屋でパンを買う。そのとき口にだす短い言葉が、その日に喋った唯一の言葉だという日もあった。地方から東京に出てひとりで暮らすには、ときには孤独な生活に耐えなければならなかった。ひとと繋がることが、現代よりもずっと厳しい環境だったといえる。学生の頃、友人のひとりが心を病んだことがある。下宿を訪ねたがドアを開けてくれない。激しくノックして呼びかけても、室内で妙なことばかり口走っていて、まともに応答してくれない。仕方ないので無理やり開けようとしたら、入れ替わるように、すばやく彼は部屋から飛びだしていった。いつもと違う態度と異常な表情に危ういものを感じた。急いで追いかけたが、路地の多い街中では見つけることが容易ではない。近くの交番に助けを求めたが、そのようなことで警察は動けないといって拒絶...白い道

  • 栗のイガは痛いのだ

    その頃は道路(国道)が子供の遊び場でもあった。子供がいっぱい居た。わが家は5人、裏に住んでいた母の姉の一家も5人、隣りの母の弟の一家が3人、向かいの家では子供の名前もごっちゃになるほど沢山いた。どの家にも飼い犬がいて、当時は放し飼いだったから、タローもジローもチョンもチビも、子供も犬も区別なく混じって遊んでいた。瓦けりや縄跳び、地雷や水雷、ビー玉やケンケンパー、竹のバットとずいきのボールで野球など、誰かが始めるとすぐに、男女の区別もなく集まった。珍しくある日、女のいとこと二人きりになったことがある。いつものような何気ない会話が途切れてしまい、話の続け方がわからなくなったことがある。普段は大勢で居ることばかりだったので、慣れ親しんだ日常から、未知の場所に迷い込んだような戸惑い。とっさに言葉が見つからず、そこ...栗のイガは痛いのだ

  • 杉の葉ひろいをした頃

    晩秋の風は、さまざまな記憶の匂いがする。それは乾いた枯葉の匂いかもしれないけれど、郷里の黴くさい古家から吹き帰ってくる風のようでもある。赤く色づいた庭の柿や山の木の実や、夕焼けに染まった空の雲や、記憶の向こうに置き去りにされた諸々を、季節の風が遠くから運んできてくれる。田舎で育ったから、田舎の記憶がいっぱいある。風が強く吹いた翌朝、杉林の道を歩いていくと、杉の葉が幾重にも重なって落ちている。いまでも、杉の枯葉をただ踏んで歩くのを躊躇してしまう。大きな炭俵にいっぱいに詰め込んで家に持って帰れば、それだけで母親を喜ばすことができたのだった。ガスやプロパンのある生活ではなかった。かまどで薪を燃やして煮炊きをしていた頃、杉の枯葉は火付きがよくて、焚き付けとして重宝された。燃える時のぱちぱちと爆ぜる音、鼻につんとく...杉の葉ひろいをした頃

  • 虫たちとの小さなサヨナラ

    コオロギを飼ったりする、私はすこし変わった子供だったかもしれない。畑の隅に積まれた枯草の山を崩すと、コオロギはなん匹でも跳び出してくる。それを手で捕まえた。尾が2本なのはオス、1本なのはメスだとした。いい声で鳴くのはオスの方だが、かまわずにごっちゃに飼った。大きめの虫かごを自分で作り、枯草を敷き、キュウリなどの餌を与えた。家の壁や雨戸などを突き抜けて聞こえてくる、コオロギの透きとおった鳴き声が好きだった。初めのうちは暗くならないと鳴かなかったが、慣れてくると昼間でも鳴いた。小さな体の翅をいっぱいに立てて鳴くのを飽かずにじっと観察した。鳴き声にも微妙な違いがあり、虫にも言葉があるような気がしたが、それを聞き分けることはできなかった。子供の私には、そんなにたっぷりと暇な時間があったのだろうか。食欲旺盛な蚕も飼...虫たちとの小さなサヨナラ

  • カビの宇宙

    秋の陽は釣瓶おとし、陽が落ちるのが早くなった。夜空の月も輝きを増して澄みきっている。夏から秋へと、昼間せめぎあっていた二つの季節が、夜にはすっかり秋の領分になっている。久しぶりに、風が冷たいと感じて窓を閉めた。夏のあいだ開放していた窓を締めきると、どこからともなくカビ臭い匂いがしてきた。いかにも部屋に閉じこめられている感じがする。この感覚は懐かしい。カビの匂いは嫌いではない。カビ臭い部屋にいると、特別な空気に包まれているような安堵感がある。こんな私の習癖を他人に話したら、きっと笑われてしまうだろう。古い民家や寺院などを訪ねると、どこからともなくカビの匂いがしてくることがある。すると、体がすぐにその場の空気に溶け込んで、以前からそこに居たような落ちついた気分になってしまうのだ。生まれた川の匂いを覚えていると...カビの宇宙

  • 彷徨いの果ては

    近くの自然公園で、中年の男が野宿をしていたことがある。男は大きな犬を連れていた。犬には首輪もリードもついていた。かなり長い期間だったと記憶する。夜はどこで寝ていたか、雨の日はどうしていたかなどはわからない。ただ昼間はいつも公園の草むらで犬とぼんやり過ごしていた。男はこの公園にすっかり居ついた風だった。その間に犬はひとまわり大きくなり、毛並みも色艶もよくなったようにみえた。犬にはこの生活が合っているのかもしれなかった。それに比べて男の方は、色が浅黒くなって服装も薄汚れ、体も痩せて小さくなったみたいだった。朝夕、男は犬をつれて公園内を散歩する。犬が嬉々として男を引っ張っている様子は、この公園に住みつく前にあったであろう、ごく平穏な日常生活がそのまま続いているようにみえた。男には家族も家もあり、そんな家をたった...彷徨いの果ては

  • 秋色の向こうに

    母の命日で、天王寺のお寺にお参りに行ってきた。お墓は九州にあるのだが、なかなか帰れないので、分骨して大阪のお寺に納めた。それで秋は母の、春は父の法要をしてもらうことになっている。九州の秋がすっかり遠くなった。最後に母に会ったのはいつだっただろうか。記憶力がすっかり衰えていると聞いていたが、久しぶりに会ったのに特に驚いたふうもなく、私のことはまだ覚えていた。母の口から自然に私の名前がでてきて安心した。それは、なにげない日常の続きのようだった。過去のいくどかの再会の時や、いつだったかの母の病室を訪ねた時と同じだった。変わらずに保たれているものがあることに、そのときは安堵した。何しに来たんやと母が言うので、会いに来たのだと応えた。久しぶりに会ったということを、母はぼんやり意識しているようなので、大阪から別府まで...秋色の向こうに

  • 秋の夕やけ鎌をとげ

    きょうは夕焼けがきれいだった。よく乾燥した秋の、薄い紙のような雲に誰かが火を点けたように、空がしずかに燃えていた。急に空が広くなって、遠くの声まで聞こえそうだった。おうい鎌をとげよ〜と叫ぶ、祖父の声が聞こえてきそうだった。夕焼けの翌日はかならず晴れるので、農家では稲刈りの準備をするのだった。祖父は百姓だった。重たい木の引き戸を開けて薄暗い土間に入ると、そのまま台所も風呂場も土間つづきになっていた。風呂場の手前で野良着を着替えて農具をしまう。その一角には足踏みの石臼が埋まっていて、夕方になると祖母が玄米を搗いていた。土壁に片手をあてて体を支えながら、片足で太い杵棒を踏みつづける。土壁の上の方には、鎌や鍬がなん本も並んで架かっていた。祖父に聞いた話だが、祖父のおじいさんは脇差しで薪を割っていたという。どんな生...秋の夕やけ鎌をとげ

  • 吾亦紅(われもこう)

    学生の頃、東京ではじめて下宿した家の、私の部屋には鍵がなかった。だから、ときどき2歳になるゲンちゃんという男の子が、いきなりドアを開けて飛び込んできたりする。そのたびに、気配を察した奥さんが慌ててゲンちゃんを連れ戻しにくるのだが、そのときに、いつも何気ない言葉を残していくのだった。「玄関のお花、ワレモコウっていうのよ」。これもそのひと言だった。関東には長十郎という大きな梨があることを、はじめて知った秋だった。私の部屋は玄関わきにあったので、ドアを開けると下駄箱の上の花が正面に見えた。その花は、花とも実とも言えそうな曖昧な花だった。花にあまり関心がなかった私が気のない相槌を打つと、「吾もまた紅(くれない)って書くのよ。すてきな名前でしょ」と奥さん。私は頭の中で言葉の意味を追ってみた。花の名前にしてはあまりに...吾亦紅(われもこう)

  • 恐や赤しや彼岸花

    近所の農家の、納屋の裏の空き地に彼岸花が群生して咲いている。今年はいつまでも暑いので、花の季節も遅くまでずれ込んでいるのかもしれない。いちめんに血のような、鮮やかな色が地面を染めている。ごんしゃん、ごんしゃん何故(なし)泣くろ彼岸花を見ると白秋の詩が浮かんでくる。いや、『曼珠沙華(ひがんばな)』という歌が聞こえてくる。というか、とっくに死んだ友人の歌声が聞こえてくる。記憶の日々は足早に遠ざかっていくが、彼の歌声はいまも近くにある。小学生の頃から、彼は高音のよく通る声をしていて、教壇に立って皆の前で歌わされたりしていた。社会人になってからも声楽のレッスンを受けたりして、歌うことの夢は持ち続けていたようだ。会うたびに、彼の歌い方は少しずつ変わっていった。ベルカント唱法という歌い方なのだと言った。彼が歌う『荒城...恐や赤しや彼岸花

