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  • 第38回 仏教ミニ法話「無上瑜伽タントラ 倶生の大楽智にて空性を認識する修行が必要なのはどうしてなのか?」チベット密教 楽空無別 光明 幻身 父タントラ 秘密集会 灌頂 瓶灌頂補足

    まさに後生の一大事のためになのである。。第38回仏教ミニ法話「無上瑜伽タントラ倶生の大楽智にて空性を認識する修行が必要なのはどうしてなのか?」チベット密教楽空無別光明幻身父タントラ秘密集会灌頂瓶灌頂補足https://youtu.be/zn6o9U1L6Cw?feature=shared第38回仏教ミニ法話「無上瑜伽タントラ倶生の大楽智にて空性を認識する修行が必要なのはどうしてなのか?」チベット密教楽空無別光明幻身父タントラ秘密集会灌頂瓶灌頂補足

  • 第37回 仏教ミニ法話「無上瑜伽タントラ 四つの灌頂について 瓶・秘密・般若智・言葉」チッタマニターラ尊 秘密集会灌頂 ダライ・ラマ法王 幻身 光明 楽空無別 倶生の大楽 羯摩印 双入

    無上瑜伽タントラの四つの灌頂について軽く触れましたが、父タントラと母タントラの相違についてはまた改めて考えて参りたいと思います。第37回仏教ミニ法話「無上瑜伽タントラ四つの灌頂について瓶・秘密・般若智・言葉」チッタマニターラ尊秘密集会灌頂ダライ・ラマ法王幻身光明楽空無別倶生の大楽羯摩印双入https://youtu.be/MyYwXqjK_2c?feature=shared第37回仏教ミニ法話「無上瑜伽タントラ四つの灌頂について瓶・秘密・般若智・言葉」チッタマニターラ尊秘密集会灌頂ダライ・ラマ法王幻身光明楽空無別倶生の大楽羯摩印双入

  • (正確には)第36回 仏教ミニ法話「雑談・閑談 2」 チベット密教とのご縁・動画の背景にあるものについて

    今回は、雑談・閑談の2回目最近、言い間違いが酷いな・・歳か・・前回、瓶灌頂びょうかんじょうを、びんかんじょうとか言っていたし、今回も、回数を一つ飛ばしてしまったり、仏具太鼓・ダマルをダルマとか言っていたり・・ちゃんと見直してみたらもっとあるかも・・恥ずかしい・・(正確には)第36回仏教ミニ法話「雑談・閑談2」チベット密教とのご縁・動画の背景にあるものについてhttps://youtu.be/gIwM60Bq82c?feature=shared(正確には)第36回仏教ミニ法話「雑談・閑談2」チベット密教とのご縁・動画の背景にあるものについて

  • 「ききて疑うこころなき」が信心 愚聞のともにきくラジオ10

    疑心往生説は、空華派の宿善他力による考え方の影響があるのかもしれませんね。疑心≒自力≒宿善他力つまり、如来の調熟の光明、照育のはたらきにおけることで、疑心もその一つにしてしまうということです。「ききて疑うこころなき」が信心愚聞のともにきくラジオ10https://www.youtube.com/live/ol5_fly6GrA?feature=shared「ききて疑うこころなき」が信心愚聞のともにきくラジオ10

  • 第35回 仏教ミニ法話「最後有の菩薩よりも究竟次第の行者の方が成仏が速い場合があるのはどうしてなのか?」 密教 無上瑜伽タントラ 定寂身 定寂語 定寂心 幻身 光明 双入

    彼岸明け。疲れがすごいですね・・かなりバテてます・・無上瑜伽タントラの体系を学ぶ意義について。そろそろ歴史調査の動画も再開したいところです。第35回仏教ミニ法話「最後有の菩薩よりも究竟次第の行者の方が成仏が速い場合があるのはどうしてなのか?」密教無上瑜伽タントラ定寂身定寂語定寂心幻身光明双入https://youtu.be/h4OzoVcbLZg?feature=shared第35回仏教ミニ法話「最後有の菩薩よりも究竟次第の行者の方が成仏が速い場合があるのはどうしてなのか?」密教無上瑜伽タントラ定寂身定寂語定寂心幻身光明双入

