ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
メインカテゴリーを選択しなおす
フォロー
「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二
消滅した京王フローラル・ガーデンには実にいろいろな花が咲いていました。そのいろいろな花の写真をお送り致します。写真の撮影日は2014年5月8日でした。消滅した京王フローラル・ガーデンのいろいろな花の写真をお送り致しまじた。「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二
2024/05/06 12:09
「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一
東京に京王電鉄という会社があります。新宿から西の郊外に電車を走らせています。その会社が京王多摩川駅の前に「京王フローラル・ガーデン」という花園を公開していました。もう3年前に閉鎖して今はありません。しかし以前は妻と一緒に何度も訪れた懐かしい花園でした。今日はその京王フローラル・ガーデンの懐かしい写真をお送り致します。かつて訪れた方々は懐かしくご覧になると思います。京王フローラル・ガーデンにはいろいろな花々が盛んに咲いています。花々が豪華に咲いています。その花園の中に遊歩道が出来てるのです。写真は10年前の2014年5月9日に撮りました。1番目の写真は遊歩道の足元に咲いている草花です。2番目の写真は花が溢れるように咲いている風景です。3番目の写真は歩きやすいように板を敷いた遊歩道です。さて京王フローラルには...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一
2024/05/06 10:15
「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」
今日は晴天です。午後から小金井公園に行き巨木の写真を撮り、教会に寄ってお祈りをして来ました。気分爽快な一日です。「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」
2024/05/05 15:41
「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」
今日はは以前に撮った新緑の宮ケ瀬湖の風景をお送り致します。この湖は神奈川県の丹沢山系の水を集めた高原のダム湖です。静かな湖面にウグイスの声が美しく響きわたっていました。山々の新緑から薫風が吹いてきました。新緑の山と湖の風景写真をお楽しみ下さい。「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」
2024/05/05 12:43
「2024年5月5日 復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
今日は復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真をお送り致します。「2024年5月5日復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
2024/05/05 11:12
「2024年5月5日 復活節第6主日のミサ動画配信」
2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信です。カトリック葛西教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=oW5kJwxQ8KQ1969.6.24松江教会献堂式初代主任司祭エドワード・グリフィン神父1979.6二代主任司祭ジョン・マカティ神父着任聖アウグスチノ・カトリック葛西教会東京都江戸川区中葛西1-10-15TEL:03-3689-0014東西線西葛西駅または葛西駅から(徒歩15~20分)「2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信」
2024/05/05 09:32
「風薫る五月に 、 "Im wunderschönen Monat Mai"」
風薫る五月になるとシェーネン・モナート・マイという言葉をつぶやくようになります。家内が何か本で読んで覚え、新婚のころ私に教えてくれた言葉です。この言葉はハイネの詩から出ているようです。後にシューマンが曲を付けて有名な歌曲になりました。ハイネの詩はこうです。ImwunderschönenMonatMai,風薫る五月にalsalleKnospensprangen,蕾たち弾けるころdaistinmeinemHerzen僕の心の奥にdieLiebeaufgegangen.咲いた恋心・・・以下省略します。(訳文は、https://sfukuhara.web.fc2.com/lyrics/1/analyze/im_wunderschoenen_monat_mai.htmlからです)日本でも皐月はすがすがしい季節で俳句...「風薫る五月に、"ImwunderschönenMonatMai"」
2024/05/05 09:02
「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」
今日の散歩は武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで行って来ました。家から4Km弱くの野川公園まで電動車椅子に乗って行って来ました。とにかく新緑の美しさに魅了され夢心地でした。それにしても良い季節になったものです。1番目の写真は武蔵野公園です。続く写真はすべて野川公園です。「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」
2024/05/04 15:52
「昔遊んだ懐かしい山寺の写真」
仙台から山形へ行く鉄道は仙山線です。その山形県に入ってすぐ山寺駅があります。芭蕉が、「岩にしみいる蝉の声」という句を作った立石寺のある所です。仙台に住んでいた頃何度も遊びに行った山の上のおl寺です。その風景写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「昔遊んだ懐かしい山寺の写真」
2024/05/04 11:33
「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」
宮戸島には大高森という山があります。その頂上から見た松島はまさに絶景です。私も何度も登りました。その写真はインターネットからお借りしてお送り致します。4番目の写真は大高森へ登る坂道です。懐かしi坂道です。写真はインターネットからお借りしました。「宮戸島の大高森から見た懐かしい松島の絶景」
2024/05/04 10:39
「会ったことの無い祖父と宮戸島のいろいろ」
母方の祖父は松島の東にある宮戸島の小学校の校長をしていました。私が生まれる前に病死したので一度も会ったことがありません。昭和の初めころのことです。情に篤い人でしたが酔うと松島から泳いで宮戸島まで帰ってきたそうです。泳ぎの上手い豪の者だったそうです。弟子たちを可愛がることで島では有名な校長だったそうです。そんな弟子の一人に「みのあんつあん」という小父さんがいました。恩義に思って私どもを何度も島に招んでくれました。島で泊る所は決まっています。祖父が下宿していた曹洞宗のお寺です。室浜から山を隔てた小高い場所にある質素なお寺です。祖父は本堂の客殿に寝ていたそうです。校長をしていた室浜の小学校で一杯の酒を飲んでほろ酔いで道の無い山を越えて下宿先のお寺に帰ってきたということです。宮戸島に行くとお寺の住職や「みのあんつ...「会ったことの無い祖父と宮戸島のいろいろ」
2024/05/04 09:10
「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」
韓国の少数民族を調べてみると朝鮮民族以外見つかりません。高句麗、百済、新羅の三国時代(4世紀中葉-676年)から朝鮮半島には朝鮮族だけでした。日本にはアイヌ民族や北方民族が住んでいましたが朝鮮民族以外は住んでいなかったのです。そこで朝鮮半島、特に韓国の宗教事情を調べてみました。日本の宗教事情とは大きく違ってます。大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じているのです。韓国にはシャーマニズムから仏教、儒教、キリスト教、イスラム教まで様々な宗教が共存しています。2015年の統計によると、韓国の人口の44%が宗教を信じています。韓国人にとって根強い思想は仏教と儒教で、韓国の遺跡や文化財の半分以上が、仏教や儒教に関連しています。仏教は西暦372年に伝わり、全国に数万ヶ所の寺があります。儒教は朝鮮時代(1392~...「大多数の韓国人は日本人と違って宗教を堅く信じて」
2024/05/03 16:11
「幼少時の思い出、そして想うこと」
誰でも仕事を止めて老境に入ると、それまで仕事の忙しさで忘れていた幼少時の思い出がよみがえって来ます。それは喜びと悲しみの入り混じった懐かしさです。切ない思い出です。われわれ年代の高齢者の幼少時は戦前、戦後の苦しい時代でした。貧しさ故の悲しみが入り混じった懐かしい思い出です。さて自分が撮って来た山郷の花々の写真をお送りいたします。甲斐駒岳の東に広がる北杜市の武川町の花々です。これらの花々の写真をしみじみと眺めながら想ったことがあります。現在、働き盛りの若い人々は老境になってどのような思い出を持つのでしょうか?時代が違いますから思い出の具体的な内容は違います。想像して書いてみました。楽しかった海外旅行、スマホ、ゲーム、ドライブ、ショッピング、旅先で食べたソフトクリームの味、おとぎの国のようなディズニーランドの...「幼少時の思い出、そして想うこと」