  • 夏が始まり夏が終わる家

    その小さな駅に降り立った時から、私の夏は始まり、再びその駅を発つとき、私の夏は終わるのだった。汽車が大和川の鉄橋を渡ると、荷物を網棚から下ろして、私は降車デッキに移る。レールを刻む音が、新しい夏が近づいてくる足音に聞こえて、私の胸の動悸が早くなっていく。奈良県との県境にちかく、大阪の東のはずれに関西線の小さな駅はあった。乗降客はわずかしかいない。駅前には小さな雑貨屋が一軒だけあったが、あとは民家もほとんどなく、ひたすら急な坂をのぼる一本道があるのみだった。登りきったところに集落があった。そこは父が生まれて育ったところであり、叔父や叔母や年寄りが暮らしているところだった。庭一面をブドウ棚が覆っており、庭の隅っこに井戸と柿の木があった。その家はまた、夏休みになると従兄弟たちが集まるところでもあった。ノボルやミ...夏が始まり夏が終わる家

  • 夏の手紙

    きょうも近畿地方は34℃をこえる予報が出ていて、まだまだ炎暑の夏は終わりそうにない。かつては、暑い夏は騒がしいセミの声とともにあった。騒がしいセミの声が途絶え、ツクツクボーシが鳴き始めると、夏という季節が終わる淋しささえも感じたものだった。その頃、セミのことを手紙に書いたことがある。セミのことばかりを書いた。その人を好きだということを、正直に書けない事情があったので、その想いの量だけ、とにかくセミのことをいっぱい書いた。はじめにマツゼミのことを書いた。梅雨の晴れ間に松の木などで鳴いている。一般的にはハルゼミと呼ばれ、いちばん最初に現れるセミだ。姿は見たことがない。鳴き声だけはよく耳にした。次に現れるのはニイニイゼミだった。ジージーと鳴いている。体は小さくて翅に縞模様があった。地味な存在だった。さらにセミへ...夏の手紙

  • 桂馬の高とび歩の餌じき

    私が子どもの頃、近所には子どもがいっぱい居た。親戚の家でも、そうではない家でも、いずれの家にも子どもが沢山いた。みんな似通った年齢だったので、ごっちゃになって遊んでいた。ときには大人や老人や犬までも、ごっちゃになって遊んでいた。母の実家は隣にあった。母が子どもの頃、家は餅屋をしていたので、その名残りだったのだろうか、家の前に大きな縁台があった。餅を買って食べたりする通りがかりの客が、その縁台で一服する、そのためのものだったのだろう。夏の夕方など、その縁台で将棋をする。始めのうちは子ども達だけで、王より飛車を可愛がったりするヘボ将棋をしているのだが、だんだん大人まで集まってきて、ああだこうだと指図を始める。岡目八目という言葉もあるが、周りや高みから見ている方が、駒の位置が見やすく、形勢判断がしやすいもので、...桂馬の高とび歩の餌じき

  • 瀬戸の夕なぎ

    夏の夕方、大阪では風がぴたりと止まって蒸し暑くなる。昼間の熱気も淀んで息苦しく感じる時間帯がある。瀬戸の夕凪やね、と私が言うと、周りのみんなは笑う。大阪人は瀬戸という言葉にあまり馴染んでいない。多くの人は海に無関心で暮らしている。海岸線がほとんど埋め立てられて、海が遠くなったこともあるかもしれない。瀬戸の夕凪という言葉を、私は別府で療養していた学生の頃に知った。療養所は山手の中腹にあって、眼下には別府の市街と別府湾が広がっていた。夜の9時には病室の電気は消される。眠るには早すぎるので、夜の海を出航してゆくフェリーや漁船の灯をぼんやり追いかける。航跡の遥か前方には、四国の佐多岬の灯台の灯が点滅しているのが見える。闇の中に無数の灯を浮かべる海は、昼間よりも豊かであり、そこから瀬戸の海がひろがっているのだった。...瀬戸の夕なぎ

  • トンボの空があった

    夏は、空から始まる。もはや太陽の光を遮るものもない。真っ青な空だけがある。地上では草の上を、風のはざまを、キラキラと光るものが飛び交う。トンボの飛翔だ。翅が無数の薄いガラス片のように輝いている。少年のこころが奮いたった夏。トンボの空に舞い上がろうとし、トンボを撃ち落とすことに歓喜した。そんなことに、何故あんなに熱中できたのかわからない。回想の夏空がひろがる。細い竹の鞭が空(くう)を切る。その一閃に全神経をそそぐ。中空でかすかな手ごたえがある。つぎつぎにトンボが川面に落下する。トンボは四枚の翅を開いたまま瀬にのって流れていく。残酷な夏の儀式だった。虫の命を奪いながら、少年は背中を太陽に焼かれ、腕や脚を傷だらけにして、いくつもの夏を乗り越えた。置き去りにしてきた幾つもの夏。もはや少年の日には戻れない。けれども...トンボの空があった

  • 雲の日記

    小学生の頃の夏休みに、雲の日記というものを始めたことがある。絵日記を書く課題があったのだが、その頃は絵も文章も苦手だったので、雲を写生するのがいちばん簡単だと考えたのだった。青と白と灰色のクレヨンがあればよかった。日本ばれの日は雲がなく青一面。何も描かなくていい、やったあ、だった。それでも一週間も続かなかった。やはり簡単で単純なものは面白くないのだった。午後は、日が暮れるまで川で泳いだ。湧き水が混じっているので冷たかった。体が冷えきってくると岸に上がり、熱した砂に腹ばいになって温まる。雷雨が来ても、そのまま背中に雨のシャワーを浴びている。一瞬の雨をやり過ごすと再び強い日差しに背中を焼かれ、熱くなると再び川に飛び込む。夏休みは毎日そんな生活の繰り返しだった。砂地に寝転がってぼんやり空を眺めていると、頭の中が...雲の日記

  • そこには誰もいなかった

    騒がしさの中に、静けさがある。見えそうな声と、見えそうでない声がある。出かける人たちや帰ってくる人たちで、夏のひと日が慌ただしく過ぎていく。生きている人たちが遠くへ行き、死んでしまった人たちが近くに帰ってくる。生きている人と死んでしまった人が、見えないどこかで交錯する透明な夏がある。近くにいた人たちが半分になった。いつかどこかを、行ったり来たりしているうちに、人生の半分を失ってしまったみたいな夏。失った日々を振り返る。かつては父が生まれ育った家でお盆を迎えた。ご詠歌と鉦のしずかな響きが仏を迎える。知っていたり知らなかったりの、縁者がごっちゃに集まるお盆の夜だった。祖父の声は父の声にそっくりで、父の声と伯父の声も見分けがつかなかった。よく似た声と声が唱和して、時を越えて寡黙な仏へと繋がっていくのだった。いま...そこには誰もいなかった

  • 釘をぬく夏

    学生の頃の夏休み、九州までの帰省の旅費を稼ぐために、解体木材のクギ抜きのアルバイトをしたことがある。炎天下で一日中、バールやペンチを使ってひたすらクギを抜いていく作業だ。いま考えると、よくもあんなしんどい仕事がやれたと思う。毎日、早稲田から荒川行きの都電に乗って、下町の小さな土建屋に通った。場所も忘れてしまったが、近くを運河が流れていた。朝行くと、廃材置き場にクギだらけの木材が山積みされている。作業をするのは、私ひとりきりだ。土建屋といっても、夫婦でやっているような零細なところで、夫は早朝から現場に出ているので会ったこともない。若い奥さんもほとんど顔を出さないので、まったくの孤独な作業だった。毎朝積み上げられた廃材を前に、ただ黙々とクギを抜くことに没頭するしかなかった。始めのうちは、とても続けられる作業で...釘をぬく夏

  • 遠くの花火、近くの花火

    幼稚園のお泊り保育の勢いで、その翌日は、孫のいよちゃんがわが家にお泊りすることになった。すっかり自信ありげな顔つきになっている。夕方、いよちゃんのお気に入りの近所の駄菓子屋へ連れていったが、あいにく店は閉まっていた。バス通りのコンビニまで歩けるかと聞くと大丈夫と答えたので、手をつないで坂道をのぼってコンビニまで行く。以前は買物かごの中に、次々とお菓子を入れていくので戸惑ったものだが、いつの間にか遠慮深くなって、かごの中には好物のグミを1袋入れただけ。なんでも欲しいものを選んだらいいよと言うと、ラムネ菓子を1個加えただけで、もういいと言う。さらに促すと、ヤキソバ風と表示されたスナック菓子を手に取った。場所を変えて、いよちゃんの好きなアイスクリームのボックスへ誘導した。小さな手が箱入りのチョコアイスを選んだの...遠くの花火、近くの花火

