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  • 瓜生崇氏の本願寺派教学を逸脱していると見られている考え方、偏りの問題のその背景について考える

    もう7回以上、通しで視聴させて頂いた。やはり、日本の仏教、伝統教団、新興教団に限らずに、問題が出てくる原因の大きな要素には、悪取空見が根深くあると改めて考えさせられることになった。いや、悪取空見的思想が、長年にわたり日本において蔓延、浸透してしまっており、すでに麻痺しているために、ほぼ当たり前的なもの、なんとなく正しいものとして受容されてしまっている、その弊害であるとも言えるだろう。それは、日本仏教に留まらず、哲学思想においても、例えば、戦争利用された鈴木大拙哲学や西田幾多郎哲学も同様の悪取空見的な問題を抱えていたわけなのでもある。少し前の話になるが、小池龍之介氏の解脱騒動も悪取空見によるところが明らかなものであった。最近、進行形で最も顕著なのが「新しい領解文」騒動なのである。そして、この度の瓜生氏の本願...瓜生崇氏の本願寺派教学を逸脱していると見られている考え方、偏りの問題のその背景について考える

  • 楠木正行公の終焉地・楠木正行公御墓所について

    あれから上四条へは調査に全く行けていない・・楠木正行公の終焉地は、東大阪市上四条が有力地であるには変わらないが、ウィキペディアの解説はいまだに酷いものだ・・お墓も、四條畷のお墓より、歴史的な由来も、文献学的にも明らかに古いのは上四条の方なのである。もちろん往生院も上四条と同等以上に古い由来である。まあ、当寺には、楠木正儀公が、戦没翌年に楠木正行公供養のために往生院を訪れている。黙庵禅師より秘密裏に伝え聞いた楠木正儀公が、お墓参りの供養と楠木家頭領を継いだことを報告しに来たと考えられるので、その疑いはない。とにかく四條縄手古戦場の調査も早く進めたいが・・西光寺跡ももう少しで決着がつく。彼岸が終わるまでは再開が難しいか・・楠木正行公の終焉地・楠木正行公御墓所について

  • 2040年・河内往生院・開創1000年 2045年・河内六萬寺・開創1300年 2048年・楠木正行公四條縄手の戦い・戦没700年 記念事業・大法会へと向けて 2024年7月15日

    小林義孝先生から、金堂跡、国の史跡指定化についてアドバイス頂いたことから、少し先のことを考えてみた・・金堂の国史跡指定化、金堂復元建立、落慶大法会(日想観・来迎会練供養併修、行基菩薩像・安助上人像建立開眼併修)、四條縄手古戦場史跡指定化、供養塔・記念碑建立、復元建立金堂での楠木正行公大遠忌法会・・あと16年~24年後の話となるが・・2040年・河内往生院・開創1000年2045年・河内六萬寺・開創1300年2048年・楠木正行公四條縄手の戦い・戦没700年記念事業・大法会へと向けて2024年7月15日https://youtu.be/7xhHFRvPGNQ?feature=shared2040年・河内往生院・開創1000年2045年・河内六萬寺・開創1300年2048年・楠木正行公四條縄手の戦い・戦没700年記念事業・大法会へと向けて2024年7月15日

  • 河内・往生院の世界 アクロス歴史アカデミー2024前期 河内・往生院の成立 中興・金堂の建立 河内・浄土院との関係 解説資料

    事前に、万が一のため収録しておいた動画が、かなり役に立った。あとは動画内で言及していない要点を、動画を都度止めて補足して説明するだけで済みました。特に補足点は、摂関政治を支えた興福寺の一乗院・大乗院の門跡寺院が果たした役割について、また、春日大社の元春日が、枚岡神社など生駒西麓に点在してあることなど。つまり、中臣氏(藤原家)の先祖のルーツ、その力の源となったのが、元々は古来生駒西麓にあったということについて。更に、河内浄土院の当麻曼荼羅が、南北朝時代に修複されるに至った経緯についての推論など。まだまだ補足したいこともありましたが、続きはまたこれからの動画にて言及したいと思います。河内・往生院の世界アクロス歴史アカデミー2024前期河内・往生院の成立中興・金堂の建立河内・浄土院との関係解説資料https:/...河内・往生院の世界アクロス歴史アカデミー2024前期河内・往生院の成立中興・金堂の建立河内・浄土院との関係解説資料

  • >アクロス歴代アカデミー2024前期 第3回「河内往生院の世界」無事に終わる

    アクロス歴代アカデミー2024前期第3回「河内往生院の世界」、無事に前座講師としての役割を終えました。また、有り難いことにYouTubeでも講座の様子を公開して頂けるようです。講座で使用した拙動画は、また近々に限定公開から、公開へとさせて頂きます。小林義孝先生から、金堂跡は国指定の史跡にする価値が、十分にあることも教えて頂きました。16年後、2040年には、安助上人往生院開創1000年となります。2040年、開創1000年に、国の史跡指定と共に、日想観、来迎会などの特別記念法会をできれば有り難いことになると考えております。余談ながら、四條縄手の戦い、楠木正行公の終焉地論争も最後に少し再燃。小林先生はもちろん大東北条説(四條畷市と大東市の境目付近)、もちろん、拙生は、東大阪四条説である。もしかしたら、近々に...>アクロス歴代アカデミー2024前期第3回「河内往生院の世界」無事に終わる

  • 現代日本仏教においては、傾向として、悪取空見的な思想が、出てくる問題の根っこ部分に少なからずあるように思われる

    別の話題のポストへのコメント返信となるが、現代日本仏教においては、傾向として、悪取空見的な思想が、出てくる問題の根っこ部分に少なからずあるように思われるのである。引き続きに考えていければ、、今は本願寺派の新しい領解文問題がクローズアップされてしまいますが、全体的な傾向としてもあるのかもしれません。大なり小なりに起こっており、岡林愚聞さんの最新の動画を拝聴して、現代日本仏教全体的に問題が生じる根にあるのは、結局のところ悪取空見であるのだろうな、と、、、・・「正しい」ということに焦点を当てると、かなり相対性の高い問題となるため、非常に難しい議論となるわけでありますが、先のポストのコメント欄において、少し触れたことで、浄土真宗の聖教の説く正しさについての個々人における正しい認識に対して、それを握るな、手放せ、執...現代日本仏教においては、傾向として、悪取空見的な思想が、出てくる問題の根っこ部分に少なからずあるように思われる

  • 瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解・感想3

    「正しい」ということに焦点を当てると、かなり相対性の高い問題となるため、非常に難しい議論となるわけでありますが、先のポストのコメント欄において、少し触れたことで、浄土真宗の聖教の説く正しさに対しての個々人における正しい認識に対して、それを握るな、手放せ、執着するな、となれば、それはもう浄土真宗でもなくなり、ただの一種の悪取空見的な思想の押し付けとなる可能性もあるのであります。そのような懸念について岡林さんがおっしゃっているとすれば、教義についての正誤の審議以前の問題となるわけです。「それ(聖教に基づいた正しい認識)を握るな、手放せ、執着するな」となれば、それも思考停止へと向けたいざないの一つとなってしまうこともあるのであります。一時流行った、何も考えるな、一切を離しなさい、全てを流しなさい、何も執着するな...瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解・感想3

  • 瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解・感想2・無分別智について

    無分別智について浄土真宗の教義の中で議論する違和感の原因が、この動画を拝聴して何となくわかってきた。浄土真宗は、往生や悟りへと向けた智慧のありようを扱うわけではなく、如来の慈悲の側面を重視した往生論、成仏論を扱うわけだから、本来、凡夫が悟りへと至るための智慧や空性理解を前提とした無分別智に関しての議論については、色々と誤解、誤謬がつきまとうのも当然なことなのである。やたらと、空だの、縁起だの、無分別だのと言い始めたのも、如来の慈悲の面だけでなく、智慧の面についても、やっぱり仏教であるならば、当然に考えていかねばということであったとも言えるが、いかんせん、そんな智慧を不必要であることを前提とする、むしろ否定する教義であるのだから、そもそも矛盾的あり方に陥るのもやむを得ないわけなのである。瓜生さんが、単純に分...瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解・感想2・無分別智について

  • 瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解・感想1

    まだ半分しか観れていないのだが…相対性の高い「正しさ」の議論よりも、もっとわかりやすい「思考停止」に焦点を当てた方が説明ができるようには思うが、ただ、浄土真宗には、考えるな、はからうな、自分のはからい、自力を全て捨てて、弥陀の救い、本願をそのままいただけと、教義を単純化してしまうと、ある意味では「思考停止」へのいざないに陥る危険性が常に孕んでいるのである。あるいは、みんな弥陀本願により救われるから大丈夫、とか、疑心あっても大丈夫、みんな弥陀の救いにあずかれるから、などや、個々人のどんな信心、味わいも全肯定、または逆に全否定するようなものも、思考停止へのいざないとなりかねない。それは、やがて教義そのものの無効化、無意味化にもつながるが、この思考停止により、全依存していく、させていく絶対的存在となる教祖を誕生...瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解・感想1

