searchカテゴリー選択
chevron_left

カテゴリーを選択しなおす

cancel
プロフィール PROFILE

風のyo-yoさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
風の記憶
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/yo88yo
ブログ紹介文
風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。
更新頻度(1年)

75回 / 365日(平均1.4回/週)

ブログ村参加:2014/10/31

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、風のyo-yoさんの読者になりませんか?

ハンドル名
風のyo-yoさん
ブログタイトル
風の記憶
更新頻度
75回 / 365日(平均1.4回/週)
読者になる
風の記憶

風のyo-yoさんの新着記事

1件〜30件

  • 天上の音楽

    イヤホンでモーツァルトを聴いている。音楽には、目に見える形はない。イヤホンの細い管をとおって耳へ、水のように流れ込んでくる。さざ波立ち、うずを巻き、消えたかとおもうと広がり、音は水の中に溶け込んでくる。水はぼくの中にあるはずだが、ぼくもまた水の中にある。水のなかで、まだ形にならないものが、形にならないままで浮遊している。音楽の水には懐かしい匂いがある。それはどこかの水辺の、雪柳のかげを泳いでいたものかもしれない。優雅に激しく、春の水を朱色に染める天女魚(アマゴ)。水を捉えようとする手が天窓をあける。階段を駆けのぼり、駆けおりるピアノのひびき。波となって懐かしさの海に届く。アイネ・クライネ・ナハトムジーク。音を楽しむ。かつて音楽はレコードという丸い円盤の中にあった。回転しながら細い針で音を探り出していく。そのあと...天上の音楽

  • 海には大きな忘れものがある

    海の水と涙の成分は同じらしい。海はいつもそこにある。だが涙というものは、悲しいからといって必ずしも出てくるものではないと思う。また、苦しいから辛いからといって、涙がでてくるとはかぎらないだろう。だが予期せずに、自然に涙がでてくるときがある。それは心が激しく揺さぶられたときの涙ではないだろうか。心でじかに、なにか大きなものを受け止めることがある。波のように押し寄せてくるものに、知らない自分が溺れてしまう。何事が起きたのかを認識する前に涙が出てくる。それが物事の真実に触れたときの、感激とか感動といわれるものなのかもしれない。涙はときに、心の動揺を推し測るバロメーターになる。なみだはにんげんのつくることのできる一ばん小さな海です(寺山修司『一ばんみじかい抒情詩』)涙だから、小さな海だからすぐに消えてしまう。この海を、...海には大きな忘れものがある

  • いまは春を待つばかり

    寒かったり暖かかったりの季節に惑わされているうち、ふと気がつけば既に3月だった。エッセイ集を本にする予定の3月だった。第1集も第2集も3月には本になっていた。なのに今回の第3集は、いまだに原稿の編集段階でもたついている。この調子だと本が出来上がるのはいつになるかわからない。最初の第1集はどんな物ができるかと、どきどきわくわくしながら作った。第2集は前回のデータを活用できたので、楽しみながらスムーズに作業できた。今回はマンネリになっているのか、このところ制作意欲が低下している。修正や加筆をしていても、自分の書いた文章がしっかり立ち上がってこない。意識や感覚と文章との間に隙間を感じて、すぐに投げ出したくなってしまう。本を作ることにも葛藤がある。誰かに読んでもらえるという当てもない。勝手に知人に本を送付しても、かえっ...いまは春を待つばかり

  • アップルパイの林檎になりたい

    花の少ないわが家のベランダで、ことしも花ニラの花が咲いた。まっ先に春を運んできてくれる花だ。いつからか住みついて、そのまま放ったらかしなのに、いつも健気に咲いてくれる。その花びらの形から、誰かが地上の星などと呼んでいて感心したが、そんな思いで見れば、花は小さいが、大きな宇宙の末端で星のように輝いている、と感じられなくもない。春を運んでくるのは花だ。ゆっくりと温もりの気配もあるが、まだ寒いから熱い言葉に触れてみたくなる。俵万智の古い歌集をひらく。愛してる愛していない花びらの数だけ愛があればいいのに(『サラダ記念日』)まだ冬の花びらが、空から降ってくる地域もある。白くて小さくて冷たい花びら。赤や黄色の気ままな絵の具で、白い花びらに彩色してみる。だが冬の花はすぐに溶ける。いや散ってしまう。散るという飛翔のかたち花びら...アップルパイの林檎になりたい

