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「アメリカと日本を結ぶポトマック河畔の桜」
1912年、日本からワシントンD.C.に桜が贈られた。これがアメリカ合衆国で桜への愛着が広まるきっかけとなった。約110年を経た今日、ポトマック河畔とその原産地には桜が咲き誇り、人々を楽しませている。写真はポトマック河畔の桜です。「アメリカと日本を結ぶポトマック河畔の桜」
2025/03/31 16:02
「晴天の日の小金井桜の写真」
晴天の日の小金井桜の写真をお送り致します。暗い曇り日の写真をお送り致しましたので晴天の日の小金井桜の写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「晴天の日の小金井桜の写真」
2025/03/31 15:38
「暗い空の下の桜川の桜、白鳥、ヨットの写真」
土浦駅西方にある桜川は霞が浦へ注ぎますが、その両岸は桜の名所です。以前は川が深かったのでヨットで遡上しながら両岸の桜を楽しんだものです。近年は浅くなってキールがつかえて桜川へ入れません。今日は暗い空の下の桜川の桜、白鳥、ヨットの写真ををお送り致します。晴天でないので写真の映りも良くありませんが丁度満開なのでここに写真をしめします。堤防の桜の下を通り抜けると白鳥の居る湖岸に出ます。シベリアへまだ出発しないでいた、つがいの2羽が立ち騒ぐ波と戯れていました。ヨットは風を受けて少し傾きながら快走していました。鼻歌まじりで「曇りでも風があれば天国、天国!」と油断していたら突風が来て40度くらいに傾き肝をつぶしました。恐怖で顔が青くなりましたが幸いシングルハンドで他に誰も居なかったので恥をかかずに済みました。撮影日時...「暗い空の下の桜川の桜、白鳥、ヨットの写真」
2025/03/31 10:39
「山梨県の桜の写真、そして特別天然記念物のカモシカ」
山梨県の西部の甲斐駒岳の麓に私の小さな山小屋があります。そこを中心にして山梨のあちこちの丁度満開桜の名所に行きます。今日は韮崎の「わに塚の桜」と北杜市武川の「真原の桜並木」と「清春美術館の桜」などの写真をお送り致します。そして最後の甲斐駒岳の麓の山林にジッと佇んでいた特別天然記念物の日本カモシカの写真をお送り致します。1番目の写真は韮崎の「わに塚の桜」です。古代の有力者の墓の「わに塚」に亭々と茂った桜木が満開になっている風景です。周囲には何も無い一本桜です。2番目の写真は北杜市武川の「真原の桜並木」です。500m続く高原の桜並木です。丁度満開でした。3番目の写真は「真原の桜並木」の西に聳えている甲斐駒岳です。残雪の甲斐駒岳が美しく輝いていました。4番目の写真は北杜市の長坂にある「清春美術館の桜」です。昔の...「山梨県の桜の写真、そして特別天然記念物のカモシカ」
2025/03/31 09:46
「花見の歴史と江戸時代のお花見の様子」
東京地域の櫻は満開です。これから散りはじめます。日本は南北に長くあるのでこれから桜が満開になる地方も多いと思います。今日は日本のお花見の歴史を簡略に書いて、その後で江戸時代のお花見の様子をご紹介したいと思います。桜の花見は日本の春の重要な風物詩です。桜は開花から散るまでの期間は2週間足らずであり、「花吹雪」となって散り行くその姿は人の命の儚さになぞらえられたりします。独りで花を眺めるだけでなく、多人数で花見弁当や酒を愉しむ野外宴会を開くことが江戸時代からおこなわれて来ました。花を見ながら飲む花見酒は風流なものです。そして乱痴気騒ぎとなることも珍しくありません。また花見は外国からの観光客の来日目的になったりしています。お花見の歴史を簡略に書きます。花見は奈良時代の貴族の行事が起源と云われています。初は中国か...「花見の歴史と江戸時代のお花見の様子」
2025/03/31 08:59
「今日の都立小金井公園の櫻と花見客の写真」
今日の小金井公園は花見客で埋めつくされていました。快晴の日曜日なので家族連れが楽しそうでした。花見ダンゴの屋台に行列です。何故か自分まで浮かれて散歩して来ました。撮ってきた写真をお送り致します。「今日の都立小金井公園の櫻と花見客の写真」
2025/03/30 15:52
「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」
今日は東京のカトリック松原教会のミサにインターネットであずかりました。カトリック松原教会の今日のミサの動画配信は下記にあります。https://www.youtube.com/watch?v=W6A72GgCkGg今日は四旬節の4第4主日です。添付の写真はカトリック松原教会のミサの風景です。カトリック松原教会〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28−5「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」
2025/03/30 11:50
「ヴァチカン市国サン・ピエトロ広場での復活祭のミサの風景」
2023年4月のヴァチカン市国サン・ピエトロ広場での復活祭のミサの風景の写真をお送り致します。イエス・キリストの復活を祝う復活祭の2023年4月9日朝、ヴァチカン市国サン・ピエトロ広場の外には、教皇フランシスコによるミサを待つ数千人が集まった。オランダが寄付した4万本近い花が彩る広場へ入場が認められると、大勢が良い場所を確保しようと急いだ。走る司祭や修道女の姿もあった。86歳になる教皇フランシスコが復活祭のミサを司祭しました。その写真をお送り致します。「ヴァチカン市国サン・ピエトロ広場での復活祭のミサの風景」
2025/03/30 09:36
「教養としてのキリスト教・・・復活祭とは?」
キリスト教のことを知れば欧米人の考え方が分かると言います。文学や絵画彫刻や音楽がもっと味わい深くなるとも言います。ですから多くの日本人は教養としてキリスト教を身につけています。今年は2025年4月20日の日曜日が復活祭です。キリスト教の復活祭です。そこで復活祭の意味やその重要性について簡単に書いてみたいと思います。簡単に書いてしまえば復活祭はキリストが十字架にかけられ処刑され、3日後に生き返ったことをお祝いするお祭りです。キリストが生まれた日はクリスマスとして日本でもお祝いの食卓を囲む人が多く、日本の重要な歳時記として定着しています。12月24日のクリスマスイヴはヨーロッパの原始宗教の冬至祭を踏襲しました。その一方で復活祭は日本ではあまり有名ではなく、一部のクリスチャン関係者だけが祝っています。復活祭は春...「教養としてのキリスト教・・・復活祭とは?」
2025/03/30 09:14
「仙台の愛宕中学校の友人たちの追悼」
長生きをしていると友人たちが先に旅立って行きます。私の仙台の愛宕中学校の友人たちもいなくなります。仙台の愛宕中学校の友人たちの追悼文をお送り致します。2012年10月に仙台市愛宕中学校の第二回生の同窓会が秋保温泉でありました。私は卒業以来62年目に初めて仙台の同窓会に出席しました。若くして仙台を出てアメリカへ留学した私はそれ以来63年間仙台の中学校の同窓会へは不義理を重ねてきました。今回をもって最後にしますという案内状に誘われて出席しました。62年目に再会した懐かしい友人が皆笑顔で迎えてくれたのです。その折に幹事が配った名簿に物故者の名簿がありました。分かっているだけでも既に76名もの人が旅立っていたのです。2回生は全部で350人でした。その中に一緒に遊んだ友だちが数人もいたのです。亡くなったことも知らな...「仙台の愛宕中学校の友人たちの追悼」
2025/03/29 15:55
「旅立ってしまった近藤君の思い出」
4年前に亡くなった近藤達男君は仙台の大学時代の同級生でした。何事にも情熱的で夢多いロマンチストでした。大学の赤レンガの建物の屋上で私が撮った近藤君の学生服の姿の写真を思い出します。やがて卒業し就職しました。東海村の日本原子力研究所で金属の腐食の研究を始めました。私は何度か東海村の近藤君の所に遊びに行きました。新婚だった彼の家に泊ったこともありました。1番目の写真は東海村の原子力研究所の現在の風景です。原子力研究所は昭和31年6月に発足しました。発足当時は小さな研究所が茨城県の農村にポツンとありました。私は昭和34年に2週間の原子力研究所の研修に参加しいました。原子力発電機の運転を体験したのです。近藤君の実家は千葉県の飯岡にありました。私はそこへも遊びに行きました。2番目の写真は千葉県の飯岡の現在の風景です...「旅立ってしまった近藤君の思い出」
2025/03/29 11:48
「富士山で遭難死した大友君の思い出」
茫々66年前の1958年に、我々は東北大学工学部金属工学科を卒業しました。その同級生に大友暁君がいました。高校時代と大学時代の親友でした。彼は数年前に富士山に登り下山途中に遭難してしまいました。親友だった大友君の思い出を書きたと思います。まず大友君が写っている写真です。数年前に大学の同級生7名が出席した昼食会です。1番目の写真は大学の同級生7名が出席した昼食会です。大友君は左から2人目の眼鏡をかけた人です。大友君とはよく葉山マリーナからヨットに乗り初島まで遊びに行きました。2番目の写真は葉山マリーナです。3番目の写真は葉山マリーナの陸置きのヨットです。元気な大友君は2018年の秋に富士山に登り帰路行方不明になりました。まだ遺体は見つかっていません。大友君と最後に遊んだのは2010年の10月28日でした。当...「富士山で遭難死した大友君の思い出」
2025/03/29 11:20