  • 仏教「ミニ法話」配信のご案内 ミニ法話をはじめます コメント・オン リクエスト・質問はこちらのコメント欄まで コメント専用動画

    少しずつお盆の施餓鬼塔婆を書きながら、そろそろ法話をどうしようかと考えていたが、今回はアンケートのような形として、それを基にテーマ・話題を決めて、YouTubeでミニ法話を少しずつアップして、視聴してもらう形式でお応えしていこうかと考えている。いつも法話で思うのは、どうしても伝わりにくい、理解してもらいにくいということである。もともと難しい仏教用語もたくさんあるだけに、なかなか聴いて頂くだけでは理解が及ばないことも多々となる。もちろんこれまでの法話ではフリップを多用してきたわけではあるが・・とにかく、サブチャンネル(メインがどこかへいってしまった・・)となるが、YouTubeでアップしてきた歴史考察に関する動画は、メモやフリップ、図、文献等を示しやすくしたために、視覚的にも分かりやすいだけに好評であり、こ...仏教「ミニ法話」配信のご案内ミニ法話をはじめますコメント・オンリクエスト・質問はこちらのコメント欄までコメント専用動画

  • 『瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解』

    えだぽよ氏による批判、忠告は、親友と言いながら親友ではなかったようなので、どないやねんと思ったが、今回の岡林さんの分析には非常に興味がある。まあ、瓜生氏が、本願寺派でカルト対策や真宗の話をするならば、まさに「新しい領解文」問題には、間違った教義による強制カルト化への要素、反教義の独善的要素が強くあるため、非常に良い材料になり、本来、門外漢の拙生などよりも、猛烈な批判、反対があってしかるべくだとは思うのである。えだぽよ氏の批判動画の中では、個々人の味わいをそうは深くに吟味することなく肯定的に認めていこうとする傾向がみられたのはあまりよくないと思っている。それも結局のところ教義なんかいらん、なんでもありになりかねないからだ。このような傾向は、東本願寺・大谷派的な個々人の味わいを重視することによるものが、西本願...『瓜生崇のカルト問題の考え方と親鸞理解』

  • 「宗門正常化」へ向けた協議会が発足 西本願寺・本願寺派

    この発足した「宗門正常化」へ向けた協議会が、最後の防波堤になるのかどうかが注目になります。・・今の西本願寺・本願寺派は、外道の輩、奸臣、曲学阿世の徒が蔓延り、真宗でもなくなり、仏教でもなくなり、宗門として危機的末期の哀れな酷いありさまであるが、他宗派においても対岸の火事ではなく、他山の石として注視しておくのが肝要と考えます。更に一体何が元凶となったのかを見極めておくのも大切なことであります。第二、第三のオウム真理教や統一教会、破壊的カルトを生み出さないためのヒントにもなるでしょう。「宗門正常化」へ向けた協議会が発足西本願寺・本願寺派

  • 今の西本願寺・本願寺派は、外道の輩、奸臣、曲学阿世の徒が蔓延り、真宗でもなくなり、仏教でもなくなり、宗門として危機的末期の哀れな酷いありさま

    今の西本願寺・本願寺派は、外道の輩、奸臣、曲学阿世の徒が蔓延り、真宗でもなくなり、仏教でもなくなり、宗門として危機的末期の哀れな酷いありさまであるが、他宗派においても対岸の火事ではなく、他山の石として注視しておくのが肝要と考えます。更に一体何が元凶となったのかを見極めておくのも大切なことであります。第二、第三のオウム真理教や統一教会、破壊的カルトを生み出さないためのヒントにもなるでしょう。今の西本願寺・本願寺派は、外道の輩、奸臣、曲学阿世の徒が蔓延り、真宗でもなくなり、仏教でもなくなり、宗門として危機的末期の哀れな酷いありさま

  • 仏教における中観帰謬論証派

    変なカタチで帰謬論証が注目されている。。仏教における中観帰謬論証派は、チベットのツォンカパ大師にて確立するところとなるが、主張を何もしないわけではない。明確に空思想においての主張がツォンカパ大師によりなされている。帰謬論証が反証するのは、常に私たちの諦執のありよう、つまり、実体視してしまってのモノコトの認識のありようについてである。また、主義主張を明確にすべき政治においては、ただの詭弁となりかねないため、当然に注意が必要と考えるのである。仏教における中観帰謬論証派

  • チベット仏教サキャ派(ゴル系)の正式な在日公式団体主催による本格的な密教伝授が初めて開催

    いよいよチベット仏教サキャ派(ゴル系)の正式な在日公式団体主催による本格的な密教伝授が初めて開催されることになる。通訳は、ケンポ奥田剛師がなされるのであろうから、普通の通訳というわけではない。ゲルク派より古い伝統もあり、灌頂の内容も、ゲルク派とはまた違った尊格、形式もあることでしょうから、大変に興味深くあります。サキャ派の正統な教えが日本に流れ入る端緒ということになります。チベット仏教サキャ派(ゴル系)の正式な在日公式団体主催による本格的な密教伝授が初めて開催

  • 宗教がカルト化するとき、何が教祖を生み出すのか?

    もちろん、「人それぞれの考えを頭ごなしに全否定してくるような輩」も、人それぞれの考えを頭ごなしに「全肯定」してくるような輩にも気をつけないといけないことにもなります。「全肯定」も思考停止への誘いとなるところがあり、このあたりで見極めが難しいもので、特に後者は、岡林さんも懸念されていることが孕んである問題でもあります。・・宗教がカルト化するとき、何が教祖を生み出すのか?やはり、独善と思考停止でしょうかね。カルトは、独善的思想を、あの手この手とマジックショーのように駆使して巧妙に信者を洗脳し、そして、思考停止へと陥らせ、ロボットのように操り、人力、財産を吸い取り、大きく肥えていく。政治と同じで、独善思想にカリスマと策士があれば洗脳、扇動も可となるわけです。宗教も政治も自分でよくよく注意深く考えて行動することで...宗教がカルト化するとき、何が教祖を生み出すのか?

  • ヒョウゲモンは、私ではない

    また聞かれたが、ヒョウゲモンは、あなたではないのか、と。会ったことはもちろんないし、誰かも知らない、意見交換したこともない。そもそも文体が全く違うし、なりすましとか、いちいちそんなめんどくさいこともしない。また、真に問題の本質が何かというところでは違いが当然にある。門主批判は当然であり、早く辞めさせて代えるべきではあるのだろうが、それは宗門内でしかるべくにやるべき話であって、私には関係がない。血統を重んじるなら連枝を立たせて、さっさとやればよいのである。ヒョウゲモンは、私ではない

  • 石丸氏も政争の具となる

    広島一区は岸田文雄氏、自民ですから、自民から推されることはないのでは?当然のご質問ですが、つまり、清和会(安倍派)から出るということであり、岸田文雄氏に対しての一連のことへの報復というわけです。石丸氏も政争の具となるわけです。・・石丸氏、2位🥈知名度全国区となり、国政バッチ確実にて本人も大満足。神谷宗幣氏のように苦労したタイプとは別だが、ネット戦略はかなり奏功した。しかし、自民系による支援があったのが確実なだけに、やはり保守系からになると思われるのが残念である。まともなリベラル系をまとめて政権まで辿り着けるカリスマ指導者が出ないものかな、、与野党にせよ、いつまでも清和会系、経世会系(米追従)になるなら、間違いなく戦争加担による業果をまた国民は受けることになり、苦しむ事態となるだろう。まずは、ウクライナ、パ...石丸氏も政争の具となる

  • 宗教がカルト化するとき、何が教祖を生み出すのか?

    宗教がカルト化するとき、何が教祖を生み出すのか?やはり、独善と思考停止でしょうかね。カルトは、独善的思想を、あの手この手とマジックショーのように駆使して巧妙に洗脳し、信者を思考停止へと陥らせ、ロボットのように操り、人力、財産を吸い取り、大きく肥えていく。政治と同じで、独善思想にカリスマと策士があれば洗脳、扇動も可となるわけです。宗教も政治も自分でよくよく注意深く考えて行動することです。人それぞれの考えを頭ごなしに否定してくるような輩には気をつけないといけないでしょう。宗教がカルト化するとき、何が教祖を生み出すのか?

  • 東京都知事選・石丸氏2位に思う

    石丸氏、2位🥈知名度全国区となり、国政バッチ確実にて本人も大満足。神谷宗幣氏のように苦労したタイプとは別だが、ネット戦略はかなり奏功した。しかし、自民系による支援があったのが確実なだけに、やはり保守系からになると思われるのが残念である。まともなリベラル系をまとめて政権まで辿り着けるカリスマ指導者が出ないものかな、、与野党にせよ、いつまでも経世会系(米追従)になるなら、間違いなく戦争加担による業果をまた国民は受けることになり、苦しむ事態となるだろう。まずは、ウクライナ、パレスチナ戦争加担による間もなくに受ける業果に続けて。仏教としては、政治的中立にあるべきではあるが、釈尊のように業の因縁を常に心配せねばならない。東京都知事選、二番手に石丸氏となるかが注目である。いずれにしても自民の裏選対の別働隊であったのか...東京都知事選・石丸氏2位に思う

  • 親鸞浄土論

    親鸞浄土論。浄土教祖師方の中でも、かなり特異となるものではあるが、大智度論から拙生は理解を深めることができた。二種回向論と二種法身論、往生論、成仏論、仏性論も。しかし、それよりも、踏み絵によって選ばれた「新しい領解文」を正しいと認めている(と考えられる)者たちによる論が論じられることになるのかどうかが気になるところである。もちろん、この問題の根の深さは尋常でないのはよく分かってはいるが、、親鸞浄土論

