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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

  • 木にやどる神

    クリスチャンではないので、教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会のことは強く旅の印象に残っている。その素朴な建物に魅せられたのだった。引き寄せられるように教会の中に入ってしまったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、木の温もりがあり、その温もりの中に神が宿っていそうだった。ただそこに居て、木の椅子に座っているだけで、誰かに抱きしめられているようで心地よかった。「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なり」と規定される西洋の神よりももっと古い、言葉よりももっと古い神が、木には宿っているような気がしたし、私らが慣れ親しんでいる神があるとすれば、そのような木の神に近いものだ...木にやどる神

  • 海の道

    姪の結婚式に招待され、九州に帰ってきた。私の九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。詳しくはわからないが遥かなとき、海を渡った種族の血が海の道へと誘うのかもしれない。祖父は四国から九州へ渡った。父は大阪から九州へと渡った。私は九州から大阪へと渡った。海を渡ることによって、体の中の血も沸きたち動くような気がする。航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな光の道しるべに誘導されるのが心地いい。おだやかな潮の流れに浮かんで、日常とは違う波動で夢のなかを西へ西へと運ばれていく。海の道は忘れていた何処かへ戻ってゆくような、緩やかな夢路でもある。夢から覚めると、朝もやの海に浮かび上がってくる、山のかたちと風のにおいが懐かしい。深く深呼吸をして、す...海の道

  • ガラス玉遊戯

    久しぶりに、孫のいよちゃんに会ったら、前歯が一本なくなっていた。笑ったとき、いたずらっぽくみえる。乳歯が抜けかかっていたのを、えいやっと自分で抜いてしまったらしい。それを見て母親はびっくりしたと話していた。その母親は、初めて乳歯が抜けたとき大声で泣いたものだった。親子でもたいそう違うものだ。わが家に来ると、いよちゃんはどこからか、おはじきを取り出してくる。彼女の母親が、子どもの頃に遊んでいたものだ。私は昔の男の子だから、おはじきは得意ではない。それで、ちょうど組みし易い相手として、私が選ばれることになる。彼女は負けず嫌いだから、ズルばかりする。ルールは無視するし、形勢が悪くなると、いっきにかき集めて自分のものにしてしまう。そんな、おはじき遊びだった。きょうは様子がすこし違っていた。おはじきとおはじきの間に...ガラス玉遊戯

  • 心の旅をしてみる

    最近読んだ旅の冊子に載っていた記事で、「仏とは自分の心そのもの」という言葉が頭の隅に残っている。旅に関する軽い読み物の中にあったから、ことさらに印象に残っているのかもしれない。仏縁とか、成仏とか、仏といえば死との関わりで考えてしまうが、仏が自分の心そのものという考え方は、生きている今の自分自身をみつめることであり、仏や自分というものを死という概念から離れて、もっと明るい思考へと誘ってくれる気がした。宗教としての仏教は、難しい教義や儀式があって、われわれの日常生活からは遊離してしまっている。葬式や法事など、儀式としての形だけで関わっているにすぎない。しかし、ときには本来の仏教がもっているにちがいない、生きるための宗教としての部分にも触れてみたくなった。丹田に力を込め、静かに呼吸を整えながら瞑想をする。深い呼...心の旅をしてみる

  • 花の名前は

    キハナ(季華)という名の女の子の孫がいる。いつのまにか、女の子とも言えないほど成長してしまったけれど。その命名には、私も関わりがある。四季折々に咲いている花のようにあってほしい、という思いを込めた名前だった。彼女が花のように育っているかどうかは、まだわからない。いつのまにか高校生になったと思ったら、もうすぐ卒業しようとしている。何かをたずねると、「わからへん(わからない)」という答えがかえってくる。それが口癖になっているのかもしれない。本当にわからないのかわかっているのか、よくわからない。「わからへん」と言いながら、何事もすいすいとこなしてしまう。脳天気ともいえるが、善意に解釈すれば、いつも自分でわかっていることよりも、さらに先の未知の部分をみつめているのかもしれない、ともいえる。未知のことは、誰でもわか...花の名前は