「富士山で遭難死した大友君の思い出」2024年04月15日 日記・エッセイ・コラム茫々67年前の1958年に、我々は東北大学工学部金属工学科を卒業しました。その同級生に大友暁君がいました。高校時代と大学時代の親友でした。彼は数年前に富士山に登り下山途中に遭難してしまいました。親友だった大友君の思い出を書きたと思います。まず大友君が写っている写真です。数年前に大学の同級生7名が出席した昼食会です。大友君は左から2人目の眼鏡をかけた人です。この元気な大友君は2018年の秋に富士山に登り帰路行方不明になりました。まだ遺体は見つかっていません。大友君と最後に遊んだのは2010年の10月28日でした。当時、私は霞ヶ浦でヨットを係留していました。そのヨットで一緒にセイリングをしました。2番目の写真は強風で船が走るヨッ...「富士山で遭難死した大友君の思い出」
2025/03/29 10:52
「野川にさしかかる櫻花の枝」
小金井のほぼ真ん中を野川が流れています。左右の岸から櫻花の枝が垂れて美しい風景になっています。毎年写真を撮りに行きます。先ほど撮ってきた写真をお送り致します。「野川にさしかかる櫻花の枝」
2025/03/28 15:21
「写真で見る日本人と宗教とのかかわり」
私の趣味はいろいろな民族の文化を調べることです。それを知って独りでほほえんでいます。人畜無害な趣味です。自宅でパソコンを操っていろいろな民族の文化を調べます。コツは検索に使う言葉を工夫することです。そんな訳で特にいろいろな宗教にも強い興味があります。面倒な議論を省略して日本人の宗教にかかわる写真を示します。1番目の写真は伝統的な日本の家によくある仏壇です。先祖の位牌を祀り線香やご飯を供えます。私の育った家にもありました。以下も含めて全ての写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99です。2番目の写真も日本の古い家によくあった神棚です。3番目の写真は和歌山県勝浦町にある熊野那智大社です。こ...「写真で見る日本人と宗教とのかかわり」
2025/03/28 10:43
「写真で見るアメリカ人の宗教とのかわり」
私どもはアメリカの教会で結婚式をあげ、私自身はいろいろな時期にアメリカには4年間も住んで居ました。一生付き合っている友人もいました。アメリカはプロテスタンの国です。アメリカ人の宗教とのかわりはキリスト教の新約聖書の福音の重視が特徴です。ヨーロッパでは規模壮大で立派な教会が数多く建っていますがアメリカでは少ないのです。大きな教会が少なく代わりに小さな手造りのような教会が村々にあるのです。キリストは規模壮大で立派な教会を建てろと言いませんでした。その代わり「汝の隣人を愛せ」と言ったのです。新約聖書の福音とは「汝の隣人を愛せ」ということです。アメリカの信仰で重要なことは新約聖書の福音です。その小さな手造りのような教会の写真をお送り致します。1番目の写真はアメリカの田舎の典型的な小さな教会です。写真は、「アメリカ...「写真で見るアメリカ人の宗教とのかわり」
2025/03/28 10:06
「宗教的訓練と修行という言葉の意味」
あれは随分と昔の1962年の頃でした。アメリカの大学に留学していた頃に、履歴書に自分の受けた宗教的訓練を書くと就職がしやすくなるという話を聞いたのです。宗教的訓練とは何歳から何歳まで教会に行ったとか、日曜学校に何年間行ったとかいう事を書けば良いそうです。それがあれば就職のとき採用されるというのです。では仏教徒はどうすれば良いのでしょうか?アメリカ人の同級生が、お寺詣りを何年間したとか座禅を続けて何歳から何歳までしたとか適当に書けば良いと教えてくれたのです。そして絶対に無宗教と書いてはいけないと真顔で忠告してくれたのです。それ以来、「宗教的訓練」という言葉が心に残り、忘れられなくなりました。現在のアメリカ社会も随分と変わり、もう就職のときに「宗教的訓練」は問題にされなくなったようです。しかしアメリカ人は何事...「宗教的訓練と修行という言葉の意味」
2025/03/28 09:18
「瑞々しく咲いている春の花々」
先ほど小金井公園で撮ってきた写真をお送り致します。中央広場の数十本のソメイヨシノは開花していませんが、その他の花々は瑞々しく咲いていました。撮ってきた写真をお送り致します。「瑞々しく咲いている春の花々」
2025/03/27 16:17
「韓国でお酒を飲むときの厳しい作法」
韓国で感動したことはお酒を飲むときの厳しい作法でした。韓国でお酒を飲むとき、横を向いて口元を隠す作法があるのです。韓国では、上司や年上の人とお酒を飲む際には、体を少し横に向け、口元を隠して飲むことが作法です。これは相手に対する敬意を示す行為であり、韓国の社会では厳密にまもられちます。私も体験しました。1984年に、突然、韓国の金鉄佑さんから封書が届きました。金鉄佑さんは浦項製鉄所の技術研究所の所長です。私は始めて韓国を訪問したのでしたが人々の親切さに感銘を受けたものです。韓国は儒教の国で、人々は恩義を絶対に忘れないのです。それ以来、私は韓国人に親しみを感じるようになりました。そして韓国でお酒を飲むときの厳しい作法に感動したのです。韓国で見た忘れ得ぬ光景の一つになったのです。挿絵代わりの写真は東京にある韓国...「韓国でお酒を飲むときの厳しい作法」
2025/03/27 12:56
「ドイツでの伝統的なワインの飲み方」
最近の日本では世界中のワインが輸入され気楽に飲めるようになった。しかし以前は輸入ワインが非常に貴重であった。1969年、ドイツに住んだ時は「貴重な」という先入観もあってワインを良く飲んだ。ローテンブルグという中世の田舎町でのことである。ガストフという古い食堂に入る。木目が美しい内装で、中は暗い。すぐに帽子、コートを脱ぎ、入り口近くの帽子掛けに掛ける。「グリュ-スゴット!」(神のお加護を!)と主人へ声を掛けて座る。日本の学校ではグリュ-スゴット!などという挨拶は習ったことが無い。南ドイツの方言である。奥の左手のテーブルは男だけの地元常連客のテーブルであり、座ってはいけない。田舎の店ではコートの脱ぎ方、挨拶の仕方、その後の仕草を地元の人々がジーッと見ている。作法通りにしないと露骨に嫌な顔をする。アメリカ人観光...「ドイツでの伝統的なワインの飲み方」
2025/03/27 10:00
「地酒のロマン、甲州と奥多摩の酒蔵の物語」
昔はお酒は貴重で毎日晩酌をする人は少なかったのです。冠婚葬祭のような特別な機会に人々が集まって楽しく飲むものでした。そして現在のように全国に流通しているお酒はまれで、地元の小さな酒蔵が手塩にかけて醸造していました。このように全国に流通していないで地元だけで飲まれている日本酒を現在は地酒と呼びます。「地酒」にはその地方の独特な文化や歴史がつまっています。地酒の蔵元は地方の文化の担い手でした。地酒にはロマンがあります。少し酔って夢心地になりながらその地方の美しい風景を想像します。その独特な地方史や文化を想像します。今日はそんな地酒の蔵元を甲州と奥多摩に訪ねてみたいと思います。甲州の七賢という酒蔵と奥多摩の小澤酒造と中村酒造と田村酒造です。始めは甲州の七賢という地酒を作っている酒蔵です。昔の甲州街道の台ケ原宿に...「地酒のロマン、甲州と奥多摩の酒蔵の物語」
2025/03/27 09:08
「今日の都立武蔵野公園の花々の写真」
暖かい日です。武蔵野公園にはいろいろな花々が咲いていましたが今日はユキヤナギとコブシが特に輝いていました。そんな写真をお送り致します。「今日の都立武蔵野公園の花々の写真」
2025/03/26 16:02
「北海道の魅力、摩周湖、オンネトー、阿寒湖などの湖の写真」
北海道の魅力の一つは摩周湖、オンネトー、阿寒湖などの静かな湖です。私は何故か北海道にある湖に憧れていました。白樺の樹々に囲まれた静かな湖というイメージが心に一生焼き付いているのです。そんな風景を求めて旅に出ると必ずのように湖を訪れます。仕事を止めた後は北海道に魅せられてしまい何度も行きました。特に北海道には美しい湖が沢山あります。訪れたところを書くと次のようなります。洞爺湖、摩周湖、知床五湖、オンネトー、阿寒湖、支笏湖、屈斜路湖、サロマ湖、網走湖、大沼、風蓮湖、塘路湖など。今日は紅葉した摩周湖、オンネトー、阿寒湖の風景写真をお送りいたします。自分で撮った写真は下手なのでインターネットでいろいろ検索して美しい写真を探しました。丁寧に探すとインターネットには鮮明で綺麗な写真があります。北国の湖の周囲は美しい紅...「北海道の魅力、摩周湖、オンネトー、阿寒湖などの湖の写真」
2025/03/26 11:45
「北海道大学低温科学研究所の小島賢治先生の思い出」
寺田寅彦と内田百閒は夏目漱石の門下生でした。この寺田寅彦の門下生に中谷宇吉郎がいました。中谷宇吉郎は北海道大学の雪の結晶の研究者です。彼が北大の低温科学研究所を作ったのです。1番目の写真は北大の低温科学研究所です。続けて美しい雪の結晶の写真をお送りしましょう。写真の出典は以下の通りです。https://www.gettyimages.co.jp/写真/雪の結晶?sort=mostpopular&mediatype=photography&phrase=%E9%9B%AA%E3%81%AE%E7%B5%90%E6%99%B6このように美しい結晶が冬の空から舞い降りてくるのです。想像しただけで楽しくなります。ところで話は変わりますが、私は北大の低温科学研究所で一生研究をしていた小島先生を知っています。懐かしい...「北海道大学低温科学研究所の小島賢治先生の思い出」
2025/03/26 10:51
「北海道の風景とアイヌ民族を愛した松浦武四郎」
北海道の自然には太古のままのような雰囲気があります。風景もヨーロッパを思わせる景観で旅心をかき立てます。ロマンチックです。特に秋深い北海道は、やがて来る厳しい冬の予感を与えています。私ども何十回も旅で訪れました。今日はまず秋の風景写真をお送りいたします。2015年に道東に行った時の写真です。1番目の写真はウトロから知床五湖へ行く途中の白樺です。10月中旬なのに完全に落葉しています。2番目の写真は知床五湖の第一湖です。駐車場から幅の広い立派な木道があり一湖までは足が弱い人でも歩いて行けるのです背景の山並みは知床連山です。天候が変わりやすく冬が近い感じです。3番目の写真は知床五湖から網走に帰る途中にあった白樺林です。4番目の写真は知床五湖の近辺にいたエゾシカの親子です。エゾシカは沢山見ました。キタキツネも沢山...「北海道の風景とアイヌ民族を愛した松浦武四郎」
