古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。古代蓮とは花弁の数が少ない原始的な形態を持つ蓮です。行田蓮とも呼ばれています。約1400〜3000年前の蓮です。写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292です。「行田の『古代蓮の里公園』の蓮の花」
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古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。古代蓮とは花弁の数が少ない原始的な形態を持つ蓮です。行田蓮とも呼ばれています。約1400〜3000年前の蓮です。写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292です。「行田の『古代蓮の里公園』の蓮の花」
古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。ここに示す写真は以前の花の写真です。お楽しみ下さい。写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292です。「行田の『古代蓮の里公園』の蓮の花」
今日の東京は青空で太陽がまぶしく射しています。嗚呼、夏が来たのだなあと感じます。そんな時には幼少の頃の楽しかった海水浴の光景を懐かしく思い出します。もうあの時は返ってこないのです。当時は戦後の貧しい時代だったので夏の娯楽と言えば海水浴しかなかったのです。一番懐かしいのは荒浜や菖蒲田や桂島の、そして野蒜海岸や宮戸島での少年の頃の海水浴の思い出です。インターネットで検索して桂島と宮戸島の風景写真を探しました。1番目の写真は現在の桂島の海水浴場の風景です。2番目の写真は海開き後の宮戸島の海水浴場の風景写真です。色とりどりのパラソルやテントが写っていますが、昔の海水浴場には無かった光景です。3番目の写真は海開き前の茅ケ崎の海水浴場の写真です。4番目の写真は昔から有名な大磯の海水浴場です。海開き後は人で溢れる海水浴...「夏が来れば思い出す昔の海水浴の光景」
今日の東京は本当に暑いです。本格的な夏が来たようです。夏の風物詩と言えば花火、浴衣、かき氷、蝉、風鈴などです。夏の風物詩の写真をお送り致します。(https://www.studyjapan.jp/topics/culture/symbols-of-summer.html)「日本の夏の風物詩、花火、浴衣、かき氷、蝉、風鈴など」
夏から秋にかけローテンブルグに住んだことがありました。ほんの数回だけ晴天の日がありました。そんな日はローテンブルグは美しく耀きます。そんな風景写真です。写真は「夏のローテンブルグの風景」を検索して出て来た数多くの写真から選びました。「夏のローテンブルグの風景」
故郷、仙台では夏に盛大な七夕飾りをします。仙台を出て東京に住むようになってからも七夕飾りの頃は毎年仙台に帰ったものです。今日は我が故郷の仙台をご紹介いたします。仙台は伊達政宗が1600年前後に築いた城下町です。青葉城の大手門から真っ直ぐ東へ伸びる通りは広瀬川の大橋を渡ったところから、東端の現在の仙台駅までを大町通りと言います。その大町通りの途中を直角に奥州街道が横切っていて、その四つ角を「芭蕉の辻」といいます。江戸時代は有名な繁華街で、豪商の店が集まっていました。その奥州街道の部分を国分町といって賑やかな商店街でした。明治維新で仙台藩が解体された後も「芭蕉の辻」や国分町の賑わいは続きました。しかし、大正、昭和と時が流れるに従って、国分町はしだいに寂れ、それと並行して南北に走る「東一番丁」が繁華街となったの...「夏になると思い出す故郷、仙台」
夏になると懐かしいのは最初のアメリカ留学です。1960年の夏に初めてアメリカへ留学しました。オハイオ州立大学に留学したのです。そのアメリカのオハイオの暑さにはびっくりしました。大陸の夏の暑さは尋常でありません。海に囲まれている日本は温暖なのです。アメリカ大陸の暑さに驚愕する体験をしたのです。またオハイオ州立大学の規模があまりにも壮大なので驚き感動しました。大学専用の飛行場を持っているのです。そして学生が格安で使える18ホールのコースを2つ揃えたゴルフ場を持っていることです。示した4枚の写真は、https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyamaに掲載されています。1番目の写真は校地の中央にある芝生の広場とそれを囲む建物群の写真です。このような広い芝生の広場がもう一つありました。2...「夏になると思い出す最初のアメリカ留学」
