chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

後藤和弘のブログ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/30

arrow_drop_down
  • 「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」

    昔ドイツで住んでいたアパートの写真です。1969年から1年余シュツットガルトに住んでいました。cottastrasseの45番地でした。写真のアパートの3階です。そこから毎日Max-Plank研究所へ通っていました。娘はドイツの小学校、息子は幼稚園に行っていました。「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」

  • 「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」

    ライン川の中流に歌で有名なローレライの岩があります。その写真をお送り致します。出典は、https://imagenavi.jp/search/...です。「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」

  • 「川物語(2)ドイツのライン川の懐かしい風景」

    ライン川はスイスアルプスのトーマ湖が源流です。そこからボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かい流れ、カールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、などを通過しオランダ国内へと入ったあとロッテルダム付近で北海に注いでいる大河です。全長1,233キロメートル。そのうちドイツを流れるのは698キロメートルです。ドイツにとっては特に重要な川であり、ライン流域を主軸のひとつとしてドイツ史は展開してきたのです。私どもは1969年、1970年と1年4ケ月間、ライン川の近くのシュツットに住んでいました。ライン川には何度も行き川下りの観光船に乗ったりして遊びました。懐かしいライン川の写真をお送り致します。1番目の写真はスイスのシャッハウゼンにあるライン川の大きな滝です。以前ドイツに住...「川物語(2)ドイツのライン川の懐かしい風景」

  • 「今日は何故か山本量太郎神父と成城教会を懐かしく思い出しました」

    今日は何故か山本量太郎神父と成城教会を懐かしく思い出しました。山本量太郎神父さまは2000年から2010年迄の10年間、私共の小金井教会の主任司祭をして下さった方です。イエスさまが傍にいるような感じになるような説教をなさいます。起承転結の明快な感動深い説教です。小金井教会の後、本部の関口教会の主任司祭を6年なさってから成城教会に着任されました。山本神父様は私共がカトリック立川教会で塚本金明神父様に洗礼を受けた時、代父をして下さった山本大二郎先生のご子息です。そして随分前に関口教会で山本神父の叙階式に参列したことを鮮明に憶えています。今日は恩人の塚本金明神父様や、代父をして下さった山本大二郎先生の為に神に祈りました。人生における人間の絆の不可思議さを想います。写真は2016年にカトリック成城教会で撮りました...「今日は何故か山本量太郎神父と成城教会を懐かしく思い出しました」

  • 「 広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

    今日はインターネットを通うして広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真をお送り致します。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。聖霊降臨の主日(祭日)ミサhttps://www.youtube.com/live/iTxvvOlarq8第1朗読使徒言行録2章1~11節第2朗読ガラテヤの信徒への手紙5章16~25節福音朗読ヨハネによる福音書15章26~27、16章12~15節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

  • 「何度見ても感動する巨木の風景」

    武蔵野公園です。「何度見ても感動する巨木の風景」

  • 「今日は初夏のようです」

    今日は初夏のようです。水辺で子供達が遊んでいます。そんな風景の写真を撮って来ました。「今日は初夏のようです」

  • 「仙台の広瀬川」

    広瀬川は仙台市のシンボルとして親しまれている川です。『青葉城恋唄』(歌/さとう宗幸)にも唄われています。中流では仙台市の西縁から南縁を経て東へ流れています。両岸には自然が多く残され、初夏の鮎釣り、秋の芋煮会など市民がレジャーを行うことも多い川です。仙台七夕花火祭や広瀬川灯籠流しなど祭りの会場にもなっています。上流には紅葉の名所の作並温泉があります。宮城県と山形県の境にある関山峠付近が源になっています。全長は45Kmの一級河川です。江戸時代に伊達氏が居城にした仙台城は、広瀬川中流の右岸にある青葉山に築かれ、川を第一線の守りにしていました。幕末に広瀬川中流域で亜炭が発見されて以降、家庭で亜炭が広く使われてきました。しかし亜炭採掘は1950年代に終わりました。江戸時代には、広瀬川は上流から流れる場所の地名をとっ...「仙台の広瀬川」

  • 「広瀬川」

    広瀬川は仙台市のシンボルとして親しまれている川です。『青葉城恋唄』(歌/さとう宗幸)にも唄われています。中流では仙台市の西縁から南縁を経て東へ流れています。両岸には自然が多く残され、初夏の鮎釣り、秋の芋煮会など市民がレジャーを行うことも多い川です。仙台七夕花火祭や広瀬川灯籠流しなど祭りの会場にもなっています。上流には紅葉の名所の作並温泉があります。宮城県仙台市青葉区作並の山形県境にある関山峠付近に源になっています。全長は45Kmの一級河川です。江戸時代に伊達氏が居城にした仙台城は、広瀬川中流の右岸にある青葉山に築かれ、川を第一線の守りにしていました。幕末に広瀬川中流域で亜炭が発見されて以降、家庭で亜炭が広く使われてきました。しかし亜炭採掘は1950年代に終わりました。江戸時代には、広瀬川は上流から流れる場...「広瀬川」

  • 「川物語(1)故郷、仙台の広瀬川にまつわる思い出」

    昨日まで日本の美しい湖を沢山ご紹介しました。北海道の摩周湖から九州の池田湖まで丁寧にご紹介しました。今日からは「川物語」として数々の川にまつわる思い出を書き進めたいと想います。第一回の今日は故郷の仙台の広瀬川にまつわるいろいろな思い出です。いろいろありますが、広瀬川の川下りから始めます。仙台には青葉城跡があります。そばの経ケ峰の上には伊達政宗の霊廟があります。その青葉城跡の下には戦前の第二師団の軍隊の兵舎が並んでいました。そしてそばの広瀬川の岸辺に上陸用舟艇が15隻ほど放置されていたのです。1番目の写真は上陸用舟艇での川下りをした場所です。上陸用舟艇はここから500メートル位上流の第二師団跡の河原に放置してありました。上陸用舟艇は折り畳んであったので両方の側面を起こして棒で支えて乗り込みます。あとは持参し...「川物語(1)故郷、仙台の広瀬川にまつわる思い出」

  • 「新緑の写真を撮りに行く」

    皐月晴れに誘われて小金井公園まで新緑の写真を撮りに行きました。瑞々しい新緑の写真をお楽しみ下さい。「新緑の写真を撮りに行く」

  • 「新緑の琵琶湖の写真」

    新緑の琵琶湖の写真もお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「新緑の琵琶湖の写真」

  • 「冬の琵琶湖の風景」

    箱根の関から東側に一生住んでいると、「琵琶湖」が色々な意味で憧れの湖として心に棲みついてしまいます。そんな湖のほとりにネットの上での友人のちひろさんが住み、何時も感性豊かな写真をブログへ掲載しています。何故か写真作品へ心が引かれ何度も転載の許可を頂いて、このブログでご紹介して来ました。何度、掲載しても飽きないのです。今日も初冬の琵琶湖風景の写真を3枚ご紹介します。心が静かになり安らぐような写真です。初冠雪の山稜は比良山の山並みだそうです。(http://www.eonet.ne.jp/~hanamusasi/)尚、ついでにちひろさんからのご返事の一部も下にご紹介します。最近、あまり見ない美しい日本語ではありませんか?それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)====...「冬の琵琶湖の風景」

  • 「富士山の忍野八海の水の美しさ」

    富士山の忍野八海は車で90分で行けるので気軽によく行きました。富士五湖の山中湖の傍にある昔風の集落の中にあります。忍野八海は特に水が綺麗で中を泳いでいるヤマメやマスが鮮明に見えます。なんとかして、水の美しさを写そうと、いろいろ苦心して撮影しました。水の美しさをご想像しながらお楽しみ頂いて下されば嬉しく思います。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「富士山の忍野八海の水の美しさ」

