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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

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  • 「あるドイツの友人の旅立を悲しむ」

    人間は後期高齢者になると友人たちが一人一人と旅立って行きます。自分と同じ位の年齢の友人が先に逝ってしまうのは淋しいものです。ドイツの友人のグーデナウさんが2019年に亡くなりした。彼との交友の思い出を書きます。冥福を祈りつつ書きます。彼と最初に会ったのは1970年にドイツ西部のアーヘン工科大学を訪ねた折でした。アーヘン工科大学には鉄冶金の研究で有名なシェンク教授がいたので憧れていたのです。しかしシェンク教授は引退してしまって会えませんでした。その代わり私を暖かく歓迎してくれたのがグーデナウさんだったのです。彼は私と同じくらいの年齢でしたので自然と友情が生れたのです。1974年に再びアーヘンを訪問したときは彼は自分のスポツカー、ポルにシェに私を乗せあちこちに連れて行ってくれたのです。まずアーヘン市内の古代ロ...「あるドイツの友人の旅立を悲しむ」

  • 「夏になると思い出す仙台の近くの荒浜、菖蒲田浜、桂島や宮戸島」

    昔はテレビも無く夏の娯楽と言えばハイキングや海水浴だけでした。海水浴の思い出は仙台の近くの荒浜、菖蒲田浜、桂島や宮戸島の思い出です。今日は海水浴の思い出を書いてみようと思います。私が育った所は仙台でしたので海水浴と言えば仙台から近い荒浜か菖蒲田浜でした。とにかく夏になると何度も行きました。少し遠方では松島湾の桂島や宮古島へ行ったこともあります。足が焼けるような砂浜を歩いて波打ち際に立つと冷たい透明な海水が足を洗い、心地良いものでした。夏の日の楽しい思い出は人それぞれ沢山あると思います。そして夏の果物と言えばスイカとマクワウリです。夏は子供にとっては天国です。夏休みが長いうえに、親たちもお盆のころ休暇をとり、よく家族旅行に行きます。夜になると、現在は無くなりましたが蚊帳というものを吊ります。蚊帳に入ったり出...「夏になると思い出す仙台の近くの荒浜、菖蒲田浜、桂島や宮戸島」

  • 「夏でも涼しい北海道の写真」

    北海道は夏でも涼しいといいます。そんな写真をお送りいたします。写真の出典は、https://hokkaidolikers.com/archives/57458です。「夏でも涼しい北海道の写真」

  • 「残暑です」

    立秋が過ぎてのも猛暑が続いています。謹んで残暑お見舞い申し上げます。「残暑です」

  • 「立秋が過ぎても猛暑が続く今年の夏]

    立秋が過ぎれば少しは涼しくなると思っていたら今年は相変わらず猛暑が続いています。立秋とは何でしょうか。あらためて調べてみました。立秋とは秋の気配が立ち始める日です。初めて秋の気配が感じられる日です。今年の立秋は8月7日でした。夏至と秋分の中間です。二十四節気が成立した中国内陸部は大陸性気候のためこの頃には徐々に涼しくなり始めます。しかし海に囲まれた日本列島は立秋を過ぎてもしばらくは猛暑が続くのです。それでも立秋の後の暑さを「残暑」といい、手紙等の時候の挨拶などでは「残暑」が用いられます。この日から暑中見舞いではなく残暑見舞いを出すことになるのです。以下に2025年から2030年までの立秋の日を示します。2025年8月7日2026年8月7日2027年8月7日2028年8月6日2029年8月7日2030年8月...「立秋が過ぎても猛暑が続く今年の夏]

  • 「夏の花々の写真と「秋立つ」という季語」

    今朝は夏の花々の写真を見ました。そして「秋立つ」という季語を用いた俳句を読んでみました。秋がはやく来るように祈っています。秋がはやく来るように祈りながら幾つかの俳句をご紹介いたしま秋立つや雨後の夕ベは樹も匂ふ田口泡水秋立つや軽井沢にて購ふ髪飾り柴田蓉子秋立つや残り風鈴鳴りやまず永野秀峰身ほとりに物を少なく秋立ちぬ田中藤穂川波の縹渺として秋立てり斎藤道子灯台の白さに風の秋立ちぬ須藤常央秋立つや山に小さな美術館前田達江熊笹の鯖街道に秋立ちぬ大島翠木秋立つや蝉声はたと止むあした久保晴子以上は季語、「秋立つ」の句集(http://www.haisi.com/saijiki/akitatu.htm)より。「秋たちぬ」とは美しい言葉です。秋風が吹き清涼の季節が始まるという情感が込められた言葉です。以下に夏の花々の写真...「夏の花々の写真と「秋立つ」という季語」

  • 「ドイツの夏祭り、バイロイト音楽祭」

    ワーグナーの生誕地、バイエルン州のバイロイトで毎年7月から8月にかけて開催される夏祭り、バイロイト音楽祭はドイツ国民にとって最も高貴な夏祭りです。この夏の音楽祭はワーグナー自らが「ニーベルングの指環」を上演するために創設したもので7月25日から8月28日に渡り、約30公演が行われるのだそうです。チケットは毎年争奪戦で、約2時間でチケットが完売してしまうそうです。ドイツといえばベートーベンやバッハ、ブラームスにシュトラウスなど、数多くの天才を輩出しています。「ドイツの夏祭り、バイロイト音楽祭」

  • 「夏のフィナーレ、8月下旬の山形新庄まつり」

    毎年8月24日~26日の3日間開催され、圧倒的なスケールで、見る者を魅了する新庄まつり。新庄の夏は、まつりの熱狂でフィナーレを迎える。その歴史は古く、今から260年以上前の江戸中期までさかのぼります。宝暦6年(1756年)、時の藩主・戸沢正のぶ(言べんに甚)が、前年の大凶作にうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ、豊作を祈願するため、戸沢氏の氏神である天満宮の祭典を領内あげて行ったのが起源とされます。https://yamagatakanko.com/festivals/detail_2991.html「夏のフィナーレ、8月下旬の山形新庄まつり」

  • 「東京のカトリック松原教会の年間第20主日のミサ」

    今日は東京のカトリック松原教会の年間第20主日のミサにあずかりました。インターネットをとうして東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました。https://www.youtube.com/live/QkzWjh-IDOs年間第20主日ミサです。カトリック松原教会〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009「東京のカトリック松原教会の年間第20主日のミサ」

  • 湖の岸辺に別荘のような宿泊所を持つ方法

    山中湖から見上げた富士山は絶景です。青い湖水の上に雪を戴き高く聳える山頂が美しいのです。そしてなだらかに下がっている稜線も悠然としています。この山中湖の岸近くに何時も一隻のヨットが停泊しています。1番目の写真がそのヨットです。何十年も時が止まったよう山中湖の同じ場所に停泊しています。この位の大きさのヨットの船室には炊事道具と寝室が付いています。水洗トイレもあります。自分で料理をして星空の下のデッキでビールを飲むことが出来ます。夜が更けたら小さい寝室に潜りこめます。つまり湖に浮かんだ別荘です。ヨットは帆走の快適さとスリルを楽しむ趣味です。しかし同時に湖畔の小さな別荘のようにも使えるのです。今日はヨットを小さな別荘のように使う方法をご紹介したいと思います。霞ヶ浦の岸壁に全長26フィートのヨットを23年間係留し...湖の岸辺に別荘のような宿泊所を持つ方法

  • 「三浦半島の魅力、剣崎、三崎港、城ヶ島、油壺」

    三浦半島は小さな半島なのでご存じない方もいると思いますので、まず地図を示します。1番目の写真は三浦半島の地図です。この地図の出典は、三浦半島三浦半島マップ(rakuten.ne.jp)です。三浦半島の西側の相模湾の海岸は風光明媚なので今日は突端の剣崎と西海岸の三崎港、城ヶ島、油壺などを写真でご紹介したいと思います。剣崎、三崎港、城ヶ島、油壺という観光地を巡る小さな旅です。2012年春の日の旅でした。まず三浦半島の突端にある剣崎灯台を訪れました。剣崎は1番目の写真の三浦半島の地図の城ケ島の右上にある半島の突端の岬です。東京湾に出入りする航路における要所の一つで、明治5年に剱埼灯台が造られ現在も使用されています。剣崎灯台には車が入る道がありません。細い舗装道路を怖々走って行ったら300m位手前に農家が経営して...「三浦半島の魅力、剣崎、三崎港、城ヶ島、油壺」

  • 夏の陽に輝く箱根、芦の湖の写真

    夏の陽に輝く箱根、芦の湖の写真をお送りします2012年08月13日 写真毎年夏には箱根へ行くのが習慣のようになっていました。しかし高齢になり次第に体力が無くなり、今年は行けません。そこで昨年の夏に行った時の芦の湖の写真を眺めて、楽しんでいます。昨年8月下旬に2泊3日で箱根へ行ったときの写真をお送りします。快晴でした。高い、碧い空には早くも秋の白い雲がかかっていました。芦ノ湖は深い紺青の色に染まり、水面がキラキラ輝いていました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。夏の陽に輝く箱根、芦の湖の写真

  • 「疎開先の農村に咲いていた夏の花々の写真」

    疎開先の農村に咲いていた夏の花に似た花を探しました。農村とは大げさですが、東京都に隣接する埼玉県の所沢市のはずれの畑作地です。花の好きな人の畑です。四季折々、何時行っても畑の隅に花々が咲いています。夏の花の紅蜀葵、鹿の子百合、カンナなどの花々の写真をお楽しみ下さい。「疎開先の農村に咲いていた夏の花々の写真」

  • 「人それぞれの終戦直後の思い出」

    今日は人それぞれの終戦直後の思い出のある日です。80年前の8月15日は日本が無条件降伏した日です。終戦記念日です。人にはそれぞれの思い出があります。私も毎年8月になると終戦直後のことをいろいろ思い出します。私は男3人の兄弟の長男でした。その3人だけで宮城県北部の農村に疎開してました。7月10日の空襲で仙台が焼け野原になった後に疎開したのです。8月15日が来ると自分が聞いた玉音放送を思い出します。真夏の太陽が照りつける田舎の国民学校の校庭で聞きました。雑音が大きくてよく聞き取れませんでしたが、敗戦を告げる昭和天皇の悲しそうな声が途切れ途切れに聞こえました。先生が敗戦だから今日は家に帰れと言います。田圃のあぜ道をつたい歩きしながら疎開先の農家に帰りました。その夜はドジョウがいっぱい入ったスイトン汁がでました。...「人それぞれの終戦直後の思い出」