2024/05/03 12:00
「春うらら、時々思い出すはるかな尾瀬 遠い空」
春うららの季節になりました。こんな季節には遥かな尾瀬の風景を思い出します。一時流行った尾瀬の歌を思い出します。『夏の思い出』という歌でした。1949年発表の日本の歌曲です。NHKにて放送されるや否や、瞬く間に多くの日本人の心をとらえたものです。この歌のおかげで尾瀬(おぜ)の人気が高まり訪れる人が非常に多くなったのです。私は1951年に高校に入学し、1954年に大学に入学したのでこの曲をNHKのラジオで何度も聞き、自分でもよく歌ったものです。当時は仙台に住んでいて、復興もまだまだで苦しい生活でした。はるかかなたの尾瀬などへ行くことは出来ません。ですから尾瀬とか水芭蕉という言葉は憧れの夢だったのです。写真雑誌で尾瀬の風景や水芭蕉の群落の光景を見てますます憧れが強くなったものでした。『夏の思い出』の作曲は、『ち...「春うらら、時々思い出すはるかな尾瀬遠い空」
2024/05/03 10:26
「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」
この季節は春うららです。良い季節です。そんな季節でも私は時々戦争のことを思い出します。一面に焼け野原になった仙台の風景を思い出します。79年前の8月15日は日本が無条件降伏しました。人にはそれぞれの思い出があります。私も時々終戦直後のことをいろいろ思い出します。私は男3人の兄弟の長男でした。その3人だけで宮城県北部の農村に疎開してました。7月10日の空襲で仙台が焼け野原になった後に疎開したのです。今でも時々自分が聞いた玉音放送を思い出します。真夏の太陽が照りつける田舎の国民学校の校庭で聞きました。雑音が大きくてよく聞き取れませんでしたが、敗戦を告げる昭和天皇の悲しそうな声が途切れ途切れに聞こえました。先生が敗戦だから今日は家に帰れと言います。田圃のあぜ道をつたい歩きしながら疎開先の農家に帰りました。その夜...「春うらら、でも時々思い出す戦争のこと」
2024/05/03 08:59
「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」
自宅から3Kmくらいの所に都立多摩墓地があります。広大で緑リの多い公園のような墓地です。散策に良い場所なのでち時々行きます。今日も晴天なので先程行って来ました。都立多摩墓地は新宿の西方約20kmの緑に囲まれた武蔵野の面影を残す霊園です。面積は128ヘクタールと都立霊園の中で最大の広さです。この霊園は海外の森林墓地を参考にして作られたわが国最初の公園墓地であります。各界の有名な人の墓も多いので訪れる人も多い霊園です。写真をインターンットからお借りしましてお送り致します。「今日の散歩、都立多摩墓地へ行く」
2024/05/02 15:31
「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」
ブログは2007年に書き始めました。それ以来17年間毎日書き続けました。17年間も毎日書き続け続けられたことに自分ながら驚いています。このように毎日書いている理由は過去の楽しかった日々を思い出すからです。例えば山林の中の小屋に来てくれた友人との楽しかった日々を思い出すからです。いつも妻が一緒でした。写真は私の小さな小屋です。山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中にあります。晩秋に撮ったので木々が紅葉しています。電気、ガス、水道の無い小屋でした。スウェーデンの学生さん達も来ました。楽しい思い出がたくさんある小屋です。写真の手前には一年中、水の涸れない小川が写っています。小川にはヤマメが棲んでいます。小川の水は小屋に泊まるときの生活用水です。飲み水は自宅から持って行きます。小屋の冬は非常に寒いのです。山林の中の小屋に...「ブログを毎日書くのは過去の楽しかった日々を思い出すから」
2024/05/02 10:28
「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」
今日は身近な庭や花園に無い花の話です。山や遠い海辺に咲いている花々の写真とそれらにまつわる思い出をお送り致します。1番目の写真は石楠花の写真です。写真の出典は、https://horti.jp/2152です。シャクナゲは山に咲いています。若いころ蔵王山に登った時に見ました。きつい登攀で疲れたとき一面に咲いている白い石楠花に会いました。その瞬間に疲れが消えてしまったことが忘れられません。この写真の石楠花は園芸種です。山に咲いているのは純白の美しい花です。2番目の写真は数年まえの5月に山梨県の上野原市の山奥で私が撮った朴(ホウ)の木の花です。朴の木は山奥に生えている大きな木です。大木の高い梢に咲くのでめったに見ることが出来ない珍しい花です。初夏に白い大き花を開き、芳しい香りを漂わせます。そして甲斐駒岳の麓にあ...「5月から初夏にかけて山野に咲く花々とその思い出」
2024/05/02 09:45
「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」
少数民族と言えばアーミッシュの人々も少し変わった少数民族です。私が実際に見た少数民族です。総数は22万人だけです。自動車や電気・ガス・水道のような近代文明の利器を一切拒否して、牧畜と農業だけで完全な自給自足の生活をしているのです。彼等はアメリカのペンシルベニア州やオハイオ州の中西部やカナダ・オンタリオ州などの農村に住んでいるキリスト教の一派の人々です。その総数の約22万人は年々増加しているようです。増加の原因は多産にあると言われています。私は1990年の前後に2年間ほどオハイオ州に住んでいました。その時、同僚のアメリカ人がアーミッシュの生活は面白いから行って見なさいと盛んに勧めたのです。数回遊びに行きました。一度はアーミッシュの村のランプの宿に泊まる体験もしました。それでは写真に従って彼らの生活ぶりを見て...「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」
2024/05/01 13:52
「水の中を泳ぐ鯉のぼり」
山口県防府市奈美の小野小学校近くの佐波川に行くと、たくさんの鯉のぼりが水の中を悠々と泳いでいるという全国的にも珍しい光景を楽しむことが出来ます。晴天の日が続いていれば流れる川の水がとっても綺麗で、川底まで透けて見えるほど。泳いでいるのが水の中というを忘れてしまいそうです。https://www.travel.co.jp/guide/article/17383/より。「水の中を泳ぐ鯉のぼり」
2024/05/01 11:39
「鯉のぼりの節句は元々は女の節句だった」
間もなく麗しの皐月がやって来ます。そして青空に鯉のぼりが泳ぐ端午の節句になります。そこで今日は青空に鯉のぼりが舞う写真をお送りし、端午の節句はもともとは女の節句だったというお話しをしたいと思います。昭和の初めころの鯉のぼりは真鯉と緋鯉と吹き流しの三つが普通だったような記憶があります。昭和11年生まれの私の家の庭には太い丸太の棒を立て、真鯉と緋鯉と吹き流しが五月の風に青空を泳いでいました。それは戦前のつかの間の平和な時代でした。その頃は鯉のぼりは男の子のいる家で上げるという風習でした。1番目の写真はそのような時代の鯉のぼりです。写真の出典はhttp://nobrin7.exblog.jp/11057098/です。2番目の写真は長野県阿智村の鯉のぼりです。出典は、https://jp.zekkeijapan....「鯉のぼりの節句は元々は女の節句だった」
2024/05/01 10:02
「季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃」
季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃です。日本の皐月の白に鯉のぼりが泳いでいる風景が見られます。日本の五島列島と富士山の朝霧高原と新潟県の鯉のぼりの風景写真をお送りします。それはそれとして、今日は皆様この鯉のぼりのようにお元気にお過ごし下さい。後藤和弘(藤山杜人)1番目の写真は五島列島の鯉のぼりです。出典は、http://yonchiworld.blogspot.com/2016/05/blog-post.htmlです。2番目の写真は富士山の朝霧高原にあるドライブインの鯉のぼりです。出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/akatukinosuzu/3851302.htmlです。3番目の写真は新潟県の鯉のぼりです。出典は、http://shinkai-y.seesaa.net/ar...「季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃」
2024/05/01 09:17
「花園の写真を撮って来ました」
花園の写真を撮って来ました。小金井公園まで行って来ました。花がいきよいよく咲いていました。春が真っ盛りです。「花園の写真を撮って来ました」
2024/04/30 16:32