  • 「午後の散歩、武蔵野公園のドジョー池まで」

    皐月晴れで薫風が吹いていました。気分爽快でドジョー池まで行って来ました。「午後の散歩、武蔵野公園のドジョー池まで」

  • 「北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の風景写真」

    私どもは2012年9月に北海道の東部の川湯に3泊し阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖、網走湖、能取湖、そしてオンネトーの湖などの幻想的な美しさを写真に撮りました。今日は北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の4つの湖の風景写真を示します。1番目の写真は風蓮湖です。風蓮湖は白鳥の飛来地として有名です。そのせいで何故か素晴らしい湖という印象が心に焼き付いていました。しかし何も無い寂寥とした風景が広がっているだけです。2番目の写真は能取湖(ノトロ湖)です。網走湖の北隣にあってオホーツク海へつながっている能取湖(ノトロ湖)は観光地ではありません。岸辺に立って沖を見やればただ広い海の水が静かな風波をたたえているだけです。という実感に身が震えます。そして浩然たる気分になるのです。3...「北海道の風蓮湖、能取湖、シラルトロ湖、網走湖の風景写真」

  • 「山中湖と富士山の風景」

    以前に新緑に埋まるような山道をドライブし山中湖に行きました。山中湖は晴れていましたが富士山の上の方は厚い雲に覆われていました。山中湖の沖には30年くらい係留しているヨットがいます。昔ヨットの趣味をしていたので懐かしくて写真を撮りました。そして岸辺を見ると見慣れないヨットが半分陸揚げしてあります。船底のキールが見えないので浅い場所ではキールが上げられる構造になっているようです。こういうキールなら山中湖の浅い岸辺に何処へでも着けられて楽しいのでしょう。そんなことを考えながら帰りは一気に中央高速を飛ばしてきました。「山中湖と富士山の風景」

  • 「遥かなる霞ヶ浦の白帆漁と私のヨット」

    最近のこのブログでは日本の美しい湖の写真をご紹介してきました。今迄ご紹介した湖は次の通りです。i摩周湖、屈斜路湖、桧原湖、猪苗代湖、白樺湖、蓼科湖、仁科3湖、三方五湖、精進湖そして鹿児島県の池田湖です。今日は私が23年間ヨットを帆走させた霞ヶ浦をご紹介したいと思います。白帆漁の写真と私のヨットの写真をご紹介します。霞ヶ浦の白帆漁は夏の風物詩です。私は2011年迄の23年間、霞ヶ浦でヨットをしていました。もう霞ヶ浦に行くこともありませんが毎年夏になると霞ヶ浦の白帆漁の風景を思い出します。大きな白い帆で網を引いて魚を獲っているロマンチックな風景です。自分のヨットの上から撮った白い帆の写真をお送りいたします。そして最後に私が乗っていたヨットの写真を示します。土浦港に係留していました。この写真は私のヨットを後から...「遥かなる霞ヶ浦の白帆漁と私のヨット」

  • 「花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来た」

    小金井公園にはいろいろなものがあります。今日は散歩しながら花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来ました。1番目の写真は花園です。2番目の写真は巨木の森です。3番目の写真は伊達家の門です。建築年代大正期、所在地港区白金二丁目。解説旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の家紋が木彫りで施されています。4番目の写真は江戸時代の農家です。吉野家(農家)(よしのけ)、建築年代江戸時代後期、所在地三鷹市野崎二丁目解説江戸時代後期に建てられた民家です。吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家とい...「花園、巨木の森、建て家の門、江戸時代の農家の写真を撮って来た」

  • 「開聞岳の麓に広がる池田湖」

    鹿児島の開聞岳の麓に広がる広がる池田湖の風景写真をお送りいたします。池田湖は地質学的に興味深い湖なので少し説明しておきます。1番目の写真は池田湖です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%B9%96です。池田湖は周囲15kmで最大水深は233mもある湖です。九州最大のカルデラ湖です。大鰻が棲んでいることで有名です。池田湖の湖面の標高は66mで深さは233もあり最深部は海底より低く海抜-167mです。湖底には直径約800m湖底からの高さ約150mの湖底火山があることが珍しいのです。約6,400年前に現在の池田湖付近から激しい水蒸気噴火が始まり大規模な火砕流の噴出と続き、現在の池田カルデラが形成されました。池田湖にはコイ、ワカサギ...「開聞岳の麓に広がる池田湖」

  • 「精進湖と富士山の風景」

    富士五湖は自宅から車で1時間30分くらいで行けるので四季折々何度も行きました。山中湖や河口湖は広大で富士山の眺めも美しい所です。そして精進湖は奥の方にあって開発もあまりされていない自然の残る湖です。海抜900mの静かな高原の湖です。湖畔に昭和天皇も泊まった山田屋旅館があり昔は家族で何度か泊まった懐かしい宿です。古い廊下の壁一面に昭和天皇が泊まったときの写真が誇らしげに飾ってありました。精進湖の魅力は岸辺まで車を入れることが出来ることです。そこから湖の向こう側に見える富士山が絶景なのです。昔の500円札に精進湖からの富士山の風景が使われていました。そんなことを思い出したので今日は精進湖から眺めた富士山の写真をお送りしたいと思います。秋の風景です。プロの撮った精進湖と富士山の写真の出典は、https://ww...「精進湖と富士山の風景」

  • 「5つの湖が静かに並んでいる三方五湖の美しい風景」

    若い頃から私は湖への憧れがありました。日本の湖はほとんど訪れました。今日は特に私が美しさに感動した三方五湖の5つの湖をご紹介致します。三方五湖は、福井県三方郡美浜町と若狭町にまたがってあります。五胡とは三方湖、水月湖、菅湖、久々湖、日向湖の5つの湖のことです。15年ほど以前に車で5湖を丁寧に巡り、その美しさに感動しました。何時ものよ三方五湖のうに妻も一緒でした。それでは五つの湖を順々に説明致します。三方湖五湖の中で最も南にあり、唯一の淡水湖です。鰣川、別所川、観音川、山古川、中山川が流入しています。1980年(昭和55年)に、湖底の堆積物を採取するためのボーリングが三方湖で行われました。採取した堆積物から花粉、珪藻などの微化石、あるいは植物が検出され過去7万年間の記録を保管していることが分かったのです。ま...「5つの湖が静かに並んでいる三方五湖の美しい風景」

  • 「安曇野、大町、仁科3湖をめぐる旅」

    数年前に信州への旅をしました。安曇野を中心にして碌山美術館、大王山葵園、大町山岳博物館、仁科3湖、白馬村などを丁寧にめぐりました。大町温泉の黒部ビューホテルに泊まりました。帰りに松本城に寄り、さらに八ヶ岳の清里の清泉寮の広い牧場の前で車を停め、富士山や甲斐駒岳の遠景をしばし眺めて帰ってきました。走行650Kmの家内と2人だけののんびりした旅でした。旅の間、この地方の歴史や30歳で夭折した彫刻家の碌山のことや明治時代のことをいろいろと考えました。今日は以前の旅で撮った風景写真をお送りします。1番目の写真は大町山岳博物館の前から撮った大町市と北アルプスの山並みです。数多くの登山家達が大町から穂高、槍、大天井、燕岳、そして白馬、唐松、五竜、立山へと登ったのです。そして何人もの若者が帰らぬ人になったのです。2番目...「安曇野、大町、仁科3湖をめぐる旅」

  • 「八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、蓼科湖への旅」

    ある秋の晴天の日に八ヶ岳の大泉高原、清里の清泉寮、野辺山に遊び夜は何時もの八ヶ岳ロイヤルホテルに泊まりました。翌日も秋の青空に太陽が輝いています。大泉のホテルから八ヶ岳高原ラインを小淵沢に下り、中央高速で茅野・諏訪湖まで走りました。後は大門街道とビーナスラインで白樺湖、蓼科山、車山、そして霧ヶ峰までの雄大な風景を楽しみます。やはり自然の風景にまさるものはものは無いと感動したので帰路も樹林の中を走ることにしました。樹林の続く北八ヶ岳の麓を根気よく走り蓼科温泉に出ました。蓼科湖の湖畔を散歩して帰って来ました。帰りは中央高速の茅野・諏訪湖インターから入り一路、府中出口まで帰って来ました。天気に恵まれたので風景写真が良く撮れと思います。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は大泉高原から間近かに見た八...「八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、蓼科湖への旅」

