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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

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2014/10/31

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  • 吾亦紅(われもこう)

    学生の頃、東京ではじめて下宿した家の、私の部屋には鍵がなかった。だから、ときどき2歳になるゲンちゃんという男の子が、いきなりドアを開けて飛び込んできたりする。そのたびに、気配を察した奥さんが慌ててゲンちゃんを連れ戻しにくるのだが、そのときに、いつも何気ない言葉を残していくのだった。「玄関のお花、ワレモコウっていうのよ」。これもそのひと言だった。関東には長十郎という大きな梨があることを、はじめて知った秋だった。私の部屋は玄関わきにあったので、ドアを開けると下駄箱の上の花が正面に見えた。その花は、花とも実とも言えそうな曖昧な花だった。花にあまり関心がなかった私が気のない相槌を打つと、「吾もまた紅(くれない)って書くのよ。すてきな名前でしょ」と奥さん。私は頭の中で言葉の意味を追ってみた。花の名前にしてはあまりに...吾亦紅(われもこう)

  • 恐や赤しや彼岸花

    近所の農家の、納屋の裏の空き地に彼岸花が群生して咲いている。今年はいつまでも暑いので、花の季節も遅くまでずれ込んでいるのかもしれない。いちめんに血のような、鮮やかな色が地面を染めている。ごんしゃん、ごんしゃん何故(なし)泣くろ彼岸花を見ると白秋の詩が浮かんでくる。いや、『曼珠沙華(ひがんばな)』という歌が聞こえてくる。というか、とっくに死んだ友人の歌声が聞こえてくる。記憶の日々は足早に遠ざかっていくが、彼の歌声はいまも近くにある。小学生の頃から、彼は高音のよく通る声をしていて、教壇に立って皆の前で歌わされたりしていた。社会人になってからも声楽のレッスンを受けたりして、歌うことの夢は持ち続けていたようだ。会うたびに、彼の歌い方は少しずつ変わっていった。ベルカント唱法という歌い方なのだと言った。彼が歌う『荒城...恐や赤しや彼岸花

  • 夏が始まり夏が終わる家

    その小さな駅に降り立った時から、私の夏は始まり、再びその駅を発つとき、私の夏は終わるのだった。汽車が大和川の鉄橋を渡ると、荷物を網棚から下ろして、私は降車デッキに移る。レールを刻む音が、新しい夏が近づいてくる足音に聞こえて、私の胸の動悸が早くなっていく。奈良県との県境にちかく、大阪の東のはずれに関西線の小さな駅はあった。乗降客はわずかしかいない。駅前には小さな雑貨屋が一軒だけあったが、あとは民家もほとんどなく、ひたすら急な坂をのぼる一本道があるのみだった。登りきったところに集落があった。そこは父が生まれて育ったところであり、叔父や叔母や年寄りが暮らしているところだった。庭一面をブドウ棚が覆っており、庭の隅っこに井戸と柿の木があった。その家はまた、夏休みになると従兄弟たちが集まるところでもあった。ノボルやミ...夏が始まり夏が終わる家

  • 夏の手紙

    きょうも近畿地方は34℃をこえる予報が出ていて、まだまだ炎暑の夏は終わりそうにない。かつては、暑い夏は騒がしいセミの声とともにあった。騒がしいセミの声が途絶え、ツクツクボーシが鳴き始めると、夏という季節が終わる淋しささえも感じたものだった。その頃、セミのことを手紙に書いたことがある。セミのことばかりを書いた。その人を好きだということを、正直に書けない事情があったので、その想いの量だけ、とにかくセミのことをいっぱい書いた。はじめにマツゼミのことを書いた。梅雨の晴れ間に松の木などで鳴いている。一般的にはハルゼミと呼ばれ、いちばん最初に現れるセミだ。姿は見たことがない。鳴き声だけはよく耳にした。次に現れるのはニイニイゼミだった。ジージーと鳴いている。体は小さくて翅に縞模様があった。地味な存在だった。さらにセミへ...夏の手紙

  • 桂馬の高とび歩の餌じき

    私が子どもの頃、近所には子どもがいっぱい居た。親戚の家でも、そうではない家でも、いずれの家にも子どもが沢山いた。みんな似通った年齢だったので、ごっちゃになって遊んでいた。ときには大人や老人や犬までも、ごっちゃになって遊んでいた。母の実家は隣にあった。母が子どもの頃、家は餅屋をしていたので、その名残りだったのだろうか、家の前に大きな縁台があった。餅を買って食べたりする通りがかりの客が、その縁台で一服する、そのためのものだったのだろう。夏の夕方など、その縁台で将棋をする。始めのうちは子ども達だけで、王より飛車を可愛がったりするヘボ将棋をしているのだが、だんだん大人まで集まってきて、ああだこうだと指図を始める。岡目八目という言葉もあるが、周りや高みから見ている方が、駒の位置が見やすく、形勢判断がしやすいもので、...桂馬の高とび歩の餌じき

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