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  • 映画「国宝」・制作の皆さんの作品と向き合う真摯な熱意の表れ

    改めて、映画「国宝」を公開初日、実際に鑑賞させて頂いて、そもそも大ヒット祈願など全く必要がない、隙の無い、凄い作品だと、掛け値なしの圧巻でした。美術制作、撮影準備では、数秒も映らない、いや、そもそも映りすらしないところまで、行き届かせようとされる熱意がたくさんにありました。一つ、後半に出てくる喜久雄の仏壇お参りのシーン。お参りに関する作法でも細かいご質問が幾つもありました。実際の映像からは分かりませんが、お参りの際に、喜久雄は座布団を脇に外しています。そのため、お参りが終わって写された仏壇の座布団は、正面からズラされてあるままに置かれているのであります。ここまで丁寧に作法にも細かく気を使われて作られた作品であります。制作の皆さんの作品と向き合う真摯な熱意の表れでもあり、恐らくは、私以外は誰も目を留めないで...映画「国宝」・制作の皆さんの作品と向き合う真摯な熱意の表れ

  • 玄賓僧都と弓削道鏡について

    玄賓(げんぴん)僧都について、改めて拙生の現在進行形の研究との関連で資料をまとめる機会がありました。有り難いご仏縁でした。弓削玄賓と弓削道鏡は、互いに対照的に捉えられる面がありますが、両者共に天皇の護持僧として活躍した優秀な僧侶であったのは間違いありません。いまだに弓削道鏡の後代における悪い評価に引っ張られることが多々ありますが、史実的には全く違っており、藤原氏によって相当に歪められた歴史であると考えられます。蘇我王朝による天皇中心の政治から藤原氏による摂関政治へ・・とにかく、藤原氏(不比等)により、記紀で抹殺された歴史をしっかり見直していく必要性があります。・・資料メモ「玄賓僧都に関わることについて」五十猛(海部家) ━海村雲(初代天皇・神武天皇のモデル・海部王朝)穂屋姫 ━沼川耳(二代目・綏靖天皇)蹈...玄賓僧都と弓削道鏡について

  • 本日、映画「国宝」ジャパンプレミア・舞台挨拶

    本日、#往生院六萬寺がロケ地の一つとなっている#映画国宝のジャパンプレミア・舞台挨拶がありますので、是非、ジャパンプレミアのYouTube配信をご視聴下さいませ。【豪華キャスト&スタッフ集結】映画『国宝』ジャパンプレミア生配信!https://www.youtube.com/live/MD90r754Ahk?feature=shared#吉沢亮#横浜流星#高畑充希#寺島しのぶ#森七菜#見上愛#田中泯#渡辺謙#李相日カンヌ国際映画祭「監督週間」部門選出!6月6日(金)公開となる映画『国宝』のキャスト・スタッフが集結するジャパンプレミアの模様を生配信!◆登壇者◆吉沢亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、森七菜、見上愛、田中泯、渡辺謙、李相日監督(以上予定)【作品情報】公式サイト:kokuhou-movie.co...本日、映画「国宝」ジャパンプレミア・舞台挨拶

  • 法話動画さぼりすぎ・・「空思想・中観思想・唯識思想・二諦説 全て認識論から考えることが大切となる」第74回 仏教ミニ法話 2025年3月6日

    幾つか中観と唯識に関してのご質問を頂いており、法話の動画もこの3/6以来、止まってしまっていますが、また6月にまとめてお答えができればと考えています。「空思想・中観思想・唯識思想・二諦説全て認識論から考えることが大切となる」第74回仏教ミニ法話2025年3月6日https://youtu.be/5vX3YJM_Ul0?feature=shared法話動画さぼりすぎ・・「空思想・中観思想・唯識思想・二諦説全て認識論から考えることが大切となる」第74回仏教ミニ法話2025年3月6日

  • 当ブログについて

    映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を心から御祝い申し上げますhttp://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95189562.html・・当ブログについて当ブログは、公開、非公開を管理人の意思において定期的に行っております。公開、非公開はカテゴリー別において管理しています。そのため、公開も一部のみの限定公開となることが多いです。あしからずご了承下さいませ。現在、ご質問等の個別の対応は控えさせて頂いております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 管理人拝当ブログについて

  • 最近の考察まとめ・出雲関連中心

    西ノ山古墳・幾重もの結界と供養に関しての謎は、一応、この推定にてほぼ解決することになります。記紀に描かれてある神武天皇は実在しませんが、そのモデルはやはり実在し、現在の神武天皇御陵に埋葬されてある者も確実にいらっしゃると考えられるのであります。それが西ノ山古墳から改葬された海村雲命であると考えられるのであります。これでひと段落として、やっと次へ(桜井の鳥見山、帝塚山の杣木への調査)と向かうことになるかどうか・・「海村雲命(大和王国・初代大王説)墳墓説の考察西ノ山古墳の造成時期と改葬時期の検討三種の神器ダイヤモンド結界五芒星結界磐座ダイヤモンド結界饒速日命五十猛命大田田根子命」第62回新シリーズ歴史再考2025年5月6日https://youtu.be/uj65l1yhmxk?feature=shared・...最近の考察まとめ・出雲関連中心

  • 出雲王国の痕跡を記紀から消したことによる祟り

    出雲王国の痕跡を記紀から消したことによる祟りを、政権は常に畏れていた可能性がやはりあると言えるのでしょうね、、崇神天皇時代における疫病、祟りも出雲王国にまつわるものとして畏れていたのは、以前にも扱った通りです。記紀、歴史から出雲王国の痕跡を消した大罪から、常に祟りについて気にせざるを得なかったのでしょう。そして、全国に散らばった出雲王国の末裔が、特に南北朝時代から日本の政治に、ある一定、一方の影響力を保ちつつに現代にまで及んでいると考えられるわけです。西ノ山古墳は、まさにその原点的な様相を呈してあると言えるのかもしれません。日本古代史を解明する重要な鍵であると考えておく必要があるでしょう。https://youtu.be/FDgLdiZ8IhQ?feature=shared出雲王国の痕跡を記紀から消したことによる祟り

  • 最強の結界の存在 祟りと供養 西ノ山古墳被葬者再考 三種の神器ダイヤモンド結界 五芒星結界 磐座ダイヤモンド結界 岩瀧山 岩瀧磐座霊畤遺跡 六萬寺 行基 道鏡 橘諸兄 饒速日命 海村雲命 五十猛命

    これまでの西ノ山古墳についての考察を振り返り、被葬者について再考しました。天平の大疫病、祟りと供養。そして、出雲王国と大和王国、その両者との強い関連性。被葬者について一から見直しを進めて参りたいと思います。調査研究を一からやり直します。「最強の結界の存在祟りと供養西ノ山古墳被葬者再考三種の神器ダイヤモンド結界五芒星結界磐座ダイヤモンド結界岩瀧山岩瀧磐座霊畤遺跡六萬寺行基道鏡橘諸兄饒速日命海村雲命五十猛命」第60回新シリーズ歴史再考2025年5月4日https://youtu.be/FDgLdiZ8IhQ?feature=shared最強の結界の存在祟りと供養西ノ山古墳被葬者再考三種の神器ダイヤモンド結界五芒星結界磐座ダイヤモンド結界岩瀧山岩瀧磐座霊畤遺跡六萬寺行基道鏡橘諸兄饒速日命海村雲命五十猛命

  • 東大阪市で銅鐸は見つかるのか? いまだに発見されず 出雲王国の痕跡について再考 磐座信仰 幸の神信仰 神奈備信仰 大和王国 銅鏡 三種の神器ダイヤモンド結界 五芒星結界 磐座ダイヤモンド結界

    東大阪では、まだ銅鐸が見つかっていません。しかし、出雲の痕跡が色濃くあることから、見つかる可能性は高くあります。次回では、西ノ山古墳被葬者についての再考を予定しています。専門家の方から、西ノ山古墳は、後代に改変、改葬された可能性があるのでないかとのご指摘がありました。これは以前に私も指摘していたところでもあります。もしも意図的に大規模改変されていたとしたならば・・「東大阪市で銅鐸は見つかるのか?いまだに発見されず出雲王国の痕跡について再考磐座信仰幸の神信仰神奈備信仰大和王国銅鏡三種の神器ダイヤモンド結界五芒星結界磐座ダイヤモンド結界」第59回新シリーズ歴史再考2025年5月3日https://youtu.be/3I6oVG-pvFY?feature=shared東大阪市で銅鐸は見つかるのか?いまだに発見されず出雲王国の痕跡について再考磐座信仰幸の神信仰神奈備信仰大和王国銅鏡三種の神器ダイヤモンド結界五芒星結界磐座ダイヤモンド結界