夏になるとよく行ったのは北海道への旅でした。北海道の夏は涼しくて快適なのです。北海道へ旅では大型リゾート・ホテルのトマムにも泊りました。その雄大な自然に囲まれた高層ホテル棟と重厚ながら洒落たショッピング・レストラン街には、正直言って非常に驚きました。巨大なトマムのホテルをご紹介いたします。トマムは札幌から東へ140Kmの所にあります。北海道勇払郡占冠村です。私どもが泊まった時はトマムは満員でした。修学旅行の学生が大勢泊まっていました。そして地元の若い人々が多数働いています。北海道を出なくても働き口がこんなにあるのです。地域経済にとっても大成功です。しかしトマムには挫折の悲劇があったのです。そして後をついだ会社の血と汗のにじむような営業努力で再生しているのです。トマムは平日でも776部屋もある高層ホテルが満...「夏になると思い出す北海道の旅」
今日は朝から太陽が照りつけて真夏のようです。夏になると思い出すのは上高地とそこから見上げた穂高連峰の風景です。上高地でよく泊ったホテルは上高地帝国ホテルです。その懐かしい上高地帝国ホテルの写真と残雪のある穂高連峰の写真をお送り致します。上高地帝国ホテルは1933年(昭和8年)わが国初の本格的高級山岳リゾートホテルとして開業しました。スイスの山小屋をイメージした赤い三角屋根と吹き抜けのロビーの巨大な暖炉が特徴のクラシックホテルです。残雪のある穂高連峰が眼前に迫る眺望は上高地帝国ホテルの大きな魅力です。上高地は標高1500mで冬期は雪に覆われて通行ができなくなるので毎年4月下旬から11月上旬の約半年間だけ営業しています。上高地帝国ホテルと残雪のある穂高連峰の写真をお送り致します。帝国ホテルの写真は家内が撮りま...「夏になると思い出す上高地と穂高連峰」
6月の花、睡蓮の花の写真をお楽しみ下さい。写真の出典は、「睡蓮の花の写真」を検索して、出て来た多数の写真から美しい写真を選びました。「6月の花、睡蓮の花の写真」
中國の江西省広昌県に連なる蓮池は、緑の葉でぎっしり覆われ、美しく咲いた蓮の花が風に吹かれると、さわやかな香りがほんのり漂い、多くの観光客で賑わっています。その写真をお送り致します。出典は、https://j.people.com.cn/n3/2024/0723/c94475-20196831.htmlです。「中國の江西省広昌県に連なる蓮池」
中国は本当に広いのです。広大な湖沼地には一面の蓮の花が広がっています。そこに住むのは鵜飼の人々です。鵜飼の人々にとっては日中戦争も別世界の出来事です。1000年、2000年と王朝が変わっても日中戦争があっても一切関係なく同じ生活をしています。これこそ悠久の人生ではないでしょうか?私が実際に中国人の鵜飼から聞いた話をご紹介いたします。○河北の湖の鵜飼漁師部落にてあれは1996年のことでした。北京の南、河北省の保定市が技術センターをつくりたいというので、出来るだけの協力をしようと、何度か同地に通ったのです。仕事が休みの日、河北大学の先生が、日帰りの観光旅行へ連れて行ってくれました。その観光地は広大な湖でした。縦横ともに約40Kmもあり、近隣の農民の観光地らしく、湖上遊覧の船がビッシリと並んでいます。客を呼び込...「中国の一面の蓮の花と鵜飼の人々の悠久の人生」
濃厚な色の蓮の花の写真をお送り致します。小金井市、真蔵院の蓮の花です。写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。「濃厚な色の蓮の花の写真」
蓮の花の咲く景色は夏の風物詩です。お寺の境内、各地の城のお堀や一面に広がる蓮根畑に咲いています。夏の陽に輝く白い花が風に揺れている光景は心に刻み込まれています。私は霞ヶ浦でヨットをしていたので周囲に広がる蓮根畑の白い花が忘れられません。そして同級生の大泉君と一緒に見た小田原城の堀に咲く花は背景の天守閣の風景とともに忘れません。その上家内と一緒に行った行田の蓮の公園に一面に咲いていた蓮の花には感動したものです。そこで今日はこれら3ケ所の蓮の花の写真をお送り致します。1番目の写真は霞ヶ浦の蓮根畑の写真です。2008年の夏に撮ったものです。2番目の写真は小田原城の堀に咲く蓮の花です。観賞用の花なので種々の色の花が咲いています。出典は、https://www.jalan.net/kankou/spt_14206a...「霞ヶ浦に、小田原城の堀に、行田の公園に咲く蓮の花」
毎年、毎年、7月になると小金井市の真蔵院の蓮の花が美しく咲きます。ピンクや白い大輪の花が本堂の周りを埋めています。金色の蕊が風に揺れています。もう何十年もここに来て蓮の花の写真を撮り続けています。それでは自分が撮った写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。毎年、7月に感謝しながら蓮の花の写真を撮っています。このお寺の住職さんとはお会いしたことがありません。しかし、どうぞ花の写真を撮って下さいと歓迎しているようです。山門の前に駐車場も用意し、境内も掃き清めてあり静かな場所です。本堂の裏には小金井公園の見事な雑木林が続き借景になっています。本堂前には、何時も真言宗豊山派の広報誌の「光明」という冊子が置いてあります。毎回持ち帰り読むことにしています。このお寺の住職さんは座禅会などもしていて真面目に、...「美しい蓮の花と施餓鬼供養のはなし」
