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  • 結局は、過去世からの宿善によることが大である

    Facebookのコメントにてお答えした内容が現時点での考察の一つのまとめでもある、、顕教として再研究してみましたら、簡単どころか相当難しいもので密教レベルです。異安心、無帰命安心の横行にて、簡単かもと錯覚しているだけです。往生、成仏には他力(灌頂、加持の力)が必要なのは顕密ともに同じであります。宿善、宿縁が必要なのも同じです。生身のままで往生、成仏できない以上は、他の力を借りないといけないことには代わりはありません。三身修道を行ぜない凡夫ならば、本願による他力を頂く他にその道はないのであります。それでも意成身の段階で往生することにはなりますが、凡夫ならば完全不可であります。完全不可なのに往生させて頂けるわけですから、その代替となる信心はやはりそれなりの境地でなければならないことになります。それなりの境地...結局は、過去世からの宿善によることが大である

  • 疑心が信心の妨げになっている構造の喩え

    ミニ法話はお盆後にとのことであったが、フライング気味で始めていた中でのこちらの動画は、疑心が信心の妨げになっている構造の喩えが分かりやすいと。疑心を晴らすのは個々人における問題となる。阿弥陀さんや善知識がなんとかしてくれるというものではない。浄土真宗が全分他力ではないのも疑心の対治は個々人におけるそれぞれの課題であるからでもある。獲信は、ただ単に聞いての納得だけの信心ではないのである。第14回仏教ミニ法話「仏願の生起本末について」聞即信三願転入信心決定信心獲得https://youtu.be/B43LQHLklvE?feature=shared疑心が信心の妨げになっている構造の喩え

  • 第25回 仏教ミニ法話「宿善論再考 2」浄土真宗 善知識 信心獲得 信心決定 功徳 善根

    第25回仏教ミニ法話「宿善論再考2」浄土真宗善知識信心獲得信心決定功徳善根https://youtu.be/IIupv6mxXYg?feature=shared第25回仏教ミニ法話「宿善論再考2」浄土真宗善知識信心獲得信心決定功徳善根

  • 第24回 仏教ミニ法話 質問アンサー「共業(ぐうごう)について 霊について」 業 カルマ 因果 因縁 中有 中陰 葬儀 追善 供養

    頂いていたご質問二つについて第24回仏教ミニ法話質問アンサー「共業(ぐうごう)について霊について」業カルマ因果因縁中有中陰葬儀追善供養岩瀧山往生院六萬寺2024年8月29日https://youtu.be/fzNV1hKZWiQ?feature=shared第24回仏教ミニ法話質問アンサー「共業(ぐうごう)について霊について」業カルマ因果因縁中有中陰葬儀追善供養

  • 宿善再考2

    以下は試論メモ的に善知識が弟子たちに教えた教えは、善知識に遇えた者に適用される教えがほとんどであって、本来はいまだ善知識に遇えていない者たちへの教えではないと考えるべきであるのだろう。聖教の理解だけでは、とても信心獲得、信心決定できないのは、その差がとてつもなく重大なものであるからである。まだ善知識に遇えていないにも拘らずの、遇えているかの如くの錯覚的な誤謬による理解、つまり、合点、つもりの理解止まりということでの、異安心、無帰命安心の横行が、それを如実に示していると言えるだろう。宿善の重要性が説かれるのは、まずは何よりも善知識との邂逅へと向けた必須のものであると考えられるからである。とにかく、善知識とは往生と成仏が決まった者の境地であり、まさにそれは謂わば菩薩の十地に匹敵する者でもある。であるからして、...宿善再考2

  • 第23回 仏教ミニ法話「宿善論再考」 浄土真宗 善知識 信心獲得 信心決定 功徳 善根 慈悲行

    第23回仏教ミニ法話「宿善論再考」浄土真宗善知識信心獲得信心決定功徳善根慈悲行2024年8月25日https://youtu.be/RVOffHY9BUA?feature=shared第23回仏教ミニ法話「宿善論再考」浄土真宗善知識信心獲得信心決定功徳善根慈悲行

  • 命の大切さを説くための空や縁起ではない

    41分45秒ぐらいのところからは、日本における仏教の一部変質に関して、非常に大事なことを述べていらっしゃいます。本来、解脱、悟りを目指すべき仏教が、現実の幸せや命の大事さ、大切さの再認識を求めるようなものへと成り下がってしまっていったありようについて、となります。もちろん言うまでもなく命は大事なのではありますが、輪廻(迷い苦しみ)の解決からは遠ざかるような生きることへの重視(ある意味での生への執着を助長するようなもの)に主眼を置くようなことも説き始め出したのではないかというご指摘であります。生死は一大事のことですが、問題は、輪廻、迷い苦しみの連鎖から抜け出すためにどう生きるか、実践するか、であります。仏教は、命の大切さ云々を説くための教えではないということであります。簡単には、命の大切さを説くための空や縁...命の大切さを説くための空や縁起ではない

  • 宿善論は、前世までのものであるのか、善知識に遇うまでのものであるのか、獲信までのものであるのか

    なべさんは、桜嵐坊さんからの反論より、新しい領解文、本願寺派総合研究所のXの法話についての批判へとかわした感じか、、宿善論は、前世までのものであるのか、善知識に遇うまでのものであるのか、獲信までのものであるのか、、善知識に遇うまでの今世も含めてのあり方を考えるのが妥当であると思われるが、考察中である。しかし、Xの法話の内容は、あまりにもお粗末すぎる、、勧学寮のチェックも入れてはいないのだろう。宿善論は、前世までのものであるのか、善知識に遇うまでのものであるのか、獲信までのものであるのか

