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  • 当ブログについて

    当ブログについて

    当ブログについて当ブログは、公開、非公開を管理人の意思において定期的に行っております。公開、非公開はカテゴリー別において管理しています。そのため、公開も一部のみの限定公開となることが多いです。あしからずご了承下さいませ。現在、ご質問等の個別の対応は控えさせて頂いております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 管理人拝当ブログについて

  • 寺歴の再調査研究における今後の課題について 往生院六萬寺 2024年4月26日

    寺歴の再調査研究における今後の課題について 往生院六萬寺 2024年4月26日

    未解明点といまだ謎となっている課題についてまとめてみました。寺歴の再調査研究における今後の課題について往生院六萬寺2024年4月26日https://youtu.be/2cV4JGcZbWo?feature=shared寺歴の再調査研究における今後の課題について往生院六萬寺2024年4月26日

  • 「新しい領解文」問題が、遅々として解決に向かわないのはどうしてなのか・・

    「新しい領解文」問題が、遅々として解決に向かわないのはどうしてなのか・・

    もう1年近く相当なる有志が声高に反対しているにもかかわらず、「新しい領解文」問題が、遅々として解決に向かわないのはどうしてなのか・・この問題の根底、裏にあるものが見えていないからでもあろう。的が外れているのである。もっと本質について2014年の門主交代の時期ぐらいからの過程をじっくりと見ていくべきであろう。新しい「領解文」問題点指摘の声明総研冊子に本願寺派有志「新しい領解文」問題が、遅々として解決に向かわないのはどうしてなのか・・

  • 勧学・司教有志の会 声明(七の二)について思ふ

    勧学・司教有志の会 声明(七の二)について思ふ

    7-2にも、これまでのテンプレだった「ご門主さまを大切に思う、愛山護法の志であることはいうまでもない。」はなく、7-3に持ち越しとなるのだろうか。しかし、くだんの論文が論外の間違いだらけのハリボテなのは誰からも明らかであり、それはそれとして、本丸は、新しい領解文の撤回、取り下げであり、この問題は門主の失政によるもので、門主の責任がやはり最も大きい。門主に諌言するのが勧学の役割であるのだから、遠回りの「声明」でなく、門主への「諌言状」として、「新しい領解文」の撤回、撤廃を図れるように、門主のこれまでの推進の意向の翻意を促すようにするのが、手っ取り早い解決の道になると思うのだが、、勧学・司教有志の会声明(七の二)ー総合研究所冊子の問題点ー衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。『教行...勧学・司教有志の会声明(七の二)について思ふ

  • 河内ふるさと文化誌 「若楠(わかくす)」のご紹介 2024年4月24日

    河内ふるさと文化誌 「若楠(わかくす)」のご紹介 2024年4月24日

    河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)について郷土文化誌は、地域地域の大切な文化資源を後世に伝えていくためにも大切な役割を担っています。やお文化協会さんの郷土誌「河内どんこう」は43年の歴史に幕を下ろされました・・120号にて終刊・・誠に残念なことでした・・https://blog.goo.ne.jp/.../8a42d802177f11b32d2749187fd3d48e皆様のご支援とご協力で、「若楠」(わかくす)が末永くに存続されていくことを祈念申し上げます。河内ふるさと文化誌「若楠(わかくす)」のご紹介2024年4月24日https://youtu.be/X2tL_0loIlU?feature=shared河内ふるさと文化誌「若楠(わかくす)」のご紹介2024年4月24日

  • 『兜率天の百の神々』法話会 ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下

    『兜率天の百の神々』法話会 ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下

    御寿まもなく89歳と思えないほどのご健勝、ご転法輪でございます。本当に尊く有り難いことでございます。口自在たる慧蔵にて至善なる勝者流の、教誨の真髄を持す比類なき御方、無数なる勝者の海を凝集せし御身に祈願せん。最上と共通の悉地を給わんことを。ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下に最敬礼申し上げます。合掌『兜率天の百の神々』法話会1日目https://youtu.be/Xw-eYRyamFY?feature=shared『兜率天の百の神々』法話会2日目https://youtu.be/kXb-aNsW9Bs?feature=shared2024年4月19-20日、インド、ヒマーチャルプラデーシュ州ダラムサラ/ツクラカンダライ・ラマ法王が『兜率天の百の神々』(gadenlhagyama)に...『兜率天の百の神々』法話会ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下

