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  • 映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げます

    映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げますhttp://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95189562.html映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開カンヌ国際映画祭出品作品原作吉田修一氏監督李相日氏脚本奥寺佐渡子氏音楽原摩利彦氏完成を御祝い申し上げます。特設サイトhttps://kokuhou-movie.com/往生院六萬寺もロケ地の一つになっています。(撮影にあたっては、撮影前に当山全霊位へのご挨拶、読経ご供養、仏事道具への開眼供養・閉眼供養のお勤めをさせて頂いております)http://oujyouin.com/往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。大ヒ...映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げます

  • この宣旨における天皇とは、神功皇后のこと

    生駒神奈備山本記の全般を住吉大神が宣旨した内容であるとしても、岩瀧山で宣したのは、結局のところ仲哀天皇の次の天皇治世についてのことになる。仲哀天皇は崩御しており、応神天皇は産まれたばかりであって、当然にこの宣旨における天皇とは、神功皇后のことを示すことになるのである。少なくとも730年代に成立した住吉大社神代記。日本書紀、古事記とは別に古代史を語る貴重なものであるのには変わりない。この宣旨における天皇とは、神功皇后のこと

  • 神功皇后 最初の女帝天皇としての見直しが今後必要な日本史の一つ

    しかし、明治時代まで神功皇后は歴代天皇に列せられており、唐や宋の文献にも天皇として記録されてあるのに、なぜ歴代から外したのか、、実在性は疑いなく、多くの神社にも祀られており、伝承も確かにあるのに、、少なくとも欠史八代よりも確実である。最初の女帝天皇としての見直しが今後必要な日本史の一つですね。神功皇后最初の女帝天皇としての見直しが今後必要な日本史の一つ

  • 岩瀧磐座霊畤遺跡 神功皇后の大嘗祭霊畤 岩瀧山 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記

    まあ、基本的には住吉大社神代記であるため、大神=住吉大神と考えればよいわけですが、、わざと言い方を変えての何か別の意図も示してある感じもあります。「岩瀧磐座霊畤遺跡神功皇后の大嘗祭霊畤岩瀧山三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第57回新シリーズ歴史再考2025年4月29日https://youtu.be/5wjkjU-_F40?feature=shared岩瀧磐座霊畤遺跡神功皇后の大嘗祭霊畤岩瀧山三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記

  • 楠木正行公を主人公とする歴史小説「人よ、花よ、」を刊行された直木賞作家の今村翔吾さんの講演会

    楠木正行公を主人公とする歴史小説「人よ、花よ、」を刊行された直木賞作家の今村翔吾さんの講演会へ。トークが面白く、人柄が親しみやすい方でありました。講演前に挨拶させて頂きまして、楠木正行と往生院との関係を改めてまとめた次回(10月)の河内ふるさと文化誌「わかくす」への原稿の素稿をお渡しさせて頂きました。楠木正行公を主人公とする歴史小説「人よ、花よ、」を刊行された直木賞作家の今村翔吾さんの講演会

  • 天平大疫病の祟り息災と鎮魂供養・西ノ山古墳被葬者は・・海村雲命?五十猛命?三種の神器ダイヤモンド結界と五芒星結界

    天平大疫病の祟り息災と鎮魂供養。西ノ山古墳の被葬者は、いったいどなたになるのか、、三種の神器ダイヤモンド結界だけではなく、五芒星結界までとなると最初から考察を見直さなければならない。海村雲命?五十猛命?天平大疫病の祟り息災と鎮魂供養・西ノ山古墳被葬者は・・海村雲命?五十猛命?三種の神器ダイヤモンド結界と五芒星結界

  • 「岩瀧山山頂は神功皇后の天皇即位・大嘗祭の霊畤であったのか? 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記」

    膽駒神南備山本記、文脈が読みづらく、大神、神がそれぞれどの神を指すのかが、なかなか分かりづらい・・「岩瀧山山頂は神功皇后の天皇即位・大嘗祭の霊畤であったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第56回新シリーズ歴史再考2025年4月28日https://youtu.be/LNEz0_d-jjA?feature=shared「岩瀧山山頂は神功皇后の天皇即位・大嘗祭の霊畤であったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」

  • 岩瀧山で大嘗祭? 神功皇后の天皇即位はあったのか? 三間石山 幸の神信仰 磐座信仰 神奈備信仰 三種の神器ダイヤモンド結界 住吉大社神代記 生駒神南備本記

    今回も20分以内で収めました。明治時代まで神功皇后は歴代天皇に列されていましたが、なぜか今は外されてしまっています。三韓征伐から帰国後、仲哀天皇の次の天皇に即位していたのが史実ではないかと考えられます。「岩瀧山で大嘗祭?神功皇后の天皇即位はあったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記」第55回新シリーズ歴史再考2025年4月27日https://youtu.be/o1z3HSlbIyc?si=0Xd6jilLFtN3MvpH岩瀧山で大嘗祭?神功皇后の天皇即位はあったのか?三間石山幸の神信仰磐座信仰神奈備信仰三種の神器ダイヤモンド結界住吉大社神代記生駒神南備本記

  • 映画「国宝」

    映画「国宝」無事に完成し、カンヌ映画祭に出品もなされ、完成報告会も開催されました。作品の中の大事な道具の一つに御魂を入れさせて頂いたのでもあります。きっと映像を通じて本物を感じて頂けることでありますでしょう。(もちろん、御魂抜きも致しました)映画「国宝」

  • 三種の神器ダイヤモンド結界、五芒星結界・・

    ダイヤモンド、五芒星。五芒星は特に強い結界を示す。天神社三つと石切劔箭神社、あと一つは不明。まだ組み合わせはあるのかも。修験道、陰陽道。修験道の方であるか、、これもやはり天才、道鏡によるものであろうか、、よほどのものである。西ノ山の被葬者はもっと更に検討を要するか、、三種の神器ダイヤモンド結界、五芒星結界・・

  • 母木村を東大阪市豊浦に比定するならば

    母木村を東大阪市豊浦に比定するならば、孔舎衛坂の戦いは暗峠の西側であったのがやはり正しいということになるだろう。もちろん出雲口伝からは、第一次物部東征になるのだが、、しかし、豊浦あたりからは、出雲勢力が難を逃れようと逃げる際に埋めた銅鐸が見つかってもおかしくはないだろう。母木の由来は、神武東征になる。長髓軍と最初に会戦した孔舎衛坂の戦いに敗戦した際に隠れて難を逃れた木を母木として、その母木のある村を母木邑と言うようになったということであり、その村の寺としてその後に母木寺があったのであろう。「初孔舎衙之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹日、恩如母、時人因号其地、日母木邑、今云飫悶迺奇訛也」「最初の孔舎衙坂の戦いの際に、大樹に隠れて難を逃れた者あり。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。...母木村を東大阪市豊浦に比定するならば

  • 母木の由来

    母木の由来は、神武東征になる。長髓軍と最初に会戦した孔舎衛坂の戦いに敗戦した際に隠れて難を逃れた木を母木として、その母木のある村を母木邑と言うようになったということであり、その村の寺としてその後に母木寺があったのであろう。「初孔舎衙之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹日、恩如母、時人因号其地、日母木邑、今云飫悶迺奇訛也」「最初の孔舎衙坂の戦いの際に、大樹に隠れて難を逃れた者あり。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。時の人、それに因んでその地を『母木邑』と言う。今、『飫悶廼奇』(オモノキ)と云うのは訛である。」(日本書紀、神武紀)母木の由来

  • 「三間石山・夫婦岩(奈良県生駒郡平群町) 岩瀧山山頂の真東 磐座信仰と神奈備信仰の岩石 三種の神器ダイヤモンド結界 八帖岩 住吉大社神代記 生駒神南備本記」

    考察動画はなるべく15分〜20分に簡潔にまとめて参りたいと思います。岩瀧山山頂の真東にある三間石山について。「三間石山・夫婦岩(奈良県生駒郡平群町)岩瀧山山頂の真東磐座信仰と神奈備信仰の岩石三種の神器ダイヤモンド結界八帖岩住吉大社神代記生駒神南備本記」第54回新シリーズ歴史再考2025年4月26日https://youtu.be/L5wx6Ixg3jU?si=5g_cONg1MCjKWHyh「三間石山・夫婦岩(奈良県生駒郡平群町)岩瀧山山頂の真東磐座信仰と神奈備信仰の岩石三種の神器ダイヤモンド結界八帖岩住吉大社神代記生駒神南備本記」