  • 船山神社 石田神社 八帖岩

    船山神社は、石田(いわた)神社に対応する。八帖岩が中心になる。全て磐座になる。また、船山神社は、石田神社の岩船伝説とも一致する話となる。石田神社にあった50メートルを超える岩船が、船山に運ばれて、船上の磐座に鎮座されたのかもしれない。船山神社石田神社八帖岩

  • 船上神社 幸神信仰、神奈備信仰、磐座信仰

    正解には船上神社になる。船上神社は、磐座、磐船、大きな石が三体となると、幸神信仰、神奈備信仰、磐座信仰と確定である。船上神社幸神信仰、神奈備信仰、磐座信仰

  • 岩瀧磐座霊畤遺跡再考 神功皇后大嘗祭霊畤 岩瀧山山頂石組みについて 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記

    少し長くなってしまいましたが、岩瀧磐座霊畤遺跡について再考しています。次回は少し話題を変えて、東大阪市と銅鐸について考えてみたいと思います。いまだに東大阪市から銅鐸は見つかっていませんが、もしも見つかるとしたら・・その次には、三種の神器ダイヤモンド結界から引き続いて五芒星結界について検討してみたいと思います。「岩瀧磐座霊畤遺跡再考神功皇后大嘗祭霊畤岩瀧山山頂石組みについて三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第58回新シリーズ歴史再考2025年5月2日https://youtu.be/duwa2arYFzc?si=4uOKI0VDmJ1jlT56岩瀧磐座霊畤遺跡再考神功皇后大嘗祭霊畤岩瀧山山頂石組みについて三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記

  • 額田は、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)に由来

    額田は、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)に由来するのは明らかであろう。応神天皇の子であり、仁徳天皇の兄である。額田寺と母木寺(豊浦町)の辺りは、神功皇后由来からの宮があったと考えられるのである。応神天皇には離宮、実家になるとも言えるのかもしれない。暗峠は、仲哀天皇と神功皇后が、熊襲・三韓征伐へ向かう際、生駒の西畑から、鶏が鳴いたのを合図に生駒山を越えて河内へ入る際、峠に着いてもまだ暗かったことから暗峠と名付けられたと伝わり、この際の鶏に由来する話が幾つも地元で伝承されている。恩母の木の由来も神武東征ではなく、三韓征伐後に応神天皇を産んだ神功皇后にあるとしても全くおかしくない。若江鏡神社の由来、石田神社の由来も含めて、東大阪は神功皇后との濃い縁が窺えるのである。額田は、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)に由来

  • 神功皇后との縁 東大阪

    応神天皇が産まれたのが一説では九州ではなく、豊浦宮、つまり、枚岡神社の西、母木寺の付近(現在の東大阪市豊浦町)とも考えられている。要は、神功皇后の宮があったというわけであり、生駒神南備山本記とも繋がる話である。母木の由来も神武東征ではなく、神功皇后由来であるのが正解なのではないだろうか。ちなみに暗峠の名の由来も神功皇后によるもの。その麓が豊浦である。当然に近くの五條八幡宮もやはり関連はあるのだろう。神功皇后との縁東大阪

  • 御厨天神社に勾玉が埋められてあるかも

    こんな感じか。御厨天神社に勾玉が埋められてあるかも。しかし、裏鬼門に神劔神社もあるとは。。ビンゴかも。神功皇后との関連を精査しなおせば、岩瀧磐座霊畤での神功皇后の天皇即位の更なる裏付けにもなるかもである。また、御厨天神社付近には銅鐸があるのも予測している。御厨天神社に勾玉が埋められてあるかも

  • 御厨天神社には元々は聖徳太子由来の薬師寺というお寺があった

    御厨天神社には元々は聖徳太子由来の薬師寺というお寺があったとか、、聞いたことがなかった、、石田神社付近には神功皇后由来の岩舟があったとも。この辺り一帯には八幡神社が多く点在してあり、若江鏡神社の鏡塚もそうだが神功皇后との縁が深い。八劔神社もそうなのか?ならば勾玉を納めたところも近くにあるのではなかろうか、、若江岩田に、神功皇后由来のミニ三種の神器トライアングルがありそうだな。御厨天神社には元々は聖徳太子由来の薬師寺というお寺があった

  • 次回は、6/1(日)午前8時半から1時間「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」 毎月ついたち 開催堂島浜タワー16階・WowUs

    次回は、6/1(日)午前8時半から1時間になります。堂島浜タワー16階・WowUsテラスにて。ついたち一坐会、定例坐禅会。15分間を2回、坐ります。椅子席もあります。「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」毎月ついたち開催※椅子席もご用意できます次回、日時:令和7年6月1日(日)午前8時半から1時間会場:大阪市北区堂島浜・堂島浜タワー16F「WowUs」(ワオアス)https://wow-us.jp/会場の様子・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/94829987.html大阪メトロ・京阪電鉄「淀屋橋駅」7番出口から徒歩約6分定員:20名・要事前申し込み(※定員になり次第、締め切ります)お布施:お一人2,000円体験参加申し込みは、下記メールアドレスま...次回は、6/1(日)午前8時半から1時間「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」毎月ついたち開催堂島浜タワー16階・WowUs

  • 本日はついたち、一坐会定例坐禅会。堂島浜タワー16階、WowUsにて

    本日はついたち、一坐会定例坐禅会。堂島浜タワー16階、WowUsにて。清々しい気候となり、心地よい風も入り、集中して坐禅することができました。せっかくですので、昨日届きました映画「国宝」のフライヤーをご覧頂きながら、作品との関わりについて少しお話しをさせて頂きました。次回は、6月1日(日)、午前8時半から1時間。坐禅は、15分間を2回になります。宜しくお願い致します。合掌本日はついたち、一坐会定例坐禅会。堂島浜タワー16階、WowUsにて

  • 初代中村鴈治郎さんと往生院六萬寺との縁

    映画「国宝」には、四代目中村鴈治郎さん、本物の歌舞伎役者が、演技指導され、出演もなさっている重みがやはり大きい。大正時代、初代中村鴈治郎さんと往生院六萬寺とは縁があり、小楠公御墓所の階段と近鉄・瓢箪山駅ホームの案内石碑を、初代中村鴈治郎さんからご寄附を頂いている。小楠公役を演じる役者として、楠木正行公に敬意を表されての役作りに向けた強い想いが伝わるエピソードである。役者が役に懸けねばならない大切な気持ちも、吉沢亮さん、横浜流星さんは改めて学ばれて、演技に臨まれたに違いない。・・映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開完成を心から御祝い申し上げます。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95189562.html初代中村鴈治郎さんと往生院六萬寺との縁

  • 東宝さんから特別フライヤー100部とポスターが届きました 映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開

    東宝さんから特別フライヤー100部とポスターが届きました。いよいよ公開間近になりました。映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開。完成を心から御祝い申し上げます。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95189562.html東宝さんから特別フライヤー100部とポスターが届きました映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開

  • 映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げます

    映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げますhttp://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95189562.html映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開カンヌ国際映画祭出品作品原作吉田修一氏監督李相日氏脚本奥寺佐渡子氏音楽原摩利彦氏完成を御祝い申し上げます。特設サイトhttps://kokuhou-movie.com/往生院六萬寺もロケ地の一つになっています。(撮影にあたっては、撮影前に当山全霊位へのご挨拶、読経ご供養、仏事道具への開眼供養・閉眼供養のお勤めをさせて頂いております)http://oujyouin.com/往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。大ヒ...映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げます

  • この宣旨における天皇とは、神功皇后のこと

    生駒神奈備山本記の全般を住吉大神が宣旨した内容であるとしても、岩瀧山で宣したのは、結局のところ仲哀天皇の次の天皇治世についてのことになる。仲哀天皇は崩御しており、応神天皇は産まれたばかりであって、当然にこの宣旨における天皇とは、神功皇后のことを示すことになるのである。少なくとも730年代に成立した住吉大社神代記。日本書紀、古事記とは別に古代史を語る貴重なものであるのには変わりない。この宣旨における天皇とは、神功皇后のこと

  • 神功皇后 最初の女帝天皇としての見直しが今後必要な日本史の一つ

    しかし、明治時代まで神功皇后は歴代天皇に列せられており、唐や宋の文献にも天皇として記録されてあるのに、なぜ歴代から外したのか、、実在性は疑いなく、多くの神社にも祀られており、伝承も確かにあるのに、、少なくとも欠史八代よりも確実である。最初の女帝天皇としての見直しが今後必要な日本史の一つですね。神功皇后最初の女帝天皇としての見直しが今後必要な日本史の一つ

