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  • 西ノ山が饒速日命 鳥見山が卑弥呼 帝塚山が素戔嗚命 心合寺山が倭武尊

    倭武尊のお墓は、河内の志紀について、羽曳野市のあたりを比定して白鳥御陵としているが、志紀は八尾南部も含めた八尾市、柏原市、羽曳野市の広い一帯を示す。志記は、信貴山の信貴の可能性もある。海部氏系図では、饒速日命も祖として、倭武尊→大田田根子命となり、存命のままに大田田根子命が産まれたとすれば、八尾にて没したのかもしれない。信貴山の麓から北側にはなるが、規模と時期から心合寺山古墳が倭武尊のお墓とも考えられなくはない。西ノ山が饒速日命鳥見山が卑弥呼帝塚山が素戔嗚命心合寺山が倭武尊か。。西ノ山が饒速日命鳥見山が卑弥呼帝塚山が素戔嗚命心合寺山が倭武尊

  • 饒速日命の墳墓

    灯台下暗し。饒速日命の墳墓はこれで確実に西ノ山に決まった。石切劔箭神社からやはり始めれば良かったわけである。まさかではあったが。。次は、卑弥呼。桜井市鳥見山の宗像神社周辺がかなり怪しい。それと、学園前里山杣木だが、あそこは葛上神社の氏子が管理されてあるところであり、元々は葛上神社があったのも杣木であったのだろう。水神社。葛(九頭)、上(神)、つまり、九頭龍神だ。ならば、関連は倭武尊、素戔嗚命である。しかし、古墳もありそうではある。帝塚山。倭武尊もありうるのかもしれない。西ノ山、饒速日命。鳥見山、卑弥呼。帝塚山、倭武尊。もしこうならマジでやばいな。。饒速日命の墳墓

  • 石切劔箭神社の社家、木積氏

    石切劔箭神社の社家、木積氏は、大田田根子命の子孫であるのが、説とかではなくて、これで間違いなく、明らかなことになるというわけです。海部氏系図に従えば、饒速日命も先祖、倭建命も先祖になります。当然に草薙剣(天叢雲剣)も繋がることになるわけです。つまり、自分の先祖を祀る神社であるということです。奈良時代にこの結界が、饒速日命供養と疫病息災、祟りを鎮めるために、朝廷により秘密裡ながらにも実施されたということであります。もちろん、饒速日命の子孫が祭祀を取り仕切るようになったのも当然であるわけです。石切劔箭神社の社家、木積氏

  • 式内・賀茂神社跡

    次にコロナウイルスのような疫病が流行したら、式内・賀茂神社をちゃんと整備した上で、息災を祈願したほうがよいのカモ。。崇神期、天平期と抑えた実績が少なくともあるということだ。祭神は玉祖神社に合祀されてはいるが、今では草が生い茂った中にある。これはマズイ。。再建も視野に入れないといけないのではなかろうか、、全国の賀茂神社の力を集めれば早いのではあるのだろうが。。式内・賀茂神社跡

  • 中心部が、崇神期の疫病(大物主命の祟り)息災のために大神神社を創始した大田田根子命祭神・出生地の賀茂神社跡

    中心部が、崇神期の疫病(大物主命の祟り)息災のために大神神社を創始した大田田根子命祭神・出生地の賀茂神社跡。これで祟りと疫病封じの結界の根拠が揃いに揃った。西ノ山は、饒速日命墳墓でもう間違いなし。大田田根子命は、海部氏系図では、饒速日命の子孫、父は倭建命。鬼門と裏鬼門を草薙剣にて供養と疫病封じのための結界。出雲口伝では出雲王国は崇神期までに滅ぼされているため、崇神期の疫病は大物主命の祟りと考えられても当然だったのだろう。中心部が、崇神期の疫病(大物主命の祟り)息災のために大神神社を創始した大田田根子命祭神・出生地の賀茂神社跡

  • 中心部は、式内・賀茂神社跡

    中心部は、賀茂神社だ。崇神期に疫病を抑えるために大神神社を創始した大田田根子命が祭神、出生地(古事記)でもある。出雲口伝なら物部第二次東征の八咫烏とされるのだが。これで疫病封じの結界は間違いなしだ。海部氏系図では、大田田根子がヤマトタケルの子。草薙剣(天叢雲剣)の神社がたくさんある理由もなるほどになる。八尾、ヤマノオロチ、素戔嗚命、、なるほどとなる。中心部は、式内・賀茂神社跡