  • ダライ・ラマ法王猊下、89歳のお誕生日

    ダライ・ラマ法王猊下、89歳のお誕生日。猊下の誕生を二羽の烏が祝福。一世様の頃より歴代ダライ・ラマは烏との縁が深くにあられます。御長寿を祈念申し上げます。口自在たる慧蔵にて至善なる勝者流の、教誨の真髄を持す比類なき御方、無数なる勝者の海を凝集せし御身に祈願せん。最上と共通の悉地を給わんことを。ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下に最敬礼申し上げます。(あなたは、)多様な戯論を離れた勝義〔空性〕に関するすべての勝者〔仏の別称〕の智慧の集まりの中に(住して)おられるけれども、同時に、(あなたは、)幸運な者たちの目に見えるように、この身体に化現されています。尊いラマよ、私はあなたにお願い致します。私たちと共に永く留まって、道を示してください。「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経...ダライ・ラマ法王猊下、89歳のお誕生日

  • アクロス歴史アカデミー2024前期・河内往生院の世界 河内・往生院の成立 中興・金堂の建立 河内・浄土院との関係

    何とか当日、前座にてお話する内容を30分にまとめて収録し、YouTubeに限定公開にてアップしておいた。限定公開は、URLを知る者でしか観れない設定になります。これで万が一、葬儀が入ったり、感染症になっても安心である。これなら全国、ネット環境があれば、どこの会場でもスクリーンで視聴を頂けることにもなる。動画データを送る必要さえない。Zoomにより参加もできますよ、とのことでしたが、もし、葬儀が入っても再生頂くだけで済み、迷惑を掛けることがない。当日、伺えれば、それはそれで、この動画を使い、更に補足をお話するだけで済む。その場によるプレゼンよりも、より分かりやすく、要点を伝えやすい。利点が多く、一つの方法としてお勧めである。アクロス歴史アカデミー2024前期・河内往生院の世界河内・往生院の成立中興・金堂の建立河内・浄土院との関係

  • 満井論文のお粗末さ・・

    問題の満井論文、実は自分で本論を書いておらず、研究所の所員か、勧学寮員かに無理矢理になんとかこじつけて書かせたもので、それに本人は「議論の余地はない」などとして序論を書いただけということなのだろう。これは呆れを通り越し、お粗末すぎて全くお話にならない・・そんなものに淺田寮頭のお墨付きを得たというのも当然に疑わしい。自分の名のもとに出されたデタラメなものを、実は私の書いたものではないとして、部下や寮頭のせいにして逃れようということなのであろうか、、なんともあさましい話である・・満井論文のお粗末さ・・

  • 信心のお味わいについて

    疑心に陥る、陥りそうになるのもお味わいの一つではないでしょうかとメッセージ頂いたが、まあ、法味の味わいは、確かにそれぞれにあり、尊重されるものではあるが、何でもかんでもを信心(決定・獲得)とするならば、法義の意味が逆になくなると考えるのである。ただ、真実法味をそのままに味わえない凡夫であるため、それぞれに味わいも異なっているのでもある。むしろ、味わいを介さずに本願勅命を飲み込むことが肝要と言えるのではないかと考えるのでもある。信心のお味わいについて

  • 舟形板碑五輪塔の由来について 村に伝わる伝承から読み解く 河内四條史を参照 南北朝時代・四條縄手の戦い・戦没武将のお墓で間違いないか!? 2024年7月1日

    舟形板碑五輪塔の由来について村に伝わる伝承から読み解く河内四條史を参照南北朝時代・四條縄手の戦い・戦没武将のお墓で間違いないか!?2024年7月1日https://youtu.be/DSvO3Fc5iio?feature=shared舟形板碑五輪塔の由来について村に伝わる伝承から読み解く河内四條史を参照南北朝時代・四條縄手の戦い・戦没武将のお墓で間違いないか!?2024年7月1日

  • 岩瀧山・滝行 実際の体験の流れについて 別の説明動画もご参考下さい ※概要欄 岩瀧山往生院六萬寺

    これは完全に失敗したな、、また実際の体験者の流れを了解をもらって撮って、編集することにする。岩瀧山・滝行実際の体験の流れについて別の説明動画もご参考下さい※概要欄岩瀧山往生院六萬寺https://youtu.be/oSI8loGa1Xo?feature=shared岩瀧山・滝行実際の体験の流れについて別の説明動画もご参考下さい※概要欄岩瀧山往生院六萬寺

  • 浄土真宗における信心と領解について

    もちろん、信心のあり方について、これまでも論じてきたように、拙生はさほど甘くは見積もっていない。個々人の信心、個々人の領解は尊重すべきだが、真実浄土への往生は、無疑心はもちろん当然ながら、他にも完備すべき条件を調えなければ不可であると考えている。全ての信心、領解を認める、如来は全てを受けとめてお救い下さるから大丈夫と言ってしまえば、何でもありとなり、そもそも教義すら不必要となってしまうのである。それは、「新しい領解文」と同様の悪取空的な失を犯すことになると、拙生は考えるのである。当然に、真宗の場合においては、こちらからはからって調えるものはありませんが、真実浄土へ往生するための条件に沿うあり方へと向かわねばならないものがあると考えています。でなければ、信心、領解のあり方も、条件なしに何でもかんでもを認める...浄土真宗における信心と領解について

  • 調査に進展!! 西光寺廃寺跡 最有力候補地について 前回確認した舟形板碑五輪塔ともやはり関係か!? 東大阪市上四条町 2024年6月29日

    ついに西光寺廃寺跡の調査が大詰めに。一気に謎が解明へ向かう可能性も。調査に進展!!西光寺廃寺跡最有力候補地について前回確認した舟形板碑五輪塔ともやはり関係か!?東大阪市上四条町2024年6月29日https://youtu.be/cGkpoPsNbXw?feature=shared調査に進展!!西光寺廃寺跡最有力候補地について前回確認した舟形板碑五輪塔ともやはり関係か!?東大阪市上四条町2024年6月29日

  • 岩瀧滝行紹介用動画・滝行シーン

    【音量注意】滝行紹介用動画のために滝行を撮影。雨がぱらつく中ながら強行。普段であれば中止レベルの天気と水量。滝行、久しぶりにて、更にこんな水量がある中は初めて、、うまく息継ぎができずに滝行シーン、テイク3も、、しかし、使えるかどうかは微妙、、声が終始上擦った。はぁ、、岩瀧滝行紹介用動画・滝行シーン

  • 西光寺跡について

    早速に西光寺跡と専門官の指摘されたところへと行ってきた。数点、瓦破片も確認はできた。江戸後期以降になるかな。要は、花草神社跡地の隣接、すぐ近くということになる。もちろん確定とは言えないが、有力候補には間違いない。また、舟形板碑五輪塔、近辺に類似例がないか、四条墓地、桜井墓地、横小路墓地をまわり、古い石仏群を確認に行ったが、全く無かった。地蔵石仏や二尊石仏、一石五輪塔は多く見られるが、五輪塔を彫ったものはなく、やはり珍しいもので、奈良側からの影響であるのではないかと考えられる。今回の西光寺跡候補地からそんなに離れていない場所から見つかったものであり、南北朝時代の武将のお墓の可能性も更に高まることになる。引き続き調査していきたい。西光寺跡、専門官の見解では、Dのやや上方ではないかとのことであった。確かに根拠は...西光寺跡について

  • 岩瀧滝行場・滝の様子・岩瀧山滝行体験について(往生院六萬寺)

    岩瀧滝行場の整備。草刈。完全自然任せのため、やはりこの梅雨の時期が一番の水量となります。ここのところ滝行の申し込みがありませんが、今なら良い修行となります。ただ、当日の天気次第(雨天中止)にもなります。岩瀧山滝行体験について(往生院六萬寺)http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/88153125.html岩瀧滝行場・滝の様子・岩瀧山滝行体験について(往生院六萬寺)

  • 字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認 南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も 近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる 2024年6月24日

    お勤めのシーンが、いつも長くそのままアップしていたのを短くにカット編集しました。この舟形板碑五輪塔。すぐに史跡指定されるぐらいの古さであるかもしれない。経緯の話を伺って、いずれにしても畑の耕作の際に出てきたということは、そこのあたりは村墓地(代々管理される)というわけではなく、戦没者をそのままそこで祀ったお墓であった可能性が極めて高くなる。もちろん、南北朝時代・四條縄手の戦いの古戦場地であったわけであるため、楠木家一族の誰かのお墓である可能性も当然にあることになる。近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わってある。これは更に西光寺跡地と共に、関連石碑についても調査を鋭意に進めなければならない。字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も近くには神宮寺小太郎の首塚も伝...字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる2024年6月24日

  • 字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認・四條縄手の合戦での武将のお墓である可能性も

    驚いた。お地蔵さんではなく、これは舟形板碑五輪塔である。鎌倉〜南北朝時代に遡るであろうか。管理者の方の話によれば、明治生まれの祖父が、すぐそばの畑を耕作した際に出てきたものらしい。四條縄手の合戦での武将のお墓である可能性ももちろんある。神宮寺小太郎の首塚と伝わってある石のある花草神社跡地もすぐ近くだ。楠木正行、正時、和田賢秀、楠木家一族の誰かのお墓であった可能性も出てくる。また、更にいくつか同様の石碑も出てきてあったとも。まだこのそばに埋もれてあるようだ。この近くに水鉢のようなものもいくつか確認できた。ただ、この場所は予想していた山畑4号墳周囲ではなかった。西光寺跡地についても再考の余地が出てきたことになる。のちほどに動画をあげたい。字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認・四條縄手の合戦での武将のお墓である可能性も