  • 岩瀧磐座霊畤遺跡 神功皇后の大嘗祭霊畤 岩瀧山 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記

    まあ、基本的には住吉大社神代記であるため、大神=住吉大神と考えればよいわけですが、、わざと言い方を変えての何か別の意図も示してある感じもあります。「岩瀧磐座霊畤遺跡神功皇后の大嘗祭霊畤岩瀧山三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第57回新シリーズ歴史再考2025年4月29日https://youtu.be/5wjkjU-_F40?feature=shared岩瀧磐座霊畤遺跡神功皇后の大嘗祭霊畤岩瀧山三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記

  • 楠木正行公を主人公とする歴史小説「人よ、花よ、」を刊行された直木賞作家の今村翔吾さんの講演会

    楠木正行公を主人公とする歴史小説「人よ、花よ、」を刊行された直木賞作家の今村翔吾さんの講演会へ。トークが面白く、人柄が親しみやすい方でありました。講演前に挨拶させて頂きまして、楠木正行と往生院との関係を改めてまとめた次回(10月)の河内ふるさと文化誌「わかくす」への原稿の素稿をお渡しさせて頂きました。楠木正行公を主人公とする歴史小説「人よ、花よ、」を刊行された直木賞作家の今村翔吾さんの講演会

  • 天平大疫病の祟り息災と鎮魂供養・西ノ山古墳被葬者は・・海村雲命?五十猛命?三種の神器ダイヤモンド結界と五芒星結界

    天平大疫病の祟り息災と鎮魂供養。西ノ山古墳の被葬者は、いったいどなたになるのか、、三種の神器ダイヤモンド結界だけではなく、五芒星結界までとなると最初から考察を見直さなければならない。海村雲命?五十猛命?天平大疫病の祟り息災と鎮魂供養・西ノ山古墳被葬者は・・海村雲命?五十猛命?三種の神器ダイヤモンド結界と五芒星結界

  • 「岩瀧山山頂は神功皇后の天皇即位・大嘗祭の霊畤であったのか? 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記」

    膽駒神南備山本記、文脈が読みづらく、大神、神がそれぞれどの神を指すのかが、なかなか分かりづらい・・「岩瀧山山頂は神功皇后の天皇即位・大嘗祭の霊畤であったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第56回新シリーズ歴史再考2025年4月28日https://youtu.be/LNEz0_d-jjA?feature=shared「岩瀧山山頂は神功皇后の天皇即位・大嘗祭の霊畤であったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」

  • 岩瀧山で大嘗祭? 神功皇后の天皇即位はあったのか? 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記

    今回も20分以内で収めました。明治時代まで神功皇后は歴代天皇に列されていましたが、なぜか今は外されてしまっています。三韓征伐から帰国後、仲哀天皇の次の天皇に即位していたのが史実ではないかと考えられます。「岩瀧山で大嘗祭?神功皇后の天皇即位はあったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第55回新シリーズ歴史再考2025年4月27日https://youtu.be/o1z3HSlbIyc?si=0Xd6jilLFtN3MvpH岩瀧山で大嘗祭?神功皇后の天皇即位はあったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記

  • 映画「国宝」

    映画「国宝」無事に完成し、カンヌ映画祭に出品もなされ、完成報告会も開催されました。作品の中の大事な道具の一つに御魂を入れさせて頂いたのでもあります。きっと映像を通じて本物を感じて頂けることでありますでしょう。(もちろん、御魂抜きも致しました)映画「国宝」

  • 三種の神器ダイヤモンド結界、五芒星結界・・

    ダイヤモンド、五芒星。五芒星は特に強い結界を示す。天神社三つと石切劔箭神社、あと一つは不明。まだ組み合わせはあるのかも。修験道、陰陽道。修験道の方であるか、、これもやはり天才、道鏡によるものであろうか、、よほどのものである。西ノ山の被葬者はもっと更に検討を要するか、、三種の神器ダイヤモンド結界、五芒星結界・・

  • 母木村を東大阪市豊浦に比定するならば

    母木村を東大阪市豊浦に比定するならば、孔舎衛坂の戦いは暗峠の西側であったのがやはり正しいということになるだろう。もちろん出雲口伝からは、第一次物部東征になるのだが、、しかし、豊浦あたりからは、出雲勢力が難を逃れようと逃げる際に埋めた銅鐸が見つかってもおかしくはないだろう。母木の由来は、神武東征になる。長髓軍と最初に会戦した孔舎衛坂の戦いに敗戦した際に隠れて難を逃れた木を母木として、その母木のある村を母木邑と言うようになったということであり、その村の寺としてその後に母木寺があったのであろう。「初孔舎衙之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹日、恩如母、時人因号其地、日母木邑、今云飫悶迺奇訛也」「最初の孔舎衙坂の戦いの際に、大樹に隠れて難を逃れた者あり。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。...母木村を東大阪市豊浦に比定するならば

  • 母木の由来

    母木の由来は、神武東征になる。長髓軍と最初に会戦した孔舎衛坂の戦いに敗戦した際に隠れて難を逃れた木を母木として、その母木のある村を母木邑と言うようになったということであり、その村の寺としてその後に母木寺があったのであろう。「初孔舎衙之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹日、恩如母、時人因号其地、日母木邑、今云飫悶迺奇訛也」「最初の孔舎衙坂の戦いの際に、大樹に隠れて難を逃れた者あり。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。時の人、それに因んでその地を『母木邑』と言う。今、『飫悶廼奇』(オモノキ)と云うのは訛である。」(日本書紀、神武紀)母木の由来

  • 「三間石山・夫婦岩(奈良県生駒郡平群町) 岩瀧山山頂の真東 磐座信仰と神奈備信仰の岩石 三種の神器ダイヤモンド結界 八帖岩 住吉大社神代記 生駒神南備本記」

    考察動画はなるべく15分〜20分に簡潔にまとめて参りたいと思います。岩瀧山山頂の真東にある三間石山について。「三間石山・夫婦岩(奈良県生駒郡平群町)岩瀧山山頂の真東磐座信仰と神奈備信仰の岩石三種の神器ダイヤモンド結界八帖岩住吉大社神代記生駒神南備本記」第54回新シリーズ歴史再考2025年4月26日https://youtu.be/L5wx6Ixg3jU?si=5g_cONg1MCjKWHyh「三間石山・夫婦岩(奈良県生駒郡平群町)岩瀧山山頂の真東磐座信仰と神奈備信仰の岩石三種の神器ダイヤモンド結界八帖岩住吉大社神代記生駒神南備本記」

  • 神功皇后が、岩瀧山山頂の磐座群を霊畤として、諍石も納めて、祖神を祀り、大嘗祭を行って天皇に即位

    つまり、内容から、神功皇后が、岩瀧山山頂の磐座群を霊畤として、諍石も納めて、祖神を祀り、大嘗祭を行ったということである。要は、「住吉大社神代記」(奈良時代の成立)の膽駒・神南備山本記からは、神功皇后が正式に天皇に即位していたということが分かるのである。明治時代までは歴代天皇とされていたのに、、なぜ外したのか。大神に託宣したのは、神功皇后のことで、日神=天照大神から神託を伺う日御子、姫巫女(の総称が卑弥呼)が神功皇后ということである。母木里と高安国との堺は、河内郡平岡郷・櫻井郷と河内郡高安郷の境、つまり、東大阪市東部と八尾市東部の境目となる。つまり、六万寺と横小路と楽音寺付近となる。ちなみに、平安時代に安助上人が往生院を創建される際に、六万寺山麓付近を所有していたのは、高安郡の川瀬吉松であったことからも、六...神功皇后が、岩瀧山山頂の磐座群を霊畤として、諍石も納めて、祖神を祀り、大嘗祭を行って天皇に即位

  • 結局は両方正しかった

    岩瀧山山頂、3月8日に確認へと行ってから、2ヶ月経たずにて随分と解明が進んだ。これも西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界によるところである。出雲の磐座であり、神功皇后の霊畤であり、古墳説と祭祀場説を挙げていたが、結局は両方正しかったということである。https://youtu.be/QH-YHDwgmt8?si=MUhXAGf3T0hj_7Wm後編で鬼面岩も詳しく扱っている。結局は両方正しかった

  • 「岩瀧磐座霊畤遺跡」と命名

    岩瀧山山頂の石組みを、「岩瀧磐座霊畤遺跡」と命名する。いわたきいわくられいじいせき「岩瀧磐座霊畤遺跡」と命名

  • 春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山山頂、夏至の日に太陽が昇る饒速日山、冬至の日に太陽が昇る天川山