  • 聖が俗へと転落するのは戦時教学と同じ過ち

    世俗の顔色を伺って、教義を変えてしまった結果が、新しい領解文のテイタラクとなってしまったのでもあるのだろう、、聖が俗へと転落するのは戦時教学と同じ過ちであり、何も反省がなされていない証左でもある。聖が俗へと転落するのは戦時教学と同じ過ち

  • 宿善についての考察

    宿善の定義を前世までのものとするならば、純粋に最初から浄土往生を願い、浄土門に入る者は少ない中、色々と他の教えも聴きながらに、どんなものか程度に何となくに聴きに来たような者では、宿善が少なければ、他へ行ってしまうだけになるし、宿善が少ない者は最初から往生は諦めよと言ってしまっているようにも思ってしまうのである。また、宿善のある者は残るが、ない者は、もうどうしょうもない、往生できないし、信心も獲れないから無駄だと捉えられかねない面も、、浄土門に入った者は宿善のある者、入らない者は宿善のない者とかというラベル付けもされかねない、、少し話が逸れるが、他宗派より優れた、選ばれてあるとする優等生意識が高くあるのはもしかしたらこういったことも関係があるのかもしれない、、他宗派を見下している感じである。更には、既に今生...宿善についての考察

  • 第22回 仏教ミニ法話「仏教の功徳について」 慈悲 利他 六波羅蜜 菩提心 十善 無財七施 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月21日

    20回と21回が公開の時間を間違えしまっていたため、リストでの順番が逆になってしまっていた・・気をつけないと・・第22回仏教ミニ法話「仏教の功徳について」慈悲利他六波羅蜜菩提心十善無財七施岩瀧山往生院六萬寺2024年8月21日https://youtu.be/rNkESuhnrog?feature=shared第22回仏教ミニ法話「仏教の功徳について」慈悲利他六波羅蜜菩提心十善無財七施岩瀧山往生院六萬寺2024年8月21日

  • >第21回 仏教ミニ法話「愚者になりて往生す」 本願 18願 阿弥陀如来 他力信心 信心獲得 信心決定 疑心 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月20日

    第21回仏教ミニ法話「愚者になりて往生す」本願18願阿弥陀如来他力信心信心獲得信心決定疑心岩瀧山往生院六萬寺2024年8月20日https://youtu.be/3B7oOR0idJA?feature=shared>第21回仏教ミニ法話「愚者になりて往生す」本願18願阿弥陀如来他力信心信心獲得信心決定疑心岩瀧山往生院六萬寺2024年8月20日

  • 第20回 仏教ミニ法話「浄土真宗は全分他力ではないということについて」 本願 18願 阿弥陀如来 他力信心 信心獲得 信心決定 疑心 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月19日

    第20回仏教ミニ法話「浄土真宗は全分他力ではないということについて」本願18願阿弥陀如来他力信心信心獲得信心決定疑心岩瀧山往生院六萬寺2024年8月19日https://youtu.be/U7U4_IIr0XY?feature=shared第20回仏教ミニ法話「浄土真宗は全分他力ではないということについて」本願18願阿弥陀如来他力信心信心獲得信心決定疑心岩瀧山往生院六萬寺2024年8月19日

  • 愚者になりて往生す

    青原さんに以前聞かれていたことともあわせて、、公開にするとまた怒られるから友達だけにしておこう、、もともと顕教の他力は、成仏における最後有の菩薩が如来の力を必要とすることを意味するものであったのを、往生にも拡大することを図るためその救いの範囲を広げられるためになされたのが、大慈悲を起こされた阿弥陀如来の誓願であり、そのためにどのような者でも、凡夫でも可となる他力信心を条件となされたのであります。親鸞聖人は、他力信心は如来回向により無条件に賜るものではなく、信心への無疑心を重視され、無疑心による信楽へと至ることが真実信心であるとして諭されたのであります。全分他力のパラドックス、矛盾を十分に看破なされてのことでもあります。それでは無疑心は、他力の凡夫でしか可とならないのかどうかを検討していましたが、そのようで...愚者になりて往生す

  • 蓮如上人が三井寺に預けた親鸞聖人坐像を取り戻すために、自ら首を差し出した親子の話

    蓮如上人が三井寺に預けた親鸞聖人坐像を取り戻すために、自ら首を差し出した親子の話。間違いを糺して、宗祖の恩徳に報いる時は今なりと、まさに命懸けで取り組む覚悟がなければ、新しい領解文問題の解決もやはり難しいであろう。蓮如上人が三井寺に預けた親鸞聖人坐像を取り戻すために、自ら首を差し出した親子の話

  • 空性の認識について

    空性は、当然に形象をもたないものなのであるから、延長として空性の知について議論するのは間違いであるが、空性の認識について考えるこの視点は重要なのである。もちろん、顕現のあるものを捉える知のあり方は、形象虚偽とされるべきであろう。顕現、形象はどこまでも虚偽としての顕れであるからである。もちろん、煩悩障と所知障によるものであるからだ。また、例えば、煩悩障を断滅した聖者における等引知・三昧知における空性了解の段階は、顕現、形象の虚偽がない空性のみを認識している状態であるから、この議論における顕現、形象への知とは関係のないものである。しかし、では顕現、形象のない空性を認識する知とはいったい何か、どのような知であるのかということである。これが仏性とか、如来蔵などと関連してくる非常に大事なところにもなるのである。もち...空性の認識について