ライン川はスイスアルプスのトーマ湖が源流です。そこからボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かい流れ、カールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、などを通過しオランダ国内へと入ったあとロッテルダム付近で北海に注いでいる大河です。全長1,233キロメートル。そのうちドイツを流れるのは698キロメートルです。ドイツにとっては特に重要な川であり、ライン流域を主軸のひとつとしてドイツ史は展開してきたのです。私どもは1969年、1970年と1年4ケ月間、ライン川の近くのシュツットに住んでいました。ライン川には何度も行き川下りの観光船に乗ったりして遊びました。懐かしいライン川の写真をお送り致します。1番目の写真はスイスのシャッハウゼンにあるライン川の大きな滝です。以前ドイツに住...「旅の思い出(10)ドイツのライン川の懐かしい風景」
「五月雨を集めてはやし最上川」は有名な芭蕉の句です。この俳句に誘われて私は2度の最上川を見に行きました。最上川は水量が多く滔々と流れていました。水量が多い急流です。・・・はやし最上川・・・ということを実感しました。最上川の写真をお送り致します。「五月雨を集めてはやし最上川」
今日はインターネットを通うしてカトリック高円寺教会のミサにあずかりました。そのミサの風景をお送り致します。「カトリック高円寺教会の今日のミサの風景」
梅雨の時期は長雨が続いて、晴れた青空と太陽がなかなか見られません。憂鬱な季節になりました。そこで少しでも明るい気持ちになるように美しい詩を5つほどお送り致します。気持ちをさっぱりとさせ、心にしっとりと寄り添うような作品です。以下は、https://mahoblog.com/tsuyu/から引用致しました。茨木のり子「六月」どこかに美しい街はないか食べられる実をつけた街路樹がどこまでも続きすみれいろした夕暮は若者のやさしいさざめきで満ち満ちる中原中也「六月の雨」またひとしきり午前の雨が菖蒲のいろのみどりいろ眼うるめる面長き女たちあらはれて消えてゆく谷川俊太郎「生きる」生かす六月の百合の花が私を生かす死んだ魚が生かす雨に濡れた仔犬がその日の夕焼が私を生かす萩原朔太郎「こころ」こころをばなににたとへんこころはあ...「梅雨の季節の詩、5編」
4月4日は家内が鎌倉で生まれた日です。数年前に車を走らせて、鎌倉の海を見て鉢の木という和食処で妻の誕生日の食事をしました。写真は海の風景1枚と続いて鉢の木での写真3枚です。鎌倉は何時行ってものどかな昔の日本の風情があって良いものです。「鎌倉の和食処の『鉢の木』の思い出」
鎌倉は妻が生まれ育った町です。妻が懐かしいと言うで何度も行きました。そのうち私の故郷のように感じるようになりました。今日はそんな鎌倉をご紹介致したいと思います。鎌倉の古刹めぐりの魅力を書きたいと思います。鎌倉のお寺は円覚寺と建長寺の二つ以外のお寺は規模が小さくて質素なたたずまいです。京都の寺のように華やかでありません。静かな小さいお寺が沢山あるのです。私はもう50年くらい前の中年になってからその魅力にとりつかれ何度も訪れました。円覚寺と建長寺をはじめ瑞泉寺、明月院、寿福寺、杉本寺、海蔵寺、報国寺、光明寺、などなど20位のお寺には何度も行きました。ある時は鎌倉や逗子や江の島の宿に泊まり、まだ人のいない朝早くから、読経の声が響く境内を散歩したものでした。そして鎌倉のお寺から禅の精神を感じたのです。そんな鎌倉の...「古都、鎌倉の古刹めぐりの魅力ーその静寂の世界」
ビガン歴史都市などフィリピン国内には、文化遺産・自然遺産あわせて6つの世界遺産があります。写真を示します。1番目の写真はバロック様式教会群です。2番目の写真はフィリピン・コルディリェーラの棚田群です。3番目の写真はビガン歴史都市です。ビガンは、ルソン島の北部にある港町です。16世紀後半にスペインの植民都市として、中国やメキシコとの交易で繁栄しました。ここはスペインの伝統的な都市設計と同じく碁盤の目のようになっていて、2つの広場や大司教の宮殿、市庁舎、議事堂なども配置され、合計で233の歴史的建造物が残り、現在もスペインの植民地時代の名残が見られます。ビガンは太平洋戦争中に一度、崩壊の危機を迎えたことがあります。当時、この街に日本軍が籠城したことでアメリカ軍によって破壊される寸前でしたが、日本軍の中には現地...「フィリピンの世界遺産」
