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川口英俊の日記
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川口英俊の日記さんの新着記事

1件〜30件

  • アポーハ論・2(メモ置き)

    アポーハ論・2(メモ置き)・・仏教認識論・論理学の学僧たちの中でも、特にダルマキールティ大師が苦心なさったのも、いかにして仏教の重要な概念、思想を正確に伝えて、それを信解作意してもらえて、仏道を迷うことなく進められるようになるか、そのための認識論・論理学の発展であったと言えるでしょう。その中でも、ダルマキールティ大師が最終的に最も眼目をおいたのは、意外にも誰もがたやすく理解できるであろうと思われる仏教の基本中の基本、基礎中の基礎である「四聖諦」なのであります。しかし、それは「四聖諦」であっても、この生涯を通じて、いや、輪廻を通じて、その正しい理解ができる者が実は少ないと言い得るからであります。それだけ過去世から阿頼耶識に熏習された習気、業による強烈な無明を打ち破るのは非常に困難であり、仏教の色々な重要概念(例え...アポーハ論・2(メモ置き)

  • 「見仏と授記」

    「見仏と授記」問い「極楽浄土に生まれ変わりたい」https://hasunoha.jp/questions/53394上記拙回答内にて、「・・なぜ浄土、あるいは天へと赴く過程を経なければならないのかは、見仏と授記という悟り・涅槃へ向けた条件を調えるためとなります。この娑婆世界は、現在、如来が不在であるため、それを補う必要性があるということになります。そのため顕教でも密教でも見仏と授記のために、浄土・天への往生(密教の場合は灌頂)が必須になるところであります。・・」と述べてありますが、葬儀の際における「見仏と授記」を示す具体的な文言はありますかという質問臨済宗(引導先は極楽浄土)では、明らかに記されています。戒名授与の中で見仏「・・法号を授与す。伏して願わくば今より以後、仏を称して師となし、深く禅定に入って十方の...「見仏と授記」

  • アポーハ論・1

    過去世からの心(の阿頼耶識)に薫習された習気(薫りが染み付いたようにそのモノコトを捉える習性)が、そのモノを捉えているが故に、誰一人として(外界における)同じモノ・コトを同じように認識することはない。これはhasunohaで価値観の捉え方の違いについての回答内で述べたことであるが、このことを「アポーハ論」と組み合わせて考えるとどうなりますか、ということを別で聞かれた。アポーハ論は、他者の排除、A性と非A性を分別するための論と認識しているが、結局、厳密に言えば、A性も非A性も、そのことを認識する者には、上記のために微妙な差異が生じるため、A性と非A性の境界を線引するのは不可能であると考えます。つまり、A性と非A性にも実体が無いということで「空」ということです。まあ、唯識が中観を補完するという奇妙な関係ではあります...アポーハ論・1

  • 炉前葬(火葬場での葬儀)の式次第

    ご事情により、一日葬よりもっと時間の無い炉前葬の導師ご依頼を頂戴しました。時間は30分ほどとのこと。炉前葬は初めてになりますが、故人様の生前のご遺徳を鑑み、できる限り通夜葬儀に準じたいとして儀軌を調えました。家炉前葬式次第令和年月日時分開式:〇・焼香三拝(三宝礼)・開経偈・剃髪・授戒願文・奉請・懺悔・三帰戒・禁網経偈・法号授与・大悲咒・授戒回向:十〇・十仏名・大悲咒・龕前念誦・龕前念誦回向・鎖龕回向・起龕念誦・起龕回向・往生咒・山頭念誦:二〇・引導・秉炬佛事・引導法語・観音経世尊偈(焼香)(また、時間に余裕の無い場合は、仏頂尊勝陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、宝篋印陀羅尼などに代える)・四弘誓願:三〇・修了この中で、観音経世尊偈の代わりに阿弥陀如来根本陀羅尼、一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼、浄除一切悪道仏頂尊...炉前葬(火葬場での葬儀)の式次第