  • 人形のとき

    九州の田舎の、すり鉢のような小さな街を、春の節句を祝う静かな華やぎの風が漂っていた。さまざまな雛人形が、古い時代の装いや表情をして、家々の玄関や店先に飾られていた。人形のあるところには、いつもとはちがう少しだけ華やいだ風景があった。住む人も減り、人の影もめっきり少なくなったのに、着飾った人形ばかりが勢ぞろいして、かつて賑わった街の記憶を無言で語りかけてくるようだった。そんな季節に、父は逝った。父は翌日出かける予定があったのか、ていねいに髭を剃り顔も洗って寝た。そして、夢のなかで出かける場所を間違えたのか、そのまま戻ってくることがなかった。家族は眠り続けている故人を取り囲んで、記憶の中の父と語り合った。冬でもないが春でもない、夜が更けるにつれて外の冷気に包まれてくる。すこしでも暖を取ろうと、寝かされた人の夜具に手...人形のとき

  • わたしを忘れないで

    新しい朝が、どこからかやってくる。明け方の、これも薄れかかった夢の中へ、ラジオの低い声が侵入してくる。ニュースでもない、朗読でもない。アナウンサーの声に乗ってくるのは、誰かが放送局に送った「お便り」だった。その年は、お雛様が飾れなかったという。とおい終戦の年のことらしい。だいじなお雛様が食料の米に代わってしまったのだ。一粒の米が、人の命をつないだ時代の話だった。その人はお雛様を手放したことが忘れられない。生きることが辛かった時代を忘れられない。そう、その年の3月10日には、東京大空襲があり、10万人が命を落としたという。そんな時代のかなしい話だった。お便りの人は、この季節になると、その失われたお雛様のことや、戦禍で亡くなった親しい人たちのことを、しみじみと思い出すという。お雛様が繋いでくれた貴重な命を生き延びて...わたしを忘れないで

  • 木の声が聞こえない

    うつうつと今日のような日はすこし暖かく近くに春の一日があるうすい布に包まれて遠くの里山は和らいでいるが近くの冬の木はまだ裸木のままで影は地上の迷路をさまよっている幾日かの冬の日をやりすごし幾日かの春の日を迎える戸惑うような季節の変わりめで心もとない夢の蕾を木はしずかに育てているのだろうかひとも風も光もまだ木の声が聞こえない木の声が聞こえない

  • 日常生活における半バカ状態

    きょう、藤井貞和という詩人の詩を読んだ。何が書いてあるのかさっぱり解らなかった。おかげですっかり落胆してしまった。もう詩を読む気力はもちろんのこと、詩を書く自信もなくしてしまったのだった。だが、そのまま投げ出してしまうのは悔しい。れっきとした活字になった詩集だし、たくさんの人が読んでいるにちがいない。もちろん、解るひとも解らないひともいるだろう。けれども、ぼくも一応は詩を書いたりする人間のはしくれだ。このまま投げ出してしまうわけにはいかない。詩なんか書くひとでなければよかった、詩なんか読むひとでなければよかった、と後悔してももう遅い。たとえヘボ詩でも、書きたい欲求がある以上、誌というものの周辺から逃げ出すわけにはいかない。再び手にとって読み始める。でも、やっぱり解らない(というか情感が反応しない)。そこで、巻末...日常生活における半バカ状態

  • 言葉は光だろうか

    さまざま光るものがある。光は何処から射してきて何処へ消えていくのか。光は速い。ガリレオ・ガリレイは、光が速すぎて測ることに失敗したという。1秒間に7回半も地球を回るという、光の正体はぼくの想像をこえる。ぼくとネットは光回線でつながっている。実体はよく解らないが、つながっていることになっている。かつてはISDNやADSLといったものでつながっていた。あれも光のようなものだったかもしれない。だが通信に光という名称がついて、さらに通信は速くなった。パソコンやケータイで言葉を伝えるようになって、言葉が光に近くなったように感じる。長年ネットと関わってきたが、速さということにさほど不便は感じなかったし、さほど速さを求めていたわけでもない。ぼくの場合、キーボードで文字を打つ時間のほうが長い。そして出来上がった言葉の塊をネット...言葉は光だろうか