  • ひとよ 昼はとほく澄みわたるので

    このところ、芳しい若葉の風に誘われるように、ふっと立原道造の詩の断片が蘇ってくることがあった。背景には浅間山の優しい山の形も浮かんでいる。白い噴煙を浅く帽子のように被った、そんな山を見に行きたくなった。ささやかな地異はそのかたみに灰を降らした……私も灰の降る土地で育った。幾夜も、阿蘇の地鳴りを耳の底に聞きながら眠った。朝、外に出てみると、道路も屋根も草や木々の葉っぱも、夢のあとのように色を失って、あらゆるものが灰色に沈んでいた。だから、静かに灰の降る土地に親しみがあった。林の上には沈黙する活火山がある、そんな風景のなかで詩を書いた詩人に、特別な親近感があった。立原道造は昭和14年3月に、25歳の若さで死んだ。たくさんの美しい詩を残した。道造が生涯を終えた同じ年頃に、私は新しい生活を始めようとしていた。それ...ひとよ昼はとほく澄みわたるので

  • ナオキの相対性理論

    ナオキという、小学4年生の孫がいる。学校での出来事を、よく母親に話すという。その話をまた母親から聞く。なかなか面白い。先日、相対性理論のことを口にしたら、クラスの誰も知らなかったと言う。え?相対性理論?私は耳を疑った。そんなことを知っている小学生がいるのだろうか。もしかして、きみは天才か秀才か。なんでそんな言葉を知っているのかと驚いた。光速や重力?私にとってはまるでチンプンカンプンな話だからだ。話の続きを聞いていると、どうやら彼は相対性理論という言葉を知っているだけのようだった。それも漫画の本で知ったという。相対性理論という言葉の格好よさが気に入って、しっかり言葉だけを自分のものにしてしまったようだ。なにかしら珍しいものが道に落ちていた。それを拾ってポケットに入れた。それの使い道までは考えなかった。そんな...ナオキの相対性理論

  • アカシアの花が咲く頃

    アカシアの雨にうたれて~♪満開のニセアカシアの花の下に立つと、そんな古い歌が聞こえてきそうだ。高い樹の上で白い花をたわわにつけていて、かなり強くて甘い香りをふりまいてくる。歌にうたわれているアカシアも、このニセアカシアらしい。いつ頃から何故、ニセなどという名称が付けられてしまったのか。花にもニセモノやホンモノがあるのだろうか。手持ちの樹木ポケット図鑑をみたら、ハリエンジュという別名も出ていた。小さなポケット図鑑だから、詳しい説明はない。エンジュというのが日本名だとしたら、炎樹とでも表記するのだろうか。空に燃え上がるように咲いている姿は、まさに炎の樹という名前がふさわしい。その派手でおおらかな咲きようは、日本古来の樹というよりは外来樹ではないかとも思われる。須賀敦子の本を読んでいたら、イタリアの風景の中にも...アカシアの花が咲く頃

  • さわらび(早蕨)の道

    宇治は茶の香り。爽やかな五月の風が吹きわたってくると、自然と良い香りのする風の方へ足が向いてしまう。「おつめは?」「宇治の上林でございます」そんな雅な風も耳をくすぐるが、まずは茶よりも腹を満たすことを考える。駅前のコンビニでおにぎりを買い、宇治川の岸辺にすわって食べた。宇治川は水量も多く、流れも速い。「恐ろしい水音を響かせて流れて行く」と、『源氏物語』宇治十帖の中でも書かれている。麗しい浮舟の姫君は、ふたりの男性からの求愛に悩んだすえ、この激流に身を投じようと決意する。からをだにうき世の中にとどめずばいづくをはかと君も恨みんと、彼女は歌を残して消える。せわしなく時を運ぶような川の流れは、この世とあの世との境界にもみえる。その川に架かる橋は、夢の浮橋か。宇治十帖に登場する姫たちは、夢のように儚い。大君・中君...さわらび(早蕨)の道