  • 「南の国、沖縄の美しい花」

    南の国、沖縄の美しい花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://bluegreen.jp/2247/などです。1番目の写真は竹富島の赤いユリです。2番目の写真は竹富島のピンクのブーゲンビリアです。3番目の写真は竹富島の黄色いキンレイジュです。4番目の写真はナンバンサイカチです。「南の国、沖縄の美しい花」

  • 「沖縄に行くとお世話になる水牛の写真」

    沖縄に行くと水牛が引く牛車に乗ります。遠浅の海の上をゆったり渡ります。御者が三味線をひいて土地の民謡をうたいます。嗚呼、沖縄だなあと思いながら海の上をゆったり渡ります。それを思い出しながら水牛の写真をお送りいたします。「沖縄に行くとお世話になる水牛の写真」

  • 「沖縄の水牛とガジュマルの写真」

    1番目の写真は西表島から由布島へ浅瀬を渡る2番目の写真は仕事を終えた水牛がのんびりとしている光景です。由布島は熱帯植物園の様です。3番目の写真は西表島にある川を観光船で遡った時の岸辺の風景です。ガジュマルが水の中へ根をおろしているのが見えます。川を数キロ遡ると熱帯林の中で下船して、林の中を散策します。幹が平らに数か所分かれて地中へ入っている板根というものがあります。異境へ踏み込んだ気分になります。伊江島や沖縄本島の西海岸や水牛車やガジュマルの写真をお送り致しました。「沖縄の水牛とガジュマルの写真」

  • 「沖縄周辺に散在する離島への旅」

    沖縄周辺には実に数多くの離島が散在しています。ある離島愛好家それらの沖縄の離島を訪問した旅日記の抜粋をご紹介致します。詳しくは、https://okinawa-labo.com/ishigakiisland-isolatedisland-12561をご覧下さい。=========================「石垣島からゆく離島めぐり!9島紹介&体験レポ」沖縄をとことん満喫したいなら、離島トリップが最適です。「これぞ沖縄!琉球!」という町並みや、(ありきたりな表現ですが)夢のような美しさの海・緑・星空が楽しめます。石垣島離島ターミナルからは毎日何便もの離島往復船がでていて、とっても手軽に離島めぐりが楽しめるんです。<目次>【1】3分でわかる離島めぐりの基本【1-1】行けるのは八重山諸島の9島【1-2】ア...「沖縄周辺に散在する離島への旅」

  • 「沖縄への旅と沖縄の悲劇的な歴史」

    沖縄は離れ島の世界です。沖縄本島の他に宮古島、石垣島、西表島、波照島、竹富島、伊江島、などなど多くの美しい島が散在しています。沖縄へは2002年以来、4回観光旅行に行きました。レンタカーで観光客の行かない淋しい島へも行きました。自然の美しさは圧倒的です。想像以上です。その美しい沖縄の島をご紹介致します。美しい沖縄ですが沖縄には悲しい歴史があるのです。琉球王朝時代の悲しい歴史。第二次大戦中の悲惨な歴史。そして今も続く基地の広大さ。沖縄の人々の悲しみは現地へ行ってみてやっと少し分かります。沖縄の自然の美しさはいろいろな本に書いてあります。いろいろな写真集もあります。しかし私が特に感動した写真集は和田義明さんのフォトギャラリー(http://wadaphoto.jp/japan/oki0.htm)です。そこでま...「沖縄への旅と沖縄の悲劇的な歴史」

  • 「ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は、沖縄の悲しみ」

    さとうきび畑ざわわざわわざわわ広いさとうきび畑はざわわざわわざわわ風が通りぬけるだけ※△今日もみわたすかぎりに緑の波がうねる夏の陽ざしの中で△(※くり返し)むかし海の向こうからいくさがやってきた夏の陽ざしの中で(※くり返し)あの日鉄の雨にうたれ父は死んでいった夏の陽ざしの中で(※くり返し)そして私の生まれた日にいくさの終わりがきた夏の陽ざしの中で(※くり返し)風の音にとぎれて消える母の子守の唄夏の陽ざしの中で(※くり返し)知らないはずの父の手にだかれた夢を見た夏の陽ざしの中で(※くり返し)お父さんて呼んでみたいお父さんどこにいるのこのまま緑の波におぼれてしまいそう夏の陽ざしの中でざわわざわわざわわ忘れられない悲しみがざわわざわわざわわ波のように押し寄せる風よ悲しみの歌を海に返してほしい夏の陽ざしの中でざわ...「ざわわざわわ広いさとうきび畑は、沖縄の悲しみ」

  • 「夏になると思い出す松島湾のカッターや競技用のボート」

    私は昭和26年に仙台一高へ入学し29年に卒業しました。仙台一高は旧制の仙台一中を新制高校にしたばかりで校舎も先生方も一中時代のままでした。全く新し新制中学校から入学すると昔の日本の大人社会に入ったようです。全てに伝統がありそれをを重んじていました。例えば仙台一高と二高の野球の試合では応援歌を歌います、その練習が長期間でかなり厳しいのです。その仙台一高で私は部活として木工部という部に入りました。部室には木工用の工具として大きな電気ドリルがポツンとあるだけで誰も木工などしていません。その倶楽部はもっぱら松島湾でボートを漕ぐ活動をしていたのです。木工部というのは名前だけで何故か松島でボート遊びをする部だったのです。それでは松島湾の風景と漕いでいたボートをご紹介致します。1番目の写真は宮戸島の大高森の展望台から見...「夏になると思い出す松島湾のカッターや競技用のボート」

  • 「夏になると北海道を思い出す」

    夏になると北海道によく行ったものです。北海道は涼しいだろうと思ったのです。しかし北海道も夏は暑いのです。今日は夏の北海道の思い出をお送り致します。札幌の大通り公園、北大植物園、ポプラ並木、広大な牧場などの思い出です。まずロマン溢れる札幌には北海道大学の植物園があり、明治を偲ばせるレンガ建ての道庁があります。花の咲いている百合が原公園や八紘学園花菖蒲園もあります。これらの写真を示しましょう。1番目の写真は札幌の百合が原公園です。写真の出典は、https://uu-hokkaido.jp/flower/summer.shtml、悠悠北海道です。2番目の写真は札幌の八紘学園花菖蒲園です。写真の出典は、https://uu-hokkaido.jp/flower/summer.shtml、悠悠北海道です。3番目の写...「夏になると北海道を思い出す」

  • 「ヨットの趣味と山林の中の小屋の趣味を教えてくれたエケトルプ教授」

    ヨットの趣味と山林の中の小屋の趣味を教えてくれたのはスエーデンのエケトルプ教授でした。スエーデンはヨーロッパの北にあり日本からは遥かに遠い国です。今日は1974年に旅したスエーデン王国と私を招待してくれたエケトルプ教授の思い出を書きたいと思います。エケトルプ教授の専門は鉄冶金学で長身、碧眼でした。スエーデンは北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島にある立憲君主制国で、首都はストックホルムです。北欧諸国のひとつであり西にノルウェー、東がフィンランド、南はデンマークと国境を接しております。バルト海を挟む形でバルト三国やポーランドとも近い国です。人口は1045万人で北欧諸国では最大の人口です。住民の大半は北方ゲルマン系のスウェーデン人ですが北部には少数のサーミ人とフィン人が暮らしています。宗教は国教であるルーテル...「ヨットの趣味と山林の中の小屋の趣味を教えてくれたエケトルプ教授」

  • 「山林の中に小屋を持つ趣味の楽しみ方」

    1973年に、山林を100坪程買って、小屋を作りました。今日は、ある春の日に、その小屋へ一泊した場合の楽しい体験をご説明いたします。写真にしたがって説明します。東京を出発し中央高速道路を須玉で下りると、約2時間30分で小屋に着きます。春の午後の日差しが小屋を明るく照らしている写真を示します。1番目の写真は山林の中の小屋です。小屋に着いたら早速2つの部屋を箒で掃いて綺麗にします。窓をすべて開け放ってカビの臭いを出し、新鮮な山の空気を小屋中にみたします。それが終わったら庭の小川から水汲みをします。飲み水は東京から持って行きますが、洗い用の水と水洗トイレの水を多量に汲み込みます。夜になると真っ暗になり水汲みが出来ないのです。それが終わったら、焚火を始めます。持参したチキンスープなどを温める炭火を作るためです。こ...「山林の中に小屋を持つ趣味の楽しみ方」

  • 「楽しかったヨットの趣味」

    趣味にはいろいろありますが、私が生涯続けた趣味はヨットの趣味と山林の中の小屋の二つでした。今日は私のヨットの趣味をご紹介いたします。はじめてヨットを習ったには葉山マリーナでした。相模湾と駿河湾で小型ヨットのデンギィを乗りまわしました。その後,大きなキャビンのついた中型ヨットを購入しました。そのヨットを「ルナ3世」と名ずけて係留したのは霞ヶ浦でした。土浦港のヨットの係留地でした。その後、ヨットの趣味は止めてしまいましたが、数年前に土浦港のヨットの係留地に行ったことがあります。別れた愛艇のルナ3世というヨットに再び会うためです。ルナ3世は昔と寸分変わらぬ姿です。右隣のモーターボートも左のヨットも前と同じです。10年という時が止まっているようです。私は23年間霞ヶ浦でヨットをしていました。当時の楽しかった思い出...「楽しかったヨットの趣味」

  • 「日本の夏の山に咲く花々の写真」

    夏の山に咲く花々の写真をお送りいたします。夏の山に咲く花々は小さい花ですが色鮮やかで美しいものです。背景の山々にも心躍ります。そんな風景写真をお楽しみ下さい。写真は「夏の山の花の写真」を検索して、インターネットの写真からいろいろな風景写真を選びました。「日本の夏の山に咲く花々の写真」