  • 西ノ山が、日本建国の父・0代天皇・饒速日命の最大全長350メートルに及ぶ最古最大級の前方後円墳

    もはやこれは偶然ではなくて、意図的に配置されたとしか考えられない。西ノ山が、日本建国の父・0代天皇・饒速日命の最大全長350メートルに及ぶ最古最大級の前方後円墳。記紀編纂終了→天平の天然痘大流行→朝廷による卜占→饒速日命(西ノ山の墳墓)の祟り→楽音寺全村移転→三種の神器の神社建立で結界(石切劔箭神社で供養)・疫病息災祈願記紀で貶められた饒速日命。世間の噂どおり長屋王も当然に考えられたのではあろうが、朝廷は饒速日命と判断した可能性は極めて高い(卑弥呼ももちろんありうる)。結界の真東(春秋分の日)に位置している六萬寺。聖武天皇勅願・行基開山・本尊薬師如来、745年に創建され、饒速日命の供養を秘密裡に担った可能性が高い。岩瀧山山頂の石組もやはり結界の一つとして建立されたのかもしれない。西ノ山が、日本建国の父・0代天皇・饒速日命の最大全長350メートルに及ぶ最古最大級の前方後円墳

  • 神劔神社(田中井)・御剱神社(老原)と玉祖神社、若江鏡神社、石切劔箭神社。鬼門と裏鬼門に天叢雲剣

    神劔神社(田中井)・御剱神社(老原)と玉祖神社、若江鏡神社、石切劔箭神社。鬼門と裏鬼門に天叢雲剣。西ノ山=饒速日命墳墓であれば、まさに三種の神器で結界を張り、鬼門にて供養したということである。西ノ山の祟り→天平の疫病大流行→結界で封じる全てが繋がる、、神劔神社(田中井)・御剱神社(老原)と玉祖神社、若江鏡神社、石切劔箭神社。鬼門と裏鬼門に天叢雲剣

  • 田井中の神劔神社 裏鬼門

    位置的には、田井中の神劔神社もありえる。西ノ山を繋いでも、鬼門、裏鬼門の位置になるというわけだ。間違いなく結界を張ったんだ、、饒速日命説がますます濃厚になる、、田井中の神劔神社裏鬼門

  • 鬼門と裏鬼門 結界

    とにかく、鬼門と裏鬼門に劔を納め、鬼門を守護する(疫病を防ぐ)。御剱神社(老原)、由来ははっきりしていないようだが、素戔嗚命が祀られているようだ。饒速日命ではないが、劔は、当然に素戔嗚命に由来した三種の神器の劔、草薙剣(天叢雲剣)である。しかし、八尾の由来もやっぱり八岐大蛇になるのか?古墳考古学からだけではなく、記紀、出雲口伝、ホツマツタヱ、、難解に錯綜する古代史文献からも読み解かねばならない、、鬼門と裏鬼門結界

  • 御剱神社 玉祖神社 若江鏡神社 トライアングル

    三種の神器トライアングル。饒速日命を祀る石切劔箭神社の上宮と繋げば、一応、このようになる。また、八尾市老原の御剱神社と、玉祖神社と若江鏡神社とを繋いだら正三角形になる。こちらも意味深だ、、しかし、八尾には御剱神社、たくさんあるな、、モノノフ、物部氏の本拠地だったからか。御剱神社玉祖神社若江鏡神社トライアングル

  • 八尾の御剱神社

    海部氏系図では、大田田根子命は、ニギハヤヒノミコトの子孫で、ヤマトタケルの子となっていたな、、ヤマトタケル。九頭龍退治の伝説、草薙剣。草薙剣は、天叢雲剣、素戔嗚命の八岐大蛇退治。八尾の由来は、ヤマタノオロチか?由緒古い御剱神社(刑部)も八尾にはある。またこんがらがってくる、、八尾の御剱神社

  • 普通の地山の山肌の土と古墳の盛土の違い

    普通の地山の山肌の土の様子。このように山の土の石は割れても当然に角が立つ。しかし、古墳の盛土は異なる。谷川や池、沼からの土砂を盛ると、綺麗なツルツルした小石、それも多様な種類の石が不自然に混じるようになる。もちろん近くから掘り進めるため、周濠が必然とできるのである。西ノ山も花岡山も、不自然に混じる綺麗なツルツルした小石があった。大きな古墳の盛土の特徴である。西ノ山調査1https://youtu.be/zYsuXPc7_V4?feature=shared西ノ山調査2https://youtu.be/Me0l4vAVxIM?feature=shared普通の地山の山肌の土と古墳の盛土の違い