  • 火の時間

    ぼくの手は焚き火を求めてしまうそれはまだ小さくて柔らかい手だったけれど冷たい手をかざすと火の時間が過ぎていった大工が鉋で桧の板を削っていくその側で火は燃えていた木の匂いと煙の匂いに包まれて朝の顔を温めていたタローやジローは柴犬の名前チビやチョンも犬の名前だったシバタくんやオオクボくんシゲは同級生だった濡れた手や汚れた手が大人の会話をじっと聞いていたただそれだけだったそんな火を寒い朝は探してしまう火の時間

  • 鬼はどこに居るか

    きょうは節分だった。豆を撒いても、喜んで拾ってくれる鬼たちも居なくなったので、もう今年の豆撒きはやめにして、炒った大豆を自分でボリボリ食べた。素朴な味がおいしい。懐かしい味だ。食べかけたらやめられない。たぶん後で腹が痛くなるだろう。国産大豆と表記されているが、偽りでないことを願いたい。アメリカ産や中国産でないことを願いたい。腹が痛くなるくらいは我慢する。子供の頃はこれがおやつだった。粗食だが体にいいものを食べていたようだ。夢中になって食べては、あとで腹を痛くしたものだ。腹は痛くしたが、おかげで風邪は引きにくい体質になったかもしれない。今頃はあちこちで、庭の隅にこぼれた豆を拾って、鬼たちがボリボリ食べているかもしれない。彼らはそうやって、ますます元気になるのだろう。わが家には久しく福らしいものが来ないけれど、きっ...鬼はどこに居るか

  • おうい、雲よ

    おうい雲よゆうゆうと馬鹿にのんきさうぢやないか山村暮鳥のそんな詩を思い浮かべながらぼうっと雲を眺めているふんわりとやわらかそうなその手で生まれたばかりの、いまは春の赤ん坊を運んだりしているのだろうか遠い日のどこかで一片の雲みたいだったどこへ流れ着くのかもわからないでふわふわと、空に憧れていたいまは一本の木になって白い雲を追っているいつだったか、どこかのここへぼくを運んできたのは誰だおうい、雲よこの冬の野に放っておかないでくれおうい、雲よ

  • 好きなひとの名前は

    だいぶ前に新聞に載った小学2年生の作文をもとにして、ブログの記事を書いたことがある。小学生の作文のタイトルは『すきな人』というものだった。「すきな子の言い合いをしよう」ということで、友だち数人で順番に、隣りの子だけに聞こえるように耳元にささやく。作文の文章は次のように続いていた。「さいしょにぼくが、ぼくのすきな人の名まえを、ふくいくんの耳のそばで、小さいこえで言いました。ふくいくんは、「ふうん。」とちょっとわらいました。つぎにふくいくんが、ふくいくんのすきな人の名まえを、けいしくんの耳のそばで言いました。ちょっと聞こえました。ぼくと同じ人でした。つぎは、けいしくんが田ざきくんの耳のそばで言いました。また聞こえました。また同じ人でした。田ざきくんは田村くんの耳のそばで言いました。また同じでした。田村くんは、新田く...好きなひとの名前は

  • どこへ行くのか

    目が覚めたら枕元にぼくのぬけがらが転がっていた夕べの形のままで昨日までは終わったよとばかりに朝までそのままで皺は皺のまま色褪せは色褪せたままなんたる奴だぼくはふたたびぬけがらの形のままにぬけがらをまとうぬけがらが腕を伸ばすぬけがらが膝を伸ばすぬけがらがつまずくやっと歩き始めるどこへ行くのかぼくはぼくになれるのかどこまでお前はぬけがらなのかぬけがらは知らないどこへ行くのか