  • 神功皇后が、岩瀧山山頂の磐座群を霊畤として、諍石も納めて、祖神を祀り、大嘗祭を行って天皇に即位

    つまり、内容から、神功皇后が、岩瀧山山頂の磐座群を霊畤として、諍石も納めて、祖神を祀り、大嘗祭を行ったということである。要は、「住吉大社神代記」(奈良時代の成立)の膽駒・神南備山本記からは、神功皇后が正式に天皇に即位していたということが分かるのである。明治時代までは歴代天皇とされていたのに、、なぜ外したのか。大神に託宣したのは、神功皇后のことで、日神=天照大神から神託を伺う日御子、姫巫女(の総称が卑弥呼)が神功皇后ということである。母木里と高安国との堺は、河内郡平岡郷・櫻井郷と河内郡高安郷の境、つまり、東大阪市東部と八尾市東部の境目となる。つまり、六万寺と横小路と楽音寺付近となる。ちなみに、平安時代に安助上人が往生院を創建される際に、六万寺山麓付近を所有していたのは、高安郡の川瀬吉松であったことからも、六...神功皇后が、岩瀧山山頂の磐座群を霊畤として、諍石も納めて、祖神を祀り、大嘗祭を行って天皇に即位

  • 結局は両方正しかった

    岩瀧山山頂、3月8日に確認へと行ってから、2ヶ月経たずにて随分と解明が進んだ。これも西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界によるところである。出雲の磐座であり、神功皇后の霊畤であり、古墳説と祭祀場説を挙げていたが、結局は両方正しかったということである。https://youtu.be/QH-YHDwgmt8?si=MUhXAGf3T0hj_7Wm後編で鬼面岩も詳しく扱っている。結局は両方正しかった

  • 「岩瀧磐座霊畤遺跡」と命名

    岩瀧山山頂の石組みを、「岩瀧磐座霊畤遺跡」と命名する。いわたきいわくられいじいせき「岩瀧磐座霊畤遺跡」と命名

  • 春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山山頂、夏至の日に太陽が昇る饒速日山、冬至の日に太陽が昇る天川山

    春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山山頂、夏至の日に太陽が昇る饒速日山、冬至の日に太陽が昇る天川山。となり、それぞれ山頂に磐座が鎮座されてあるということになる。そして、住吉大社神代記の話から鑑みて、若江鏡神社に神功皇后が納めた鏡が埋められてあるとされている話とも辻褄があってくる。神武天皇ではなかったが、(天照)大神=神功皇后が、祭祀を行ったのは、岩瀧山山頂の磐座、石組み上でほぼ間違いないと考えられる。いさめ石、しずめ石ということである。岩瀧山山頂石組み、鬼面岩の謎が解明された。古代出雲の磐座であり、神功皇后の祭祀場であったということである。春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山山頂、夏至の日に太陽が昇る饒速日山、冬至の日に太陽が昇る天川山

  • 仲哀天皇と神功皇后を祀る若江鏡神社、石田神社

    橿日宮は、福岡県福岡市の香椎宮のことである。仲哀天皇と神功皇后の熊襲討伐の際の宮である。しかし、仲哀天皇は神託を疑った天罰により残念ながら崩御している。三韓征伐し、生駒山で改めて建国宣言し、大嘗祭を行ったのは神功皇后ではないのか?ならばこの話も繋がるものになる。仲哀天皇と神功皇后を祀る若江鏡神社、石田神社も、なるほどとなる。仲哀天皇→神功天皇→応神天皇というわけである。仲哀天皇と神功皇后を祀る若江鏡神社、石田神社

  • 三間石山→岩瀧山山頂→櫻井神社→池島神社のライン

    池島神社が抜けてた。日吉大社繋がりになる。出雲系である。三間石山→岩瀧山山頂→櫻井神社→池島神社のラインは、確実に出雲の磐座信仰、神奈備信仰となる。もちろん、その延長上の若江鏡神社も元々は出雲系であったと推定される。三間石山→岩瀧山山頂→櫻井神社→池島神社のライン

  • 饒速日山山頂、三間石山、鬼面岩、岩瀧山山頂、八帖岩、天川山山頂・天川神社跡。(天照大神高座神社・岩戸神社)

    磐座が確実視であるのが、饒速日山山頂、三間石山、鬼面岩、岩瀧山山頂、八帖岩、天川山山頂・天川神社跡。(天照大神高座神社・岩戸神社)このいずれかが、住吉大社神代記、膽駒・神南備山本記の諍石であると考えられます。赤のラインが銅鐸が鎮められている関連が強くあると考えられます。饒速日山山頂、三間石山、鬼面岩、岩瀧山山頂、八帖岩、天川山山頂・天川神社跡。(天照大神高座神社・岩戸神社)

  • 磐座と銅鐸。神奈備信仰

    磐座と銅鐸。神奈備信仰。次の考察に向けて、気になる神社の全てを記した。御厨天神社。大名持命と少彦名命。出雲の神が祀られている。劔を冠する神社が東大阪には更に三つ。八尾と同様に多い。枚岡神社に一言主神社があるのも、かなり気になる。市杵島姫神社が客坊廃寺跡にある。東大阪に銅鐸が埋まってある可能性があるならば、特に出雲との関係が深くあったと考えられる御厨天神社付近か、地名が出雲井町の枚岡神社付近か、櫻井神社跡付近が考えられる。磐座と銅鐸。神奈備信仰

  • 御野縣主神社参拝

    近くに用事があったので、御野縣主神社に参拝してきました。立派な式内社でありました。祭神、角凝魂命。祖が神魂命であれば、やはり出雲系にはなるのですよね。。御野縣主神社参拝

  • 「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)の確認 磐座信仰と神奈備信仰 盃状穴 出雲口伝 三種の神器ダイヤモンド結界 西ノ山古墳 前方後円墳 造り出し 金刀比羅神社」

    昨日に確認した八帖岩について。盃状穴についての考察も。「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)の確認磐座信仰と神奈備信仰盃状穴出雲口伝三種の神器ダイヤモンド結界西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」https://youtu.be/UK6MKlcGcn4?si=2Jup-X77eMDsu1vB「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)の確認磐座信仰と神奈備信仰盃状穴出雲口伝三種の神器ダイヤモンド結界西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」

  • 膽駒・神南備山本記

    三枝墓は、金山古墳(聖徳太子の子・三枝王)と考えられている。長屋墓は、もちろん、長屋王のお墓である。乎理波足尼命は、面足命・惶根命のことである。(先代が、大戸之道命・大戸之部命)迹驚岡(福岡県筑紫郡那珂川市)の神が、住吉三神、底筒男命・中筒男命・表筒男命となる。神功皇后の三韓征伐を助けたとされる神である。内容は、神功皇后の時代(仲哀天皇)の次の天皇となる応神天皇の即位大嘗祭を生駒山で行ったということになるのであろうか。または、仁徳天皇になるのか。。『訓解住吉大社神代記』「膽駒・神南備山本記」全文・引用膽駒・神南備山の本記四至東限膽駒川・龍田公田南限賀志支利坂・山門川・白木坂・恵比須墓西限母木里の公田・鳥坂至北限饒速日山右、山の本記とは、昔、大神の本誓に依り、寄さし奉る所、巻向の玉木の宮に御宇しし天皇・橿日...膽駒・神南備山本記

  • 生駒山 磐座再考

    このクロスしているところにも磐座がある可能性がある。饒速日山と三間石山を結ぶと、神感寺、慈光寺とピタリと線上にくる。饒速日山と岩瀧山山頂を結ぶと、興法寺がピタリと線上にくる。三種の神器ダイヤモンド結界、まだまだ解明ができてきそうだ。マジか、、生駒山磐座再考

  • 「膽駒・神南備山本記」

    いこまかんなびの杜http://ikomakannabi.g1.xrea.com/index.html『訓解住吉大社神代記』「膽駒・神南備山本記」全文・引用膽駒・神南備山の本記四至東限膽駒川・龍田公田南限賀志支利坂・山門川・白木坂・恵比須墓西限母木里の公田・鳥坂至北限饒速日山右、山の本記とは、昔、大神の本誓に依り、寄さし奉る所、巻向の玉木の宮に御宇しし天皇・橿日宮に御宇しし天皇なり。熊襲国・新羅国・辛嶋を服はしめ賜ひ、長柄泊より膽駒嶺に登り賜ひて宣り賜はく、「我が山の木実・土毛土産等をもて斎祀らば、天皇が天の下を平らけく守り奉らむ。若し荒振る梟者あらば、刃に血ぬらずして挙足誅てむ」と宣り賜ふ。大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは、船木の遠祖大田田神なり。此の神の造作れる船二艘(一艘は木作り、一艘は石作り)を...「膽駒・神南備山本記」