「北欧の少数民族、サーミ民族の写真」
サーミ族とは、ラップランドとよばれる、北欧スカンジナビア半島の最北部、北緯66度33分の北極線より北の北極圏中心(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国とロシアの四ケ国)に住んでいるトナカイ遊牧民です。出典:www.flickr.com(@kirkebilder)サーミ族はラップ人ともよばれ、スウェーデン、フィンランド、ロシア、ノルウェーなどの国家が成立する以前の大古から北欧に住んでいた先住民です。」そのサーミ民族写真をお送り致します。出典は、https://kinarino.jp/cat6/2299です。1番目の写真はサーミ民族が飼っているトナカイです。肉は食料にして皮は衣服にします。2番目の写真は伝統衣装を着た少女たちです。3番目の写真も伝統衣装を着た少女たちです。4番目の写真は伝統衣装を着...「北欧の少数民族、サーミ民族の写真」
2024/04/30 11:02
「日本にいた少数民族、アイヌ民族の文化と私のアイヌの友人への追憶」
北海道に旅をすると、あちこちにあるアイヌ民族の博物館を見ます。昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには民族博物館があります。アイヌ村落を復元した展示もあります。北海道大学の付属植物園の中にある博物館にはアイヌ民族関連の数多くの展示物もあります。函館市にもアイヌ文化を展示した博物館もあります。博物館の展示だけではありません。第二次大戦の終戦までは、北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。しかし戦後、アイヌ人だけの村落は次第に消えて行ったのです。アイヌ人は土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも、禁止されたのです。ここで北海道のアイヌ民族の写真を示します。(1)北海道に以前住んでいたアイヌ民族の写真写真は順に、アイヌ人の家、丸木舟、家の中、正装した男達、...「日本にいた少数民族、アイヌ民族の文化と私のアイヌの友人への追憶」
2024/04/30 10:28
「生涯続けた面白い趣味の話と台湾の少数民族」
生涯、面白くてやめられない趣味があります。趣味にはいろいろありますが、私が続けてる趣味は少数民族の暮らし方を調べる趣味です。例えばアイヌや琉球人の歴史や暮らし方を調べます。中国の少数民族のことを調べます。そして日本人の歴史や現在の暮らし方と比較します。以前はアイヌや琉球人や他の少数民族に関する本を手当たり次第買って読んでいましたが、最近はインターネットを駆使して調べています。便利な世の中になったものです。この興味が尽きない趣味は若い頃読んだルース・ベネデクト著の「菊と刀――日本文化の型」によって始まったのです。火が付けられたのです。この趣味は一般にはつまらない趣味と思われるかも知れません。しかし私にとっては一生、興味が尽きない趣味なのです。私に元気と勇気も与えてくれる趣味なのです。今日は少数民族の暮らし方...「生涯続けた面白い趣味の話と台湾の少数民族」
2024/04/30 09:57
「山に咲く桜を探して秘境、檜原村に分け入った思い出」
何年も前のことですが、妻が吉野山の桜を見たいと言うので、はるばる訪れたことがあります。遠方の山の中に桜木が程良く散在し、満開になっているのです。険し過ぎない山並みの暗い色の樹々が白や薄紅色の桜の花を浮きたてています。その風景は華麗でもあり、心を雄大な気分にもさせてくれます。それ以来、東京の近隣の奥多摩や高尾山系の山々の桜を注意深く見るようになりました。そうしたら吉野山のように山林の中にソメイヨシノの木を植林して櫻花を楽しんでいる場所を数カ所見つけました。その場所は人の住む集落の傍です。ソメイヨシノは種からは育ちません。ですから野鳥が運んだ種で育った桜木ではないのです。里人が何十年もかけて苗木を植え、周囲の雑草を刈って育てたのです。その上、山の形や雑木林のたたずまいに調和するように配置して植えたのです。山里...「山に咲く桜を探して秘境、檜原村に分け入った思い出」
2024/04/29 16:15
「今日は都立野川公園まで行って来ました」
都立武蔵野公園を根気良く東へ行き、都立野川公園まで行って来ました。野川公園は遠いのでたまにしか行きません。今日は新緑が綺麗なので遠方まで行って来ました。爽快な気持ちになりました。写真は都立野川公園の西口付近の風景です。野川公園の東西を東八道路が横切り、その北側を野川が西から東に流れています。この公園には武蔵野の雑木林が多く残っています。「今日は都立野川公園まで行って来ました」
2024/04/29 15:35
「庭の卯の花の写真をお送り致します」
今年も庭の卯の花の咲く季節になりました。この花を見ると、卯の花の匂う垣根に…という歌を小声で唄います。良い季節です。『夏は来ぬ』卯の花の匂う垣根に時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に早乙女が裳裾(もすそ)ぬらして玉苗(たまなえ)植うる夏は来ぬ『夏は来ぬ』は、作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助により1896年に発表されました。「庭の卯の花の写真をお送り致します」
2024/04/29 09:30
「花々が咲く季節、日本人が好きな花のランキング」
花々が咲く季節になりました。良い季節です。うちの狭い庭にも10種以上の花が咲いています。花の好きな家内が植えた草花です。そこで日本人が好きな花は何か考えてみました。日本人が好きな花のランキングを調べてみました。そしたらNHKの放送文化研究所の調査を見つけました。2007年に全国300地点、16歳以上の国民3,600人を対象に今の日本人が好きだと感じているものの調査です。好きな花ベスト20のランクです。ランクの高い順に示します。桜、チューリップ、ばら、コスモス、ひまわり、梅、らん、すずらん、ゆり、あじさい、カーネーション、すみれ、朝顔、菊、シクラメン、つつじ、すいせん、菜の花、ふじ、桃でした。こういう統計では桜が必ず1位になるのが特徴です。前の1983年と比較すると順位の変化もさることながら、桜以外の花が好...「花々が咲く季節、日本人が好きな花のランキング」
2024/04/29 09:23
「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」
今日は初夏の晴天の日のようでした。隣町まで足をのばし栗山公園と東小金井駅まで行って来ました。栗山公園と東小金井駅の写真です。「今日の散歩、隣町の栗山公園と東小金井駅まで行って来ました」
2024/04/28 15:45
「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」
カトリック幟町教会の今日の復活節第5主日のミサにあずかりました。カトリック幟町教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第5主日のミサは広島市のカトリック幟町教会からの動画配信であずかりました」
2024/04/28 11:59
「2024年4月28日 復活節第5主日のミサ動画配信」
2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信です。広島市のカトリック幟町教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/@noborichoです。第1朗読使徒言行録9章26~31節第2朗読ヨハネの手紙一3章18~24節福音朗読ヨハネによる福音書15章1~8節添付の写真は広島市のカトリック幟町教会です。広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「2024年4月28日復活節第5主日のミサ動画配信」
2024/04/28 09:58
「旧懐の情にかられて国分寺駅界隈を歩く」
アメリカ留学から帰国して直後の1961年に国分寺駅の南口を出た住宅街のアパートに住んでいました。1年間ばかりでした。それから小金井に家を作り住んでいます。今日は旧懐の情にかられて国分寺駅界隈を歩いてきました。昔住んでいたアパートは消えていました。新しアパートが並んで昔の面影がありませんでした。あまりにも古い老人の散歩でした。1番目の写真は国分寺駅の南口です。2番目の写真は国分寺駅のホームの風景です。ここから本郷の東大に毎日通勤しました。3番目の写真は現在の国分寺駅の商店街です。当時は商店が一切無くて貧し気な通路があるだけでした。4番目の写真は国分寺市の郊外にある武蔵国分寺の脇にある水路です。ここだけは昔のままです。「旧懐の情にかられて国分寺駅界隈を歩く」
2024/04/27 16:28
「北海道にあった幻のまちキラク」
北海道の東部の野付半島の近くにキラクという幻のまちがありました。それを説明した文章をご紹介致します。https://kai-hokkaido.com/feature_vol44_episode1/にあります。「幻のまちキラク」知床半島と根室半島のちょうど中間あたりに、地図上で見ると釣り針のような形をした全長28km、日本最大の砂嘴、野付半島がある。ドドワラ・ナラワラの特異な景観、水と緑と野生鳥獣、湾内に生息するホッカイシマエビの打瀬舟漁などの風景は多くの観光客を魅了している。今でこそ人けのない荒涼としたこの半島に、かつては人々の喧騒が存在したという言い伝えが残っている。昭和39(1964)年に北海道大学探検部が行った調査報告書によると、「地元の人々にキラク町と呼ばれている場所ある。キラクの由来は気が楽にな...「北海道にあった幻のまちキラク」