  • 書を捨てよ、野へ出よう

    ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。これは、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の書き出しの文章だ。この本が出版されたのは1967年のことで、その頃から日本人はひたすら速さに憧れ、速さを追い求めたようだったが、その後は反動としてのシフトダウン。スローライフの勧めや、ゆとり教育などが提唱される。週休2日や祝日の増加などで、すこしはゆとりある生活リズムを取り戻したかもしれないが、いまも行楽地の混雑や高速道路の渋滞は変わらない。おりしも連休中だが、喧騒の街へ出かけるのはやめて、静かな野へ出てみることにした。近くの公園で、3家族でバーベキューをする。おとなが6人で子どもが4人、少子化、高齢化の時代、いかにも現代を象徴するような野外パーティーの1日となった。かつては、どこへ行っても子どもの方が多...書を捨てよ、野へ出よう

  • 線路は続くよ何処までも

    17歳の私が回想の風景の中にいる。毎日あてもなく近くの山を歩き回っていた。風景は春がすみに覆われて、焦点の合わない夢のようにぼんやりとしていた。遠近感が曖昧な視界の果てから、山々が層をなしてなだらかに下りてくる。その中を、とぎれとぎれに白い噴煙が縫っているのがみえた。いくつもトンネルを抜けて進んでいく汽車は、まるで生き物のようだった。ローカルな鉄道では、汽車はまだ石炭で走っていたのだ。そして数日後、窮屈な4人がけの木製の座席にすわって、一昼夜をかけて東京を目指していた。昔も今も、線路は何処までも続いていたのだ。そして歳月は、光のように超特急で走り抜ける。いつのまにか郷里の駅は無人駅になっていた。誰もいない待合室から、木で囲われた懐かしい改札口を抜けて、廃駅のようにがらんとしたホームに出ると、ベンチに座って...線路は続くよ何処までも

  • ときには時を動かしてみる

    時が過ぎてゆく。時間に追われていた頃もあった。時間を追いかけていた頃もあった。いまは、つれなく時間に追い抜かれている。近づく時の足音すら聞こえないことも多い。締切がなくても、約束がなくても、それでも時は動いている。いたるところに時を表示する時計はあるけれど、ときには時をじっと待ち、じっくり見つめ直したくなったりする。古い腕時計を持っている。私は旅行をする時ぐらいしか腕時計をしなかったし、最近はスマホが時計代わりになるので、普段は机の引き出しにしまったままになっている。学生の時に父からもらったものだが、電池やネジで動くものではないので、いまでも動かせば動く。使わない時は止まったままだが、動かしたい時に手首にはめて腕を振る。それだけで動き始める。そんな旧式の時計だ。スイス製だぞと言って、父は自慢げだった。まだ...ときには時を動かしてみる

  • 飛鳥の風になって

    近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生のケンタくんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。風が気持ちええなあ、とケンタくん。うん、飛鳥は千年の風が吹いてるからね、特別なんや。古代の不思議な石像なんかに出会いながらの、気ままなサイクリングになりそうだ。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうらしい。iPhoneをポケットに入れたケンタくんが低い声で歌っている。私のお墓の前で泣かないでください♪次なる亀石は、あまりにも何気ない民家の陰にあったので、通り過ぎてから気付いて戻った。亀はあざ笑うかのような笑みを浮かべて突っ伏していた。そやけど蛙にも見えるなあ、とケンタくん。そう言われれば大きながま蛙にも見える。雨風にも耐えてきた石と対話するのは難しい。飛鳥はすべ...飛鳥の風になって