  • 三間石山・夫婦岩について

    東大阪市文化財課の元課長、原田修氏が、三間石山・夫婦岩について、かなり詳しくにまとめられている。古く住吉大社の神域にもなっていたようだ。位置的には岩瀧山山頂、春秋分の日に太陽が昇る岩瀧山の真東に当たる。もちろん、岩瀧山山頂石組みとも関連があるということになる。岩瀧山より標高が高い454メートル、奈良県生駒郡平群町櫟原字三石。この三間石山が、磐座の中心だ。神奈備。神南備と住吉大社の記録にあることからも間違いない。磐座信仰、神奈備信仰である。出雲との関係である。もちろん、八帖岩とも関係があるだろう。三種の神器ダイヤモンド結界に続いて、この生駒山神奈備信仰の解明もできるかもしれない。ゾーンに入っている。三間石山・夫婦岩について

  • 岩瀧山山頂の真東に三間石山・夫婦岩がある

    岩瀧山山頂の真東に三間石山・夫婦岩がある。岩瀧山山頂石組みと同様に意識的に組まれてあるようだ。まさに磐座だろう。岩瀧山山頂と同様に春秋分の日に太陽が昇るところになる。間違いなく、磐座信仰、神奈備信仰のところだろう。岩瀧山山頂の真東に三間石山・夫婦岩がある

  • 磐座信仰、神奈備信仰

    元々、自然にある岩を磐座として祀ったのではなく、やはり、その集落、集団、村における東の山で、それも峰々で最も高い頂上に、あえて巨石を組んで磐座を造ったのが始まりだったと考えられます。途中にあった巨石は、八帖岩よりも標高の低いところにあり、それが磐座かと、最初間違ったほどに圧巻されるものでしたが、よくよくアプリの地図を見たら違うものでした。そして更に上がっていった頂上付近に八帖岩は意図して組まれてあったのです。これで岩瀧山山頂石組み、鬼ノ城山の鬼面岩も意図して組まれたものと判断できるものとなりました。磐座信仰、神奈備信仰。古代出雲の先祖のお墓というわけです。組まれてあるところも、やはり様々に意図されてそこにあることが確かなわけです。ただ単に、山にある巨石が磐座というわけではなく、しかるべき場所に意図して組ま...磐座信仰、神奈備信仰

  • 盃状穴

    この磐座にある穴を、盃状穴と言うらしいが、いまだにその理由はよく分かっていない。色々な石造物にあるようで、理由も様々に考えられている。子孫繁栄のためや魔除けの意味など。磐座にもあるのは確かなようで、まさに八帖岩は磐座ということにもなるのである。なんだろうか。。お墓と考えるならば、何かをお供えするための穴なのかもしれない。閼伽水や御神酒、米などをお供えすることが考えられる。あるいは、岩を少し削って、お砂として家の神棚、仏壇に先祖供養のために祀るということのためであったのかもしれない。お砂踏みと同様にそこまでは行けないけど、行った代わりとなるというわけである。遥拝、供養のために拝み石の下に納めるためであるなども考えられる。盃状穴

  • 八帖岩・磐座と確認

    八尾市楽音寺、楽音寺道を進み、八帖岩へ。少しだけ簡単に確認にいくつもりが、途中から本気な登山に。足元悪く、何回か滑って尻もちついてしまった。途中で蛇(アオダイショウ)のお迎えも。これは縁起が良い。とにかく、実際に見て、間違いなく石組みされた磐座とわかりました。岩瀧山山頂と同様ですが岩瀧山山頂の方が石組みが立派でありますので、岩瀧山は標高も高く、また、春秋分の日に太陽が昇るところにもなりますので、磐座信仰の中心地にもなったのでしょう。鬼ノ城山の鬼面岩もやはり磐座ということで間違いないことになります。神奈備山ということです。また、楽音寺道、途中には立派な岩肌も。岩瀧山と山の構造が当然に似ているわけです。最初、こちらが八帖岩なのかな、と勘違いしましたが、地図を確認したらまだまだ上方を示しており、八帖岩はやはり頂...八帖岩・磐座と確認

  • 「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)出雲の磐座信仰の磐座か!? 岩瀧山山頂の石組みとともに 三種の神器ダイヤモンド結界 幸の神信仰 天照大神 出雲口伝 西ノ山古墳 前方後円墳 造り出し 金刀比羅神社」

    八帖岩。「八」・・前回投稿のように数字の「八」は出雲の象徴的な数字であります。古代、生駒山西麓一帯においては、出雲の勢力がある一定強くあったことが推定されます。西ノ山古墳の被葬者も出雲との関係性が窺えるところとなります。引き続きに関連を精査して参りたいと思います。「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)出雲の磐座信仰の磐座か!?岩瀧山山頂の石組みとともに三種の神器ダイヤモンド結界幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」第52回新シリーズ歴史再考2025年4月22日https://youtu.be/uurssOEp3_0?feature=shared「八帖岩(大阪府八尾市楽音寺)出雲の磐座信仰の磐座か!?岩瀧山山頂の石組みとともに三種の神器ダイヤモンド結界幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳前方後円墳造り出し金刀比羅神社」

  • 「八」の数字自体が出雲王国を象徴する数字

    神魂神は、やはり、クナトノ大神のことで、出雲の大神であると言える。とにかく、「八」の数字自体が出雲王国を象徴する数字で、出雲王国の痕跡を示すものである。八耳王、八嶋篠王、八嶋手王、八千矛王、八重波津身命、、海村雲命の子は、神八井耳命、彦八井耳命、、サイノカミの姫を八岐姫、、八岐大蛇、八つの尾、、八尾、八帖岩、、出雲との関係が深くあったのが八の由来からも分かります。「八」の数字自体が出雲王国を象徴する数字

  • 鴨習太神社 (大阪府南河内郡河南町神山)

    八尾ではありませんが、こちらの神社について問い合わせがありました。摂社が出雲系の神で、磐座信仰、幸の神信仰もあったようで、出雲系で間違いなく、また、賀茂(鴨)から鑑みれば、賀茂建角身命か大田田根子命系と考えてよいでしょう。鴨習太神社(大阪府南河内郡河南町神山)

  • 阪合神社の祭神

    阪合神社の祭神に疑問が呈されてあるのは記紀によるからである。出雲口伝によれば、祭神は、饒速日命か、五十猛命か、海村雲命か、神八井耳命かとなるはずである。混乱があるのは記紀に間違いがあるからであろう。彦穂穂出見命は、市杵島姫と饒速日命との子になり、宇摩志麻遅命に繋がる別系統になる。阪合神社の祭神

  • 西ノ山古墳の造り出しからの澁川寺までのライン

    西ノ山の造り出しからの澁川寺までのラインも気になる。賀茂神社大田田根子命(出雲神)御野縣主神社角凝玉命(神魂神(出雲神)の次代)長柄神社事代主命(出雲神)澁川寺跡・澁川神社元宮推定饒速日命ふむ。。西ノ山古墳の造り出しからの澁川寺までのライン

  • 箕後川渓谷。八帖岩と岩瀧山との中間

    箕後川渓谷。八帖岩と岩瀧山との中間にある。滝に不動尊などの石仏や石碑群があるのも、やはり何か関連があるのだろう。https://www.google.com/maps/place/%E7%AE%95%E5%BE%8C%E5%B7%9D%E6%B8%93%E8%B0%B7/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x7945bcc422bf4192?sa=X&ved=1t:2428&ictx=111しかし、ある意味、全て計算され尽くして、神仏が鎮座、祭祀されてあるということである。適当ではなく確かな由来が必ずあるということだ。正確な測量技術もないのに、正直、凄いとしか言いようがない。もちろん、三種の神器ダイヤモンド結界もなのだが、、箕後川渓谷。八帖岩と岩瀧山との中間