2025/03/26 09:56
「春の北海道に咲く花の写真」
北海道の春は5月です。本州より1ッ月遅く春がきます。それだけにいろいろな種類の花が一斉に咲きます。野山が絢爛な花の絨毯で覆われてしまうのです。そんな北海道の春に咲く花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://uu-hokkaido.jp/flower/spring.shtmlです。写真は順に、ルピナス、桃、シバザクラ、スズランです。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「春の北海道に咲く花の写真」
2025/03/26 09:05
「写真で見る韓国人と宗教とのかかわり」
韓国人と宗教とのかかわりを写真で示します。1番目の写真はフランシスコ法王を歓迎する韓国の大群集の写真です。写真は2014年8月14日からローマ法王が韓国を訪問した時のものです。写真の白い車にローマ法王が乗っています。韓国はキリスト教国だということが頷けます。2番目の写真は韓国の数少ない孔子廟の一つです。聖廟の門と正殿「大成殿」(写真左奥)です。(https://webronza.asahi.com/photo/photo.html?photo=/S2010/upload/2021030600004_1.jpg)3番目の写真は韓国済州島で秋に行われる儒教の儀式です。4番目の写真は毎年ソウルで開催される儒教の孔子式です。5目の写真は儒教の釈奠大祭です。韓国の儒教の影響の深さを感じられる大祭です。孔子(紀元前5...「写真で見る韓国人と宗教とのかかわり」
2025/03/25 12:39
「靖国神社とアメリカのアーリントン国立墓地の比較」
日米の間には大きな文化的断絶があります。軽々しく何でも同じだと理解するよりも、断絶があると思う方が日米親善の為に良いと思います。誤解の上に作った親善関係はキッカケがあると脆くも崩れるものです。「相手を深く理解する。そして尊敬する」。それが出来れば相手も日本を深く理解し、尊敬してくれます。今日は靖国神社とアーリントン国立墓地の比較を通して日米の文化の大きな相違を描いて見ようと思います。まず、アーリントン国立墓地では毎日平均30の埋葬式がとり行われています。そこが靖国神社と決定的に違います。アメリカという国家へ大きな貢献をした軍人達、そして政治家や官僚が公平な規則に従って埋葬の権利が与えられるのです。埋葬には遺体をそのまま土葬にする形式と火葬にしたあとの遺骨を埋める形式の2つが有ります。この墓地に埋葬されるた...「靖国神社とアメリカのアーリントン国立墓地の比較」
2025/03/25 10:17
「靖国神社は政教分離の原則に反するが重要な仕事をした」
しかし私は、日本の文化の一部としても、祀られることを希望しない人は祀らないことを完全に実行して貰いたいと思います。(田村さんのことは、人間が好きだから旅をする(2)悲しそうな特攻隊員の顔を忘れない2008年10月24日掲載記事で説明しています。)今日は靖国神社が戦後に果たした重要な一つの役割を書きました。毎年夏になると終戦記念日がめぐって来ます。夏には静かに戦争にまつわるいろいろな事を考えてみたいと思います。(終り)「靖国神社は政教分離の原則に反するが重要な仕事をした」
2025/03/25 09:43
「何故、政治と宗教は分離したほうが良いのでしょうか?」
日曜日は宗教にまつわる短い話を書くことにしています。今日は政治と宗教は分離したほうが良いという考え方を取り上げます。政教分離が良いという話です。日本ではこの政教分離の原則をかなり厳密に実行しています。皆様ご存知のとうりです。理由は簡単です。ある宗教の狭量な偏見によって日本の政治がその宗教に利用されないためです。特定の宗教の利益の為に日本の政権が利用されないためです。これは一般的に分かり易い説明です。しかし政教分離の重要さはお釈迦さまもイエス様も教えているのです。宗教が政治権力を持とうとすると、その宗教の力が減殺されるからです。お釈迦さまは俗世間(政治)から離れて出家して修行すればこの世の無常が理解出来、悟りの境地に入れると教えたのです。死んだら墓を作ってはいけないと教えたのです。この考えを推し進めれば、「...「何故、政治と宗教は分離したほうが良いのでしょうか?」
2025/03/25 09:08
「花は同じ花でも何回見ても美しい」
小金井公園で花の写真を撮って来ました。同じような花の写真を掲載して恐縮です。しかし花は同じ花でも何回見ても美しいものです。見て楽しいです。そんな訳で撮ってきた写真をお送り致します。「花は同じ花でも何回見ても美しい」
2025/03/24 15:53
「ヨーロッパの道端にあるマリア様の祠」
ヨーロッパの田舎をドライブしていると道端にマリア様の祠があります。日本の道祖神や馬頭観音と同じように旅の安全のためにあるのです。人間の気持は同じようです。「ヨーロッパの道端にあるマリア様の祠」
2025/03/24 09:09
「興味深い我が町の土俗的な信仰」
よく散歩する近所の道端に小さな祠が祀られています。いつも花が供えてあります。私は興味を持って眺めています。こういう土俗信仰や土着信仰に興味があるのです。文化人類学を趣味にしている私にとっては非常に興味があります。日本人の原風景のようです。そこで今日は土俗信仰や土着信仰について書いてみたいと思います。まず私が撮った小さな祠の写真を示します。1番目の写真は小金井市貫井南町にある小さな祠の写真です。このような小さな祠が近所に3つあります。さて土俗信仰とはどういうものでしょうか?キリスト教、イスラム教、仏教の三つのうちもっとも古い仏教でもその起源はだいたい紀元前5世紀ごろです。しかしそのずっと前から、人々は土俗的な信仰を持っていました。その特徴は、霊的な存在を信仰するアニミズムや多くの神を崇める多神教というもので...「興味深い我が町の土俗的な信仰」
2025/03/24 08:49
「何故、私は道端の道祖神などに興味を持つのか?」
何故、私は道端の道祖神、馬頭観音、庚申塔やマリアの祠などに興味を持つのでしょうか?それらは民族古来のものです。卑小なものですが民族の文化として興味深いものです。写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は日本の安曇野地方によくある道祖神です。2番目の写真はヨーロッパの田舎の道端にあるマリアの祠です。こういうものに興味を持つ理由は比較文化人類学が私の趣味だからです。「何故、私は道端の道祖神などに興味を持つのか?」
2025/03/24 08:40
「春の公園に咲く花々の写真を撮りに行く」
春風に誘われて咲く花々の写真を撮りに行きました。小金井公園です。撮ってきた写真をお送り致します。「春の公園に咲く花々の写真を撮りに行く」
2025/03/23 16:24
「3月16日 四旬節第2主日ミサの写真」
今日の3月16日四旬節第2主日ミサはインターネットを通じてカトリック松原教会のミサにあずかりました。カトリック松原教会のミサの写真をお送り致します。トリック松原教会、〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28−5「3月16日四旬節第2主日ミサの写真」
2025/03/23 11:58
「春になるとアンズの里を懐かしく想い出す」
長野県に美しいアンズの里があります。春になるとアンズの里を懐かしく想い出します。以前に訪れました。桜より早く咲くあんずの花は早春の風物詩です。長野県北部の千曲市。倉科地区と森地区は日本屈指のあんず生産地です。その写真をインターネットからお借りしてお送り致します。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「春になるとアンズの里を懐かしく想い出す」
2025/03/23 09:34
「水ぬるむ忍野八海の懐かしい風景」
山口湖のそばにある忍野八海には何度も遊びに行きました。運転を止めたのでもう行けません。遥かにその美しい風景を懐かし想います。インターネットで検索してその春の風景の写真をお送り致します。忍野八海は富士山の伏流水を水源とした湧水の数々です。国の天然記念物、そして名水百選に指定されています。2013年には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産として、次の3要素を元に世界文化遺産へ登録されました。1.富士山行きを背景とした風致の優れた水景2.富士山を水源とする地下・地上の豊かな水系3.富士講と元八湖の再興(元八湖霊場)「水ぬるむ忍野八海の懐かしい風景」
2025/03/22 15:25
「櫻は染井吉野の他200種類以上ある」
日本では、サクラは固有種を含んだ10もしくは11の基本の野生種を基に、これらの変種を合わせて100種以上の自生種がある。さらに古来から改良開発されてきた栽培品種が少なくとも200種以上ある。和名ソメイヨシノの由来は、幕末のころに、江戸の染井村で植木職人らによって売り出され、全国に広がったことにちなむ。江戸時代末期から明治初期に染井村(現在の東京都豊島区駒込・巣鴨付近)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。初め、サクラの名所として古来名高く、西行法師の和歌にも度々詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで、「吉野」「吉野桜」として売られ、広まった。写真は新宿御苑の染井吉野です。「櫻は染井吉野の他200種類以上ある」