  • 「北海道の夏の花の写真です」

    北海道の夏の花の写真です。写真の出典は、https://uu-hokkaido.jp/flower/summer.shtmlです。「北海道の夏の花の写真です」

  • 「この平和を守るために第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れない」

    兵器による殺戮は日本では80年間ありません。この平和な生活を守るために第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れないことが重要だと思います。私は第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を絶対に忘れません。310万人の日本人が尊い命を落としたのです。それは日本民族の最大の悲劇であり二度と繰り返すべきではありません。そして悲劇は日本ばかりでなく全世界ではもっと多くの人命が失われたのです。下の第二次世界大戦の国別の犠牲者数の表をご覧下さい。この一覧表は一番正確な犠牲者数として外国のインターネットでよく引用されている統計です。世界的に信用されている犠牲者数です。この一覧表を注意深く見ると日本ではあまり知られていない事実が沢山あるのです。気が付いた順に記します。(1)日本の占領地のフィリピンとインドネシアで民間人の死者がそれぞれ最...「この平和を守るために第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れない」

  • 「何故日本がアメリカと戦争をしたのか」

    何故日本がアメリカと戦争をしたのでしょうか。今日はこの問題を考えてみたいと思います、少し深く考えると明治維新以後日本は清やロシアと戦い勝っています。戦争をすれば日本が隆盛すると思っていたのです。この好戦国がアメリカと戦争をするのは自然のなりゆきでした。そんな経緯をふまえて太平洋戦争を具体的に書いてみます。太平洋戦争は、1941年から1945年まで日本とアメリカ・イギリスなどの連合国との間で行われた戦争です。第二次世界大戦です。日本は資源確保と称して戦争をはじめました。真珠湾攻撃で開戦したのす。はじめは優位に立ちましたが、その後敗北し、1945年8月の日本の降伏をもって終結しました。以下に戦争の経過を書きます。日本と中国の対立と、それによる満洲をめぐる国境紛争により発生した日中戦争(支那事変)は予想外の総...「何故日本がアメリカと戦争をしたのか」

  • 「カトリック」と「プロテスタント」の違いの明解な説明

    「カトリック」と「プロテスタント」の違いの明解な説明を見つけましました。感動したので転写致します。上馬キリスト教会ツイッター、https://diamond.jp/articles/-/305015よりの転写です。「カトリック」と「プロテスタント」の違い「キリスト教」には、じつに多くの「教派」があります。最も多くの方が知っている教派は、何といっても「プロテスタント」と「カトリック」でしょう(もう一つ、日本ではあまり知られていませんが「正教会」という大きな教派もあります)。「教派」はこうして分かれていった始まりは、イエス様とその弟子たちがつくった「キリスト教」です。後にキリスト教はローマ帝国の国教になりましたが、このローマ帝国が東西に分裂。そのため、教会も東西に分かれることになりました。やがて東西の教会は別...「カトリック」と「プロテスタント」の違いの明解な説明

  • [カトリック松原教会の年間第19主日のミサの風景」

    カトリック松原教会の年間第19主日のミサの風景の写真をお送りいたします。[カトリック松原教会の年間第19主日のミサの風景」

  • 「東京のカトリック松原教会の年間第19主日のミサ」

    今日は東京のカトリック松原教会の年間第19主日ミサにあずかりました。インターネットをとうして東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました。https://matsubara-cath.chu.jp/ja/online-mass/年間第19主日ミサです。カトリック松原教会〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009matsubara-church@gray.plala.or.jp「東京のカトリック松原教会の年間第19主日のミサ」

  • 「懐かしい平戸島の風景」

    懐かしい平戸島の風景です。随分前に行った平戸島が懐かしいです。写真をお送りいたします。「懐かしい平戸島の風景」

  • 「長崎の平戸島の教会の写真」

    長崎県の北西の海上に平戸島があります。幅の狭い平戸瀬戸の上に橋がかかっていて九州本土の平戸口と繋がっています。この平戸瀬戸へ面した平戸島の港は船の往来で繁栄した港町でした。この海峡は九州の南の海と玄界灘をつなぐ最短距離なのです。奈良時代や平安時代には遣隋使や遣唐使の船の出発港としても重要でした。現在は九州本土から観光バスで行ける上に、平戸市には昔の領事館、商館の跡やキリシタン関連の史跡が多いので、一つの観光スポットになっています。私共も3回ほど訪問し、古い平戸の町並みを歩き、キリシタン時代の教会を訪ねたことがあります。そんな観光案内を以下に示します。1番目の写真は手前が九州側で橋の向うが平戸島です。上と下の全ての写真は平戸写真画像集からお借りしました。2番目の写真は現在の平戸港です。木造の遊歩道が付いてい...「長崎の平戸島の教会の写真」

  • 「長崎の26聖人にまつわる話」

    長崎の観光名所の一つに日本26聖人像があります。今日はこの26聖人の事を書いてみようと思い写真を検索して、探していました。そうしたら鮮明な写真に素晴らしい文章のついたブログを発見しました。江島達也さんのブログ:http://hayabusa-3.dreamlog.jp/です。このブログの中から観光名所になっている、26聖人像の写真をお借りして以下に示します。(出典」は、http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51207384.htmlです)。有名な彫刻家の船越保武氏が4年余の歳月をかけて昭和37年に完成した芸術作品です。余談ながら私はカトリックなのでこの像の前に立ったり、写真をみるのが好きです。祈っているのです。この26人は1597年2月5日、長崎の西坂で十字架にはり...「長崎の26聖人にまつわる話」

  • 「異国の香りあふれる美しい長崎、しかし原爆投下」

    長崎は異国の香りあふれる美しい街でした。しかし80年前の今日、原爆が投下され一瞬にして壊滅しました。長崎は江戸時代の鎖国中も唯一貿易が許されていた街です。今では国際交流が当たり前になった日本でも、長崎ほど国際色あふれる街は数少ないでしょう。そんな長崎には、国内外から観光客がたくさん訪れています。現在の長崎の写真をお送りいたします。出典は、https://rlx.jp/journal/kyushu/44475です。この美しい長崎への原子爆弾が投下さたのです。1945年(昭和20年)8月9日でした。爆撃機B-29により投下された原爆は、広島へ原爆投下に続き、人類史上において実戦に使用された2回目の核兵器でした。長崎市への原爆の爆心地は長崎市松山町で、現在は平和公園となっています。長崎は約36%が全焼または全半...「異国の香りあふれる美しい長崎、しかし原爆投下」

  • 「懐かしいオハイオの夏の写真」

    茫々67年前の夏に私オハイオ州立大学に留学しました。22歳の暑い夏でした。懐かしいのでオハイオの夏の写真をお送り致します。写真はインターンットからお借りしました。1番目の写真はオハイオ州立大学の建物です。残りの写真はオハイオの夏の風景です。「懐かしいオハイオの夏の写真」

  • 「夏の海の風景」

    夏の海の風景の写真をお送りいたします。風景写真はインターネットからお借りしました。「夏の海の風景」

  • 「夏がくれば思い出す納涼祭り、夜店、風の盆」

    昔は夏の暑さに負けずにこの季節を楽しく過ごしたものです。納涼祭りや夜店、そして盆踴りを楽しんだものです。それらは夏の風物詩です。詩情豊かな夏の文化です。今日はこの夏の風物詩を私が撮った写真とともにお送り致します。まず始めは我が町、小金井の納涼祭りと夜店の写真をお送り致します。1番目の写真は小金井の駅前広場の納涼祭りの様子です。2番目の写真は小金井の納涼祭りに浮かれる子供達の様子です。毎年、毎年、子共たちが何処からともなく沢山集まって嬉々として楽しんでいます。昔は裏の京王商店街に酒屋があり、肉屋、お茶屋、本屋、電気屋、蕎麦屋、2軒の寿司屋、中華そばや、錠前屋、クリーニング屋がありました。そして道端では魚の浜焼き屋や軽トラでやって来る焼き鳥屋までありました。銀行の駐車場にビアガーデン・小さな舞台が設けられ大勢...「夏がくれば思い出す納涼祭り、夜店、風の盆」

  • 「8月になると思い出す暑い日の玉音放送とM教授の言葉」

    今年も8月になりました。野山にはいろいろな百合が毎年、毎年同じように咲いています。しかし78年前の8月15日には昭和天皇の玉音放送があり日本は敗北したのです。悲惨な沖縄戦、広島と長崎の原爆投下の後でした。私は疎開先の田舎の小学校の校庭で玉音放送を聞きました。帰りに田圃のあぜ道を歩きながら子供心にも敗戦の悲しみを噛みしめていました。暑い日でした。太陽が田圃のあぜ道を歩いている私に容赦なく照り付けていました。疎開先の農家の庭に強烈な印象を与える山百合の花が咲いていました。そんな百合の花の写真を探したらよく似たものを見たけました。その写真をお送りします。疎開先の農家の庭に咲いていたあの日の百合は1番目の写真のような花でした。あれから80年の月日が流れました。私の人生にもいろいろな事がありました。しかし8月が来る...「8月になると思い出す暑い日の玉音放送とM教授の言葉」

  • 「ゴッホの「夕方のカフェテラス」 へのコメント

    山田陽子さんより、内容のある投稿をありがとうございます、楽しませていただいています。ところで、ゴッホの聖書画「善きサマリア人」はご覧になったことはありますか?とても素晴らしいです。日本では公開された事はありませんが、後藤様なら海外でご覧になったのではないかと。因みに私はカトリック信者です。「ゴッホの「夕方のカフェテラス」へのコメント

  • 「涼しげな北海道の夏の風景」

    涼しげな北海道の夏の風景です。写真は、「涼しげな北海道の花園の写真」を検索して、インターネットの写真から選びました。「涼しげな北海道の夏の風景」

  • 「夏になると妻が思い出す鎌倉」

    鎌倉は家内が生まれ、そこで終戦の年まで育った場所でした。終戦時は国民学校2年生でした。家内の話を聞いてから、私も彼女の昔の家の近所を何度か散歩しました。そして鎌倉の中をいろいろ歩き回りました。家内が鎌倉生まれで小学校まで住んでいた処は長谷寺の近くで現在の鎌倉文学館の下でした。幼稚園は六地蔵の傍にあった聖母幼稚園へ行っていたそうです。その幼稚園を探したら名前は変わっていましたがありました。通っていた小学校は御成小学校です。現在も当時のままの門がありましたので写真を撮りました。1番目の写真は御成小学校の門です。御成小学校は海蔵寺や寿福寺に行く途中にあるので何度も行きました。戦前の校門と講堂が残っています。2番目の写真は現在の鎌倉文学館学館です。そこは当時、妻は加賀様山と呼んでいて、別荘の庭やその周囲の丘や草原...「夏になると妻が思い出す鎌倉」