  • 仏教でもなく、真宗でもない「新しい領解文」のような紛い物がどうして堂々と成立して公式に発布されることになってしまったのか

    仏教でもなく、真宗でもない「新しい領解文」のような紛い物がどうして堂々と成立して公式に発布されることになってしまったのか。この背景にある元凶となっているものについて、今一度見直して反省しなければ、同じ過ちを繰り返すことになってしまうでしょう。仏教でもなく、真宗でもない「新しい領解文」のような紛い物がどうして堂々と成立して公式に発布されることになってしまったのか

  • 煩悩障を断滅してある最後有の菩薩よりも、いまだに煩悩障も断滅していない究竟次第における定寂心の行者の方が疾速に成仏へと至れるのはどうしてなのか?

    煩悩障を断滅してある最後有の菩薩よりも、いまだに煩悩障も断滅していない究竟次第における定寂心の行者の方が疾速に成仏へと至れるのはどうしてなのか?もちろん、第三灌頂、第四灌頂を既に受けているからであります。結局、最後有の菩薩は、いくら等引に入って成仏しようとしても、第三灌頂、第四灌頂を受けない状態であるならば、有漏の身体のままではいつまでも成仏ができないのであります。それよりも成仏のための必要な条件を確実に満たしつつある究竟次第の行者の方が、結果的には最後有の菩薩より成仏が速まることになるのであります。このあたりはかなり難しい理解にはなります。煩悩障を断滅してある最後有の菩薩よりも、いまだに煩悩障も断滅していない究竟次第における定寂心の行者の方が疾速に成仏へと至れるのはどうしてなのか?

  • 密教への誤解

    最もなる正論である。たまに、密教を、異次元なる超能力を得れるものであるかのように考えている方もあるが、全くそんなものではない。修験道は霊能者や魔法使いを育てるための道ではありません。むしろ、在家として神仏に奉仕し、善行を積み重ねて人々のために尽くす心を養うための修行です。その道を深く理解し、実践することこそが修験道の本質であり、外見的な力や異能を求めるものではありません。しかしながら、修行を十分に積んでいないにもかかわらず、異能者のように振る舞う者がいるのも事実です。神仏や霊の声が聞こえる、異次元が見える、宇宙人とコンタクトが取れるなど、さまざまな不思議な体験を主張する人々が存在します。これらを完全に否定するわけではありませんが、修験道の本来の目的や意義から大きく外れていることは明白です。私はそのような話...密教への誤解

  • 「新しい領解文」に固執するメリットは何もないのだが

    仏教でもなく、真宗でもない、「新しい領解文」に固執するメリットは何もないのだが、固執せねばならない「何か」がやはりあるということなのである。当初から分かっていることでもありますが、、有志の会も批判すべき的がズレたままでは、いくら矢を放っても何もアタリはしないのである。「新しい領解文」に固執するメリットは何もないのだが

  • 第34回 仏教ミニ法話「倶生の大楽智と楽空無別の智慧について」 中有 中陰 光明 譬えの光明 母子の光明 勝義の光明 無上瑜伽タントラ 三身修道 究竟次第 定寂心

    第34回仏教ミニ法話「倶生の大楽智と楽空無別の智慧について」中有中陰光明譬えの光明母子の光明勝義の光明無上瑜伽タントラ三身修道究竟次第定寂心https://youtu.be/7AfMtM6NGiE?feature=shared第34回仏教ミニ法話「倶生の大楽智と楽空無別の智慧について」中有中陰光明譬えの光明母子の光明勝義の光明無上瑜伽タントラ三身修道究竟次第定寂心

  • 【宿善論の変容:最終回】「新しい領解文」の源流を追う【消えゆく伝統宗学】

    とり亮さんは、桐渓順忍和上の宿善論、他力観が今日的に問題となっている「新しい領解文」へと繋がっているものであると解されているようであるが、そこはやや違っているのではないだろうかと思うのである。むしろ、「新しい領解文」は絶対他力に対しての反動的なものの一つと言えるのではないかとも見えるのである。いずれにしても、昔はもっと柔軟に仏道を求道していたということが言えるのではあるのだろう。【宿善論の変容:最終回】「新しい領解文」の源流を追う【消えゆく伝統宗学】【宿善論の変容:最終回】「新しい領解文」の源流を追う【消えゆく伝統宗学】