2025/03/22 11:13
「群馬の妙義山中腹の「櫻の里」の写真」
群馬県の下仁田町へ家内一家が疎開していました。家内はそこの小学校へ転校しました。茫々、70年も昔のことです。その小学校の同級会へ家内が出席すると言うので妙義山の麓まで車を走らせました。2014年の4月中旬でした。早く着き過ぎたので足を伸ばし妙義山の中腹まで登り、「桜の里」の写真を撮って来ました。山の春は遅く、ソメイヨシノが満開でした。あいにくの曇りで鮮明な写真ではありませんがお楽しみ頂けたら嬉しく思います。「群馬の妙義山中腹の「櫻の里」の写真」
2025/03/22 10:50
「間もなく咲く小金井桜、そして全国の桜の名所」
間もなく咲く小金井桜は江戸時代からの桜の名所です。小金井桜が開花し始めると毎日のように行っては櫻花の美しさに陶然となり見とれています。花見弁当を持っていってゆっくり食べます。桜が好きなので上野の桜も隅田川の桜も千鳥ヶ淵の桜も勿論見ました。長野県の高遠の桜も福島の花見山の桜も吉野山の桜も見ました。日本三大桜の神代桜も三春の滝桜も見ました。日本中のいろいろと有名な桜を見ました。しかし小金井桜が日本一見事な桜だと思います。理由も根拠もありません。たんに自分の住んでいる小金井市にあるだけなので日本一と言っているだけです。小金井市を東西に貫いて流れている玉川上水堤に初めて桜の木が植えられたのは、元文2年(1737)と言われています。今日の4枚目の写真でご紹介する、広重の「小金井橋夕照」が描かれた1835年より凡そ1...「間もなく咲く小金井桜、そして全国の桜の名所」
2025/03/22 09:40
「甲府、武田神社わきの王仁塚桜の写真」
間もなくソメイヨシノが満開になるでしょう。この季節になると山梨県の私の山林の中の小屋の近辺の美しい櫻の開花を想います。特に印象深いのは武田神社わきの王仁塚桜(わにづかさくら)です。今日はその王仁塚桜の写真をお送り致します。何度も写真を撮りに行きました。櫻の満開が待ちどうしいです。そこで今日は去年の武田神社わきの王仁塚桜の満開の写真をお送り致しました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「甲府、武田神社わきの王仁塚桜の写真」
2025/03/22 09:18
「陽春の午後水ぬるむ野川の写真」
今日は申し分の無い春の陽気です。午後に武蔵野公園の水ぬるむ野川の写真を撮りに行きました。撮ってきた写真をお送り致します。「陽春の午後水ぬるむ野川の写真」
2025/03/21 16:08
「ヨーロッパ文化の闇、二次世界大戦後のヨーロッパの悲惨さ」
第二次世界大戦でヨーロッパの大都市はドイツ軍に「よって徹底的に破壊されました。その荒廃した都市の写真をご覧下さい。1番目の写真はドイツ軍によって破壊されたソ連のミンクス市です。写真はインターネットからお借りしました。2番目の写真はドイツ軍の空襲下のロンドンです。3番目の写真はドイツ軍によって破壊されたチェルブルクです。ヨーロッパでは1945年4月30日ヒトラー自殺し、1945年5月7日ドイツが西側の連合国軍に降伏しました。1945年5月9日にはドイツがソ連に降伏して第二次世界大戦が終わりました。各国の戦死者数はソ連の1450万人が図抜けて多く、ドイツの280万人がこれに次いで多くなっています。中東欧のオーストリア、ポーランド、ルーマニアも、それぞれ40~85万人と多かったのです。第二次世界大戦は歴史上もっ...「ヨーロッパ文化の闇、二次世界大戦後のヨーロッパの悲惨さ」
2025/03/21 11:15
「ヨーロッパ文化の闇、南米における原住民の虐殺と謝罪」
さて、カトリック教会の不思議は自分が通っている小さな教会が直接、ローマ法王の傘下にあるような感じがすることです。ですから何かというとフランシスコ教皇の動静が伝って来るのです。最近は法王は南米に行っていました。出身地のアルゼンチンへは行かずに中南米が主な訪問地でした。各地で熱狂的な歓迎を受け、大勢の信者を集めたミサを捧げました。そしてボリビアではかつてスペインやポルトガルが南アメリカを武力で征服し植民地にしたことを謙虚に謝罪したのです。この謝罪は先住民団体の代表らを前にした演説で行われました。以下に朝日新聞のニュースを転載します。「南米を訪問中のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は9日午後、ボリビア東部サンタクルスで、15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、「謙虚に謝罪したい」と述べた...「ヨーロッパ文化の闇、南米における原住民の虐殺と謝罪」
2025/03/21 10:18
「ヨーロッパ文化の闇、何故ユダヤ人が殺されれたのか?」
今日はヨーロッパ文化の闇を考えてみたいと思います。何故ユダヤ人が殺されれたのかという問題を考えてみたいと思います。異なる民族は何故お互いに戦うのでしょうか?ヨーロッパのキリスト教徒はイエス・キリストを十字架にかけて殺したユダヤ民族を憎んでいます。自分たちの大切なイエス様を残酷にも十字架にクギで打ち付け脇腹を槍で刺し殺したのです。国土を持たぬユダヤ民族はヨーロッパ全域とロシア西部に流れ、キリスト教徒の中に混じって暮らすことになったのです。思慮の浅い一般大衆は何か騒乱が起きると、その度にユダヤ人を殺すのです。ダヤ人殺戮はヨーロッパの伝統文化の一つなのです。ヨーロッパ人のユダヤ人殺戮の最近の例としてヒットラーによる600万人余のユダヤ人を殺したホロコーストがあります。ユダヤ人の殺戮は長い歴史のなかで連綿と繰り返...「ヨーロッパ文化の闇、何故ユダヤ人が殺されれたのか?」
2025/03/21 09:41
「陽春の今日の小金井公園の花々の写真」
太陽は明るく照っていましたが冷たい風が吹いていました。でも気分の良い散歩でした。撮ってきた写真をお送り致します。「陽春の今日の小金井公園の花々の写真」
2025/03/20 15:44
「箱根の湿生植物花園の水芭蕉」
先程、北海道の網走湖のそばの湿地の水芭蕉の群落の写真をご紹介いたしました。私の記憶に残るもう一つは箱根の湿生植物花園の水芭蕉です。仙石原の雄大な景観と湿生植物花園の水芭蕉の花の風景に魅せられて何度も訪れました。1番目の写真は湿生植物花園の水芭蕉の花の写真です。出典は、https://hakone-shisseikaen.com/flower_spring/です2番目の写真もミズバショウの花です。さて箱根湿生花園には山の湿地に咲くいろいろ珍しい花が咲いています。仙石原のススキ原の下に広がる湿地帯の昔の植生を再現しています。派手な花々はありませんが日本古来のささやかな花々が何気なく咲いて居ます。幅の広い木道が何処までも続いています。2011年09月3日に訪れた時に家内が写した写真をお送りいたします。3番目の写...「箱根の湿生植物花園の水芭蕉」
2025/03/20 11:34
「ドイツの春の歓喜と美しい花園」
南ドイツに家族と共に住んでいました。子供は小学校とキンダーガルテンに通っていました。週末には近郊へのドライブを習慣にしていました。冬の間一面雪に覆われていた地面が復活祭の頃一気に春の兆しを見せます。牧場地帯や麦畑の農村地帯を車で走っていると一面の菜の花に遭遇したり、黄色いレンギョウの茂みを見つけたりします。そして5月になるとサクランボの花が青い空にピンクに輝いています。リンゴの花も咲いています。コクリコやバターカップも緑の野原に鮮やかな彩りを加えています。牧歌的という言葉がありますが、ドイツの春の農村は教会の尖塔が遠方に見え、花々が咲いていて実に心のなごむところです。以下の写真の出典は、https://tabicoffret.com/article/2299/です。「ドイツの春の歓喜と美しい花園」
2025/03/20 10:29
「早春の山梨県と北海道の水芭蕉」
私には山梨県と北海道の水芭蕉の思い出があります。山梨県の雑木林を分け入り、友人の木内さんの山荘の咲いていたのです。その庭に一輪咲いた水芭蕉を見ながら、ビールを酌み交わした思い出があります。池の上流にある小橋の上に椅子を2個出して貰いました。夕方の木々の姿が池の水面に映り、春の暖かい風が頬を撫ぜていました。北海道では2003年に見ました。北海道への旅で水芭蕉が一面に咲いている湿地帯に偶然迷い込みました。それは網走湖の湿地帯で鮮やかな緑の葉の中に真っ白い水芭蕉の花(苞)が一面に開いていていたのです。家内が喜んで湿地帯に中を歩きながら水芭蕉の白い花を眺めていた姿を思い出します。はじめの2枚の写真は木内さんの山荘に咲いていた水芭蕉です。あとの2枚の写真は北海道に咲いていた水芭蕉です。「早春の山梨県と北海道の水芭蕉」
2025/03/20 09:45
「流れゆく春の風景と春の詩」
春とは1月から3月でしょうか。今日は流れゆく春の風景の写真をお送り致します。1番目の写真は2月の早春の池の写真です。池の周囲に雪が積もっています。2番目の写真は3月の紅梅です3番目の写真は小金井公園の満開の櫻です。4番目の写真は散り始めた桜を見上げて新学期のことを考えている学生です。1,2,4番目の写真の出典は、https://news.infoseek.co.jp/article/manekatsu_0000004533/です。3番目の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25991003919です。さて今日春の詩をお送り致します。金子みすず、「星とたんぽぽ」青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼の...「流れゆく春の風景と春の詩」