  • いつか、朝顔市の頃

    朝顔は朝ごとに新しい花をひらく。日々が新しいということを花に教えられる。朝顔はもともと中国大陸から渡ってきたものらしい。その時の名前は「牽牛(けんご)」あるいは「牽牛花」だったという。当時の中国では朝顔の種は高価な薬で、対価として牛一頭を牽いてお礼をするほどだったという。牽牛(けんご)という言葉の語源は、そんなところからきていたりする。牛から朝顔などというと、とても連想しにくいが、朝顔が好まれた江戸時代の日本では、いつしか朝顔姫とも呼ばれるようになったらしい。七夕の牽牛と織姫の連想から、日本人が好む優しい夢のある名前に変えられていったのだろう。浅草の古い裏通りで、江戸時代と朝顔を連想させるような、そんな風景にいちどだけ出会ったことがある。浅草は古い時代の雰囲気のようなものがまだ残っている街だった。飯田橋の...いつか、朝顔市の頃

  • アサガオの朝がある

    きょうも朝があった、と思う。変な感覚だが、朝というものを改めて知る。そういう朝を、アサガオの花に気付かされる。のんべんだらりではなく、毎朝あたらしい花が咲く。あたらしい朝がある。これは素晴らしいことなのかもしれない。いまは昼も夜も境いめもなく暑い。一日のうちに、はっきりとした区切りがない。朝らしい朝がなく、昼間らしい昼間がなく、夜らしい夜もなく、夢らしい夢も、見ているか見ていないかもわからない。ひたすら暑さに耐え、体も心も伸びきったようになっている。だからアサガオだけが、別の朝を生きているようにみえる。アサガオの花には昼と夜はない。日中すぐに萎れてしまう。それでも朝があるだけいいと思ってしまう。一日の終わり、夏バテ気味の私の視界の中で、萎れた花のかげから立ち上がってくる、アサガオの尖った蕾が新鮮なエンピツ...アサガオの朝がある

  • 赤土の窓

    このところ疲れているのかもしれない。しんどい夢をよく見る。どこか知らない街にいて、家に帰りたいのだが道も駅も分からない。路地のような処をさんざん迷った末に、目の前に突然赤土の壁が現れる。そんな夢を見たことがある。壁の一部分が崩れている。その崩れ方に見覚えがあって懐かしく感じた。目が覚めてからも夢の感覚が残りつづけて、その後しばらく寝付けなかった。だいぶ以前に書いた「赤土の窓からおじいさんの声がする」という、詩のような語句を思い出した。そして、夢に出てきた赤土の壁が、この赤土の窓と関わりがありそうに思えた。赤土の窓なんて変な窓だが、詩の言葉だから何でもありで、読んだひとが勝手にイメージを広げてくれればいいし、それを期待しての表現でもあった。しかし改めて、その光景を散文で表現しようとすると、すこしばかり言葉の...赤土の窓

  • ネズミはどこへ消えたか

    いまでは、いちばん古い記憶かもしれない。幼少期、祖父に力づくで押さえつけられ、灸をすえられたことがあった。だからずっと、祖父のことを恐い人だと思っていた。その後は九州と大阪で離れて暮らすことになったので、長いあいだ祖父には会うことがなかった。高校生になり一人で旅行ができるようになって、10年ぶりに祖父と会ってみると、おしゃべりな祖母の後ろで静かにしている、そんなおとなしい人だった。夏休みの短い期間だったが、無口な祖父と高校生では会話も少なかった。だが気がつくと、祖父は私のそばに居ることが多かった。なにか用がある風でもなく、ただ黙ってそばに居た。そんな祖父だったから、その口から出た少ない言葉はよく覚えている。それは息子のこと、すなわち私の父のことだった。父はよく障子や襖にいたずら書きをする子どもだったという...ネズミはどこへ消えたか

  • 記憶の川を泳いでいる

    大気が湿っぽい今頃の季節になると、ふるさとの川で魚釣りばかりしていた少年のころを思い出す。さまざまな魚たちの、その素早い動きやなめらかで冷たい触覚は、いまでも手の平から滲み出してくる。雨の匂いがすると、私はすぐに近くの川に飛び出していく。魚が呼んでいるというか、魚のにおいに引き寄せられるというか、釣り少年の本能がかきたてられるのだった。そんなときは川上で雨が降っていて、川の水が急に濁りはじめて水かさも増してくる。大岩の脇の淀みを目がけて釣竿を振ると、そこには、水の濁りに異変を感じた魚たちが、避難のためかエサ取りのためか、いっぱい集まっているのだった。ウグイのことを、その地方ではイダといい、まだ若い小型のものはイダゴと呼ばれた。大型のイダはもっぱら夜釣りで、小型のイダゴは昼間の川でもよく釣れた。エノハと呼ば...記憶の川を泳いでいる

  • 6月の風

    いまは6月の風が吹いている。空は灰色の雨雲に覆われ、風はたっぷり湿っている。天気が気になる季節でもある。空を見上げることが多くなり、風や雲の存在が急に近くなる。雲がだんだん厚くなっていくのは、水でいっぱいに膨らんでいるからで、風がせわしなく吹いているのは、雲の膜を破って雨を降らそうとしているからだ、などと思い込んでいた頃もあった。雲の動きを見つめながら雲の形や色を、灰色のクレパスでノートに描き写してみたことがある。写しとってみると、それは雲ではなかった。雲は手に取ることも確かめることもできなかった。正確に写しとったつもりでも、ノートの雲はまるで別物だった。とても雲には見えなかった。風や雲のような茫漠としたものを手にとってみること、ものの本当の姿を捉えようとすることは、とても難しいことだと知った。草も木も潤...6月の風

  • あんたがたどこさ

    私が子どもの頃は、子どもたちはみんな、家の前の道路で遊んでいた。ゴム跳びや瓦けりは、男の子も女の子もいっしょになって遊んだが、球技はもっぱら男の子の遊び、鞠つきは女の子の遊びと決まっていた。ぼくも鞠つきには何回か挑戦したが、どうやっても女の子にはかなわない。女の子が手まり唄を歌いながら鞠をついているときは、側でぼんやり眺めているしかなかった。あんたがたどこさ肥後さ肥後どこさ熊本さ鞠つきが人一倍に上手なエミ子という女の子がいた。手まり唄の最後で、「それを木の葉でちょいとかぶせ」というところで、スカートでひょいと鞠を包み込む。このときに鞠を落としてしまうと駄目なのだが、エミ子の動作はすばやかったし、決して鞠を落とすこともなかった。ただ、エミ子はパンツを穿いていなかったので、鞠にスカートをかぶせるとき、スカート...あんたがたどこさ

  • 木にやどる神

    クリスチャンではないので、教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会のことは強く旅の印象に残っている。その素朴な建物に魅せられたのだった。引き寄せられるように教会の中に入ってしまったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、木の温もりがあり、その温もりの中に神が宿っていそうだった。ただそこに居て、木の椅子に座っているだけで、誰かに抱きしめられているようで心地よかった。「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なり」と規定される西洋の神よりももっと古い、言葉よりももっと古い神が、木には宿っているような気がしたし、私らが慣れ親しんでいる神があるとすれば、そのような木の神に近いものだ...木にやどる神

  • 海の道

    姪の結婚式に招待され、九州に帰ってきた。私の九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。詳しくはわからないが遥かなとき、海を渡った種族の血が海の道へと誘うのかもしれない。祖父は四国から九州へ渡った。父は大阪から九州へと渡った。私は九州から大阪へと渡った。海を渡ることによって、体の中の血も沸きたち動くような気がする。航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな光の道しるべに誘導されるのが心地いい。おだやかな潮の流れに浮かんで、日常とは違う波動で夢のなかを西へ西へと運ばれていく。海の道は忘れていた何処かへ戻ってゆくような、緩やかな夢路でもある。夢から覚めると、朝もやの海に浮かび上がってくる、山のかたちと風のにおいが懐かしい。深く深呼吸をして、す...海の道

  • ガラス玉遊戯

    久しぶりに、孫のいよちゃんに会ったら、前歯が一本なくなっていた。笑ったとき、いたずらっぽくみえる。乳歯が抜けかかっていたのを、えいやっと自分で抜いてしまったらしい。それを見て母親はびっくりしたと話していた。その母親は、初めて乳歯が抜けたとき大声で泣いたものだった。親子でもたいそう違うものだ。わが家に来ると、いよちゃんはどこからか、おはじきを取り出してくる。彼女の母親が、子どもの頃に遊んでいたものだ。私は昔の男の子だから、おはじきは得意ではない。それで、ちょうど組みし易い相手として、私が選ばれることになる。彼女は負けず嫌いだから、ズルばかりする。ルールは無視するし、形勢が悪くなると、いっきにかき集めて自分のものにしてしまう。そんな、おはじき遊びだった。きょうは様子がすこし違っていた。おはじきとおはじきの間に...ガラス玉遊戯