  • みんな頑張れとか、みんな一緒でいいとか、みんな大丈夫とか、何ら気休め、解決にもならないようなフレーズ、思想

    みんな頑張れとか、みんな一緒でいいとか、みんな大丈夫とか、何ら気休め、解決にもならないようなフレーズ、思想は、ある時期に流行することが一定に人間社会において確かにある。仏教でも、救いや空のあり方についても、同じように煙に巻くような考え方が流行することがあるもので、これに対しての修正として、サムイェ宗論が行われた例など、同じような宗論は、時代を経ても大小散見されることとなるのであります。かつて日本でも、いや、ほんの近現代においてさえも一時流行した悪取空見が、またも顔を覗かせ出したと言えるのが、「新しい領解文」問題なのである。明らかな誤謬があっても、いまだに取り下げ、撤回もされないのも異常だが、そのうちに異常事態に慣らされて、まあ、いいか、と済まされ出すのも恐ろしいことになるのである。同じようなことは、また起...みんな頑張れとか、みんな一緒でいいとか、みんな大丈夫とか、何ら気休め、解決にもならないようなフレーズ、思想

  • 臨済宗の葬儀と来迎会との関係について

    ご来迎の諸聖衆の主役は観音菩薩であり、観音さんが先頭となり亡くなられた方を浄土、阿弥陀如来のもとへと連れゆくことになりますが、その前に観音さんへと引き渡す代理として、諸聖衆を迎えるのが導師の役割となる。入退場以外で観音帽を被るのが引導の時のみとなるのは、代理としての役割を許されるのは、本来、その時だけであるからである。(ずっと被ってられる例もあるが、引導以外では遠慮するのが本来の作法となる)十仏名は、諸如来、諸聖衆により、浄土、悟りへの導き、資助を賜るために、往生咒は、阿弥陀如来の浄土へと無事に到達して往生されるようにとして来迎のために調えることとなる。山頭念誦の阿彌陀佛名号念誦は引導法語の一字関と共に葬儀の要諦となる。また、法炬(たいまつ)で円相後に中心にて描く種字梵字をキリークとしている。バクかアとさ...臨済宗の葬儀と来迎会との関係について

  • 西光寺廃寺跡地か?

    西光寺廃寺跡地と有力視しているところの土地を管理されている方から、年代不明な石仏について、改めてご連絡を頂いた。画像を見るとお地蔵さんかな。。かなり溶けてしまっているが・・相当に古そうだ。これで、旧山畑墓地跡で間違いなく、いよいよ西光寺境内地と考えてもよいかも。ならば、不明となっている「忠臣小楠之墓」の石碑所在確認に向けて更に一歩近づきそうだ。葬儀が入り、すぐ確認に行けそうにはない。週明けになるかな。。西光寺廃寺跡地か?

  • 河内・浄土院 歴史表舞台デビューへ 大東市・アクロス歴史アカデミー講座2024.7.14「河内往生院の世界」にて

    昨日は、考古学者の小林義孝先生と瓢箪山のカフェにて、来月7.14講座についての打ち合わせ。軽い打ち合わせのはずが、気が付けば3時間も経っていた、、互いに古代から中世にわたり、色々な説を論じ合う。。歴史学は仏教学でもあると実感。先生の仏教知識に、仏教に詳しくないと歴史学も深く入れないのかもと何となく思った。そういえば、昔は、学者ではなく、僧侶で郷土史家が多いのも何となく分かる気がした。歴史と仏教は深い関係性にある。浄土院の再発見、西光寺跡の探索も、仏教に詳しくなければ難しいと思われる。西光寺も日想観に着目することで、いよいよ跡地調査も大詰めとなった。万法蔵院跡もやはり日想観がキーワードと思われる。30分の時間を頂いたので、往生院と浄土院の紹介、宗教的役割、当時の信仰についてお話できればと考えている。http...河内・浄土院歴史表舞台デビューへ大東市・アクロス歴史アカデミー講座2024.7.14「河内往生院の世界」にて

  • 西光寺廃寺跡の調査について 候補地を選定 ついに有力候補を発見か!? 東大阪市上四条町 2024年6月18日

    いよいよ西光寺跡地の核心に近づきつつあります。西光寺廃寺跡の調査について候補地を選定ついに有力候補を発見か!?東大阪市上四条町2024年6月18日https://youtu.be/Cxk6p7mLD5g?feature=shared西光寺廃寺跡の調査について候補地を選定ついに有力候補を発見か!?東大阪市上四条町2024年6月18日

  • 字「天王堂が芝」について 福富神社の由来 やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか? 2024年6月18日

    字「天王堂が芝」と福富神社について。やはり古来より聖地であったと思われるのである。字「天王堂が芝」について福富神社の由来やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか?2024年6月18日https://youtu.be/Gg9cMnWdbFo?feature=shared字「天王堂が芝」について福富神社の由来やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか?2024年6月18日

  • 山畑古墳群 山畑2号墳の紹介 府下最大級の玄室 上円下方墳 西光寺廃寺跡探索 東大阪市上四条町 2024年6月18日

    少し話題が逸れますが、山畑2号墳についての紹介。玄室、圧倒される大きさでした。山畑古墳群山畑2号墳の紹介府下最大級の玄室上円下方墳西光寺廃寺跡探索東大阪市上四条町2024年6月18日https://youtu.be/cfiN3hZyK3Q?feature=shared山畑古墳群山畑2号墳の紹介府下最大級の玄室上円下方墳西光寺廃寺跡探索東大阪市上四条町2024年6月18日

  • 三種の神器のつくられたところ

    ちなみに、天皇継承の象徴である三種の神器は、若江(東大阪)にて鏡、石切(東大阪)にて剣、神立(八尾)にて勾玉と、当時、最も渡来人文化が発達していた河内において作られたものであったとされているのでもあります。三種の神器のつくられたところ

  • 山背大兄王と生駒山 聖徳太子と道鏡

    また、別の調査にて、山背大兄王が、蘇我入鹿らによる画策での襲撃によって斑鳩宮から逃げた際、生駒山麓で隠れられたのが、まさに生駒西麓で、今の上四条のあたりであった可能性も。それが、隠れた先が、父、聖徳太子ゆかりの寺であり、当麻寺の前身とされている万法蔵院で、そこに逃げられていたという説も。ならば、やはり天王堂が芝に、聖徳太子の勧めにて当麻皇子の建てられたお寺があった可能性が高まるわけです。山背大兄王は、結局、斑鳩寺に戻り、一族、皆、自害されるに及ぶのであります…ただ、子の弓削王一族は、河内八尾、若江に逃れて土着し、勢力を維持、その後に、道鏡が出世するわけであります。道鏡は歴史上、かなり貶められて語られていますが、相当な学僧の智者でありました。道鏡が天皇となるべくの宣託が、しかるべきにあったのは、やはり聖徳太...山背大兄王と生駒山聖徳太子と道鏡

  • 西光寺跡地探索・山畑4号墳

    今日、昼の合間に山畑4号墳へと参りましたら、丁度、字花草谷の古い地主の方と4号墳周辺の土地の借り主の方がおられて、色々と有り難い話が聞けました。なんと、花草神社、福富神社以外にも、字花草谷にはもう一つの神社があったらしいです。代々神職だったとその地主の方に教えて頂きました。また、4号墳にも案内して頂き、少し周囲を探索させて頂きました。立地的にも西光寺跡、このあたりがかなり有力かもです。また動画で経過をご報告致します。今後、調査にも協力して頂けるとのことで、いよいよかなりの進展が期待できます。有り難いことです。西光寺跡地探索・山畑4号墳

  • 新しい領解文・弘願助正説・疑心往生説の共通した問題点について

    ああ、当時は信前、信後の報恩行の範疇として考えていたわけか、、結局、弘願助正云々どころか、浄土真宗でもなく、仏教でもないものに転落したのが、新しい領解文の正体であり、ほどなくして石泉学派についても考える意味がなくなったとして言及しなくなった。今回の疑心往生の問題は、簡単には、「みんな頑張れ」のような主張、言葉の暴力で相手を追い詰めること、傷つけることになりかねないということであるが、新しい領解文のあり方も似たようなものになっていると言えるだろう。更にそれを強制させるなど、論外でもあるわけだ。「みんな頑張れ」という主張は、頑張れないものを排除した物言いであり、どうしても頑張れないものを追い込むことになる。下手したら自死へも向かいかねない。「みんな救われる」、「みんな往生できる」というのも現実、救いようのない...新しい領解文・弘願助正説・疑心往生説の共通した問題点について

  • 弘願助正説

    愚聞のともにきくラジオ「領解を語ろう」3https://www.youtube.com/live/k102i_jrjOc?feature=shared岡林さんが言いたいことがようやくによくわかった。まあ、対機説法とは違った、とにかく安心感を与えたいと思っての悪気の無い自分の主張の押し付け、それがきっと為になる、正しいとの正義感からの自分の主張の押し付け、そういうことに対しての懸念であるのだろう。疑心あっても往生できるからと、とにかく安心して彌陀本願を頂きましょう的な、、また、それが弥陀本願を頂く入口にもなればオッケー的な、、言わば、弘願助正説みたいなものでしょうが、結局のところ、あれもこれもと類推、拡大解釈、援用して助正になるとしていけば、やがては人殺し、戦争も助正ということになるわけであります。そうなれ...弘願助正説

  • 上四条・経塚付近の楠正行公碑・正時公碑について

    西光寺跡本命と考えていた公碑周辺は、本命でなく、先日に寄った山畑4号墳あたりになるのではないかと考えています。この公碑は、昭和初期の建立で、目的は軍国主義戦意高揚のためとして建てられたもので、西光寺境内跡、もしくは旧山畑墓地、正行公・正時公五輪塔二基が元々にあった場所を考証して建てられたものではないと結論付けました。この公碑にやや惑わされ過ぎてましたね。上四条・経塚付近の楠正行公碑・正時公碑について