2025/03/20 07:51
「旅の思い出(19)ローマ法王と中国との和解、そして瀋陽の教会でのミサ」
キリスト教カトリックの総本山バチカン(ローマ法王庁)が、長年対立してきた中国と司教任命権問題で暫定合意した。対中関係改善については、「バチカンは地下教会の信者を中国共産党に売り渡そうとしている」と、カトリック内部からも批判が噴出しています。フランシスコ法王が改善に舵を切ったのは、中国が信者数拡大に貢献し、さらに法王が進める改革に反対する保守勢力との権力闘争を有利に進めようとの思惑もあるとの意見もありるといいます。中国のカトリック教会には共産党独裁を非難しない中国天主教愛国会に所属する大多数の教会と中国天主教愛国会に所属しない地下カトリック教会があります。バチカンと中国の関係改善は地下カトリック教会の切り捨てを意味します。それをテコにして中国政府は全ての地下カトリック教会が中国天主教愛国会に入るように圧力を...「旅の思い出(19)ローマ法王と中国との和解、そして瀋陽の教会でのミサ」
2025/03/19 14:03
「旅の思い出(17)中国の鵜飼の人々の悠久の人生」
中国は本当に広いのです。広大な湖沼地に住む鵜飼の人々にとっては日中戦争も別世界の出来事です。1000年、2000年と王朝が変わっても日中戦争があっても一切関係なく同じ生活をしています。これこそ悠久の人生ではないでしょうか?私が実際に中国人の鵜飼から聞いた話をご紹介いたします。○河北の湖の鵜飼漁師部落にてあれは1996年のことでした。北京の南、河北省の保定市が技術センターをつくりたいというので、出来るだけの協力をしようと、何度か同地に通ったのです。仕事が休みの日、河北大学の先生が、日帰りの観光旅行へ連れて行ってくれました。その観光地は広大な湖でした。縦横ともに約40Kmもあり、近隣の農民の観光地らしく、湖上遊覧の船がビッシリと並んでいます。客を呼び込む声が騒がしく響いていました。岸辺には、質素な魚料理店がい...「旅の思い出(17)中国の鵜飼の人々の悠久の人生」
2025/03/19 10:53
「旅の思い出(17)中国で最も印象深かった頤和園の風景」
1980年代は日中友好の時代でした。親しい中国人の友人が出来て何度も中国に行きました。中国は懐かしい国です。いろいろ思い出します。一例として印象深かった頤和園の風景の写真をお送り致します。写真の出典は、https://wondertrip.jp/53910/です。頤和園は北京都心より北西に約15kmにある万寿山とその南に広がる昆明湖の総称です。12世紀半ばの金代の離宮跡が起源で、荒れ果てたこの地を1750年に、第6代の皇帝乾隆帝(在位1735-1796年)が崇慶皇太后の還暦のお祝いに創建されました。「旅の思い出(17)中国で最も印象深かった頤和園の風景」
2025/03/19 10:06
「旅の思い出(15)北京の故宮、天壇、大鐘寺、明の13陵、万里の長城」
私は1981年に北京と瀋陽に行きました。周栄章さんと金応培さんは約束通り私を紫禁城(故宮)、頤和園、明の13陵、万里の長城、天壇、北京原人の周口店、瀋陽の清朝の発祥の宮殿、そして文化大革命で荒らされたキリスト教の教会(天主堂)などなど何処でも案内してくれたのです。その上、西安の大雁塔や玄奘法師の墓のある慈恩寺まで案内してくれました。特に印象深かったのは紫禁城(故宮)と頤和園でした。北京の故宮は中国を代表する世界遺産です。「故宮」はかつて「紫禁城」と呼ばれていました。世界最大の宮殿です。建設開始は明の時代の1421年に南京から北京へと遷都して作られましました。20世紀の清朝滅亡まで歴代皇帝が暮らす宮殿です。その建築群は「外朝」と「内廷」の2つに分けられます。乾清門を境に南は外朝で北の方は内廷です。太和殿、中...「旅の思い出(15)北京の故宮、天壇、大鐘寺、明の13陵、万里の長城」
2025/03/19 09:22
「旅の思い出(14)ベネズエラで会った亡命者ボルサイテスさんの思い出」
憂国の亡命者、ボルサイテス博士に会ったのは1976年、ベネズエラの首都カラカスでした。ソ連領リトアニアからの亡命者でした。何時もの笑顔が時々、フッと消えて、深い悲しさを漂わせた表情を見せる男性でした。カラカスにある鉄鋼分野の国立研究所の研究部長です。「日本ーベネズエラ鉄鋼技術共同会議」を主宰してくれたのです。ポーランドの北にあるリトアニアは第二次大戦の前までは完全な独立国でした。第二次大戦中にソ連が武力占領し、併合します。ボルサイテス博士は30年前の家族離散の悲しい出来事を昨日のことのように話すのです。ソ連はいつかは崩壊する。そうしたら祖国に帰り政治家になる、と言ったのです。ベネズエラの奥地の鉄鉱山の見学へも同行してくれました。リトアニアからの亡命者の眼前には祖国の白樺林とはあまりにも違う熱帯の林が豊かに...「旅の思い出(14)ベネズエラで会った亡命者ボルサイテスさんの思い出」
2025/03/18 13:03
「体験してわかった中世の西洋と日本にあるイギリス中世文化」
ローテンブルグはドイツの中世のままで、16世紀の町並が現在でも残っています。この小さな中世の町に1969年の夏に3ケ月住みこんでドイツ語を習いました。そして毎日のように街の内外を散策し、夜になると古いレストランに入り地酒のワインを飲む生活をしました。毎晩のように酔って、迷路のような路地裏を歩いていると自分が中世の人間になってこの町に暮らしているような気分になります。その上、中世のままの建物群と道路の配置がそのまま保存してあるので当時の人々の暮らしぶりがおのずと分かったのです。そこで中世のドイツの町と江戸時代の城下町を比較して、その大きな相違を、三つほど書いてみます。(1)ドイツの中世の町は堅固な城壁に囲まれている。農民も城壁の中に住んでいて朝になると城門が開き、周囲の畑に出て農作業をします。そして夕方にな...「体験してわかった中世の西洋と日本にあるイギリス中世文化」
2025/03/18 12:56
「旅の思い出(12)日本の北アルプスに咲いている花々」
私が初めて北アルプスを縦走したのは23歳の夏にでした。JR大糸線の穂高駅から中房温泉に泊り、槍、穂高へと縦走したのです。有房温泉から燕岳、常念岳、槍、南岳、大キレット、北穂、涸沢、徳合小屋と縦走して上高地におりて来ました。その時に北アルプスの花畑を見た時の感動は忘れられません。日本の北アルプスには美しい花々が咲いているのです。その花の写真をお送り致します。写真は「北アルプスに咲いている花」を検索して出て来た数多くの写真から選びました。「旅の思い出(12)日本の北アルプスに咲いている花々」
2025/03/18 10:10
「「旅の思い出(11)多くの日本人が憧れる上高地、その物語」
上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、梓川と大正池が夢幻のような盆地を作っているのです。昔は神垣内と書いたり、神河内と呼んでいたそうですが、とにかく神々しい景観なのです。日本のどこにでもある谷川の風景とは全く違う神秘的で、そしてロマンチックな景観なのです。以前は梓川沿いのバス道も無く、神河内に入るには北アルプスの徳合峠を越えて、この別世界へ降り立ったのです。苦しい山越えの後で見たこの夢幻的な景観に人々は桃源郷を連想したのです。極楽浄土を連想したのです。明治の始めころ、イギリス人のウエストン卿も徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。そのときの感動を記した彼の著作を読むと私の胸も躍ります。ウェストンは感動のあまり何度も徳...「「旅の思い出(11)多くの日本人が憧れる上高地、その物語」
2025/03/18 09:12
「旅の思い出(10)ドイツのライン川の懐かしい風景」
ライン川はスイスアルプスのトーマ湖が源流です。そこからボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かい流れ、カールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、などを通過しオランダ国内へと入ったあとロッテルダム付近で北海に注いでいる大河です。全長1,233キロメートル。そのうちドイツを流れるのは698キロメートルです。ドイツにとっては特に重要な川であり、ライン流域を主軸のひとつとしてドイツ史は展開してきたのです。私どもは1969年、1970年と1年4ケ月間、ライン川の近くのシュツットに住んでいました。ライン川には何度も行き川下りの観光船に乗ったりして遊びました。懐かしいライン川の写真をお送り致します。1番目の写真はスイスのシャッハウゼンにあるライン川の大きな滝です。以前ドイツに住...「旅の思い出(10)ドイツのライン川の懐かしい風景」
2025/03/17 14:48
「旅の思い出(9)沖縄の水牛とガジュマルの写真」
沖縄は離れ島の世界です。沖縄本島の他に宮古島、石垣島、西表島、波照島、竹富島、伊江島、などなど多くの美しい島が散在しています。沖縄へは2002年以来、4回観光旅行に行きました。レンタカーで観光客の行かない淋しい島へも行きました。自然の美しさは圧倒的です。想像以上です。今日はその美しい沖縄の島をご紹介致します。美しい沖縄ですが沖縄には悲しい歴史があるのです。琉球王朝時代の悲しい歴史。第二次大戦中の悲惨な歴史。そして今も続く基地の広大さ。沖縄の人々の悲しみは現地へ行ってみてやっと少し分かります。沖縄の自然の美しさはいろいろな本に書いてあります。いろいろな写真集もあります。しかし私が特に感動した写真集は和田義明さんのフォトギャラリー(http://wadaphoto.jp/japan/oki0.htm)です。そ...「旅の思い出(9)沖縄の水牛とガジュマルの写真」
2025/03/17 10:41
「旅の思い出(8)沖縄周辺に散在する離島への旅」