  • レンコンのお正月

    レンコンばかり食べていたお正月があった。東京でひとりだった。九州まで帰省するお金がないので、年末にアルバイトをしていた。暮れの31日に出社する社員などいない。それでアルバイトのぼくが残った仕事をやらされた。地図をたよりに、一日中電車で東京のあちこちを駆け回った。夜、解放されて、お正月休日の食料を買い込まなければとデパートに寄ったが、どこも食品売場は売り切れ。かろうじて、酢レンコンが1袋だけ売れ残っていたのを買った。食べるものはそれだけしかなかった。お正月でも食堂の1軒くらいは開いているだろう、などとは甘い考えだった。まだ武蔵野の林や藁屋根の農家が残っているような、東京のはずれに間借りしていた。たった1軒あった近所のソバ屋も、お正月はしっかり休んでいた。空腹になると酢レンコンをかじった。というより始終飢えていた。...レンコンのお正月

  • ねずみの歯と代えてくれ

    ことしは子年すなわち、ねずみ年らしい。最近はねずみを見かけることはほとんどなくなった。もしかしたら、ねずみもいつのまにか、絶滅してしまったのではないかと思えるほどだ。ぼくが子供だった頃、ねずみは身近な動物だった。夜など静かになって寝ていると、しばしば天井裏をねずみが駆け回って騒いでいた。そのことで驚かされるというよりは、そのようなことはごく日常のことだった。小さな鼻先が壁穴から覗いていることもあった。その壁穴も、ねずみが知らない間にあけたものだ。正月など、固くなった鏡餅までねずみに齧られた。もろぶたや米びつも齧られた。よほど丈夫な歯をもっているのだろうと思っていた。子どもの頃は、歯が抜けると、「ねずみの歯と代えてくれ」などと叫んで、抜けた歯を屋根や縁の下に放り投げていた。ねずみの歯と代えてもらうのは上の歯で、縁...ねずみの歯と代えてくれ

  • おみくじは吉だけど

    正月も、ついたち、ふつか、みっかと、何するでもなく時間も日にちも素早く過ぎて、よっかになってやっと、外の空気が吸いたくなって、近くの神社に初詣でをした。この神社は、古代より神仏習合の霊場として賑わったらしいが、織田信長の紀伊根来寺征伐の折に焼き討ちにあい、しばらくは廃墟になっていたという。そのとき唯一残ったとされる拝殿の下で、鈴を鳴らし柏手を打つ。今は拝殿の奥にこじんまりとした社殿と森があるだけの、静かな村の社といった感じで、鎌倉時代の賑わいや戦乱の跡を忍ばせるものはどこにもない。境内の人影はまばらで出店などもない。形ばかりのように社務所だけが開いているので、挨拶代わりのようにおみくじを引く。現代は亀の甲羅を焼いて神の言葉をきく時代ではない。一枚の薄い紙には五言絶句の漢詩もどきの文句がならんでいる。意味はよく解...おみくじは吉だけど

  • 新年おめでとうございます

    あけましておめでとうございます!この道はどこかへ辿りつく道線路は続くよどこまでもいつもどこからかぼくのブログを訪ねてくれる人がいてそんなことでいっぱい励まされていますほんとにありがとうございますことしも書きつづけますのでよろしく!新年おめでとうございます

  • ゆっくりのんびりと

    春が来たら返すつもりでいます借金ではありません、運転免許証です50年間、ぼくの旅のハンドルだった大事なものアクセルとブレーキが足だった阪神高速や東名高速道路や中国自動車道から東京の首都高速道路や中山道の中央高速道路は幾度となく瀬戸内海の3つの橋をフェリーで潜る郷里への道は九州のやまなみハイウェイ見知らぬ先祖を訪ねる旅は四国しまなみ海道紀伊半島や十津川の山道は逃避ドライブのようでさらには北陸自動車道から能登半島へ北は海霧の常磐自動車道から初めての東北自動車道わんこそばと宮沢賢治と三陸海岸の崖と浜と琥珀のドライブだったホンダN360から日産ブルーバードまで忘れられないタイヤ痕はあちこちにいまも未整理な風景写真のままで旅の感興もスピード違反でスルーしたかもこれからはゆっくりのんびりとハンドルもなし免許もなし超スローな...ゆっくりのんびりと