  • 岩瀧山山頂の石組みと鬼面岩

    彼岸中日から2週間。岩瀧山、陽の昇る位置が北へ50メートルほどズレたかな。丁度、鬼面岩のあたりぐらいか。。鬼面岩https://youtu.be/b3BF0eHGb9o?si=ZX1y4bRQ7r4QToya岩瀧山山頂の石組みhttps://youtu.be/QH-YHDwgmt8?si=Zm3iiKhPV50NhEZh岩瀧山山頂の石組みと鬼面岩

  • 三種の神器トライアングルの結界

    要は、西ノ山は、饒速日命墳墓であって、天平の疫病大流行は、記紀において事実を改竄、あるいは抹消して貶めた饒速日命による祟りであるとの亀卜による結果が出たために、全村移転させた上で、三種の神器トライアングルで結界を張って、供養をしたということであります。もちろん、秘密裡に。もしも被葬者が誰かがバレれば、記紀が全てやり直し、御破算となるため、秘密に行い、口伝も残されずに時が経ち、西ノ山は疫病の祟りの原因としての全村移転のことだけが、史実として残ったというわけです。奈良時代から今までも村民は誰一人も住んでいないという事実だけでもかなり凄いものです。三種の神器トライアングルの結界

  • 「生駒山西ろくの劔・玉・鏡の社」 三種の神器トライアングル

    「三種の神器トライアングル」については、元東大阪市文化財課の課長であった原田修さんが、「河内ふるさと文化誌創刊5周年記念わかくす1986秋季号(通巻10号)」に寄稿された『劔・玉・鏡の社』があります。なんと、今から、40年も前になりますね。。「生駒山西ろくの劔・玉・鏡の社」http://ikomakannabi.g1.xrea.com/tsurugi-tama-kagami.html拙生も、この「わかくす」に今ではシリーズで拙稿を発表させて頂いています。今号では「河内・浄土院について」となります。45年も続いているということでもあります。「・・神の山として登場する生駒山の山ろくは、天孫降臨より先に天降ったと伝える饒速日命の末裔、物部氏の本拠であり、中でも日下~石切周辺の地は、早くから中心的勢力の拠点であっ...「生駒山西ろくの劔・玉・鏡の社」三種の神器トライアングル

  • 「三種の神器トライアングルと河内・六萬寺 天平の疫病大流行は、饒速日命の祟りか!?西ノ山の祟りの真相 石切劔箭神社 若江鏡神社 玉祖神社」 第39回 新シリーズ歴史再考

    西ノ山、卑弥呼墳墓説よりも、饒速日命説の方が有力な根拠となるのが、三種の神器神社のトライアングルと考えています。祟りと三種の神器トライアングル。河内・六萬寺の創建の真相についても迫ります。「三種の神器トライアングルと河内・六萬寺天平の疫病大流行は、饒速日命の祟りか!?西ノ山の祟りの真相石切劔箭神社若江鏡神社玉祖神社」第39回新シリーズ歴史再考2025年4月6日https://youtu.be/IWj1VaDvdak?feature=shared「三種の神器トライアングルと河内・六萬寺天平の疫病大流行は、饒速日命の祟りか!?西ノ山の祟りの真相石切劔箭神社若江鏡神社玉祖神社」第39回新シリーズ歴史再考

  • 六萬寺の遺物

    六萬寺に関しては、地名以外に残るものがあまりにも少ない。あとは、金堂跡北東池から出てくる奈良時代の瓦片だけである。本堂にある百万塔三つも関連はあるかもしれないが、、これも金堂跡の発掘調査が入れば、また違ってくるのだろう。六萬寺の遺物

  • 三種の神器トライアングル 石切劔箭神社(饒速日命)、若江鏡神社(饒速日命)、玉祖神社(玉祖命)