  • 勧学・司教有志の会 声明(七の一)に思ふ

    勧学・司教有志の会 声明(七の一)に思ふ

    そう言えば、7-2があるのだろうが、これまでのテンプレだった「ご門主さまを大切に思う、愛山護法の志であることはいうまでもない。」は7-1にはないが、7-2にはやっぱりあるのかな?まあ、この問題は門主による失政でもあり、門主の責任がそもそも大きい。門主に諌言するのが勧学の役割でもあるのだから、「声明」ではなく、「諌言状」として、「新しい領解文」撤回への意向を門主が総局に促すようにすれば良いのではないかとは思うのである。勧学・司教有志の会声明(七の一)に思ふ

  • 河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)2024年春季号発行・拙稿「玉日姫坐像について」

    河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)2024年春季号発行・拙稿「玉日姫坐像について」

    河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)、2024年春季号が無事に発行されました。拙生は、「玉日姫坐像について」。親鸞聖人自作坐像奉納との関連を詳しくご説明させて頂いております。やはり、これも往生院と九條家との関わりでありますね。次回は、「法然聖人三日月の御影について」。すでに原稿はお渡ししています。その次を「往生院と南朝について」(これも原稿入稿済)に予定していましたが、「歴史から消えていた謎の山麓寺院河内・浄土院について」に変更しようと思います。定期購読(年2000円)ご希望の方は、ご入会のお誘いを参照下さいませ。草川様はじめ、ご入会賜りました皆様、本当にありがとうございました。もうまもなくで届くかと存じます。引き続きに宜しくお願い申し上げます。河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)2024年春季号発行・拙稿「玉日姫坐像について」

  • 河内・往生院金堂跡と河内・浄土院跡へ 現地見学説明会 2024年4月22日

    河内・往生院金堂跡と河内・浄土院跡へ 現地見学説明会 2024年4月22日

    本日に市文化財課に金堂跡の現況、そして、浄土院跡を確認して頂くために現地説明をさせて頂きました。調査へ向けて進むことを誠に願っています。とにかく、引き続き両者ともに調査研究を鋭意に進めて参ります。河内・往生院金堂跡と河内・浄土院跡へ現地見学説明会2024年4月22日https://youtu.be/89gh9chyprU?feature=shared河内・往生院金堂跡と河内・浄土院跡へ現地見学説明会2024年4月22日

  • 『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』論文の間違いについて

    『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』論文の間違いについて

    あぁ、、問題論文、出されたのは1月だったか、、時が過ぎるのは速いな…反論文をお願いしますと言われたが、私は、正式な研究者でもないし、学術学会員でもなく、どの学会にも属していない。また、「議論の余地はない」と、念押しして述べてある時点で、呆れてその気も無くなるレベルでさえある。先に示した満井秀城勧学(与奪者)の改悔批判における『「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。』の主張に対しての拙反論のあれだけで、もう十分にお腹いっぱいという感じでもある。。要は、論文における下記に対して反論するだけで、もう十分ということである。『・・これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点...『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』論文の間違いについて

  • 勧学・司教有志の会 声明(七の一) ー総合研究所冊子の問題点ー

    勧学・司教有志の会 声明(七の一) ー総合研究所冊子の問題点ー

    かの低レベル問題論文への声明。彼岸中にあの大恥論文を門末全てへ郵送配布したことを聞いて呆れたのが先月、、暖簾に腕押し、厚顔無恥さに脱力したものです。勧学・司教有志の会声明(七の一)ー総合研究所冊子の問題点ー衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。『教行信証』「信文類」(『註釈版』二五一頁)このたび池田行信前総局名で、『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』という総合研究所の冊子(以下、冊子と呼ぶ)が、本願寺派全寺院へと送付された。その序論によれば、この冊子は、総局主催で行われた「新しい領解文」についての各教区の学習会において多くの僧侶・門信徒から投げかけられた疑問や困惑の声を承け、総合研究所所長(当時)満井秀城氏が自身の説明論理として作成したものであるという。しかし、...勧学・司教有志の会声明(七の一)ー総合研究所冊子の問題点ー