  • 形象虚偽と形象真実についての考察備忘録

    二年前にも色々と考えていたのだな・・二年前、少し詰めきれていないのだが、仏陀は無顕現は無顕現である。正確には、仏智は、無顕現で離戯論である。どのようにして衆生に現れてある顕現をご覧になられるのかは、最近の動画でも述べてあるとおりである。しかし、この考察、見返すと恥ずかしいところもあるが、かなり貴重だ。・・形象虚偽と形象真実についての考察備忘録(乱雑なメモ)・・青青と眼に映えている者青(色)と知っている者青と眼に映えている者青(色)と知らない者青と眼に映えていない者(色盲)(但し別の色に映えている場合もある。例えば緑など)青(色)と識別できない者(青色がどのような色かはわからない者)(但し別の色については青と知っている者と同様に識別できている場合もある)眼に何色も映えない者(盲目)但し黒色(闇色)は識別でき...形象虚偽と形象真実についての考察備忘録

  • 新しい領解文問題解決への処方箋

    門主に責めはない、責めを問わないとの考えが、逆に門主を傷つけ、恥を晒させ続けることになり、解決を遅らせ、長引かせることになってしまっている。諫言し、翻意を促し、意向を撤回させれば、あっという間に解決するでしょうが、いずれが真に門主のためかを見誤っていると言えるだろう。しかし、門主の善徳行、慈悲行、功徳を重視するとした通仏教への歩み寄りを図りたいとのことは理解ができる。だが、二諦の解釈を完全に誤っているため、それもおかしいものとなってしまっているのである。もし、通仏教と会通したい、善徳行、慈悲行への取り組みを推進したいとするならば、教義内で宿善として推奨する方法もあるであろうし、信心(特に無疑心)へと向けて必要なものとすればとも思うのである。いずれにしても全分他力では誤謬が多くなるため、一定条件として認める...新しい領解文問題解決への処方箋

  • 浄土真宗は全分他力ではない

    18回でひとまずとしましたが、浄土真宗は全分他力であると強くおっしゃる方がもちろんおります。それも承知のことではあります。しかし、もしも、浄土真宗が全分他力であれば、当然に疑心の有無など問われないことになるはずですが、親鸞聖人はそうではありませんでした。また、全分他力ならば、浄土宗と違って齟齬が生じるのは、浄土真宗の場合、往生と成仏がセットである以上、すでに十法界、虚空界は仏で満ち溢れることになっており、娑婆にも弥勒仏を待つまでもなく、還相にて済度する仏が現れ溢れているはずとなっているからであります。しかし、そのような様子はみられないわけです。更には、極楽浄土の一仏国土、一三千大千世界を担当の阿弥陀如来は、他の世界である娑婆世界のみならず、十法界へも本願を照らして済度しておいでであるならば、全分他力の場合...浄土真宗は全分他力ではない

  • 「宗門を正常化する推進協議会」(宗正協)から、「新しい領解文」の問題を端的に示された文書

    昨日にも書いたように、勝義と世俗の二諦の間違いが原因となっているのは明らかであります。二諦については下記考察、ミニ法話、第1回〜6回を参考にもして頂けましたら有り難いです。第1回仏教ミニ法話「勝義と世俗」仏陀の認識論蔓延る悪取空見https://youtu.be/PdcgnRdb5_k?feature=sharedしかし、これまでの親教など公式な発言を勘案すると、門主の強い意向によることもあって、混迷が続いているわけであるのだから、それを問わないならば、やはり解決は難しいのではないだろうか。意地でも撤回などしないとなったら、余計に恥をさらさせることになるだけである。いずれが真に門主のためか、である。「宗門を正常化する推進協議会」(宗正協)から、「新しい領解文」の問題を端的に示された文書

  • 第19回 仏教ミニ法話・質問アンサー「無縁供養について お盆にご先祖様が返ってくるところ ウクライナ・ロシアにおける戦争での殺人について」 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月17日

    ようやくミニ法話、本格的に開始となります。頂いておりますご質問3問へ、アンサー20分以内にて。これからこのような形式が主となって参ります。宜しくお願い致します。第19回仏教ミニ法話・質問アンサー「無縁供養についてお盆にご先祖様が返ってくるところウクライナ・ロシアにおける戦争での殺人について」岩瀧山往生院六萬寺2024年8月17日https://youtu.be/G0zejfuFIoI?feature=shared第19回仏教ミニ法話・質問アンサー「無縁供養についてお盆にご先祖様が返ってくるところウクライナ・ロシアにおける戦争での殺人について」岩瀧山往生院六萬寺2024年8月17日

  • 勝義と世俗の二諦の間違いが原因となっている

    昨日にも書いたように、勝義と世俗の二諦の間違いが原因となっているのは明らかであります。二諦については下記考察、ミニ法話、第1回〜6回を参考にもして頂けましたら有り難いです。第1回仏教ミニ法話「勝義と世俗」仏陀の認識論蔓延る悪取空見https://youtu.be/PdcgnRdb5_k?feature=shared勝義と世俗の二諦の間違いが原因となっている

  • 第18回 仏教ミニ法話「獲信の構造と体験 浄土真宗の信心について」 疑心 無疑心 18願 信楽 他力信心 本願 名号 阿弥陀如来 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月16日

    なまんだぶの飯田さんに頂いていた課題への今のところの拙生からのお応え。ひとまず1~18回まで、頂いていた質問への一つの区切りと致します。結局は、「無疑心→三心(信楽)→信心決定・獲得」となるもので、「無疑心イコール三心(信楽)」ではない、ということを考えたのであります。また、無疑心は、八地以上の菩薩や阿羅漢でも可能であるものと考えられるからでもあります。凡夫でしか無理というわけではもちろんないからです。親鸞聖人の教え、浄土真宗は、「全分他力」であるのかどうか、そのことについては、必要あれば再検討して参りたいと思います。当初通りのミニ法話は、次回以降からとなりますので、どうかご了承下さいませ。第18回仏教ミニ法話「獲信の構造と体験浄土真宗の信心について」疑心無疑心18願信楽他力信心本願名号阿弥陀如来岩瀧山往...第18回仏教ミニ法話「獲信の構造と体験浄土真宗の信心について」疑心無疑心18願信楽他力信心本願名号阿弥陀如来岩瀧山往生院六萬寺2024年8月16日