  • 花の下にて春死なむ

    また桜の季節がやってきた。父は桜が咲く前に死んだ。父の妹である伯母は、桜が満開のときに死んだ。伯母は90歳だった。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうだが)を気管に入れてしまった。まさに桜は満開、花の下にて逝ったのだった。伯母の娘が嫁いでいる寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われた。葬式にしか集まらない親類だ。これも仏縁と言うそうだが、いつのまにか親の世代はいなくなり、集まったのはいとこばかりだった。3年ぶりや5年ぶりに会ってみると、それぞれに歳だけはとって老けたが、話しぶりや話の内容は相変わらずで、がっかりしたり安心したりの、付かず離れず不即不離の縁である。伯母は、晩年のほとんどを老人施設で過ごした。その間はずっと病気がちで、娘は忙しい寺の雑務の合間に呼び...花の下にて春死なむ

  • 父の遺言状

    父の命日で、天王寺のお寺にお参りした。父の死後、父の遺品を整理をしていた母が、ある封書を見つけ出して小さな騒ぎがおきたことがあった。それは一見さりげなくみえる一通の遺言状だった。その遺言状は、父が書き残したものではなく、父が長年親しくしていたある女性が書いて父に渡していたものだった。その間の詳しい事情は誰にも分からないのだが、父としても誰かれに見せられるものではなかったようで、とりあえず引き出しの奥にでも仕舞っておく以外になかったものとみえる。その頃、相手の女は体調をくずして市内の病院に入院していたらしく、父がしばしば見舞いに行ったりしていたことも後にわかった。だが、そんな父が先に死んでしまい、女が書いた遺言状だけが残された。その遺言状を見ていちばん驚いたのは妹だった。遺言状の宛名が父ではなくて妹の名前に...父の遺言状

  • 春の匂いがしてくる

    春はかすみに包まれる。かすみを吸ったり吐いたり、見えるものや見えないものが、夢の続きのように現れたり消えたりする。風はゆっくり温められて、うっすらと彩りもあり、やわらかいベールとなって、あまい匂いで包み込まれそうだ。記憶の淀みからじわじわと滲み出してくる、曖昧に覚えのある匂いがある。いままた何処かで、花のようなものが咲いているのか。子どもの頃の私はそれが、まだ春浅い川から立ちのぼってくる水の匂い、だと思っていた。水辺が恋しくなる頃、大きな岩の上から巻き癖のついた釣り糸をたれ、岩から顔だけ突き出して水面のウキを睨みつづける。はっきり川底が見えるまで水は澄みきっていて、魚の姿は見えるが動く気配もなく、誘っても餌には寄ってこない。まだ水の季節はひっそりとしているが、水の冷気とかすかに甘い匂いが顔を濡らしてくる。...春の匂いがしてくる

  • 白い花が咲いてた

    白い花が咲いてたふるさとの遠い夢の日……そんな古い歌を思い出した。遠い夢の日に、どんな白い花が咲いていたのだろうか。近くの小学校で卒業式が行われていて、遠い夢の日の、小学生だった頃に引き戻された。梶原先生、おげんきですか。小学校の卒業式の日に、担任の梶原先生が『白い花の咲く頃』という歌を歌ってくれた。いかつい大きな顔をした男の先生だったけれど、歌の声は低くて優しかった。ふだん怒ると顔が真っ赤になったけれど、歌っている顔も真っ赤だった。声が少しかすれていた。クラスのみんな、うつむいて泣いた。最後の日、先生は黒板に「心に太陽を持て」とチョークで大きく書いた。クラスのみんなに贈る、それが最後の言葉だと言った。国語の教科書に載っていた、詩人のだれかの詩のことばだった。白い花の歌と太陽の詩と、この季節になると、最後...白い花が咲いてた

  • まだ虫だった頃

    寒さにふるえているあいだに、時だけが木枯らしのように走り去っていった。短い2月の、アンバランスな感覚に戸惑っていたら、いつのまにか3月も終わろうとしている。3月だからどうということもないのだが、急き立てられる思いが、やはり日常の感覚と歩調が合っていない。3月のカレンダーで、啓蟄という言葉が目にとまった。日付のところに小さく「啓蟄」(けいちつ)とあった。地中の虫が這い出してくる日だという。暖かくなったということか。地中にいても、虫は季節の変化をちゃんと知っているんだと感心する。季節のことも曖昧で、啓蟄という言葉も知らなかった頃、九州の別府で、結核療養所に閉じ込められていたことがある。22歳から23歳の頃だった。あのころはまだ地上の明るさも見えない、地中の虫だったかもしれない。療養所での生活は、閉じ込められて...まだ虫だった頃