    春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山山頂、夏至の日に太陽が昇る饒速日山、冬至の日に太陽が昇る天川山。となり、それぞれ山頂に磐座が鎮座されてあるということになる。そして、住吉大社神代記の話から鑑みて、若江鏡神社に神功皇后が納めた鏡が埋められてあるとされている話とも辻褄があってくる。神武天皇ではなかったが、(天照)大神=神功皇后が、祭祀を行ったのは、岩瀧山山頂の磐座、石組み上でほぼ間違いないと考えられる。いさめ石、しずめ石ということである。岩瀧山山頂石組み、鬼面岩の謎が解明された。古代出雲の磐座であり、神功皇后の祭祀場であったということである。春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山山頂、夏至の日に太陽が昇る饒速日山、冬至の日に太陽が昇る天川山

  • 仲哀天皇と神功皇后を祀る若江鏡神社、石田神社

    橿日宮は、福岡県福岡市の香椎宮のことである。仲哀天皇と神功皇后の熊襲討伐の際の宮である。しかし、仲哀天皇は神託を疑った天罰により残念ながら崩御している。三韓征伐し、生駒山で改めて建国宣言し、大嘗祭を行ったのは神功皇后ではないのか?ならばこの話も繋がるものになる。仲哀天皇と神功皇后を祀る若江鏡神社、石田神社も、なるほどとなる。仲哀天皇→神功天皇→応神天皇というわけである。仲哀天皇と神功皇后を祀る若江鏡神社、石田神社

  • 三間石山→岩瀧山山頂→櫻井神社→池島神社のライン

    池島神社が抜けてた。日吉大社繋がりになる。出雲系である。三間石山→岩瀧山山頂→櫻井神社→池島神社のラインは、確実に出雲の磐座信仰、神奈備信仰となる。もちろん、その延長上の若江鏡神社も元々は出雲系であったと推定される。三間石山→岩瀧山山頂→櫻井神社→池島神社のライン

  • 饒速日山山頂、三間石山、鬼面岩、岩瀧山山頂、八帖岩、天川山山頂・天川神社跡。(天照大神高座神社・岩戸神社)

    磐座が確実視であるのが、饒速日山山頂、三間石山、鬼面岩、岩瀧山山頂、八帖岩、天川山山頂・天川神社跡。(天照大神高座神社・岩戸神社)このいずれかが、住吉大社神代記、膽駒・神南備山本記の諍石であると考えられます。赤のラインが銅鐸が鎮められている関連が強くあると考えられます。饒速日山山頂、三間石山、鬼面岩、岩瀧山山頂、八帖岩、天川山山頂・天川神社跡。(天照大神高座神社・岩戸神社)

  • 磐座と銅鐸。神奈備信仰

    磐座と銅鐸。神奈備信仰。次の考察に向けて、気になる神社の全てを記した。御厨天神社。大名持命と少彦名命。出雲の神が祀られている。劔を冠する神社が東大阪には更に三つ。八尾と同様に多い。枚岡神社に一言主神社があるのも、かなり気になる。市杵島姫神社が客坊廃寺跡にある。東大阪に銅鐸が埋まってある可能性があるならば、特に出雲との関係が深くあったと考えられる御厨天神社付近か、地名が出雲井町の枚岡神社付近か、櫻井神社跡付近が考えられる。磐座と銅鐸。神奈備信仰

  • 御野縣主神社参拝

    近くに用事があったので、御野縣主神社に参拝してきました。立派な式内社でありました。祭神、角凝魂命。祖が神魂命であれば、やはり出雲系にはなるのですよね。。御野縣主神社参拝

  • 「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)の確認 磐座信仰と神奈備信仰 盃状穴 出雲口伝 三種の神器ダイヤモンド結界 西ノ山古墳 前方後円墳 造り出し 金刀比羅神社」

    昨日に確認した八帖岩について。盃状穴についての考察も。「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)の確認磐座信仰と神奈備信仰盃状穴出雲口伝三種の神器ダイヤモンド結界西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」https://youtu.be/UK6MKlcGcn4?si=2Jup-X77eMDsu1vB「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)の確認磐座信仰と神奈備信仰盃状穴出雲口伝三種の神器ダイヤモンド結界西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」

  • 膽駒・神南備山本記

    三枝墓は、金山古墳(聖徳太子の子・三枝王)と考えられている。長屋墓は、もちろん、長屋王のお墓である。乎理波足尼命は、面足命・惶根命のことである。(先代が、大戸之道命・大戸之部命)迹驚岡(福岡県筑紫郡那珂川市)の神が、住吉三神、底筒男命・中筒男命・表筒男命となる。神功皇后の三韓征伐を助けたとされる神である。内容は、神功皇后の時代(仲哀天皇)の次の天皇となる応神天皇の即位大嘗祭を生駒山で行ったということになるのであろうか。または、仁徳天皇になるのか。。『訓解住吉大社神代記』「膽駒・神南備山本記」全文・引用膽駒・神南備山の本記四至東限膽駒川・龍田公田南限賀志支利坂・山門川・白木坂・恵比須墓西限母木里の公田・鳥坂至北限饒速日山右、山の本記とは、昔、大神の本誓に依り、寄さし奉る所、巻向の玉木の宮に御宇しし天皇・橿日...膽駒・神南備山本記

  • 生駒山 磐座再考

    このクロスしているところにも磐座がある可能性がある。饒速日山と三間石山を結ぶと、神感寺、慈光寺とピタリと線上にくる。饒速日山と岩瀧山山頂を結ぶと、興法寺がピタリと線上にくる。三種の神器ダイヤモンド結界、まだまだ解明ができてきそうだ。マジか、、生駒山磐座再考

  • 「膽駒・神南備山本記」

    いこまかんなびの杜http://ikomakannabi.g1.xrea.com/index.html『訓解住吉大社神代記』「膽駒・神南備山本記」全文・引用膽駒・神南備山の本記四至東限膽駒川・龍田公田南限賀志支利坂・山門川・白木坂・恵比須墓西限母木里の公田・鳥坂至北限饒速日山右、山の本記とは、昔、大神の本誓に依り、寄さし奉る所、巻向の玉木の宮に御宇しし天皇・橿日宮に御宇しし天皇なり。熊襲国・新羅国・辛嶋を服はしめ賜ひ、長柄泊より膽駒嶺に登り賜ひて宣り賜はく、「我が山の木実・土毛土産等をもて斎祀らば、天皇が天の下を平らけく守り奉らむ。若し荒振る梟者あらば、刃に血ぬらずして挙足誅てむ」と宣り賜ふ。大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは、船木の遠祖大田田神なり。此の神の造作れる船二艘(一艘は木作り、一艘は石作り)を...「膽駒・神南備山本記」

  • 三間石山・夫婦岩について

    東大阪市文化財課の元課長、原田修氏が、三間石山・夫婦岩について、かなり詳しくにまとめられている。古く住吉大社の神域にもなっていたようだ。位置的には岩瀧山山頂、春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山の真東に当たる。もちろん、岩瀧山山頂石組みとも関連があるということになる。岩瀧山より標高が高い454メートル、奈良県生駒郡平群町櫟原字三石。この三間石山が、磐座の中心だ。神奈備。神南備と住吉大社の記録にあることからも間違いない。磐座信仰、神奈備信仰である。出雲との関係である。もちろん、八帖岩とも関係があるだろう。三種の神器ダイヤモンド結界に続いて、この生駒山神奈備信仰の解明もできるかもしれない。ゾーンに入っている。三間石山・夫婦岩について

  • 岩瀧山山頂の真東に三間石山・夫婦岩がある

    岩瀧山山頂の真東に三間石山・夫婦岩がある。岩瀧山山頂石組みと同様に意識的に組まれてあるようだ。まさに磐座だろう。岩瀧山山頂と同様に春秋分の日に太陽が昇るところになる。間違いなく、磐座信仰、神奈備信仰のところだろう。岩瀧山山頂の真東に三間石山・夫婦岩がある

  • 磐座信仰、神奈備信仰

    元々、自然にある岩を磐座として祀ったのではなく、やはり、その集落、集団、村における東の山で、それも峰々で最も高い頂上に、あえて巨石を組んで磐座を造ったのが始まりだったと考えられます。途中にあった巨石は、八帖岩よりも標高の低いところにあり、それが磐座かと、最初間違ったほどに圧巻されるものでしたが、よくよくアプリの地図を見たら違うものでした。そして更に上がっていった頂上付近に八帖岩は意図して組まれてあったのです。これで岩瀧山山頂石組み、鬼ノ城山の鬼面岩も意図して組まれたものと判断できるものとなりました。磐座信仰、神奈備信仰。古代出雲の先祖のお墓というわけです。組まれてあるところも、やはり様々に意図されてそこにあることが確かなわけです。ただ単に、山にある巨石が磐座というわけではなく、しかるべき場所に意図して組ま...磐座信仰、神奈備信仰