  • 心の旅をしてみる

    最近読んだ旅の冊子に載っていた記事で、「仏とは自分の心そのもの」という言葉が頭の隅に残っている。旅に関する軽い読み物の中にあったから、ことさらに印象に残っているのかもしれない。仏縁とか、成仏とか、仏といえば死との関わりで考えてしまうが、仏が自分の心そのものという考え方は、生きている今の自分自身をみつめることであり、仏や自分というものを死という概念から離れて、もっと明るい思考へと誘ってくれる気がした。宗教としての仏教は、難しい教義や儀式があって、われわれの日常生活からは遊離してしまっている。葬式や法事など、儀式としての形だけで関わっているにすぎない。しかし、ときには本来の仏教がもっているにちがいない、生きるための宗教としての部分にも触れてみたくなった。丹田に力を込め、静かに呼吸を整えながら瞑想をする。深い呼...心の旅をしてみる

  • 花の名前は

    キハナ(季華)という名の女の子の孫がいる。いつのまにか、女の子とも言えないほど成長してしまったけれど。その命名には、私も関わりがある。四季折々に咲いている花のようにあってほしい、という思いを込めた名前だった。彼女が花のように育っているかどうかは、まだわからない。いつのまにか高校生になったと思ったら、もうすぐ卒業しようとしている。何かをたずねると、「わからへん(わからない)」という答えがかえってくる。それが口癖になっているのかもしれない。本当にわからないのかわかっているのか、よくわからない。「わからへん」と言いながら、何事もすいすいとこなしてしまう。脳天気ともいえるが、善意に解釈すれば、いつも自分でわかっていることよりも、さらに先の未知の部分をみつめているのかもしれない、ともいえる。未知のことは、誰でもわか...花の名前は

  • ひとよ 昼はとほく澄みわたるので

    このところ、芳しい若葉の風に誘われるように、ふっと立原道造の詩の断片が蘇ってくることがあった。背景には浅間山の優しい山の形も浮かんでいる。白い噴煙を浅く帽子のように被った、そんな山を見に行きたくなった。ささやかな地異はそのかたみに灰を降らした……私も灰の降る土地で育った。幾夜も、阿蘇の地鳴りを耳の底に聞きながら眠った。朝、外に出てみると、道路も屋根も草や木々の葉っぱも、夢のあとのように色を失って、あらゆるものが灰色に沈んでいた。だから、静かに灰の降る土地に親しみがあった。林の上には沈黙する活火山がある、そんな風景のなかで詩を書いた詩人に、特別な親近感があった。立原道造は昭和14年3月に、25歳の若さで死んだ。たくさんの美しい詩を残した。道造が生涯を終えた同じ年頃に、私は新しい生活を始めようとしていた。それ...ひとよ昼はとほく澄みわたるので

  • ナオキの相対性理論

    ナオキという、小学4年生の孫がいる。学校での出来事を、よく母親に話すという。その話をまた母親から聞く。なかなか面白い。先日、相対性理論のことを口にしたら、クラスの誰も知らなかったと言う。え?相対性理論?私は耳を疑った。そんなことを知っている小学生がいるのだろうか。もしかして、きみは天才か秀才か。なんでそんな言葉を知っているのかと驚いた。光速や重力?私にとってはまるでチンプンカンプンな話だからだ。話の続きを聞いていると、どうやら彼は相対性理論という言葉を知っているだけのようだった。それも漫画の本で知ったという。相対性理論という言葉の格好よさが気に入って、しっかり言葉だけを自分のものにしてしまったようだ。なにかしら珍しいものが道に落ちていた。それを拾ってポケットに入れた。それの使い道までは考えなかった。そんな...ナオキの相対性理論

  • アカシアの花が咲く頃

    アカシアの雨にうたれて~♪満開のニセアカシアの花の下に立つと、そんな古い歌が聞こえてきそうだ。高い樹の上で白い花をたわわにつけていて、かなり強くて甘い香りをふりまいてくる。歌にうたわれているアカシアも、このニセアカシアらしい。いつ頃から何故、ニセなどという名称が付けられてしまったのか。花にもニセモノやホンモノがあるのだろうか。手持ちの樹木ポケット図鑑をみたら、ハリエンジュという別名も出ていた。小さなポケット図鑑だから、詳しい説明はない。エンジュというのが日本名だとしたら、炎樹とでも表記するのだろうか。空に燃え上がるように咲いている姿は、まさに炎の樹という名前がふさわしい。その派手でおおらかな咲きようは、日本古来の樹というよりは外来樹ではないかとも思われる。須賀敦子の本を読んでいたら、イタリアの風景の中にも...アカシアの花が咲く頃

  • さわらび(早蕨)の道

    宇治は茶の香り。爽やかな五月の風が吹きわたってくると、自然と良い香りのする風の方へ足が向いてしまう。「おつめは?」「宇治の上林でございます」そんな雅な風も耳をくすぐるが、まずは茶よりも腹を満たすことを考える。駅前のコンビニでおにぎりを買い、宇治川の岸辺にすわって食べた。宇治川は水量も多く、流れも速い。「恐ろしい水音を響かせて流れて行く」と、『源氏物語』宇治十帖の中でも書かれている。麗しい浮舟の姫君は、ふたりの男性からの求愛に悩んだすえ、この激流に身を投じようと決意する。からをだにうき世の中にとどめずばいづくをはかと君も恨みんと、彼女は歌を残して消える。せわしなく時を運ぶような川の流れは、この世とあの世との境界にもみえる。その川に架かる橋は、夢の浮橋か。宇治十帖に登場する姫たちは、夢のように儚い。大君・中君...さわらび(早蕨)の道

  • 書を捨てよ、野へ出よう

    ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。これは、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の書き出しの文章だ。この本が出版されたのは1967年のことで、その頃から日本人はひたすら速さに憧れ、速さを追い求めたようだったが、その後は反動としてのシフトダウン。スローライフの勧めや、ゆとり教育などが提唱される。週休2日や祝日の増加などで、すこしはゆとりある生活リズムを取り戻したかもしれないが、いまも行楽地の混雑や高速道路の渋滞は変わらない。おりしも連休中だが、喧騒の街へ出かけるのはやめて、静かな野へ出てみることにした。近くの公園で、3家族でバーベキューをする。おとなが6人で子どもが4人、少子化、高齢化の時代、いかにも現代を象徴するような野外パーティーの1日となった。かつては、どこへ行っても子どもの方が多...書を捨てよ、野へ出よう

  • 線路は続くよ何処までも

    17歳の私が回想の風景の中にいる。毎日あてもなく近くの山を歩き回っていた。風景は春がすみに覆われて、焦点の合わない夢のようにぼんやりとしていた。遠近感が曖昧な視界の果てから、山々が層をなしてなだらかに下りてくる。その中を、とぎれとぎれに白い噴煙が縫っているのがみえた。いくつもトンネルを抜けて進んでいく汽車は、まるで生き物のようだった。ローカルな鉄道では、汽車はまだ石炭で走っていたのだ。そして数日後、窮屈な4人がけの木製の座席にすわって、一昼夜をかけて東京を目指していた。昔も今も、線路は何処までも続いていたのだ。そして歳月は、光のように超特急で走り抜ける。いつのまにか郷里の駅は無人駅になっていた。誰もいない待合室から、木で囲われた懐かしい改札口を抜けて、廃駅のようにがらんとしたホームに出ると、ベンチに座って...線路は続くよ何処までも

  • ときには時を動かしてみる

    時が過ぎてゆく。時間に追われていた頃もあった。時間を追いかけていた頃もあった。いまは、つれなく時間に追い抜かれている。近づく時の足音すら聞こえないことも多い。締切がなくても、約束がなくても、それでも時は動いている。いたるところに時を表示する時計はあるけれど、ときには時をじっと待ち、じっくり見つめ直したくなったりする。古い腕時計を持っている。私は旅行をする時ぐらいしか腕時計をしなかったし、最近はスマホが時計代わりになるので、普段は机の引き出しにしまったままになっている。学生の時に父からもらったものだが、電池やネジで動くものではないので、いまでも動かせば動く。使わない時は止まったままだが、動かしたい時に手首にはめて腕を振る。それだけで動き始める。そんな旧式の時計だ。スイス製だぞと言って、父は自慢げだった。まだ...ときには時を動かしてみる

  • 飛鳥の風になって

    近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生のケンタくんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。風が気持ちええなあ、とケンタくん。うん、飛鳥は千年の風が吹いてるからね、特別なんや。古代の不思議な石像なんかに出会いながらの、気ままなサイクリングになりそうだ。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうらしい。iPhoneをポケットに入れたケンタくんが低い声で歌っている。私のお墓の前で泣かないでください♪次なる亀石は、あまりにも何気ない民家の陰にあったので、通り過ぎてから気付いて戻った。亀はあざ笑うかのような笑みを浮かべて突っ伏していた。そやけど蛙にも見えるなあ、とケンタくん。そう言われれば大きながま蛙にも見える。雨風にも耐えてきた石と対話するのは難しい。飛鳥はすべ...飛鳥の風になって

