吾亦紅(われもこう)
学生の頃、東京ではじめて下宿した家の、私の部屋には鍵がなかった。だから、ときどき2歳になるゲンちゃんという男の子が、いきなりドアを開けて飛び込んできたりする。そのたびに、気配を察した奥さんが慌ててゲンちゃんを連れ戻しにくるのだが、そのときに、いつも何気ない言葉を残していくのだった。「玄関のお花、ワレモコウっていうのよ」。これもそのひと言だった。関東には長十郎という大きな梨があることを、はじめて知った秋だった。私の部屋は玄関わきにあったので、ドアを開けると下駄箱の上の花が正面に見えた。その花は、花とも実とも言えそうな曖昧な花だった。花にあまり関心がなかった私が気のない相槌を打つと、「吾もまた紅(くれない)って書くのよ。すてきな名前でしょ」と奥さん。私は頭の中で言葉の意味を追ってみた。花の名前にしてはあまりに...吾亦紅(われもこう)
2024/09/24 09:39