  • 証空上人(浄土宗・西山義の祖)と九條家の関係について 当麻曼荼羅の普及への貢献 2024年4月21日

    証空上人(浄土宗・西山義の祖)と九條家の関係について 当麻曼荼羅の普及への貢献 2024年4月21日

    動画にしていく方が考察が進むという・・文章にまとめるより楽という・・一つのサボりですね。まあ、記録にもなるので、助かる面も。。証空上人(浄土宗・西山義の祖)と九條家の関係について当麻曼荼羅の普及への貢献2024年4月21日https://youtu.be/QQg2DJPVb4I?feature=shared河内・往生院の中興開山はいったい誰であるのか?当麻寺との関係から読み解く2024年4月21日https://youtu.be/KX1wygsB1_o?feature=shared往生院六萬寺の歴史について(動画説明)新しい順http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92790532.html証空上人(浄土宗・西山義の祖)と九條家の関係について当麻曼荼羅の普及への貢献2024年4月21日

  • 浄土院の当麻曼荼羅は、往生院のものだった可能性も

    浄土院の当麻曼荼羅は、往生院のものだった可能性も

    浄土院の当麻曼荼羅は、往生院のものだった可能性も出てきた。九條道家により東福寺末寺となり、臨済宗に改宗した際に、浄土系儀礼を浄土院に全て引き渡したのかも。いや、むしろ引き継がせるために道家が1240年頃〜に浄土院を建立したのかもしれない。ならば、往生院中興開山は、証空上人、その近い門弟であった可能性もやはり高いか。再調査の際に憑依されてお知らせ下さった浄興と名乗られたお方なのか?いずれにしても、証空上人による西山浄土宗として往生院は中興されたのはもう明らかとなった。これも全ては当麻曼荼羅のお陰様である。浄土院の当麻曼荼羅は、往生院のものだった可能性も

  • 河内・往生院中興開山についての推論

    河内・往生院中興開山についての推論

    当麻寺と九條家、九條家と往生院、信円さんと当麻寺、来迎会練供養と往生院、当麻曼荼羅と九條家(慶政、教実、頼経、道家等)、当麻曼荼羅と浄土院・往生院、当麻寺と葛城修験と往生院、、、いよいよ、往生院中興開山、ほぼ信円さん(興福寺・当麻寺別当)で間違いないかと。。河内・往生院中興開山についての推論

  • 河内・往生院でも当麻寺さんと同様の二十五菩薩お練り供養が修されていたか? 日想観と共に華麗荘厳な来迎会 2024年4月18日

    河内・往生院でも当麻寺さんと同様の二十五菩薩お練り供養が修されていたか? 日想観と共に華麗荘厳な来迎会 2024年4月18日

    河内・浄土院についての関連から、往生院でも迎講、来迎会、二十五菩薩お練り供養、聖衆来迎練供養会が修されていたと考えられることについて。考古学者・小林義孝先生は、20年以上前に、早くからこのことを指摘されていました。色々と解明が進み、誠に有り難いことでございます。河内・往生院でも当麻寺さんと同様の二十五菩薩お練り供養が修されていたか?日想観と共に華麗荘厳な来迎会2024年4月18日https://youtu.be/jLFVh6IFfiI?feature=shared河内・往生院でも当麻寺さんと同様の二十五菩薩お練り供養が修されていたか?日想観と共に華麗荘厳な来迎会2024年4月18日

  • 往生院で二十五菩薩練り供養が行われていた可能性が高いことを早い段階から仮説・指摘

    往生院で二十五菩薩練り供養が行われていた可能性が高いことを早い段階から仮説・指摘

    寺史掲載の考古学者、小林義孝氏の論文からである。往生院で二十五菩薩練り供養が行われていた可能性が高いことを早い段階から仮説されていたのである。慧眼に恐れ入る。もちろん、双子、兄弟寺院であった河内浄土院に本尊、当麻曼荼羅があったこととは無関係ではなかっただろう。つまり、浄土院、往生院ともに、迎講、来迎会、練り供養がなされていたのであろう。もちろん、往生院にも当麻曼荼羅があった可能性も極めて高い。東大阪市の文化財課の文化財調査官を往生院金堂跡とともに浄土院跡にも案内するが、練り供養がなされていたとなれば、娑婆堂と金堂が確実にあったと思われるため、その痕跡についてもその際にしっかりと見極めたい。往生院で二十五菩薩練り供養が行われていた可能性が高いことを早い段階から仮説・指摘