2024/04/27 12:09
「世界遺産の知床半島周辺の美しい風景写真」
道東の知床半島は世界遺産に登録されている国立公園です。知床半島周辺の美しい風景は知床五湖、オシンコシンやカムイワッカの滝、夕陽の綺麗なプユニ岬、秘境感満載の羅臼湖などがあります。ここでは、イワウベツ川、知床五湖、オシンコシンの滝、羅臼湖・三の沼の順に写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.pixpot.net/al_lists/dview/117/hokkaido-spです。夏になると知床半島に美しい花々が咲きます。その写真もお送り致します。写真は「知床半島に咲く花々」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「世界遺産の知床半島周辺の美しい風景写真」
2024/04/27 09:42
「ロマン溢れる北海道!大通り公園 、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真」
北海道は多くの日本人が憧れている土地です。西洋の文化が少し混じったロマン溢れる所です。そんな北海道に憧れて私は何度も旅しました。今日はロマン溢れる北海道を写真でご紹介いたします。札幌の大通り公園、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真です。札幌もロマン溢れる都市です。まず中心にある大通り公園が四季を通じて楽しい場所なのです。その広大な大通り公園のそばには北海道大学の植物園がありますその近くには明治を偲ばせるレンガ建ての道庁があります。北海道大学の有名なポプラ並木もロマンチックです。郊外には手稲山ジャンプ台があり眺望絶佳です。さらに札幌の郊外には開拓村があります。北海道の開拓の歴史を展示しています。それでは大通り公園、北大ポプラ並木、植物園、開拓村の写真を順に示しましょう。大分部は私どもが撮った写真です。1番...「ロマン溢れる北海道!大通り公園、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真」
2024/04/27 09:33
「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」
昔、下村湖人の書いた『次郎物語』読んで感動しました。しかし内容の具体的なことは忘れました。小金井市には下村湖人が『次郎物語』を執筆した家があります。市が「浴恩館」と名前をつけて保存し公開しています。その屋敷跡には巨木が茂り大きなツツジが綺麗な花を咲かせています。新宿から開館と同時に移植したツツジです。先程「浴恩館」とツツジと巨木の写真を撮って来ました。その写真をお送り致します。「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」
2024/04/26 15:16
「北海道の野付半島に咲くハマナスと赤い実の写真」
野付半島のトドワラに咲くハマナスと赤い実の写真をお送り致します。背景に16Km沖にある国後島が写っている写真もあります。写真は「野付半島に咲くハマナス」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。「北海道の野付半島に咲くハマナスと赤い実の写真」
2024/04/26 11:52
「写真で巡る上高地の夢幻の美」
何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。早速写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。3番目の写真は田代池の湿地です。バスを入り口の大正池で下車して河童橋まで歩きます。すると田代池の湿地が現れ、しばらくすると帝国ホテルがあります。1番...「写真で巡る上高地の夢幻の美」
2024/04/26 10:38
「写真で巡る北海道の風景」
文章を書くのが面倒です。そこで今日は美しい北海道の風景を写真で示そうと思います。何度も北海道に旅をして自分で撮った写真です。2012年9月に北海道の東部の川湯に3泊し阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖、網走湖、能取湖、そしてオンネトーの湖などの幻想的な美しさを写真撮りました。1番目の写真は阿寒湖です。阿寒湖は国の特別天然記念物の球状のマリモが生きている唯一の湖として有名です。2番目の写真は屈斜路湖です。湖水の周りは原生林が取り囲んでいるので、観光客の入れる場所は和琴半島と、コタンアイヌ民俗資料館のある場所と、砂湯という場所しかありません。3番目の写真は摩周湖です。カルデラの崖の上にある第三展望台から撮った写真です。摩周湖は、北海道弟子屈町にある湖。日本で最も透明度の高い湖です...「写真で巡る北海道の風景」
2024/04/26 09:42
「美しい新緑の木立の風景の写真を撮りに行った」
小金井公園は広々した芝生だけでなく巨木の森もあります。今日は森の中に入り、美しい新緑の木立の風景の写真を撮りました。「美しい新緑の木立の風景の写真を撮りに行った」
2024/04/25 15:46
「今年もナンジャモンジャの並木が咲きました」
年年歳歳ナンジャモンジャの並木が花を咲かせます。近所の並木道です。今年も見事に咲いたので先程撮って来ました。その写真をお送り致します。「今年もナンジャモンジャの並木が咲きました」
2024/04/25 13:43
「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」
お稲荷さんと親しまれている稲荷神社は全国の津々浦々にあります。庶民が信仰し日本人の日々の心の支えになっています。家々の屋敷の中の小さな祠のお稲荷さんから壮大な稲荷神社までいろいろな規模のものが無数にあります。今日はまず私が撮ったお稲荷さんの写真をご覧下さい。1番目の写真は近所の江戸時代からの大久保家のお稲荷さんです。屋敷稲荷を道路に出して皆がお祈り出来るようにしています。2番目の写真は小金井街道に面した大松の下の稲荷神社です。3番目の写真は小金井市で一番大きな八重垣稲荷神社です。元禄13年に渡辺家の邸内に建てられました。渡辺家は代々神官の家だったので祠ではなく神社のような構造になっています。訪ねてみると樹々が鬱蒼と生い茂り何故か怖いような、そして神秘的なお稲荷さんです。渡辺家の家屋敷は無くなっていて八重垣...「日本人の心の支えとしてのお稲荷さん信仰」
2024/04/25 09:44
「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」
都会に生まれ育った人でも故郷というものに憧れを持っています。そうして農村風景をあたかも自分の故郷の心象風景として心の底に大切に持っています。そうでない人もいますが、多くの日本人は故郷の心象風景を持っているのです。私の農村の風景に憧れています。それは美しい日本の原風景です。今日はそんな故郷の心象風景にピッタリの宮崎県の椎葉村をご紹介いたします。家屋が美しいので国の重要文化財に指定されています。椎葉村は険しい山地で急な斜面に点々と集落が存在しています。椎葉村は壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が落ち延びた場所なのです。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が襲って来ますが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め引き揚げます。那須大八郎宗久が椎葉に滞在中に侍女の鶴富が娘を生みます。この娘に後に婿を娶...「日本人の魂を揺さぶる椎葉村の風景」
2024/04/25 09:13
「ライラックの花の写真」
ライラックの花の写真です。写真の出典は、https://www.accespourtous.org/hanakotoba/h048.htmlです。「ライラックの花の写真」
2024/04/24 19:19
「平安時代に創建された松島の瑞巌寺」
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。「平安時代に創建された松島の瑞巌寺」
2024/04/24 16:02
「小金井公園の花々もいきいきと咲いています」
気温が高くなって花々もいきいきとなってきました。「小金井公園の花々もいきいきと咲いています」
2024/04/24 13:29
「霞ヶ浦と私のヨットの写真」
私は50歳の時に趣味として霞ヶ浦でヨットを始めました。今日はそんなヨットの趣味の写真をご紹介いたします。1番目の写真は「あけび号」の姿です。50歳の頃琵琶湖から霞ヶ浦へ陸送して来た中古のYAMAHA19です。10年間乗りました。長い舵とヤマハ5馬力の船外機がついています。2番目の写真はYAMAHA19を陸揚げした姿です。ヨットの構造で一番重要なのは船底から下へ伸びているキールです。厚い鉄製で船体の重さの40%位もあります。これで船は疾走中に横倒しになるのを防いでいます。3番目の写真は60歳の頃買った長さ26フィートのルナ3世です。長さのわりに大きなキャビンがついていて炊事用の2口コンロ、調理台、流しがついていました。霞ヶ浦であるお医者から中古を買いました。このヨットには75歳まで乗りました。4番目の写真は...「霞ヶ浦と私のヨットの写真」