  • 「高原にある日本の湖への私の憧れ」

    どういう訳か私は若い頃から高原にある湖への憧れています。日本の高原のの湖はほとんど訪れました。さて今日は特に私が美しさに感動した4つの湖をご紹介致します。摩周湖、屈斜路湖、桧原湖と猪苗代です。北海道と福島県にある湖です。1番目の写真は北海道の摩周湖です。https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10052.html2番目の写真は屈斜路湖です。写真の出典は、http://inakaseikatsu.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30です。3番目の写真は桧原湖です。https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1691.html4番目の写真は猪苗代湖です。猪苗代湖の写真の出典は、http://blog...「高原にある日本の湖への私の憧れ」

  • 「壊れた零戦、ナマズ、トマト畑と寝転がる馬」

    1945年に仙台がB29の空襲で焼野原になった後で田舎に疎開しました。その農村の生活は都会とは違って面白いものです。面白い思い出を4つ書きます。(1)河原に不時着した零戦に登って遊ぶ。終戦御一刻の早く故郷に帰りたい零戦の操縦士が郷里の実家の近くの河原に不時着したのです。考えは良かったのですが凸凹の河原で機体が大破しました。我々悪童連は操縦席に入り込み遊んだのです。その上風防のガラスを割り破片を持ち帰りました。そのガラス片はこするとバナナの香りがしました。食糧難の当時ばバナナの香りで幸福になったものです。]すべての写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は零戦です。(2)ナマズを泥川と取って食べる。零戦が不時着したのは泥の川の河川敷でした。我々は物干し竿に糸をつけて大きなミミズを餌にしてナマズを...「壊れた零戦、ナマズ、トマト畑と寝転がる馬」

  • 「鰻のかば焼き」

    鰻のかば焼きはもともと、江戸前とはうなぎから生まれた言葉であり、大川(今の隅田川)河口付近で獲れた鰻を江戸前鰻と称していたことがはじまりです。江戸前「鰻のかば焼き」は、生きた鰻を割いて串打ちにし、白焼きにして蒸したものにたれをつけて焼く。関東と関西では、調理法が異なり、関東では、鰻を背開きにして骨、内臓を取り、串に刺して白焼きにし、蒸す。そして、炭火でたれをつけながら焼きあげる。関西では、蒸さずに焼きあげる。腹開きにすることで、蒸しても串から落ちずに焼くことが出来る。名前の由来には、鰻をぶつ切りにした鰻を、竹串に刺して焼いたものが蒲(がま)の穂に似ていることからという説、焼き上がった際の色や形が「樺の木」に似ているからとする説、いい香りが早く鼻に入るという意味の「香疾(かばや)」が転じたとする説など、諸説...「鰻のかば焼き」

  • 「泥鰌はどんな魚?」

    泥鰌はコイ目ドジョウ科の淡水魚です。小川や田などにすみ、冬は泥に潜ります。全長約20センチにもなり、体は細長い筒形で尾部は側扁し、背側は緑褐色、腹側は淡黄褐色で、口ひげは五対です。うろこは細かく、厚い粘液層で覆われ、補助的に腸呼吸を行います。柳川鍋やどじょう汁などにして食べます。分布:日本列島(伊豆・小笠原諸島、琉球列島を除く)、朝鮮半島、アムール川、中国中南部からベトナム北部、台湾、海南島。移植として、ヨーロッパ、北アメリカ、北海道などです。雑食性で、ユスリカの幼虫、イトミミズなどを主に摂食する。主に用水路や田などに生息しており、冬に水温約7℃を下回ると、泥の中で冬眠を始める。口ひげは上顎に3対下顎2対で合計10本ある。このひげには味蕾(みらい)があり、食物を探すのに使われる。えらで呼吸するほか、水中の...「泥鰌はどんな魚?」

  • 「疎開生活とドジョウ汁の思い出」

    生まれ育った仙台は終戦直前の7月10日に焼け野原になってしまいました。100機のB29が焼夷弾をばらまいて焼け尽くしました。その後すぐに私は弟2人と共に宮城県の北の農村に疎開しました。そこではドジョウ汁をよく食べました。散歩する度にそなことを時々思い出します。武蔵野公園の「どじょう池」のそばそばを通る度に思い出すのです。1番目の写真は武蔵野公園の「どじょう池」です。2番目の写真は「どじょう池」の看板です。この付近は湿地帯でや沼が沢山あります。そこにはドジョウが沢山棲んでいます。昔からこの地の人々がそのドジョウを食べていたのです。この「どじょう池」を見る度に私は昔の疎開生活を思い出します。そしてよく食べたドジョウ汁を思い出します。3番目の写真は私が疎開した宮城県の北の農村によく似た農村の風景です。写真はイン...「疎開生活とドジョウ汁の思い出」

  • 「山梨県の秘境、瑞垣山とみずがき湖の写真」

    山梨県の秘境と言えば瑞垣山一帯ではないでしょうか。瑞垣山を知っている人は少ないと思います。しかし美しい山です。1番目の写真は山梨県の秘境にある瑞垣山です。この山は私の小屋に近いので何度も行きました。山容の美しさに魅了されて何度も行きました。そして瑞牆山(みずがきやま)から流れ下る渓流を堰き止めた塩川ダム湖、「みずがき湖」も美しい湖です。瑞牆山の見える山頂直下の公園から20kmくらい下にある湖です。2番目の写真は塩川ダム湖、「みずがき湖」です。3番目の写真は塩川ダム湖、「みずがき湖」の拡大写真です。4番目の写真は塩川ダム湖の全容です。この瑞垣山は私の山林の中の小屋に近いので以前に何度も行き山容を見上げたり「みずがき湖」の静かさに息をのんだりしました。懐かしい所なので写真を示しました。「山梨県の秘境、瑞垣山とみずがき湖の写真」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真です。今日はインターネットの広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの風景写真」

  • 「日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地」

    日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地と私は思っています。日本の全てのカトリック教会はローマ法王へ直属していますので「日本本山」というものはありません。しかし私は長崎の大浦天主堂が「日本本山」だと思っています。日本を訪問したフランシスコ教皇も長崎へ巡礼の旅をなさいました。五島列島には江戸時代に隠れキリシタン達が沢山住んでいたのです。明治時代になって禁教が解けた以後に隠れキリシタン達が美しい教会をたくさん作ったのです。数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行ったのです。それは隠れキリシタン達を偲ぶ巡礼の旅でした。そこで今日は美しい五島列島の風景写真をお送りしようと思います。写真は五島列島の風景写真です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。2024年5月12日主の昇天(祭日)-日本語-(youtube.com)第1朗読使徒言行録1章1~11節第2朗読エフェソの信徒への手紙4章1~13節福音朗読マルコによる福音書16章15~20節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

  • 『第73回水郷潮来あやめまつり』開催のお知らせ

    何年か前に実際に行って感動しましたのでお知らせ致します。潮来あやめまつりは昭和27年にはじまった歴史あるまつりです。当初は、あやめや花菖蒲の愛好家たちがビール瓶などに花菖蒲やあやめの切り花を入れて行なわれていました。園内には、約500種100万株のあやめ(花菖蒲)が植えられており、見頃を迎えると一面に咲き誇ります。一番の見頃は例年6月10日頃です。期間令和6年5月17日(金)~令和6年6月16日(日)詳しくは、https://www.city.itako.lg.jp/page/page005638.htmlをご覧ください。『第73回水郷潮来あやめまつり』開催のお知らせ

  • 「今日の散歩、花園の写真を撮りに行って来た」

    今日は午前中にイトーヨーカドーに食料品を買いに行き、午後の散歩は小金井公園の花園の写真を撮りに行って来ました。「今日の散歩、花園の写真を撮りに行って来た」

  • 「潮来のあやめをお楽しみ下さい!」

    潮来のあやめが満開になり、初夏の川風に揺れていました。お楽しみ頂ければ幸いです。(続きの写真は明日に掲載します)撮影日時:6月17日午後2時前後「潮来のあやめをお楽しみ下さい!」