  • 第32回 仏教ミニ法話「中有における死の光明を空性として認識できたら成仏は可となるのか?」 中有 中陰 光明 譬えの光明 勝義の光明 無上瑜伽タントラ 三身修道

    第32回仏教ミニ法話「中有における死の光明を空性として認識できたら成仏は可となるのか?」中有中陰光明譬えの光明勝義の光明無上瑜伽タントラ三身修道https://youtu.be/wNA5MlBzGAA?feature=shared第32回仏教ミニ法話「中有における死の光明を空性として認識できたら成仏は可となるのか?」中有中陰光明譬えの光明勝義の光明無上瑜伽タントラ三身修道

  • 新しい領解文を産み出した悪取空見のその背後にあるもの

    結局のところ、この悪取空見のその背後にあるものが、新しい領解文を産み出した本丸、元凶であるわけです。空華学派や、石泉学派やとあえて遠回りしたわけではないのですが、考える会において当初より懸念していたことへとまた戻ってくるのであります...新しい領解文を産み出した悪取空見のその背後にあるもの

  • 新しい領解文を生み出したものとは何か

    聞かれましたので、少し解説しますと、桐渓順忍和上が、三世自力を否定する宿善自力説を唱えた背景には、やはり親鸞会の宿善説、三願転入、善の勧め等に関する対抗措置としての影響も幾分かあったのは否めないと思われるのであります。しかし、その代償は、宗門に閉鎖性、閉塞性をもたらし、その打開に向けた模索が「新しい領解文」へと向かうことになったと考えられるわけです。とり亮顕さんは、桐渓順忍和上の三世自力否定、宿善自力説が、「新しい領解文」へと繋がっていくことになっていると考えられているように思えますが、そうではなく、三世自力否定、宿善自力説による宗門の閉鎖性、閉塞性を打開するために、空華学派の宿善説、つまり、宿善他力説によって、他力の中の自力を一定認める方向へと転換を図ろうとしているのが、「新しい領解文」への一連の流れで...新しい領解文を生み出したものとは何か

  • とり亮顕氏【宿善論の変容③】「新しい領解文」を生み出してしまった宗学の源流を追う【消えゆく伝統宗学】

    一昔前の空華派の宿善他力説は、やはり、如来の照育や調熟の光明のはたらき(他力のはたらき)によるものとして、自力的な行いをある程度、意義のあるものとして是認していたということがあり、そのため、諸善万行も信心獲得の因縁になるものとして、完全に否定されるものではなかったと言えるのであるのでしょう。しかし、桐渓順忍和上は、空華派の宿善他力説は、絶対他力に反するものであるとして、宿善における一切の自力的な行い、諸善万行を完全に否定する立場へと宿善説を変容させたと考えられるわけであります。つまり、宿善は否定されるべき自力として、宿善自力説を取ったとも言えることになるわけです。以後、宗門は一切の自力的な行い排除の徹底(絶対他力)へと向かうことになったわけですが、しかし、その反動によるものが、つまり、空華派の本来の宿善他...とり亮顕氏【宿善論の変容③】「新しい領解文」を生み出してしまった宗学の源流を追う【消えゆく伝統宗学】

  • 坐禅で一番大切なことは・・試作バージョン・説明英訳あり「坐禅体験 事前ガイダンス動画 前編 坐禅について」

    試作してみたが、まだまだ改良の余地あり・・発音はあまりに酷いのでやめといた・・とにかく、坐禅は、瞑想やマインドフルネスと明確に異なる点がある。それを理解した上で行うのと、そうでないのとでは大きな違いが生じるのである。坐禅で一番大切なことは・・試作バージョン・説明英訳あり「坐禅体験事前ガイダンス動画前編坐禅について」https://youtu.be/ZtTUCRhyL4I?feature=shared坐禅体験の作法・・試作バージョン・説明英訳あり「坐禅体験事前ガイダンス動画後編坐禅の作法」https://youtu.be/Vj3-zEwWxdU?feature=shared坐禅で一番大切なことは・・試作バージョン・説明英訳あり「坐禅体験事前ガイダンス動画前編坐禅について」