  • 盃状穴

    この磐座にある穴を、盃状穴と言うらしいが、いまだにその理由はよく分かっていない。色々な石造物にあるようで、理由も様々に考えられている。子孫繁栄のためや魔除けの意味など。磐座にもあるのは確かなようで、まさに八帖岩は磐座ということにもなるのである。なんだろうか。。お墓と考えるならば、何かをお供えするための穴なのかもしれない。閼伽水や御神酒、米などをお供えすることが考えられる。あるいは、岩を少し削って、お砂として家の神棚、仏壇に先祖供養のために祀るということのためであったのかもしれない。お砂踏みと同様にそこまでは行けないけど、行った代わりとなるというわけである。遥拝、供養のために拝み石の下に納めるためであるなども考えられる。盃状穴

  • 八帖岩・磐座と確認

    八尾市楽音寺、楽音寺道を進み、八帖岩へ。少しだけ簡単に確認にいくつもりが、途中から本気な登山に。足元悪く、何回か滑って尻もちついてしまった。途中で蛇(アオダイショウ)のお迎えも。これは縁起が良い。とにかく、実際に見て、間違いなく石組みされた磐座とわかりました。岩瀧山山頂と同様ですが岩瀧山山頂の方が石組みが立派でありますので、岩瀧山は標高も高く、また、春秋分の日に太陽が昇るところにもなりますので、磐座信仰の中心地にもなったのでしょう。鬼ノ城山の鬼面岩もやはり磐座ということで間違いないことになります。神奈備山ということです。また、楽音寺道、途中には立派な岩肌も。岩瀧山と山の構造が当然に似ているわけです。最初、こちらが八帖岩なのかな、と勘違いしましたが、地図を確認したらまだまだ上方を示しており、八帖岩はやはり頂...八帖岩・磐座と確認

  • 「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)出雲の磐座信仰の磐座か!? 岩瀧山山頂の石組みとともに 三種の神器ダイヤモンド結界 幸の神信仰 天照大神 出雲口伝 西ノ山古墳 前方後円墳 造り出し 金刀比羅神社」

    八帖岩。「八」・・前回投稿のように数字の「八」は出雲の象徴的な数字であります。古代、生駒山西麓一帯においては、出雲の勢力がある一定強くあったことが推定されます。西ノ山古墳の被葬者も出雲との関係性が窺えるところとなります。引き続きに関連を精査して参りたいと思います。「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)出雲の磐座信仰の磐座か!?岩瀧山山頂の石組みとともに三種の神器ダイヤモンド結界幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」第52回新シリーズ歴史再考2025年4月22日https://youtu.be/uurssOEp3_0?feature=shared「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)出雲の磐座信仰の磐座か!?岩瀧山山頂の石組みとともに三種の神器ダイヤモンド結界幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」

  • 「八」の数字自体が出雲王国を象徴する数字

    神魂神は、やはり、クナトノ大神のことで、出雲の大神であると言える。とにかく、「八」の数字自体が出雲王国を象徴する数字で、出雲王国の痕跡を示すものである。八耳王、八嶋篠王、八嶋手王、八千矛王、八重波津身命、、海村雲命の子は、神八井耳命、彦八井耳命、、サイノカミの姫を八岐姫、、八岐大蛇、八つの尾、、八尾、八帖岩、、出雲との関係が深くあったのが八の由来からも分かります。「八」の数字自体が出雲王国を象徴する数字

  • 鴨習太神社 (大阪府南河内郡河南町神山)

    八尾ではありませんが、こちらの神社について問い合わせがありました。摂社が出雲系の神で、磐座信仰、幸の神信仰もあったようで、出雲系で間違いなく、また、賀茂(鴨)から鑑みれば、賀茂建角身命か大田田根子命系と考えてよいでしょう。鴨習太神社(大阪府南河内郡河南町神山)

  • 阪合神社の祭神

    阪合神社の祭神に疑問が呈されてあるのは記紀によるからである。出雲口伝によれば、祭神は、饒速日命か、五十猛命か、海村雲命か、神八井耳命かとなるはずである。混乱があるのは記紀に間違いがあるからであろう。彦穂穂出見命は、市杵島姫と饒速日命との子になり、宇摩志麻遅命に繋がる別系統になる。阪合神社の祭神

  • 西ノ山古墳の造り出しからの澁川寺までのライン

    西ノ山の造り出しからの澁川寺までのラインも気になる。賀茂神社大田田根子命(出雲神)御野縣主神社角凝玉命(神魂神(出雲神)の次代)長柄神社事代主命(出雲神)澁川寺跡・澁川神社元宮推定饒速日命ふむ。。西ノ山古墳の造り出しからの澁川寺までのライン

  • 箕後川渓谷。八帖岩と岩瀧山との中間

    箕後川渓谷。八帖岩と岩瀧山との中間にある。滝に不動尊などの石仏や石碑群があるのも、やはり何か関連があるのだろう。https://www.google.com/maps/place/%E7%AE%95%E5%BE%8C%E5%B7%9D%E6%B8%93%E8%B0%B7/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x7945bcc422bf4192?sa=X&ved=1t:2428&ictx=111しかし、ある意味、全て計算され尽くして、神仏が鎮座、祭祀されてあるということである。適当ではなく確かな由来が必ずあるということだ。正確な測量技術もないのに、正直、凄いとしか言いようがない。もちろん、三種の神器ダイヤモンド結界もなのだが、、箕後川渓谷。八帖岩と岩瀧山との中間

  • 西ノ山古墳の前方後円墳の造り出しの祭祀場と出雲磐座信仰

    岩瀧山山頂石組み、八帖岩は、出雲磐座信仰の磐座であり、改めて再考すると、西ノ山の前方後円墳の造り出しの祭祀場がかなり意識されているのが分かります。もちろん、先に古代からの磐座があって、そこが強く意識されて、西ノ山に古墳が建立されているということであり、つまり、西ノ山古墳の被葬者は、出雲王国とも関係がある者というのが、これで明らかになるのであります。そして、造り出しの祭祀場が意識されて、金刀比羅神社と熊野神社も鎮座されてあると言えます。また、造り出しと石切劔箭神社の線上真ん中に、枚岡神社奥宮(出雲井町)があるというのも何とも興味深いものとなります。枚岡神社も何らか出雲との関連があるのでしょう。別の機会に考察したいところです。三種の神器ダイヤモンド結界から色々なことが解明できそうです。西ノ山古墳の前方後円墳の造り出しの祭祀場と出雲磐座信仰

  • 八帖岩 玉祖神社と岩瀧山、鬼城山、石切劔箭神社元宮の直線上

    あった、、八帖岩。玉祖神社と岩瀧山、鬼城山、石切劔箭神社元宮の直線上。。西ノ山の東。造り出しの真東になるという、、八帖岩が、磐座というわけだ。マジか、、出雲磐座信仰とも西ノ山の古墳は意識されてあると考えられる。出雲ともやはり関連ある人物になる。海村雲命説ありうるわ。八帖岩玉祖神社と岩瀧山、鬼城山、石切劔箭神社元宮の直線上

  • 「古代祭祀場があったか!? 岩瀧山山頂石組みの謎 出雲との関係から考える 三種の神器ダイヤモンド結界 磐座信仰 幸の神信仰 天照大神 出雲口伝 西ノ山古墳 櫻井神社 金刀比羅神社 銅鐸 銅鏡」

    枚岡神社周辺の地名は、もろに出雲井町である。生駒山西麓は、古代に出雲の勢力があったと考えられるのである。東大阪市、実は、まだ銅鐸が出土していない。しかし、出雲との関係を鑑みれば、どこかに埋まってある可能性は極めて高いと思われるのである。・・三種の神器ダイヤモンド結界の解析と共に、古代出雲との関係から、岩瀧山山頂石組みの謎の解明も一気に進むことが期待できる。「古代祭祀場があったか!?岩瀧山山頂石組みの謎出雲との関係から考える三種の神器ダイヤモンド結界磐座信仰幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳櫻井神社金刀比羅神社銅鐸銅鏡」第51回新シリーズ歴史再考2025年4月21日https://youtu.be/AvKEHBAroZg?si=wpc0d4S1yaca6T89「古代祭祀場があったか!?岩瀧山山頂石組みの謎出雲との関係から考える三種の神器ダイヤモンド結界磐座信仰幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳櫻井神社金刀比羅神社銅鐸銅鏡」

  • 「金刀比羅神社と熊野神社 梶無神社と櫻井神社 西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺) 三種の神器ダイヤモンド結界 饒速日命 海村雲命 大己貴命 大国主命 大物主命 出雲口伝」