  • 花の下にて春死なむ

    また桜の季節がやってきた。父は桜が咲く前に死んだ。父の妹である伯母は、桜が満開のときに死んだ。伯母は90歳だった。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうだが)を気管に入れてしまった。まさに桜は満開、花の下にて逝ったのだった。伯母の娘が嫁いでいる寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われた。葬式にしか集まらない親類だ。これも仏縁と言うそうだが、いつのまにか親の世代はいなくなり、集まったのはいとこばかりだった。3年ぶりや5年ぶりに会ってみると、それぞれに歳だけはとって老けたが、話しぶりや話の内容は相変わらずで、がっかりしたり安心したりの、付かず離れず不即不離の縁である。伯母は、晩年のほとんどを老人施設で過ごした。その間はずっと病気がちで、娘は忙しい寺の雑務の合間に呼び...花の下にて春死なむ

  • 父の遺言状

    父の命日で、天王寺のお寺にお参りした。父の死後、父の遺品を整理をしていた母が、ある封書を見つけ出して小さな騒ぎがおきたことがあった。それは一見さりげなくみえる一通の遺言状だった。その遺言状は、父が書き残したものではなく、父が長年親しくしていたある女性が書いて父に渡していたものだった。その間の詳しい事情は誰にも分からないのだが、父としても誰かれに見せられるものではなかったようで、とりあえず引き出しの奥にでも仕舞っておく以外になかったものとみえる。その頃、相手の女は体調をくずして市内の病院に入院していたらしく、父がしばしば見舞いに行ったりしていたことも後にわかった。だが、そんな父が先に死んでしまい、女が書いた遺言状だけが残された。その遺言状を見ていちばん驚いたのは妹だった。遺言状の宛名が父ではなくて妹の名前に...父の遺言状

  • 春の匂いがしてくる

    春はかすみに包まれる。かすみを吸ったり吐いたり、見えるものや見えないものが、夢の続きのように現れたり消えたりする。風はゆっくり温められて、うっすらと彩りもあり、やわらかいベールとなって、あまい匂いで包み込まれそうだ。記憶の淀みからじわじわと滲み出してくる、曖昧に覚えのある匂いがある。いままた何処かで、花のようなものが咲いているのか。子どもの頃の私はそれが、まだ春浅い川から立ちのぼってくる水の匂い、だと思っていた。水辺が恋しくなる頃、大きな岩の上から巻き癖のついた釣り糸をたれ、岩から顔だけ突き出して水面のウキを睨みつづける。はっきり川底が見えるまで水は澄みきっていて、魚の姿は見えるが動く気配もなく、誘っても餌には寄ってこない。まだ水の季節はひっそりとしているが、水の冷気とかすかに甘い匂いが顔を濡らしてくる。...春の匂いがしてくる

  • 白い花が咲いてた

    白い花が咲いてたふるさとの遠い夢の日……そんな古い歌を思い出した。遠い夢の日に、どんな白い花が咲いていたのだろうか。近くの小学校で卒業式が行われていて、遠い夢の日の、小学生だった頃に引き戻された。梶原先生、おげんきですか。小学校の卒業式の日に、担任の梶原先生が『白い花の咲く頃』という歌を歌ってくれた。いかつい大きな顔をした男の先生だったけれど、歌の声は低くて優しかった。ふだん怒ると顔が真っ赤になったけれど、歌っている顔も真っ赤だった。声が少しかすれていた。クラスのみんな、うつむいて泣いた。最後の日、先生は黒板に「心に太陽を持て」とチョークで大きく書いた。クラスのみんなに贈る、それが最後の言葉だと言った。国語の教科書に載っていた、詩人のだれかの詩のことばだった。白い花の歌と太陽の詩と、この季節になると、最後...白い花が咲いてた

  • まだ虫だった頃

    寒さにふるえているあいだに、時だけが木枯らしのように走り去っていった。短い2月の、アンバランスな感覚に戸惑っていたら、いつのまにか3月も終わろうとしている。3月だからどうということもないのだが、急き立てられる思いが、やはり日常の感覚と歩調が合っていない。3月のカレンダーで、啓蟄という言葉が目にとまった。日付のところに小さく「啓蟄」(けいちつ)とあった。地中の虫が這い出してくる日だという。暖かくなったということか。地中にいても、虫は季節の変化をちゃんと知っているんだと感心する。季節のことも曖昧で、啓蟄という言葉も知らなかった頃、九州の別府で、結核療養所に閉じ込められていたことがある。22歳から23歳の頃だった。あのころはまだ地上の明るさも見えない、地中の虫だったかもしれない。療養所での生活は、閉じ込められて...まだ虫だった頃

  • 水が濡れる

    春の水は、濡れているそうだ。水に濡れる、ということは普通のことだ。しかし、水が濡れているというのは、新しい驚きの感覚で、次のような俳句を、目にしたときのことだった。春の水とは濡れてゐるみづのことこれでも俳句なのかと驚いたので、つよく記憶に残っている。たしか作者は、俳人の長谷川櫂だったとおもう。水の生々しさをとらえている、と俳人の坪内稔典氏が解説していた。「みづ」と仮名書きして、水の濡れた存在感を強調した技も見事だ、と。散歩の途中、そんなことを思い出して改めて池の水を見た。日毎に数は減っているが、あいかわらず水鳥が水面をかき回している。池の水がやわらかくなっているように見えた。池面の小さな波立ちも、光を含んで艶っぽい。真冬の頃のように、冷たく張りつめた硬さはない。水が濡れる、という言葉がよみがえってきて、こ...水が濡れる

  • だったん(春の足音がする二月堂)

    ちょうど阪神大震災が起きた年だった。東大寺二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった。いつのまにか大松明の炎の行が始まったのだ。舞台上でまじかに、この壮烈で荘厳な儀式を体感することになったのだった。はるか大仏開眼の時から欠かさずに行われてきたという、冬から春へと季節がうごく3月初旬の、14日間おこなわれる修二会(お水取り)の行である。眼下の境内のあちこちに点灯された照明が、集中するように二月堂に向かっていて眩しい。その頃には、明かりの海と化した奈良盆地から、透明な水のように夜の冷気があがってくる。欄干から下をのぞいてみると、境内はいつのまにか人で埋め尽くされていた。7時ちょうどに大鐘が撞かれると、境内の照明がすべて消された。芝居の拍子木のように鐘が...だったん(春の足音がする二月堂)

  • 風邪と闘う

    風邪を引いたくらいでは、私は医者にはかからないことにしている。けれども、そうするには、それなりの覚悟と体力、忍耐力なども必要になってくる。容赦なく攻めてくる敵に対して、孤軍奮闘するようなものだから、勝つためには、まずは敵を知らなければならない。昼間は咳や鼻みずの責苦があることはもちろんだが、私が苦戦するのは夜の方だ。敵は私が眠った隙をついて襲ってくる。無防備な夢の中で、敵の猛攻を受けることを覚悟しなければならない。まず第一夜は水攻めである。私の脳みそが、桶のようなものに入れられて水漬けになっている。ただ、それだけのことだが、受け取り方によっては、湯船にでも浸かっているような、浮遊感覚をともなった快い眠りに思われるかもしれない。ところが、これが苦痛なのだ。快眠を得るためには、体が適度に弛緩した状態で、夢の内...風邪と闘う

  • 蜜の季節があった

    梅が咲いた。枯木のようだった枝のどこに、そんな愛らしい色を貯えていたのか。まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。懐かしい香りがする。香りは花の言葉かもしれない。春まだきの梅は控えめでおとなしい。顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を呼び寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に見えないものは言葉にするのが難しい。たぶん言葉になる前のままで、漂っているのだろう。メジロが花の蜜を吸っている。小さな体が縦になったり横になったり、逆立ちしたりして、花から花へととりついている。花の間に見え隠れする緑色の羽が、点滅する至福の色にみえる。周りは山ばかり、木ばかり草ばかり、そんなところで育った...蜜の季節があった

  • 雛の手紙

    最近は季節を後から追いかけていることが多い。今年もすこし遅れて雛人形を出した。人形だけはいつまでも変わらない表情のままで、年にいちど、お雛様に再会するということは、まだ幼いままの娘に会っているようで、その頃の生活なども思い出されて、年ごとに懐かしさが増していくようだ。雛人形のケースの中には、古びた1通の手紙が入っている。初めての雛祭りに、娘に宛てて便箋11枚に書き綴ったもので、雛人形をとり出すということは、この手紙を読み返すということでもある。便箋の色もすっかり変色するほどに古くなった。万年筆で綴ったクセのある文字と文章を久しぶりに目にして、なぜか気恥ずかしい気分に浸りながら、かつての自分や娘との、雛の再会がはじまる。きょうは3月3日おまえはあと5日でちょうど8か月になる。お母さんがスポック博士の育児書を...雛の手紙

  • わが輩も猫である

    ・・・わが輩も猫である。きょうも目が合ったあいつは、わが輩のことを野良としか呼ばない。名前なぞ無いと思っておるのだろう。だが名前はあるのだ。どこかの知らないおばちゃんが名付け親だから、気に入ってはいないが一応の名前はある。どうせありふれた名前だから、名前のことはどうだっていい。漱石大先生の猫だって名前はなかったのだ。それよりも、わが輩の庭でぼうっとしているあいつだって、わが輩からみれば名無しの権兵衛にすぎない。あんな奴は馬鹿に決まっておる。毎朝同じことばかりしている。きっと、それしか出来ないのだろう。ただ歩いてるだけ、ただ座ってるだけ、それでなにが楽しいんだかわからない。そんな暇があったら、ヨモギ草でも摘んでいったらどうか、それが生き甲斐というもんだろう。あいつは、ただぼうっとしているのではないと言うだろ...わが輩も猫である

  • 男はつらいよ!