  • 新しい領解文問題の元凶

    つまり、空を根拠とした縁起のあり方を重視するわけである・・もちろん、縁起を根拠とした空のあり方を了解して、勝義へ向かうのが仏教であるのだが・・凡夫に如来の立場に無理に立つように言っているようなもので、それはかなり難しい・・が、これであの表現も理解ができるわけなのでもある。二諦を間違えているのではあるが、この考え方であるならば、新しい領解文に固執するのも当然となるのであろう・・結局、門主がやはり元凶なのであろう。辞めさせない限りもはや撤回はありえないのではないだろうか。。新しい領解文問題の元凶

  • 往生院復興協賛者名簿

    本堂には往生院復興協賛者名簿がある。多くの方から浄財を頂戴している。几帳面であった先代が多少にかかわらず全て記載されたのであろう。貮号しか現存していないが、三百人近い方のお名前がある。もちろん、皆もうお亡くなりになられている。中には故・元財務大臣の塩川正十郎先生の父、正三氏のお名前もある。近畿大学の世耕弘一初代総長や、大阪商業大学の創設者、谷岡登氏、九條家、鷹司家の祈願寺であった関係からでもある鷹司家当主であった鷹司信輔氏などのお名前も見える。先代と親交の深くあった法隆寺管主の佐伯良謙師のお名前も。合掌である。往生院復興協賛者名簿

  • 令和6年 お盆法話 「YouTubeでミニ法話」 施餓鬼法会での法話の内容について 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月15日

    令和6年お盆法話「YouTubeでミニ法話」施餓鬼法会での法話の内容について岩瀧山往生院六萬寺2024年8月15日https://youtu.be/sNJ2H7B4-bU?feature=shared令和6年お盆法話「YouTubeでミニ法話」施餓鬼法会での法話の内容について岩瀧山往生院六萬寺2024年8月15日

  • 親鸞聖人坐像を前に、昨今の異安心、無帰命安心の横行を憂う

    証空上人は、全分他力を説かれながら、一方では当麻曼荼羅、来迎会など観想のあり方を相当に重視されたのは、河内往生院、河内浄土院におけることからも明らかなところである。全分他力ではあるが、そこへ向けてのあり方については、慎重にあるべきを示されていた。また、証空上人は、布教活動において九條家の支援を全面的に得られており、九條家により金堂が建立された中興往生院では、西山義を奉じられていた可能性が極めて高いものの、九條道家の代には東福寺の末寺となり、臨済宗に改宗。そして早い段階で来迎会も修されなくなったと考えられるのである。臨済宗改宗直前に、往生院では親鸞聖人の最初の妻、玉日姫の供養として来迎会が行われた可能性があることが最近に分かってきた。もちろん、当麻寺における来迎会の始まり、藤原家の姫、中将姫に倣ってである。...親鸞聖人坐像を前に、昨今の異安心、無帰命安心の横行を憂う

  • 証空上人の他力理解

    証空上人の他力理解は、実は密教とも通じるところがある。十地、最後有の菩薩が成仏する際、顕教によっての禅定力では成仏できず、必ず密教、灌頂による如来加持を要するというものである。行者の自力だけでは最終的に成仏はできないというのは、最後有の菩薩でも自分の力では彌陀浄土に往生(成仏)できないとして、証空上人は看破されていたのである。結局、最後は他力での往生、成仏であるなら、最初から全てとして、全分他力へと振れられた可能もあるのである。行き過ぎた解釈ではあるが、密教にも精通なさられていた可能性は極めて高く、法然聖人と同様に当時、日本に招来されてあった一切経に通じ、相当な智者であったと推測できるのではある。証空上人の他力理解

  • 親鸞会の問題

    宿善の問題は、疑心に絞って議論すべきですが、疑心も彌陀回向で解決するとしては、いつまでも議論の焦点が合わない、噛み合わないものになり、また、彌陀回向で解決する問題ではないとしても、疑心解決への宿善は聴聞第一ながら、それだけなら聴聞の多少で往生が決まることになるわけですが、そんなこともありません。また、宿善を聴聞だけとしても問題があるものになります。もちろん、まともな聴聞ができていない、本当の善知識がいないとなれば、それも別問題になりますが、それでも聖教を正確に理解できれば、往生できるはずであり、聴聞第一にする理由は、智慧の多少になるべくかかわらないからです。しかし、結局のところ、疑心を破るには自分の側の認識、理解の問題があるとして、それには聴聞以外にも必要となる善根、功徳がないと難しいのではないかと考えら...親鸞会の問題

  • 連の新しい領解文に至った流れに三願転入、宿善推奨の先祖返りも関係あるか

    親鸞会のなべさんがすぐおすすめで下のリールに、、最近よく観ているからなのでしょうが、、https://youtu.be/R47vVbqsFS0?si=NlWlBcJd7TKmAukbしかし、一連の新しい領解文に至った流れが、戦前における三願転入、宿善推奨の先祖返りを必要としたものとの判断にあったとすれば、なるほど一定の理解ができるものであるとは言えるが、それが過度な反応になった理由には、親鸞会との論争におけるアレルギーもあるのと共に、今さらそれを認めるとなれば、親鸞会の主張に負けたとして、自分たちのプライドが許さないということも、多少はあるのかもしれない。他宗派へは、自力を否定し、聖道門を劣ったものとして見下して、自宗を大乗の至極と言っておきながら、今さら自力の功徳善根も大事だとも言えないということもある...連の新しい領解文に至った流れに三願転入、宿善推奨の先祖返りも関係あるか