  • 福富神社・木曽御嶽本教・関西天王教会本部

    福富神社の詳細、やっと見つけた。現代編に載っていた。大正2年であるから、そう古くはない。天王教会だが、字名とは関係がないのは明らかなものの、やはり、ここが字「天王堂が芝」であったとの意見もある。また、西光寺跡地ではなさそうである。ただ、飛鳥時代以降にお寺があった可能性もなくはない。霊託、託宣を受けての創建とならば、古代からの聖地であったのは間違いないだろう。同じ話は今の神感寺でもある。ならば、ここに「天王堂」があったとの推測も成り立つ。桜井寺、万法蔵院、六萬寺があった可能性も捨てきれない。福富神社・木曽御嶽本教・関西天王教会本部

  • 木曽御嶽本教・福富神社

    客坊から四条へ向かう途中に「奥ノ宮道」の古い道標があった。「奥ノ宮」は、木曽御嶽本教の福富神社のことか?山畑地区に入る前に奥乃院の案内板もあったから多分、福富神社のことなのだろう。道標のすぐ近くに古墳かな?と思う盛り土があり、周囲を歩くと、少し空いた穴が、、覗くと間違いなく古墳だと確認できた。あとから調べると山畑4号墳で、発掘調査はされていないらしい。まだ順番が回ってきていないのか、、このあとに山畑2号墳も玄室入り口まで行ったが、画像は撮っていない。ただ大きさにかなり圧倒された。山畑2号墳は市内最大規模、明治時代に日本考古学の父、ウィリアム・ゴーランドが調査した記録もあるらしい。古墳好きな方なら一度は訪れるべきでしょう。西光寺跡地はまだ分からず。そういえば、この福富神社に関しては河内四條史に全く言及されて...木曽御嶽本教・福富神社

  • 客坊廃寺~上四条へ 西光寺跡の調査

    今日は合間に客坊へと行ってきた。平安時代から南北朝時代まで存在していた客坊廃寺付近から上四条へ。西光寺跡地、字天王堂が芝を調査。客坊廃寺は、蓮華紋の立派な軒丸瓦が出土している。客坊廃寺のやや南東にて石塔群、滝行場と出会った。客坊廃寺の修験道との関わりとも言えるだろう。密教系の寺院であったのかもしれない。その後、西光寺跡を重点的に探索したが、結局、分からないままに帰った、、客坊廃寺~上四条へ西光寺跡の調査

  • 未発見の石碑「忠臣小楠之墓」 江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま? 2024年6月12日

    この石碑も必ずまだどこかにあるはずである。発見に尽力したい。未発見の石碑「忠臣小楠之墓」江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま?2024年6月12日https://youtu.be/XWekEM-A_Hw?feature=shared未発見の石碑「忠臣小楠之墓」江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま?2024年6月12日

  • 「忠臣小楠之墓」碑はどこへいったのか? 上四条にあった西光寺の境内裏に、小楠公碑が江戸時代末期に建立されている

    上四条にあった西光寺の境内裏に、小楠公碑が江戸時代末期に建立されている。おそらく畑小路地蔵堂内の五輪塔二基が元々あった側に建てられたのだろう。しかし、この「忠臣小楠之墓」碑はどこにも現存していない。西光寺が廃寺になった際に何処かに持ち出されて不明になったのか、もしくは五輪塔と共に隠匿された際にまだ別のところに隠匿されたままか、、おそらくは隠匿されたままになっている公算がかなり高いと思われる。この発見にも努めねば。。「忠臣小楠之墓」碑はどこへいったのか?上四条にあった西光寺の境内裏に、小楠公碑が江戸時代末期に建立されている

  • 往生院六萬寺 歴史館の紹介 展示物の簡単な説明 実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい 見学無料

    主に拙動画の撮影舞台となっている往生院六萬寺の歴史館、展示物の改めての紹介。往生院六萬寺歴史館の紹介展示物の簡単な説明実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい見学無料https://youtu.be/EFK08uxguOU?feature=shared往生院六萬寺歴史館の紹介展示物の簡単な説明実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい見学無料

  • 疑心について

    ご質問を頂いたのだが、疑心は、倶生諦執や無明、煩悩、我執や迷乱知、転顚知、煩悩障や所知障などとは性質を異にしている。なぜなら、それらと疑心は対治方法が根本から全く異なるからだ。主に空性を修習して対治していくのが、上記に挙げた疑心以外のものとなる。疑心は、空性の修習によって対治されるのではなく、ひたすらに弥陀本願を窺い、聞法によって対治されることになるからである。よく疑心を無明や煩悩、我執などと同一視して考えようという向きもたまに見かけるが、それは全くの見当違いであると思うのである。疑心について

  • 字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか? 飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる 2024年6月10日

    字「天王堂が芝」の地名が、明治期に消された理由とは!?字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか?飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる2024年6月10日https://youtu.be/aaOZshwUDBU?feature=shared字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか?飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる2024年6月10日

  • 上四条・字山田付近に桜井寺→万法蔵院→六萬寺とあった可能性も

    このことに関しては、更に興味深いこともあり、桜井寺、六萬寺の所在地の解明へと繋がる可能性も極めて高くなる。もしかすると、桜井寺→万法蔵院→六萬寺とあった可能性も出てくる。ならば、現在の桜井寺・六萬寺の想定地である六萬寺・字院堂よりも四条よりの字山田付近が六萬寺の本命と目されるのである。字「天王堂が芝」が、字山田のどこにあったのかということに関わることになる。場合によっては大発見となる。もちろん鍵となるのは飛鳥時代の瓦、寺院跡、礎石となる。拙考が正しければあの未開地の調査を進めれば、本当に見つかるかもしれない。上四条・字山田付近に桜井寺→万法蔵院→六萬寺とあった可能性も

  • 字・天王堂が芝と字・山田 天皇・皇子の建立したお堂があったか? 河内国に当麻皇子の建立した当麻寺の前身である万法蔵院・禅林寺のあった可能性も?

    河内国山田に当麻寺さんの前身となる寺院があったとされるわけであるが、関連でかなり気になったのが、上四条の字山田と字天王堂が芝である。字天王堂が芝を特定、調査して、飛鳥時代の寺院跡が見つかれば、万法蔵院禅林寺の可能性も出てくる。天王堂=皇族が建てたお堂というわけである。上四条の山手は古墳も点在してあるし、しかも、未開地、未調査地がまだまだある。未だに開発が本格的に入らないのは、やはり四條縄手の戦いにおける怨霊、祟り伝説が根強くあるからでもあるのだろう。確かに気をつけなければならない土地柄ではあるが、しかるべくに地鎮、慰霊をすれば大丈夫である。新発見に期待が高まるが、すぐにはもちろん無理であろう、、とにかく、今はやれることで地道にやるしかない。字・天王堂が芝と字・山田天皇・皇子の建立したお堂があったか?河内国...字・天王堂が芝と字・山田天皇・皇子の建立したお堂があったか?河内国に当麻皇子の建立した当麻寺の前身である万法蔵院・禅林寺のあった可能性も?

  • そもそも一般在家門徒において真実浄土と極楽報土を区別して往生のあり方について理解できるのか

    そもそも一般在家門徒にとっては、真実浄土と極楽報土を区別して往生のあり方について理解できるのかとなれば、半数以上の方において、それは難しいのではないだろうか。むしろ、わかりやすい聖道自力、善根功徳が必要となる極楽報土往生を説く向きに傾くとしても仕方がない面もある。もちろん、信心決定しておらず、疑心あっても、極楽報土ならば往生の可能性がある。まあ、一定、自力修行、功徳が必要にはなるが、、新しい領解文も、衆生、門徒の側におけるそのような要請、需要に合わせて、真実浄土から極楽報土の往生へと教義転換を図ろうとした意思もあるように思えなくもない。しかし、親鸞思想の純粋性は失われ、教義が俗なるものへ傾斜するどころか、仏教でもない訳の分からないものへと転落することになってしまったわけである。笑えないお粗末さながら、いま...そもそも一般在家門徒において真実浄土と極楽報土を区別して往生のあり方について理解できるのか

  • 楠木正行公・正時公 畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す 東大阪市上四条町・山畑地区 2024年6月8日

    伝承にも若干のズレがあり、特定に困難さがあります。ただ、現在の山畑地区・旧山畑集落は、かなり荒廃しているものの、だからこそ遺跡が未だ残ってある可能性も高くあります。山畑地区に開発が入り、遺跡、遺構が出てくれば、いよいよ四條縄手の戦いに関する遺物も再発見される可能性があります。それにより、いずれの地が小楠公終焉地であったかの決着もつくように思われます。楠木正行公・正時公畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す東大阪市上四条町・山畑地区2024年6月8日https://youtu.be/YVdA95JJScg?feature=shared楠木正行公・正時公畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す東大阪市上四条町・山畑地区2024年6月8日

  • 疑心残存説について・潜在的自力心

    疑心は、本願への疑い、他力への疑い、仏智への疑いと、広い意味合いにて使われており、定義として一定しているわけではない。ただ、潜在的に有してある自力心に関わる問題であり、それは一体どのようなものなのかを考えるのが重要となります。例えば、この迷い苦しみの世界、迷い苦しみの輪廻の存在から逃れるために、救われるためには、何かをしなければいけないという強烈な衝動、もしくは、焦燥は、自力心であるとも言い得るが、これは仏教における「出離心」であり、仏教への入門、何よりも「菩提心」へと向かうための前提となるものである。そして、全ての者たちが同様に迷い苦しみの中に喘いでいることを知り、自分も皆も救われるための道である仏教を修するとの志を立てる心が「菩提心」である。やがて、仏教を修する中において、自力道で進めるか、他力道にて...疑心残存説について・潜在的自力心