  • 水が濡れる

    春の水は、濡れているそうだ。水に濡れる、ということは普通のことだ。しかし、水が濡れているというのは、新しい驚きの感覚で、次のような俳句を、目にしたときのことだった。春の水とは濡れてゐるみづのことこれでも俳句なのかと驚いたので、つよく記憶に残っている。たしか作者は、俳人の長谷川櫂だったとおもう。水の生々しさをとらえている、と俳人の坪内稔典氏が解説していた。「みづ」と仮名書きして、水の濡れた存在感を強調した技も見事だ、と。散歩の途中、そんなことを思い出して改めて池の水を見た。日毎に数は減っているが、あいかわらず水鳥が水面をかき回している。池の水がやわらかくなっているように見えた。池面の小さな波立ちも、光を含んで艶っぽい。真冬の頃のように、冷たく張りつめた硬さはない。水が濡れる、という言葉がよみがえってきて、こ...水が濡れる

  • だったん(春の足音がする二月堂)

    ちょうど阪神大震災が起きた年だった。東大寺二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった。いつのまにか大松明の炎の行が始まったのだ。舞台上でまじかに、この壮烈で荘厳な儀式を体感することになったのだった。はるか大仏開眼の時から欠かさずに行われてきたという、冬から春へと季節がうごく3月初旬の、14日間おこなわれる修二会(お水取り)の行である。眼下の境内のあちこちに点灯された照明が、集中するように二月堂に向かっていて眩しい。その頃には、明かりの海と化した奈良盆地から、透明な水のように夜の冷気があがってくる。欄干から下をのぞいてみると、境内はいつのまにか人で埋め尽くされていた。7時ちょうどに大鐘が撞かれると、境内の照明がすべて消された。芝居の拍子木のように鐘が...だったん(春の足音がする二月堂)

  • 風邪と闘う

    風邪を引いたくらいでは、私は医者にはかからないことにしている。けれども、そうするには、それなりの覚悟と体力、忍耐力なども必要になってくる。容赦なく攻めてくる敵に対して、孤軍奮闘するようなものだから、勝つためには、まずは敵を知らなければならない。昼間は咳や鼻みずの責苦があることはもちろんだが、私が苦戦するのは夜の方だ。敵は私が眠った隙をついて襲ってくる。無防備な夢の中で、敵の猛攻を受けることを覚悟しなければならない。まず第一夜は水攻めである。私の脳みそが、桶のようなものに入れられて水漬けになっている。ただ、それだけのことだが、受け取り方によっては、湯船にでも浸かっているような、浮遊感覚をともなった快い眠りに思われるかもしれない。ところが、これが苦痛なのだ。快眠を得るためには、体が適度に弛緩した状態で、夢の内...風邪と闘う

  • 蜜の季節があった

    梅が咲いた。枯木のようだった枝のどこに、そんな愛らしい色を貯えていたのか。まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。懐かしい香りがする。香りは花の言葉かもしれない。春まだきの梅は控えめでおとなしい。顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を呼び寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に見えないものは言葉にするのが難しい。たぶん言葉になる前のままで、漂っているのだろう。メジロが花の蜜を吸っている。小さな体が縦になったり横になったり、逆立ちしたりして、花から花へととりついている。花の間に見え隠れする緑色の羽が、点滅する至福の色にみえる。周りは山ばかり、木ばかり草ばかり、そんなところで育った...蜜の季節があった