  • 「夏になると思い出す特急つばめと東海道本線の旅」

    夏になると特急つばめと東海道本線の旅を思い出します。懐かしい特急つばめと東海道本線の旅の思い出を書きたいと思います。昭和16年から戦後にかけての思い出です。昭和11年に生まれた私は毎年夏になると特急つばめに乗って兵庫県の田舎にある父の実家へ行ってました。父の実家は曹洞宗のお寺です。父母と兄弟3人で1週間ほど泊まりました。当時住んでいた仙台から上野までは蒸気機関車だったので煤煙でシャツが真っ黒になったものです。それが東京駅で「つばめ号」に乗り換えると煤煙がなく素晴らしいのです。窓を思いきり開けて涼風が楽しめるのです。新幹線の開通の後あの懐かしい「つばめ号」は消えて無くなりました。しかしインターネットには写真が残ってい.ます。その「つばめ号」の写真を示します。超特急「燕」は東京~大阪間568kmを、それ以前の...「夏になると思い出す特急つばめと東海道本線の旅」

  • 「夏祭りと花火大会そして私のお盆の墓参り」

    夏の行事としては夏祭りと花火大会が代表的です。夏の風物詩です。またお盆には祖先の霊を祀ったお墓に花や線香をあげに行きます。七夕や海水浴やプールも夏の行事です。甲子園の野球大会も夏も行事です。夏祭り:疫病退散を願う意味合いもあり各地で神輿を担いだり踊ったりと熱気あふれるます。花火大会では打ち上げ花火や仕掛け花火をして多くの人が夏の風物詩として楽しんでいます。お盆には祖先の霊が帰って来ます。家族が集まりご先祖様を祀る大切な行事です。七夕では笹飾りをしたり短冊に願い事を書いたりする行事です。遊びでは海水浴やプールに行きます。夏の暑さをしのぎ水辺で涼むことができます。そして甲子園で夏の高校野球の全国大会があります。それはそれとして私は妻の実家の墓参りに行きます。運転免許を昨年返上するまでは毎年行きま...「夏祭りと花火大会そして私のお盆の墓参り」

  • 「日本の夏の風物詩」

    春夏秋冬、四季のある国・日本。日本語には「風物詩」という言葉が存在する。それは「その季節をあらわす代表的なもの・こと、または季節に感じさせるもの」だ。日本でその季節になったらよく食べるものや見られる風景、風習などがある。https://www.fun-japan.jp/jp/articles/12727の目次日本の夏の風物詩:自然日本の夏の風物詩:夏のファッション日本の夏の風物詩:夏のアクティビティ日本の夏の風物詩:夏の祭りやイベント日本の夏の風物詩:夏ならではのアイテム日本の夏の風物詩:料理・スイーツ・飲み物「日本の夏の風物詩」

  • 「夏の風物詩は海水浴の光景」

    夏の風物詩は海水浴の光景です。幼少の頃の楽しかった海水浴の光景を懐かしく思い出します。一番懐かしいのは仙台の近所の荒浜や菖蒲田や桂島の、そして野蒜海岸や宮戸島での少年の頃の海水浴の思い出です。インターネットで検索して桂島と宮戸島の風景写真を探しました。1番目の写真は現在の桂島の海水浴場の風景です。2番目の写真は海開き後の宮戸島の海水浴場の風景写真です。3番目の写真は海開き前の茅ケ崎の海水浴場の写真です。4番目の写真は昔から有名な大磯の海水浴場です。海開き後は人で溢れる海水浴場です。5番目の写真は海開き前の茅ケ崎の海水浴場の写真です。夏を待ちきれない若者達がサーフィンを楽しんでいる光景です。こんな光景を海水浴の光景を思い出すと不思議に若かった頃の元気が湧き出して来ます。皆様も暑い夏をお元気でお過ごし下さい。...「夏の風物詩は海水浴の光景」

  • 「懐かしい夏の思い出、正林寺と施餓鬼供養の光景」

    少年だった頃の夏のことが懐かしく思い返します。私の祖父は兵庫県の曹洞宗の正林寺の住職でした。叔父も祖父の後を継ぎ住職を長く務めていました。そのお寺は大阪駅から山奥に入った兵庫県にありました。毎年夏のお盆になると一家揃って兵庫へ里帰りするのが習わしでした。大阪・梅田から阪急電車です。能勢口で能勢電鉄へ乗り換え山下駅で降り、あとはタクシーという旅でした。お寺は山合いの内馬場という集落の端にありました。高い石垣を積み、小さな本堂、鐘楼、庫裏、客間の離れ、白壁の蔵が、狭い敷地にまとまって建っています。石垣の上の白壁の塀の上からは集落全体が箱庭のように見下ろせます。一番お面白かったものに施餓鬼法要という儀式があります。飢饉で悲しくも餓死した農民の供養をするのです。供養をするため近隣のお寺の住職が10人くらい集まり、...「懐かしい夏の思い出、正林寺と施餓鬼供養の光景」

  • 「懐かしい夏のお盆のいろいろ」

    今日は懐かしい夏のお盆のいろいろを書きたいと思います。日本で最初にお盆を行ったのは推古天皇で、今から1400年も前の飛鳥時代です。長い間、貴族や僧侶だけが行う特別な行事でしたが、江戸時代に入ると、ろうそくや提灯が大量生産されたこともあって、一般の人にも定着していきました。そして現在の一般的なお盆の期間は、8月13日から16日までです。お盆の行事のあれこれの写真を示します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86です。1番目の写真は精霊馬です。精霊牛馬とも言います。ナスとキュウリに割り箸などで脚を付けてウシとウマに見立てるのです。胡瓜の馬はあの世にいる故人が乗って急いでこの世に帰って来るのです。お盆が終われば茄子の牛の乗ってゆっくりあの世...「懐かしい夏のお盆のいろいろ」

  • 「初めて留学したオハイオ州立大学の写真」

    老境になると懐かしいのは最初のアメリカ留学です。1960年に初めてアメリカへ留学しました。オハイオ州立大学に留学したのです。オハイオ州立大学の風景を写真に従ってご紹介します。1番目の写真は校地の中央にある芝生の広場とそれを囲む建物群の写真です。このような広い芝生の広場がもう一つありました。2番目の写真は数万人を収容する巨大なスタジアムです。写真の下方に写っている自動車と比較してみるとスタジアムの巨大さが分かります。この大学はアメリカン・フットボールが強いので有名なので、スタジアムも立派なのです。3番目の写真は私達が使っていた3階建てのロードホールという建物です。この写真では右のほうに玄関がありますが、その右の1階には、私が作った実験装置が置いてあった部屋があり、2階には講義室がありました。4番目の写真はこ...「初めて留学したオハイオ州立大学の写真」

  • 「茫々60年、あのアメリカ留学は一朝邯鄲の夢」

    1961年に私どもはオハイオ州のコロンバス市で結婚しました。その時、親身になってお世話をしてくれた大学の先生たち、そしてアメリカの友たち、みんな消えてしまいました。茫々60年です。その思い出は一朝邯鄲の夢の一場面だったのです。しかし間もなくあの世で会えるのです。われわれ人間の本当の家は天国なのです。わたしも其処へ帰る日がまもなくやって来ます。お世話になったアメリカ人たちへ感謝するために60年前の写真を掲載します。1番目の写真はオハイオ州立大学の学生会館のオハイオ・ユニオンの礼拝室での結婚式に出席してくれた先生方と同級生の友人たちです。2番目の写真は結婚式に続いてダウンタウンにあるディッシュラー・ヒルトン・ホテルで開いたレセプション風景です。右端が私の恩師のセント・ピエール教授でその左が物理を教えてくれたラ...「茫々60年、あのアメリカ留学は一朝邯鄲の夢」

  • 「夏になると思い出す焼け野原の仙台とB29の搭乗員だったオートンさんのこと」

    夏になると思い出すのは焼け野原になった仙台の風景です。そして後に知り合ったB29の搭乗員だったオートンさんのことです。戦前の昭和11年に生まれた私は毎年、夏が来ると太平洋戦争のことをいろいろと思い出します。今日は日本の200の都市が焦土になった写真を示します。そしてB29の搭乗員として何度も空襲に来たアメリカ空軍の大佐と戦後に親友になった話を書きます。戦争の虚しさと不条理を考えさせます。あれから80年経過しましたが戦争の悲劇の大きさにますます心が痛みます。米国空軍のB29爆撃機による無差別絨毯爆撃はすさまじいものでした。1945年7月10日、仙台市はB29による焼夷弾攻撃で一夜にして焼野原になってしまったのです。当時はまだ少年だった私は家のあった向山の高台から一面の紅蓮の炎を見下ろしていました。空には銀色...「夏になると思い出す焼け野原の仙台とB29の搭乗員だったオートンさんのこと」

  • 「我が故郷、仙台市の現在の風景写真」

    思い出の写真を掲載します。我が故郷、仙台市の現在の風景写真です。1番目の写真は鹿落坂の上から見た仙台市の中心街です。私が生まれ育った家は鹿落坂の上の向山にありましたので何度も通った所です。何度通っても眺めの良い所なので立ち止まって風景を楽しみました。2番目の写真は仙台駅です。私が生まれ育った頃の駅舎は粗末な木造でした。駅舎がこんなに立派になるとは想像も出来ませんでした。感無量です。3番目の写真は駅前の風景です。当時は建物がすべて木造でみすぼらしいものでした。唯一、丸光というデパートが立派でした。4番目の写真は駅前から西にとおっている青葉通りという大道路です。舗装が悪くて風が吹くと砂埃が舞い上がって目に入ったものです。5番目の写真は伊達家代々の墓がある大年寺山です。初代の伊達政宗の墓だけは別の山にあります。...「我が故郷、仙台市の現在の風景写真」