沖縄ぼ周辺には実に数多くの離島が散在しています。ある離島愛好家それらの沖縄の離島を訪問した旅日記の抜粋をご紹介致します。詳しくは、https://okinawa-labo.com/ishigakiisland-isolatedisland-12561をご覧下さい。=========================「石垣島からゆく離島めぐり!9島紹介&体験レポ」沖縄をとことん満喫したいなら、離島トリップが最適です。「これぞ沖縄!琉球!」という町並みや、(ありきたりな表現ですが)夢のような美しさの海・緑・星空が楽しめます。石垣島離島ターミナルからは毎日何便もの離島往復船がでていて、とっても手軽に離島めぐりが楽しめるんです。<目次>【1】3分でわかる離島めぐりの基本【1-1】行けるのは八重山諸島の9島【1-2】...「旅の思い出(8)沖縄周辺に散在する離島への旅」
2025/03/17 09:39
「旅の思い出(6)遥かなオハイオ、友人たちの思い出
個人的なオハイオの思い出を書きます。そしてオハイオの友人たちのことも書きます。1960年にオハイオ州立大学へ留学しました。24歳の時でした。茫々あれから65年です。遥かなオハイオは時々思い出します。私のアメリカはオハイオ州コロンバスの思い出です。感動したことは先生方と同級生がとても親切だったことです。老人になった私は今更ながらアメリカ留学の影響の深さを感じています。私はフルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学しました。1番目の写真はオハイオ州立大学の首都のコロンバス市の写真です。2番目の写真はオハイオ州立大学の写真です。キャンパスには広大な芝生の広場があり、それを囲むようにいろいろな学部の建物が並んでいます。3番目の写真はオハイオ州立大学のフットボール競技場で...「旅の思い出(6)遥かなオハイオ、友人たちの思い出
2025/03/16 13:21
「旅の思い出(5)北海道の野付半島のロマンチックな風景」
北海道には他に無い魅力が沢山あります。不思議な風景もあります。ロマンチックで美しい風景があります。今日は道東の野付半島のロマンチックな風景をご紹介いたします。野付半島の不思議なトドワラ、ナラワラの風景をご紹介いたします。白帆の海老漁の美しい風景もご紹介したいと思います。まず野付半島ですが、北海道の東の根室市の北にあります。多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)の南です。野付半島は幅が数百メートルしか無い砂洲で出来た半島です。湾曲しながら26kmも伸び、野付湾を囲んでいます。半島の砂洲の上には舗装道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている場所があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯...「旅の思い出(5)北海道の野付半島のロマンチックな風景」
2025/03/16 10:53
「旅の思い出(4)横浜のホテル ニューグランドと中華街」
ホテルニューグランドは横浜市の山下町にあり昭和2年に開業しました。開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や喜劇王チャーリー・チャップリン米国の野球選手ベーブ・ルースなどが泊まりました。ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路と1945年の終戦後に滞在しました。終戦後の7年間は占領軍将校宿舎として接収されたのです。また山口湖の富士ニューグランドホテルは横浜のホテル・ニューグランドの支店です。私が元気の良い若い頃、中年と初老の頃までは何度も横浜へ遊びに行ったものです。異国情緒が溢れ、それに心惹かれて通ったのです。写真をお送りしたいと思います。1番目の写真は横浜の山下公園と横浜港の風景ですホテルニューグランドはこの公園の前にあります。山下公園の向こうが青い港で端に氷川丸が係留されていました。氷川丸...「旅の思い出(4)横浜のホテルニューグランドと中華街」
2025/03/16 09:07
「旅の思い出(3)フィンランドへの独り旅」
1972年にストックホルム工科大学のエケトルプ教授に招待されて4ケ月滞在していた折に北欧への旅もしました。ヘルシンキ工科大学のハイキンハイモ先生を訪問しました。寂しい北国への独り旅でした。冷えた私を温かく迎えてくれたのがハイキンハイモ先生でした。先生は私を自宅での夕食にも招待してくれました。フィンランドが辺境の地にあり外国と隔絶した国であることを体験的に理解出来ました。思えば遠くに来たものです。ハイキンハイモ先生は自宅に招待してくれただけでなく大学のサウナへも案内してくれたのです。さてここでフィンランドはどういう国なのかご紹介したいと思います。フィンランドは北欧のスカンジナビア半島の北端にある国です。国土の約80%が森林や湖沼、河川に覆われています。「湖沼の国」という意味が転じてフィンランドという国名にな...「旅の思い出(3)フィンランドへの独り旅」
2025/03/15 11:00
「旅の思い出(1)美しい伊根の舟屋の旅館」
今日から心に残る旅の思い出を連載でお送りいたいと思います。第一回の今日は美しい伊根の舟屋の風景の写真をお送りいたします。伊根の舟屋は1991年頃、神戸に居たとき何度も訪ねた美しいところです。なお日本三景の天の橋立はこの伊根のすぐそばです。伊根の舟屋は京都府の日本海側の与謝郡、伊根町の海沿い立ち並ぶ家です。1階にある舟の収納場所の上の2階に人が住んでいます。これは独特な伝統的建造物です。舟屋は江戸時代中期頃から作られました。現在、240軒ほどあります。この地区は「伊根町伊根浦伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。この舟屋の多くは民宿をしています。民宿では舟屋の2階がお客の寝室になっているのです。私が泊った時には夕食に生け簀に泳いでいた地魚の塩焼きが出ました。ゆっくり地元...「旅の思い出(1)美しい伊根の舟屋の旅館」
2025/03/15 09:26
「もう櫻が満開になりました」
例年より早くもう櫻が満開になりました。先程、小金井公園で撮って来た写真をお送り致します。「もう櫻が満開になりました」
2025/03/14 15:30
「春爛漫みずみずしい公園の花々」
春爛漫です。みずみずしい公園の花々です。先ほど小金井公園で撮ってきた写真をお送り致します。「春爛漫みずみずしい公園の花々」
2025/03/14 15:04
「国木田独歩の武蔵野に憧れる、その現在の風景」
私は仙台生まれ仙台育ちなので武蔵野を見たことがありませんでした。しかし青春のころ国木田独歩の「武蔵野」という随筆集を読んで憧れてしまったのです。ですから武蔵野という言葉を聞くと青春のころの甘い夢を連想して幸せな気分になります。特に広い武蔵野に点々とある雑木林の風景に憧れていました。その後結婚して東京の郊外に60年くらい住み続けていますが、今でも「武蔵野」の風景を求めて彷徨っています。そして雑木林を見つけると幸せな気分になります。それは私の永遠の恋人のような存在です。先週も昔のままの武蔵野の雑木林の風景を探し車であちこちを走り回りました。国木田独歩の「武蔵野」を読んだ方々には武蔵野に憧れる私の気持ちがお分かりと思います。武蔵野の雑木林はクヌギやコナラやカシワの木が混じっている林です。樹木は他にもエゴノキ、シ...「国木田独歩の武蔵野に憧れる、その現在の風景」
2025/03/14 11:15
「芽吹きを待つ武蔵野の雑木林」
芽吹きを待つ雑木林の写真を撮ってきました。クヌギ、コナラ、エゴの木、シデ、カシワなどの落葉樹にシイ、ヒノキ、スギ、マツなどの常緑樹も少し混じっています。撮影場所;東京都調布市、都立神代植物公園、撮影日時;2008年2月20日「芽吹きを待つ武蔵野の雑木林」
2025/03/14 10:47
「光の春、雑木林のシルエット」
最近は快晴ですが寒いです。陽射しが明るいのですが寒い日が多いです。こういう季節を光の春と言うのでしょうか。稲城市の雑木林に行きました。太陽を背にした雑木林が美しいシルエットを見せています。雑木林の神秘的な感じを写そうと思いながら写真を撮りました。青い空に白い雲が早い勢いで流れています。そんな雲を見上げながらドライブを楽しんで帰って来ました。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「光の春、雑木林のシルエット」
2025/03/14 10:12
「今日は「和花」という料理店で昔の学生が昼食会に招待してくれました」
今日は小金井駅の南前の「和花」というところで昔の学生が我々夫婦を昼食会に招待してくれました。50年位前の東京工業大学で指導した学生です。懐かしい昔の思い出を話し合いました。妻は大きな花束を貰いました。小金井駅の南前の「和花」の写真をお送り致します。「今日は「和花」という料理店で昔の学生が昼食会に招待してくれました」
2025/03/13 17:32
「都立神代植物公園の魅力」
東京都には都立公園や植物園や動物園が沢山あります。都心部に土地が無いので都立公園はわずかしかありませんが、少し郊外に行くと広大で駐車場の完備した公園が沢山あります。全て都民税を潤沢に使用して設備も良く、管理整備も行き届いています。私の自宅の近所にも都立小金井公園、都立武蔵野公園、都立野川公園があります。それらの公園は小金井市を囲むように広がっています。仕事を止めて暇になるとこれらの素晴らしい公園を心行くまで楽しむことが出来ます。感動的なのは葛飾区の水元公園と今日訪れた神代植物公園です。神代植物公園へは京王線の調布駅からバスが何度も出ています。JR三鷹駅からもバスが頻繁に出ています。日曜日などは、都心部にお住いの方々にとってもピクニックに絶好の場所です。公園の北側の東西に2つの広大な駐車場もありますので車で...「都立神代植物公園の魅力」