今日は以前ドイツに住んでいた頃に訪問した美しいバンベルクの町をご紹介致します。1000年以上古い町です。その町バンベルクはレグニッツ川の中洲にあります。古都です。神聖ローマ皇帝のハインリヒ2世が1007年に司教座を置いてキリスト教の町として発展しました。石畳の路地に軒を連ねる家々が中世の町並みのままです。第二次世界大戦の戦禍を免れたバンベルク旧市街は1993年に世界遺産に登録されました。写真をご紹介致します。1番目の写真はンベルクの司教は市庁舎です。レグニッツ川の中州に建っています。2番目の写真はレグニッツ川の中洲の庶民の街インゼルシュタットです。3番目の写真も川の中洲の庶民の街インゼルシュタットです。4番目の写真はバンベルクの町です。人口8万人ほどの小さい町で中世の趣が感じられる古い町です。2度の世界大...「美しい世界遺産のバンベルクの町」
縄文時代は日本人が好きな時代のようです。試しに「縄文まつり」を検索すると、全国のあちこちでOO縄文まつりの情報が沢山出てきます。縄文人は日本人の祖先です。弥生時代や古墳時代にアジア各地から移住して来た人々と混血して日本人になりました。一方、北海道の縄文人は擦文土器時代を経てアイヌ文化を作ったのです。ですから縄文時代に限ってみると北海道と北東北は共通の縄文文化が栄えたのです。勿論、縄文土器は八ヶ岳山麓を含めて全国から出土しますが、北海道と北東北は間違いなく縄文文化の栄えた一つの地域でした。そんな理由から、北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群が、ユネスコの世界文化遺産になっているのです。北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群は北海道・青森県・岩手県・秋田県の1道3県に点在しています。構成資産一覧を示します。北海...「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群は世界遺産」
昆明湖の北岸に沿って伸びる長い長い回廊が懐かしいです。1980年に家内と歩きました。「長廊」は長さ728メートルの道です。その梁には、花鳥画、風景画、歴史画など14000枚もの絵が描かれているのです。写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/9771/です。「それにしても懐かしい世界遺産の頤和園の長い廊下」
中国は57の世界遺産があり世界の第二位です。その幾つかの写真を示します。出典は、https://www.travel.co.jp/guide/matome/1599/です。1番目の写真は中国の湖南省に位置する世界遺産「武陵源(ぶりょうげん)」です。2番目の写真は4世紀から約1000年に渡り造られた石窟が集まる仏教遺跡「莫高窟」です。3番目の写真は田んぼのど真ん中にある世界遺産「開平の望楼群と村落」です。4番目の写真は明と清の時代に歴代皇帝が五穀豊穣を願って祭祀を行った祈りの場所「天壇」です。5番目の写真は清朝第6代皇帝の乾隆帝が、母親の還暦を祝って造営した北京最大の皇族庭園「頤和園」です。「中国の世界遺産の写真」
日本にある世界遺産は全部25です。それに対してイタリーには世界最多の58もあります。中国は57で世界の第二位です。今日は日本とイタリーの世界遺産をご紹介したとおもいます。まず日本の世界遺産一覧をご紹介致します。1法隆寺地域の仏教建造物奈良県平成5年文化2姫路城兵庫県平成5年文化3屋久島鹿児島県平成5年自然4白神山地青森県・秋田県平成5年自然5古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)京都府・滋賀県平成6年文化6白川郷・五箇山の合掌造り集落岐阜県・富山県平成7年文化7原爆ドーム広島県平成8年文化8厳島神社広島県平成8年文化9古都奈良の文化財奈良県平成10年文化10日光の社寺栃木県平成11年文化11琉球王国のグスク及び関連遺産群沖縄県平成12年文化12紀伊山地の霊場と参詣道三重県・奈良県・和歌山県平成16年文...「日本にある世界遺産とイタリーの世界遺産」
今日は武蔵野公園まで行って来ました。真夏のように暑い日でした。「今日の散歩」
今日はグナチオ教会のミサにインターンットを通してあずかりました。イグナチオ教会の今日のミサの風景の写真をお送り致します。「東京のイグナチオ教会の今日のミサの風景」
大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。「国宝の大浦天主堂の写真」
6月16日https://www.youtube.com/live/acVQoM00Tcc【本日の聖書朗読箇所】第1朗読エゼキエルの預言(エゼキエル17:22-24)第2朗読使徒パウロのコリントの教会への手紙(2コリント5:6-10)福音朗読マルコによる福音(マルコ4:26-34)カトリック麹町聖イグナチオ教会https://www.ignatius.gr.jp/index_j.html「東京のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」
何故かこんな風景が美しく見えます。写真はインターネットからお借りしました。「托鉢僧の写真です」