  • 習気をおく

    いくら無上瑜伽タントラの成就法を実践しても、凡俗の執着も凡俗の顕現も全く無くなる気がしないと不安になることもあるでしょうし、自分の境地が遅々として全く進展しないと嘆かれることもあるでしょう。まあ、今世今生で成就するのは当然に難しい話であり、焦っても仕方のないところもあります。それでも、灌頂を頂くことにより大阿より賜った成就へと向けた「習気」(じっけ)は、今世今生以降も途切れることなく続くところであり、今は理解が及ばず、また境地が進まなくても、その「習気」が、きっといずれ役立つものとなり、花が咲く種となるものとなります。平岡宏一先生が、リンポチェの日本人向けの講義を通訳されていた際に、会場の雰囲気を察して、難しく煩雑となるこの部分は飛ばしましょうと述べたところ、リンポチェは、今は到底理解できなくても、いずれ先にて...習気をおく

  • 錯誤したイメージ

    では、生起次第などの成就法にて観想した本尊も、結局はどこまでも凡俗の顕現であって、それではいつまでも境地に進展がないままにならないのか・・当然に成就法にて、観想してあるイメージの本尊(あるいは空性のイメージ)も凡俗の顕現なるものであり、錯誤したイメージでしかないが、錯誤してはいても、それが本尊(あるいは空性)であると強く信解できる許可を得ている(灌頂)ことによって、様々な清らかな行が可能となり、それらの清らかな行にて、境地をより善いものへと進めていくことができるようになっていくと考えられるところとなります。でも、結局のところ、錯誤したままなのはそのままで大丈夫なのかということですが、そのイメージは、灌頂や説法により十分にイメージの仕方、注意点等の説明を受け、また、曼荼羅も拝見し、実際の本尊のありようも十分に観察...錯誤したイメージ

  • 凡俗の顕現を対治する有効手段について

    凡俗の顕現を対治する有効手段対象があると認識、把握したその時点で、すでに問題が発生してあるため、そう簡単な有効手段はないのであります。かといって、対象は無いのかといえば、無いわけではなく、縁起として存在しているわけですから、何もないという絶無、虚無ではありません。そこで、空性であることを信解作意してモノ・コトを把握していけるようにするために、成就法などにおいては、まず最初に空性を観想するところから色々なモノ・コトを生起させていくのであります。しかし、問題は、凡夫においては観想するそのイメージも凡俗の顕現の対象に過ぎないため、空性を観想しようにも、本来、どうしょうもないのであります。では、どうすれば正しい観想とできていくのか?認識が常に錯誤した認識であることを意識することから始めていくようにするとよいのではないだ...凡俗の顕現を対治する有効手段について

  • 「施餓鬼」から始まった一連の考察

    「施餓鬼」から始まった一連の考察まもなく彼岸で忙しくなってしまうため「施餓鬼」から始まった一連の考察はここまでと致します。とにかく僧俗問わず、仏道を歩む者においては、それはとても非常に厳しい旅路であることを改めて認識し、真摯に向き合い、精進していかなければならないのであります。だからと言って、諦めてしまってはそれまで。一進一退を繰り返しつつも、一歩でも前へと進めていくことが肝要になります。たった今世の数年、10年、20年取り組んだからと言っても、とても前に進められるようなものではなく、本来は、数万年単位、数億年単位、劫単位で取り組まなければならないほどに、その問題の根本は深刻であることを十分に理解しておかなければならないものなのであります。例え、今世、仏縁があって「僧侶」と名の付く者であっても、金襴豪華な袈裟を...「施餓鬼」から始まった一連の考察

  • 旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・鉢植え替え分11鉢配布

    旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・鉢植え替え分11鉢配布植え替えから一ヶ月経ち、無事に新芽が出てくれたタイミングで、譲り受け下さる方へと配布することに。立派に新芽が出てくれています。車に搬入到着。療育地蔵尊にお参り譲り受けして下さる方宅に8鉢。ゆかりある皆さんにそれぞれお配りして頂けます。東大阪市立障害児者支援センター「レピラ」(旧・東大阪市療育センターの後身)さんに3鉢お渡し。無事に届けることができました。これで旧・東大阪市療育センターの設立当初からある桜の木が挿し木として残すことができて参ります。また、地植え分から出た新芽から挿し木して増やせればと考えています。地植え分たち全部新芽が出てくれています。・・旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・地植え替え・鉢植え替え最終分(2021.2.2...旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・鉢植え替え分11鉢配布