  • チャンネル登録を宜しくお願いいたします。

    サブ垢で調査メモ程度として始めたYouTube動画。お寺の法話をアップしていた本垢がログインできなくなり、やむなく使うようになった。あまり宣伝もしていなかったので、チャンネル登録者数は相変わらず少ないが、1000回視聴を超えるのが二本になった。下記は現時点で1500を超えている。さほど凝った編集等は全くせず、スマホでただ動画を分けて撮り、編集アプリで繋ぎ合わせるだけである。一つ、自筆メモによる解説は意外に好評。これは法話フリップからの癖みたいなものだが、案外分かりやすいようだ。また、展示ケースの上で撮影しているのも珍しいパターンでそれも新鮮なよう。とにかく、これからも調査研究の記録として続けていければと考えています。古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて四條縄手の合戦戦没者供...チャンネル登録を宜しくお願いいたします。

  • 山畑子安地蔵尊 旧山畑墓地の六地蔵尊 四条春日神社、近年に再建か? 東大阪市上四条町 2024年6月6日

    山畑子安地蔵尊は、地蔵誓願が台座に刻石されている全国的にも珍しい地蔵尊であります。訂正晦朝→晨朝山畑子安地蔵尊旧山畑墓地の六地蔵尊四条春日神社、近年に再建か?東大阪市上四条町2024年6月6日https://youtu.be/eiGRxn8xYNM?feature=shared山畑子安地蔵尊旧山畑墓地の六地蔵尊四条春日神社、近年に再建か?東大阪市上四条町2024年6月6日

  • 経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査 壁面の陀羅尼の解明 経塚古墳の由来について考える 2024年6月5日

    壁面に書かれた陀羅尼を確認しに、再び経塚古墳へと行って参りました。間違いなく楞厳呪でありました。また、千手千眼の文字も確認しました。経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査壁面の陀羅尼の解明経塚古墳の由来について考える2024年6月5日https://youtu.be/-JTKwn-c9o0?feature=shared経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査壁面の陀羅尼の解明経塚古墳の由来について考える2024年6月5日

  • 春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓 河内・往生院との関係 2024年6月4日

    生駒山麓における春日神社各春日神社は元春日と呼称されており、春日大社の祭神は、生駒山麓より勧請されたのであります。春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓河内・往生院との関係2024年6月4日https://youtu.be/V5t_XcFAN_0?feature=shared春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓河内・往生院との関係2024年6月4日

  • 信前・信後の不審のありようについての検討

    疑心を煩悩障に対応させるとしたら、所知障にあたるものが不審になるのかどうかであるが、この不審が、信後のものだとしたら、そう考えられるものとなる。要は、歎異抄における唯円の不審が、信前、信後、いずれの文脈で語られてあるのかどうかである。つまり、唯円とのやりとりで、親鸞聖人がおっしゃった意はどちらであるのかの検討になる。下記論文において紅楳英顕先生は、信前とお考えである。https://www.jstage.jst.go.jp/.../36/1/36_1_167/_pdf/-char/jaしかし、疑心の強烈な残り香、習気が信後にもあると考えるのが拙見解であり、また、推測でもある。むしろ、この信後にも残ってある習気により、衆生の迷い苦しむありよう、疑心に苦しむありようを把捉することができると考えられるのである。...信前・信後の不審のありようについての検討

  • 疑心残存説についての続き

    疑心残存説についての続き。煩悩障を断滅しても、所知障が対治できていない限り、悟りへと至れることがないように、信心決定、疑心断滅しても、所知障と同じように残り香的、習気として、何らか疑心の残存もありうるかどうかであるが、これはありうると考えるのである。まず、所知障とは何か、ということであるが、拙図を参考にして頂くと、簡単には「虚偽の現れ」をもたらす障りのことである。この「虚偽の現れ」とは、モノ・コトは本来は空性であり、実体として成り立ってはいないものであるにもかかわらず、まるであたかも実体として成り立ってあるかの如きにモノ・コトが現れてしまっているありようのことである。もちろん、煩悩障を断滅した行者においては、三昧・等引から離れた後得知の状態において、そのような「虚偽の現れ」があったとしても、もう騙されずに...疑心残存説についての続き

  • 疑心残存説について

    疑心残存説について、疑心が無くなった後に、疑心が生じたり、残ったりすることはあるのかどうか、ということですが、これは煩悩障におけることと同様の事態として考えればよいのである。煩悩障断滅後には、煩悩は一切生じることはなく、業が汚されることもなくなります。同様に考えれば、疑心が無くなり信心決定した後に、疑心が生じたり、信心が後退することはないと考えることができます。つまり、不退転(位)ということです。ただ、煩悩障の場合、煩悩障を断滅しても、その残り香的な習気である所知障が残ることになります。ならば、同様に、疑心を無くし、信心決定しても、疑心の残り香的な習気は残ってあることは十分に考えられるものとなります。疑心残存の事態をこのように考えるならば、どのようなものとなるのか?要は、疑心の本体は無いが、その残像がある...疑心残存説について

  • 浄土真宗の本義は真実浄土への往生を目的とすることにある・疑心往生についての補足

    疑い(疑心)があっても救ってくださるのが阿弥陀さま、とご意見を頂戴した。このことは随分と前にもお答えしたことがあるが、もちろん、お救いは下さるが、その救い先への往生は、真実浄土ではないということである。もしも、真実浄土以外の阿弥陀如来の報土、化土、六道等へとなれば、当然に善根功徳、菩提道次第の修行は必須になる。つまり、他力法門からは外れることになる。もちろん、しかるべきに修行すれば、疑心あっても往生はできるが、その先は親鸞聖人がおっしゃられた真実浄土ではないということなのである。浄土真宗でも阿弥陀経を読むことがあるため、極楽報土でも往生できれば良いという考え方もあるのでしょうが、それなら何のために親鸞聖人は開宗なされたのかということにもなりかねないのである。あくまでも、浄土真宗の本義は、真実浄土への往生を...浄土真宗の本義は真実浄土への往生を目的とすることにある・疑心往生についての補足

  • 東大阪市上四条・経塚古墳・壁面の墨書について

    東大阪市上四条・経塚古墳・壁面の墨書について経塚壁面の陀羅尼、やっぱり楞厳呪だった。三会だ。江戸時代に禅宗系(おそらく黄檗宗)の僧侶により始められたのではないだろうか。(同集落の花草神社には隠元書の扁額が伝わっている)となれば、やっぱり厄除け祈願になるであろうか。疫病や飢饉など。こちらもまた興味がわいてきますね。東大阪市上四条・経塚古墳・壁面の墨書について

  • 疑心往生について・真実浄土へ至る地図の作図は・・

    疑心断滅・信心獲得と真実浄土往生のセットと、煩悩障断滅と空性現量了解のセットが同様な事態であることを考えれば、その行者の境地についてもよくわかることになる。つまり、疑心断滅、信心獲得した現生の行者の状態も自ずと推測がつくことになるわけである。要は、阿羅漢果、菩薩八地以上ということなのである。ならば、疑心断滅・信心獲得の行者においては、まだ所知障を断滅できていない状態にあるとも言い得ると考えられるのである。疑心往生について・補足https://www.facebook.com/share/p/puXwebXnuCfSbx75/また10年以上前のこの図を持ち出してくることになるが、要は疑心とは、対応させると、有染汚の無明と同様な事態とも言い得ることになる。このように仏教の基本と比較検討すると、先に述べてあると...疑心往生について・真実浄土へ至る地図の作図は・・

  • 疑心往生について・補足

    疑心往生の件は、拙このポストを参考にして頂けたらと思うが、https://www.facebook.com/share/p/tKMmH6eQrKn8MDsz/疑心が微塵でもあれば、真実浄土への往生は不可であります。これは、煩悩障が微塵でもあれば、空性を了解できないという事態と同じようなものであると考えると分かりやすいでしょう。もちろん、疑心があっても真実浄土以外のところへの往生は可であります。そちらを想定する場合もあるため、それらそれぞれの往生先へと向けた条件の相違については、より細かく説明していく中で、誤解を生まないようにするのが望ましいことになるでしょう。いずれにしても真実浄土への往生を勧めるのであれば、疑心は完全に無くす事態としなければならないというのが、親鸞聖人の意であると考えなければならないので...疑心往生について・補足

  • 四條縄手古戦場(東大阪市上四条) 地鎮法要・追善法要 楠木正成公・正行公・正時公・四條縄手合戦戦没者追善供養 経塚前祠堂にて厳修 法要の様子と経塚古墳について 2024年5月29日

    ようやくに東大阪市上四条の字・天王堂が芝・西光寺廃寺跡地・四條縄手古戦場跡・砂山城跡へ赴き、法要を厳修いたしました。これで安心して畑小路地蔵尊の堂内五輪塔二基の元々あった場所についての調査にも入ることができます。また、経塚の内部につきましても少し扱わせて頂いております。読経、回向も編集なしとなっており、全体がかなり長くなっていますので、ご興味のあるところだけご覧頂けましたらと存じます。四條縄手古戦場(東大阪市上四条)地鎮法要・追善法要楠木正成公・正行公・正時公・四條縄手合戦戦没者追善供養経塚前祠堂にて厳修法要の様子と経塚古墳について2024年5月29日https://youtu.be/PW2mDGLL-EU?feature=shared四條縄手古戦場(東大阪市上四条)地鎮法要・追善法要楠木正成公・正行公・正時公・四條縄手合戦戦没者追善供養経塚前祠堂にて厳修法要の様子と経塚古墳について2024年5月29日