    この正三角形、三種の神器トライアングル。石切劔箭神社(饒速日命)、若江鏡神社(饒速日命)、玉祖神社(玉祖命)。まるで饒速日命が正統な皇統だと言わんばかりである。西ノ山が饒速日命の古墳であるならば、意識されてこのように三種の神器で結界を張ったとも言えなくはない。そして、岩瀧山山頂、春秋分の日、太陽の昇る真東にも、何らかの結界を張った可能性がある。そう、あの石組みである。記紀にて饒速日命(あるいは卑弥呼)を貶めた祟りと、天平の疫病大流行における朝廷の亀卜がもしもあったならば、、結界を張ると共に、朝廷が供養を行わせた可能性はもちろん高い。トライアングル真東の線上に位置する六萬寺(聖武天皇勅願・行基開山・本尊薬師如来)が、その役割を担った可能性も否定はできない。もちろん、秘密裏にではあるため、何も根拠となる史料は...三種の神器トライアングル石切劔箭神社(饒速日命)、若江鏡神社(饒速日命)、玉祖神社(玉祖命)

  • 若江鏡神社、往生院から真西の位置

    これまで意識して調べてみなかったが、若江鏡神社、往生院から真西の位置にある。ならば、岩瀧山山頂石組みとの関係もやはりアリとなるか、、春秋分の日に岩瀧山真東から昇った太陽を受ける鏡というわけである。饒速日命を祀る石切劔箭神社と若江鏡神社、そして、玉祖神社の三種の神器の正三角形。もちろん、この中に西ノ山もある。卑弥呼もだが、饒速日命が祀られてある根拠としてもまた十分なものである。若江鏡神社、往生院から真西の位置

  • 若江鏡神社の祭神

    うーん。。若江郡美努となると当然に若江鏡神社の祭神も気になるところである。大伊迦槌火明大神・・つまり、天火明命ということである。もちろん、先代旧事本紀などでは饒速日命とも同一視されている。出雲の大田田根子との繋がりがやはり見受けられるのである。「西ノ山」の饒速日命墳墓説は、若江鏡神社からも言えなくはないということである。つまり、石切劔箭神社(饒速日命)、若江鏡神社(饒速日命)、玉祖神社(櫛明玉命・出雲、大田田根子・出雲)。ふむ・・よく考えたら西ノ山は、三種の神器のトライアングルの中にもあるということである。若江鏡神社の祭神

  • 大田田根子は出雲系? 天孫系?

    メモ・・古事記・・櫛御方命→飯肩巣見命→建甕遺命→意冨多々泥古(大田田根子)海部氏勘注系図・・玉勝山背根子命→伊岐志饒穂命→阿多根命→建飯片隅命(倭建命)→日子坐王(大田田命、大田々根子命)勘注系図では、伊岐志饒穂命(胆杵磯丹穂命)を饒速日命と同一と見ています。そして、父は、大和武命とされているのであります。つまり、大田田根子は、饒速日命の子孫であり、大和武命の子というわけです。大田田根子が、河内(八尾市上ノ島)出身、饒速日命のイカルガダケ・天孫降臨地を十三峠(八尾市神立)としたら、祖先の降り立った地ということになり、饒速日命との繋がりも言えることになるわけです。父は大和武命、母は不明ながら、古事記によれば、当然に河内にいたということになるでしょう。穂積氏祖・忍山宿禰の娘・弟橘媛(おとたちばなひめ)か?玉...大田田根子は出雲系?天孫系?

  • 大物主命・倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)・大田田根子(台与)もありうるか?

    あ、大田田根子は、日本書紀では、大物主命の子ともされているわけである。つまり、大物主命とその妻・倭迹迹日百襲姫命の子であると。古事記では、八尾市上ノ島町南付近で生まれたとされる大田田根子。ならば、当然に、大物主命と倭迹迹日百襲姫命が、八尾市上ノ島町南付近に居住していたとも言えなくはないわけである。つまり、「西ノ山」は、最初期最大の前方後円墳であるとして、その候補としては、出雲王国の王である大物主命(国譲りした後に河内に隠棲していた)のお墓、大物主命の妻・倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)のお墓、その二人の子・大田田根子(台与)と、いずれもあり得なくはないということである。マジか・・・・崇神天皇の時の疫病は、結局のところ、出雲神による祟りとして、大田田根子が大物主命を大神神社に祀ることで解決することにはなるが、実際...大物主命・倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)・大田田根子(台与)もありうるか?

  • 倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼、大田田根子が台与?