2024/04/24 11:21
「今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸のこと」
ヨットの趣味は50歳の頃から始めました。大学時代の友人の星野君がすすめてくれたのです。彼は猪苗代湖で大型ヨットのクルーザーに乗っていました。私も中古のクルーザーを買い霞ヶ浦で乗り始めました。その頃、星野君が横浜に係留展示してある帆船日本丸をよく見学して帆走の勉強をしろと言ったのです。以下は今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸の訪問記です。星野君に感謝しながら書きました。横浜の「みなと未来」に係留し一般公開している大型帆船日本丸は現役の帆船です。今でもたまに東京湾に出て帆走しています。以前何度か訪れて撮った写真でこの帆船をご紹介します。帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに昭和3年の第55帝国議会で予算案が可決し、英国のリース市のラメージ&ファーガソン社へ発注されました。ラメージ&ファーガソン社は設計と鋼材の...「今は亡き星野君が教えてくれた帆船日本丸のこと」
2024/04/24 10:37
「懐かしい仙台市の長徳寺、大満寺、大年寺の写真」
私は昭和11年に生まれ24歳まで仙台の向山に住んでいました。向山には三つのお寺があります。長徳寺、大満寺、大年寺です。懐かしいので長徳寺、大満寺、大年寺の写真を示します。1番目の写真は向山から見下ろした仙台市の中心街です。2番目の写真は長徳寺の門です。3番目の写真は長徳寺の本堂です。4番目の写真は大満寺です。5番目の写真は大満寺の虚空蔵堂です。6番目の写真は大年寺です。「懐かしい仙台市の長徳寺、大満寺、大年寺の写真」
2024/04/23 11:00
「春の箱根、彫刻の森、湿生植物花園、富士屋ホテルの思い出」
春が来ました。野山が陽光を浴びて美しく輝いてます。小さな旅に出たくなります。そんな折には箱根がお薦めです。箱根には首都圏から小田急のロマンスカーで湯本に入ります。登山電車で強羅、そこからケーブルカーで芦ノ湖の桃源台へ行けます。船で芦ノ湖を渡って箱根町に行きます。箱根には幾つかの美術館、レストランやホテルが沢山あります。今日は何度も旅した箱根のいろいろな所から強羅の彫刻の森美術館と仙石原の湿生植物花園と宮ノ下の富士屋ホテルの3ヶ所を選んでご紹介したいと思います。写真は全て私共の撮ったものです。(1)強羅の彫刻の森美術館強羅の彫刻の森美術館は広い芝生の上に大きな彫刻が飾ってあります。その光景は感動的です。この彫刻の森美術館は長野県の美が原にある美ケ原高原美術館と姉妹館です。さて箱根の彫刻の森の展示内容をご紹介...「春の箱根、彫刻の森、湿生植物花園、富士屋ホテルの思い出」
2024/04/23 09:54
「我が町でただ一人の有名人の小金井小次郎の墓と俠客の世界」
先程、小金井小次郎の墓の写真を撮って来ました。小次郎は我が町、小金井市でただ一人の有名人です。まずお墓のある西念寺の写真です。1番目の写真は小金井市にある西念寺です。小金井市には昔、小金井小次郎という侠客がいました。武蔵と相模にわたる縄張りに数千人の子分を擁していたのです。2番目の写真は小金井次郎の記念碑です。西念寺にあります。3番目の写真は小金井次郎の記念碑の角石に刻まれた組代々の総長の名前です。小金井小次郎(1818~1881年)は幕末・明治の俠客でした。武蔵小金井の名主、関勘右衛門の次男でした。明治に刊行された戯作「落花清風慶応水滸伝」で有名になった俠客です。小次郎は、博打で三宅島流しになり、明治のご赦免で帰還します。しかし三宅島の貧乏な人々に同情し、有志を集め再度三宅島に渡り井戸を掘ったり農業や牧...「我が町でただ一人の有名人の小金井小次郎の墓と俠客の世界」
2024/04/22 16:41
「ドイツ人の誇りのシュパチーレンの趣味」
皆様は近所を散歩なさいますか?公園を散歩しますか?昔ドイツに住んでいたとき驚きの光景を見ました。ドイツ人は襟の小さい背広にネクタイを締めた姿で森の中を真面目な顔をして歩くのです。これをドイツ語でシュパチーレンと言ってドイツ人が誇りに思っている趣味なのです。郊外の森や葡萄畑の中にシュパチーレン専用の道が続いています。正装した男たちや夫婦が無言で歩くので静かです。今日は平凡な散歩の趣味について書いてみようと思います。さてその前に散歩以外の趣味のいろいろを見回してみましょう。本当に色々あります。海を帆走するヨットの趣味や、登山などの趣味は厳しさがあり克己心を必要とします。猟犬とともに銃を担ぎ人跡まれな山に入り彷徨する趣味もあります。老境が近づいても大型バイクに乗って山郷の山岳ロードを走る趣味もあります。一方、文...「ドイツ人の誇りのシュパチーレンの趣味」
2024/04/22 13:38
「ドイツの黒い森で育つ野生のルピナス」
昔に南ドイツのシュツットガルトに住んでいました。西側には黒い森があります。郊外の草原をよく散歩したものです。そこにはルピナスが一面に咲いていました。懐かしい光景です。インターネットに「ドイツの黒い森で育つ野生のルピナス」という写真集があります。(ドイツの黒い森で育つ野生のルピナス-ルピナスのストックフォトや画像を多数ご用意-ルピナス,花,ルピナスブルーボネット-iStock(istockphoto.com))4枚の写真をお借りしてお送り致します。「ドイツの黒い森で育つ野生のルピナス」
2024/04/22 13:20
「ドイツ留学で受けた影響」
老境に至って自分の人生を振り返ると、外国への留学で深い影響を受けたことをつくずく思います。以前に「若い時のアメリカ留学で私の受けた影響」という記事を書きました。留学のおかげで私はアメリカが大好きになりました。アメリカ留学は24歳から26歳まででしたが、34歳のときドイツに留学し、今度はドイツにも魅了されました。外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景写真と隣町のバンベルグのをご紹介しましょう。1番目の写真はローテンブルグの夜の風景です。写真の出典は、https://beautiful-photo.net/medieval-town-of-rothenburg-ob-…...「ドイツ留学で受けた影響」
2024/04/22 11:31
「日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟」
日本は1945年8月15日に米英連合軍に無条件降伏をしました。日本の津々浦々は米英連合軍に占領されます。日本の歴史開闢以来の出来事です。この破滅を招いたものの一つは日独伊三国同盟でした。今日は日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟が結ばれた歴史を簡略に書いてみたいと思います。日独伊三国同盟は、1940年(昭和15年)9月27日にベルリンの総統官邸で調印された日本、ドイツ、イタリアの軍事同盟です。日独伊三国間条約の始まりは1936年(昭和11年)の日独防共協定でした。続いて1937年(昭和12年)には日独伊防共協定が出来ました。三国の協力関係が具体的に明記され、アジアにおける日本の指導的地位及びヨーロッパにおける独伊の指導的地位の相互確認をしたのです。これで調印国いずれか1か国が他国から攻撃を受けた場合に相互に援...「日本の破滅へ導いた日独伊三国同盟」
2024/04/22 09:28
「カトリック」と「プロテスタント」の違いの実に分かりやすい説明
「カトリック」と「プロテスタント」の違いの実に分かりやすい説明を見つけましました。感動したので転写致します。上馬キリスト教会ツイッター、https://diamond.jp/articles/-/305015よりの転写。「カトリック」と「プロテスタント」の違いを説明できますか?「キリスト教」には、じつに多くの「教派」があります。最も多くの方が知っている教派は、何といっても「プロテスタント」と「カトリック」でしょう(もう一つ、日本ではあまり知られていませんが「正教会」という大きな教派もあります)。「教派」はこうして分かれていった大ざっぱに説明してみます。始まりは、イエス様とその弟子たちが建てた「キリスト教」です。後にキリスト教はローマ帝国の国教になりましたが、このローマ帝国が東西に分裂。そのため、教会も東西...「カトリック」と「プロテスタント」の違いの実に分かりやすい説明
2024/04/21 16:18
「今日の復活節第4主日のミサはイグナチオ教会からの動画配信であずかりました」
イグナチオ教会の今日の復活節第4主日のミサにあずかりました。イグナチオ教会のミサの風景写真をお送り致します。「今日の復活節第4主日のミサはイグナチオ教会からの動画配信であずかりました」
2024/04/21 11:46
「2024年4月21日 復活節第4主日のミサ動画配信,」
2024年4月21日復活節第4主日のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=Ozkbr1RTngYです。司式はデニ神父です。「2024年4月21日復活節第4主日のミサ動画配信,」
2024/04/21 09:16
「日本の神社信仰の風景」