  • 「アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の美しい季節」

    今年も間もなくアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の咲く季節になりまた。今日はこのお互いに似た花の識別法をご紹介したいと思います。知っていると便利です。私の大切にしている庭の花に潮来から15年前に持って来た潮来アヤメがあります。毎年、もう少しすると見事な花を咲かせます。毎年のように、庭の潮来のアヤメの写真を掲載します。すると必ず「それはハナショウブです。間違った名前で書かないで下さい」というコメントを頂きます。しかし私は訂正しません。潮来の人々がアヤメと言っていることを尊重するのです。そして15年前から分類学の視点からいろいろ調べています。そうしたら昔から地方地方によってアヤメを菖蒲と呼んだり、逆に花菖蒲をアヤメと呼んだりしていたことが判明したのです。もう少し詳しく書けば、アヤメ類の総称として、ハナショウ...「アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の美しい季節」

  • 「今日の散歩、都立武蔵野公園をさブラブラ」

    皐月晴れに誘われて蔵野公園をさブラブラして来ました。ウグイスが鳴いていました。写真はインターネットからお借りしました。「今日の散歩、都立武蔵野公園をさブラブラ」

  • 「昔の店の風景を見ながら当時の生活を懐かしく思い出す」

    小金井公園にある「江戸東京たてもの園」では江戸時代の農家や明治時代の商店や大正時代の田園調布の住宅などが移築、展示してあります。昨日は特に昔の商店の店先を丁寧に見ました。見ながら当時の生活を懐かしく思い出しました。今日は昔の商店の店先の写真を示します。そして思い出した当時のことなどを書きます。1番目の写真は「江戸東京たてもの園」の昔の商店を移築してある通リの風景です。この通りの左右に昔の商店を移築されて並んでいます。2番目の写真は花屋さんの店先です。昔は真っ赤な真っ赤なバラを妻の誕生日に贈ったことを思い出しました。3番目の写真は鍋釜を売っている店です。特に少年の頃の昔風の釜が懐かしいです。随分以前から我が家では昔風の釜を使っておりません。4番目の写真は鰹節の専門店です。昔は鰹節は貴重でした。山里のお寺で育...「昔の店の風景を見ながら当時の生活を懐かしく思い出す」

  • 「今日は特に空が美しいので写真を撮る」

    青い空に白い雲がゆっくり流れています。小金井公園へ行きながら空の写真を写しました。「今日は特に空が美しいので写真を撮る」

  • 「日本が太平洋戦争でアジア諸国の植民地を独立させた」

    日本人が誇りにすべきことを書いてみたいと思います。それは日本がアジア諸国を欧米の植民地から解放し東南アジア諸国を独立させたことです。太平洋戦争で東南アジアの諸国を独立させたことです。1946年12月8日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦に参戦した日本は、快進撃を続け、瞬く間に東南アジアを占領してしまいました。その地域はイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地だったところです。ですからその地域の日本軍の占領は植民地の解放とも言えます。欧米人を追い出し、大東亜共栄圏という経済圏を作るというのが日本が主張した大義名分でした。東條総理は各地の首脳を東京に集め、大東亜共栄圏を作るためのアジア会議を開催しました。しかし1945年の夏に日本が敗北するとビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、イン...「日本が太平洋戦争でアジア諸国の植民地を独立させた」

  • 「ホーチミンとベトナムの独立のためフ戦った残留日本兵」

    現在のベトナム、カンボジア、ラオス地域には大きな戦争が2度ありました。1946年から1954年のベトナムとフランスの間のベトナム独立戦争と1964年から1973年の主にアメリカ軍と戦ったベトナム戦争です。この2つの戦争でベトナムはインドシナ半島からフランスとアメリカを完全に駆逐したのです。今日はベトナム独立戦争におけるホーチミンとベトナム独立軍と共にフランスと戦った残留日本兵にまつわる話を書きたいと思います。ベトナムは戦後、終始一貫して日本を尊敬し友好的な国だったのです。現在も熱烈な友好国のベトナムには数多くの日本企業が展開しています。この友好の原因は戦後、ベトナム独立のためのフランス軍との戦争のときに多くの残留日本兵がベトナム軍に義勇兵とした参加したからです。ベトナム独立運動はホーチミンが主導しました。...「ホーチミンとベトナムの独立のためフ戦った残留日本兵」

  • 「インド人のフェルナンデス君の思い出」

    アジアと西洋の間にインドがある。行ったことはないが、アメリカやドイツで会ったインド人は皆例外なく親切で、私の面倒をよくみてくれた。宗教はヒンズー教が多い。日本人の仏教は大ざっぱに言えばヒンズー教の一派となるのか、非常に親しげにいろいろ面倒を見てくれる。1969年秋、ドイツのローテンブルグでのこと。私は34歳。カトリック教会へ連れて行ってくれたインド人フェルナンデス君は22歳。中世風のカトリック教会で3ケ月間、毎日曜日ミサへ連れて行ってくれた。ミサの後は決まって傍のレストランでチキンの空揚げの昼食をとり別れた。宗教談義はしない。ただ「ヨーロッパを車で観光するときには、村々の教会へ入り、お祈りしなさい。ヨーロッパ人の宗教が理解できますよ」と言った。彼はカトリック教徒であった。まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語...「インド人のフェルナンデス君の思い出」

  • 「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」

    八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。セツから聞き出した数々の怪談話を文学作品として英語で発表したのです。しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。平川呈一などの名訳でさらに広く読まれるようになったのです。そのような悲しい、そして幸せな人生もあるのです。以前に松江に行き彼の旧居と記念館を見てまわりました。記念館を見て、その雰囲気に感動しました。記念館には家庭の愛が感じられたのです。どんなに八雲がセツや子供を愛したかがすぐに分かるように展示してあるのです。遺族が経営に参加し展示を受け持っているようです。そこで小泉八雲の一生をかいつまんでご紹介しておきます。ギリシャで生まれ父母の離婚で親類...「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」

  • 「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」

    山里の山林の中の小屋に以前は時々泊りました。でも最近はその元気もなくなりめったに行きません。時々思い出すのは漆黒の闇に包まれた森の奥の小屋に泊まったことです。周囲の木々が暗い森の中を歩き回るような恐怖を感じました。考えてみたらこんなにも暗い夜に人魂が飛んでいるのを見たことがありました。そして「のっぺらぼう」や「かまいたち」や「おいてけぼり」が人間に悪さをする話もよく聞きました。半信半疑ながら熱心に聞いたものです。妖怪たちは身近にいたのです。小泉八雲の怪談に出て来る「雪女」は雪国に本当にいると思い込んでいました。「耳無芳一の話」や「鳥取の蒲団」を読んではゾクゾクしたものです。そのような私の楽しみが最近消えてしまっていたのです。街中に住んでいると暗闇の不気味さを忘れていました。ところが暗い森の奥の山小屋に泊ま...「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」

  • 「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」

    新宿の中村屋で中村彝(つね)の「エロシェンコ像」という油彩画を見た時の感動が忘れられません。暗い悲しげな表情に芸術への憧れがみなぎっているのです。表情が詩的美しさでほのかに輝いているのです。直観しました。エロシェンコはただ者でない!、描いた中村彝もエロシェンコの芸術に共鳴している!それ以来、エロシェンコと中村彝が忘れられない存在になったのです。今日は盲目の詩人、エロシェンコと夭折の画家、中村彝の絆の物語を書いてみたいと思います。まずエロシェンコですが、彼はウクライナ人で詩人、童話作家でした。モスクワの盲人学校に学びエスペラントを習得します。ロンドンに学んだ後の1914年(大正3)東京にきて、日本語とエスペラントで童話を発表しました。東京では大杉栄、神近市子、中村彝らと親交を結びます。1919年、ソ連のスパ...「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」

  • 「マロニエの白い花が咲く山里の小さな美術館」

    それは本当に小さな美術館です。南には甲斐駒岳が花崗岩を白く輝かせて聳え、北には八ヶ岳連峰が望める高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて、一歩足を踏み入れると何故か芸術的な香りが漂ってくるのです。毎年、初夏になると白いマロニエが咲いています。今年は行けませんでしたので以前の写真をお送りいたします。この山里にある美術館は清春白樺芸術村の中にあります。白樺林に囲まれた小さな美術館の前の広場には幾つかの建物があります。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエのラ・ルーシュがパリから移築されています。そしてエッフェル塔の階段の一部も移築されています。その奥にはジョルジュ・ルオーの記念礼拝堂もあります。茶室もあり梅原龍三郎のアトリエも復元されています。美術館にはルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数...「マロニエの白い花が咲く山里の小さな美術館」