    崇神天皇の時の疫病は、結局のところ、出雲神による祟りとして、大田田根子が大物主命を大神神社に祀ることで解決することにはなるが、実際は、出雲口伝のように大物主命と事代主命を殺し、出雲王国を虐殺したことによる祟りと、時の権力者側は判断したのではないだろうかと考えられるのである。このように、祟りがあると恐れられる出来事があり、疫病が流行ると、それが原因であるとして、鎮魂・供養して鎮めようとするという流れが見えてくるところとなる。さて・・別の角度からも考えてみるが、崇神天皇の時代ではあるが、魏志倭人伝では、150-200年頃、倭国大乱があったとされている時期と被るとも考えられる。要は、武埴安彦の反乱があり、崇神天皇が四道将軍を各地に派遣した時期ということである。この大乱と疫病を終息させるのに活躍したのが、倭迹迹日...倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼、大田田根子が台与?

  • 八尾市上尾町・賀茂(鴨)神社跡・祭神大田田根子・大田田根子の出生地

    八尾市上尾町に賀茂(鴨)神社跡があり、大田田根子の出生地に比定されており、やはり、祭神は大田田根子であったと伝わっていたようで、現在は、玉祖神社に合祀されている。出雲口伝の太田タネヒコの出雲系賀茂(鴨)族とも合致する話である。記紀と出雲口伝が交差する。そして、出雲系賀茂族の物部氏(八尾が本拠地)へと繋がるのである。八尾市上尾町・賀茂(鴨)神社跡・祭神大田田根子・大田田根子の出生地

  • オオタ(太田)タネヒコと大田田根子

    ここから。(太田)オオタタネヒコのことが出てきます。出雲口伝では、八咫烏がこのオオタタネヒコ(鴨族)とされます。https://youtu.be/X61oLTJUN3I?feature=shared&t=728但し、(太田)オオタタネヒコは、記紀では、大田田根子。昨日に拙生の動画でも取り上げた八尾市上之島町南出身ともされている出雲王国の子孫・大田田根子です。ホツマツタヱの編纂者とも考えられています。記紀、出雲口伝、ホツマツタヱ・・交錯する文献資料を読み解きながら、伝承も頼りに史実を探求していかなければならないのであります。「西ノ山」への違和感から始まった今回の調査・研究。次は、本命視している桜井市の鳥見山・宗像神社周辺へ。オオタ(太田)タネヒコと大田田根子

  • チベット族と日本人が似ているのは、同じドラヴィダ族系

    ドラヴィダ族が出雲族のルーツ。争いを好まない温和な民族。チベット族と日本人が似ているのは、同じドラヴィダ族系もあるからであります。しかし、やがては大和へと侵略支配を目論む大陸徐福系出雲により攻められることになるのであります。チベット族と日本人が似ているのは、同じドラヴィダ族系

  • 【神話は史実がベースか】もうひとつの長髄彦の物語と彼の墳墓へ

    隊長、今回は出雲口伝ど真ん中だ。しかもわかりやすい。隊長による饒速日命のことから、すぐ近くにある西ノ山にまで不思議にも巡りついた。古墳時代最初期、最大の前方後円墳。卑弥呼の墳墓か、饒速日命の墳墓か、出雲系王族の墳墓か、大田田根子の墳墓か、三野県主・美努連系の墳墓か、、西ノ山の調査が進めば、古代日本史の解明に繋がるヒントがあるのは確実である。【神話は史実がベースか】もうひとつの長髄彦の物語と彼の墳墓へ【神話は史実がベースか】もうひとつの長髄彦の物語と彼の墳墓へ

  • 「天平の疫病大流行は、卑弥呼の祟りか!? 西ノ山の祟り伝説から、その真相を考える 饒速日命説、大田田根子説も 角凝魂命 御野縣主 美努連」 第38回 新シリーズ歴史再考

    745年創建の河内・六萬寺(東大阪市六万寺町)にも関連する天平の疫病大流行。(聖武天皇勅願、行基開基、本尊薬師如来)楽音寺村、全村移転の西ノ山の祟りの真相に迫る。西ノ山、卑弥呼墳墓説、饒速日命墳墓説。八尾出身が古事記に記されてある、大神神社創始の、出雲神・大物主命の子孫・大田田根子との関係も。八尾は、出雲王国とも関わりが深くあったのは事実。やがては、物部氏の本拠地にもなる。卑弥呼、饒速日命、空白の四世紀。全てを解く鍵が、西ノ山にはあるのかもしれない。「天平の疫病大流行は、卑弥呼の祟りか!?西ノ山の祟り伝説から、その真相を考える饒速日命説、大田田根子説も角凝魂命御野縣主美努連」第38回新シリーズ歴史再考2025年4月4日https://youtu.be/JDxMGCJraXg?feature=shared「天平の疫病大流行は、卑弥呼の祟りか!?西ノ山の祟り伝説から、その真相を考える饒速日命説、大田田根子説も角凝魂命御野縣主美努連」第38回新シリーズ歴史再考