  • 疑心往生・疑心残存の議論について

    この問題は、疑心のないこと、信心獲得したことを明確に証明するのが難しいのに起因する問題であり、また、自内証であるため、第三者からの判定も無理なもので、何がそもそも疑心であり、何が自力にあたるものかも、かなり個々人の恣意的なものに委ねることになってしまう面もあり、議論自体が堂々巡り、水掛け論に陥るのも仕方のないところがあります。まあ、疑心なく、自力でないとしても、周りからはそれは自力、功徳行、雑行、雑修と見られてしまうことも多々あるわけです。行動一つからでもです。例えば、道にカタツムリがおり、車に轢かれて亡くなると可愛そうだと思って、脇に避けてやる行為でも、本人の動機、内証などわかりようがないわけです。ある者は不殺生戒、慈悲行、功徳行として行う場合があるでしょうし、これは功徳行、自力行として行うのではない、...疑心往生・疑心残存の議論について

  • 古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて 四條縄手の合戦戦没者供養・楠木正成公・正行公・正時公供養へと向けて 2024年5月27日

    忌み地や禁足地への向き合い方について古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて四條縄手の合戦戦没者供養・楠木正成公・正行公・正時公供養へと向けて2024年5月27日https://youtu.be/L0U-HHhNrlc?feature=shared古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて四條縄手の合戦戦没者供養・楠木正成公・正行公・正時公供養へと向けて2024年5月27日

  • 上四条・西光寺廃寺跡・四條縄手古戦場跡地調査の前に楠木家・戦没者供養を勤める予定

    上四条の西光寺廃寺跡地調査は、単なる史跡調査や研究目的ではなく、やはりまずは供養をメインへと切り替えることにする。近日に西光寺廃寺跡、楠木正行公、正時公五輪塔が元あったところの調査へと向かう予定だが、すでにここだろうというところは最初に赴いた時に感じてはいる。おそらくは間違いないだろう。また、周囲においては、やはり、古来より古戦場跡であるだけに禁足地、忌み地としての伝えも多い。つまり、失礼があれば、祟りがあるということだ。気をつけなければならない。明治二年の村の願書にもあったように、以来、慰霊を丁寧になされてはいたが、もうここ数年は滞りがちとなっているのは明白で、明治、大正、昭和、平成と慰霊を続けていた施主たちが、次々と亡くなり、後の世代への継承が残念ながらなされなかったためであろう。花草神社跡の小祠が無...上四条・西光寺廃寺跡・四條縄手古戦場跡地調査の前に楠木家・戦没者供養を勤める予定

  • 上四条・経塚の祠堂

    上四条、経塚の祠堂、下記のブログ記事は10年前だが、まだ祭祀はしっかりなされていたようである。ただ、現在でも注連縄、紙垂(しで)はまだ代えられているようには思うが・・河内彷徨~郷土を見にゆく~私の故郷「中河内」を見に行きますhttp://ovw100bj.blog129.fc2.com/blog-entry-1061.html上四条・経塚の祠堂

  • 四條縄手の合戦の怨霊を慰霊したい旨の願書・四条村

    上四条(四条村)で実際に出されていた四條縄手の合戦の怨霊を慰霊したい旨の願書が記されてある項。祠、社建立は、恐らく経塚の前にあった社となったのであろう。菊水の紋が瓦に入ってあったことから、これに間違いない。ということは明治期の建立になる。公碑は、大正以降になるだろうか(大正十四年(1925)建立のようです)。やはり、元々に五輪塔、塚があったとされるところに建てられた可能性が高いが、隠された五輪塔の大きさから考えても、石組があまりに大き過ぎて不自然である。また、二石塔は並んであったと思われる。前回、公碑に赴いた際にピンときていたところが別にあった。間違いなくそこだと思っている。今回も不思議に御霊に呼ばれたのかもしれない。四條縄手の合戦の怨霊を慰霊したい旨の願書・四条村

  • 楠木正行公墓所・公刊物からの考察

    楠木正行公の往生院胴塚墓所、上四条西光寺跡墓所、四條畷雁屋南墓所、公刊されているものからの歴史認識としては、上四条の河内鑑名所記が、今のところ一番古いことになる。次に大日本史、そして、和漢三才図会、諸州巡覧記となる。編纂時、あるいは調査時、見聞から考えても、河内鑑名所記が一番古くなる。次に、大日本史と諸州巡覧記は同時期ぐらいになるだろうか。政府(幕府)公刊としての考証からは、やはり大日本史となる。もちろん、往生院における鷹司信房公による墓所整備が、1650年代であるため、その際に墓所としての認識に至る何らかの文献が、その前にはあったと考えられる。それは、大日本史編纂でも参考とした資料であったと思われる。彰考館による南朝関係資料の徹底調査においてで。もしかしたら、彰考館に残ってあるのかも。空襲でほとんど焼け...楠木正行公墓所・公刊物からの考察

  • 四條縄手の戦い跡・東大阪市上四条町の伝承

    上四条町には、いまだに馬の嘶き、軍勢の足音や雄叫びが山から響き渡るということがあるらしい。四條縄手の戦いは、最後には往生院城、客坊寺城、砂山城の正行軍は、山側からの佐々木道誉軍、東高野街道からは高師直軍に挟まれ、阿鼻叫喚の地獄であったと想像ができる。南朝方の城、砦、寺院、館、朝廷内裏などは吉野に至るまで容赦なくことごとく焼き払われてしまった。いかほどの無念であったであろうか。関連かもしれないが、やはり、往生院でも謎の地響きがいまだによくあり、小さい頃から聞いているが、南北朝時代の侍たちがこの辺りをまだ彷徨っているということであるのかもしれない。また、四條村には、明治期に村が騒動しく、落ち着きがなく、諍いが絶えないのは、四條縄手の戦いで亡くなった怨霊たちの仕業であるから、楠木正行の御霊を鎮めたいとの切実な訴...四條縄手の戦い跡・東大阪市上四条町の伝承

  • 西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!? 2024年5月21日

    ついに畑小路地蔵尊にある楠木正行・正時兄弟の五輪塔の元々祀られていたところが特定できた。やはり、砂山城跡だったが、そこには西光寺というお寺もあったことがわかった。また一つの謎が解けた。更に、村では当時に色々と障りが多く混乱が起こっていたのは、四條縄手の戦いで亡くなった者たちの供養をちゃんとしてないからだということで、供養をするための請願も出されていたことも改めて知った。しかし、逆に四條畷神社建立を避けるために正行公・正時公のお墓を壊して、五輪塔を隠匿するのでもあるが・・果たして、五輪塔が元にあったところへと戻ることは、これから先いつかあるのだろうか・・西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!?2024年5月21日h...西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!?2024年5月21日

  • 新しい領解文問題・有志の会いまだ本丸にたどり着けず

    ようやくにかなり踏み込んではいるが、今更感でもあり、遅きに失している。これを機に浄土真宗でも中観思想について学ぶようにするのが良いであろう。何よりもツォンカパ大師の思想考究をお勧めする。ならば二度とこのような間違いも起きないことであろう。とにかく、まだ有志の会も何が問題の本丸であるのかについては見えていないようでもある。これではまだまだ解決には時間が掛かるだろう。附論―冊子の内容と記述手法の問題―このたび公開された総合研究所冊子(以下、「冊子」と呼ぶ)について、一部では「学問的に厳正に立論された満井論文」などと評価し公言する人もいるようであるが、率直に言って、この冊子の内容は、「論文」と呼ぶに値するものではない。この冊子は、一見すると様々に論を展開しているように見え、それを証明しているかのように先学の文章...新しい領解文問題・有志の会いまだ本丸にたどり着けず

  • 花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚 楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将 2024年5月20日

    花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将2024年5月20日https://youtu.be/cS6TYIuGEGg?feature=shared花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将2024年5月20日

  • 四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町) その激戦の痕跡 霊光院 旧楠公院 畑小路地蔵尊 歯神さん 砂山城跡 2024年5月20日

    四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町)その激戦の痕跡霊光院旧楠公院畑小路地蔵尊歯神さん砂山城跡2024年5月20日https://youtu.be/8d1qQJqr9MQ?feature=shared四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町)その激戦の痕跡霊光院旧楠公院畑小路地蔵尊歯神さん砂山城跡2024年5月20日

  • 四條縄手の戦いの戦闘経過検討

    四條縄手の戦いの戦闘経過は、当然に太平記を基準に考察されるのだが、物語的に脚色されているところもあるため、そのままを鵜呑みにはできない。砂山城跡に初めて行ったが、山岳戦を戦うにはもってこいの要所であり、背後の神感寺城の役割を補完するにも十分と感じた。しかし、生駒山の背後から佐々木道誉軍が進撃し、鷲尾砦、慈光寺砦、神感寺城と落され、客坊城、往生院城も襲われ、砂山城にも敵軍が迫ったのは、前線の正行にも伝えられたはずである。または、狼煙台が至るところにあり、急変を知ったはずだ。正行には渡辺橋の美談があるように、敵でさえも戦闘が終われば救うようなお方であった。そんな正行が、後方の味方が危ないと知った時に果たして無視して、更に高師直軍へ向けて進軍できただろうか。答えは否である。即座に引き返し、砂山城に迫った佐々木道...四條縄手の戦いの戦闘経過検討

  • 楠木正行公・御墓所 全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔 / 明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!? そして、明治時代後期に発足した南木会とは!? 2024年5月19日