    梶無神社に摂社・櫻井神社があり、その祭神は出雲の神、大己貴命(大国主命・大物主命)であった。櫻井神社は、謎の古代寺院、櫻井寺とも関係があったと推定される。櫻井寺の解明へ向けても前進が望めるかもしれない。「金刀比羅神社と熊野神社梶無神社と櫻井神社西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命海村雲命大己貴命大国主命大物主命出雲口伝」第50回新シリーズ歴史再考2025年4月21日https://youtu.be/MXLDZiiJxiM?si=W167oKSH8AQUpDZd「金刀比羅神社と熊野神社梶無神社と櫻井神社西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命海村雲命大己貴命大国主命大物主命出雲口伝」

  • 櫻井神社、金刀比羅神社、熊野神社、十二社権現寺

    櫻井神社と金刀比羅神社、熊野神社と記した。また、六萬寺の西に権現神社があり、現在は、十二社権現寺となっている。江戸時代に権現の森と呼ばれていたところで、由来は不明だが、小字もその関連が窺える。六萬寺の頃からあった可能性もあるため、一応、記しておきます。櫻井神社、金刀比羅神社、熊野神社、十二社権現寺

  • 岩瀧山山頂の謎の石組みと出雲の祭祀

    櫻井神社の祭神が、出雲の神であったとなれば、岩瀧山山頂の謎の石組みと出雲の祭祀が繋がってくることになる。出雲口伝から色々と解明できることがありそうだ。更には、六萬寺の歴史と共に櫻井寺も一気に解明が進む可能性もある。三種の神器ダイヤモンド結界。まだまだ知らない含みがありそうである。岩瀧山山頂の謎の石組みと出雲の祭祀

  • 梶無神社と摂社・櫻井神社の祭神

    村の鎮守社、梶無神社に改めて参拝。櫻井神社が合祀されていることを確認。祭神が、大己貴命(おおあなむち)であることを初めて知った。いまさらに。大国主命、大物主命と同一視の出雲の神である。マジか、、大和朝廷による櫻井郷の屯倉があったことから、神社、寺院も古くからあったものの、櫻井寺は廃寺となり、櫻井神社は梶無神社に合祀されたと考えられるのである。これで六万寺一帯では、出雲王国との繋がりが早い時代にあったことが改めて分かった。梶無神社は、江戸時代の神社覈録では祭神不祥となっていた。元船山明神。出雲口伝から考えれば、元の祭神はやはり饒速日命が有力となる。三種の神器ダイヤモンドにももちろん線状にあり、内のトライアングル、ダイヤモンドも考えられる。次回動画でもまとめたい。梶無神社と摂社・櫻井神社の祭神

  • 海村雲墳墓説も!? 出雲口伝からも考える 西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺) 三種の神器ダイヤモンド結界 饒速日命 彦穂穂出見命 五十猛命 神沼川耳命 玉櫛姫 八重波津身命 事代主 宗像三女神

    一つ言えるのは、出雲王国から初期大和王朝は、しばらくは母系中心の血統が重視されていた社会であったというわけです。西ノ山古墳の被葬者については、総合的に勘案して(特に三種の神器ダイヤモンド結界・供養からも)饒速日命が有力と考えられるわけですが、更に饒速日命に関連する近い者も考えられうるため、記紀だけではなく、出雲口伝や神社伝承からも可能性について考察していければと思います。「海村雲墳墓説も!?出雲口伝からも考える西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命彦穂穂出見命五十猛命神沼川耳命玉櫛姫八重波津身命事代主宗像三女神」第49回新シリーズ歴史再考2025年4月20日https://youtu.be/B0ET9ERIAGU?feature=shared海村雲墳墓説も!?出雲口伝からも考える西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命彦穂穂出見命五十猛命神沼川耳命玉櫛姫八重波津身命事代主宗像三女神

  • 都夫久美神社は、宇摩志麻遅命、賀茂神社は、大田田根子命、梶無神社は、、別の角度から考える

    都夫久美神社は、宇摩志麻遅命、賀茂神社は、大田田根子命。そして、梶無神社の元々祭神は不明となっていたのだが、現在は瓊瓊杵命となっている。しかし、出雲口伝からは別の見方になってくる。梶無神社の創建が、第二次物部東征によるものと考えたら、船山に梶を失って漂着したのは、宇摩志麻遅命と彦五瀬命になる。先祖を祀り、これからの航海の無事を願ったのであれば、考えられるのは、彦渚武命か、彦穂穂出見命か、饒速日命か、になるのである。出雲口伝からであれば、瓊瓊杵命ではなく、饒速日命であった可能性も出てくることになる。金刀比羅神社・熊野神社とも結べば、大物主命・彦五瀬命とも繋がることになる。元々は饒速日命かも。。これはまた宮司さんにいずれ話してみよう。。都夫久美神社は、宇摩志麻遅命、賀茂神社は、大田田根子命、梶無神社は、、別の角度から考える

  • 、金毘羅神社・熊野神社によって、西ノ山への何らか祭祀が昔に行われていたか

    つまり、こうゆう感じである。宮通りは、前方後円墳の造り出し部に向かってある赤線として、金毘羅神社・熊野神社によって、西ノ山への何らか祭祀が昔に行われていたのだろう。熊野神社、、出雲口伝ならば彦五瀬命に由来するわけか、、出雲口伝ならば宇摩志麻遅命の兄である。第二次物部東征ということになる。、金毘羅神社・熊野神社によって、西ノ山への何らか祭祀が昔に行われていたか

  • 西ノ山の東、大光寺跡の付近には、熊野神社と共に金刀比羅神社があった

    そういえば、西ノ山の東、大光寺跡の付近には、熊野神社と共に金刀比羅神社があったことも分かっています。昔、楽音寺、熊野神社は、西の山の東金毘羅屋敷にありました。明治初期に当地に移されたが、その後倒壊し、御神体は神立にある郷社玉祖神社に預けられた。金毘羅さんは大物主命を祀る。出雲の神である。大光寺と熊野神社は楠木家(正儀)による開基なのだろうが、金毘羅神社は、西ノ山を意識して、もっと古くから配置されていた可能性がある。小字で西ノ山の東に宮前があったと思うので、金毘羅神社が西ノ山への祭祀を古くから行っていたと考えられる。畑の方が、宮通りがあったというのはこれであろう。西ノ山は出雲との関係も深くあったと考えられると共に、大田田根子命との関係からも、賀茂神社ー西ノ山ー金刀比羅神社のラインも十分にありうる。式内社では...西ノ山の東、大光寺跡の付近には、熊野神社と共に金刀比羅神社があった

  • 横小路の常光院さん

    今日は、横小路の常光院さんの近くに用事があったので、久しぶりにお参りさせて頂いた。黄檗宗にて、本堂山号扁額は、萬福寺開山の隠元禅師の筆である。本尊が二尊石仏と珍しい。古墳にも石仏が祀られている。古い五輪塔なども。浄土院廃寺跡に近く、浄土院由来なものもあるのかもしれない。梵鐘も一音撞かせて頂いた。綺麗な浄音が響いた。撞木があまり擦り減っていなかったのは寂しいぐらいの浄音でした。現在、兼務寺の無住である。横小路の常光院さん

  • 三種の神器ダイヤモンド結界は、天村雲命のために張られたものか?

    そういえば、西ノ山の円墳の縁にて粘土槨の破片らしいものが幾つか表層に出てあった。円墳頂上からは随分と離れた下であった。https://youtu.be/zYsuXPc7_V4?si=6GLD9Ozrv9LX3HOe開墾・工作や発掘の際に破壊されたものとも言えるが、どうもかなりの違和感があった。もしも後代(村の全村移転の奈良時代)に改変、改葬、偽装された可能性があったとしたら、その際のものであるのかもしれない。三種の神器ダイヤモンド結界は、天村雲命のために張られたものであった可能性が一気に出てきた。(饒速日命と関連・連想させるのも偽装だった可能性も・・)道鏡はその全ての秘密を知って、結界と供養を担っていた可能性も出てきた。三種の神器ダイヤモンド結界は、天村雲命のために張られたものか?