  • 雛の手紙

    最近は季節を後から追いかけていることが多い。今年もすこし遅れて雛人形を出した。人形だけはいつまでも変わらない表情のままで、年にいちど、お雛様に再会するということは、まだ幼いままの娘に会っているようで、その頃の生活なども思い出されて、年ごとに懐かしさが増していくようだ。雛人形のケースの中には、古びた1通の手紙が入っている。初めての雛祭りに、娘に宛てて便箋11枚に書き綴ったもので、雛人形をとり出すということは、この手紙を読み返すということでもある。便箋の色もすっかり変色するほどに古くなった。万年筆で綴ったクセのある文字と文章を久しぶりに目にして、なぜか気恥ずかしい気分に浸りながら、かつての自分や娘との、雛の再会がはじまる。きょうは3月3日おまえはあと5日でちょうど8か月になる。お母さんがスポック博士の育児書を...雛の手紙

  • わが輩も猫である

    ・・・わが輩も猫である。きょうも目が合ったあいつは、わが輩のことを野良としか呼ばない。名前なぞ無いと思っておるのだろう。だが名前はあるのだ。どこかの知らないおばちゃんが名付け親だから、気に入ってはいないが一応の名前はある。どうせありふれた名前だから、名前のことはどうだっていい。漱石大先生の猫だって名前はなかったのだ。それよりも、わが輩の庭でぼうっとしているあいつだって、わが輩からみれば名無しの権兵衛にすぎない。あんな奴は馬鹿に決まっておる。毎朝同じことばかりしている。きっと、それしか出来ないのだろう。ただ歩いてるだけ、ただ座ってるだけ、それでなにが楽しいんだかわからない。そんな暇があったら、ヨモギ草でも摘んでいったらどうか、それが生き甲斐というもんだろう。あいつは、ただぼうっとしているのではないと言うだろ...わが輩も猫である

  • 男はつらいよ!

    息子は荒川と江戸川に挟まれた辺りに住んでいる。ゼロメートル地帯といわれている所らしい。東京が水没する時には、真っ先に逃げ出さなければならないだろう。その息子のアパートに泊まったことがある。正月だった。車で柴又に連れていってもらった。江戸川に沿って北上すると矢切の渡しがある。寅さんが寝ころがっていた土手は、そのときは冬枯れてて青草はなかった。帝釈天も参道も初詣の人で賑わっていた。息子は寅さんシリーズの四十八作を全部みたという。そんなことを初めて聞いた。彼も寅さんの生き方に憧れていたのだろうか。息子については知らないことが多い。まだ大阪にいた頃は、ひとりで鑑真丸という船に乗って中国へ渡ったこともある。一か月も向こうでどんな放浪をしてきたのか、関西空港に戻ってきたときは、着ている服はすっかり汚れて異臭を放ってい...男はつらいよ!

  • 霜柱を踏み砕いたのは誰だ

    冷え込んだ朝、公園の草むら一面に霜が降りている。草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。子どもの頃は、よく霜柱を踏み砕きながら登校した。夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思ったこともある。誰かが作ったものを、小さな足裏で踏み砕いていく快感があった。誰がどうやって作ったのか、解らないので壊すことで無にしてしまう。そのようにして、不思議に挑戦していたのかもしれない。父の剃刀の刃を折ってしまったのも、剃刀というものが不思議な刃物だったからだ。父が愛用していた剃刀は、折りたためるようになっ...霜柱を踏み砕いたのは誰だ

  • ひとさし指の先に在るもの

    ほら、あそこにと言って、ひとさし指で何かをさし示すとき、自分の指先が、ふと父の指先に見えることがある。そのときの自分の手に、父の手を見ているような錯覚をする。歳を重ねて親の手に似てきたということだろうか。この感覚は、咳払いをするときなどにも感じることがある。もちろん父の咳払いは、私のものよりも勢いがあり、父の手は私の手よりも大きかった。背丈も父のほうが高く、成人した私よりも1センチ高かった。体形は痩身であったが、私のように華奢ではなく、骨太で背筋もまっすぐ伸びていた。足も私の足よりも大きく、父の靴を見るたびに、私は劣等感を味わった。父の靴はいつも、私の靴を威圧していたのだ。子供の頃は、父の大きな声が怖かった。私を呼ぶ父の声が、今でもときおり聞こえてきて、私は思わず緊張してしまうことがある。もう父の声はこの...ひとさし指の先に在るもの

