その木造の小さな教会は常に開放されている。訪れる人々は黙って入り、しばし木製の長いすに座って薄暗い室内に目を凝らす。壁も窓も、屋根を支える梁も、素朴な祭壇も、すべて木でできている。木から木へと森を抜けてきた風が、そのまま建物の中を吹き抜けていくようだ。風も人も、そして神ですら、自由に行き来する。老成した神は、あえて手を差し伸べることはしない。ただ黙って受け入れるだけだ。そこでは、人は知らない間に神とすれ違っているかもしれない。今から百年以上も昔、ひとりのカナダ人宣教師が軽井沢をはじめて訪れた。彼の名前は、アレキサンダー・クロフト・ショー。彼はこの地の風土に魅せられ、軽井沢で最初の別荘を建て、最初の教会を建てた。彼は、その数々の功績により「軽井沢の恩父」と呼ばれている。その古い教会を源流とするかのように、そ...風立ちぬ、いざ生きめやも