今日は日曜日です。みなさまお元気でしょうか。日曜日には宗教に関する記事を書くことにしています。そこで今日は日本人と神社とのかかわりについてスケッチ風に描いてみたいと思っています。日本人なら幼少の頃、神社の境内で遊んだ事があると思います。そこはいつ行っても清潔で、子供が遊び回っても叱られない自由な空間です。特に神主さんが住んで居ない神社は蝉取りをしようが、野球をしようが誰にも叱られません。祭礼の日になると日頃の腕白ぶりをやめ、何事も無かったように楽しく出店を見て楽しみました。その恩返しに元旦にお賽銭を持ってお参りに行ったものです。老年になった現在でも神社を見ると入って行ってお賽銭を上げます。幼少の頃に遊ばせてくれた恩返しのつもりです。神社や神道は日本古来の宗教です。山や木や、もろもろの神様や偉い人達がご神体...「日本の神社信仰の風景」
2024/04/21 09:13
「藤の花が今年も華麗に咲きました」
小金井公園には長い藤棚があります。藤の花が咲くと毎年写真を撮りに行く藤棚です。先ほど今年の藤の花の写真を撮って来ました。美しい藤の花をご覧ください。「藤の花が今年も華麗に咲きました」
2024/04/20 16:09
「ヨットの趣味のおかげで金持ちを差別しなくなった!」
私は50歳で小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットを山小屋の名と同じあけび号と命名しました。家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真はその時の様子です。1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。霞ヶ浦で元気に活躍していました。2番目の写真は群馬県のカヤシマさんに...「ヨットの趣味のおかげで金持ちを差別しなくなった!」
2024/04/20 12:51
「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」
昨日の記事は、「私の人生の一番大きな出来事はオハイオ留学だった!」というものでした。しかし考えてみると人生での大きな出来事は他にもいろいろあります。今日は、「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」という記事を書きたいと思います。しかし差し障りがある書きにくい話題です。あまり深刻に考えないで軽い気持ちで書きながします。私は見合い結婚をしました。幸運にもいろいろな点で良い女性と一緒になりました。優しくて賢い女性です。しかし女としてのあまり尊敬出来ない特徴も持っています。このように抽象的に書くと何や何だか分かりません。そこで具体的に書きます。妻は戦前に鎌倉で生まれ鎌倉の幼稚園と小学校に行きました。群馬県の下仁田に疎開しその後は東京に戻り青山短期大学と国学院大学を卒業しました。日本文学をよく知っており特に源氏...「私の人生の一番大きな出来事は結婚だった!」
2024/04/20 09:02
「ウグイスが鳴く武蔵野公園まで散歩」
久しぶりにウグイスの鳴声を聞きながら散歩をしました。以前は自宅の庭木によく来て鳴いていたものです。家々が立て込んでから来なくなりました。本物の春に遭ったような気分になりました。「ウグイスが鳴く武蔵野公園まで散歩」
2024/04/19 16:37
「オハイオ州の風景写真」
オハイオ州には昔アジアから移住した原住民が住んでいました、オハイオインデアンです。その原住民の墳墓の写真を示します。1番目の写真は先史時代のインディアンの墳墓です。先史時代のインディアンたちは、紀元前からオハイオに巨大な墳墓群を築き、「マウンド・ビルダー」と呼ばれtています。数多くの墳墓遺跡が残っているんのです。現在のオハイオ州には3つの都市があります。エリー湖のそばのクリーブランドと首都のコロンバスと南のシンシナティです。オハイオ州は、エリー湖に面していて、接している各州とは主要高速道路によって接続されています。オハイオ州の南部境界はオハイオ川によって区切られ、北部境界の大部分はエリー湖によって区切られています。東にはペンシルベニア州、北部はエリー湖です。西部はインディアナ州で南部でケンタッキー州です。...「オハイオ州の風景写真」
2024/04/19 12:41
「オハイオ州の州花は真紅のカーネーション」
オハイオ州には通算、4年間住んでいました。懐かしい州なのでその州花の真紅のカーネーションの写真をお送りいたします。他の色のカーネーションの写真も添えました。写真は「カーネーションの花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。「オハイオ州の州花は真紅のカーネーション」
2024/04/19 11:32
「オハイオ州の紅葉の写真と思い出」
オハイオ州はアメリカ中西部にあり北側にはエリー湖があり南はケンタッキー州です。首都はコロンバス市です。学生数が6万人近い巨大な州立大学があります。私は1960年から1962年までと1988年から1990までの通算4年間この大学に留学したり教えていました。高い建物はコロンバス市の中心街にありました。そのディッシュラー・ヒルトンホテルで1961年に結婚披露宴をしました。コロンバス市にはサイオート河とオレンタンジー河が流れていてケンタッキー州へ流れ下りミシシッピーの大河へ合流します。老人になった私は今更ながら若い時のアメリカ留学の影響の深さを感じています。そんな思い出を懐かしながらオハイオ州の紅葉の写真を4枚お送り致します。写真の出典は下記です。https://ja.traasgpu.com/%E5%8C%97...「オハイオ州の紅葉の写真と思い出」
2024/04/19 11:06
「私の人生の一番大きな出来事ははオハイオ留学だった!」
老人ボケになると同じことを繰り返し書きます。今日も同じことを書きます。我が人生の一番大きな出来事を考えてみますとやはりオハイオへの留学だったと思います。若かった私は「青雲の志を抱いて郷関をいづる」の文字通うりアメリカのオハイオ州立大学へ留学したのです。まだ戦後の貧しさのあった1960年でした。オハイオで迎えてくれたのがセント・ピエール教授でした。1番目の写真の右がセント・ピエール教授です。オハイオ州立大学での勉強は想像以上に厳しいものでした。それでも1962年の8月には、DoctorofPhilosophy、博士の学位記を手にすることが出来たのです。「青雲の志を抱いて郷関を出づる」は高校の漢文の時間に習いました。漢文の先生は情熱的にいろいろな漢詩を朗読しながら教えてくれたのです。若い私はこの言葉を人生の道...「私の人生の一番大きな出来事ははオハイオ留学だった!」
2024/04/19 11:00
「今日の小金井公園の風景」
今日は曇り日です。午後の散歩として小金井公園まで行って来ました。公園には人陰も無く静かです。良い気分で散策しました。今日の小金井公園の風景写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」
2024/04/18 15:53
「美しい西伊豆の風景写真」
プロが撮った美しい西伊豆の風景写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/210000/211400/g1_22/です。1番目の写真は御浜岬です。戸田港口を弓形に海に突き出した半島で、松やイヌマキが繁茂しています。又花は6月スカシユリ、7・8月ハマユウ、10月ツワブキが群生し開花します。2番目の写真は浮島海岸です。砂浜半分・磯半分で波は多少荒いが磯遊びによく、景観に優れています。2018年4月に世界認定された伊豆半島ジオパークならではの自然の造形を見ることがでます。真ん中に穴が開いている海に突き出した岩を三ツ足と呼んでいます。3番目の写真は大浜海水浴場(静岡県西伊豆町)です。西伊豆の中でも、比較的ゆったりと楽しめる海水浴場です。浜辺で混み合うこともなく、約...「美しい西伊豆の風景写真」
2024/04/18 13:18
「伊豆半島の最南端の「ヒリゾ浜」と西伊豆の「堂ヶ島天窓洞」の絶景」
伊豆半島の2ケ所の絶景写真をお送り致します。1番目の写真は伊豆の最南端にある「ヒリゾ浜」です。南国のリゾート地のような美しい海岸です。あたりは国立公園で手つかずの自然がたくさん残っています。2番目の写真は西伊豆町にある「堂ヶ島天窓洞」です。国の天然記念物に指定されています。「青の洞窟」としても有名で、神秘的な洞窟内を探索できる「洞くつめぐり遊覧船」の体験がおすすめです。「伊豆半島の最南端の「ヒリゾ浜」と西伊豆の「堂ヶ島天窓洞」の絶景」
2024/04/18 10:18
「大好きな観光地の西伊豆の魅力、三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎」
人それぞれ好きな観光地があります。風景が良く食べ物が美味しい観光地は魅力があります。そのうえ交通が便利なわりにはお客があまりいなくて静かな所なら最高です。今日は私が大好きな観光地をご紹介したいと思います。西伊豆の三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎をご紹介致します。伊豆半島の西側は鉄道も無く、その上道路が細くて不便です。東京からの観光客もあまり行来ません。おおげさに言えば陸の孤島です。しかし西伊豆は景色も良く温泉も良いのです。そんな訳で私は西伊豆には何度か旅をしました。そこには美津、戸田、土肥、安良里、田子、堂ケ島、松崎、妻良という美しい所が連なっています。西伊豆には沼津から入り海岸沿いに南下します。西伊豆の魅力を私どもが撮った写真でご紹介いたします。1番目の写真は駿河湾に面した美津浜から見た富士山です。西伊...「大好きな観光地の西伊豆の魅力、三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎」