  • 鍋の底が抜けたら

    ずっと気になっているわらべ唄があった。なべなべがちゃがちゃそこがぬけたらかえりましょ夕暮れになって辺りが次第に暗くなってくる頃、ケンケンパ、瓦けり、かごめかごめ、花いちもんめ、楽しい遊びが中断されて、子どもたちはそれぞれの家に帰ってゆく。そんな遠い日の懐かしい光景が浮かんでくる。それにしても、なぜ鍋はとつぜん底が抜けてしまうのか。昔は破損した鍋釜を修理する鋳掛屋(いかけや)という商売もあったようだが。東京荻窪で自炊をしていた学生の頃、私の手元に鍋といえるものはフライパンがひとつだけだった。目玉焼きも野菜炒めも、そしてたまには、すき焼きまでこなせる重宝な鍋だった。すき焼きといっても高価な牛肉が買えるわけではなく、いつも豚肉のこま切れなのだが、いちど作ると1週間はすき焼きのアレンジで食いつなぐことができた。残...鍋の底が抜けたら

  • 正月は雑煮を食べて争う

    すりこぎを持ってすり鉢に向かう。これが正月三が日の私の日課だった。元日の朝は胡桃(くるみ)、二日は山芋、三日は黒ごまを、ひたすらごりごりとすり潰す。胡桃と黒ごまはペースト状になって油が出てくるまですり潰し、山芋はだし汁を加えながら適度な滑らかさになるまですり続ける。胡桃と黒ごまのペーストには砂糖を加えて甘くする。これに雑煮の餅をつけながら食べるのだが、これは岩手県三陸地方の一部に伝わる風習のようで、カミさんは子どもの頃からずっと、この雑煮を食べてきたという。私は最初、こんな甘い雑煮を食べることにびっくりしたが、これをカルチャーショックというのだろうか、もともと、この種の驚きを好んでしまう性癖から、面白いね、珍しいねなどと言いながら食しているうち、この甘い雑煮がしっかりわが家に定着してしまい、これが正月三が...正月は雑煮を食べて争う

  • レンコンの空は青かった

    お節と雑煮にも飽きて、ごまめとお茶漬けくらいがちょうどよい頃、冷蔵庫を覗いていたら、野菜室の底にレンコンが見つかった。暮れから水に浸けられたままで出番がなかったのだ。まるで忘れられたように、薄よごれた表情でレンコンはそこにあった。レンコンは、穴がたくさんあいていて見通しが良いとか。そんなことから縁起のよい食材とされているが……レンコンばかり食べて過ごしたお正月があった。東京でひとりだった。年の暮れの31日ぎりぎりまでアルバイトをしていた。暮れの31日に出社する社員などいない。それでアルバイトの私に残った仕事が任された。地図をたよりに、一日中電車で東京のあちこちを駆け回った。任されていた仕事を終えて、お正月休みの食料を買い込まなければと、閉店間際のデパートに立ち寄ったが、食品売場のショーケースはすつかり空っ...レンコンの空は青かった

  • 神様を探していた

    新しい年が始まる。カレンダーが新しくなる。新しい朝、新しい風、新しい太陽。すべてのものに「新しい」をつけて気分を新たにする。元日の朝は、厳かな気分で柏手を打つ。神棚はないが長いあいだの習慣で、三方にお鏡を飾りお神酒を供える。神様の依り代として形だけは整えて、静かに神様に向き合おうとする。そういえば、神様とも疎遠になって久しい。奈良の法隆寺の近くの、鬱蒼とした森の中に静かな神社があった。子ども達がまだ幼かった頃、正月三が日の一日、その神社にお参りするのがわが家の恒例になっていた。それぞれの年の、それぞれの記憶がそこから始まっている。ある年は、妻のお腹が大きく膨らんでいた。手水鉢の水を柄杓で受けている格好が、力士のように威張ってみえた。それから十日後に男の子が生まれた。その翌年、妻はびっこを引きながら神社の石...神様を探していた