  • 今の神感寺さんの正午定時の鐘の音

    https://youtu.be/Me0l4vAVxIM?feature=shared&t=893この開始のところから、今の神感寺さんの正午定時の鐘の音が聴こえる。鳴川谷の頂上付近にあるため、直線で3㎞以上。しかも山の中にあるお寺だ。でもかなり分かるレベルで聴こえてきた。うちの鐘も半径2㎞ぐらいまではこれぐらいに響いているのだろうか、、朝夕、私が梵鐘勤行して撞いており、自分で聴くことがあまりないので分からないが、、しかし、結構聴いている方がいるとしたら、2、3分ずれてたら、あ、今日は遅刻とか思われているのかもしれない、、今の神感寺さんの正午定時の鐘の音

  • 改めて西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)の周濠跡を考えると、やはり前方部の池の深さまでは元々周濠があったと考えられる

    改めて西ノ山の周濠跡を考えると、やはり前方部の池の深さまでは元々周濠があったと考えられ、東側からの土砂の流入により相当埋まってあると考えられるわけです。もちろん西ノ山自体からも崩れてきた土砂も含めて。しかし、そのために、当時のものがそのままに埋まってある可能性も極めて高いものとなります。造り出しも含めて。円墳部、方墳部にも更に埋葬者、副葬品があることも十分に考えられ、古墳時代初期〜前期を解明するものも多くあることでしょう。西ノ山全体が発掘調査されることに期待したいですね。改めて西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)の周濠跡を考えると、やはり前方部の池の深さまでは元々周濠があったと考えられる

  • 「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」 毎月ついたち開催 次回、日時:令和7年5月1日(木)午前8時半から1時間

    「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」毎月ついたち開催次回、日時:令和7年5月1日(木)午前8時半から1時間会場:大阪市北区堂島浜・堂島浜タワー16F「WowUs」(ワオアス)https://wow-us.jp/会場の様子・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/94829987.html大阪メトロ・京阪電鉄「淀屋橋駅」7番出口から徒歩約6分定員:20名・要事前申し込み(※定員になり次第、締め切ります)お布施:お一人2,000円体験参加申し込みは、下記メールアドレスまでご連絡下さい。申し込みメール先oujyouin@gmail.comまで令和7年2月から、「WowUs」にて毎月1回、毎月1日、朝一に一緒に一坐、一時間の坐禅会を開催します(但し元旦は除く)...「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」毎月ついたち開催次回、日時:令和7年5月1日(木)午前8時半から1時間

  • 開始 44:10 現在の花岡山の頂上・円墳部北側で発見した土器片 西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)

    開始44:10現在の花岡山の頂上・円墳部北側で発見した土器片これは墳丘に祀られたていたと思われる埴輪か何かの一部(ツノのような)の割れたものであった。これで未調査の陪塚であると確信した。西ノ山に関連する古墳であるのは間違いなく、被葬者を探るためのヒントがある可能性も極めて高い。https://youtu.be/Me0l4vAVxIM?feature=shared&t=2648開始44:10現在の花岡山の頂上・円墳部北側で発見した土器片西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)

  • 西ノ山(大阪府八尾市)に卑弥呼、あるいは饒速日命の古墳説が有力になるとは、全く思ってもいなかったのだが

    さて、西ノ山(大阪府八尾市)に卑弥呼、あるいは饒速日命の古墳説が有力になるとは、全く思ってもいなかったのだが、とにかく、次は桜井市の鳥見山山麓の宗像神社周辺。こちらが実は本命と見ていたのだが、、形状、周濠、盛土、土器片、埴輪片と特徴が見られるかどうかである。自分の目で見て調べるのが、とにかく一番大事となります。西ノ山(大阪府八尾市)に卑弥呼、あるいは饒速日命の古墳説が有力になるとは、全く思ってもいなかったのだが

  • 西ノ山(大阪府八尾市)は、吉備王国最大の古墳・造山古墳と瓜二つ?