  • 『夏が来ると思い出す故郷、仙台の七夕、「青葉城恋歌」、「ブラザー軒」の詩など』

    故郷の仙台の七夕は今年も8月6日(日)、7日(月)、8日(火)と開催されます。毎年、夏が来ると、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。七夕飾りは私の故郷の光景として心の中に焼き付いています。それではその七夕飾りの写真をお送りいたします。1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.htmlです。2番目の写真の出典は、、http://colocal.jp/news/35321.htmlです。3番目の写真の出典は、http://www.hoso0907.com/blog/archives/2007/08/09-021827...『夏が来ると思い出す故郷、仙台の七夕、「青葉城恋歌」、「ブラザー軒」の詩など』

  • 『夏が来ると思い出す故郷、仙台の七夕、「青葉城恋歌」、「ブラザー軒」の詩など』

    故郷の仙台の七夕は今年も8月6日(日)、7日(月)、8日(火)と開催されます。毎年、夏が来ると、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。七夕飾りは私の故郷の光景として心の中に焼き付いています。それではその七夕飾りの写真をお送りいたします。1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.htmlです。2番目の写真の出典は、、http://colocal.jp/news/35321.htmlです。3番目の写真の出典は、http://www.hoso0907.com/blog/archives/2007/08/09-021827...『夏が来ると思い出す故郷、仙台の七夕、「青葉城恋歌」、「ブラザー軒」の詩など』

  • 「『酒は大七』の看板が消えて淋しい」

    昔、東北本線で仙台に帰る途中、福島県に入ると左の山並みの上に「酒は大七」という大きな看板がかかっていました。その看板を見るたびに、「ああ、故郷へ帰ってきた」という感慨に打たれたものです。その看板は宮城県に入っても遥か山の上の方に幾つかありました。福島県二本松にある「大七酒造」という江戸時代からの酒蔵の看板です。東北新幹線が出来ても看板は昔のように山並みの上に幾つかあり、故郷が私を歓迎しているような気分になったものです。それが数年前に東北新幹線で古川まで往復しましたが、「酒は大七」の看板がめっきり減っているのです。半分、朽ちているのもあります。「大七酒造」が廃業したようで寂しいかぎりです。調べてみましたら、現在の十代目の当主が看板の保守を怠っているようです。酒蔵は相変わらずの隆盛です。有名な銘酒もいろいろ出...「『酒は大七』の看板が消えて淋しい」

  • 「『酒は大七』の看板が消えて淋しい」

    昔、東北本線で仙台に帰る途中、福島県に入ると左の山並みの上に「酒は大七」という大きな看板がかかっていました。その看板を見るたびに、「ああ、故郷へ帰ってきた」という感慨に打たれたものです。その看板は宮城県に入っても遥か山の上の方に幾つかありました。福島県二本松にある「大七酒造」という江戸時代からの酒蔵の看板です。東北新幹線が出来ても看板は昔のように山並みの上に幾つかあり、故郷が私を歓迎しているような気分になったものです。それから暫くして東北新幹線で古川まで往復しましたが、「酒は大七」の看板がめっきり減っているのです。半分、朽ちているのもあります。「大七酒造」が廃業したようで寂しいかぎりです。調べてみましたら、現在の十代目の当主が看板の保守を怠っているようです。酒蔵は相変わらずの隆盛です。有名な銘酒もいろいろ...「『酒は大七』の看板が消えて淋しい」

  • 「夏になると思い出す故郷、仙台のいろいろ」

    故郷、仙台では夏に盛大な七夕飾りをします。仙台を出て東京に住むようになってからも七夕飾りの頃は毎年仙台に帰ったものです。夏になると思い出すのは故郷、仙台のことです。今日は我が故郷の仙台をご紹介いたします。仙台は伊達政宗が1600年前後に築いた城下町です。青葉城の大手門から真っ直ぐ東へ伸びる通りは広瀬川の大橋を渡ったところから、東端の現在の仙台駅までを大町通りと言います。その大町通りの途中を直角に奥州街道が横切っていて、その四つ角を「芭蕉の辻」といいます。江戸時代は有名な繁華街で、豪商の店が集まっていました。その奥州街道の部分を国分町といって賑やかな商店街でした。明治維新で仙台藩が解体された後も「芭蕉の辻」や国分町の賑わいは続きました。しかし、大正、昭和と時が流れるに従って、国分町はしだいに寂れ、それと並行...「夏になると思い出す故郷、仙台のいろいろ」

  • 「日曜日になると思い出す塚本金明神父とヨゼフ・ムニ神父」

    日曜日はインターネットを通してミサにあずかります。そして塚本金明神父さまとヨゼフ・ムニ神父さまを思い出します。府中市にあるカトリック墓地にある2人のお墓を思い出します。私ども夫婦は1971年に塚本神父様から洗礼を受けたのです。1954年から1976年までカトリック立川教会の初代主任司祭をされた方です。1番目の写真は1954年頃のカトリック立川教会幼稚園児に囲まれた塚本金明神父さまです。一方、ムニ神父さまは1975年から1993年までカトリック小金井教会の初代主任司祭をされた方で、私どもは1975年から1988年までの13年間大変お世話になった神父さまでした。お世話になった2人の神父さまのお墓の写真を示します。2番目の写真は塚本神父様のお墓です。府中市にあるカトリック東京大司教区の神父様たちのお墓です。数十...「日曜日になると思い出す塚本金明神父とヨゼフ・ムニ神父」

  • 「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」

    今日はインターネットをとうして東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました。カトリック松原教会〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009matsubara-church@gray.plala.or.jp「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」

  • 「老境になって懐かしいのは最初のアメリカ留学」

    老境になると懐かしいのは最初のアメリカ留学です。1960年に初めてアメリカへ留学しました。オハイオ州立大学に留学したのです。その時アメリカの豊かさに驚愕する体験をしたのです。戦争で負けてひどく貧しい生活をしていた日本から豊かなアメリカに行って驚きました。それは人生で一番大きいな驚きでした。感動でした。これでは戦争に負けるとしみじみ思いました。真珠湾攻撃をした日本の愚かさに失望しました。今日はアメリカの豊かさに驚いた最初の留学体験を書いてみたいと思います。まずオハイオ州立大学の規模があまりにも壮大なので驚き感動しました。大学専用の飛行場を持っているのです。そして学生が格安で使える18ホールのゴルフコースを2つ揃えたゴルフ場を持っていることです。その広さは日本の大学と比べようもありません。アメリカ全土には、同...「老境になって懐かしいのは最初のアメリカ留学」

  • 「北海道のヒグマ、北キツネ、エゾシカの写真」

    2015年の北海道ツアーの2泊目は知床のウトロ港の前のホテルに泊まりました。3日目のコースでは知床五湖を観光し、運が良ければ野生動物が見られます。それから峠を越して知床半島の反対側の羅臼に出ます。ホテルを出て知床五湖に近づいた頃、バスの傍の白樺林の中に大きなヒグマが悠然と歩いています。下の写真はバスの窓から撮ったヒグマです。1番目の写真はバスの窓から撮ったヒグマです。この熊は人を恐れずにバスから10m位の所を徐行するバスに従って歩いているのです。数分歩いて写真を撮り終わった頃に林の中に消えて行きました。知床には何度か行きましたが、ヒグマをこんなに間近に見るのは初めてでした。さてそこからかなり走った所で、下の写真のようにエゾシカが草を食べている光景を見ました。2番目の写真はエゾシカです。熊から数キロメートル...「北海道のヒグマ、北キツネ、エゾシカの写真」

  • 「山梨県の蓼科山に棲む日本カモシカの親子の写真」

    2018年12月14日の午後1時頃に蓼科山の下のスズラン峠で偶然、日本カモシカの親子に会いました。写真では子供は親の陰になって写っていません。写真を撮ってるうちに蓼科山の方へ逃げて行きました。日本カモシカは珍しいので写真をお送りします。「山梨県の蓼科山に棲む日本カモシカの親子の写真」

  • 「山梨県の山林の中に棲むカモシカの写真」

    都会に住んでいると野生動物には滅多に会いません。しかし山に行くといろいろな野生動物に会います。そして私は山梨の山林の中の小屋に何十年も通っているのでいろいろな野生動物に会っています。キツネ、シカ、サル、カモシカなどに会っています。今日はカモシカの写真をお送り致します。自分で撮った写真です。1番目の写真は山林の私の小屋の前に遊びに来た特別天然記念物の日本カモシカです。好奇心が強く私を何時までも見つめていました。日本カモシカは昭和9年(1934)5月1日天然記念物に指定され、30年(1955)2月15日特別天然記念物指定されました。この動物はシカ科ではなく、ヤギに似た反すう偶蹄類ウシ科に属する日本固有種なのです。体には白色の綿毛が密生し、その上を黒褐色または淡赤褐色で7~10cmの上毛が覆っています。群れを作...「山梨県の山林の中に棲むカモシカの写真」

  • 「山梨県の山林の野生のブドウと野生動物たちの写真」

    昔から何故か野生のブドウに憧れていました。1974年頃に山林の中に小屋を作り野生のブドウを探しました。甲斐駒岳の麓の山林です。そして一度だけ見つけたのです。山林の中に葡萄がある風景に感動しました。しかし次の年には消えてしまったのです。野生のブドウは少年の頃、仙台の郊外の山林の中で一度だけ見たことがあります。胸がおどりました。栽培種の甲州ブドウと野生のブドウの写真をお送りいたします。1番目の写真は自宅の庭に実った甲州ブドウです。葡萄畑が広がる山梨県、勝沼から葡萄の苗木を買って来ました。20年以上前です。それを庭に植えて十数年して、やっと葡萄の実の房を付けるようになりました。味はすごく不味いです。渋くて、酸っぱくて食べることが出来ません。毎年、ブドウの房を切り取って、緑豊かな葉とともに生花のように室内に飾って...「山梨県の山林の野生のブドウと野生動物たちの写真」