  • 西ノ山古墳の前方後円墳の造り出しの祭祀場と出雲磐座信仰

    岩瀧山山頂石組み、八帖岩は、出雲磐座信仰の磐座であり、改めて再考すると、西ノ山の前方後円墳の造り出しの祭祀場がかなり意識されているのが分かります。もちろん、先に古代からの磐座があって、そこが強く意識されて、西ノ山に古墳が建立されているということであり、つまり、西ノ山古墳の被葬者は、出雲王国とも関係がある者というのが、これで明らかになるのであります。そして、造り出しの祭祀場が意識されて、金刀比羅神社と熊野神社も鎮座されてあると言えます。また、造り出しと石切劔箭神社の線上真ん中に、枚岡神社奥宮(出雲井町)があるというのも何とも興味深いものとなります。枚岡神社も何らか出雲との関連があるのでしょう。別の機会に考察したいところです。三種の神器ダイヤモンド結界から色々なことが解明できそうです。西ノ山古墳の前方後円墳の造り出しの祭祀場と出雲磐座信仰

  • 八帖岩 玉祖神社と岩瀧山、鬼城山、石切劔箭神社元宮の直線上

    あった、、八帖岩。玉祖神社と岩瀧山、鬼城山、石切劔箭神社元宮の直線上。。西ノ山の東。造り出しの真東になるという、、八帖岩が、磐座というわけだ。マジか、、出雲磐座信仰とも西ノ山の古墳は意識されてあると考えられる。出雲ともやはり関連ある人物になる。海村雲命説ありうるわ。八帖岩玉祖神社と岩瀧山、鬼城山、石切劔箭神社元宮の直線上

  • 「古代祭祀場があったか!? 岩瀧山山頂石組みの謎 出雲との関係から考える 三種の神器ダイヤモンド結界 磐座信仰 幸の神信仰 天照大神 出雲口伝 西ノ山古墳 櫻井神社 金刀比羅神社 銅鐸 銅鏡」

    枚岡神社周辺の地名は、もろに出雲井町である。生駒山西麓は、古代に出雲の勢力があったと考えられるのである。東大阪市、実は、まだ銅鐸が出土していない。しかし、出雲との関係を鑑みれば、どこかに埋まってある可能性は極めて高いと思われるのである。・・三種の神器ダイヤモンド結界の解析と共に、古代出雲との関係から、岩瀧山山頂石組みの謎の解明も一気に進むことが期待できる。「古代祭祀場があったか!?岩瀧山山頂石組みの謎出雲との関係から考える三種の神器ダイヤモンド結界磐座信仰幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳櫻井神社金刀比羅神社銅鐸銅鏡」第51回新シリーズ歴史再考2025年4月21日https://youtu.be/AvKEHBAroZg?si=wpc0d4S1yaca6T89「古代祭祀場があったか!?岩瀧山山頂石組みの謎出雲との関係から考える三種の神器ダイヤモンド結界磐座信仰幸の神信仰天照大神出雲口伝西ノ山古墳櫻井神社金刀比羅神社銅鐸銅鏡」

  • 「金刀比羅神社と熊野神社 梶無神社と櫻井神社 西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺) 三種の神器ダイヤモンド結界 饒速日命 海村雲命 大己貴命 大国主命 大物主命 出雲口伝」

    梶無神社に摂社・櫻井神社があり、その祭神は出雲の神、大己貴命(大国主命・大物主命)であった。櫻井神社は、謎の古代寺院、櫻井寺とも関係があったと推定される。櫻井寺の解明へ向けても前進が望めるかもしれない。「金刀比羅神社と熊野神社梶無神社と櫻井神社西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命海村雲命大己貴命大国主命大物主命出雲口伝」第50回新シリーズ歴史再考2025年4月21日https://youtu.be/MXLDZiiJxiM?si=W167oKSH8AQUpDZd「金刀比羅神社と熊野神社梶無神社と櫻井神社西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命海村雲命大己貴命大国主命大物主命出雲口伝」

  • 櫻井神社、金刀比羅神社、熊野神社、十二社権現寺

    櫻井神社と金刀比羅神社、熊野神社と記した。また、六萬寺の西に権現神社があり、現在は、十二社権現寺となっている。江戸時代に権現の森と呼ばれていたところで、由来は不明だが、小字もその関連が窺える。六萬寺の頃からあった可能性もあるため、一応、記しておきます。櫻井神社、金刀比羅神社、熊野神社、十二社権現寺

  • 岩瀧山山頂の謎の石組みと出雲の祭祀

    櫻井神社の祭神が、出雲の神であったとなれば、岩瀧山山頂の謎の石組みと出雲の祭祀が繋がってくることになる。出雲口伝から色々と解明できることがありそうだ。更には、六萬寺の歴史と共に櫻井寺も一気に解明が進む可能性もある。三種の神器ダイヤモンド結界。まだまだ知らない含みがありそうである。岩瀧山山頂の謎の石組みと出雲の祭祀

  • 梶無神社と摂社・櫻井神社の祭神

    村の鎮守社、梶無神社に改めて参拝。櫻井神社が合祀されていることを確認。祭神が、大己貴命(おおあなむち)であることを初めて知った。いまさらに。大国主命、大物主命と同一視の出雲の神である。マジか、、大和朝廷による櫻井郷の屯倉があったことから、神社、寺院も古くからあったものの、櫻井寺は廃寺となり、櫻井神社は梶無神社に合祀されたと考えられるのである。これで六万寺一帯では、出雲王国との繋がりが早い時代にあったことが改めて分かった。梶無神社は、江戸時代の神社覈録では祭神不祥となっていた。元船山明神。出雲口伝から考えれば、元の祭神はやはり饒速日命が有力となる。三種の神器ダイヤモンドにももちろん線状にあり、内のトライアングル、ダイヤモンドも考えられる。次回動画でもまとめたい。梶無神社と摂社・櫻井神社の祭神

  • 海村雲墳墓説も!? 出雲口伝からも考える 西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺) 三種の神器ダイヤモンド結界 饒速日命 彦穂穂出見命 五十猛命 神沼川耳命 玉櫛姫 八重波津身命 事代主 宗像三女神

    一つ言えるのは、出雲王国から初期大和王朝は、しばらくは母系中心の血統が重視されていた社会であったというわけです。西ノ山古墳の被葬者については、総合的に勘案して(特に三種の神器ダイヤモンド結界・供養からも)饒速日命が有力と考えられるわけですが、更に饒速日命に関連する近い者も考えられうるため、記紀だけではなく、出雲口伝や神社伝承からも可能性について考察していければと思います。「海村雲墳墓説も!?出雲口伝からも考える西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命彦穂穂出見命五十猛命神沼川耳命玉櫛姫八重波津身命事代主宗像三女神」第49回新シリーズ歴史再考2025年4月20日https://youtu.be/B0ET9ERIAGU?feature=shared海村雲墳墓説も!?出雲口伝からも考える西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命彦穂穂出見命五十猛命神沼川耳命玉櫛姫八重波津身命事代主宗像三女神

  • 都夫久美神社は、宇摩志麻遅命、賀茂神社は、大田田根子命、梶無神社は、、別の角度から考える

    都夫久美神社は、宇摩志麻遅命、賀茂神社は、大田田根子命。そして、梶無神社の元々祭神は不明となっていたのだが、現在は瓊瓊杵命となっている。しかし、出雲口伝からは別の見方になってくる。梶無神社の創建が、第二次物部東征によるものと考えたら、船山に梶を失って漂着したのは、宇摩志麻遅命と彦五瀬命になる。先祖を祀り、これからの航海の無事を願ったのであれば、考えられるのは、彦渚武命か、彦穂穂出見命か、饒速日命か、になるのである。出雲口伝からであれば、瓊瓊杵命ではなく、饒速日命であった可能性も出てくることになる。金刀比羅神社・熊野神社とも結べば、大物主命・彦五瀬命とも繋がることになる。元々は饒速日命かも。。これはまた宮司さんにいずれ話してみよう。。都夫久美神社は、宇摩志麻遅命、賀茂神社は、大田田根子命、梶無神社は、、別の角度から考える

  • 、金毘羅神社・熊野神社によって、西ノ山への何らか祭祀が昔に行われていたか

    つまり、こうゆう感じである。宮通りは、前方後円墳の造り出し部に向かってある赤線として、金毘羅神社・熊野神社によって、西ノ山への何らか祭祀が昔に行われていたのだろう。熊野神社、、出雲口伝ならば彦五瀬命に由来するわけか、、出雲口伝ならば宇摩志麻遅命の兄である。第二次物部東征ということになる。、金毘羅神社・熊野神社によって、西ノ山への何らか祭祀が昔に行われていたか