  • 令和3年春季彼岸施餓鬼法要 法話「追善供養」

    令和3年春季彼岸施餓鬼法要法話「追善供養」https://youtu.be/lPp80WzKmQc開甘露門(施餓鬼のお経について)http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html施餓鬼供養の本質についてhttp://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html春季彼岸と夏お盆での施餓鬼供養の流れについて(往生院六萬寺)http://blog.livedoor.jp/oujyoui...令和3年春季彼岸施餓鬼法要法話「追善供養」

  • むすび

    むすびまもなく彼岸で忙しくなってしまうため「施餓鬼」から始まった一連の考察はここまでと致します。とにかく僧俗問わず、仏道を歩む者においては、それはとても非常に厳しい旅路であることを改めて認識し、真摯に向き合い、精進していかなければならないのであります。だからと言って、諦めてしまってはそれまで。一進一退を繰り返しつつも、一歩でも前へと進めていくことが肝要になります。たった今世の数年、10年、20年取り組んだからと言っても、とても前に進められるようなものではなく、本来は、数万年単位、数億年単位、劫単位で取り組まなければならないほどに、その問題の根本は深刻であることを十分に理解しておかなければならないものなのであります。例え、僧侶と名の付く者であっても、偉そうに曲彔に座りふんぞり返って導師を気取る、講釈を垂れることな...むすび

  • なぜ無上瑜伽タントラによることでなければ成仏できないのか?

    なぜ無上瑜伽タントラによることでなければ成仏できないのか?なぜ無上瑜伽タントラによることでなければ成仏できないのか?波羅蜜乗や下位のタントラでは成仏できない理由を、ツォンカパ大師は「五次第明灯」の中で明確におっしゃられていますが、その最大の理由が、波羅蜜乗や下位のタントラの修行、それと無上瑜伽タントラの生起次第だけの修行では「所知障の対治ができない」ためであるとはっきりとご説明なさられておられます。このことは、先に書いた「最後有(十地)の菩薩の所知障による相好と無上瑜伽タントラの幻身の相違とは?」の内容に最終的にリンクすることになりますが、例えば、いかに波羅蜜乗や下位のタントラ、生起次第において瞑想・禅定修行に通達したとしても、心に現れる顕れ、あるいは、三昧・等引から出ての外界の顕れも完全に浄化することが不可能...なぜ無上瑜伽タントラによることでなければ成仏できないのか?

  • ツォンカパ大師をはじめとした成就者たちについて

    ツォンカパ大師をはじめとした成就者たちについてまず、前回に高僧方の成就のお話を出しましたが、即身成仏という言葉に引っ張られて語弊が生じかねないため、断っておかなくてはいけませんが、ツォンカパ大師をはじめとした成就者たちは、それで即座に如来・仏陀となられたというわけではなく、より多くの菩薩行が可能となる心身を調えられることができ、そして、浄土や様々な世界へと自身の意思で赴けるほどの境涯になられたというのが正解であると言えるでしょう。完全なる悟りへと向けて、ようやく如来や菩薩など諸尊に相まみえられるようになり、また、教えも直接に頂けるぐらいになられたということであります。私たちも、もし、本当に浄土や兜率天などの天界へと至りたいと思うのであれば、それぐらいの境地にまで至っていなければ実は難しいのであります。送る側(導...ツォンカパ大師をはじめとした成就者たちについて