2025/03/13 09:32
「春の野山の花々とその思い出」
今日は東京の最高気温が20度Cになると天気予報が告げています。春の到来です。こんな時には野山の花々のことを考えます。野山に静かに咲いている可憐な花々です。今日はそんな小さな花々の写真をお送り致します。そして花々にまつわる思い出を少しばかり書き添えたいと思います。花々は皆様よくご存知のクロッカス、フキノトウ、フクジュソウ、ミズババショウ、カタクリの花です。1番目の写真はクロッカスです(https://hobbytimes.jp/article/20180912e.html)1970年の春、ドイツの野原でこんな風景を見て感動したことが忘れられません。2番目の写真はフキノトウの花です。(https://www.photolibrary.jp/img521/17509_4998648.html)甲斐駒岳の麓の農家...「春の野山の花々とその思い出」
2025/03/13 08:57
「三陸の津波災害の歴史」
三陸の津波災害の歴史をお送り致します。貞観地震869年7月13日慶長三陸地震1611年12月2日明治三陸地震1896年6月15日死者21,920人昭和三陸地震1933年3月3日死者行方不明者3,064人チリ地震津波1960年5月24日死者行方不明者142人東日本地震2011年3月11日死者19,630人行方不明者2,569人負傷者6,230人慶長三陸地震による津波は現在の三陸沿岸および北海道の太平洋沿岸に来襲し、仙台藩領内で死者1783人(伊達領内で死者5000人という『駿府記』の記録もある。)、南部藩・津軽藩の海岸でも「人馬死んだもの3000余」という記録が残されている。北海道でもアイヌを含め多数の死者が出たという(『福山秘府』『北海道史』)。写真は三陸海岸の浄土ヶ浜です。「三陸の津波災害の歴史」
2025/03/12 10:36
「1960年のチリ地震津波による日本の災害写真」
1960年5月23日4時11分(日本時間)、南米・チリ共和国でマグニチュード9.5という世界最大規模の地震が発生します。この地震により首都サンティアゴ・デ・チレ(SantiagodeChile)、をはじめ、チリ全土で死者1,743名、負傷者667名の大きな被害となります。日本とチリは約17,500キロメートル離れていますが、津波は平均時速約777Kmのスピードで太平洋を渡ってきました。日本の被害も写真をお送り致します。写真の説明は下記にあります。https://www.bo-sai.co.jp/chirijisintunami.html1番目の写真は1960年(昭和35年)に岩手県大船渡港民家に乗り上げた漁船です。「1960年のチリ地震津波による日本の災害写真」
2025/03/12 10:33
「自分が見た東日本大震災の被害地の風景」
昨日は東日本大震災から丁度14年目でした。大津波で22000人余の人名が失われた日でした。私は仙台で生まれ育ったので東日本大震災の津波に襲われた仙台の近くの荒浜や菖蒲田浜へは何度も海水浴に行っていました。そして松島や野蒜海水浴場やその先の宮戸島にも足繁く行ったものです。特に宮戸島には親しい家があったので何度も塩釜から船で行ったり野蒜水浴場を越して歩いて行きました。宮戸島は昔は島でしたが埋め立てて野蒜海岸から歩いて行けたのです。そんな懐かしい思い出の場所が大津波でどうなってしまったのでしょうか。気がかりでした。そこで大津波から1年6ケ月経過した2012年の10月に現地に行ってみました。今日は私の見た東日本大震災の被害地の東松島の写真をお送りいたします。私は独りで朝早く仙台駅から仙石線の電車に乗り、高城町駅ま...「自分が見た東日本大震災の被害地の風景」
2025/03/12 09:25
「東日本大震災を支援した台湾、韓国、中国、アメリカ、その他の国々」
なかなか実行出来ないことですが、懸情流水受恩刻石という教えがあります。「情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし」と読むそうです。短縮して刻石流水の四文字熟語もよく使われているようです。そこで今日は「恩を受けしは、石に刻むべし」の教えに従って東日本大震災を支援した国々の恩を石に刻むような思いでもう一度お送りいたします。あれからもう14年の月日が流れたのです。まず写真をご覧下さい。1番目の写真は来日した台湾南部の泰武村の子どもたちが伝統舞踊を披露し、津波被害の大きかった岩手県山田町の子供達を励ました時の写真です。2012年2月28日、岩手県山田町で撮影した写真です。台湾の支援は迅速で支援内容も実に充実していました。支援金額も最高レベルで日本人に感銘を与えたものです。2番目の写真は台湾政府からの緊急...「東日本大震災を支援した台湾、韓国、中国、アメリカ、その他の国々」
2025/03/11 11:01
「東日本大震災後の韓国人の支援」
自分の隣人を大切にし尊敬することは人間の倫理の基本です。それにしても今日ご紹介します写真は真面目な韓国人達の本当の姿です。ご紹介する写真は、東日本大震災が起きた後、すぐの韓国の街の様子の写真です。あの時、街には、こんなメッセージが溢れかえっていたのです。友人の中村文政さんから教えて頂いた写真集です。2011年の3月11日の東日本大震災の後で、韓国人は我々を激励するメッセージを韓国の町中に掲示し、多額の義捐金や救援物資を送ってくれたのです。その上多数のボランティアの韓国人が被災地の復興に汗を流してくれたのです。今日は、韓国人が我々を激励するために掲示したメッセージの写真をお送りします。写真は、http://cadot.jp/impression/1794.html?detailから転載いたしました。「東日本大震災後の韓国人の支援」
2025/03/11 10:29
「東日本大震災後14年目の今日思う」
大震災の起きた2011年3月11日から14年が経過しました。時が経過するに従って、被災地以外の人々は大震災を忘れがちになって来ました。プロ野球も大相撲も何時ものように賑わっています。マスコミでも、大震災関連の報道が少なくなって来ました。しかし大津波に襲われた町の復興には少なくとも10年、いや15年はかかると思います。大災害の復興は一朝一夕で出来るものではありません。その思いを新たにする為に、大津波で破壊された町の写真を掲載いたします。「あの日」から14年がたった。東日本大震災の犠牲者に祈りをささげる鎮魂の日が今年も巡ってきました。巨大津波が押し寄せ、沿岸の街を容赦なくのみ込んだのです。災害で1万9708人が亡くなり、2520人が行方不明のままです。発生時刻の午後2時46分に私は妻と近所を歩いていました。電...「東日本大震災後14年目の今日思う」
2025/03/11 09:40
「春爛漫、今日の小金井の梅林の風景」
今日は風もなく暖かい日です。まさしく春爛漫です。今日の小金井公園の梅林の写真をお送り致します。「春爛漫、今日の小金井の梅林の風景」
2025/03/10 15:45
「春の公園に咲く花々の写真」
先程、小金井公園まで撮ってきた写真をお送り致します。「春の公園に咲く花々の写真」
2025/03/10 15:04
「満鉄のあじあ号の写真」
日本は昭和7年に満州を独立した国として建国しました。この満州建国は後の昭和16年に始まったアメリカ連合軍との太平洋戦争の原因になったのです。1番目の写真は満鉄の「あじあ号」の写真です。6番目の写真は「あじあ号」の食堂車の様子です。当時のモダンな女性が食事をしている光景です。3番目の写真は「あじあ号」の最後尾の展望車の光景です。裕福そうな乗客が寛いでいます。写真が示すように満州には良い時代もあったのです。それにしても終戦後の、ソ連軍による蹂躙と、シベリア抑留、そして悲惨な引揚げの歴史によって満州のことは昭和時代の大きな悲劇でした。現在の平和な日本がしみじみ良い国になったと感慨無量です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山壮人)「満鉄のあじあ号の写真」
2025/03/10 10:06
「懐かしい特急つばめと東海道本線の旅」
今日は懐かしい特急つばめと東海道本線の旅の思い出を書きたいと思います。16年から戦後にかけての思い出です。昭和11年に生まれた私は毎年夏になると特急つばめに乗って兵庫県の田舎ある父の実家へ行ってました。父の実家は曹洞宗のお寺です。父母と兄弟3人で1週間ほど泊まりました。当時住んでいた仙台から上野までは蒸気機関車だったので煤煙でシャツが真っ黒になったものです。それが東京駅で「つばめ号」に乗り換えると煤煙がなく素晴らしいのです。窓を思いきり開けて涼風が楽しめるのです。新幹線の開通の後あの懐かしい「つばめ号」は消えて無くなりました。しかしインターネットには写真が残ってい.ます。その「つばめ号」の写真を示します。超特急「燕」は東京~大阪間568kmを、それ以前の特急「富士」に比して2時間半近く短縮する,8時間20...「懐かしい特急つばめと東海道本線の旅」
2025/03/10 08:57
「青空の下、都立武蔵野公園まで散歩」
久ぶりの青空に誘われて都立武蔵野公園まで散歩してきました。撮ってきた写真をお送り致します。「青空の下、都立武蔵野公園まで散歩」
2025/03/09 16:13
「富士山の忍野八海の雪景色」
忍野八海には豊な湧き水があちこちの泉から噴き出しています。その清冽な湧き水に惹かれて何度も訪れました。その懐かしい忍野八海の雪景色の写真をお送り致します。寫眞の出典は、https://travel-dailyphoto.com/2022/02/21/fuji-oshino/です。「富士山の忍野八海の雪景色」