  • 「我が町の小さな美術館と中村研一 の油彩画」

    今日の東京は雨です。しかし昨日は気持ちの良い皐月晴れでした。都立武蔵野公園と野川公園へ散歩しました。帰り餅で中村研一美術館の前を通りました。1番目の写真は昨日の中村研一美術館の正面玄関です。2番目の写真は昨日の中村研一美術館の側面です。小金井市に住み始めた頃に新婚の頃妻が中村研一画伯の絵のことを教えてくれたことを思い出しました。そこで今日は中村研一の油彩画をご紹介致します。中村研一の家を遺族から寄贈された小金井市が改装して「はけの森美術館」として公開しています。中村研一記念美術館とも言います。中村研一(1895年-1967年)は洋画家で、日本芸術院会員でした。中村研一は絢爛とした派手な絵を描かない画家です。どちらかと言うと地味な堅実な絵画です。しかし地味ながらも油彩画の奥深い確かな美しさが魅力です。それで...「我が町の小さな美術館と中村研一の油彩画」

  • 「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その三

    調布市にあった「京王フローラルガーデン」は営業を終了して閉園しました。跡地は駅周辺とともに再開発されました。1956年(昭和31年)に「東京菖蒲園」として後に「京王フローラル・ガーデン」と改名し以来65年間、美しい花々を見せてくれた花園でした。私は仕事を一切止めた70歳の時から15年間足繁く毎月のように通った花園です。何時も家内が一緒でした。この花園は文字通リ私と妻の最後の「花道」でした。老境を幸せにしてくれた楽しい花園でした。春にはいろいろなマグノリアが咲きます。春夏秋と季節の草花が色どり、そして冬でも足もとの小径にはパンジーが咲いています。夏の芝生の原には球体のギガンジュームが咲きます。そしてバラ園には一年中いろいろなバラが咲いています。この花園は四季折々いつも花が絶えないのです。家内は花々が好きなの...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その三

  • 「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二

    消滅した京王フローラル・ガーデンには実にいろいろな花が咲いていました。そのいろいろな花の写真をお送り致します。写真の撮影日は2014年5月8日でした。消滅した京王フローラル・ガーデンのいろいろな花の写真をお送り致しまじた。「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二

  • 「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一

    東京に京王電鉄という会社があります。新宿から西の郊外に電車を走らせています。その会社が京王多摩川駅の前に「京王フローラル・ガーデン」という花園を公開していました。もう3年前に閉鎖して今はありません。しかし以前は妻と一緒に何度も訪れた懐かしい花園でした。今日はその京王フローラル・ガーデンの懐かしい写真をお送り致します。かつて訪れた方々は懐かしくご覧になると思います。京王フローラル・ガーデンにはいろいろな花々が盛んに咲いています。花々が豪華に咲いています。その花園の中に遊歩道が出来てるのです。写真は10年前の2014年5月9日に撮りました。1番目の写真は遊歩道の足元に咲いている草花です。2番目の写真は花が溢れるように咲いている風景です。3番目の写真は歩きやすいように板を敷いた遊歩道です。さて京王フローラルには...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一

  • 「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」

    今日は晴天です。午後から小金井公園に行き巨木の写真を撮り、教会に寄ってお祈りをして来ました。気分爽快な一日です。「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」

  • 「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」

    今日はは以前に撮った新緑の宮ケ瀬湖の風景をお送り致します。この湖は神奈川県の丹沢山系の水を集めた高原のダム湖です。静かな湖面にウグイスの声が美しく響きわたっていました。山々の新緑から薫風が吹いてきました。新緑の山と湖の風景写真をお楽しみ下さい。「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」

  • 「2024年5月5日 復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」

    今日は復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真をお送り致します。「2024年5月5日復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」

  • 「2024年5月5日 復活節第6主日のミサ動画配信」

    2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信です。カトリック葛西教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=oW5kJwxQ8KQ1969.6.24松江教会献堂式初代主任司祭エドワード・グリフィン神父1979.6二代主任司祭ジョン・マカティ神父着任聖アウグスチノ・カトリック葛西教会東京都江戸川区中葛西1-10-15TEL:03-3689-0014東西線西葛西駅または葛西駅から(徒歩15~20分)「2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信」

  • 「風薫る五月に 、 "Im wunderschönen Monat Mai"」

    風薫る五月になるとシェーネン・モナート・マイという言葉をつぶやくようになります。家内が何か本で読んで覚え、新婚のころ私に教えてくれた言葉です。この言葉はハイネの詩から出ているようです。後にシューマンが曲を付けて有名な歌曲になりました。ハイネの詩はこうです。ImwunderschönenMonatMai,風薫る五月にalsalleKnospensprangen,蕾たち弾けるころdaistinmeinemHerzen僕の心の奥にdieLiebeaufgegangen.咲いた恋心・・・以下省略します。(訳文は、https://sfukuhara.web.fc2.com/lyrics/1/analyze/im_wunderschoenen_monat_mai.htmlからです)日本でも皐月はすがすがしい季節で俳句...「風薫る五月に、"ImwunderschönenMonatMai"」

  • 「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」

    今日の散歩は武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで行って来ました。家から4Km弱くの野川公園まで電動車椅子に乗って行って来ました。とにかく新緑の美しさに魅了され夢心地でした。それにしても良い季節になったものです。1番目の写真は武蔵野公園です。続く写真はすべて野川公園です。「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」

  • 「昔遊んだ懐かしい山寺の写真」

    仙台から山形へ行く鉄道は仙山線です。その山形県に入ってすぐ山寺駅があります。芭蕉が、「岩にしみいる蝉の声」という句を作った立石寺のある所です。仙台に住んでいた頃何度も遊びに行った山の上のおl寺です。その風景写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「昔遊んだ懐かしい山寺の写真」

  • 「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」

    宮戸島には大高森という山があります。その頂上から見た松島はまさに絶景です。私も何度も登りました。その写真はインターネットからお借りしてお送り致します。4番目の写真は大高森へ登る坂道です。懐かしi坂道です。写真はインターネットからお借りしました。「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」

  • 「会ったことの無い祖父と宮戸島のいろいろ」

    母方の祖父は松島の東にある宮戸島の小学校の校長をしていました。私が生まれる前に病死したので一度も会ったことがありません。昭和の初めころのことです。情に篤い人でしたが酔うと松島から泳いで宮戸島まで帰ってきたそうです。泳ぎの上手い豪の者だったそうです。弟子たちを可愛がることで島では有名な校長だったそうです。そんな弟子の一人に「みのあんつあん」という小父さんがいました。恩義に思って私どもを何度も島に招んでくれました。島で泊る所は決まっています。祖父が下宿していた曹洞宗のお寺です。室浜から山を隔てた小高い場所にある質素なお寺です。祖父は本堂の客殿に寝ていたそうです。校長をしていた室浜の小学校で一杯の酒を飲んでほろ酔いで道の無い山を越えて下宿先のお寺に帰ってきたということです。宮戸島に行くとお寺の住職や「みのあんつ...「会ったことの無い祖父と宮戸島のいろいろ」

  • 「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」

    韓国の少数民族を調べてみると朝鮮民族以外見つかりません。高句麗、百済、新羅の三国時代(4世紀中葉-676年)から朝鮮半島には朝鮮族だけでした。日本にはアイヌ民族や北方民族が住んでいましたが朝鮮民族以外は住んでいなかったのです。そこで朝鮮半島、特に韓国の宗教事情を調べてみました。日本の宗教事情とは大きく違ってます。大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じているのです。韓国にはシャーマニズムから仏教、儒教、キリスト教、イスラム教まで様々な宗教が共存しています。2015年の統計によると、韓国の人口の44%が宗教を信じています。韓国人にとって根強い思想は仏教と儒教で、韓国の遺跡や文化財の半分以上が、仏教や儒教に関連しています。仏教は西暦372年に伝わり、全国に数万ヶ所の寺があります。儒教は朝鮮時代(1392~...「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」