  • 第17回 仏教ミニ法話「如来回向(本願力回向)と疑心 全分他力と疑心 至心 信楽 欲生 18願 他力信心 本願 名号 阿弥陀如来

    明日から5日間、施餓鬼供養になります。ミニ法話は、お盆から開始する予定でしたが、17回まで、試験的に頂きました質問を中心に取り組みをしました。また、お盆で集めたご質問、話題等から、本格的に始めたいと思います。次回以降は月2〜3本になるかと、、また、歴史関係の調査シリーズも再開する予定です。前回動画におきまして頂きましたご意見からも反省、見直しして、更に考究を進めて参りたいと思います。第17回仏教ミニ法話「如来回向(本願力回向)と疑心全分他力と疑心至心信楽欲生18願他力信心本願名号阿弥陀如来https://youtu.be/cCTjk7QSZNw?si=yBQwuETPZY5AErBZ第17回仏教ミニ法話「如来回向(本願力回向)と疑心全分他力と疑心至心信楽欲生18願他力信心本願名号阿弥陀如来

  • 浄土真宗本願寺派 とり亮顕

    他力の道を求むる姿勢に敬意を頂いて、こちらを紹介頂いた。ありがとうございます。なるほどです。宿善もやはりという議論がある。門主も三業惑乱以来における宿善不要派による宗門の閉塞からの打破を図るために、必要とする方向へと舵を取ろうとしたのかもしれない。しかし、新しい領解文が、あまりにも不備のある稚拙なものを出してしまったがゆえに、大きく後退を余儀なくされてしまったわけではあるが、この方向性は、門主が辞めない限り、これからも変わらないかもしれない。とにかく、無疑心までを他力回向のはからいによるとなれば、全分他力として、もう、なすべきことがもちろん、何もなくなる。また、何をしても図らいの中、自力行、六波羅蜜を実践しても、他力のはからいの中となれば、何をしようが、異安心も無帰命安心もないということになる。究極の予定...浄土真宗本願寺派とり亮顕

  • 全分他力と疑心

    全分他力では、疑心があっても往生を可とするが、やはり、疑心があっても、無くても、無条件の救いを彌陀の他力回向によると考えるからなのであろう。三心も当然に彌陀の側にて具えて頂けるものと考えるのである。そういうことならば、輪廻の衆生など既にいなくなっていてもおかしくないのではあるが、そうではない。やはり、当然に三心の具足には何らかの条件があると考えられるのである。消去法で残るのは、やはり本願疑心が最有力となるのである。その本願疑心も破るのが他力回向によるものとすれば、全分他力として、結局は疑心があっても、なくても、仮にあってもこちら側で何もせずともその疑心も晴れることになり、往生も可となると考えられるのである。ならば、実質的には疑心があっても往生は可ということと同じでもあり、全分他力と変わらないことになる。衆...全分他力と疑心

  • 如来回向と疑心

    三心が如来により他力回向されてあるとして、三心の妨げとなっている本願疑心を破ること(信楽)も回向されてあり、名号にその功徳、利益の力があるとしたならば、衆生の側でなすべきことは何もなくなり、何もしなくても、また逆に何をしても往生できると考えられるのではあるが、やはりそのようなものであるのだろうか。。疑心は、こちら側で解決をすべき問題として捉えてきたのではあるが、聴聞により、本願・名号のいわれを聴いて、こちら側の納得、得心が疑心の対治になると考えてきたわけであるが、少し見直して参りたいと思います。如来回向と疑心

  • 全分他力と疑心

    全分他力では、疑心があっても往生を可とするが、やはり、疑心があっても、無くても、無条件の救いを彌陀の他力回向によると考えるからなのであろう。三心も当然に彌陀の側にて具えて頂けるものと考えるのである。そういうことならば、輪廻の衆生など既にいなくなっていてもおかしくないのではあるが、そうではない。やはり、当然に三心の具足には何らかの条件があると考えられるのである。消去法で残るのは、やはり本願疑心が最有力となるのである。その本願疑心も破るのが他力回向によるものとすれば、全分他力として、結局は疑心があっても、なくても、仮にあってもこちら側で何もせずともその疑心も晴れることになり、往生も可となると考えられるのである。ならば、実質的には疑心があっても往生は可ということと同じでもあり、全分他力と変わらないことになる。衆...全分他力と疑心

  • 三心一心 三一問答 三心即一心 と 無疑心

    この三心は、如来から回向されて我々が起こせるものだとも考えるわけですが、ならば、他力信心、無疑心も回向されて起こせることになるわけです。であるならば、もう何もする必要など余計になくなるのであり、異安心、無帰命安心に陥りかねないのであります。18願の三心は、往生のために衆生の側で起こす心ではあるが、しかし、三心には疑心が邪魔しているということであり、問題は三心が疑心のせいで真に起こせないことにあるわけです。三心まで阿弥陀如来から頂ける、回向して下さっているとするならば、三心を一つとしたら、無疑心も頂けるとなり、もとから何も必要なく、皆、往生しているはずなのであります。しかし、そうではないため、疑心は衆生の側で解決すべき問題であるといえるのであります。三心一心三一問答三心即一心と無疑心