  • 無上瑜伽タントラにおける性瑜伽について

    無上瑜伽タントラにおける性瑜伽についてよくチベット密教、無上瑜伽タントラにおいては、何かアヤシイ、イカガワシイ性的な修行のイメージをもって嫌悪なさられる方がいらっしゃいます。ヤブユムという性的結合した尊格が多数あることから、それをそのまま世間一般の性交と同じく考えて、そして、アヤシイ、イカガワシイイメージをもってしまっている場合がありますが、これは完全な誤解となります。そして、灌頂や成就法の実践において、ホントウにそのような行為が必要であり、実践しているのか、と思われるかもしれませんが、現実的には、幾つかの厳しい条件をクリアしなければならず、また、絶対に必要というわけでもなく、現在においては、それを観想的なものとして行い、それも、性的な表現はあれども、アヤシイ、イカガワシイイメージはなく、重要な仏教思想における...無上瑜伽タントラにおける性瑜伽について

  • 楽空無差別について

    楽空無差別について楽空無差別とは何か?これは無上瑜伽タントラの中でも特に難解な解釈を有すると断言できます。空は、もちろん空性のことであるが、問題は、その空性と一体、無差別とする「楽」が何かである。まあ、もし、この楽が、私たちの世間で使われるような普通の苦楽の楽であるならば、そんな楽はたくさんあるため、それと空性を合わせることで、高次の境地へ到達できるとするのであれば、こんな簡単なことはない。ある程度の行者であれば、空性を信解作意することはできる。その信解作意した空性と普通の楽を無差別とすることもできなくはない。しかし、そうであれば、誰もがある程度この境地に至れることになっているはずであるが、実際のところはそうではない。楽は、そんな普通の楽ではないのである。では、例えば、行者の禅定による心一境性の境地はどうであろ...楽空無差別について

  • 本尊瑜伽・本尊生起について

    本尊瑜伽・本尊生起について密教の修行、成就法において、まず取り組むことになるのが本尊瑜伽・本尊生起になります。これは自分自身を本尊と一体化させて行う修行となります。一般的な考え方では、身口意のそれぞれを一体化させることで、三業を清浄することを目指すところとなります。しかし、どうして具体的な三業の清浄になるのか、そこを考えるのが重要となります。本尊瑜伽・本尊生起は、主には、「空・文字・声・色・印・相」を順次修習する六種本尊になります。ただ、問題は、そのように順次自分を本尊と共相、イメージするだけでは、三業の清浄に繋がるわけではなく、三業の清浄に向けた、特に仏教の智慧と福徳の修習にならないといけないことになります。本尊瑜伽・本尊生起も当然に仏道の智慧と福徳の修習にならなければ、ただ本尊を思い浮かべるだけでは悟りへ向...本尊瑜伽・本尊生起について

  • 光明について

    光明について光明とは何か?光明は、主体の光明と客体の光明があり、客体、つまり認識対象の光明ということですが、これは勝義の空性のことを意味します。次に、主体、つまり、認識側の光明ということですが、これは空性を認識する知、心のことを意味するところとなります。しかし、普段の私たち凡夫においては、空性を認識する知、心は活動を停止していると共に、その空性を認識する知、心の邪魔、障りとなっているものがあり、それが煩悩障と所知障となります。この煩悩障と所知障、そして、様々な業の因縁により、私たち凡夫は、空性を正しく認識することができなくされてしまっていますが、本来は、皆、正しく空性を認識できる知、心の可能性があるのであります。この、本来は、皆、正しく空性を認識できる知、心の可能性があることを「仏性」とか、あるいは「如来蔵」と...光明について

  • 三身修道について

    三身修道について前回に、成仏においての心(光明)から幻身を立ち上げることの必要性、重要性について書かせて頂きました。心(光明)から幻身を立ち上げる、そのための修行が無上瑜伽タントラにおける「三身修道」になります。三身修道は、死、中有、生の過程を疑似的に体験していくことで、心(微細な意識)・光明(死の光明)への核心に近づくことを目指すところがありますが、もう一つは、その心(微細な意識)・光明から身体を立ち上げる、つまり、疑似的な幻身を立ち上げることの練習も含まれてあると考えることができます。高僧は、このコントロールをある程度、修行により進められるようになることで、中有の心から次の生に向けて自らの意思に添うように(衆生を救済するために)、次の生の身体、境涯を調えられるようにすることができるようになり、そして「生まれ...三身修道について

  • 最後有(十地)の菩薩の所知障による相好と無上瑜伽タントラの幻身の相違とは?