    息子は荒川と江戸川に挟まれた辺りに住んでいる。ゼロメートル地帯といわれている所らしい。東京が水没する時には、真っ先に逃げ出さなければならないだろう。その息子のアパートに泊まったことがある。正月だった。車で柴又に連れていってもらった。江戸川に沿って北上すると矢切の渡しがある。寅さんが寝ころがっていた土手は、そのときは冬枯れてて青草はなかった。帝釈天も参道も初詣の人で賑わっていた。息子は寅さんシリーズの四十八作を全部みたという。そんなことを初めて聞いた。彼も寅さんの生き方に憧れていたのだろうか。息子については知らないことが多い。まだ大阪にいた頃は、ひとりで鑑真丸という船に乗って中国へ渡ったこともある。一か月も向こうでどんな放浪をしてきたのか、関西空港に戻ってきたときは、着ている服はすっかり汚れて異臭を放ってい...男はつらいよ!

  • 霜柱を踏み砕いたのは誰だ

    冷え込んだ朝、公園の草むら一面に霜が降りている。草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。子どもの頃は、よく霜柱を踏み砕きながら登校した。夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思ったこともある。誰かが作ったものを、小さな足裏で踏み砕いていく快感があった。誰がどうやって作ったのか、解らないので壊すことで無にしてしまう。そのようにして、不思議に挑戦していたのかもしれない。父の剃刀の刃を折ってしまったのも、剃刀というものが不思議な刃物だったからだ。父が愛用していた剃刀は、折りたためるようになっ...霜柱を踏み砕いたのは誰だ

  • ひとさし指の先に在るもの

    ほら、あそこにと言って、ひとさし指で何かをさし示すとき、自分の指先が、ふと父の指先に見えることがある。そのときの自分の手に、父の手を見ているような錯覚をする。歳を重ねて親の手に似てきたということだろうか。この感覚は、咳払いをするときなどにも感じることがある。もちろん父の咳払いは、私のものよりも勢いがあり、父の手は私の手よりも大きかった。背丈も父のほうが高く、成人した私よりも1センチ高かった。体形は痩身であったが、私のように華奢ではなく、骨太で背筋もまっすぐ伸びていた。足も私の足よりも大きく、父の靴を見るたびに、私は劣等感を味わった。父の靴はいつも、私の靴を威圧していたのだ。子供の頃は、父の大きな声が怖かった。私を呼ぶ父の声が、今でもときおり聞こえてきて、私は思わず緊張してしまうことがある。もう父の声はこの...ひとさし指の先に在るもの

  • 鍋の底が抜けたら

    ずっと気になっているわらべ唄があった。なべなべがちゃがちゃそこがぬけたらかえりましょ夕暮れになって辺りが次第に暗くなってくる頃、ケンケンパ、瓦けり、かごめかごめ、花いちもんめ、楽しい遊びが中断されて、子どもたちはそれぞれの家に帰ってゆく。そんな遠い日の懐かしい光景が浮かんでくる。それにしても、なぜ鍋はとつぜん底が抜けてしまうのか。昔は破損した鍋釜を修理する鋳掛屋(いかけや)という商売もあったようだが。東京荻窪で自炊をしていた学生の頃、私の手元に鍋といえるものはフライパンがひとつだけだった。目玉焼きも野菜炒めも、そしてたまには、すき焼きまでこなせる重宝な鍋だった。すき焼きといっても高価な牛肉が買えるわけではなく、いつも豚肉のこま切れなのだが、いちど作ると1週間はすき焼きのアレンジで食いつなぐことができた。残...鍋の底が抜けたら

  • 正月は雑煮を食べて争う

    すりこぎを持ってすり鉢に向かう。これが正月三が日の私の日課だった。元日の朝は胡桃(くるみ)、二日は山芋、三日は黒ごまを、ひたすらごりごりとすり潰す。胡桃と黒ごまはペースト状になって油が出てくるまですり潰し、山芋はだし汁を加えながら適度な滑らかさになるまですり続ける。胡桃と黒ごまのペーストには砂糖を加えて甘くする。これに雑煮の餅をつけながら食べるのだが、これは岩手県三陸地方の一部に伝わる風習のようで、カミさんは子どもの頃からずっと、この雑煮を食べてきたという。私は最初、こんな甘い雑煮を食べることにびっくりしたが、これをカルチャーショックというのだろうか、もともと、この種の驚きを好んでしまう性癖から、面白いね、珍しいねなどと言いながら食しているうち、この甘い雑煮がしっかりわが家に定着してしまい、これが正月三が...正月は雑煮を食べて争う

  • レンコンの空は青かった

    お節と雑煮にも飽きて、ごまめとお茶漬けくらいがちょうどよい頃、冷蔵庫を覗いていたら、野菜室の底にレンコンが見つかった。暮れから水に浸けられたままで出番がなかったのだ。まるで忘れられたように、薄よごれた表情でレンコンはそこにあった。レンコンは、穴がたくさんあいていて見通しが良いとか。そんなことから縁起のよい食材とされているが……レンコンばかり食べて過ごしたお正月があった。東京でひとりだった。年の暮れの31日ぎりぎりまでアルバイトをしていた。暮れの31日に出社する社員などいない。それでアルバイトの私に残った仕事が任された。地図をたよりに、一日中電車で東京のあちこちを駆け回った。任されていた仕事を終えて、お正月休みの食料を買い込まなければと、閉店間際のデパートに立ち寄ったが、食品売場のショーケースはすつかり空っ...レンコンの空は青かった

  • 神様を探していた

    新しい年が始まる。カレンダーが新しくなる。新しい朝、新しい風、新しい太陽。すべてのものに「新しい」をつけて気分を新たにする。元日の朝は、厳かな気分で柏手を打つ。神棚はないが長いあいだの習慣で、三方にお鏡を飾りお神酒を供える。神様の依り代として形だけは整えて、静かに神様に向き合おうとする。そういえば、神様とも疎遠になって久しい。奈良の法隆寺の近くの、鬱蒼とした森の中に静かな神社があった。子ども達がまだ幼かった頃、正月三が日の一日、その神社にお参りするのがわが家の恒例になっていた。それぞれの年の、それぞれの記憶がそこから始まっている。ある年は、妻のお腹が大きく膨らんでいた。手水鉢の水を柄杓で受けている格好が、力士のように威張ってみえた。それから十日後に男の子が生まれた。その翌年、妻はびっこを引きながら神社の石...神様を探していた

  • <2024 風のファミリー>残されて在るものは

    いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。かといって、世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっている、あるいは自分勝手に閉じこもっている、と言った方がいいかもしれない。そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。小さな家の中で無益な諍いを避けるため、お互いに干渉しあわなくてもすむように、それぞれが身に付けてきた知恵で、自然にこういう形に収まったということだろうか。いまのところ、この狭い空間の住み心地は悪くない。以前は、カミさんが洗濯物を干すためにベランダに出るとき、私の部屋をまるで廊下のように通り過ぎるのが気になっていた。洗濯や料理や掃除など家事で忙しく動き回っている身には、私のやって...<2024風のファミリー>残されて在るものは

  • ふたたびわれはうたえども

    砂浜に打ち上げられて目覚めればしょぼくれたジジィいつの間にか足は砂にめり込む重さ頭は風に揺られるゴム風船の軽さふわふわくらくら夢路の続きをふらつきながらまずは愛する朝顔の夏から秋への花柄は朝ごと小さくなりつつも今朝はざっと68輪と数で勝負ときたかその健気な精いっぱいを数えてみる楽しみそれだけが楽しみなのかと花の期待はやや寂しくも花には花のいつもの朝がありいつもの花は変わらねどうるわし朝顔姫の面影いまは遠き幻となり一炊の夢はフェードアウトジジィはもはやジジィなり波打ち際に佇んで試行錯誤五里霧中玉手箱を開けたるはあわれ相方も同じ昼の朝顔しおれた姿ババァもすでにババァなり霧の彼方の水平線浜のことも忘れる始末おまけに言葉は異邦人茄子も胡瓜も名札を無くし朝の支度と言いながら台所に立つ意思もなくそこは大根ジジィの代役...ふたたびわれはうたえども

  • 戎さんの福笹が運んできたもの

    大阪の正月10日は十日戎で各神社はにぎわう主神は七福神の恵比寿神で神社の境内では福娘が福笹にさまざま飾り付けをする商売繁盛や笹もって来い威勢のいい囃子言葉は商人が多かった土地柄か何より金もうけは大事この日いちばん賑わうのは今宮戎神社のえべっさん戎さんは大きな耳をしてはるがなんでか耳が遠いらしい願いごとは何であれ大声で怒鳴らな通じへんと金儲けしたい猛者どもが大声で怒鳴りながら拝殿の裏にある銅鑼をガンガンと叩くいくら耳が遠い戎さんでもたまらず耳を塞いでしまわないかいつの正月だったか娘が福笹を戴いてきたことがある娘はもちろん商売繁盛などではなく良縁祈願でもしてきたのだろうその福笹の笹に虫の卵がついていた福笹はリビングに飾ってあったのだが部屋を暖房していたせいでまだ戸外は真冬なのに早々と卵が孵ってしまったはじめの...戎さんの福笹が運んできたもの