    造山古墳。吉備王国最大の古墳。全国4番目の大きさ。まさに想定した西ノ山(大阪府八尾市)と瓜二つ、ほぼ同じ大きさである。つまり、明らかに造成時期の早い西ノ山を模して造られたのが、造山古墳ということである。要は、吉備王国が、大和王国の最初期最大の古墳を真似て模したのである。これで大和初代王、0代天皇、饒速日命説も、卑弥呼説も尚更により有力となった。https://images.app.goo.gl/kc3jeDSZBhmwWT7k6西ノ山(大阪府八尾市)は、吉備王国最大の古墳・造山古墳と瓜二つ?

  • 西ノ山(大阪府八尾市)は、卑弥呼のお墓か? 饒速日命のお墓か?

    八尾市へ報告はいたしましたので、あとは正式な調査が行われるかどうかとなります。円墳部径150メートルは、魏志倭人伝の示す通りでもあり、卑弥呼のお墓としても考えられ、全長350メートルと、本当に綺麗な形に計算されてあるわけです。強烈な祟りがあるのは、卑弥呼の霊力、100人に及ぶ殉死者も眠ってあることからであるかもしれません。であるからこそ、今日まで市街地近くにもかかわらず、形がある程度まで残ったのでしょう。大和ではなく、ここが選ばれたのは、故郷、九州方向の西の海が臨める好立地にあったということであるのでしょう。卑弥呼説の可能性はあるということになります。また、神立という地名から饒速日命の天孫降臨(上陸地)、イカルガダケは、十三峠であった可能性ももちろんあり得ます。十三峠〜平群〜斑鳩へは、河内と大和を繋ぐ最短...西ノ山(大阪府八尾市)は、卑弥呼のお墓か?饒速日命のお墓か?

  • 「山全体が巨大な前方後円墳か!?西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)周濠の確認 西の山 西ノ山古墳 花岡山 大光寺 饒速日命 卑弥呼 角凝魂命 御野縣主 三野縣主 美努連」

    お昼から西ノ山の周濠の確認と花岡山(現在)の調査に行ってきました。花岡山では埴輪の破片らしきものも確認しました。やはり陪塚が濃厚です。西ノ山と花岡山の調査につきましては、八尾市立歴史民俗資料館から八尾市観光文化財課へと報告させて頂きました。とにかく西ノ山の調査は、これが一般個人のできる限界でもあります。あとは公式の行政による公的な調査が待たれるところとなります。「山全体が巨大な前方後円墳か!?西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)周濠の確認西の山西ノ山古墳花岡山大光寺饒速日命卑弥呼角凝魂命御野縣主三野縣主美努連」第37回新シリーズ歴史再考2025年4月2日https://youtu.be/Me0l4vAVxIM?feature=shared「山全体が巨大な前方後円墳か!?西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)周濠の確認西の山西ノ山古墳花岡山大光寺饒速日命卑弥呼角凝魂命御野縣主三野縣主美努連」

  • 瓢箪山駅・楠木正行公墓の案内碑

    今日はせっかく瓢箪山駅を利用したので、改めて楠木正行公墓の案内碑を撮影してきた。大正4年に、初代の中村鴈治郎さんにより、御大典記念として建立されている。大正天皇の即位に合わせてということである。瓢箪山駅・楠木正行公墓の案内碑

  • 西ノ山古墳の時代考証

    桜井市の専門家から頂いてある桜井茶臼山古墳、箸墓古墳などの調査報告書の資料を分析して、西ノ山古墳の時代考証をするのだが、西ノ山古墳の150年前の出土品が散逸してあるのと、当時の石棺、木棺の状態も全く分からないため、2-3世紀の可能性もあれば、3-4世紀の可能性もある。しかし、いずれにしても周濠跡を鑑みれば、最長350メートル、最初期、最大の前方後円墳であるのはほぼ確実である。気になるのは、円墳上部へりにあった粘土槨(ねんどかく)と思わしきものである。埴輪の一部かもしれないが、あれが粘土槨ならば、どのようにあったのか次第で、年代が分かるヒントになる。いずれにしても、竪穴式石棺の再調査と、更なる埋葬者の確認、副葬品の確認、出土等によらないと難しいのは難しい。もう一つは、未調査陪塚と思われる現在の花岡山である。...西ノ山古墳の時代考証