2025/03/09 13:37
「今日はカトリック松原教会のミサにあずかりました」
今日はインターネットを通してカトリック松原教会のミサにあずかりました。動画配信は下記にあります。https://www.youtube.com/watch?v=Ea__lxWqiOU...ミサの写真をお送り致します。アクセス〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009matsubara-church@gray.plala.or.j「今日はカトリック松原教会のミサにあずかりました」
2025/03/09 12:07
「美しい富士五湖めぐりの小さな旅」
富士五湖は北の外輪山の内側に東西に連なる美しい高原の湖です。東から西へと山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖と5つ並んでいます。いずれも懐かしい曽遊の地です。数年前に思い立ってこの富士五湖めぐりの小さな旅に行きました。今日はその時撮った風景写真に従って皆様を富士五湖めぐりの旅へご案内します。写真は山中湖から順に河口湖、西湖、精進湖、本栖湖へと変わって行きます。1番目の写真は山中湖から見上げた富士山です。あいにくの曇りで五合目以上は厚い雲に覆われていました。2番目の写真は山中湖とその向こうにある筈の富士山です。蒸し暑い東京とは違い爽やかな高原の風が吹いていました。3番目の写真は山中湖から河口湖へ向かう道です。忍野八海に南に広がる大きな森の中の道です。清冽な雪解け水が豊かに湧き出ている忍野八海を思い出しながら...「美しい富士五湖めぐりの小さな旅」
2025/03/09 09:42
「昔遊んだ懐かしい山寺の写真」
仙台から山形へ行く鉄道は仙山線です。その山形県に入ってすぐ山寺駅があります。芭蕉が、「岩にしみいる蝉の声」という句を作った立石寺のある所です。仙台に住んでいた頃何度も遊びに行った山の上のお寺です。その風景写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「昔遊んだ懐かしい山寺の写真」
2025/03/08 15:46
「正林寺と施餓鬼供養の光景の写真」
少年だった頃のことが懐かしく思い返します。生涯の仕事のことは忘れても少年の頃のことは忘れないのです。私の祖父は兵庫県の曹洞宗の正林寺の住職でした。叔父も祖父の後を継ぎ住職を長く務めていました。そのお寺は大阪駅から山奥に入った兵庫県にありました。毎年夏のお盆になると一家揃って兵庫へ里帰りするのが習わしでした。大阪・梅田から阪急電車です。能勢口で能勢電鉄へ乗り換え山下駅で降り、あとはタクシーという旅でした。いの記憶であります。お寺は山合いの内馬場という集落の端にありました。高い石垣を積み、小さな本堂、鐘楼、庫裏、客間の離れ、白壁の蔵が、狭い敷地にまとまって建っています。石垣の上の白壁の塀の上からは集落全体が箱庭のように見下ろせます。一番お面白かったものに施餓鬼法要という儀式があります。飢饉で悲しくも餓死した農...「正林寺と施餓鬼供養の光景の写真」
2025/03/08 11:59
「お彼岸の墓参りの写真」
以前にはお彼岸には必ず墓参りをしたものです。家内の実家の墓参りです。その写真です。お寺は日野市にある大昌寺です。このお寺は江戸時代になる前の1594年に八王子城の主の北条氏照の滅亡後の4年目に創建されたようです。下の小さな写真の中に歴代の住職の葱坊主形の墓があります。佛教国の日本の一風景としてお楽しみ頂ければ嬉しく思います。「お彼岸の墓参りの写真」
2025/03/08 11:14
「暮らしの歳時記、お彼岸とぼた餅の思い出」
お彼岸とは日本独自の仏教的な7日間の祭日です。今年の2025年の春分の日は3月20日(木・祝)ですから春のお彼岸は3月17日(月)から3月23日(日)までの7日間です。お彼岸の墓参りは春分の日が良いといいます。私は彼岸の入りの日に家内の家の墓参りに行きました。家内がお墓を掃除して花々を供えます。私はローソクに火を灯し線香の束に火を移す作業をします。線香を供え手を合わせて拝みます。そしてその日は、ぼた餅を買ってきて食べます。お彼岸というとぼた餅やオハギにまつわる楽しい思い出をお持ちの方も多いと思います。特に戦前、戦後に育った方はぼた餅やオハギの夢のような甘美な味を憶えていると思います。当時は甘いお菓子が少なくて春と秋のお彼岸に祖母や母が作ってくれたぼた餅やオハギが一段と美味しく感じられたのです。さて、ぼた餅...「暮らしの歳時記、お彼岸とぼた餅の思い出」
2025/03/08 10:08
「安曇野の川と北アルプスの風景」
安曇野にはワサビ畑があるので何度も行きました。春に行くと安曇野の川の向こうに残雪にが光る北アルプスの風景が見えるのです。美しい風景です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search/images?k=%E5%A4%A7%E5%87%BA%E5%90%8A%E6%A9%8Bです。「安曇野の川と北アルプスの風景」
2025/03/07 14:46
「復興した東京の街を海から見る」
中年の頃は東京湾でよくヨットに乗っていました。その時撮った東京の風景の写真です。撮影場所:東京港のお台場沖、レンボーブリッジ下、隅田川河口より、撮影日時:2009年5月14日午後4時頃、「復興した東京の街を海から見る」
2025/03/07 10:32
「ドイツの戦災の惨禍」
今日はドイツの戦災の惨禍を書いてみたいと思います。さて伊澤孝平著、「そういう時代の旅と人」という本の69ページに書いてあります。「ドイツへ行って沁々と感じたことは、戦争の惨禍ということである。どんな犠牲を払っても、この地上から戦争を無くすることは、人類に課せられた使命であると思った。徹頭徹尾戦った国ほど荒廃している。風車が清流に影を浮かべているオランダの美しさ、豊かさと、ドイツの惨めさとを比較して特にそう思った。・・・」著者の伊澤孝平氏はライン河に沿って、デュッセルドルフ、ケルン、コベルンツ、アルト・ハイデルベルヒ、シュツットガルト、カールスルーエと戦火に見舞われた街々を巡ったのです。当時は戦後8年もたっていたのですが、街々にはまだまだ爆撃で破壊された建物が残っていたと書かれています。その様子を、「大戦中...「ドイツの戦災の惨禍」
2025/03/07 09:52
「3月10日は東京大空襲、そして仙台空襲」
今年も3月10日がめぐって来ました。3月10日は東京大空襲のあった日です、そして7月10日には私が住んでいた仙台が空襲で焼野原になりました。80年前の1945年のことでした。そして3月11日は東日本大震災の日です。14年前の2011年3月11日(金)に起きた大震災です。2万2000人余の死者が出ました。東京大空襲の日にはアメリカ空軍による大空襲で死者数が10万人以上で、罹災者は100万人を超えたのです。7月10日には仙台空襲があったのです。私は当時9歳でしたが仙台で凄まじい空襲を体験しました。仙台空襲の体験が忘れられません。今日は「東京大空襲」と「仙台空襲」のことを書きます。そして戦争の悲惨さを忘れないようにしたいと思います。空襲は愚かな人間が起こした人災なのです。再び起きないように忘れるべきではないので...「3月10日は東京大空襲、そして仙台空襲」
2025/03/07 09:19
「春の日の森戸、葉山、逗子、鎌倉、江の島、茅ケ崎の風景写真」
何年か前に暖かい春風に誘われて湘南海岸のドライブを楽しんだ折りに撮った写真です。これらの写真に写っている海は、50年ほど前に妻と一緒に小型ヨットのデンギィで走り回った海です。葉山マリーナのデンギィのクラブの会員でした。江の島ヨットマリーナのヨットスクールでも帆走の訓練をしました。あの頃の元気さが懐かしいです。家内と葉山マリーナのカフェでのんびりと昔の思い出を話し合ったりしたのも思い出しました。こうして老境の日が過ぎ行きます。1番目の写真は森戸大明神の沖にある灯台と鳥居です。2番目の写真は森戸から葉山マリーナ方面を見た風景です。3番目の写真は葉山の鐙摺港の沖に係留されているヨットです。ヨットの右奥には逗子の海水浴場が広がっています。4番目の写真は逗子沖を帆走している2人乗りのデンギィの姿です。5番目の写真は...「春の日の森戸、葉山、逗子、鎌倉、江の島、茅ケ崎の風景写真」
2025/03/06 10:20
「曾遊の蔵王山の紅葉風景」
秋の紅葉風景は私の大好きな風景です。思い出すのは嘗遊の地、故郷の山、蔵王山の紅葉風景です。今日はそんな思い出深い紅葉風景の写真をお送り致します。蔵王山の紅葉風景です。東北大学が蔵王山に清渓小屋を持っていたので夏や秋に何度も登りました。刈田岳に登って頂上からお釜を見下ろしたものでした。懐かしい山なので麓の「七ヶ宿町の紅葉」を検索して美しい写真を何枚も見つけました。その中から4枚お借りしてお送り致します。今日は曾遊の地、蔵王山の紅葉風景の写真をお送り致しました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「曾遊の蔵王山の紅葉風景」
2025/03/06 10:04
「我が青春の蔵王山にまつわるいろいろな思い出」
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。あれから茫々60年以上も経ちました。毎年、今頃になると懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。お送りする写真は「山形蔵王の樹氷写真集」、http...「我が青春の蔵王山にまつわるいろいろな思い出」
2025/03/06 09:31
2025年3月 (1件〜100件)
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