  • 西ノ山の東、大光寺跡の付近には、熊野神社と共に金刀比羅神社があった

    そういえば、西ノ山の東、大光寺跡の付近には、熊野神社と共に金刀比羅神社があったことも分かっています。昔、楽音寺、熊野神社は、西の山の東金毘羅屋敷にありました。明治初期に当地に移されたが、その後倒壊し、御神体は神立にある郷社玉祖神社に預けられた。金毘羅さんは大物主命を祀る。出雲の神である。大光寺と熊野神社は楠木家(正儀)による開基なのだろうが、金毘羅神社は、西ノ山を意識して、もっと古くから配置されていた可能性がある。小字で西ノ山の東に宮前があったと思うので、金毘羅神社が西ノ山への祭祀を古くから行っていたと考えられる。畑の方が、宮通りがあったというのはこれであろう。西ノ山は出雲との関係も深くあったと考えられると共に、大田田根子命との関係からも、賀茂神社ー西ノ山ー金刀比羅神社のラインも十分にありうる。式内社では...西ノ山の東、大光寺跡の付近には、熊野神社と共に金刀比羅神社があった

  • 横小路の常光院さん

    今日は、横小路の常光院さんの近くに用事があったので、久しぶりにお参りさせて頂いた。黄檗宗にて、本堂山号扁額は、萬福寺開山の隠元禅師の筆である。本尊が二尊石仏と珍しい。古墳にも石仏が祀られている。古い五輪塔なども。浄土院廃寺跡に近く、浄土院由来なものもあるのかもしれない。梵鐘も一音撞かせて頂いた。綺麗な浄音が響いた。撞木があまり擦り減っていなかったのは寂しいぐらいの浄音でした。現在、兼務寺の無住である。横小路の常光院さん

  • 三種の神器ダイヤモンド結界は、天村雲命のために張られたものか?

    そういえば、西ノ山の円墳の縁にて粘土槨の破片らしいものが幾つか表層に出てあった。円墳頂上からは随分と離れた下であった。https://youtu.be/zYsuXPc7_V4?si=6GLD9Ozrv9LX3HOe開墾・工作や発掘の際に破壊されたものとも言えるが、どうもかなりの違和感があった。もしも後代(村の全村移転の奈良時代)に改変、改葬、偽装された可能性があったとしたら、その際のものであるのかもしれない。三種の神器ダイヤモンド結界は、天村雲命のために張られたものであった可能性が一気に出てきた。(饒速日命と関連・連想させるのも偽装だった可能性も・・)道鏡はその全ての秘密を知って、結界と供養を担っていた可能性も出てきた。三種の神器ダイヤモンド結界は、天村雲命のために張られたものか?

  • 西ノ山の被葬者について

    鴨王か。。天日方奇日方命。天日方奇日方命→健飯勝命→武甕槌命→豊御食主→大御食主命→建津乃身命と大田田根子命→賀茂家・太田家というわけだ。賀茂神社と恩智神社も繋がる。若江郡美努・玉櫛は、少なくとも、鴨王からの勢力中心地であったと推測することができるが、それ以前、八重波津身命(事代主命)と玉櫛姫(三嶋溝杭命の娘、つまり、賀茂建角身命の娘)の時代からであったとも考えられる。天日方奇日方命と姫踏韛五十鈴姫命(神武皇后)・五十鈴依姫命(綏靖皇后)は兄弟姉妹。神武天皇のモデルが海村雲命となれば、海村雲命の祖父が饒速日命となり、海村雲命は、大田田根子命の先祖と婚姻しているという関係になるのである。西ノ山に眠るのは、天日方奇日方命か、その父、八重波津身命(事代主命・神武皇后の父)も有力となる。そして、「海村雲命」もあり...西ノ山の被葬者について

  • 水野正好先生がご存命であられたら・・

    水野正好先生がご存命であられたら、きっと関心高くにご協力賜われたことでしょう。20年前に西ノ山と三種の神器ダイヤモンド結界の調査に入っていればと、本当に悔やまれます。東大阪市も八尾市も、往生院六萬寺と関わりが深くあった一昔前の文化財行政の方々は、皆、ご高齢か、鬼籍に入られてしまわれている。残念なことではありますが、何とか研究を進めていければと考えています。出雲口伝の内容を全て理解するのは、なかなか容易ではないが、神社伝承、地域伝承、海部氏系図等も含めて、総合的に鑑みると、記紀とは異なった別の歴史が見えてくる。奈良時代、まだ史実伝承が色濃く残る中で、西ノ山をめぐってなされた三種の神器ダイヤモンド結界。西ノ山は、記紀とは異なる歴史に関わる可能性はもちろん高くある。出雲口伝も安易に否定はできない。水野正好先生がご存命であられたら・・

  • 「西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)考察経過のまとめ 古墳時代最初期・最大級・双方中円墳型前方後円墳か? 三種の神器ダイヤモンド結界 饒速日命 卑弥呼 道鏡 行基 六萬寺 出雲口伝」

    これまでの西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界についての考察を少しまとめてみました。少々長くなってしまいました・・ラジオ感覚でお聴き頂けましたら有り難いです。出雲口伝からも少し被葬者について検討しています。いずれにしても可能性は排除せずに広く考察していければと考えています。「西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)考察経過のまとめ古墳時代最初期・最大級・双方中円墳型前方後円墳か?三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命卑弥呼道鏡行基六萬寺出雲口伝」第48回新シリーズ歴史再考2025年4月18日https://youtu.be/EUn8uSM4JCc?si=yfwNUxS_FSQ_H2_C「西ノ山古墳再考(大阪府八尾市楽音寺)考察経過のまとめ古墳時代最初期・最大級・双方中円墳型前方後円墳か?三種の神器ダイヤモンド結界饒速日命卑弥呼道鏡行基六萬寺出雲口伝」

  • 長屋王の呪い

    怪奇な歴史研究室さん、今回は「長屋王の呪い」だ。。丁度、拙生も天平の疫病の祟りについて長屋王についても言及していたところであり、タイムリーであります。長屋王邸宅跡は、そごう、イトーヨーカ堂と閉店し、呪いが続くことで恐れられており、今のミ・ナーラは店長が毎日、長屋王の供養をしっかりとしているのは有名な話である。先人への敬意と畏敬の念を持って、縁があるならば、しっかりと供養することが、やはり大切となります。長屋王の呪い

  • 道鏡の天才ぶり

    また、厳密には、黄色◎を中心としたのが、綺麗な正ひし形となる。キリがないが、、賀茂神社の位置に僅かな疑問があったのだが、神や仏の通り路、つまり、正中を避ける概念まで、西ノ山に対して徹底してあったと言えるのであろう。西ノ山に被葬されてある者は、賀茂神社の祭神、大田田根子命の先祖ということにもなるわけである。この結界と供養の中心となった道鏡は神仏習合に通じた秀才であったのだろう。道鏡の天才ぶり

  • 賀茂神社 西ノ山の円墳の正中(真西)を避けた

    賀茂神社が、西ノ山の円墳の正中(真西)を避けて、やや下座に鎮座しているとして、やっと微妙なズレを気にすることなく、線引きができた。また、やはり、西ノ山に対しての気の使い方が尋常ではないということでもある。今度こそひとまず。。賀茂神社西ノ山の円墳の正中(真西)を避けた

  • 西ノ山古墳 全長400メートルも 被葬者 饒速日命か卑弥呼か

    饒速日命が当然に三種の神器ダイヤモンド結界から圧倒的に被葬者と考えられるのだが、この双方中円墳部の南側前方には、卑弥呼に仕えて亡くなった殉死者百名が眠ってある可能性も否定できない。もちろん副装品がある可能性も高い。今ならスキャンすればおおよそのことがわかる時代。しかし、全体は要所要所を発掘調査して確認する必要がある。全長を正確に測るには、盛り土の最初と葺石の状況を見なければならない。最も大事なのは葺石の一番下の石だ。これを確認できたら最大規模が分かることになる。史跡として敬意をもって綺麗に整備されれば、供養にも繋がる。奈良時代からの祟る山であると畏れられることもなくなり、国を揺るがす祟りを鎮めることにもなるだろう。記紀で貶めた0代天皇、饒速日命か、同じく記紀では抹消された卑弥呼か、、全長400メートルなら...西ノ山古墳全長400メートルも被葬者饒速日命か卑弥呼か