  • 第16回 仏教ミニ法話「三一問答 三心即一」 三心即一心 三心一心 至心 信楽 欲生 18願 他力信心 疑心 本願 名号 阿弥陀如来

    三心を妨げているものは、もちろん本願への疑いである疑心のみとするわけですが、得るべき疑心の無くなった無疑心の信心、他力信心のありようを真ん中の信楽としてまとめてしまうのは、18願の条件をぼやかすものとなりかねないと考えるのである。三心は三心として、そのまま考える必要があると思うのである。第16回仏教ミニ法話「三一問答三心即一」三心即一心三心一心至心信楽欲生18願他力信心疑心本願名号阿弥陀如来https://youtu.be/xMYonGLHUCo?feature=shared第16回仏教ミニ法話「三一問答三心即一」三心即一心三心一心至心信楽欲生18願他力信心疑心本願名号阿弥陀如来

  • 第15回 仏教ミニ法話「信心決定 信心獲得の事態について」 聴聞は自力行か? 他力信心 三願転入 本願 名号

    いくつかの質問にも。第15回仏教ミニ法話「信心決定信心獲得の事態について」聴聞は自力行か?他力信心三願転入本願名号https://youtu.be/6jnlJv-4t1M?feature=shared第15回仏教ミニ法話「信心決定信心獲得の事態について」聴聞は自力行か?他力信心三願転入本願名号

  • 空の思想

    日本では空思想を学ぶ中心は、般若心経や金剛経からが主なものであると言えるが、閑談で述べたように、チベットでは現観荘厳論からであり、認識論、唯識がセットになり学びが行われてあるのである。般若心経も読誦されて重要な経典には間違いないが、どちらかと言えば、密教経典的な扱いと言える。また、チベットでは、空の思想に関しては入中論からが中心となるが、やはり認識論と離れてあるものではない。認識論・論理学が要なのである。桂先生の専門であり、かの満井論文にては、桂先生のお墨付きを得たなどと書いてあったのが、いまだに信じられないし、多分、もとから得てなどいないと思われるのである。空の思想

  • 拙投稿にヒョウゲモン、へうげもんさんからのご意見を拝見して

    昨日の拙投稿にヒョウゲモン、へうげもんさんからのご意見を拝見して、、門主の政治的失態が、騒動の一番の要因であるものの、意向に固執したことからこの問題が長引くことになったが、やはり、腑に落ちないのは宿善、善根のススメである。宿善、善根のススメが、18願以外の修習のあり方、方便行も認めると言うことを意図するのであれば、なるほど、転換の意図は一定理解ができる。異安心、無帰命安心の横行も憂い、18願に固執するあまり離れる門徒を繋ぎ止めるためということである。ならば門主は門主で旧態依然たる弊害を打破するためにやってきたことがあるとも評価できるわけである。蓮如上人を意識してのことでもあるのだろうか。しかし、手法、人選に問題があり過ぎたとも言えるだろう。特にあの総長が全てを裏目へと出してしまったのである。いずれにしても...拙投稿にヒョウゲモン、へうげもんさんからのご意見を拝見して

  • 般若心経について

    親鸞会のなべさん、他の法話も色々とあるが、空についてもそれなりに分かりやすく説明をされており、よく勉強しているのが伝わる。40年以上、人に教えを説いているだけに、法話とはかくあるべきと言えるもので、法話とはどうあるべきかを考えると、教えられることは多い。しかし、この回においては、十住毘婆沙論は、龍樹菩薩の真著としては怪しいこと、サンスクリット原典とチベット語訳も無いことについては言及がないし、龍樹菩薩の密教の著書や思想についてもスルーされているので、やや偏見があるとは言えるだろう。また、空の思想は、執着や煩悩を無くすためではなく、正しい認識のありようを調えるためのものである。正しい認識によって、執着や煩悩も無くせることになるのである。般若心経では、遠離一切転倒夢想究竟涅槃、逆さまになっている誤った認識を離...般若心経について

  • 第14回 仏教ミニ法話「仏願の生起本末について」 聞即信 三願転入 信心決定 信心獲得 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月7日

    信心決定、信心獲得の事態とはどのようなものか、譬えを挙げてみました。引き続きに、次回にも扱いたいと思います。第14回仏教ミニ法話「仏願の生起本末について」聞即信三願転入信心決定信心獲得岩瀧山往生院六萬寺2024年8月7日https://youtu.be/B43LQHLklvE?feature=shared第14回仏教ミニ法話「仏願の生起本末について」聞即信三願転入信心決定信心獲得岩瀧山往生院六萬寺2024年8月7日

  • 桜嵐坊さんからの反論動画

    親鸞会のなべさんの批判動画に対しての桜嵐坊さんからの反論動画。この双方の議論からも学べることが色々とあります。桜嵐坊さんからの反論動画

  • 三願転入

    拙動画でも述べてあるように、他力信心へ至るためには、親鸞会さんのように必ず19、20、18と経なければならないというわけではないと考えている。かといって18だけからというのも無理がありすぎる。どちらも極論なのであり、そうではなく、個々人における過去世からの業、功徳、仏縁、仏道進捗等を勘案して他力法門を進めるように調えていくのがベスト、親切になるのである。また、他力信心へ向けた宿善、善根が足りなければ補わねばならないし、聴聞だけでは無理となれば、別にて補わねばならないことにもなるのである。ましてや、異安心や無帰命安心が横行していては、その聴聞もまともにできるものではないのである。とにかく、18願(ほぼ成仏に匹敵する境地)からとは、仏教的にいきなり勝義に入れと言うのと同じで、それはあまりにも凡夫には酷で難し過...三願転入

  • 第13回 仏教ミニ法話「雑談・閑談 1」原爆忌に思う 仏教の法話について ダルマキールティ大師の量評釈について

    つらつらに、、とにかく量評釈を理解したい、、どなたかお願いします、、第13回仏教ミニ法話「雑談・閑談1」原爆忌に思う仏教の法話についてダルマキールティ大師の量評釈についてhttps://youtu.be/fK_JH3V6QH8?feature=shared第13回仏教ミニ法話「雑談・閑談1」原爆忌に思う仏教の法話についてダルマキールティ大師の量評釈について