  • 夢みる夢は夢のまた夢

    夢をみたいつものようでいつものようではない道があり人家がある道はどこへ通じているのか歩き続けているがバス停も駅もないそのうちにハンドルを握って危うい運転をしていたりする夢はきれぎれ勝手気ままに変転する意味づけられたり納得できるようなものもないそれでもしんどさや迷いはあるだから体調だとか心的な要因はあるのかもしれない見たくはないが夢はよく見るだが目覚めてしまえば夢は夢ただ通り過ぎただけのもの始まりも終わりもない夢の跡で始まるのはいつもの朝でありきょうも朝があることを知る変な感覚だが朝というものを改めて確かめてしまうそういう朝を一輪の花に気づかされるのんべんだらりではなく朝顔の朝はあたらしい花をひらく毎朝あたらしい朝があるこれが花の実感である梅雨は明けたかどうかすでに夏の始まりかだらだらと蒸し暑い日が続く朝ら...夢みる夢は夢のまた夢

  • 坂の上には空がある

    山があり谷があった山は削られ街になった新しい処には古い山のかたちも残ったので新しい街は坂が多い僕は坂の途中に住んでいる坂の上には駅とスーパーがある住民の多くはそこが一日の始まりであり終わるところでもある坂の下には古い地名と集落がある古い神社と田んぼがあり畦道は古代の風景に続いている古い村の呼称は茅淳県陶邑という難しい漢字を読み解くとちぬのあがたすえむら陶邑のすえむらとは陶器を焼いた村のことらしいかつて須恵器を焼いた窯跡があちこちに有り近くには陶器山という山があり陶器川という川もある陶器の石段を上って縄文のドングリをひろい弥生人の風を深呼吸する新しい一日は古い一日から始まることもある過ぎた日のいつか父と近くの山で赤土を掘った金木犀の庭をつぶし父は土をこねて小さなかまどを作った強くて恐ろしい父は泥まみれの弥生...坂の上には空がある

  • から芋の蔓も茎も食べたが

    その年の春の桜が開花する前に父は死んだその前夜きれいに髭を剃って寝て何処かへ出かけるか彼女に会うためかほかに予定があったのかあるいは習慣だったのかだが残念それきり父の朝は来なかったひとつ布団で寝ていた母も朝寝はいつものこととて朝遅くまで気づかずそれで母は警察の尋問を受ける始末小心な母は悲嘆倍増長くて短い1日をやっと夜はいつもの夜ではなく布団に寝かされた遺体を家族がとり囲んで過ごす久しぶりの家族になって悲しみよりも和やかさ水害で建て替えたプレハブの家は寒いのですこしでも暖をとろうと佛の布団に手足を入れたがその夜具はいっそう冷たく生前の父の所業などが笑い話になって熱くなる父はよく夜釣りに出かけた川には河童がいて尻の穴から血を吸いにくる母はそう言ってぼやいた6年前に父は店を閉じたがそもそも父が商売を始めたきっか...から芋の蔓も茎も食べたが

  • そのとき光の旅が始まった

    星と星をつなぐように小さな光をつないでいくそのとき光の旅がはじまる目を病んていたのだろう朝はまだ闇の中を歩いていた手さぐりで襖をあけるとそこは祖母の家だったうすぼんやりと記憶の光が射している毛糸の玉がだんだん大きくなる古いセーターが生まれかわって新しい冬を越す穴の空いた手袋小さな手はさみしいさみしいときは誰かの手をもとめるさみしいという言葉よりも早く手はさみしさに届いているそして温もりをたしかめるふたたび手を振ってさよならをすると手にさみしさだけが残るさみしさの手でガラスと紙の引戸をあける敷居の溝が好きだった2本の木の線路をビー玉をころがしながら行ったり来たりして光の旅をする冷たい木の線路に小さな耳を押しあてると遠くの声が聞こえる木を走りくる言葉は風の言葉に似ていて近づいたり遠ざかったり耳の風景がさまよっ...そのとき光の旅が始まった

  • ふたたび春の匂いがしてくる

    春はかすみに包まれるかすみを吸ったり吐いたり見えるものや見えないものや夢の続きのように現れたり消えたりする風はゆっくり温められてうっすらと彩りもありやわらかいベールとなってあまい匂いに包もうとする通りすがりのきまぐれに記憶の淀みからじわじわと滲み出してくる曖昧に覚えのある匂いいままた何処かで花のようなものが咲いているのか子どもの頃のぼくはそれがまだ春浅い川から立ちのぼってくる水の匂いだと思っていたすこし暖かくなって水辺が恋しくなる頃大きな岩の上から巻き癖のついた釣り糸をたれ岩から顔だけ突き出して水面のウキを睨みつづけるはっきり川底が見えるまで水は澄みきっていて魚の姿もみえるがずりと動く気配もなく餌には寄ってこないまだ水の季節はひっそりとしてひんやりとした水の冷気とかすかに甘い匂いが水面から顔を濡らしてくる...ふたたび春の匂いがしてくる

  • 生きるために骨まで愛する

    近くのマンションの集会所の前にときどき無人販売の簡易な店が出るそれは店というほどではなくただ季節の野菜を並べただけのどれも大概は百円均一で気に入った野菜があれば手にとって傍らに何気なく置かれた小さな貯金箱のようなものに百円玉を入れていくそれだけのことであるがマンションの住民の誰かが近くに農園を持っていてそこで収穫したものを適当な時期に提供するそんな感じだから出店は有ったり無かったり大根と白菜だけだったり小芋とじゃが芋だけだったり売れ残りの人参だけの時もわれにとってはウオーキング途中にあるささやかで貧弱な道の駅みたいなもんで黄色い幟が立っていれば必ず立ち寄ってみるのだが本日は好物のなたね菜と珍しい大葉たか菜を選んで百円硬貨2枚を貯金箱にイン無料のレジ袋に収めたら買い物帰りの最終コースクールダウンの後はさて今...生きるために骨まで愛する

  • 夢の中の道をあるいている

    なぜか分からないが夢の中だけにあるいつもの道があるしばしば夢の中ではその道を歩いている市場があり商店があり人も歩いているなぜかパン屋が数軒あり好みのパンがないかさがしたりするが見つからない古い家があり細い路地がありよく出てくる駅がある見覚えのある道だがその先をたどってもわが家に帰る道がわからない探しても迷うばかりでそのうちにどんどん寂しい山奥に入っていく切り立った崖があり川が流れている渡ろうとすると水かさが増して必死で泳ぐときもあるし魚を追いかけるときもある遊んでいるときもあるしその場所から脱出しようともがいている時もあるあまり脈略はないしょせん夢だから飛ぶことも泳ぐことも自在なはずだがただ歩き続ける道がありおなじみの夢の風景があり夢の中なのに思いのままに飛ぶことも泳ぐことも夢まかせ夢のままで目覚めたあと...夢の中の道をあるいている

  • 淡きのぞみ儚きこころ

    いつものウォーキングの途上突然浮かんできた古いうたの歌詞いまは黙して行かんその続きが出てこない小林旭だったか淡く歌っていたのは夢はむなしく消えて今日も闇をさすらうちがったかな淡きのぞみ儚きこころ切れぎれに誰かの歌声が聞こえてくる仰げばずっと青空きょうも太平洋側は晴れ北の国は厳しく寒いらしい窓は夜露に濡れていや結露に濡れていた冬の夜明けはなかなか明けきらずだらだらとつながる夢を振り払うようにようやく抜け出すがすこし体は重くなって明るさの方へ新しい方へと踏みだそうとすると引きずっているもの夢のつづきが電車も学校も座る席が見つからない帰り道も探せないそんな夢のおぼろな道を辿りながらいつもの道をウォーキング万歩計は持たない歩くところはほぼ決まっているいつもの道だから距離も時間も計るには及ばない刻み続けるのはただ妄...淡きのぞみ儚きこころ

  • 新年は思いだす雑煮のあらそい

    新しい年も西高東低当地は連日快晴なれどおみくじは小吉神託は見禄隔前溪目の前に宝あれど谷ありて取れずなんともはやなにが宝か分からないが宝といえば宝くじか当たらないのはいつものことなり年々歳々遥かになって視界が霞むのは歳のせいにフライパンのゴマメも丹波の黒豆もうまくいかないとぼやくひと傍らに居たりいつもの料理がなぜ手慣れた味が何故その手が覚えているはずの小慣れた糸があるはずだそれが縺れてしまったか新しい年の新しい朝に古いレシピを繰ってみる正月三が日の朝はすりこぎとすり鉢で始まるたしか元日の朝は胡桃二日は山芋三日は黒ゴマをごりごりごりとすり潰す胡桃と黒ゴマは液状にして油が出てくるまで痛めつけ山芋はだし汁を加え加えて滑らかになるまで初日の出まで姿をかえた胡桃と黒ゴマ砂糖と塩で甘くして雑煮の餅をつけて食べるこんな風...新年は思いだす雑煮のあらそい