  • 三種の神器ダイヤモンド結界・正ひし形・正中心点について

    厳密に、正ひし形の中心は、緑の真ん中になる。丁度、十三峠へと続く道の西側延長となり、西ノ山の円墳部の真西に当たるのである。(錯覚的に真西には見えないかも知れないが、本来、真西線上は、本来やや右斜めになる)実は、厳密に賀茂神社を中心と考えるとややズレが生じるのではある。真の中心点は緑◎のところであるが、昔には道があって神社が避けられたのかもしれないし、中心からワザと避けて配置された可能性もある。つまり、正中は避けるという意味である。それだけ、西ノ山について賀茂神社(下座側に配置)も意識されてあるということです。三種の神器ダイヤモンド結界・正ひし形・正中心点について

  • 西ノ山の前方後円墳再考(大阪府八尾市楽音寺)

    西ノ山の前方後円墳を考えると、このようになる。一応、双方中円墳型前方後円墳と仮に名付けるが、やはり周濠と盛土の状況を考えると、全長350メートルに及ぶと思われ、実際は円墳部も、南側の大阪経済法科大学の池の縁までとなり、円墳径200メートルになる。ならば、全長は350メートル以上となるのは確実である。興味深いのは円墳前方の方墳であるが、こちらには副装品を納めたのではないかと考えられると共に、円墳被葬者と一緒に埋葬された者が眠っている可能性もある。多くの者があれば、卑弥呼の可能性も出てくることになるのかもしれない。正直、円墳前方の方墳での前方後円墳は考えられない。なぜならば、祭祀をするにはわざわざ上まで、急となっている坂をそれなりに登る手間が掛かるからだ。やはり、前方部は北側にあり、東側に祭祀を行う造り出し部...西ノ山の前方後円墳再考(大阪府八尾市楽音寺)

  • 三種の神器ダイヤモンド結界・修正

    小字から心合寺の位置を修正し、高麗寺を追加した。これでひとまずは、、三種の神器ダイヤモンド結界・修正

  • 八尾と出雲の関係

    ざっと分析が終わった。大きな修正は、心合寺の位置と高麗寺の追加ぐらいだが、やはり、物部氏、そして、出雲に関連する地名も色々と確認できた。サイノカミ信仰である。八尾では立派な流水紋銅鐸が二ヶ所から出ている。出雲との関係である。あとは、来迎寺が二ヶ所確認できるが、浄土教に由来すると考えられるため、平安時代以降になるかと思われるものの、行基との関連が窺えるならば奈良時代もありうるだろう。とにかく分析を続けたい。八尾と出雲の関係

  • 小字図録

    これはかなり分析に役立つ。西ノ山は、確かに南向きに前方部があるようにも思われるが、やはり、北向き、真北にも前方部の祭祀場となるものが確認できる。1700年ほど前からになるため、多少の地形変化は当然だが、これだけ良く残ってあるのはある意味で奇跡である。とにかく、何よりも周濠跡と盛土。北側に前方部があると考えるに十分である。賀茂神社付近に、神宮寺の形跡はなさそうだが、あくまでも江戸時代の文献からの字名であり、今後の調査次第でもあるだろう。楽音寺墓地東側に来迎寺の字名があった。来迎寺というお寺があったようだ。また、大光寺と思われる字は見られなかった。心合寺は、思っていたよりも少し西側だった。またやり直しかな、、はぁ、、他も多少位置を変えなければならないかも。とにかく分析を進めます。小字図録

  • 合間に心合寺山古墳へ

    合間に心合寺山古墳へ。この小字図録を買いに。しかし、西ノ山は、この心合寺山古墳よりも一回り以上も大きいのだから、やはり凄い。東大阪も小字図録を出してくれたら、もっと色々と調べられるのではあるが、、とにかく三種の神器ダイヤモンド結界を小字からも分析したい。合間に心合寺山古墳へ

  • 河内・六萬寺が廃寺となった理由について 往生院の栄枯盛衰についても 三種の神器ダイヤモンド結界 聖武天皇 行基 橘諸兄 道鏡」第47回 新シリーズ歴史再考

    三種の神器ダイヤモンド結界から、六萬寺の創建、そして、廃寺へと至った事情について考えてみました。また、往生院の栄枯盛衰についても。「河内・六萬寺が廃寺となった理由について往生院の栄枯盛衰についても三種の神器ダイヤモンド結界聖武天皇行基橘諸兄道鏡」第47回新シリーズ歴史再考2025年4月16日https://youtu.be/ptPHamKfmZM?feature=shared河内・六萬寺が廃寺となった理由について往生院の栄枯盛衰についても三種の神器ダイヤモンド結界聖武天皇行基橘諸兄道鏡」第47回新シリーズ歴史再考

  • 三種の神器ダイヤモンド結界・中心部

    一番綺麗なひし形は、緑。緑の中心地には何かある(あった)のかもしれない。恩智川の氾濫で、賀茂神社は東寄りに遷座したのかもしれない。字名を聞いてみよう。。三種の神器ダイヤモンド結界・中心部

  • 三種の神器ダイヤモンド結界

    三種の神器ダイヤモンド結界三種の神器ダイヤモンド結界

  • 次回は、河内・六萬寺の廃寺理由

    次回は、河内・六萬寺の廃寺理由について考えてみます。三種の神器ダイヤモンド結界によって、ようやく、六萬寺創建時の事情の大部分が明らかになったわけです。また、それは、廃寺となった事情も色々と分かってくるところにもなりました。結局、結界に関わった寺院は、そのほとんどが平安時代、鎌倉時代までに廃寺となります。かろうじて薗光寺は、明治の廃仏毀釈まで残りますが、衰微縮小した竹之坊一坊のみでありました。楽音寺も江戸時代まではあったとされますが、ほぼ無住に近い状態であったと伝わります。いずれにしても寄与していた施主を失った寺院の衰退はあっという間というわけです。悲しいかなその現実も見えてきました。次回は、河内・六萬寺の廃寺理由

  • 寺院の栄枯盛衰・・

    よくよく考えたら、六萬寺、中期・往生院も、後期・往生院も、時の政権次第にて存亡が左右されていたわけである。六萬寺は、天皇中心の政治から藤原氏中心の摂関政治への移行に伴い衰退。中期・往生院は、九條家により再興されたものの、摂関政治から武家政治への移行において衰微していき、戦国時代には荒廃。後期・往生院は、江戸幕府により再興されるも、明治政府の廃仏毀釈で荒廃...寺院の栄枯盛衰・・

  • 「橘諸兄と道鏡 三種の神器ダイヤモンド結界 主導・道鏡 協力・橘諸兄と行基 六萬寺 光明皇后 孝謙天皇 称徳天皇 淳仁天皇 橘三千代 藤原不比等 藤原仲麻呂」

    橘諸兄と道鏡。同郷で、同族(道鏡皇族説)であったために、互いに関係性が深くあったと考えられます。皇族中心の政治から摂関政治へ・・この狭間における、藤原氏VS皇族(橘諸兄・道鏡)との権力闘争が窺えます。河内・六萬寺が平安時代に荒廃、廃寺となったのも、開基・橘諸兄一派からの勢力の衰えによるものと考えられます。「橘諸兄と道鏡三種の神器ダイヤモンド結界主導・道鏡協力・橘諸兄と行基六萬寺光明皇后孝謙天皇称徳天皇淳仁天皇橘三千代藤原不比等藤原仲麻呂」第46回新シリーズ歴史再考https://youtu.be/mCvD2S_DHP4?feature=shared「橘諸兄と道鏡三種の神器ダイヤモンド結界主導・道鏡協力・橘諸兄と行基六萬寺光明皇后孝謙天皇称徳天皇淳仁天皇橘三千代藤原不比等藤原仲麻呂」

  • 「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説 被葬者・饒速日命説 この根拠について 三種の神器ダイヤモンド結界 卑弥呼 神武天皇 大田田根子命」