2024/04/18 09:30
「新緑と遅咲きの桜の競演」
新緑が美しい季節になりました。遅咲きの桜も競演です。今日の午後小金井公園で撮った写真です。「新緑と遅咲きの桜の競演」
2024/04/17 19:42
「なにやらドラマチックな雲の姿の写真を撮りに行った」
雲の姿がドラマチックなので、空が広く見える小金井公園まで行って雲の写真を撮って来ました。「なにやらドラマチックな雲の姿の写真を撮りに行った」
2024/04/17 16:33
「懐かしい仙台の山、泉ケ岳」
仙台からよく見える山です。標高1,175メートルcです。これまで何度か爆発を繰り返したと火山です。溢れ出た溶岩流が南側の山腹に三つの段丘を作っています。私も中学時代に登りました。汗をかき苦しい登山でした。しかし頂上からの眺めは雄大で、仙台市街、から仙台湾の海まで見渡せました。「懐かしい仙台の山、泉ケ岳」
2024/04/17 13:38
「故郷の山、懐かしい蔵王山に咲く花」
昔何度も登った蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493です。1番目の写真はハクサンイチゲです。2番目の写真はシラネアオイです。3番目の写真はユキワリコザクラです。4番目の写真はミヤマオダマキです。「故郷の山、懐かしい蔵王山に咲く花」
2024/04/17 12:55
「老人は思い出だけで生きている、何故国際政治に関心が無いのか」
毎日ブログに記事を書くのが私の日課です。書く話題は昔の友人の思い出や以前の旅のことが多くなります。老人は思い出だけで生きているのです。すると妻が言います。「思い出ばかり書いていないで日本の社会問題や国際政治のことを書きなさい」と言います。ごもっともです。しかし素人の生半可な知識で社会問題や国際政治のことを書いても誰も読んでくれません。そんな問題を取り上げた日のアクセス数は非常に少なくなります。これに反して季節の花の写真や友人の思い出を掲載するとアクセス数が多くなります。毎日平均1000くらいになります。1000人くらいの方々が毎日この拙いブログを読んでくださるのです。感謝に堪えません。有難うございます。そんな訳で今日の旅の思い出を書きます。四季折々登った蔵王山の思い出です。仙台に住んでいたので私は何度も蔵...「老人は思い出だけで生きている、何故国際政治に関心が無いのか」
2024/04/17 10:20
「消息不明の高校時代の2人の友人の思い出」
仙台一高時代の私の2人の友人の思い出です。友人の野田君はフルートを吹いていました。戦後のバラック建ての暗い彼の家の中で何度か美しいフルートの音色を聞かせてくれました。ガランとして貧しそうな家の中に澄んだフルートの音が響き渡ります。母子家庭だった彼の母は働いていたので家にはいつも誰もいませんでした。細く揺れ響くフルートの曲目を聞くとバッハの「トッカータとフーガ」だと言います。野田君は色の白い小柄な少年でした。無口で控え目な性格でした。その野田君とは高校卒業以来二度と会えません。消息不明なのです。どんな人生を送ったのでしょうか。「トッカータとフーガ」のオルガン曲を聞くたびに野田君の事を思い出します。暗いバラック建ての家に響いたフルートの音をありありと思い出すのです。もうひとりの友人は皆川君です。彼はフランスの...「消息不明の高校時代の2人の友人の思い出」
2024/04/16 13:03
「仙台の愛宕中学校の友人たちの思い出」
2012年10月に仙台市愛宕中学校の第二回生の同窓会が秋保温泉でありました。私は卒業以来61年目に初めて仙台の同窓会に出席しました。若くして仙台を出てアメリカへ留学した私はそれ以来61年間仙台の中学校の同窓会へは不義理を重ねてきました。今回をもって最後にしますという案内状に誘われて出席しました。61年目に再会した懐かしい友人が皆笑顔で迎えてくれたのです。その折に幹事が配った名簿に物故者の名簿がありました。分かっているだけでも既に76名もの人が旅立っていたのです。2回生は全部で350人でした。その中に一緒に遊んだ友だちが数人もいたのです。亡くなったことも知らなかった私でした。長い間疎遠にしていた私のお詫びとして以下の追悼文をお送りいたします。まず萩生田啓一君へ私の疎遠をお詫びします。君の家にはしょっちゅう遊...「仙台の愛宕中学校の友人たちの思い出」
2024/04/16 11:14
「旅立ってしまった親友、近藤君の思い出」
3年前に亡くなった近藤達男君は仙台の大学時代の同級生でした。何事にも情熱的で夢多いロマンチストでした。大学の赤レンガの建物の屋上で私が撮った近藤君の学生服の姿の写真を思い出します。やがて卒業し就職しました。東海村の日本原子力研究所で金属の腐食の研究を始めました。私は何度か東海村の近藤君の所に遊びに行きました。新婚だった彼の家に泊ったこともありました。1番目の写真は東海村の原子力研究所の現在の風景です。原子力研究所は昭和31年6月に発足しました。発足当時は小さな研究所が茨城県の農村にポツンとありました。私は昭和34年に2週間の原子力研究所の研修に参加しいました。原子力発電機の運転を体験したのです。近藤君の実家は千葉県の飯岡にありました。私はそこへも遊びに行きました。2番目の写真は千葉県の飯岡の現在の風景です...「旅立ってしまった親友、近藤君の思い出」
2024/04/16 09:15
「名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行った」
名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行って来ました。小金井カントリークラブは1937年に高石真五郎氏が初代理事長に就任し開場しました。戦前から東京の上流階級の人がプレイした名門ゴルフ場です。先程行って写真を撮って来ました。広々して気持ちの良い場所です。「名門小金井カントリークラブの写真を撮りに行った」
2024/04/15 15:09
「大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真」
大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。私は38年前の50歳の時、趣味としてヨットを始めました。始めは江の島のヨットスクールと葉山マリーナでデンギィの操船方法を1年間ほど習いました。その後、故人になってしま大友君や星野君とよく葉山の海でヨットに乗ったものです。懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。「大友君や星野君とヨットに乗った懐かしい葉山マリーナの写真」
2024/04/15 12:56
「親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真」
親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真です。1番目の写真は大友君が作っていたジェットエンジンです。2番目の写真は石川島播磨重工の呉造船所の写真です。3番目の写真は石川島播磨重工の本社の写真です。「親友の大友君が働いていた石川島播磨重工の写真」
2024/04/15 10:20
「富士山で遭難死した大友君の思い出」
あれは茫々60年前の1958年に、我々は東北大学工学部金属工学科を卒業しました。その同級生に大友暁君がいました。高校時代と大学時代の親友でした。数年前に富士山に登り下山途中に遭難し死んでしまいました。今日は親友だった大友君の思い出を書きたと思います。まず大友君が写っている写真です。数年前に大学の同級生7名が出席した昼食会の写真です。1番目の写真は数年前に大学の同級生7名が出席した昼食会の写真です。大友君は左から2人目の眼鏡をかけた人です。この元気な大友君は2018年の秋に富士山に登り帰路行方不明になりました。まだ遺体は見つかっていません。大友君と最後に遊んだのは2010年の10月28日でした。当時、私は霞ヶ浦でヨットを係留していました。そのヨットで一緒にセイリングをしたのが最後になりました。その最後のセイ...「富士山で遭難死した大友君の思い出」
2024/04/15 09:24
「遥かな五島列島の5つの天主堂の写真」
五島列島は本当に遠い離れ島です。遥かに憧れて数十年、やっと2泊3日の旅で訪れることが出来ました。3日間、観光バスで五島列島の険しい山々を越えて岬と岬の間にある小さな集落を幾つも巡り5つのカトリック教会を訪ねました。五島列島には全部で50ケ所のカトリック教会がありますので、訪問したところはそのほんの一部にすぎません。今日は訪れた5つの教会の家内が撮った写真をお送り致します。1番目の写とは2番目の写真は井持浦天主堂です。3番目の写真と4番目の写真は堂崎天主堂です。5番目の写真と6番目の写真は青砂ケ浦天主堂です、7番目の写真と8番目の写真は頭ケ島天主堂です。9番目の写真と10番目の写真は中ノ浦天主堂です、たった7万人の住民にた対して50もの教会が存在するのです。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り...「遥かな五島列島の5つの天主堂の写真」
2024/04/14 16:27
「東京のカトリック松原教会の今日のミサの動画配信」
