いつか、朝顔市の頃
朝顔は朝ごとに新しい花をひらく。日々が新しいということを花に教えられる。朝顔はもともと中国大陸から渡ってきたものらしい。その時の名前は「牽牛(けんご)」あるいは「牽牛花」だったという。当時の中国では朝顔の種は高価な薬で、対価として牛一頭を牽いてお礼をするほどだったという。牽牛(けんご)という言葉の語源は、そんなところからきていたりする。牛から朝顔などというと、とても連想しにくいが、朝顔が好まれた江戸時代の日本では、いつしか朝顔姫とも呼ばれるようになったらしい。七夕の牽牛と織姫の連想から、日本人が好む優しい夢のある名前に変えられていったのだろう。浅草の古い裏通りで、江戸時代と朝顔を連想させるような、そんな風景にいちどだけ出会ったことがある。浅草は古い時代の雰囲気のようなものがまだ残っている街だった。飯田橋の...いつか、朝顔市の頃
2024/07/30 12:15