  • WEST.桐山くんが滝行に来てくれた昨年の動画再生回数に、一日で追いつくベンティ横山、まじで最高すぎる

    ベンティ横山、何回観ても爆笑、、ほんまにツボに入った。。WEST.10周年、あと少しでYouTubeチャンネル登録者数100万人達成、そして、年末の紅白、何とか出場してほしい。実力は申し分ない。ダンスも歌も安定して上手いし。滝行に来てくれた地元、桐山くんは、礼儀正しくて誠実さに溢れていた。自分が恥ずかしくなった、、厄祓いの滝行が本当に厄祓いになってくれていたら有り難い。プライベートでは、あの彼女ともうまくいってくれていたらいいな、、WEST.桐山くんが滝行に来てくれた昨年の動画再生回数に、一日で追いつくベンティ横山、まじで最高すぎるわ、、https://youtu.be/n5hXJBkHVpA?feature=sharedWEST.桐山くんが滝行に来てくれた昨年の動画再生回数に、一日で追いつくベンティ横山、まじで最高すぎる

  • 往生院と浄土真宗

    なべさん、、まあ、宿善についてはもう一区切りつけたので、何も言うまいではあるが、昔は、大らかに他宗派、聖道門とも仲良くに色々と修行も共にしていた時代があったわけである。その名残でもあるのだろう。拙寺も、親鸞聖人自作坐像を祀っており、明治までは報恩講が地域の中でも特に盛大に営まれていた。隣には修験行者堂と観音堂、本堂は浄土宗。真宗僧侶も門徒も修験の行事に参加したりしていた様子も記されてある。また江戸期の往生院にあるお墓、位牌は、半数以上が釋、つまり門徒なのである。それは、玉日姫供養で親鸞聖人ご自身が奉納された坐像の由来、由緒によるからでもある。さて、少し話を戻して、とり亮さんは、空華学派を当然に正当な流れとお考えのようではあるが、空華学派の宿善論は、確か基本的には宿善他力説にあり、自力は三世廃立の立場である...往生院と浄土真宗

  • 第31回 仏教ミニ法話「坐禅体験 指導僧侶募集 大阪」 大阪の中心地にて定期的に坐禅体験を開催します お手伝い頂ける僧侶を募集しています

    万博も控えてある大阪にて、主にインバウンド向けとなる坐禅体験を開催致します。お手伝い頂ける僧侶を募集しています。宜しくお願い致します。【坐禅体験の指導ができる僧侶募集】大阪中心地で、不定期(要相談で)平日の朝8時から9時までの1時間で、法話・坐禅体験の指導ができる僧侶を探しています。対象は、外国人宿泊者・周辺ビジネスワーカー。英語で簡単なコミュニケーション・指導できる方が望ましいです。内容・・・法話10分(日本語で法話日本語・英語訳配布)毎回違う内容を考えてお話して頂きます。仏教の基本的なことを中心として。重要な法話のタームは簡単に英語で都度少し説明するのも。・般若心経・誦経5分・坐禅ガイド5分・事前準備してある録画を流す(英語での説明・日本語訳は字幕)・坐禅の簡単なアドバイス5分・英語と日本語で簡単に・...第31回仏教ミニ法話「坐禅体験指導僧侶募集大阪」大阪の中心地にて定期的に坐禅体験を開催しますお手伝い頂ける僧侶を募集しています

  • 第30回 仏教ミニ法話「新しい領解文問題と宿善論について」 新しい領解文 宿善論 宿善他力 宿善自力 仏性論 石泉学派 空華学派

    宿善について、1年半前と真逆に考えていたとは・・ただ、宿善他力説については問題があるという認識は同じでありましたが・・なんとも不思議なことであります・・とにかく、一応、これで宿善論についての考察は一区切りにいたします。親鸞会を擁護するつもりか、とのご批判もございますゆえに。また、見直す中で、改めて新しい領解文問題については、仏性論、本有仏性の有無から考えていくことが望ましいとの結論に至りました。今後、本願寺派の教義については、仏性論から考えることが最も重要になるのではないかと思われます。第30回仏教ミニ法話「新しい領解文問題と宿善論について」新しい領解文宿善論宿善他力宿善自力仏性論石泉学派空華学派https://youtu.be/NBGIcI1FHTQ?feature=shared第30回仏教ミニ法話「新しい領解文問題と宿善論について」新しい領解文宿善論宿善他力宿善自力仏性論石泉学派空華学派