    最後有(十地)の菩薩の所知障による相好と無上瑜伽タントラの幻身の相違とは?まず、最後有(十地)の菩薩の所知障による相好と不浄の幻身は有漏の身体であるのは両者とも同じである。では、何が違ってくるのか?まず、最後有(十地)の菩薩の場合、無漏の等引智から戻った際に、所知障の影響ある相好・身体のせいで、結局は、その智がまた有漏に戻ってしまうのであります。等引智で正しく空性を理解していたけれど、所知障の影響ある相好・身体はそのままであるため、無漏の等引智を出たら、いつまでも現われは実体があるかのように現れ続けてしまうのであります。もちろん、その現われに実体が無いことは十二分にも理解はしているのではありますが。しかし、いつまでもこの状態では、菩薩としての救済活動にも当然に限界があり、所知障の影響ある相好・身体とは別にて、無...最後有(十地)の菩薩の所知障による相好と無上瑜伽タントラの幻身の相違とは?

  • 光明真言(不空大灌頂光真言)について

    光明真言(不空大灌頂光真言)について曹洞宗の甘露門には、先に色々と考察した大宝楼閣善住秘密陀羅尼と共に諸仏光明真言灌頂陀羅尼(光明真言)も読誦されています。曹洞宗の甘露門についてhttps://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/72de11ab38ae8e8b64614487df7e78dc大宝楼閣善住秘密陀羅尼からの関連考察https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/26c3f9984fe03ee8f2af0d57050719b4曹洞宗において光明真言は、施餓鬼では読誦されますが、葬儀では読誦されません。引導に関わる陀羅尼として、葬儀でも読まれる大宝楼閣善住秘密陀羅尼から色々と考察したものの、葬儀では読まないものの、光明真言についてからも考えることで、より...光明真言(不空大灌頂光真言)について

  • 波羅蜜乗と無上瑜伽タントラの決定的な差とは何か?

    波羅蜜乗と無上瑜伽タントラの決定的な差とは何か?これは簡単に述べれば、仏陀の色身を得るためには、最終的には無上瑜伽タントラに依らなければならないということになります。仏陀の法身を得る道は、波羅蜜乗でも密教でも変わりはありません。もちろん、そのスピードの差異は相当にありますが。問題は、最後の最後で、仏陀の色身を得るための最終的な根拠が波羅蜜乗では見当たらなくなるのであります。もちろん、波羅蜜乗では三阿僧祇劫の福徳資糧がその根拠にはなりますが、しかし、その資糧だけを以って仏陀の色身を得るのが不可能なのであります。なぜか?要は、資糧は積んでいても、最後有の菩薩(十地の菩薩)から如来の色身へと至るための架け橋となるもの、続くものの根拠が無いからであります。なぜなら、最後有の菩薩の相好は、まだ所知障が残ってある状態での相...波羅蜜乗と無上瑜伽タントラの決定的な差とは何か?

  • 浄土での姿について

    浄土での姿について極楽浄土など、色々な浄土世界がありますが、その世界ではどのような姿となっているのか?これは当然の疑問であると思います。姿の形象となる物質は、色々な世界でもちろん異なるでしょうし、生成過程の因縁が異なるものであれば、娑婆世界の宇宙とは異なるものとなるでしょう。この娑婆世界も、三千大千世界の一つ。まあ、娑婆世界も最低でも宇宙が三千個はあると思っても良い広さです。娑婆世界の別宇宙でも、当然にこの今地球のある宇宙とは全く違った物質があってもおかしくはありません。その生じた世界での物質に左右された形象に当然なるのでしょうが、その形象を作る元、因は何かとなると、それは輪廻を司る微細な意識(と過去世からの業の集積のありよう)によることになります。その意識と業が因となり、正確には意識と対にあるルンが補助縁とな...浄土での姿について

  • では、臨済宗の引導先である極楽浄土には往生してからどうなるのか?