  • 「KITAHOさんのブログから『野ブドウ』の話」

    KITAHOさんは「八ヶ岳南麓-横浜・・・KITAHOWorld。」というブログに毎日記事を掲載してしております。KITAHOさんも木内正夫さが紹介してくれたかたです。八ヶ岳南麓での山里生活と横浜での2地域居住を続けています。、原種バラを中心とするガ-デニングや菜園を楽しんでいます。何年か前に彼の八ヶ岳南麓の別荘を訪ねたことがあります。懐かしい方です。そのKITAHOさんの8月16日の野ブドウに関する記事を掲載します。・・・KITAHO著、「野ブドウが美しく色づいてきましたね。」・・・野ブドウの彩りは・・・ベージュからライトブルー・・・・そして瑠璃色・・・濃紫色とたくさんの彩りが混在して見せます。宮沢賢治はこの野ブドウのことを、めくらブドウと表現し、『めくらぶどうと虹』という童話を発表していますね。『めく...「KITAHOさんのブログから『野ブドウ』の話」

  • 「世界自然遺産の奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島の写真」

    2021年7月に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録されました。世界自然遺産に登録されたのは、日本列島の南端部に位置する琉球列島の4つの島々の陸域です。世界自然遺産地域に生息する国際的絶滅危惧種は95種、そのうち固有種は75種を数えます。植物種も生育する維管束植物が1,819種におよぶなど、世界の生物多様性ホットスポットの一つである日本の中でも生物多様性が突出して高い地域です。1番目の写真は奄美大島の森です。2番目の写真は奄美大島の集落と背後の山々です。奄美大島では、神々が宿るとされる山「カミヤマ(神山)」を背とし、海に面して集落があります。3番目の写真は徳之島の井之川岳山頂からの眺望です。4番目の写真は奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島よくあるサンゴの石垣です。「世界自然遺産の奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島の写真」

  • 「日本にある世界遺産とイタリーなど諸国の世界遺産」

    日本にある世界遺産は全部25です。それに対してイタリーには世界最多の58もあります。中国は57で世界の第二位です。今日は日本とイタリーなど諸国の世界遺産をご紹介したとおもいます。まず日本の世界遺産一覧をご紹介致します。1法隆寺地域の仏教建造物奈良県平成5年文化2姫路城兵庫県平成5年文化3屋久島鹿児島県平成5年自然4白神山地青森県・秋田県平成5年自然5古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)京都府・滋賀県平成6年文化6白川郷・五箇山の合掌造り集落岐阜県・富山県平成7年文化7原爆ドーム広島県平成8年文化8厳島神社広島県平成8年文化9古都奈良の文化財奈良県平成10年文化10日光の社寺栃木県平成11年文化11琉球王国のグスク及び関連遺産群沖縄県平成12年文化12紀伊山地の霊場と参詣道三重県・奈良県・和歌山県平成...「日本にある世界遺産とイタリーなど諸国の世界遺産」

  • 「隣の国の韓国にある16の世界遺産」

    韓国は中国と陸続きで古い文化がありす。ですから韓国には世界遺産が16もあります。そのうち文化遺産は14件、自然遺産は2件です。一方、日本の世界遺産は26件です。今日は日本と韓国にある世界遺産をご紹介致します。先ずはじめに韓国にある世界遺産の一覧を示します。石窟庵と仏国寺文化遺産1995年八萬大蔵経の納められた伽倻山海印寺文化遺産1995年宗廟文化遺産1995年昌徳宮文化遺産1997年華城文化遺産1997年慶州歴史地域文化遺産2000年高敞、和順、江華の支石墓群跡文化遺産2000年済州火山島と溶岩洞窟群自然遺産2007年朝鮮王朝の王墓群文化遺産2009年韓国の歴史的集落群:河回と良洞文化遺産2010年南漢山城文化遺産2014年百済歴史地域文化遺産2015年山寺[サンサ]、韓国の仏教山岳僧院文化遺産2018年...「隣の国の韓国にある16の世界遺産」

  • 「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」

    山里の山林の中の小屋に以前は時々泊りました。でも最近はその元気もなくなりめったに行きません。時々思い出すのは漆黒の闇に包まれた森の奥の小屋に泊まったことです。周囲の木々が暗い森の中を歩き回るような恐怖を感じました。考えてみたらこんなにも暗い夜に人魂が飛んでいるのを見たことがありました。そして「のっぺらぼう」や「かまいたち」や「おいてけぼり」が人間に悪さをする話もよく聞きました。半信半疑ながら熱心に聞いたものです。妖怪たちは身近にいたのです。小泉八雲の怪談に出て来る「雪女」は雪国に本当にいると思い込んでいました。「耳無芳一の話」や「鳥取の蒲団」を読んではゾクゾクしたものです。そのような私の楽しみが最近消えてしまっていたのです。街中に住んでいると暗闇の不気味さを忘れていました。ところが暗い森の奥の山小屋に泊ま...「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」

  • 「八ヶ岳と清里のロイヤルホテルの思い出」

    老境の幸せは時間が自由なことです。数年前の3月に思い立って、甲斐駒の麓にある山小屋に遊び、その足を伸ばして八ヶ岳の麓を巡る旅に出ました。以前にも泊まった八ヶ岳ロイヤルホテルに投宿しました。一泊する小さな旅です。甲斐駒岳と八ヶ岳の写真を撮りなが遊びました。1番目の写真は甲斐大泉の展望台から見た八ヶ岳です。ここから清里へ行きました。甲斐大泉は標高1200m位の素晴らしい高原でホテルやペンションや洒落た別荘が散在しています。2番目の写真は清里の清泉寮の前に広がる牧場です。清里はこのように広々した牧場地帯です。ジャージー種の牛の牧場です。3番目の写真は投宿した八ヶ岳ロイヤルホテルです。施設が良くて食事も美味しいホテルです。次の日はホテルを出て俳優の柳生さんが作った八ヶ岳倶楽部を見にいきました。雑木林がとても美しい...「八ヶ岳と清里のロイヤルホテルの思い出」

  • 「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」

    過ぎ去りし日々を振り返って人生のいろいろを思い出しています。老境にある人は皆同じように自分の人生を時々思い返していると思います。そこで今日は私が建てた山林の中の小さな小屋の話を書こうと思います。我が人生に深い影響を与えた体験です。その小屋は八ヶ岳の見える甲斐駒岳の麓の山林の中にあります。1番目の写真は甲斐駒岳です。この山を見上げると夏に学生君たちと登ったことを思い出します。息子と2人だけで登ったことも思い出します。そしてスウェーデンやドイツから来た学生のことも思い出すのです。この山を見る度に登高の情熱と山頂に立った時の高揚感を思い出します。2番目の写真は甲斐駒岳を見上げながら小屋へと上がっていく雑木林のなかの道です。晩秋なので落葉して明るい陽射がさし込んでいますが、夏には鬱蒼とした暗い道なのです。この道を...「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」

  • 「山林の中の友人の旅立」

    甲斐駒岳の麓の山林の中に独りで何十年も住んでいる友人がいました。木内正夫さんという方です。私の山の小屋の近所に住んでいました。その弟さんからメールがあり彼が旅立ったことを知りました。今日は山林の中の友人の思い出のあれこれを書きたいと思います。木内正夫さんは晩年に眼病になってインターネットへの書き込みが出来なくなりました。彼の最後の記事です。・・・「さようなら」眼の状態が思わしくなく、ブログの記事さえ満足に読めなくなり皆様のブログにも訪問がむずかしくなりました。本日をもって終わりにします。・・・今まで応援していただき感謝しています。コメント欄は開けておきますが返信は出来ません。ブログは人生の記録として残しておきます。さようなら。・・・・1番目の写真は木内正夫さんです。私がこうしてインターネットの上で毎日、写...「山林の中の友人の旅立」

  • 「懐かしい霞ヶ浦のウナギの山中の写真」

    霞ヶ浦にヨットを係留して23年間セイリングを楽しみました。よく行って昼食を食べたところは霞ヶ浦の岸辺にあるウナギの山中でした。懐かしいので写真をお送りいたします。「懐かしい霞ヶ浦のウナギの山中の写真」

  • 「浜名湖周辺のウナギの蒲焼き」

    浜名湖周辺のウナギの蒲焼きをご紹介いたします。浜名湖のウナギの蒲焼きは、肉厚で柔らかく、ジューシーな味わいが特徴です。特に、浜名湖産の活鰻を使い、白焼きにした後に、関東風に蒸して蒲焼きにする製法です。浜名湖のうなぎ蒲焼きの特徴:を列記します。肉厚で柔らかい:活鰻を丁寧に捌き、白焼きにした後、蒸すことで、ふっくらとした食感に仕上がります。ジューシーな味わい:脂がのった鰻の旨みが口の中に広がり、上品な味わいが楽しめます。関東風の調理法:白焼きにした鰻を蒸すことで、余分な脂を落とし、ふっくらと仕上げます。写真は浜名湖の風景と浜名湖周辺のウナギの蒲焼きです。「浜名湖周辺のウナギの蒲焼き」

  • 「諏訪湖周辺のウナギの蒲焼」

    全国各地の湖の周辺にはワカサギ、鯉、ウナギなどの川魚料理店が昔から有った。諏訪湖もその一つ。今日は諏訪湖のほとりの「うな藤」をご紹介いたします。「うな藤」の蒲焼は身が厚く、しっかりした歯ごたえです。タレは蜂蜜入りの甘い醤油味。上うな重(2300円)には厚いウナギが3切れもついていました。焼き方は焦げ目を十分つけた深い焼き方です。濃厚な味の厚い身を食べこの上ない充足感を得ました。諏訪湖の周辺のカバヤキは焼き方を十分にし、甘い濃厚な醤油味が特徴らしいです。東京の味とは違ってローカル文化の主張があるのです。食前にワカサギの唐揚と甘露煮の盛り合わせ(550円)とシジミの時雨煮(320)で生ビールを頂きました。ワカサギがまだ小さく柔らかいです。シジミは稚貝を撒くようになってから取れ出したという。酒のツマミには他に、...「諏訪湖周辺のウナギの蒲焼」

