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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

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  • 星の世界をゆく

    いままでに見た、いちばん心に残った夜空の星は、標高1800メートルの山頂で見た星空だった。美しいとか素晴らしいというよりも、圧倒されたと言った方がいいかもしれない。星が幾重にも重なって輝いている透明な壁のようだった。手を伸ばせば触れることができそうで、それでいて無限に深く澄み渡っているのだった。星ではない何か、空を覆いつくしているもの、空そのもの。昼でもない夜でもない、もうひとつの、はじめて見る空の形だった。夜に向かって山に登るな、という山登りの鉄則は知っていた。だが、目当てにしていた麓の山小屋が雪崩をうけて潰れていた。もはや引き返すこともできない。そのまま山を越えることにしたのだった。すでに陽も沈み、登るほどに夕闇が追いかけてきた。山頂に着いたときは、すっかり夜の幕が下りていた。冷たい風が吹き抜けていく...星の世界をゆく

  • 星の神さま

    地上の夜があまりにも明るすぎて、夜空の星がどこかへ隠れてしまった。そんななかで偶然、ひとつの星を見つけたようなものだったかもしれない。ごく最近のこと、図書館でのことだった。山尾三省、それは初めて目にした名前ではなくて、私の記憶の本棚の中の、ずっと古いところに埃をかぶったまま置かれてあった、そんな懐かしい本の名前との再会だった。いつかどこかで会ったことがある、かなり昔の知人に出会ったみたいだった。記憶をたどると、実際にいくどかサークルの部室で会ったことがあり、名前と顔だけは知っていた。その頃の彼は小説を書いていた。大学の文学同人誌に載った彼の小説が難解すぎて、彼とは距離を感じて近づくことができなかった。いちどだけ彼からデモに誘われて同行したことがある。そのときは、早稲田から代々木だったか四谷だったかまで歩い...星の神さま

  • いま森の神はどこに

    近くの森は、いまは冬の森だ。落葉樹はすっかり裸になって、細い枝々が葉脈のように冬空にとり残されている。深い海のような空があらわになって、そのぶん森は明るくなったけれど、森にひそむ神秘な影が薄くなった。この森はとても小さな森なのだが、冬はいちだんと侘しくなったみたいだ。サワグルミやトチノキ、ヒマラヤスギなどの大木も幾本かはあるが、シカもリスもいない。ヘビくらいはいるかもしれないが、いまは地中に隠れて冬眠中なので、この森の中で動くものは小鳥しかいない。熊楠の森には、「奇態の生物」というものがいるという。熊楠とは南方熊楠(1867〜1941)のことだが、和歌山の熊野の森にこもって粘菌の研究をした学者である。熊楠は柳田國男への手紙の中で、「粘菌は動植物いずれともつかぬ奇態の生物」だと書いている。この「奇態の生物」...いま森の神はどこに

  • 北の国の神たち

    その言葉が耳から入ってきたら、どんな風に聞こえるだろうか。もしかしたらそれは、神の声に聞こえるかもしれない。シロカニペランランピシカンコンカニペランランピシカンこの美しい響きのある言葉は、アイヌ語とされる。もちろん、もとの言葉は口伝えによるもので、これは『アイヌ神謡集』に収められた13編の神謡(カムイユカラまたはオイナ)の冒頭の部分である。それまで口承によって伝えられたものを、ローマ字で表記し初めて日本語に訳したのは、知里幸恵(1903〜1922年)という女性。彼女はアイヌの血を引き、アイヌの環境で育った19歳の若い女性だった。その言葉は、次のような美しい日本語に訳された。銀の滴(しずく)降る降るまわりに金の滴(しずく)降る降るまわりにさらに不思議な言葉は続いている、という歌を私は歌いながら流れに沿って下...北の国の神たち

  • 反骨の神さまが居た

    正月は、ふだんは疎遠な神さまが身近に感じられたりする。お神酒やお鏡や初詣などと、神事にかかわることが多いせいだろう。最近では、初詣も近くの神社で済ませてしまうが、かつては山越えをして奈良まで出かけたものだった。大阪平野と奈良盆地を分けるように、南北に山塊が連なっているが、その中のひとつに葛城山という山があり、この山の奈良県側の麓に、地元では「いちごんさん」と呼んで親しまれている神社がある。かつてよく通った一言主神社である。境内には樹齢1200年の大銀杏がある。この神社の神さまは、司馬遼太郎の『街道をゆく』にも登場する。その中で、この神は葛城山の土着神であり、ひょっとすると、葛城国家の王であったものが神に化(な)ったものかもしれない、と記述されている。また『古事記』や『日本書紀』にも記録があるらしい。雄略天...反骨の神さまが居た

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