  • 西ノ山の被葬者について

    鴨王か。。天日方奇日方命。天日方奇日方命→健飯勝命→武甕槌命→豊御食主→大御食主命→建津乃身命と大田田根子命→賀茂家・太田家というわけだ。賀茂神社と恩智神社も繋がる。若江郡美努・玉櫛は、少なくとも、鴨王からの勢力中心地であったと推測することができるが、それ以前、八重波津身命(事代主命)と玉櫛姫(三嶋溝杭命の娘、つまり、賀茂建角身命の娘)の時代からであったとも考えられる。天日方奇日方命と姫踏韛五十鈴姫命(神武皇后)・五十鈴依姫命(綏靖皇后)は兄弟姉妹。神武天皇のモデルが海村雲命となれば、海村雲命の祖父が饒速日命となり、海村雲命は、大田田根子命の先祖と婚姻しているという関係になるのである。西ノ山に眠るのは、天日方奇日方命か、その父、八重波津身命(事代主命・神武皇后の父)も有力となる。そして、「海村雲命」もあり...西ノ山の被葬者について

  • 水野正好先生がご存命であられたら・・

    水野正好先生がご存命であられたら、きっと関心高くにご協力賜われたことでしょう。20年前に西ノ山と三種の神器ダイヤモンド結界の調査に入っていればと、本当に悔やまれます。東大阪市も八尾市も、往生院六萬寺と関わりが深くあった一昔前の文化財行政の方々は、皆、ご高齢か、鬼籍に入られてしまわれている。残念なことではありますが、何とか研究を進めていければと考えています。出雲口伝の内容を全て理解するのは、なかなか容易ではないが、神社伝承、地域伝承、海部氏系図等も含めて、総合的に鑑みると、記紀とは異なった別の歴史が見えてくる。奈良時代、まだ史実伝承が色濃く残る中で、西ノ山をめぐってなされた三種の神器ダイヤモンド結界。西ノ山は、記紀とは異なる歴史に関わる可能性はもちろん高くある。出雲口伝も安易に否定はできない。水野正好先生がご存命であられたら・・

  • 「西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)考察経過のまとめ 古墳時代最初期・最大級・双方中円墳型前方後円墳か? 三種の神器ダイヤモンド結界 饒速日命 卑弥呼 道鏡 行基 六萬寺 出雲口伝」

    これまでの西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界についての考察を少しまとめてみました。少々長くなってしまいました・・ラジオ感覚でお聴き頂けましたら有り難いです。出雲口伝からも少し被葬者について検討しています。いずれにしても可能性は排除せずに広く考察していければと考えています。「西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)考察経過のまとめ古墳時代最初期・最大級・双方中円墳型前方後円墳か?三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命卑弥呼道鏡行基六萬寺出雲口伝」第48回新シリーズ歴史再考2025年4月18日https://youtu.be/EUn8uSM4JCc?si=yfwNUxS_FSQ_H2_C「西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)考察経過のまとめ古墳時代最初期・最大級・双方中円墳型前方後円墳か?三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命卑弥呼道鏡行基六萬寺出雲口伝」

  • 長屋王の呪い

    怪奇な歴史研究室さん、今回は「長屋王の呪い」だ。。丁度、拙生も天平の疫病の祟りについて長屋王についても言及していたところであり、タイムリーであります。長屋王邸宅跡は、そごう、イトーヨーカ堂と閉店し、呪いが続くことで恐れられており、今のミ・ナーラは店長が毎日、長屋王の供養をしっかりとしているのは有名な話である。先人への敬意と畏敬の念を持って、縁があるならば、しっかりと供養することが、やはり大切となります。長屋王の呪い

  • 道鏡の天才ぶり

    また、厳密には、黄色◎を中心としたのが、綺麗な正ひし形となる。キリがないが、、賀茂神社の位置に僅かな疑問があったのだが、神や仏の通り路、つまり、正中を避ける概念まで、西ノ山に対して徹底してあったと言えるのであろう。西ノ山に被葬されてある者は、賀茂神社の祭神、大田田根子命の先祖ということにもなるわけである。この結界と供養の中心となった道鏡は神仏習合に通じた秀才であったのだろう。道鏡の天才ぶり

  • 賀茂神社 西ノ山の円墳の正中(真西)を避けた

    賀茂神社が、西ノ山の円墳の正中(真西)を避けて、やや下座に鎮座しているとして、やっと微妙なズレを気にすることなく、線引きができた。また、やはり、西ノ山に対しての気の使い方が尋常ではないということでもある。今度こそひとまず。。賀茂神社西ノ山の円墳の正中(真西)を避けた

  • 西ノ山古墳 全長400メートルも 被葬者 饒速日命か卑弥呼か

    饒速日命が当然に三種の神器ダイヤモンド結界から圧倒的に被葬者と考えられるのだが、この双方中円墳部の南側前方には、卑弥呼に仕えて亡くなった殉死者百名が眠ってある可能性も否定できない。もちろん副装品がある可能性も高い。今ならスキャンすればおおよそのことがわかる時代。しかし、全体は要所要所を発掘調査して確認する必要がある。全長を正確に測るには、盛り土の最初と葺石の状況を見なければならない。最も大事なのは葺石の一番下の石だ。これを確認できたら最大規模が分かることになる。史跡として敬意をもって綺麗に整備されれば、供養にも繋がる。奈良時代からの祟る山であると畏れられることもなくなり、国を揺るがす祟りを鎮めることにもなるだろう。記紀で貶めた0代天皇、饒速日命か、同じく記紀では抹消された卑弥呼か、、全長400メートルなら...西ノ山古墳全長400メートルも被葬者饒速日命か卑弥呼か

  • 三種の神器ダイヤモンド結界・正ひし形・正中心点について

    厳密に、正ひし形の中心は、緑の真ん中になる。丁度、十三峠へと続く道の西側延長となり、西ノ山の円墳部の真西に当たるのである。(錯覚的に真西には見えないかも知れないが、本来、真西線上は、本来やや右斜めになる)実は、厳密に賀茂神社を中心と考えるとややズレが生じるのではある。真の中心点は緑◎のところであるが、昔には道があって神社が避けられたのかもしれないし、中心からワザと避けて配置された可能性もある。つまり、正中は避けるという意味である。それだけ、西ノ山について賀茂神社(下座側に配置)も意識されてあるということです。三種の神器ダイヤモンド結界・正ひし形・正中心点について

  • 西ノ山の前方後円墳再考(大阪府八尾市楽音寺)

    西ノ山の前方後円墳を考えると、このようになる。一応、双方中円墳型前方後円墳と仮に名付けるが、やはり周濠と盛土の状況を考えると、全長350メートルに及ぶと思われ、実際は円墳部も、南側の大阪経済法科大学の池の縁までとなり、円墳径200メートルになる。ならば、全長は350メートル以上となるのは確実である。興味深いのは円墳前方の方墳であるが、こちらには副装品を納めたのではないかと考えられると共に、円墳被葬者と一緒に埋葬された者が眠っている可能性もある。多くの者があれば、卑弥呼の可能性も出てくることになるのかもしれない。正直、円墳前方の方墳での前方後円墳は考えられない。なぜならば、祭祀をするにはわざわざ上まで、急となっている坂をそれなりに登る手間が掛かるからだ。やはり、前方部は北側にあり、東側に祭祀を行う造り出し部...西ノ山の前方後円墳再考(大阪府八尾市楽音寺)

  • 三種の神器ダイヤモンド結界・修正

    小字から心合寺の位置を修正し、高麗寺を追加した。これでひとまずは、、三種の神器ダイヤモンド結界・修正

  • 八尾と出雲の関係

    ざっと分析が終わった。大きな修正は、心合寺の位置と高麗寺の追加ぐらいだが、やはり、物部氏、そして、出雲に関連する地名も色々と確認できた。サイノカミ信仰である。八尾では立派な流水紋銅鐸が二ヶ所から出ている。出雲との関係である。あとは、来迎寺が二ヶ所確認できるが、浄土教に由来すると考えられるため、平安時代以降になるかと思われるものの、行基との関連が窺えるならば奈良時代もありうるだろう。とにかく分析を続けたい。八尾と出雲の関係

  • 小字図録

    これはかなり分析に役立つ。西ノ山は、確かに南向きに前方部があるようにも思われるが、やはり、北向き、真北にも前方部の祭祀場となるものが確認できる。1700年ほど前からになるため、多少の地形変化は当然だが、これだけ良く残ってあるのはある意味で奇跡である。とにかく、何よりも周濠跡と盛土。北側に前方部があると考えるに十分である。賀茂神社付近に、神宮寺の形跡はなさそうだが、あくまでも江戸時代の文献からの字名であり、今後の調査次第でもあるだろう。楽音寺墓地東側に来迎寺の字名があった。来迎寺というお寺があったようだ。また、大光寺と思われる字は見られなかった。心合寺は、思っていたよりも少し西側だった。またやり直しかな、、はぁ、、他も多少位置を変えなければならないかも。とにかく分析を進めます。小字図録

  • 合間に心合寺山古墳へ

    合間に心合寺山古墳へ。この小字図録を買いに。しかし、西ノ山は、この心合寺山古墳よりも一回り以上も大きいのだから、やはり凄い。東大阪も小字図録を出してくれたら、もっと色々と調べられるのではあるが、、とにかく三種の神器ダイヤモンド結界を小字からも分析したい。合間に心合寺山古墳へ