  • 河内浄土院の創建にあたっては、九條家開基、証空上人開山の可能性は、更にかなり高まる

    河内浄土院の創建にあたっては、九條家開基、証空上人開山の可能性は、更にかなり高まる

    九條道家の兄、慶政上人(九條良経の子・兼実の孫)が、実質的に当麻曼荼羅の由来を世に広め、その普及に努めていたことを突き止めた。もちろん、証空上人の当麻曼荼羅普及に関することも書かれている。やはり、河内浄土院の創建にあたっては、九條家開基、証空上人開山の可能性は、更にかなり高まったと共に、河内往生院にも当麻曼荼羅が本尊としてあり、二十五菩薩お練り供養がなされてあった可能性が極めて高い痕跡があることも改めてわかった。金堂跡の地勢から小林義孝氏の論文にてそれが詳細に述べられてある。後ほどにそれはあげることにする。https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/.../KU-1100-19940331-02.pdf河内浄土院の創建にあたっては、九條家開基、証空上人開山の可能性は、更にかなり高まる

  • 字「南九重堂」 「九重」は「九輪」と混同したか!? やはり、字「院堂」に桜井寺・六萬寺も多重的に存在していた? 2024年4月17日

    字「南九重堂」 「九重」は「九輪」と混同したか!? やはり、字「院堂」に桜井寺・六萬寺も多重的に存在していた? 2024年4月17日

    結局は、字「院堂」に、桜井寺金堂、六萬寺金堂、安助上人御堂、往生院金堂、全て多重的に存在していた可能性がやはり高いかも、、字「南九重堂」「九重」は「九輪」と混同したか!?やはり、字「院堂」に桜井寺・六萬寺も多重的に存在していた?2024年4月17日https://youtu.be/vwaqZ_RkML4?feature=shared字「南九重堂」「九重」は「九輪」と混同したか!?やはり、字「院堂」に桜井寺・六萬寺も多重的に存在していた?2024年4月17日

  • 正行の城あと 字「南九重堂」に六萬寺跡を探索へ 楠木正行の城あとを確認 往生院金堂跡・北側 2024年4月16日

    正行の城あと 字「南九重堂」に六萬寺跡を探索へ 楠木正行の城あとを確認 往生院金堂跡・北側 2024年4月16日

    いよいよ、本命となる六萬寺の探索へ向かった。残念ながら、奈良時代、平安時代の瓦は見つからなかったけど、別に成果があった。しかし、もう藪蚊がかなりすごい、、藪の中の探索はもう無理かな、、正行の城あと字「南九重堂」に六萬寺跡を探索へ楠木正行の城あとを確認往生院金堂跡・北側2024年4月16日https://youtu.be/LMt8vU0EuqM?feature=shared正行の城あと字「南九重堂」に六萬寺跡を探索へ楠木正行の城あとを確認往生院金堂跡・北側2024年4月16日

  • 河内・往生院と浄土院 当麻曼荼羅銘文から引き続き関係性を読み解く 2024年4月15日

    河内・往生院と浄土院 当麻曼荼羅銘文から引き続き関係性を読み解く 2024年4月15日

    浄土院跡を確認できた流れに乗って、いよいよ、六萬寺の本丸を探すために、字「南九重堂」周辺へと行きたかったのですが、市の文化財課の調査官を迎える準備のために、まずは歴史館の資料整理、掃除を優先。往生院金堂跡、浄土院跡へも案内するため、効率よく回れるようにしたいですね。とにかく、やる気があるうちにやるしかない。。河内・往生院と浄土院当麻曼荼羅銘文から引き続き関係性を読み解く2024年4月15日https://youtu.be/Ikn99qGB93g?feature=shared河内・往生院と浄土院当麻曼荼羅銘文から引き続き関係性を読み解く2024年4月15日

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