    リクエストがありましたので、改めて「西ノ山」(大阪府八尾市楽音寺)について。古墳時代・最初期最大・前方後円墳説と被葬者・饒速日命説の根拠についてまとめてみました。橘諸兄のことにつきましては、次回にて。また、冒頭では、河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号に寄稿させて頂きました「河内・浄土院と往生院について」の紹介。「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説被葬者・饒速日命説この根拠について三種の神器ダイヤモンド結界卑弥呼神武天皇大田田根子命」第45回新シリーズ歴史再考2025年4月15日https://youtu.be/s8iW71iUqvs?feature=shared「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説被葬者・饒速日命説この根拠について三種の神器ダイヤモンド結界卑弥呼神武天皇大田田根子命」

  • 河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号 「河内・浄土院と往生院について」

    河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号が届きました。今回は、「河内・浄土院と往生院について」。山麓に埋もれ、消えていた浄土院を再び歴史の表舞台に出すことができました。浄土院の開山、開基、歴代、僧侶、檀信徒の供養にもなり、誠に嬉しい限りです。奈良国立博物館に伝わる當麻曼荼羅は本当に立派なものです。南朝方の要所となり、南北朝の争乱に巻き込まれて焼失した浄土院。往生院の鎌倉時代の歴史を補足して考える上でも、この浄土院の當麻曼荼羅の存在が大きな一つの視座になります。河内ふるさと文化史「わかくす」(若楠)の最新号、2025年春季号・通巻87号「河内・浄土院と往生院について」

  • 西ノ山と造山古墳と上石津ミサンザイ古墳

    メモ用・・西ノ山は、造山古墳(5c前半・全国4位・全長350メートル・岡山市)と、上石津ミサンザイ古墳(4c末・全国3位・全長365メートル・堺市)から逆に考えると、その全体像を正確に押し測ることができると思われるのであります。なぜならば、両者は、西ノ山を参考として、後代にそれぞれ造られたとして、西ノ山は、大和王朝、古墳時代、最初期(3c〜4c)最大の前方後円墳と考えられるのであります。当初は、被葬者を、卑弥呼か、饒速日命か、あるいは、神武天皇、または、神武天皇に次ぐ天皇有力者かと色々と考えましたが、西ノ山には、奈良時代、楽音寺村が全村移転した疫病と祟りの伝承があり、また、石切劔箭神社、若江鏡神社、玉祖神社の三種の神器を冠する神社を結ぶとトライアングルになるという有名な話とも、何らかの関係があるのかもしれ...西ノ山と造山古墳と上石津ミサンザイ古墳

  • 西ノ山は、造山古墳(岡山市)と上石津ミサンザイ古墳(堺市)から考えることもできる

    結局、西ノ山は、造山古墳(岡山市)と上石津ミサンザイ古墳(堺市)から考えると、その全体像を押し測ることができると思われる。なぜならば、両者は、西ノ山を参考として後代に造られたと考えられるからである。大和王権、古墳時代、最初期最大の前方後円墳。当初は、被葬者を、卑弥呼か、饒速日命か、あるいは神武天皇に次ぐ有力者か、と色々と考えたが、ふと、奈良時代に、疫病と祟りの伝承があり、そして、昔から言われていた三種の神器トライアングルとも何らかの関係があるのかもしれないと精査したら、裏鬼門側にも三種の神器トライアングルがあることを発見し、ひし形、ダイヤモンドになるとして、それは、全体から、西ノ山の結界と供養が強く意識されたもので、饒速日命を推定するに十分な結界と供養の根拠と言えるものであり、饒速日命とほぼ断定したわけで...西ノ山は、造山古墳(岡山市)と上石津ミサンザイ古墳(堺市)から考えることもできる

  • 河内七墓

    河内七墓六萬寺などの寺院創建と併せて、天平の疫病大流行により亡くなった民衆を供養するために、行基が墓地を開いて定めたのが、河内七墓であるが、実際は、楽音寺墓地や横小路墓地、四条墓地など、各村々に設けられることにもなったのである。行基の河内での活動は、もちろん、道鏡における活動とも連携してなされていたのであり、三種の神器ダイヤモンド結界にも繋がるのであります。河内七墓

  • 役行者は、賀茂氏の出自、つまり、饒速日命、大田田根子命の子孫、もちろん、物部氏の子孫

    役行者は、賀茂氏の出自、つまり、饒速日命、大田田根子命の子孫、もちろん、物部氏の子孫になるのである。八尾市西高安町の賀茂神社との直繋がりである。岩瀧山の開山は役行者。修験道との繋がりも当然であるわけです。往生院は、葛城修験の宿にもなっていたのも、役行者の時代からで、役行者→行基・六萬寺→往生院と繋がりもあるわけです。役行者は、賀茂氏の出自、つまり、饒速日命、大田田根子命の子孫、もちろん、物部氏の子孫

  • 式内社の分類

  • 創設期の神宮寺の各本尊もある一定推測される

    これで創設期の神宮寺の各本尊もある一定推測されるのであります。三種の神器からは、若江寺、神鏡、天照大神、十一面観音菩薩か大日如来だが、十一面観音菩薩が有力。法通寺、神剣、素戔嗚命、薬師如来。由義寺、神剣、素戔嗚命、薬師如来。と。勾玉は考察中。阿弥陀如来かな?あとは、枚岡神社の神宮寺は、天児屋根命、地蔵菩薩など。饒速日命は、邇邇芸命同格で、釈迦如来かな?初期の頃は確立されていないため推定しかできないが、考えてみると面白い。創設期の神宮寺の各本尊もある一定推測される

  • >なぜ、神社に寺院があるのか、神宮寺の存在について

    なぜ、神社に寺院があるのか、神宮寺の存在について質問を頂いた。土地の支配者、あるいは村単位によって、氏神、菩提寺が対にして創建されたからとも言えるが、神仏習合の祭祀を共に行うために設けられたのが始まりである。この端緒が、この結界・供養からにおいて神仏習合祭祀儀礼が行われたと考えているのでもあります。飛鳥時代では単体で創建されていたものが、奈良時代中頃、しかも、天平の疫病大流行を機として、疫病息災と共に、鎮護国家の祈願を神仏習合により、より強く行い、進める意味合いにて、神社と神宮寺が対になっての創建が始まったと思われるのであります。その始まりが、この図に現れてあるものだと考えています。この主導的な役割を担ったのが、優秀な学僧であった道鏡に他ならないと思うのであります。本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想の創始も...>なぜ、神社に寺院があるのか、神宮寺の存在について

  • 六萬寺、賀茂神社、薗光寺の正三角形トライアングル

    六萬寺、賀茂神社、薗光寺の正三角形トライアングル。由義寺と同様に六萬寺も重要な役割を担っていたと考えられます。六万寺町、上六万寺町にある半堂(池)、院堂、堂内、九重堂など、字名からは七堂伽藍に恵まれてあったとも考えられますが、往生院の建物であった可能性もあり、未だ判然としていません。しかし、往生院金堂跡からは奈良時代の瓦片が、六万寺町、上六万寺町一帯では、平安時代初期の瓦片も見つかってはいます。六萬寺、賀茂神社、薗光寺の正三角形トライアングル

  • 賀茂神社跡付近 神宮寺の存在について

    賀茂神社跡付近には神宮寺の存在は確認されていないようである。それらしい字名もないとのこと。主祭神、大田田根子命のみで事足りると判断されたのかもしれないが、また今後、奈良時代から平安時代の瓦片は見つかるかもしれない。賀茂神社跡付近神宮寺の存在について

  • 三種の神器寺社ダイヤモンド再精査

    ふう、、更に精査。弓削神社の位置が多少ズレる理由が少し分からなかったが、河川の氾濫や洪水にて地形が変わったことで遷座しているからであるのが分かった。恩智神社は、恩智城築城時に移転していたのを初めて知った。元の位置を示した。以前に車で行って難儀した。交通の便が悪いのはこのためか、、楽音寺、心合寺はもちろん、河内寺や枚岡神社も関わりが窺える。いったい何重の結界と供養なのか、、由義寺開山の弓削道鏡は、やはり、この結界と供養の中心的な役割を担った功績から、一気に天皇にも信任厚くなり、重用されるようになったと考えられる。六萬寺や薗光寺、若江寺、法通寺、楽音寺、心合寺も、当然に東大寺・興福寺の南都系仏教寺院であったのだろうが、由義寺が最大であったのは遺構から明らかなことであり、力関係も窺えるのである。三種の神器寺社ダイヤモンド再精査