  • 「ウナギの蒲焼きは自分で作ると大変難しい」

    明日は土用丑の日なのでウナギにまつわる話をもう一つお送り致します。現在のように蒲焼にして食べる風習は江戸時代に広く普及したことには間違いありません。しかし夏痩せを防ぐためにウナギを食べる風習は万葉集の出来た時代にもあったのです。痩(や)す痩すも生けらばあらむを将(はた)やはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると河に流れな大伴家持万葉集巻16‐3854石麻呂(いしまろ)に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)とり食(め)せ大伴家持万葉集巻16‐3853それはさておき美味しそうなウナギの蒲焼の写真をご覧下さい。ウナギと言えば私は仙台で生まれ育ったので若い頃までウナギの蒲焼を見たことがありませんでした。ところが結婚してから家内が土用丑の日にウナギを食べるものだと主張します。ウナギの蒲焼は見た目がグロテスクです。...「ウナギの蒲焼きは自分で作ると大変難しい」

  • 「土用の丑の日のあれこれ」

    今年の土用の丑の日は7月19日と7月31日です。我が家ではウナギの蒲焼きを食べる日です。そこで今日は土用の丑の日のあれこれをお送りいたします。さて土用とは春夏秋冬のそれぞれの立春、立夏、立秋、立冬の前の約18日間のことだそうです。丑の日とは十二支の丑(うし)にあたる日のことです。特に夏の土用の丑の日は、江戸時代からウナギを食べる習慣があります。土用の丑の日にうなぎを食べる理由は次のとうりです。江戸時代に、平賀源内が夏の暑さに疲れた人々を励ますために、うなぎ屋に「本日、土用の丑の日」という看板を出すことを提案したという説が有力です。土用の丑の日には、以外にも「う」のつくものを食べる習慣があります。例えば、梅干し、瓜、うどんなどです。私は昔からの習慣を大切にする女性が好きです。妻もそんな女です。妻自慢で...「土用の丑の日のあれこれ」

  • 「キリスト教の洗礼を受け広々とした気持になる」

    この欄ではカトリックのことなどを何度も書いています。そうすると、たまに洗礼を受けたほうが良いでしょうかという相談を受けます。私の答えは、「是非受けて下さい」と明快です。キリスト教の洗礼を受けると気持ちが広々として、その後の人生が楽になるのです。日本人は何故、洗礼に対して抵抗感を感じるのでしょうか?いつも考えて来た2つの理由を書いておきたいと思います。一つは「自分は洗礼を受ける資格が無い」と考える人が多いのです。洗礼は国家資格ではありません。学歴も能力も問いません。貧富の差も問いません。寄付も絶対に要求しません。「洗礼を受ける資格が無い」と考える人は、それでもう充分です。洗礼を受けて良いのです。私が1971年に洗礼を受けたカトリック立川教会の塚本金明神父様は私の資格を一切問いませんでした。カトリックの教理の...「キリスト教の洗礼を受け広々とした気持になる」

  • 「私の周りに常にお寺があった」続き

    父の実家は兵庫県の田舎のお寺でした。そんな関係で私の身近にはいつもお寺があったのです。私の身近にあったお寺の写真をお送りしたいと思います。1番目の写真は父の実家の正林寺です。兵庫県の田舎のお寺で曹洞宗でした。2番目の写真は兵庫県の篠山市にある叔父が住職をしていた法福寺です。ここにも私は何日も泊りました。3番目の写真はよく行った宮戸島の大高森にある薬師堂です。松島湾が一望できる所です。4番目の写真は仙台の瑞宝寺です。幼少の頃にこのお寺の幼稚園に通っていました。5番目の写真は現在住んでいる小金井市にある真蔵院です。よく散歩に行く道そいにあるお寺です。6番目の写真は真蔵院の境内です。兵庫県のお寺が懐かしく境内に入って散歩します。この他によく行くお寺は小金井の金蔵院や海岸禅寺があります。今日は私の身近にあったお寺...「私の周りに常にお寺があった」続き

  • 「私の周りに常にお寺があった」

    私の周りに常にお寺がありました。父の実家はお寺でした。仙台の東北大学を定年で辞めた父はその後、この宗安寺の住職になりました。父の没後は弟が住職になりました。2人とも曹洞宗の本山の永平寺で修行して僧職の資格を持っていたのです。荒れ果てた昔の宗安寺を再建したのは父の功績でした。父の記念石碑を宗安寺に建てた時、私と弟が島根県の宗安寺を訪ねて行きました。小さな本堂だけが建っています。それでも地元の人々があたたく私と弟を歓迎してくれました。1番目の写真は宗安寺です。インターネットからお借りした現在の宗安寺の写真です。2番目の写真は宗安寺の近所の島根県鹿足郡吉賀町の風景です。インターネットからお借りした写真です。さて住職の役割ては何でしょうか?いろいろありまが列挙します。1、檀家の先祖の位牌を本堂に祀り朝夕に住職が読...「私の周りに常にお寺があった」

  • 「仏教の教えを分かりやすく書く」

    仏教の教えを分かりやすく書いてみます。仏教の教義のエッセンスは般若心経に書いてあります。そこで般若心経にはどのような意味があるのか、般若心経の現代語訳と共に、流れなどをご紹介いたします。以下は、http://www.osohshiki.jp/column/article/138/からの抜粋です。以下は4つの文節に分けた般若心経です。それぞれの文節毎に意味を確認してみましょう。4つのブロックの説明を下に示します。1のブロックは般若心経の要約です。②のブロックは「弟子への呼びかけ」です。第2ブロックでは、10人の弟子の一人である舎利子(シャーリプトラ)に呼びかけています。1行目には、「この世の形あるもの全てに実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。これは人間の感覚についても同じである」と書...「仏教の教えを分かりやすく書く」

  • 「仏教の教えを分かりやすく書く」

    仏教の教えを分かりやすく書いてみます。仏教の教義のエッセンスは般若心経に書いてあります。そこで般若心経にはどのような意味があるのか、般若心経の現代語訳と共に、流れなどをご紹介いたします。以下は、http://www.osohshiki.jp/column/article/138/からの抜粋です。以下は4つの文節に分けた般若心経です。それぞれの文節毎に意味を確認してみましょう。4つのブロックの説明を下に示します。1のブロックは般若心経の要約です。②のブロックは「弟子への呼びかけ」です。第2ブロックでは、10人の弟子の一人である舎利子(シャーリプトラ)に呼びかけています。1行目には、「この世の形あるもの全てに実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。これは人間の感覚についても同じである」と書...「仏教の教えを分かりやすく書く」

  • 「キリスト教ではどんな事を信じていますか?」

    キリスト教ではこんな事を信じています。--------------------------------天地の創造主、全能の父である神を信じます。父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー上はカトリックの信仰の内容ですがプロテスタント教会でも言葉使いは違いますが同じ内容の「信仰告...「キリスト教ではどんな事を信じていますか?」

  • 「ヨーロッパ諸国の宗教事情」

    ヨーロッパ諸国はキリスト教の一色ですが、この宗教の伝承の歴史が違います。キリスト教と言ってもカトリックとプロテスタントと正教がそれぞれの国々へ広がった歴史が違うのです。ですから国々によってその宗教事情はさまざます。今日はヨーロッパ諸国の宗教事情を簡略に個条書きにしてまとめてみました。(1)フランンスフランスの人口は約6,310万人です。宗教別では、カトリック系(約90%)、イスラム教(約8%)、プロテスタント系(約1%)、ユダヤ教(約1%)などとなっています。ですから基本的にはカトリック国と言えます。(2)ドイツドイツ人の56%以上はキリスト教です。その約28%がカトリック信仰、そしてまた28%がプロテスタント信仰です。ドイツの南西はたいていカトリックです。バイエルンそしてバーデン・ヴュルテンベルグ州はカ...「ヨーロッパ諸国の宗教事情」

  • 「アジアで唯一キリスト教が国教のフィリピンの宗教事情」

    フィリピはアジアで唯一のキリスト教が国教の国家です。キリスト教が普及する前、フィリピンの人々は、自然界に精霊が存在していると信じており、自然に向かって、お祈りをするような宗教があったようです。しかし現在は外務省のデータによると国民の93%がキリスト教徒で、そのうち83%がカトリックとなっています。イスラム教徒も5%います。アジア全体の主要な宗教はイスラム教や仏教などです。インドのヒンドゥー教も主要です。つまりアジア全体で見ればキリスト教徒はそれほど多いわけではありません。フィリピンがキリスト教国家なのはフィリピンの歴史が関係しています。16世紀中頃にフィリピンがスペインの植民地になったことでフィリピンはスペインの宗教であるキリスト教カトリックへの改宗が進められました。フィリピンはその後300年以上もスペイ...「アジアで唯一キリスト教が国教のフィリピンの宗教事情」

  • 「アイヌ民族の文化と生活の様子」

    北海道にはアイヌ民族が縄文時代より以前の大昔から住んでいました。北海道の先住民です。第二次大戦の直後までアイヌ民族だけの村落が北海道に散在していたのです。それが現在は忘れられています。そこで今日はアイヌ民族の文化と生活の様子をご紹介したいと思います。明治時代のアイヌは伝統的な服装と家に住み純然たるアイヌ文化を維持していたのです。(1)アイヌ人の写真と家族の写真アイヌ人の写真は明治時代から現在にいたるまで沢山あります。もっとも現在の写真は観光用のアイヌの祭りに出演するアイヌ人たちです。和人と結婚したアイヌ人達です。写真を示します。1番目の写真は観光用のアイヌの祭りに出演したアイヌ人たちです。日本の経済の高度成長とともに北海道旅行が盛んになり大勢の観光客がアイヌの祭りのショーを見に行きました。ショーの出演者は...「アイヌ民族の文化と生活の様子」

  • 「私の趣味は民族の文化や社会を調べること、一例はタイ」

    自分は若い頃からいろいろな民族に興味がありました。いろいろな民族の文化や社会を調べることが趣味でした。文化人類学が趣味でした。いろいろな民族の日常的な行動や街の様子を調べると、その地域に根づく文化や社会などのしくみが分かるのです。「人間とはどんな生き物か?」ということ興味があるのです。現地の生活に入り込んで調査するフィールドワークにも興味があります。そんな私の趣味で取り上げた民族は、ドイツ人、アメリカ人、アイヌ、中国人、そしてインドネシア、ベトナム、タイ、ミャンマーなどの諸民族です。そこで日本の大乗仏教とミャンマー、タイ、ベトナムの上座部仏教の違いを分かり易く書いてみます。大乗仏教と上座部仏教の2つの決定的な違いは次の2つになります。(1)上座部仏教では200以上の戒律を守らなければ釈迦の教えを理解し悟り...「私の趣味は民族の文化や社会を調べること、一例はタイ」