  • 念仏

    そういえば、西本願寺さんに初めて行った慶讃法要初日、あまりにも念仏する者の少なさを不思議に思ったものだが、最近、なるほどとやっと理解できた。元親鸞会の宮田さんの桜嵐坊さんのところでの話を聞いて、にもなるが、、つまり、西本願寺さんの場合、念仏をしたら、称名念仏行、20願なんぞは、自力での方便、いらんやろ、捨てろやとなり、白々しく見られることになり、一方で、親鸞会さんの場合、称名念仏をしたら、お前は20願に入ったと空々しく吹聴しているのか、そんなわけないやろう、まだ当然に19願やろが、と白々しく見られることになるということか、、と。これが両者の念仏の現実なのである。もちろんあくまでも私見であるが。。念仏

  • 三業惑乱

    三業惑乱がわかりやすいと頂きました。元々から礼拝、誓願行を五正行の宿善と考えれば、何も問題なく他力信心に向けた行と認められていたはずであり、三業帰命は、一時、安心であるとして宗門から正式に認められていたのであったが、その強制が始まると、一気に騒動へと発展したのである。新しい領解文、強制唱和も同じような流れだ。強制唱和が騒動の引き金となった。三業惑乱にて、三業帰命が異安心となったことで、これを境に、本願寺派では宿善のあり方が一気に消極的なものになったと思われるのである。しかし、今日的な異安心問題である新しい領解文への一連の流れの中では、宿善、善根への取り組みを復活させていこうという動きも垣間見られる。新しい領解文の無帰命安心ぶりも含めて、宿善に関しての迷走も見られるのである。三業惑乱の功罪が窺えるのである。三業惑乱

  • 親鸞会の渡部氏のYouTube動画を観て

    少し三願転入のことで親鸞会の渡部氏のYouTube動画を色々とみていたら、以来、関連(親鸞会と名前はないが)のものがこれでもか、これでもかと、あがってくる、、関連含めて凄まじい量だ、、これは危機感を持って、各宗派、各教義的な核心的な理論に関する話、法の話のアップに真剣に取り組んだ方が良いと思われる。親鸞会の渡部氏のYouTube動画を観て

  • 20年中観を学んで、私などまだ今、ミニ法話でアップした内容程度のレベル

    法王様が一般向けにされた法話は、たくさんYouTubeにアップされているが、それらはあくまでも一般向けばかりの話である。法王様がある程度本気でなされた法話が日本語訳でアップされてあるのはこのシリーズぐらいであるが、これも灌頂受者の理解に合わせて中級ほどのものなのである。チベット僧院内では、もっとさらに難解高度なレベルの法話を僧侶に向けてなさられているのである。論理学をしっかり学んでいなければ全く理解ができない。20年中観を学んで、私などまだ今、ミニ法話でアップした内容程度のレベルなのであり、情けない。20年中観を学んで、私などまだ今、ミニ法話でアップした内容程度のレベル

  • 第12回 仏教ミニ法話「三願転入について 2」 宿善をどう考えるか 阿弥陀如来 阿弥陀佛 本願 誓願 18願 19願 20願

    三願転入について2初回から12回まで、少し難しい話ばかりになってしまったので、次回は、雑談・閑談にしたいと思います。。https://youtu.be/rbDyRlrpxF0?feature=shared第12回仏教ミニ法話「三願転入について2」宿善をどう考えるか阿弥陀如来阿弥陀佛本願誓願18願19願20願第12回仏教ミニ法話「三願転入について2」宿善をどう考えるか阿弥陀如来阿弥陀佛本願誓願18願19願20願

  • 三願転入について

    以前はあまりよく分からなかったが、とにかく、親鸞会さんの教義的な肝要は三願転入にあることが、これでようやくに理解ができた。普通に考えるならば、今世で18のみ、あるいは、20から18へと入れる者は極めて少なく、基本的に浄土門で、阿弥陀如来の誓願における救いの道を進もうとする者は、19からとならざるを得ないであろうと思われるのである。もちろん、必ず誰もが19から入るわけでもない。それは、過去世からの業や功徳、仏縁等次第になるのである。もちろん18願一願のみに入りなさいという教えが浄土真宗の肝要である。速やかにいかに18願から入り、信心獲得しうるかが問われるところになる。ただ、やはりそう単純に、簡単ではないと今のところ言わざるを得ない。他力信心が成仏のための全ての資糧の力を有する以上、その難しさは、ある程度予測...三願転入について

  • 第11回 仏教ミニ法話「三願転入について」阿弥陀如来 阿弥陀佛 本願 誓願 18願 19願 20願 浄土真宗 新しい領解文 異安心 無帰命安心 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月4日

    三願転入について改めて考えてみて、親鸞会さんが「善のススメ」を言う理由が、やっとよくわかった、、第11回仏教ミニ法話「三願転入について」阿弥陀如来阿弥陀佛本願誓願18願19願20願浄土真宗新しい領解文異安心無帰命安心岩瀧山往生院六萬寺2024年8月4日https://youtu.be/FI9H5ODN1ME?feature=shared第11回仏教ミニ法話「三願転入について」阿弥陀如来阿弥陀佛本願誓願18願19願20願浄土真宗新しい領解文異安心無帰命安心岩瀧山往生院六萬寺2024年8月4日

  • 第10回 仏教ミニ法話「三業惑乱について」三業帰命 一念帰命 浄土真宗 西本願寺 本願寺派 新しい領解文 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月3日