  • 新しい年も新しいページを

    新しい年も新しいページを書き続けていきます新しい年も新しいページを

  • 心に観ずるに明星口に入り

    ほとんど水平に近い角度でやっとその星をとらえたことがあったまもなく見えなくなるというなんとか彗星という星だったあれはたしか何処かでオリンピックがあった年深夜の競技のことはあまり関心がなかったけれどホップステップジャンプ海峡をまたぐ二つの大きな橋を渡った幾星霜の昼も夜も降りつもる星の歳月あれから星霜という言葉も知ったいつしか僕の宇宙も白い霜に覆われてしまったかさいごの星が尾を引きながら海に落ちていった光のかすかな軌跡をいまも探してしまうことがある星の言葉はいつも降るようで降らなくて星の王子さまは星の国を探しつづける七つの星に住むという星の言葉しか語れないすてきに臆病なひとを星の王女さまと呼んでみるがふたりは未だ会ったこともない幾億光年を経たその時にボクはほとんど青い水だと彼は言うだろう手の水をひろげ足の水を...心に観ずるに明星口に入り

  • 風の言葉を探したこともあった

    西へ西へとみじかい眠りを繋ぎながら渦潮の海をわたって風のくにへと向かう古い記憶が甦えるように海原の向こうから山々が近づいてくる活火山は豊かな鋭角で休火山はやさしい放物線でとおい風の声を運んでくる昔からそれらはいつもそこにそのままで寝そべっていてだんだん近づいていくと寝返りをうつように姿を変え隠れてしまう空は山を越えて広くどこまでも雲のためにあり夏の一日をかけて雲はひたすら膨らみつづけやがて雲は空になった風のくにでは生者よりも死者のほうが多く明るすぎる山の尾根で父もまた眠っている迎え火を焚いたら家の中が賑やかになった伝えたくて伝えられないそんな言葉はなかったかと下戸だった仏と酒を酌むかたわらで母が声が遠いとぼやいている耳の中に豆粒が入っていると同じことばかり言うので子供らも耳の中に豆粒を入れたひぐらしの声で...風の言葉を探したこともあった

  • オタマジャクシは蛙の子か

    センセゆんべまた発作がおきましてんそうかおかしいなあんたは蛙になったんだからもう発作はおきんはずじゃがそうだんねんセンセに遺伝子たらゆうもんいろうてもろて悪い血は全部ほかしてもろたはずやのにほんまなんでやねんそれはそうじゃが二本の足が四本になったんじゃからまあ慣れるまでは多少の辛抱はせんといかんなそやかてセンセ二本は手の代わりに使うてまんのやでよくわかってるけどなその何かの代わりゆうのが厄介なところなんじゃよ拒絶反応が起きとるんかもしれんほんなら発作がおきるんは我慢せえ言いまんのかそうだねどんな良い薬でも副作用というものはあるんじゃよ蛙になっても直らんようだったらもうワシの手には負えんセンセそんな殺生ないまさら人間にも戻れへんしなんとかしとくんなはれなまったく厄介なことになったもんじゃやっぱりあんたには蛙...オタマジャクシは蛙の子か

  • かごめかごめ篭の中の鳥は

    5本の指を2本にしたり3本にしたり動く左手の指だけで何かを伝えようとするおばあちゃんの言葉は難しい2本はふたり3本は3人ではなくて子どもが3人親と子どもが2人でもなくてみっかとみつきそれとも3年もっと遥かなことかな指と指がくっついたり離れたり親ゆびと人指しゆび親ゆびと中ゆびくっつけたり離したりねばねばべたべた人と人がくっついたり離れたり記憶と思いがくっついたり離れたり言葉と意味がくっついたり離れたりふたたび指と指がくっついたり離れたりやっぱり言葉でないと分かりづらい声に出してみてよ何かしゃべってみてよすると突然びっくりぽんおばあちゃんの口からカエリタイそれって言葉だよねいきなり出てくるんだもの意味がいっぱい思いがいっぱいくっついていてやっかいだね困ったね言葉は難しいから分かるけど分かりたくないおばあちゃん...かごめかごめ篭の中の鳥は

  • カビの宇宙を漂っている

    陽が落ちるのが早くなった夜空の月も輝きを増してクールに澄みきっている久しぶりに風を寒いと感じて窓を閉めた夏のあいだ開放していたものが閉じ込められてしまいどこからともなくカビの匂いが這い出してくるおまえはまだ居座っていたのか古い友だちの匂いがする思い出と馴染みがあるカビの匂いは嫌いではないカビ臭い部屋にいると特別な空気があり湿った温かい布団に包まれているような懐かしさと安堵感もある古い民家や寺院などのしっかり淀んだなにか見えないものに包み込まれてずっと其処に居たような落ちついた気分になってしまう生まれた川の匂いを覚えていてその川へ帰っていく魚族の感覚に近いものだろうか僕が帰っていく川は古くて小さな家だ家族7人が住んでいて狭い部屋にごっちゃだったごちゃごちゃは嫌だっただからときどきはひとりきりになりたい静かな...カビの宇宙を漂っている

  • その林檎の味は変わらないか

    期せずして孫のiPhoneが僕のところに回ってきたこれまでずっと僕のスマホは中華製の格安スマホだったが孫が手にするアップルのスマホのスマートでしゃれたデザインをいいないいなと眺めていたのを12型から最新の14型に買い替えたのを機に12型が僕のところにというか僕にiPhoneを使わせたいとあえて14型に買い替えたようでもあるがもちろん僕にとっては羨望のiPhoneだから断る理由は何もないそれも最上位クラスのProMaxこれで存分に写真が撮れると僕にとってスマホは通信よりもカメラなのでそれと懐かしい林檎のマークふたたび林檎を齧れる歓び久しぶりの林檎との再会その林檎とともに苦闘した日々が甦ってきたその頃は文字の暮らしというか活字なるものがぼくの生活の中心だったアルバイトで入った出版社で写真植字というものに出会い...その林檎の味は変わらないか

  • 季節がずれていくように

    息をすると鼻の奥にツンとくるこの風の味が懐かしい騒がしかった夏が終わり季節が変わろうとして静かに寄せてくる周りの澄んだ静寂が広い空間に感じられてその隙間にいろいろなものが水のように沁み込んでくる今まで聞こえなかった微かな物音であったり天井のしみや障子の破れなどが急に見えてきたりして夏の間にできてしまった感覚のずれや反応のずれなど小さなものかもしれないが見詰めすぎると些細なずれが亀裂になってしまうこともあったりずれたままで重ならないままでもあえて心地のいい方へ動いていくずれた感覚に浸ってみるのもときには快いものだったりもしてそのうち季節の方でも少しずつずれながら秋もしだいに深まってゆくようで今はそんな季節だろうか久しぶりに本を読みたくなってそうしていつのまにか川上弘美の短編小説の不思議な世界にずれこんでいく...季節がずれていくように

  • 秋の夕やけに鎌を研ぐひと

    きょうの夕焼けは空が燃えているようだったよく乾燥した薄い紙のような雲に誰が火を点けたのか激しく静かに燃えている炎の広がりに染っているとどこか空の遠くから秋の夕やけ鎌をとげと叫ぶ祖父の声が聞こえてくる夕焼けした翌日は晴れる祖父は稲刈りをする鎌をとぐ祖父は百姓だった重たい木の引き戸を開ける薄暗い家の中に入るとその家だけの土壁の匂い踏み固められた土間が風呂場と台所に続いている脱衣所でもある納戸には足踏みの石臼が埋まっていて夕方になると祖母がいつも玄米を搗いている片足で太い杵棒を踏みながら片手は壁で体を支えているがその壁の一角には鎌や鍬が並んで架かっているそれらはずっとそのままで祖父に聞いた話だが祖父のさらに祖父は刀で薪を割っていたというどんな生き様の人だったか面白いが想像もつかない名前はたしか新左衛門といいシン...秋の夕やけに鎌を研ぐひと

  • さんま苦いか塩っぱいか

    信楽焼の長方形の皿があるなんとなくその上に拾ってきた落葉をのせた今の時期ならこの皿の上には秋刀魚それがいつもの習いなりなのにその姿はない去年もなかった一昨年もなかった秋刀魚はいつのまにか手が届きにくい魚遠くの魚になってしまったスーパーの秋刀魚は腹わたも無さそうな痩せっぽち高島屋の秋刀魚はツンとお澄まし高級魚どんなに秋刀魚を恋していてもつれない顔に見えてしまうさんま苦いか塩っぱいかなま唾ごくりとこころ残してスルーするそんなわけでお皿の落葉はあわれ秋刀魚の身代わり箸をつけること能わず錦に頬染めし落葉は秋刀魚よりも美わしいなどと負け惜しみするが美わしかれど身に添わず食欲を充たすこと叶わず武士は食わねど落葉かな夕餉にひとりさんまを食らひて思ひにふけるやはり秋刀魚は旨いのだそいつは苦くて塩っぱいけれど落葉はたぶん無...さんま苦いか塩っぱいか

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