    では、臨済宗の引導先である極楽浄土には往生してからどうなるのか?次に、では、臨済宗の引導先となる阿弥陀如来の極楽浄土に往生したとして、曹洞宗の場合で考察してきたように、一切如来による灌頂を頂くことになるのかどうか?これは断定できないものの、「見仏と授記」が仏道を前へ進めるための極楽往生の一番の目的となるため、一切如来(五智如来)からは頂けなくても、阿弥陀如来からの灌頂を頂戴できる可能性は高いのではないだろうかとも存じますし、阿弥陀如来が一切如来を招来して、同様に瓶灌頂(五智如来による灌頂)を授けることもあり得なくないとは思います。また、密教では、極楽の「楽」は、私たちの世間的な苦楽の楽とかではなくて、密教の「大楽」の境地を意味するところとなります。とするならば、「楽空無差別」の境地を目指す密教的な意味合いがある...では、臨済宗の引導先である極楽浄土には往生してからどうなるのか?

  • 旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・地植え替え・鉢植え替え最終分

    旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・地植え替え・鉢植え替え最終分残り2鉢にあった、7本を、それぞれ3本を地植え、4本を鉢植えに植え替えました。鉢植え分以上で植え替え終了になりました。無事に育ってくれますことを。地植えが7本。鉢植えが20本。また、鉢植え分は差し上げることができますので、旧・東大阪市療育センターにゆかりの方で譲り受けて下さる方はお申し出下さいましたら有り難いです。・・旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・地植え替え分(2021.2.21)本日に、地植え替え分、四本を植えました。また、追加であと三本も植え替え予定です。昨日には鉢の植え替え16本も済んでいます。旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノの挿し木での存続。何とかこれで一つの節目となりそうです。無事に大きくなっていずれ満開の...旧・東大阪市療育センター・ソメイヨシノ挿し木・地植え替え・鉢植え替え最終分

  • では、一切如来による灌頂の内容とは何か?

    では、一切如来による灌頂の内容とは何か?無上瑜伽タントラの枠組みから捉えるならば、これは悟りへ向けた五智如来によるそれぞれの智慧のお加持のお力を頂戴する灌頂といえるのではないだろうかと思われます。阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、大日如来。そして、「授記」を受けることにもなります。五智如来の灌頂は、瓶灌頂にあたりますが、この瓶灌頂を調べる中で、「不可逆灌頂」(最後有の菩薩に与えられる灌頂と同等)に「大いなる光明の灌頂」があることを知り、「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」によっての一切如来(ここでは一応、五智如来と考える)による灌頂として、この灌頂が想定されてあるように考えることができます。しかし、これは金剛阿闍梨に与えられる特別な灌頂であり、やはり、生起次第の修行を終え、空性理解が相当高い聖者のような存...では、一切如来による灌頂の内容とは何か?

  • 見仏と授記へ向けて

    見仏と授記へ向けてもちろん、菩薩の現前地に至るための智慧福徳二資糧の代替となるものの根拠が凡夫にあれば、一切如来からの灌頂における大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼のお加持のお力により、不退転位を得ることは可能になると考えることはできます。しかし、現前地に至るための智慧福徳二資糧の代替となるものは、通常の波羅蜜乗であれば、やはり相当な修行が必要であり、当然に時間も掛かる。(少なくとも二阿僧祇劫ほど)もちろん、当人が過去世でそれだけの二資糧を積み終えてあれば、たやすく灌頂により不退転位を確定させることは可能である。では、まだとてもその二資糧に無い凡夫はどうなるのだ、ということになります。葬儀の授戒と引導だけでは、やはりとても足らないのは明白。それを補うための二資糧を葬儀の儀軌にて持たせることができるのかどうか・・これはや...見仏と授記へ向けて