    暑さと疲れで頭がまわっていない・・結局は、誓願行まではっきりと自力行にあたると否定されたことによる三業惑乱の影響が、今日における「新しい領解文」問題にまでも及んでしまっているとも考えることができます。第10回仏教ミニ法話「三業惑乱について」三業帰命一念帰命浄土真宗西本願寺本願寺派新しい領解文岩瀧山往生院六萬寺2024年8月3日https://youtu.be/F8jOC_b0VM8?feature=shared第10回仏教ミニ法話「三業惑乱について」三業帰命一念帰命浄土真宗西本願寺本願寺派新しい領解文岩瀧山往生院六萬寺2024年8月3日

  • 浄土真宗のキリスト教化

    もし作成制定時の総長と勧学寮頭が、隠れキリシタンならば、本当にあり得ることなのかもとか、思えてきた、、いや、それ以前より阿弥陀如来の神格化、創造主最高善神化は派内に浸透されつつあったとか、、あるいは、隠れキリシタンによる過去の弾圧を受けた復讐とか、、これはまた陰謀論と馬鹿にされそうだが、予定調和と結びついた本願ならば、無帰命安心の蔓延は理解ができることになる。そういえば問題が出てきた当初にキリスト教と仏教との関係で東さんから教えてもらったのがあったが、あれはなんだったかな、、偽経の一種だったような、、浄土真宗のキリスト教化

  • 第9回 仏教ミニ法話「虚空の如き空性 幻の如き空性」 凡夫 聖者 仏陀 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月2日

    なぜ、お盆準備、塔婆書きが佳境で忙しい時に別にしなくてもよいことばかり精が出るのか、、第9回仏教ミニ法話「虚空の如き空性幻の如き空性」凡夫聖者仏陀岩瀧山往生院六萬寺2024年8月2日https://youtu.be/-sxykaMJVsk?feature=shared第9回仏教ミニ法話「虚空の如き空性幻の如き空性」凡夫聖者仏陀岩瀧山往生院六萬寺2024年8月2日

  • 第8回 仏教ミニ法話「浄土真宗における異安心の問題について」 新しい領解文 疑心往生 十劫安心 無帰命安心 仏凡一体 予定調和 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月2日

    新しい領解文、異安心の予定調和変遷説について少しまとめてみました。引き続きに考えて参りたいと思います。第8回仏教ミニ法話「浄土真宗における異安心の問題について」新しい領解文疑心往生十劫安心無帰命安心仏凡一体予定調和岩瀧山往生院六萬寺2024年8月2日https://youtu.be/FvgELjeJLm0?feature=shared第8回仏教ミニ法話「浄土真宗における異安心の問題について」新しい領解文疑心往生十劫安心無帰命安心仏凡一体予定調和岩瀧山往生院六萬寺2024年8月2日

  • 浄土真宗における無帰命安心の傾向が、神学による影響があるとしたら・・

    無帰命安心の傾向が、神学による影響があるとしたら、その是正を図るために、わざわざ新しい領解文でも、念仏者の生き方、生活指針までの指示が必要になるほどになっているとも考えられなくはない。社会的な(仏教的な功徳とは異なる)功徳の実践を親教において門主が訴えないといけないほどに、、阿弥陀如来の神格化がそこまで浸透しているということでもあるのかもしれない。悟りと煩悩は本来一つも、全知全能最高善神が、煩悩など衆生にお与えなさられるわけはなく、ただの救いへの試練の一つ、救われる、悟りへの試練に過ぎず、悟りと本来繋がってあるもの、とも考えられるわけです。しかし、このようなあまりにもご都合主義な考え方では堕落を促す恐れもあるため、堕落への予防線を張ったのが、後段とも。単なる異安心ではない、神学転換である可能性もあるわけだ...浄土真宗における無帰命安心の傾向が、神学による影響があるとしたら・・

  • 新しい領解文、疑心往生、十劫安心など、異安心に陥りやすい背景として、予定調和主義も関わってある可能性について

    新しい領解文、疑心往生、十劫安心など、異安心に陥りやすい背景として、予定調和主義も関わってある可能性について少し述べたわけだが、拙見解としては、仏教における悪取空見、勝義と世俗の間違った理解、混同によるものである可能性が高いとしていますが、神学における予定調和主義の考え方は、阿弥陀如来の本願と結びつくと、無帰命安心へと向かいやすいものとなるのではないだろうかと、その可能性の方が高いとのご指摘を頂いた。そこで思い出したのが、「神は乗り越えられる試練しか与えない」である。これもある意味で予定調和主義の考え方である。そこで、原文を調べてみると、「耐えられるように、のがれる道も備えて下さる」とある。なるほど、本願と結びつくと、「どんな試練(俗世の迷い苦しみ、境遇、境涯)であっても、耐えることができる(耐えなさい)...新しい領解文、疑心往生、十劫安心など、異安心に陥りやすい背景として、予定調和主義も関わってある可能性について

  • 第7回 仏教ミニ法話「仏教内における異端説が出てくる問題点について」 悪取空見 勝義と世俗 岩瀧山 往生院六萬寺 2024年8月1日

    特定の個人、誰かの問題というわけではなく、自戒も含めて、仏教全体の問題として考えて参りたいものでございます。第7回仏教ミニ法話「仏教内における異端説が出てくる問題点について」悪取空見勝義と世俗岩瀧山往生院六萬寺2024年8月1日https://youtu.be/8X53UwvHjw8?feature=shared第7回仏教ミニ法話「仏教内における異端説が出てくる問題点について」悪取空見勝義と世俗岩瀧山往生院六萬寺2024年8月1日

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