  • 「幼少時の思い出、そして想うこと」

    誰でも仕事を止めて老境に入ると、それまで仕事の忙しさで忘れていた幼少時の思い出がよみがえって来ます。それは喜びと悲しみの入り混じった懐かしさです。切ない思い出です。われわれ年代の高齢者の幼少時は戦前、戦後の苦しい時代でした。貧しさ故の悲しみが入り混じった懐かしい思い出です。さて自分が撮って来た山郷の花々の写真をお送りいたします。甲斐駒岳の東に広がる北杜市の武川町の花々です。これらの花々の写真をしみじみと眺めながら想ったことがあります。現在、働き盛りの若い人々は老境になってどのような思い出を持つのでしょうか?時代が違いますから思い出の具体的な内容は違います。想像して書いてみました。楽しかった海外旅行、スマホ、ゲーム、ドライブ、ショッピング、旅先で食べたソフトクリームの味、おとぎの国のようなディズニーランドの...「幼少時の思い出、そして想うこと」

  • 「春うらら、時々思い出すはるかな尾瀬 遠い空」

    春うららの季節になりました。こんな季節には遥かな尾瀬の風景を思い出します。一時流行った尾瀬の歌を思い出します。『夏の思い出』という歌でした。1949年発表の日本の歌曲です。NHKにて放送されるや否や、瞬く間に多くの日本人の心をとらえたものです。この歌のおかげで尾瀬(おぜ)の人気が高まり訪れる人が非常に多くなったのです。私は1951年に高校に入学し、1954年に大学に入学したのでこの曲をNHKのラジオで何度も聞き、自分でもよく歌ったものです。当時は仙台に住んでいて、復興もまだまだで苦しい生活でした。はるかかなたの尾瀬などへ行くことは出来ません。ですから尾瀬とか水芭蕉という言葉は憧れの夢だったのです。写真雑誌で尾瀬の風景や水芭蕉の群落の光景を見てますます憧れが強くなったものでした。『夏の思い出』の作曲は、『ち...「春うらら、時々思い出すはるかな尾瀬遠い空」

  • 「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」

    この季節は春うららです。良い季節です。そんな季節でも私は時々戦争のことを思い出します。一面に焼け野原になった仙台の風景を思い出します。79年前の8月15日は日本が無条件降伏しました。人にはそれぞれの思い出があります。私も時々終戦直後のことをいろいろ思い出します。私は男3人の兄弟の長男でした。その3人だけで宮城県北部の農村に疎開してました。7月10日の空襲で仙台が焼け野原になった後に疎開したのです。今でも時々自分が聞いた玉音放送を思い出します。真夏の太陽が照りつける田舎の国民学校の校庭で聞きました。雑音が大きくてよく聞き取れませんでしたが、敗戦を告げる昭和天皇の悲しそうな声が途切れ途切れに聞こえました。先生が敗戦だから今日は家に帰れと言います。田圃のあぜ道をつたい歩きしながら疎開先の農家に帰りました。その夜...「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」

  • 「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」

    自宅から3Kmくらいの所に都立多摩墓地があります。広大で緑リの多い公園のような墓地です。散策に良い場所なのでち時々行きます。今日も晴天なので先程行って来ました。都立多摩墓地は新宿の西方約20kmの緑に囲まれた武蔵野の面影を残す霊園です。面積は128ヘクタールと都立霊園の中で最大の広さです。この霊園は海外の森林墓地を参考にして作られたわが国最初の公園墓地であります。各界の有名な人の墓も多いので訪れる人も多い霊園です。写真をインターンットからお借りしましてお送り致します。「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」

  • 「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」

    ブログは2007年に書き始めました。それ以来17年間毎日書き続けました。17年間も毎日書き続け続けられたことに自分ながら驚いています。このように毎日書いている理由は過去の楽しかった日々を思い出すからです。例えば山林の中の小屋に来てくれた友人との楽しかった日々を思い出すからです。いつも妻が一緒でした。写真は私の小さな小屋です。山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中にあります。晩秋に撮ったので木々が紅葉しています。電気、ガス、水道の無い小屋でした。スウェーデンの学生さん達も来ました。楽しい思い出がたくさんある小屋です。写真の手前には一年中、水の涸れない小川が写っています。小川にはヤマメが棲んでいます。小川の水は小屋に泊まるときの生活用水です。飲み水は自宅から持って行きます。小屋の冬は非常に寒いのです。山林の中の小屋に...「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」

  • 「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」

    今日は身近な庭や花園に無い花の話です。山や遠い海辺に咲いている花々の写真とそれらにまつわる思い出をお送り致します。1番目の写真は石楠花の写真です。写真の出典は、https://horti.jp/2152です。シャクナゲは山に咲いています。若いころ蔵王山に登った時に見ました。きつい登攀で疲れたとき一面に咲いている白い石楠花に会いました。その瞬間に疲れが消えてしまったことが忘れられません。この写真の石楠花は園芸種です。山に咲いているのは純白の美しい花です。2番目の写真は数年まえの5月に山梨県の上野原市の山奥で私が撮った朴(ホウ)の木の花です。朴の木は山奥に生えている大きな木です。大木の高い梢に咲くのでめったに見ることが出来ない珍しい花です。初夏に白い大き花を開き、芳しい香りを漂わせます。そして甲斐駒岳の麓にあ...「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」

  • 「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」

    少数民族と言えばアーミッシュの人々も少し変わった少数民族です。私が実際に見た少数民族です。総数は22万人だけです。自動車や電気・ガス・水道のような近代文明の利器を一切拒否して、牧畜と農業だけで完全な自給自足の生活をしているのです。彼等はアメリカのペンシルベニア州やオハイオ州の中西部やカナダ・オンタリオ州などの農村に住んでいるキリスト教の一派の人々です。その総数の約22万人は年々増加しているようです。増加の原因は多産にあると言われています。私は1990年の前後に2年間ほどオハイオ州に住んでいました。その時、同僚のアメリカ人がアーミッシュの生活は面白いから行って見なさいと盛んに勧めたのです。数回遊びに行きました。一度はアーミッシュの村のランプの宿に泊まる体験もしました。それでは写真に従って彼らの生活ぶりを見て...「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」

  • 「水の中を泳ぐ鯉のぼり」

    山口県防府市奈美の小野小学校近くの佐波川に行くと、たくさんの鯉のぼりが水の中を悠々と泳いでいるという全国的にも珍しい光景を楽しむことが出来ます。晴天の日が続いていれば流れる川の水がとっても綺麗で、川底まで透けて見えるほど。泳いでいるのが水の中というを忘れてしまいそうです。https://www.travel.co.jp/guide/article/17383/より。「水の中を泳ぐ鯉のぼり」

  • 「鯉のぼりの節句は元々は女の節句だった」

    間もなく麗しの皐月がやって来ます。そして青空に鯉のぼりが泳ぐ端午の節句になります。そこで今日は青空に鯉のぼりが舞う写真をお送りし、端午の節句はもともとは女の節句だったというお話しをしたいと思います。昭和の初めころの鯉のぼりは真鯉と緋鯉と吹き流しの三つが普通だったような記憶があります。昭和11年生まれの私の家の庭には太い丸太の棒を立て、真鯉と緋鯉と吹き流しが五月の風に青空を泳いでいました。それは戦前のつかの間の平和な時代でした。その頃は鯉のぼりは男の子のいる家で上げるという風習でした。1番目の写真はそのような時代の鯉のぼりです。写真の出典はhttp://nobrin7.exblog.jp/11057098/です。2番目の写真は長野県阿智村の鯉のぼりです。出典は、https://jp.zekkeijapan....「鯉のぼりの節句は元々は女の節句だった」

  • 「季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃」

    季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃です。日本の皐月の白に鯉のぼりが泳いでいる風景が見られます。日本の五島列島と富士山の朝霧高原と新潟県の鯉のぼりの風景写真をお送りします。それはそれとして、今日は皆様この鯉のぼりのようにお元気にお過ごし下さい。後藤和弘(藤山杜人)1番目の写真は五島列島の鯉のぼりです。出典は、http://yonchiworld.blogspot.com/2016/05/blog-post.htmlです。2番目の写真は富士山の朝霧高原にあるドライブインの鯉のぼりです。出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/akatukinosuzu/3851302.htmlです。3番目の写真は新潟県の鯉のぼりです。出典は、http://shinkai-y.seesaa.net/ar...「季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃」