    四條畷神社創建に際して翻弄された四条村・・隠匿された正行公・正時公の二石塔を再確認。そして、明治期に小楠公神社建立を図った往生院の哀愁・・楠木正行公・御墓所全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔/明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!?そして、明治時代後期に発足した南木会とは!?2024年5月19日https://youtu.be/qGCVN4vsNqw?feature=shared楠木正行公・御墓所全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔/明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!?そして、明治時代後期に発足した南木会とは!?2024年5月19日

  • 上四条・砂山城跡の楠正時公碑の前にあったお社・経塚古墳

    上四条・砂山城跡の楠正時公碑の前にあったお社。菊水の瓦の社があったが、ここが経塚だった。お経が彫られた石がたくさん祀られてあると文献で見ていたが、このお社の裏手にある古墳の中にあるようだった。後から見たら確かに裏手に石組がある。この経塚はもしかしたら四條縄手の戦いで亡くなった者たちの供養として古墳が活用されたのかもしれない。上四条・砂山城跡の楠正時公碑の前にあったお社・経塚古墳

  • 東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!? 四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について 2024年5月18日

    隠蔽された楠木正行公・正時公供養石塔を確認か?東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!?四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について2024年5月18日https://youtu.be/lnNf80Gp9JI?feature=shared東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!?四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について2024年5月18日

  • 上四条、砂山城跡にある正行公碑、正時公碑

    上四条、砂山城跡にある正行公碑、正時公碑を見に行ったが、もう荒れ放題だった。探すのにも難儀した。近くには廃神社も、、小楠公神社の建立計画は、往生院、上四条、現在の四條畷神社と明治時代にもちあがっていた。往生院もあと少しのところで神社となるところだったが直前に頓挫し、上四条も土地の強制接収を恐れての反対運動があり、結局は現在の四條畷神社に決まることになった。しかし、この廃神社を見て、もし、こちらに小楠公神社が決まっていたなら、と想像してしまう。上四条は、一大観光名所になり、瓢箪山駅の次に四条駅が敷設され、参道も賑わうことになっていただろう。瓢箪山駅、四条駅、枚岡駅、額田駅と。往生院も四条駅からならば徒歩10分で今よりかなり楽に。上四条の史跡群、また動画でも取り上げます。上四条、砂山城跡にある正行公碑、正時公碑

  • 南北朝時代、南朝方陰陽を司っていた勘解由小路家

    南北朝時代、南朝方陰陽を司っていたのが、勘解由小路家、つまり、賀茂家であったことを裏付ける後醍醐天皇の綸旨書。後醍醐天皇は、八咫烏信仰と共に、賀茂家を重用したわけでもある。南北朝時代、南朝方陰陽を司っていた勘解由小路家

  • 楠木正成公・正行公の戒名について 補足 小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識 2024年5月17日

    いくつか伝わってある楠木正成公、正行公の戒名。戒名の由来、それぞれについて考察してみました。楠木正成公・正行公の戒名について補足小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識2024年5月17日https://youtu.be/Lv5l5EnmSNo?feature=shared楠木正成公・正行公の戒名について補足小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識2024年5月17日

  • 南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日) 楠木正行・正時 vs 高師直・佐々木道誉 四條縄手 東大阪市四条町・上四条町周辺 四條畷市北条周辺 2024年5月16日

    南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日)楠木正行・正時vs高師直・佐々木道誉四條縄手東大阪市四条町・上四条町周辺四條畷市北条周辺2024年5月16日https://youtu.be/6q1MCBM0Dgs?feature=shared南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日)楠木正行・正時vs高師直・佐々木道誉四條縄手東大阪市四条町・上四条町周辺四條畷市北条周辺2024年5月16日

  • 小楠公墓所・楠木正行公のお墓 往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所 全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について 往生院六萬寺 2024年5月15日

    楠木正行公のお墓全国に伝わってあるお墓の由来について小楠公墓所・楠木正行公のお墓往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について往生院六萬寺2024年5月15日https://youtu.be/E2bPJRYfQrA?feature=shared小楠公墓所・楠木正行公のお墓往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について往生院六萬寺2024年5月15日

  • 楠木正行公の念持仏について 毘沙門天・多聞天立像 懐中仏 携行仏 守り本尊 戦勝祈願 岩瀧山往生院六萬寺 2024年5月14日

    楠木正行公の念持仏・毘沙門天立像の由来について楠木正行公の念持仏について毘沙門天・多聞天立像懐中仏携行仏守り本尊戦勝祈願岩瀧山往生院六萬寺2024年5月14日https://youtu.be/uEV5JeiEYsU?feature=shared楠木正行公の念持仏について毘沙門天・多聞天立像懐中仏携行仏守り本尊戦勝祈願岩瀧山往生院六萬寺2024年5月14日

  • 今後の配信予定 楠木正行念持仏について 楠木正行御墓所について 四條縄手の戦いについて 楠木正成・正行の戒名について 楠木家一族による寺院開基開山について 2024年5月13日

    次回から楠木正行公関連について扱う予定です。今後の配信予定楠木正行念持仏について楠木正行御墓所について四條縄手の戦いについて楠木正成・正行の戒名について楠木家一族による寺院開基開山について2024年5月13日https://youtu.be/GNGBFSV7G5o?feature=shared今後の配信予定楠木正行念持仏について楠木正行御墓所について四條縄手の戦いについて楠木正成・正行の戒名について楠木家一族による寺院開基開山について2024年5月13日

  • 叡尊(興正菩薩)と枚岡神社 元寇降伏祈願法会 蒙古襲来・元寇 全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命 2024年5月11日

    1274年~1275年には全国の寺社で宗旨宗派関係なく、元寇降伏祈願法会が開催されていたのでしょう。叡尊(興正菩薩)と枚岡神社元寇降伏祈願法会蒙古襲来・元寇全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命2024年5月11日https://youtu.be/LsKjS2uDLj4?feature=shared叡尊(興正菩薩)と枚岡神社元寇降伏祈願法会蒙古襲来・元寇全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命2024年5月11日

  • 往生院と修験道 往生院と陰陽道 妙見菩薩像・八臂弁財天像 土御門家と額田歴代組 金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山 役行者 不動明王 2024年5月10日

    土御門家と勘解由小路家。双方の明暗が分かれた拙仮説として、南北朝の争いにその要因があったとみています。八咫烏陰陽道と美作後南朝。少し止まっていますが、早く美作後南朝も再考察を再開したいですね。往生院と修験道往生院と陰陽道妙見菩薩像・八臂弁財天像土御門家と額田歴代組金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山役行者不動明王2024年5月10日https://youtu.be/WD1ii0u1SmI?feature=shared往生院と修験道往生院と陰陽道妙見菩薩像・八臂弁財天像土御門家と額田歴代組金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山役行者不動明王2024年5月10日

  • 勧学・司教有志の会 声明(七の四)に思ふ

    結局、声明七も的外れなままに終ってしまったか、、残念。まあ、あまり期待もしていなかったけども、、いまさらに、「空」、「縁起」、「無分別」をめぐる解釈の誤用については書くまでもないと思っていたが、要は「新しい領解文」問題も根っこの部分にあるのは、これである。有志の会が、声明七(まだ途中)にて、くだんの問題論文のことと併せて、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の間違いについて、「仏願の生起本末」の観点からの反論をされているが、本質的な問題はそこではなく、明らかな「空」、「縁起」、「無分別」の誤用にあるのである。どうしてこの点をもっとダイレクトに指摘されないのかが不思議なのである。もちろん、従前より親鸞思想・浄土真宗教学において最も弱いのが、空思想、中観思想であります。もっとも、元々は世親、曇鸞、道綽、善導...勧学・司教有志の会声明(七の四)に思ふ

  • 河内・浄土院跡へ 瓦の散在状況の確認と記録 東大阪市横小路町 2024年5月9日

    再度、浄土院跡へと赴きまして、現況を記録しておきました。河内・浄土院跡へ瓦の散在状況の確認と記録東大阪市横小路町2024年5月9日https://youtu.be/vg_0Olg-xNk?feature=shared河内・浄土院跡へ瓦の散在状況の確認と記録東大阪市横小路町2024年5月9日

  • 往生院本堂に祀られてある妙見菩薩・八臂弁財天の由来について

    これまで、本堂に妙見菩薩が祀られてある由来が、あまりわからなかったが、河内の陰陽道の古い歴史から、葛城修験の宿場でもあった往生院なら修験道(立派な役行者坐像もある)と共に陰陽道を扱っていたのも頷けることになる。すぐ近くの額田に土御門家に仕えて祭祀を行っていた額田歴代組の鎮宅霊符神社があり、金剛生駒山系における修験道と共に、古来より河内は陰陽道の盛んな土地柄でもあったわけである。とすれば、本堂にある八臂弁財天も、やはり陰陽道関係として祀られてあったと思われるのである。江戸時代は、浄土宗鎮西派にありながら、別に額田歴代組によっての行者堂等も有して、修験道・陰陽道も修めていたということなのであろう。その名残が本堂に安置されてあると考えることができる。そして、親鸞聖人自作坐像を御影としたお堂もあり、四月の春ごとと...往生院本堂に祀られてある妙見菩薩・八臂弁財天の由来について

  • 往生院金堂・焼失時期について 南北朝時代・四條縄手の戦い 室町時代・河内守護畠山家内紛 2024年5月8日

    鎌倉時代の金堂、室町時代の金堂、2回の焼失の時期について往生院金堂・焼失時期について南北朝時代・四條縄手の戦い室町時代・河内守護畠山家内紛2024年5月8日https://youtu.be/Ui8kMT-acns?feature=shared往生院金堂・焼失時期について南北朝時代・四條縄手の戦い室町時代・河内守護畠山家内紛2024年5月8日

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