  • ポストマン

    いちにちに白い氷の丘をみっつ越えるんだと彼は言った手紙の宛先はひとつ行き先もひとつミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地ミス・イリナ・トゥントゥニン世界一美しい彼女世界中から愛の手紙が集まる彼の配達カバンはいつも重かったその日もいつものように白い氷の丘をみっつ越えたすると目の前に見慣れない川こんな川がいつのまにそれとも道をまちがえたかミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地ミス・イリナ・トゥントゥニン目をつむっていても迷うことはないああ、なんたるこった川幅はどんどん広がっていくしかたない手紙は紙ヒコーキにして向こう岸に飛ばしたが届いたのはわずかほとんどは川におちたその次の日もまた白い氷の丘をみっつ越えたもう向こう岸も見えなかった彼は泣きながら叫んだミエニアヴロ市トゥントゥリコルヴァ村8番地ミス・イリナ・ト...ポストマン

  • 夢みる頃を過ぎても

    眠りに入ったら目が覚めるまで、夢など一切みないという人もいるが、ぼくは就眠中ずっと夢を見ているような気がする。もしかすると、目覚める瞬間だけ夢を見ているのかもしれないが、夢から開放されてぐっすり眠ったと感じることは少ない。ときには夢に疲れて起きてしまうこともある。記憶に残らない夢もあるし、妙に鮮明に残る夢もある。どちらかというと記憶に残るような夢をみるときは、体調や情緒が不安定なときが多い気がする。それに反して、楽しい夢で目が覚めるときは体も心も安定している。もちろん、ぼく自身の勝手な夢解釈ではあるが。このところ頻繁にみる夢は、乗りたい電車の行き先がよくわからずに乗り遅れるとか、道に迷ってしまってなかなか家に帰れないとか、学校や会社に行きたくなくて、仮病を使ってサボっているとか、後ろ向きな夢が多い。夢の中でしき...夢みる頃を過ぎても

  • 日常生活ってどこにある

    12月に入ってからずっと、パソコンに振り回されてきた。そのせいで、日常の生活のサイクルがすっかり狂ってしまった。ああでもないこうでもない、と迷路に迷い込んでしまったみたいだった。こんなことをしていたら、すぐに正月が来てしまう。だからどうってこともないのだが、何かと忙しい年末に貴重な時間が費やされてしまうのは残念でならない。まずこの迷路から抜け出すことだ。とりあえず楽天市場で、中古のパソコンを購入した。使い慣れたDELLのパソコンで、型式は少し古いが新品のようにきれいなものが届いた。仕様も今までのものよりランクアップした。ネットにも簡単につながった。大げさだが、ここ数日間の悪戦苦闘は何だったのか。パソコンもスマホもGoogleに連携していたので、モニターにもかつての顔がそっくり戻ってきた。まだ気持ちの混乱は残って...日常生活ってどこにある

  • ネットが遠くなった

    パソコンが不調になった。インターネットにつながらない。パソコンは立ち上がっているのに、インターネットだけがつながらない。ネットにつながらないと何もできない。こんな単純なことを今さらに思い知った。OSが壊れたのかと思って、修復ディスクを入れてみたが回復しない。新しいソフトをインストールしたが、それでも駄目。ウインドウズを更新中に不調になったので、古いバージョンに戻してみたが駄目。あれこれ同じような操作を繰り返している。先週から今週にかけてずっと。つい最近まで、さくさくと快調に動いていた。長く使ってきたパソコンなので愛着がある。簡単に手放すこともできない。大して器械の知識もないが、出来る限りの手は尽くしている。DELLやOCNにも電話したが、話し中ばかりで埒が明かない。どうすればいいのか、パソコンばかりか、こっちま...ネットが遠くなった

  • ライトアップ

    光の虫になって明るさを求めている隅々にのこる暗がりに目を凝らして忘れていた約束を探していることばではなく指の隙間からこぼれ落ちたそんなやさしさをひろい集めに行きたいけれどあの古い石段は夢の中でしか探せない虫は回想のなかで生きている麦わらのストローで乾いた甘い息を吸ったり吐いたりしただれかが枯葉の道のフルートをだれかが夕焼け道のドボルザークをいまは街に光が溢れている暗がりも満ちている約束のことばを探しながら虫は徘徊する虫は飛翔するライトアップ