  • <2024 風のファミリー>残されて在るものは

    いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。かといって、世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっている、あるいは自分勝手に閉じこもっている、と言った方がいいかもしれない。そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。小さな家の中で無益な諍いを避けるため、お互いに干渉しあわなくてもすむように、それぞれが身に付けてきた知恵で、自然にこういう形に収まったということだろうか。いまのところ、この狭い空間の住み心地は悪くない。以前は、カミさんが洗濯物を干すためにベランダに出るとき、私の部屋をまるで廊下のように通り過ぎるのが気になっていた。洗濯や料理や掃除など家事で忙しく動き回っている身には、私のやって...<2024風のファミリー>残されて在るものは

  • ふたたびわれはうたえども

    砂浜に打ち上げられて目覚めればしょぼくれたジジィいつの間にか足は砂にめり込む重さ頭は風に揺られるゴム風船の軽さふわふわくらくら夢路の続きをふらつきながらまずは愛する朝顔の夏から秋への花柄は朝ごと小さくなりつつも今朝はざっと68輪と数で勝負ときたかその健気な精いっぱいを数えてみる楽しみそれだけが楽しみなのかと花の期待はやや寂しくも花には花のいつもの朝がありいつもの花は変わらねどうるわし朝顔姫の面影いまは遠き幻となり一炊の夢はフェードアウトジジィはもはやジジィなり波打ち際に佇んで試行錯誤五里霧中玉手箱を開けたるはあわれ相方も同じ昼の朝顔しおれた姿ババァもすでにババァなり霧の彼方の水平線浜のことも忘れる始末おまけに言葉は異邦人茄子も胡瓜も名札を無くし朝の支度と言いながら台所に立つ意思もなくそこは大根ジジィの代役...ふたたびわれはうたえども

  • 戎さんの福笹が運んできたもの

    大阪の正月10日は十日戎で各神社はにぎわう主神は七福神の恵比寿神で神社の境内では福娘が福笹にさまざま飾り付けをする商売繁盛や笹もって来い威勢のいい囃子言葉は商人が多かった土地柄か何より金もうけは大事この日いちばん賑わうのは今宮戎神社のえべっさん戎さんは大きな耳をしてはるがなんでか耳が遠いらしい願いごとは何であれ大声で怒鳴らな通じへんと金儲けしたい猛者どもが大声で怒鳴りながら拝殿の裏にある銅鑼をガンガンと叩くいくら耳が遠い戎さんでもたまらず耳を塞いでしまわないかいつの正月だったか娘が福笹を戴いてきたことがある娘はもちろん商売繁盛などではなく良縁祈願でもしてきたのだろうその福笹の笹に虫の卵がついていた福笹はリビングに飾ってあったのだが部屋を暖房していたせいでまだ戸外は真冬なのに早々と卵が孵ってしまったはじめの...戎さんの福笹が運んできたもの

  • 夢みる夢は夢のまた夢

    夢をみたいつものようでいつものようではない道があり人家がある道はどこへ通じているのか歩き続けているがバス停も駅もないそのうちにハンドルを握って危うい運転をしていたりする夢はきれぎれ勝手気ままに変転する意味づけられたり納得できるようなものもないそれでもしんどさや迷いはあるだから体調だとか心的な要因はあるのかもしれない見たくはないが夢はよく見るだが目覚めてしまえば夢は夢ただ通り過ぎただけのもの始まりも終わりもない夢の跡で始まるのはいつもの朝でありきょうも朝があることを知る変な感覚だが朝というものを改めて確かめてしまうそういう朝を一輪の花に気づかされるのんべんだらりではなく朝顔の朝はあたらしい花をひらく毎朝あたらしい朝があるこれが花の実感である梅雨は明けたかどうかすでに夏の始まりかだらだらと蒸し暑い日が続く朝ら...夢みる夢は夢のまた夢

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