  • 六萬寺から僧侶が、賀茂神社(八尾市上尾町)へ参拝したのは、1025年ぶりか

    六萬寺から僧侶が、賀茂神社(八尾市上尾町)へ参拝したのは、もしかしたら六萬寺が廃寺した時期、1000年頃から1025年ぶりなのかもしれない(往生院の僧侶参拝はあったかもだが)。何だか不思議な感じであった。やはり神宮寺もあり、奈良時代においては互いに鎮護国家のための強い繋がりがあったのだろう。明日に動画でまとめます。六萬寺から僧侶が、賀茂神社(八尾市上尾町)へ参拝したのは、1025年ぶりか

  • 八尾市上尾町の式内・賀茂神社跡へ行ってきました

    八尾市上尾町の式内・賀茂神社跡へ行ってきました。寂しく鎮座されておいででしたが、まだ氏子が管理されているようで安心しました。大田田根子命主祭神、出生地になります。三種の神器寺社ダイヤモンドの中心点。西ノ山からほぼ真西にあたります。実際にはやや左手側に西ノ山が見えますが、それが真東の方向になります。周辺、神宮寺もやはりある雰囲気ではありました。また調査をしたいと思います。動画にもあげます。八尾市上尾町の式内・賀茂神社跡へ行ってきました

  • 「三種の神器ダイヤモンド結界 各神宮寺の存在と供養 饒速日命 大田田根子命 石切劔箭神社 法通寺 若江鏡神社 若江寺 玉祖神社 薗光寺 弓削神社 由義寺 楽音寺 六萬寺」

    八尾市に続いて東大阪市の文化財課にも西ノ山について報告を行った。西ノ山が、八尾の楽音寺と東大阪の横小路に横たわっていると気づいて良かった。。あとは、公的な正式調査を期待するしかないが、引き続きにできることで調査研究は進めていく。次は、奈良の帝塚山・学園前の杣木のところと、桜井市鳥見山の宗像神社である。学研北生駒駅北側と、長弓寺の南側もできれば行きたい。一日で回れればとは思うが・・なかなか日が取れない・・その前に、近くてすぐに行ける八尾市上尾町の賀茂神社跡が先かな。。「三種の神器ダイヤモンド結界各神宮寺の存在と供養饒速日命大田田根子命石切劔箭神社法通寺若江鏡神社若江寺玉祖神社薗光寺弓削神社由義寺楽音寺六萬寺」第42回新シリーズ歴史再考2025年4月10日https://youtu.be/FG5Kux6OXp...「三種の神器ダイヤモンド結界各神宮寺の存在と供養饒速日命大田田根子命石切劔箭神社法通寺若江鏡神社若江寺玉祖神社薗光寺弓削神社由義寺楽音寺六萬寺」

  • 楠木正成・楠木家への誤解

    あまりにも酷いのでヤフコメを久々にした、、ログインに手間取った、、フジ問題における幹部と楠木正成を同じにして、フジ問題について批評するのは自由ではあるが、あまりにも楠木正成、楠木家のことを理解していないし、明らかな誤解がある。解釈の違いとかでもないレベルだとも思う。楠木正成・楠木家への誤解

  • 酷い楠木正成評とフジ問題

    楠木正成は、思考停止には陥らずに、部下、兵にも無理強いはさせずに、河内へと正行を帰らせ、後事を託している。湊川の戦いは、正成の自滅ではなく、決戦を避け、新田義貞を早くに京へと退けさせ、後醍醐帝を逃れさせるための囮になったのでもある。事前の打ち合わせどおりである。正行も四條縄手の戦いにて正時と共に散るが、正儀に後事を託して、正儀楠木一族は後世まで残ることになる。敵にさえ憐れみ、情けをかけて供養をする武将が楠木正成であった。正行も同じであり、それは正儀もである。味方に対してももちろん言うまでもない。それぞれに最期を戦った者たちは、皆、思考停止には陥らずに自分で判断して死を覚悟して向かったのである。皆、決して下らない保身や利権などのためではなかった。問題を甘く見て保身に走ったフジ幹部と同じにするなど侮辱である。酷い楠木正成評とフジ問題

  • 八尾市の古い寺社と出雲王国・物部氏の関係 弓削道鏡と聖徳太子

    ざっと八尾の古い寺社を調べたが、幸神信仰や事代主命を祀るところもあり、出雲王国、出雲系物部氏による影響下にあったことが窺える。饒速日命、宇摩志麻遅命、大田田根子命もやはり出雲系にあったことの裏付けになると言える。教興寺の開基が秦河勝(はたのかわかつ)とは意外であったが、物部守屋との戦いや聖徳太子の実在性を議論する上では欠かせない人物である。出雲口伝での動勢をいずれ調べたい。由義寺の弓削道鏡の歴史解釈はかなり歪曲されている。優れた学僧であり、天平の大疫病流行の祟りを鎮めるために由義寺を開山して任されたのが道鏡であり、饒速日命の供養も担ったと考えられる。この功績から才覚を見出されたと思われる。道鏡は志貴王子の落胤とも考えられているが、聖徳太子、山背大兄王、弓削王の流れにあり、弓削王→猿丸大夫→八尾に逃れての子...八尾市の古い寺社と出雲王国・物部氏の関係弓削道鏡と聖徳太子

  • 三種の神器・神社ダイヤモンド結界 神宮寺

    つまり、このようになる。735年〜既存の寺社も含めて、このようにして結界と供養がなされたと考えられるのである。ほとんど創建年はそれぞれ735年〜10年の間で近いと考えられる。これは単なる偶然ではない。意図的に配されたとしか考えられないのである。寺院もしっかりあるのも重要なポイントである。ここから更に考えられるのは、中心の賀茂神社にも神宮寺があった可能性である。近々に賀茂神社跡に参拝するが、瓦片がないかをじっくり観察したい。奈良時代の瓦片があれば、寺院も存在確実になる。まあ、あったとして報告しても調査はしてもらえないかもしれないが、、あるとは思うのである。三種の神器・神社ダイヤモンド結界神宮寺

  • 三種の神器神社結界ダイヤモンド 神宮寺の存在

    西ノ山への仏教的な供養、結界を張ったとしたら移転した楽音寺と共に、六萬寺、薗光寺が、当時、奈良時代において存在した近くの寺院が考えられる。この三寺がトライアングルにて供養と結界を張ったと考えられるものになります。あとは、法通寺、若江寺、薗光寺のトライアングル。そして、逆トライアングルに若江寺、薗光寺、由義寺。このようにも考えられ、仏教的にも供養と結界が配置されたと考えられるのであります。三種の神器神社結界ダイヤモンド神宮寺の存在

  • 「三種の神器ダイヤモンド結界の真相 饒速日命 太田田根子命 素戔嗚命 倭建命 八岐大蛇 石切劔箭神社 若江鏡神社 玉祖神社 神劔神社 御劔神社 花まつり 釈尊降誕会」 第40回 新シリーズ歴史再考

    おそらくは、八尾の由来も、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の八つの尾に由来するのだろう。退治された尾から天叢雲剣(草薙剣)が見つかっている。八尾には劔を冠した神社(素戔嗚命を祀る)が多くあるのも、ヤマタノオロチとの関係を示唆していると言える。そして、天叢雲剣(草薙剣)とヤマトタケルとオオタタネコ・・心合寺山古墳は、ヤマトタケル墳墓説もあり得ると思われるのだが・・更に考究を進めていきたい。「三種の神器ダイヤモンド結界の真相饒速日命太田田根子命素戔嗚命倭建命八岐大蛇石切劔箭神社若江鏡神社玉祖神社神劔神社御劔神社花まつり釈尊降誕会」第40回新シリーズ歴史再考https://youtu.be/q3GeHyEMZYU?feature=shared「三種の神器ダイヤモンド結界の真相饒速日命太田田根子命素戔嗚命倭建命八岐大蛇石切劔箭神社若江鏡神社玉祖神社神劔神社御劔神社花まつり釈尊降誕会」第40回新シリーズ歴史再考

  • 花まつり

    釈尊降誕会花まつり世尊に感謝申し上げます。合掌花まつり

  • 倭武尊の白鳥御陵 志紀

    志紀は、やはり八尾の志紀だ。しかも、まさに神劔神社のすぐそば。つまり、倭武尊の白鳥御陵は、八尾にあってもおかしくはなく、規模的なことから鑑みるならば、心合寺山古墳もありうることになる。西ノ山ももちろん候補にはなるが、、または、神劔神社、御劔神社(老原)の近くに比定できるような大きな古墳がまだあるのかもしれない。倭武尊の白鳥御陵志紀

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