  • 引導だけで一切如来からの灌頂を頂けることになるのかどうか

    引導だけで一切如来からの灌頂を頂けることになるのかどうかそう、釈尊成道時直前に色究竟天にて灌頂を頂いたのは、般若智灌頂からである。であっても、この般若智灌頂にて大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼におけるお加持を頂戴する灌頂があったかどうかはやはり確定はできない。むしろ、それより前の過去世にて既に頂戴している可能性ももちろんある。そのヒントの一つとしては不退転となる菩薩の段階であるかもしれない。そうなれば現前地あたりの菩薩時が妥当となる。ならば、瓶灌頂、秘密灌頂である可能性も当然に否定はできない。しかし、この陀羅尼により全ての如来が成仏することができたのだというほどに決定的かつ必要不可欠な陀羅尼であることが強調されてあるから、やはり成道の終局時に近いと考えることもできる。ならば、最後有の菩薩が妥当とも言える。まあ、とにか...引導だけで一切如来からの灌頂を頂けることになるのかどうか

  • 「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」のお加持のお力を授かるための灌頂は何か?

    「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」のお加持のお力を授かるための灌頂は何か?これは拙見解でありますが、「般若智灌頂」であると考えます。理由は、この陀羅尼が、仏性の覚醒を目的とする趣旨が強くあるため、仏性の覚醒、つまり、無上瑜伽タントラにおいての「光明」に関わってくる灌頂であると想定されることから、それが「般若智灌頂」であるからであります。しかし、いずれしても、「般若智灌頂」を頂戴するには、その前段階である灌頂、更には灌頂を受けるための資格要件も満たさなければならないものとなります。そもそも、死後、例えば葬儀の引導だけで、色究竟天上に荘厳された大宝楼閣曼荼羅(世界)に赴き、一切如来から灌頂を賜れることが可能となるのかどうか、もちろん、灌頂だけであれば、頂戴できる可能性は高くありますが、実際に赴けるだけの機縁、機根、仏縁...「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」のお加持のお力を授かるための灌頂は何か?

  • 大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼(宝楼閣真言)から曹洞宗の引導先を考える

    大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼(宝楼閣真言)から曹洞宗の引導先を考える要は、臨済宗と曹洞宗で、それぞれ葬儀儀軌・施餓鬼で引導にて中心的に読まれる陀羅尼の相違が、そのまま引導先を決定づけると言っても良いかもしれません。臨済宗は、「往生呪」であり、極楽浄土への引導が明らかとなります。では、曹洞宗の「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」は、具体的に述べればどこになるのか。「・・かの諸衆生、この陀羅尼(大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼)を聞くに由っての故に、常に安楽を獲りて諸地獄餓鬼畜生阿素羅道より離れ、諸悪趣門悉く皆関閉し、浄天の路を開き、かの諸衆生皆、阿耨多羅三藐三菩提心を観ず。・・」(施餓鬼作法・面山瑞方師)「浄天の路を開き」とあるように、やはり、「天」が想定されてあると言えるでしょう。では、その「天」はどこか。おそらくは、この「...大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼(宝楼閣真言)から曹洞宗の引導先を考える

  • 曹洞宗の引導先の類推

    曹洞宗の引導先の類推曹洞宗の甘露門について考察していく中で、曹洞宗の引導先について、甘露門・招請発願にある一節に少しそのヒントがあるように思えました。「・・苦を離れて解脱し、天に生じて楽を受け、十方の浄土も意に随って遊往し、菩提心を發し、菩提道を行し、當来に作佛して、永く退轉なく・・」特に「天に生じて楽を受け、十方の浄土も意に随って遊往し」のところであります。曹洞宗の通夜式における回向の一節、「唯願わくは人間生死の根身を透脱して速やかに如来宝明の空海に入らんことを」の「如来宝明の空海」と共に勘案して、天界に生じさせしめて、そこから色々な如来のいらっしゃる様々な浄土世界に、自分が学び修したい、自分の機根、機縁、仏縁に合ったところへと自分の意思で向かう(もちろん、天での諸尊の導きによるところとなるのでしょうが)、そ...曹洞宗の引導先の類推

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