  • 「日本の信徒発見の聖母記念ミサ、2025」

    「信徒発見」の出来事から160年です。日本の信徒発見の聖母記念ミサが大浦天主堂で開催されました。主催はカトリック長崎大司教区でした。このミサの動画配信は下記です。https://www.youtube.com/watch?v=JzVbt9qhb0s「日本の信徒発見の聖母記念ミサ、2025」

  • 「ヴァチカンのサンピエトロ寺院のミサ風景」

    今日は東京のカトリック高円寺教会のミサの風景写真をお送りしました。カトリックの本山のサンピエトロ寺院のミサの風景の写真もお送りします。このミサへ一度は出たいものです。壮大なミサです。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「ヴァチカンのサンピエトロ寺院のミサ風景」

  • 「今日は東京のカトリック高円寺教会のミサにあずかりました」

    今日はインターネットをとうしてカトリック高円寺教会のミサにあずかりました。ミサの風景の写真をお送りいたします。「今日は東京のカトリック高円寺教会のミサにあずかりました」

  • 「山梨県立美術館のご紹介」

    思い返すと以前は随分と美術館を見て回ったものです。日本各地の県立美術館も幾つも見ました。特に山梨県には私の山小屋があるので山梨県立美術館と文学館へは何度も訪れしたました。そこで今日は山梨県立美術館と文学館をご紹介したいと存じます。山国の甲府に堂々たる県立美術館と文学館が並んであるのです。内容が充実し、敷地や建物が広大で芸術的に設計、配置されています。野外にはロダンやザッキンや岡本太郎の大作も展示してあります。南アルプスを望むロケーションが素晴らしいのです。感動したので数回訪れました。1番目の写真は大きな彫刻が並んでいる美術館の前庭です。この美術館は特に絵画の蒐集方針が立派なのです。ジャンフランソワ・ミレーとバルビゾン派にこだわり、根気よく収集を続けています。ミレーの傑作だけでも20点ほどを収集、展示してあ...「山梨県立美術館のご紹介」

  • 「山梨県立美術館のご紹介」

    思い返すと以前は随分と美術館を見て回ったものです。日本各地の県立美術館も幾つも見ました。特に山梨県には私の山小屋があるので山梨県立美術館と文学館へは何度も訪れしたました。そこで今日は山梨県立美術館と文学館をご紹介したいと存じます。山国の甲府に堂々たる県立美術館と文学館が並んであるのです。内容が充実し、敷地や建物が広大で芸術的に設計、配置されています。野外にはロダンやザッキンや岡本太郎の大作も展示してあります。南アルプスを望むロケーションが素晴らしいのです。感動したので数回訪れました。1番目の写真は大きな彫刻が並んでいる美術館の前庭です。この美術館は特に絵画の蒐集方針が立派なのです。ジャンフランソワ・ミレーとバルビゾン派にこだわり、根気よく収集を続けています。ミレーの傑作だけでも20点ほどを収集、展示してあ...「山梨県立美術館のご紹介」

  • 「水車のある風景」

    80歳以上の人生は天から頂いたボーナスのようで楽しいものです。楽しかったことだけを毎日、懐かしく思い返えして、時がゆっくり流れていくのです。その楽しい思い出の一つに水車の見える風景があります。今日はそんな風景をご紹介したいと思います。私が好きなところは長野県の穂高町にある大王わさび園の水車です。周囲の景観と良く調和して、ロマンチックな風景です。下にその写真を示します。1番目、2番目、3番目の写真は自分で撮った写真です。この水車は黒沢監督が数十年前に「夢」という映画を撮影するためにわざわざ作ったものです。水車の間を笠智衆が扮した村の老人と村人が楽しげに踊り歩いている場面に出てくる水車です。水車が美しいだけでなく北アルプスの伏流水を集めた水量豊かな清流も美しいのです。水車小屋と言えば1970年頃に住んでいたシ...「水車のある風景」

  • 「諏訪湖の湖畔の北澤美術館とエミール・ガレの作品」

    エミール・ガレ(1846-1904)やドーム兄弟の独創的なガラス器の作品を700点も収蔵、展示してあるのが諏訪湖のほとりにある北澤美術館です。その展示品はフランスのアール・ヌーヴォー期のガラス工芸品です。芸術的な工芸品です。バルブ製造会社で財をなした北澤利男氏が設立し、1983年に開館したのです。隣にはやはり北澤利男氏が設立したサンリツ服部美術館があります。エミール・ガレやドーム兄弟はガラス工芸の新しい技法を次々と創作していったことが素晴らしいと思うのです。深い芸術性を感じるのです。今日は北澤美術館に展示してあるエミール・ガレやドーム兄弟の作品をご紹介いたします。1番目の写真は一夜茸というキノコを模した作品です。高さ83cmの大きなものです。北澤美術館で非常に大切にしていて、貸し出し厳禁の展示品です。北澤...「諏訪湖の湖畔の北澤美術館とエミール・ガレの作品」

  • 「パリの芸術の香りのする山里の小さな美術館 清春白樺美術館」

    それは本当に小さな美術館です。南には白い花崗岩が輝く甲斐駒岳が美しく見え、北には八ヶ岳連峰が見える高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて、一歩足を踏み入れると急にパリの芸術的な香りが漂ってくるのです。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエのラ・ルーシュがパリの雰囲気をかもしだしているのです。そしてエッフェル塔の階段が庭に展示してあります。その奥にはジョルジュ・ルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数展示してある美術館があるのです。谷口吉生設計の小さいけれども美術館らしい雰囲気の漂う清楚な建物です。白樺林の中にはルオー礼拝堂もあります。ステンドグラスは彼が作りました。十字架像は17世紀のものをルオーが彩色しました。敷地の奥にはパリでルノアールに師事していた梅原龍三郎のアトリエが移築され展示...「パリの芸術の香りのする山里の小さな美術館清春白樺美術館」

  • 「彫刻の美しさが分かる信州、安曇野にある碌山美術館」

    はじめに碌山美術館の写真をご覧ください。この1番目の写真は蔦のからんだ赤レンガの美術館で、2017年5月に家内が撮ったものです。教会風のロマンチックな建物です。この碌山美術館は信州の安曇野にあります。背景には夏でも雪のある北アルプスの山稜が見えています。その近くには湧き水が豊かに流れるワサビの畑が広がっているのです。周囲の風景だけでも楽しい場所なのです。次に萩原碌山の彫刻をお送り致します。写真は順に、「文覚」「北條虎吉像」、「女」、「坑夫」です。この碌山美術館は若かった妻が私に彫刻の美しさを教えてくれた場所です。それまで彫刻をあまり見たことのなかった私は碌山の彫刻を見て、その魅力を知ったのです。それ以来、信州に旅をするたびに何度も訪れた小さな美術館です。萩原碌山は明治12年、長野県安曇郡東穂高村に生まれ3...「彫刻の美しさが分かる信州、安曇野にある碌山美術館」

  • 「日本画の素晴らしが分かる箱根の成川美術館」

    箱根・芦ノ湖畔にある成川美術館は1988年(昭和63年)4月に開館しました。日本画の魅力が分かる美術館です。箱根に行くたびに気軽に何度も寄りました。成川美術館は、文化勲章受章画家・山本丘人の代表作150点余りを核に、平山郁夫作の作品を40点余、他現代日本画を中心としたコレクションを4000点以上所蔵しています。堀文子、岡信孝、牧進、関口雄揮、吉田善彦、毛利武彦、平岩洋彦、岡崎忠雄、小林済、前本利彦、牛尾武、柳沢正人らの作品数は、日本一を誇ります。成川美術館は現代日本画に焦点を絞りその魅力を世に問う美術館です。特に戦後の日本画のすばらしさを広めることを設立の目的としているのです。それでは成川美術館の寫眞と展示絵画をご紹介致します。箱根の成川美術館で日本画をゆっくり見た後はいつもコーヒーを飲みました。芦ノ湖畔...「日本画の素晴らしが分かる箱根の成川美術館」

  • 「岡倉天心が愛した茨城県の五浦海岸の岡倉天心美術館」

    茨城県にある岡倉天心美術館は太平洋を一望できる美しい五浦海岸に建つ美術館です。岡倉天心や横山大観をはじめとする五浦ゆかりの作家たちの業績を顕彰するとともに、優れた作品を鑑賞することができます。また展望ロビーやカフェテリアからは、大小の入江と美しい松林が見事な景観の五浦海岸や六角堂の眺望も楽しむことができます。近現代の日本画を中心とした企画展を随時開催するほか、館内の岡倉天心記念室では、近代日本美術の発展に貢献した岡倉天心の生涯を書簡や遺品などによって紹介しています。そして横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら五浦ゆかりの作家たちの作品も紹介しています。美術館の近くには有名な六角堂もあります。岡倉天心はその生涯の前半において日本文化の近代化に努め、華々しく活躍しました。そして生涯の後半においては西洋を追い...「岡倉天心が愛した茨城県の五浦海岸の岡倉天心美術館」

  • 「空海が開いた高野山の思い出」

    ずいぶん以前に高野山を訪ねたことがあります。懐かしいので風景写真を検索しました。1番目の写真は大門を抜けて左側に広がるエリアが「壇上伽藍」です。2番目の写真は高野山のシンボルの高さ48mの根本大塔です。3番目の写真は最大の聖地とされている奥の院です。約2km続く参道には約20万基とも言われる様々なお墓が並んでいます。4番目の写真は奥の院に架かる最奥の橋御廟橋です。御廟では弘法大師空海が今も休まずに瞑想しているとされそんな弘法大師の元へと毎日欠かさずに食事が届けられています。朝食は朝6時・昼食は10時30分に御廟まで1200年休まずに続いています。「空海が開いた高野山の思い出」

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