  • 「花園の写真を撮って来ました」

    花園の写真を撮って来ました。小金井公園まで行って来ました。花がいきよいよく咲いていました。春が真っ盛りです。「花園の写真を撮って来ました」

  • 「北欧の少数民族、サーミ民族の写真」

    サーミ族とは、ラップランドとよばれる、北欧スカンジナビア半島の最北部、北緯66度33分の北極線より北の北極圏中心(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国とロシアの四ケ国)に住んでいるトナカイ遊牧民です。出典:www.flickr.com(@kirkebilder)サーミ族はラップ人ともよばれ、スウェーデン、フィンランド、ロシア、ノルウェーなどの国家が成立する以前の大古から北欧に住んでいた先住民です。」そのサーミ民族写真をお送り致します。出典は、https://kinarino.jp/cat6/2299です。1番目の写真はサーミ民族が飼っているトナカイです。肉は食料にして皮は衣服にします。2番目の写真は伝統衣装を着た少女たちです。3番目の写真も伝統衣装を着た少女たちです。4番目の写真は伝統衣装を着...「北欧の少数民族、サーミ民族の写真」

  • 「日本にいた少数民族、アイヌ民族の文化と私のアイヌの友人への追憶」

    北海道に旅をすると、あちこちにあるアイヌ民族の博物館を見ます。昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには民族博物館があります。アイヌ村落を復元した展示もあります。北海道大学の付属植物園の中にある博物館にはアイヌ民族関連の数多くの展示物もあります。函館市にもアイヌ文化を展示した博物館もあります。博物館の展示だけではありません。第二次大戦の終戦までは、北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。しかし戦後、アイヌ人だけの村落は次第に消えて行ったのです。アイヌ人は土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも、禁止されたのです。ここで北海道のアイヌ民族の写真を示します。(1)北海道に以前住んでいたアイヌ民族の写真写真は順に、アイヌ人の家、丸木舟、家の中、正装した男達、...「日本にいた少数民族、アイヌ民族の文化と私のアイヌの友人への追憶」

  • 「生涯続けた面白い趣味の話と台湾の少数民族」

    生涯、面白くてやめられない趣味があります。趣味にはいろいろありますが、私が続けてる趣味は少数民族の暮らし方を調べる趣味です。例えばアイヌや琉球人の歴史や暮らし方を調べます。中国の少数民族のことを調べます。そして日本人の歴史や現在の暮らし方と比較します。以前はアイヌや琉球人や他の少数民族に関する本を手当たり次第買って読んでいましたが、最近はインターネットを駆使して調べています。便利な世の中になったものです。この興味が尽きない趣味は若い頃読んだルース・ベネデクト著の「菊と刀――日本文化の型」によって始まったのです。火が付けられたのです。この趣味は一般にはつまらない趣味と思われるかも知れません。しかし私にとっては一生、興味が尽きない趣味なのです。私に元気と勇気も与えてくれる趣味なのです。今日は少数民族の暮らし方...「生涯続けた面白い趣味の話と台湾の少数民族」

  • 「山に咲く桜を探して秘境、檜原村に分け入った思い出」

    何年も前のことですが、妻が吉野山の桜を見たいと言うので、はるばる訪れたことがあります。遠方の山の中に桜木が程良く散在し、満開になっているのです。険し過ぎない山並みの暗い色の樹々が白や薄紅色の桜の花を浮きたてています。その風景は華麗でもあり、心を雄大な気分にもさせてくれます。それ以来、東京の近隣の奥多摩や高尾山系の山々の桜を注意深く見るようになりました。そうしたら吉野山のように山林の中にソメイヨシノの木を植林して櫻花を楽しんでいる場所を数カ所見つけました。その場所は人の住む集落の傍です。ソメイヨシノは種からは育ちません。ですから野鳥が運んだ種で育った桜木ではないのです。里人が何十年もかけて苗木を植え、周囲の雑草を刈って育てたのです。その上、山の形や雑木林のたたずまいに調和するように配置して植えたのです。山里...「山に咲く桜を探して秘境、檜原村に分け入った思い出」

  • 「今日は都立野川公園まで行って来ました」

    都立武蔵野公園を根気良く東へ行き、都立野川公園まで行って来ました。野川公園は遠いのでたまにしか行きません。今日は新緑が綺麗なので遠方まで行って来ました。爽快な気持ちになりました。写真は都立野川公園の西口付近の風景です。野川公園の東西を東八道路が横切り、その北側を野川が西から東に流れています。この公園には武蔵野の雑木林が多く残っています。「今日は都立野川公園まで行って来ました」

  • 「庭の卯の花の写真をお送り致します」

    今年も庭の卯の花の咲く季節になりました。この花を見ると、卯の花の匂う垣根に…という歌を小声で唄います。良い季節です。『夏は来ぬ』卯の花の匂う垣根に時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に早乙女が裳裾(もすそ)ぬらして玉苗(たまなえ)植うる夏は来ぬ『夏は来ぬ』は、作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助により1896年に発表されました。「庭の卯の花の写真をお送り致します」

  • 「花々が咲く季節、日本人が好きな花のランキング」

    花々が咲く季節になりました。良い季節です。うちの狭い庭にも10種以上の花が咲いています。花の好きな家内が植えた草花です。そこで日本人が好きな花は何か考えてみました。日本人が好きな花のランキングを調べてみました。そしたらNHKの放送文化研究所の調査を見つけました。2007年に全国300地点、16歳以上の国民3,600人を対象に今の日本人が好きだと感じているものの調査です。好きな花ベスト20のランクです。ランクの高い順に示します。桜、チューリップ、ばら、コスモス、ひまわり、梅、らん、すずらん、ゆり、あじさい、カーネーション、すみれ、朝顔、菊、シクラメン、つつじ、すいせん、菜の花、ふじ、桃でした。こういう統計では桜が必ず1位になるのが特徴です。前の1983年と比較すると順位の変化もさることながら、桜以外の花が好...「花々が咲く季節、日本人が好きな花のランキング」

  • 「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」

    今日は初夏の晴天の日のようでした。隣町まで足をのばし栗山公園と東小金井駅まで行って来ました。栗山公園と東小金井駅の写真です。「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」

  • 「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」

    カトリック幟町教会の今日の復活節第5主日のミサにあずかりました。カトリック幟町教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」

  • 「2024年4月28日 復活節第5主日のミサ動画配信」

    2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信です。広島市のカトリック幟町教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/@noborichoです。第1朗読使徒言行録9章26~31節第2朗読ヨハネの手紙一3章18~24節福音朗読ヨハネによる福音書15章1~8節添付の写真は広島市のカトリック幟町教会です。広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信」

  • 「旧懐の情にかられて国分寺駅界隈を歩く」

    アメリカ留学から帰国して直後の1961年に国分寺駅の南口を出た住宅街のアパートに住んでいました。1年間ばかりでした。それから小金井に家を作り住んでいます。今日は旧懐の情にかられて国分寺駅界隈を歩いてきました。昔住んでいたアパートは消えていました。新しアパートが並んで昔の面影がありませんでした。あまりにも古い老人の散歩でした。1番目の写真は国分寺駅の南口です。2番目の写真は国分寺駅のホームの風景です。ここから本郷の東大に毎日通勤しました。3番目の写真は現在の国分寺駅の商店街です。当時は商店が一切無くて貧し気な通路があるだけでした。4番目の写真は国分寺市の郊外にある武蔵国分寺の脇にある水路です。ここだけは昔のままです。「旧懐の情にかられて国分寺駅界隈を歩く」

  • 「北海道にあった幻のまちキラク」

    北海道の東部の野付半島の近くにキラクという幻のまちがありました。それを説明した文章をご紹介致します。https://kai-hokkaido.com/feature_vol44_episode1/にあります。「幻のまちキラク」知床半島と根室半島のちょうど中間あたりに、地図上で見ると釣り針のような形をした全長28km、日本最大の砂嘴、野付半島がある。ドドワラ・ナラワラの特異な景観、水と緑と野生鳥獣、湾内に生息するホッカイシマエビの打瀬舟漁などの風景は多くの観光客を魅了している。今でこそ人けのない荒涼としたこの半島に、かつては人々の喧騒が存在したという言い伝えが残っている。昭和39(1964)年に北海道大学探検部が行った調査報告書によると、「地元の人々にキラク町と呼ばれている場所ある。キラクの由来は気が楽にな...「北海道にあった幻のまちキラク」