  • 新しい領解文は、仏性論の問題である

    改めて、新しい領解文は、仏性論の問題として議論していくのが良いのでしょう。仏性のありか、なしか。ありとするのが新しい領解文の本丸と考えてよいでしょう。大きくには反空華派による教義転換が行われたと言えることになります。仏性があるとするならば、自己開発も当然に可となります。仏性がないのであれば、自己開発は不可となります。宿善もそこから考えるとよいわけです。宿善自力は、仏性ありを根拠とし、宿善他力は、仏性なしを根拠とするとして。仏性ありでは、ある段階までの有功となる自力をありとして、仏性なしでは、一切における自力の有功はなしとするのです。この方がすっきりとするわけです。新しい領解文により、本願寺派は、仏性ありでいくとの意向となったと考えられるわけですが、当然に従来における機の側の問題については見直す必要があると...新しい領解文は、仏性論の問題である

  • 宿善他力と宿善自力について2

    違うな、、昔は、宿善他力だから、自力的なあり方も他力ということで是認していく方向での問題と考えていたわけだ。要は、問題があるのは宿善他力であるとして、宿善自力を採っていたわけなのである。宿善自力ならば、聖教からその自力的なあり方は否定されるべきであるものとして、自力を排斥し、他力的なあり方のみを求めよ、になると考えていたわけである。宿善他力であるのだから、自力的なあり方でも、それは他力として是認される余地があるということでもある。照育、調熟の他力というわけだ。これなら、つまりどんな自力も、他力として許されかねなくなる。それで、宿善他力には問題があるという認識でもあったのだ。では、どちらが新しい領解文の本丸にあるのか、ではあるが、どうも宿善自力ではなく、宿善他力であるようも思えるのである。いや、それよりも、...宿善他力と宿善自力について2

  • 宿善他力と宿善自力について

    1年以上も前ながら、この際には宿善他力だから何をしても彌陀本願のはからいの中におけること、お育て、照育におけることとして、自力的な行いであっても、他力におけることにしてしまうというモラルハザード、倫理観の欠如を招きかねないと考えていたわけである。つまり、宿善他力だからこそ、新しい領解文でも自力的な行いによることを他力の中におけることとして認めようとしているのではないか、として批判していたわけである。なるほど、確かにこれはこれでまあまあな主張であったとも言えなくはない。つまり、新しい領解文の本丸が、宿善他力派なのか、宿善自力派なのか、どちらが本命であるかはわからない、ということでもある。門主は石泉学派寄りのようにも思えるのではあるが、では、石泉学派は、宿善自力派、宿善他力派、いずれであっただろうか?これはど...宿善他力と宿善自力について

  • 【坐禅体験の指導ができる僧侶募集】

    【坐禅体験の指導ができる僧侶募集】まだ未定ながら・・大阪中心地・堂島で、不定期(要相談で)平日の朝8時から9時までの1時間で、法話・坐禅体験の指導ができる僧侶を探しています。対象は、外国人宿泊者・周辺ビジネスワーカー。英語で簡単なコミュニケーション・指導できる方が望ましいです。内容・・・法話10分(日本語で法話日本語・英語訳配布)毎回違う内容を考えてお話して頂きます。仏教の基本的なことを中心として。重要な法話のタームは簡単に英語で都度少し説明するのも。・般若心経・誦経5分・坐禅ガイド5分・事前準備してある録画を流す(英語での説明・日本語訳は字幕)・坐禅の簡単なアドバイス5分・英語と日本語で簡単に・坐禅・止静30分・終わりの挨拶5分・英語と日本語で簡単にお布施は一人2000円を頂き、毎回10~20人の参加を...【坐禅体験の指導ができる僧侶募集】

  • 宿善他力説から宿善自力説への転換

    改めて概観すると、やはり、宿善他力説から宿善自力説への転換を強行して図ったと言えるのでしょう。もちろん、お粗末な新しい領解文は修正する必要性がありますが、この転換の流れはもう止めようが無いのではないかと思われます。それだけ、宿善他力説には無理があった(ある)ということです。あとは、大乗菩薩道としての真宗と言えるようになるのかどうかということでしょう。。宿善他力説から宿善自力説への転換