平成29年3月10日、国の文化審議会が文部科学大臣の諮問に対し、深大寺の銅造釈迦如来倚像(飛鳥時代)を国宝に指定することを答申しました。深大寺釈迦如来倚像は博物館や美術館を除いて、関東の寺院所蔵の国宝仏では、鎌倉大仏に次ぐ二例目、制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏となります。深大寺開創の天保5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、作られたと考えられます。白鳳時代(飛鳥後期645-710)同時期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師)、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音)と深大寺釈迦如来倚像は銅の成分が極めて近似するなど共通する部分が多く認められ、同一の工房又は同系統の工人によって作られたと考えられます。「深大寺の銅造、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」
今日は少し有名な深大寺をご紹介します。国宝の飛鳥時代の銅造釈迦如来像(白鳳仏)もあります。深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。以前に撮った門前の店と山門などの写真をお送りします。1番目の写真は山門の左にある店です。門前には名物の「深大寺ソバ」の蕎麦屋や土産物屋が沢山並んでいます。深大寺ソバは家内と何度も食べました。この土産物屋だけ特に示した理由は店の右に坂道があり、そこを登ると神代植物公園の東口があるからです。2番目の写真は深大寺の山門です。3番目の写真は本堂です。阿弥陀如来が本尊の本堂です。4番目の写真は本堂の左にある元三大師堂です。天台座主、元三慈恵大師の像...「東京で最古の寺、深大寺の写真」
私は1936年に仙台で生まれ24歳まで仙台に住んでいました。その間に何度も蔵王山に登りました。蔵王山は故郷の山なのです。その蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493です。1番目の写真はハクサンイチゲです。2番目の写真はシラネアオイです。3番目の写真はユキワリコザクラです。4番目の写真はミヤマオダマキです。「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」
松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで四季折々の美しい松島の写真をお送り致します。写真は、「松島の景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。山を背に東、南、西の三方向が開けていて、島々が湾内に連なる様子が見えます。2番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。何度も登った山頂です。松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。3番目の写真は寒い冬が終わり桜が満開になっている松島の夕暮れ風景です。「西行戻しの松公園」という公園からの風景です。写真は、https://...「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」
今日の散歩は小金井公園まででした.今日は曇りですが乾燥した軽やかな風が吹いていました。気分爽快に小金井公園まで行って来ました。「今日の散歩は小金井公園まで」
郷愁を誘う昔の町の面影をお送り致します。郷愁を誘う昔の町の写真が沢山掲載されているブログを見つけました。https://4travel.jp/travelogue/11815459です。そこから4枚の写真をお借りして示します。「郷愁を誘う昔の町の面影」
安曇野の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに泊ったことがありました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。部屋は屋根裏部屋の感じのような内装で、小さな縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルの雰囲気でした。写真をお送り致します。1番目の写真は白馬東急ホテルの玄関です。写真はインターネットからお借りしました。2番目の写真は私どもが泊まった部屋と同じような部屋の写真です。写真はインターネットからお借りしました。ここのホテルを出て、暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳など...「安曇野の奥の白馬東急ホテルの寫眞」