  • 「世界遺産の知床半島周辺の美しい風景写真」

    道東の知床半島は世界遺産に登録されている国立公園です。知床半島周辺の美しい風景は知床五湖、オシンコシンやカムイワッカの滝、夕陽の綺麗なプユニ岬、秘境感満載の羅臼湖などがあります。ここでは、イワウベツ川、知床五湖、オシンコシンの滝、羅臼湖・三の沼の順に写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.pixpot.net/al_lists/dview/117/hokkaido-spです。夏になると知床半島に美しい花々が咲きます。その写真もお送り致します。写真は「知床半島に咲く花々」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「世界遺産の知床半島周辺の美しい風景写真」

  • 「ロマン溢れる北海道!大通り公園 、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真」

    北海道は多くの日本人が憧れている土地です。西洋の文化が少し混じったロマン溢れる所です。そんな北海道に憧れて私は何度も旅しました。今日はロマン溢れる北海道を写真でご紹介いたします。札幌の大通り公園、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真です。札幌もロマン溢れる都市です。まず中心にある大通り公園が四季を通じて楽しい場所なのです。その広大な大通り公園のそばには北海道大学の植物園がありますその近くには明治を偲ばせるレンガ建ての道庁があります。北海道大学の有名なポプラ並木もロマンチックです。郊外には手稲山ジャンプ台があり眺望絶佳です。さらに札幌の郊外には開拓村があります。北海道の開拓の歴史を展示しています。それでは大通り公園、北大ポプラ並木、植物園、開拓村の写真を順に示しましょう。大分部は私どもが撮った写真です。1番...「ロマン溢れる北海道!大通り公園、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真」

  • 「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」

    昔、下村湖人の書いた『次郎物語』読んで感動しました。しかし内容の具体的なことは忘れました。小金井市には下村湖人が『次郎物語』を執筆した家があります。市が「浴恩館」と名前をつけて保存し公開しています。その屋敷跡には巨木が茂り大きなツツジが綺麗な花を咲かせています。新宿から開館と同時に移植したツツジです。先程「浴恩館」とツツジと巨木の写真を撮って来ました。その写真をお送り致します。「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」

  • 「北海道の野付半島に咲くハマナスと赤い実の写真」

    野付半島のトドワラに咲くハマナスと赤い実の写真をお送り致します。背景に16Km沖にある国後島が写っている写真もあります。写真は「野付半島に咲くハマナス」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「北海道の野付半島に咲くハマナスと赤い実の写真」

  • 「写真で巡る上高地の夢幻の美」

    何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。早速写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。3番目の写真は田代池の湿地です。バスを入り口の大正池で下車して河童橋まで歩きます。すると田代池の湿地が現れ、しばらくすると帝国ホテルがあります。1番...「写真で巡る上高地の夢幻の美」

  • 「美しい新緑の木立の風景の写真を撮りに行った」

    小金井公園は広々した芝生だけでなく巨木の森もあります。今日は森の中に入り、美しい新緑の木立の風景の写真を撮りました。「美しい新緑の木立の風景の写真を撮りに行った」

  • 「今年もナンジャモンジャの並木が咲きました」

    年年歳歳ナンジャモンジャの並木が花を咲かせます。近所の並木道です。今年も見事に咲いたので先程撮って来ました。その写真をお送り致します。「今年もナンジャモンジャの並木が咲きました」

  • 「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」

    お稲荷さんと親しまれている稲荷神社は全国の津々浦々にあります。庶民が信仰し日本人の日々の心の支えになっています。家々の屋敷の中の小さな祠のお稲荷さんから壮大な稲荷神社までいろいろな規模のものが無数にあります。今日はまず私が撮ったお稲荷さんの写真をご覧下さい。1番目の写真は近所の江戸時代からの大久保家のお稲荷さんです。屋敷稲荷を道路に出して皆がお祈り出来るようにしています。2番目の写真は小金井街道に面した大松の下の稲荷神社です。3番目の写真は小金井市で一番大きな八重垣稲荷神社です。元禄13年に渡辺家の邸内に建てられました。渡辺家は代々神官の家だったので祠ではなく神社のような構造になっています。訪ねてみると樹々が鬱蒼と生い茂り何故か怖いような、そして神秘的なお稲荷さんです。渡辺家の家屋敷は無くなっていて八重垣...「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」

  • 「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」

    都会に生まれ育った人でも故郷というものに憧れを持っています。そうして農村風景をあたかも自分の故郷の心象風景として心の底に大切に持っています。そうでない人もいますが、多くの日本人は故郷の心象風景を持っているのです。私の農村の風景に憧れています。それは美しい日本の原風景です。今日はそんな故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたします。家屋が美しいので国の重要文化財に指定されています。椎葉村は険しい山地で急な斜面に点々と集落が存在しています。椎葉村は壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が落ち延びた場所なのです。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が襲って来ますが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め引き揚げます。那須大八郎宗久が椎葉に滞在中に侍女の鶴富が娘を生みます。この娘に後に婿を娶...「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」

  • 「ライラックの花の写真」

    ライラックの花の写真です。写真の出典は、https://www.accespourtous.org/hanakotoba/h048.htmlです。「ライラックの花の写真」

  • 「平安時代に創建された松島の瑞巌寺」

    仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺」

  • 「小金井公園の花々もいきいきと咲いています」

    気温が高くなって花々もいきいきとなってきました。「小金井公園の花々もいきいきと咲いています」

  • 「霞ヶ浦と私のヨットの写真」

    私は50歳の時に趣味として霞ヶ浦でヨットを始めました。今日はそんなヨットの趣味の写真をご紹介いたします。1番目の写真は「あけび号」の姿です。50歳の頃琵琶湖から霞ヶ浦へ陸送して来た中古のYAMAHA19です。10年間乗りました。長い舵とヤマハ5馬力の船外機がついています。2番目の写真はYAMAHA19を陸揚げした姿です。ヨットの構造で一番重要なのは船底から下へ伸びているキールです。厚い鉄製で船体の重さの40%位もあります。これで船は疾走中に横倒しになるのを防いでいます。3番目の写真は60歳の頃買った長さ26フィートのルナ3世です。長さのわりに大きなキャビンがついていて炊事用の2口コンロ、調理台、流しがついていました。霞ヶ浦であるお医者から中古を買いました。このヨットには75歳まで乗りました。4番目の写真は...「霞ヶ浦と私のヨットの写真」

  • 「今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸のこと」

    ヨットの趣味は50歳の頃から始めました。大学時代の友人の星野君がすすめてくれたのです。彼は猪苗代湖で大型ヨットのクルーザーに乗っていました。私も中古のクルーザーを買い霞ヶ浦で乗り始めました。その頃、星野君が横浜に係留展示してある帆船日本丸をよく見学して帆走の勉強をしろと言ったのです。以下は今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸の訪問記です。星野君に感謝しながら書きました。横浜の「みなと未来」に係留し一般公開している大型帆船日本丸は現役の帆船です。今でもたまに東京湾に出て帆走しています。以前何度か訪れて撮った写真でこの帆船をご紹介します。帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ発注されました。ラメージ&ファーガソン社は設計と鋼材の...「今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸のこと」

  • 「懐かしい仙台市の長徳寺、大満寺、大年寺の写真」

    私は昭和11年に生まれ24歳まで仙台の向山に住んでいました。向山には三つのお寺があります。長徳寺、大満寺、大年寺です。懐かしいので長徳寺、大満寺、大年寺の写真を示します。1番目の写真は向山から見下ろした仙台市の中心街です。2番目の写真は長徳寺の門です。3番目の写真は長徳寺の本堂です。4番目の写真は大満寺です。5番目の写真は大満寺の虚空蔵堂です。6番目の写真は大年寺です。「懐かしい仙台市の長徳寺、大満寺、大年寺の写真」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?

ハンドル名
後藤和弘のブログさん
ブログタイトル
後藤和弘のブログ
フォロー
後藤和弘のブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用