  • 宿善自力説ならば、浄土真宗も通仏教との会通は十分に可能と言えるのだろう

    宿善自力説ならば、浄土真宗も通仏教との会通は十分に可能と言えるのだろう。六波羅蜜の実践も当然にありとなり、善根功徳を積むことももちろんとなる。つまり、普通に大乗菩薩道の実践ということになるわけである。新しい領解文が宿善自力説への先祖返りを目指すものということであるならば、なんとなく一連の流れも、やっと少しは理解ができるものになると言えるわけである。現門主の意向も恐らくはそうなのであろう。もう意向は今後も変わらないならば、新しい領解文もはっきりと宿善自力説で調え直すのが良いのでしょう。しかし、現門主にこのような深謀遠慮があったとしたら、慶讃法要初日に「おまかせしはからい捨てよが弥陀本願あれこれせよとは領解しかねる」と御影堂にて掲げた拙生は、やはりただのアホだったということでもある。まあ、別に憂慮すべき大きな...宿善自力説ならば、浄土真宗も通仏教との会通は十分に可能と言えるのだろう

  • 第29回 仏教ミニ法話「チベット仏教における浄土教について」 極楽誓願 最上国開門 ツォンカパ大師 ジターリ大師 カルマ・チャクメー大師 成就法

    チベット仏教における浄土教について、簡単にまとめさせて頂きました。しかし、改めて考えてみるならば、チベット浄土教と浄土真宗における宿善自力説の考え方であれば、十分に会通は可能であると思われるのであります。つまり、通仏教とも宿善自力説であれば会通ができるということになるということであります。新しい領解文は、宿善他力説へと寄り過ぎた弊害から、宿善自力説への先祖返りを目指そうとしたものの、二諦の誤謬や論理的不十分により失敗してしまったとも言えるわけです。現門主は、もとより宿善自力説への先祖返りを目指しての新しい領解文までの一連の流れの意向であったのだとしたら、それを台無しにした新しい領解文問題の功罪はやはり大きいと言わざるを得ないのだろう・・第29回仏教ミニ法話「チベット仏教における浄土教について」極楽誓願最上...第29回仏教ミニ法話「チベット仏教における浄土教について」極楽誓願最上国開門ツォンカパ大師ジターリ大師カルマ・チャクメー大師成就法

  • 第28回 仏教ミニ法話「宿善論再考・3 宿善自力説と宿善他力説」 浄土真宗 宿善 宿善論 宿善論争

    宿善自力説と宿善他力説とは・・とり亮さんの動画「【宿善論の変容】「新しい領解文」問題の源流を追う【消えゆく伝統宗学】」を観て、両論について少し考えてみました。宿善他力説が、「新しい領解文」問題の源流となったと考えられるのは、他力説であるからなのか、他力説に偏りすぎたからなのか、または、自力説への先祖返りへの希求によるのか、そのあたりは詰めきれませんでしたので、触れませんでした。引き続きに考えて参りたいと思います。第28回仏教ミニ法話「宿善論再考・3宿善自力説と宿善他力説」浄土真宗宿善宿善論宿善論争https://youtu.be/ruqb2mkuXsg?feature=shared第28回仏教ミニ法話「宿善論再考・3宿善自力説と宿善他力説」浄土真宗宿善宿善論宿善論争

  • 【宿善論の変容】「新しい領解文」問題の源流を追う【消えゆく伝統宗学】

    【宿善論の変容】「新しい領解文」問題の源流を追う【消えゆく伝統宗学】https://youtu.be/nVCKFYBh2as?feature=shared【宿善論の変容】「新しい領解文」問題の源流を追う【消えゆく伝統宗学】

  • チベット仏教での浄土教における往生の条件

    聞かれたことで、チベット仏教での浄土教における往生の条件は主に六つになる。称名念仏善根功徳発菩提心功徳回向信楽誓願荘厳観想もちろん、成仏の条件ではない。あくまでも往生の条件である。真宗の場合は、成仏までも含めて、その条件をまとめて信心、信楽一つにするということになるのである。チベット仏教での浄土教における往生の条件