今日は東京のカトリック松原教会の動画配信であずかりました。カトリック松原教会の動画配信は、https://matsubara-cath.chu.jp/ja/です。カトリック松原教会の住所などは下記の通りです。〒156-0043東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009京王線・井の頭線「明大前」駅下車徒歩4分です。ミサの式次第、開祭司祭:父と子と聖霊のみ名によって。会衆:アーメン。回心の祈り、栄光の賛歌、ことばの典礼、感謝の典礼、奉献文、感謝の賛歌、閉祭添付の写真はカトリック松原教会の今日のミサの風景です。「東京のカトリック松原教会の今日のミサの動画配信」
2024/04/14 14:08
「猪苗代湖の湖畔で今は亡き星野君を想う」
長生きしていると友人が次々に旅立って行きます。88歳までの長生きは悲しいことでもあります。亡くなった友人のことをよく思い出します。今日は今は亡き星野君の思い出と猪苗代湖のことも書きたいと思います。さて美しい猪苗代湖にも毎年、白鳥が北国のシベリアから渡って来ます。ある年に白鳥が青い湖に遊んでいる光景を見ました。その向こうに雪の磐梯山が輝いていました。そんな思い出の風景によく似た猪苗代湖と白鳥の写真をお送り致します。1番目の写真は猪苗代湖と白鳥の写真です。(写真の出典は、http://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=01674000752&GroupCD=0&no=です。)この猪苗代湖では何度もヨットでセイリングしたものです。今は亡き星野君と一緒にセイリン...「猪苗代湖の湖畔で今は亡き星野君を想う」
2024/04/14 09:56
「江戸時代の農家の写真を撮りに行った」
小金井公園の一画に「江戸東京たてもの園」があります。そこにある江戸時代の3県軒の農家の写真を撮りに行って来ました。「江戸時代の農家の写真を撮りに行った」
2024/04/13 15:39
「ゴルバチョフ元ソ連大統領は2022年に死す」
以下はゴルバチョフ元ソ連大統領の死亡記事です。2022年8月31日、ByReuters[モスクワ30日ロイター]-東西冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。モスクワの病院関係者が明らかにした。ゴルバチョフ氏は1985年に54歳でソ連共産党書記長に就任。「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」政策でソ連の政治、経済の改革を断行した。米国と軍縮合意を結んだほか、第2次世界大戦後に欧州を分断していた「鉄のカーテン」を開放し東西ドイツ統合を実現するため、西側とのパートナーシップを構築。90年にノーベル平和賞を受賞した。ただ、グラスノスチ政策で以前は考えられなかった党や国家に対する批判が可能になったと同時に、ソ連内の民族主義を刺激。ラトビア、リトアニア、エス...「ゴルバチョフ元ソ連大統領は2022年に死す」
2024/04/13 12:18
「春爛漫の日々に思う悲惨なウクライナの戦乱」
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。しかしウクライナでは悲惨な戦乱が起きています。何故人間は戦争をするのでしょうか。ウクライナでの戦争を考えざるを得ません。少し考えてみました。ウクライナの戦乱を歴史的に考えてみます。ロシアが悪いと非難すべきは明白です。しかし歴史的かつ客観的に考えると別な理解が出てきます。ウクライナの戦乱は旧ソ連の内戦です。旧ソ連の中枢を担ったウクライナとロシア・ベラルーシが対立し戦争になったのです。1991年に旧ソ連が崩壊します。ロシア・ベラルーシは共産主義体制のままですがウクライナは資本主義の国家になってしまったのです。旧ソ連時代にロシアの親友だったウクライナがロシアを裏切ったのです。当然ロシアは怒り心頭です。恥じも外聞のなくウクライナへ軍事侵攻したのです。この経緯を見ると現...「春爛漫の日々に思う悲惨なウクライナの戦乱」
2024/04/13 09:57
「春爛漫の日々、花を描いた名画を楽しもう」
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。何故か心がうきうきします。こんな朝は花を描いた名画を眺めると良いと思います。花を描い美しい絵の写真をお送りいたします。1番目の写真はルドンの「野の花」です。1840年、フランス出身の象徴主義オディロン・ルドンの作です。2番目の写真はルノワールの「花瓶の花」です。3番目の写真はセザンヌ作の「花と果物のある静物」です。4番目の写真はゴッホの「青い花瓶の花」です。今朝は花を描い美しい絵の写真をお送りいたしました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)「春爛漫の日々、花を描いた名画を楽しもう」
2024/04/13 09:24
「今日は武蔵野公園まで散歩しました」
武蔵野公園へ行く道は野川に沿って下って行きます。その道沿いのシダレザクラが華麗に咲いていました。桜は種類によって満開になる時期が違うので3月中旬から4月中旬まで楽しめます。今日のシダレザクラが今年の最後になるのでしょうか。今日のシダレザクラの写真をお送り致します。「今日は武蔵野公園まで散歩しました」
2024/04/12 16:23
「山林の中の小屋の近くの新緑の写真」
小屋は山梨県の西端の甲斐駒岳の麓にあります。その付近の新緑の写真をお送り致します。写真は2008年の5月に撮りました。なお4枚目の写真には家内と息子と幼い頃の3人の孫がが写っています。左の白服が家内でその右が長孫です。その隣が下の孫で黒服の男が息子です。もう一人の孫は右端に写っています。16年前は3人の孫も小さな児でした。時の流れは早いものです。「山林の中の小屋の近くの新緑の写真」
2024/04/12 13:51
「平和な公園を散歩しながら戦争の時代を思い出す」
昨日はのどかな小金井公園を散歩しました。四季折々に散歩します。その秋と春の写真を示します。1番目の写真は去年の秋に撮った小金井公園です。空が秋特有のウロコ雲になっています。2番目の写真は昨日撮った森の中です。ショカツサイの花が静かに咲いていました。こんな風景の公園を散歩していながら私は日本の戦争の時代を思い出すのです。少年の頃の戦争の時代です。強烈な思い出です。昭和11年に私は仙台で生まれました。日本の敗戦までは満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続く戦争の時代でした。私が通った小学校の教室には昭和天皇と皇后のお写真が飾ってありました。以下は日本の敗戦までいたる昭和時代に起きた種々の事件をまとめて示したものです。(1)昭和の戦前期1927年(昭和2年)昭和金融恐慌、東方会議、山東出兵、南京事件。1928年(昭...「平和な公園を散歩しながら戦争の時代を思い出す」
2024/04/12 09:22
「今日の小金井公園の午後の散歩」
今日は巨木の森の中を散歩してきました。森の中にひっそりと花が咲いていました。「今日の小金井公園の午後の散歩」
2024/04/11 16:33
「国立の桜並木とピエトロで昼食」
国立の桜並木を眺めてピエトロで昼食をして来ました。葉桜の並木も良いものです。国立の桜並木を通ってイタリアンレストランのピエトロで昼食です。息子が運転して家内と3人でパスタの食事をしました。息子は孝行息子になりました。「国立の桜並木とピエトロで昼食」
2024/04/11 13:26
「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」
鎌倉時代の後は室町時代と言います。しかし室町幕府の力が弱く、その権力は遠い関東には届きませんでした。関東地方は鎌倉時代の直後からいきなり戦乱の続く戦国時代に突入したのです。その時代に関東地方では数多くの城や砦が作られたのです。現在の東京都にあった城や館は次の通りです。江戸城、御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などなどです。東京都だけでこれだけあるのですから関東地方一円にはもっともっと数多くの城が存在していたのです。今日は世田谷城、八王子城、滝山城、片倉城、渋谷城、江戸城などの石組をご紹介したいと思います。そして我が故郷の仙台城...「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」
2024/04/11 09:05
「サレジオ学院の風景写真を撮りに行った」
サレジオ学院の聖堂のミサに通っていた時期がありました。懐かしいので時々散歩に行きます。先ほど行って写真を撮って来ました。「サレジオ学院の風景写真を撮りに行った」
2024/04/10 16:30
「東北地方の六大祭り」
東北地方の六大祭りを書くと次のようになります。青森県(青森ねぶた祭)七夕祭り灯篭流しが変形して出来たと言われる「青森ねぶた祭」。...秋田県(秋田竿燈まつり)真夏の病魔や邪気を取り払う“ねぶり流し行事”として、長い歴史を持つ「秋田竿燈まつり」。...岩手県(盛岡さんさ踊り)...山形県(山形花笠まつり)...宮城県(仙台七夕まつり)...福島県(福島わらじまつり)さて写真は「青森ねぶた祭」です。「東北地方の六大祭り」
2024/04/10 14:24
1件〜100件
「ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?