  • 木の都を、織田作之助とあるく

    小春日和の一日、落葉のように、ひらひらとさ迷ってみたくなる。それも、田舎道や林の中の道はさみしい。都会のにぎやかな道がいい。さまざまな形のビルがあり、マンションがある。まっすぐな広い道路があり、たえまなく人が交錯し、あわただしく信号が変わり車が疾駆する。いまの季節は、寒そうだったり暑そうだったりして、人々のさまざまな服装がおもしろい。新しい車や古い車の、型やスタイルを目で追いかけるのも楽しい。ぼくはただ歩いている。超高層ビルの、あべのハルカスの地下から地上に出る。天王寺の古い商店街を抜けて、夕陽ヶ丘から谷町へと、大阪の台地をあるく。車道の喧騒に疲れたら裏道にはいる。お寺や墓地、坂道などもあって急に静かになる。このあたりの坂道には、地蔵坂、源聖寺坂、愛染坂、口縄(くちなわ)坂などと由緒ありそうな名前がついていて、...木の都を、織田作之助とあるく

  • 散りゆく落葉は美しいか

    ある人の葬儀の礼状に、一枚の小さな栞が添えられてあった。清め塩ではなくて、「清め塩枝折り(しおり)」というものだった。それには次のような文章が記されていた。「仏教の教えでは、生と死は紙の裏と表のような、はがせない一つのものです。愛するものとも必ず別れがある。この真実を自己のこととして受けとめ、生命の大切さ尊さを見つめていく事が教えです。従って死を穢れと考えないので、塩で清めることはありません」と。生と死は、紙の裏と表のようなものだという。どちらが表でどちらが裏なのか、ぼくのような俗人の頭では、つねに表にあるのは生であって、死は、ときに紙が風にあおられて裏返るようにして、とつぜん現れるもの。そのように考えてしまう。だが、たまたま死に直面したとき、ひとが死ぬとはどういうことなのか、姿を消してしまったものはどこへ行っ...散りゆく落葉は美しいか

  • どんぐり

    ここはどこいつのまにこんなところまではるばると嵐のどんぐりを拾ったのはいつだったかその丸い実に小さな穴をあけてぴゅうぴゅうと鳴らした山はとおい海もとおい呼びかけるひとも遠かったいつのまにかこんなになってしまった暮れていく秋には追いつけないどんぐりの耳に聞こえてくるのは枯れた響きときに笛は歓喜しときに笛は悲嘆するどんぐり

  • 冬が来るまえに

    朝顔の花が日毎に小さくなって、ついには小さい秋になってしまった。ことし最後の、小さな朝顔の花が咲いている。おそらく最後だろう。こんなに遅くまで咲かせてしまったことは、花にとっては辛いことだったかもしれない。だが毎朝、花の数をかぞえることは、ささやかな楽しみではあった。だんだん少なくなっていく花の数だからこそ、その数を確かめることはささやかな朝の期待でもあり、花の最後を惜しむ小さな心の淋しさでもあった。とっくに夏は終わっている。朝顔の季節も終わっている。台風も豪雨もいくつもやってきては去り、川は氾濫し家々は泥水に襲われた。夏から秋へと、季節は決して優しくは推移しなかった。それでも新しい朝はやってきて、朝顔の花は咲くことを忘れなかった。そのことに慰められもした。最後の花を眺めながら、今では暑すぎた夏が恋しくもある。...冬が来るまえに

  • どこかに

    地球の朝がいっぱいの落葉にまみれているどんな嵐が吹き抜けていったのかあのひともどこからか来てどこかへと去ったが夢のかけらのような残されたものをいまも探しつづけている千々にくだけた朝は美しい光のさきのきっとどこかにいい国はあるのだろう落葉をあつめ質素な暮らしをたのしむかたいパンとやわらかい水とあまい果実と乳とたどたどしい言葉を小鳥のように口移しするもうひとつの朝がどこかにどこかに

  • あるく

    いつもの道をあるく遠かったり近かったりおなじ道なのに同じではない水たまりだったり穴ぼこだったりときには野良の道ときにはトカゲの道ただ風の道もあり足あとばかりをたどる白い道もいまは落葉の道一枚いちまい赤や黄や灰色や大きなものや小さなもの誰かのさよならだったり忘れ物だったりてんでにばらまかれたメモのようでもう思い出すこともできないきょうは葉っぱの絵手紙をかいて森のポストまであるく(ふわふわ。り)あるく

カテゴリー一覧
商用