  • 第27回 仏教ミニ法話「浄土真宗における往生と成仏の根拠について」 浄土真宗 往生論 成仏論 菩薩 一生補処 瑜伽 加持 念仏 信心 獲信 菩提心 大菩提心

    往生と成仏の根拠についてだけではなく、結局のところ、密教にせよ、浄土門にせよ、真宗にせよ、如来のお力を賜るための、その根拠についても考えなければいけないのであります。そもそも成仏の根本因とは何かなのであります。当然に菩提心です。そして、往生、成仏のための如来のお力を賜る、その根拠も菩提心、それも、それだけを賜るための大菩提心でないといけないということであります。菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟となす、が基本であるのであります。現門主の勧めるように慈悲行の奨励のあり方も実は菩提心の育みのためにも本質的には大事なのであります。菩提心を因となし、慈悲心を根として、方便(宿善・善知識邂逅・聴聞)を進みて、信心獲得、大菩提心に至るということでなければならないのであります。第27回仏教ミニ法話「浄土真宗に...第27回仏教ミニ法話「浄土真宗における往生と成仏の根拠について」浄土真宗往生論成仏論菩薩一生補処瑜伽加持念仏信心獲信菩提心大菩提心

  • 一連の研究の結論付近

    メモ浄土門において自力は方便の扱いでありますが、18願に入れば捨て去るべき筏ということにはなります。しかし、筏がなければ彼岸には到達はできません。自力(特に宿善)は必要であり、また、方便→勝義にベクトルとなり、勝義→方便、勝義=方便ではないのであります。いずれにしても仏陀の身体を得るには必ずその根拠となるものがなければなりません。三阿僧祇劫の膨大なニ資糧の代替を信心一つに修めるということは、彌陀によりその代替となる資糧の代わりとなる力を頂くというものでなければならないのでもあります。そこが本来の他力であって、つまり、加持力を賜るということになります。要は密教です。18願の三心の狙いは、まさに身口意の三業を大清浄とし、一気に一生補処へと押し上げるというものであると言えるわけであり、しかし、往生まで凡夫のまま...一連の研究の結論付近

  • 菩薩自身の禅定力では、最後、所知障が断滅できず、第三、四灌頂に拠らなければ難しい

    菩薩自身の禅定力では、最後、所知障が断滅できず、第三、四灌頂に拠らなければ難しいというわけなのであります。所知障による身体、不浄の幻身を浄化するには勝義の光明から身体を起こすための指導を如来から必ず頂かないといけないのであります。それが第四灌頂になるわけです。勝義の光明は、勝義の光明だけでは当然に成り立たず、勝義の光明から身体を起こすための方法を如来より教えて頂かないと、いつまでも不浄な身体のままにての勝義の光明の実現では前に進めないのであります。また、最後に所知障を断滅する双入についても如来による第四灌頂での指導、加持が必要なのであります。・・波羅蜜乗、顕教では、なぜ最後有の菩薩が自分の力では成仏できないのかは、勝義の空性の等引知、三昧知から身体を起こすための、その根拠がないのが、一番の原因となります。...菩薩自身の禅定力では、最後、所知障が断滅できず、第三、四灌頂に拠らなければ難しい

  • なぜ最後有の菩薩が自分の力では成仏できないのか

    波羅蜜乗、顕教では、なぜ最後有の菩薩が自分の力では成仏できないのかは、勝義の空性の等引知、三昧知から身体を起こすための、その根拠がないのが、一番の原因となります。なぜならば、通常において所知障により成り立ってある身体のままにて、等引知、三昧知に入って、勝義空性を了解できてはいても、結局は等引、三昧から出れば、身体はそのまま所知障による影響のあるものでしかないからであります。所知障による身体では、それを仏陀の色身へと移行させることは当然にできないのであります。それは不浄なる幻身でも同様です。そのため、最後有の菩薩が、仏陀の色身へと至らしめる身体となるものを、どうにか起こすためには、第四灌頂における如来からのお力、導きを頂くことにより、清浄な身体、幻身を起こすことが必要となるのであります。正確には第三灌頂にお...なぜ最後有の菩薩が自分の力では成仏できないのか

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