  • 河内・六萬寺が廃寺となった理由について 往生院の栄枯盛衰についても 三種の神器ダイヤモンド結界 聖武天皇 行基 橘諸兄 道鏡」第47回 新シリーズ歴史再考

    三種の神器ダイヤモンド結界から、六萬寺の創建、そして、廃寺へと至った事情について考えてみました。また、往生院の栄枯盛衰についても。「河内・六萬寺が廃寺となった理由について往生院の栄枯盛衰についても三種の神器ダイヤモンド結界聖武天皇行基橘諸兄道鏡」第47回新シリーズ歴史再考2025年4月16日https://youtu.be/ptPHamKfmZM?feature=shared河内・六萬寺が廃寺となった理由について往生院の栄枯盛衰についても三種の神器ダイヤモンド結界聖武天皇行基橘諸兄道鏡」第47回新シリーズ歴史再考

  • 三種の神器ダイヤモンド結界・中心部

    一番綺麗なひし形は、緑。緑の中心地には何かある(あった)のかもしれない。恩智川の氾濫で、賀茂神社は東寄りに遷座したのかもしれない。字名を聞いてみよう。。三種の神器ダイヤモンド結界・中心部

  • 三種の神器ダイヤモンド結界

    三種の神器ダイヤモンド結界三種の神器ダイヤモンド結界

  • 次回は、河内・六萬寺の廃寺理由

    次回は、河内・六萬寺の廃寺理由について考えてみます。三種の神器ダイヤモンド結界によって、ようやく、六萬寺創建時の事情の大部分が明らかになったわけです。また、それは、廃寺となった事情も色々と分かってくるところにもなりました。結局、結界に関わった寺院は、そのほとんどが平安時代、鎌倉時代までに廃寺となります。かろうじて薗光寺は、明治の廃仏毀釈まで残りますが、衰微縮小した竹之坊一坊のみでありました。楽音寺も江戸時代まではあったとされますが、ほぼ無住に近い状態であったと伝わります。いずれにしても寄与していた施主を失った寺院の衰退はあっという間というわけです。悲しいかなその現実も見えてきました。次回は、河内・六萬寺の廃寺理由

  • 寺院の栄枯盛衰・・

    よくよく考えたら、六萬寺、中期・往生院も、後期・往生院も、時の政権次第にて存亡が左右されていたわけである。六萬寺は、天皇中心の政治から藤原氏中心の摂関政治への移行に伴い衰退。中期・往生院は、九條家により再興されたものの、摂関政治から武家政治への移行において衰微していき、戦国時代には荒廃。後期・往生院は、江戸幕府により再興されるも、明治政府の廃仏毀釈で荒廃...寺院の栄枯盛衰・・

  • 「橘諸兄と道鏡 三種の神器ダイヤモンド結界 主導・道鏡 協力・橘諸兄と行基 六萬寺 光明皇后 孝謙天皇 称徳天皇 淳仁天皇 橘三千代 藤原不比等 藤原仲麻呂」

    橘諸兄と道鏡。同郷で、同族(道鏡皇族説)であったために、互いに関係性が深くあったと考えられます。皇族中心の政治から摂関政治へ・・この狭間における、藤原氏VS皇族(橘諸兄・道鏡)との権力闘争が窺えます。河内・六萬寺が平安時代に荒廃、廃寺となったのも、開基・橘諸兄一派からの勢力の衰えによるものと考えられます。「橘諸兄と道鏡三種の神器ダイヤモンド結界主導・道鏡協力・橘諸兄と行基六萬寺光明皇后孝謙天皇称徳天皇淳仁天皇橘三千代藤原不比等藤原仲麻呂」第46回新シリーズ歴史再考https://youtu.be/mCvD2S_DHP4?feature=shared「橘諸兄と道鏡三種の神器ダイヤモンド結界主導・道鏡協力・橘諸兄と行基六萬寺光明皇后孝謙天皇称徳天皇淳仁天皇橘三千代藤原不比等藤原仲麻呂」

  • 「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説 被葬者・饒速日命説 この根拠について 三種の神器ダイヤモンド結界 卑弥呼 神武天皇 大田田根子命」

    リクエストがありましたので、改めて「西ノ山」(大阪府八尾市楽音寺)について。古墳時代・最初期最大・前方後円墳説と被葬者・饒速日命説の根拠についてまとめてみました。橘諸兄のことにつきましては、次回にて。また、冒頭では、河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号に寄稿させて頂きました「河内・浄土院と往生院について」の紹介。「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説被葬者・饒速日命説この根拠について三種の神器ダイヤモンド結界卑弥呼神武天皇大田田根子命」第45回新シリーズ歴史再考2025年4月15日https://youtu.be/s8iW71iUqvs?feature=shared「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説被葬者・饒速日命説この根拠について三種の神器ダイヤモンド結界卑弥呼神武天皇大田田根子命」

  • 河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号 「河内・浄土院と往生院について」

    河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号が届きました。今回は、「河内・浄土院と往生院について」。山麓に埋もれ、消えていた浄土院を再び歴史の表舞台に出すことができました。浄土院の開山、開基、歴代、僧侶、檀信徒の供養にもなり、誠に嬉しい限りです。奈良国立博物館に伝わる當麻曼荼羅は本当に立派なものです。南朝方の要所となり、南北朝の争乱に巻き込まれて焼失した浄土院。往生院の鎌倉時代の歴史を補足して考える上でも、この浄土院の當麻曼荼羅の存在が大きな一つの視座になります。河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号「河内・浄土院と往生院について」

  • 西ノ山と造山古墳と上石津ミサンザイ古墳

    メモ用・・西ノ山は、造山古墳(5c前半・全国4位・全長350メートル・岡山市)と、上石津ミサンザイ古墳(4c末・全国3位・全長365メートル・堺市)から逆に考えると、その全体像を正確に押し測ることができると思われるのであります。なぜならば、両者は、西ノ山を参考として、後代にそれぞれ造られたとして、西ノ山は、大和王朝、古墳時代、最初期(3c〜4c)最大の前方後円墳と考えられるのであります。当初は、被葬者を、卑弥呼か、饒速日命か、あるいは、神武天皇、または、神武天皇に次ぐ天皇有力者かと色々と考えましたが、西ノ山には、奈良時代、楽音寺村が全村移転した疫病と祟りの伝承があり、また、石切劔箭神社、若江鏡神社、玉祖神社の三種の神器を冠する神社を結ぶとトライアングルになるという有名な話とも、何らかの関係があるのかもしれ...西ノ山と造山古墳と上石津ミサンザイ古墳

  • 西ノ山は、造山古墳(岡山市)と上石津ミサンザイ古墳(堺市)から考えることもできる

    結局、西ノ山は、造山古墳(岡山市)と上石津ミサンザイ古墳(堺市)から考えると、その全体像を押し測ることができると思われる。なぜならば、両者は、西ノ山を参考として後代に造られたと考えられるからである。大和王権、古墳時代、最初期最大の前方後円墳。当初は、被葬者を、卑弥呼か、饒速日命か、あるいは神武天皇に次ぐ有力者か、と色々と考えたが、ふと、奈良時代に、疫病と祟りの伝承があり、そして、昔から言われていた三種の神器トライアングルとも何らかの関係があるのかもしれないと精査したら、裏鬼門側にも三種の神器トライアングルがあることを発見し、ひし形、ダイヤモンドになるとして、それは、全体から、西ノ山の結界と供養が強く意識されたもので、饒速日命を推定するに十分な結界と供養の根拠と言えるものであり、饒速日命とほぼ断定したわけで...西ノ山は、造山古墳(岡山市)と上石津ミサンザイ古墳(堺市)から考えることもできる

  • 河内七墓

    河内七墓六萬寺などの寺院創建と併せて、天平の疫病大流行により亡くなった民衆を供養するために、行基が墓地を開いて定めたのが、河内七墓であるが、実際は、楽音寺墓地や横小路墓地、四条墓地など、各村々に設けられることにもなったのである。行基の河内での活動は、もちろん、道鏡における活動とも連携してなされていたのであり、三種の神器ダイヤモンド結界にも繋がるのであります。河内七墓

  • 役行者は、賀茂氏の出自、つまり、饒速日命、大田田根子命の子孫、もちろん、物部氏の子孫

    役行者は、賀茂氏の出自、つまり、饒速日命、大田田根子命の子孫、もちろん、物部氏の子孫になるのである。八尾市西高安町の賀茂神社との直繋がりである。岩瀧山の開山は役行者。修験道との繋がりも当然であるわけです。往生院は、葛城修験の宿にもなっていたのも、役行者の時代からで、役行者→行基・六萬寺→往生院と繋がりもあるわけです。役行者は、賀茂氏の出自、つまり、饒速日命、大田田根子命の子孫、もちろん、物部氏の子孫

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