  • 西ノ山古墳(大阪府八尾市)の埋葬者はいったい誰か? 饒速日命? 卑弥呼?の可能性も

    お彼岸が終わったら、桜井市の鳥見山・宗像神社周辺域の調査へとすぐに向かう予定でしたが、思わぬところで足止めに・・次回にもう一度、西ノ山(八尾市楽音寺)の周濠跡を調査してから、桜井市、学園前・帝塚山の方へと行こうと思います。できたら奈良の調査は一日で廻って全て終えたいところです。しかし、西ノ山、饒速日命説も根拠が整いつつにあります。天孫降臨地、イカルガダケは、当然に斑鳩に近い生駒山系になるわけです。ならば、その峠は十三峠が考えられることになります、更に地名が「神立」(こうだち)。また、九州から来た天孫族系となれば、故郷、海、西を拝むには河内の山麓は絶好の条件になるわけです。大和は盆地であり、西の海は拝めないのであります・・もちろん、九州から大和へと東遷した卑弥呼もその候補になり得ます。全村移転させたほどの強...西ノ山古墳(大阪府八尾市)の埋葬者はいったい誰か?饒速日命?卑弥呼?の可能性も

  • 「坐禅会・大阪・ 一坐会・堂島浜タワー 16F・ WowUs にて 2025年4月1日・5/1、6/1、7/1、8/1、9/1と続きます

    「坐禅会・大阪・一坐会・堂島浜タワー16F・WowUsにて2025年4月1日https://youtu.be/yr_okgsGxJw?feature=shared・・「坐禅体験・大阪・一坐会・定例会」毎月ついたち開催5/1、6/1、7/1、8/1、9/1と続きます次回日時:令和7年5月1日午前8時半から1時間「坐禅会・大阪・一坐会・堂島浜タワー16F・WowUsにて2025年4月1日・5/1、6/1、7/1、8/1、9/1と続きます

  • 4/1・ついたち・一坐会・坐禅会

    今日はついたち、一坐会・坐禅会。新年度初日だけに人数は少なかったですね。しかし、改めて坐禅をするには良い機会であり、私自身もこれまでサボりまくっていた坐禅をしっかりと努める有り難い機縁になっています。次回は5/1になります。4/1・ついたち・一坐会・坐禅会

  • 西ノ山古墳(大阪府八尾市)の被葬者は・・角凝魂命や饒速日命、卑弥呼もあり得なくはない

    よく見返したら東側に造り出し部もあるような感じであり、やはり、全体が周濠で包まれているようである。一部は災害による土砂流入や耕作地で形状が変わってはいるが、周濠の規模を考えたら、全長は350メートルになると思われる。日本3〜4番目の大きな前方後円墳でほぼ間違いはないかと。ならば、被葬者はかなりな人物になる。最初期最大の前方後円墳。天角凝魂命や饒速日命、卑弥呼もあり得なくはない。饒速日命の本命は、桜井市鳥見山麓付近か、学園前帝塚山付近が有力かと考えていたが、まさかこのすぐ近くが有力地になるとは思ってもみなかった、、神立という地名からイカルガダケがここであってもまったくおかしくない。十三峠は、平群、斑鳩と通じる最短となる。まさかのまさかではあるが、、西ノ山古墳(大阪府八尾市)の被葬者は・・角凝魂命や饒速日命、卑弥呼もあり得なくはない

  • 「巨大な前方後円墳か!? 西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)再調査 西の山 西ノ山古墳 楽音寺墓地 花岡山 心合寺山古墳」 第36回 新シリーズ歴史再考 2025年3月31日

    楽音寺墓地にて、しっかりと読経供養をしてから調査に入りました。円墳頂上まで行きましたが、藪が酷く、石棺の正確な位置まで確認できませんでした。ただ、円墳へりで石棺を覆っていた粘土槨(ねんどかく)の一部らしいものを確認しました。いずれにしてもやはり山全体が、整えられた盛り土であり、大きな前方後円墳であるとの強い印象を受けました。最大最長350メートルとなれば、全国5位以内となります。とにかく正式な調査が必要と考えます。「巨大な前方後円墳か!?西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)再調査西の山西ノ山古墳楽音寺墓地花岡山心合寺山古墳」第36回新シリーズ歴史再考2025年3月31日https://youtu.be/zYsuXPc7_V4?feature=shared「巨大な前方後円墳か!?西ノ山(大阪府八尾市楽音寺)再調査西の山西ノ山古墳楽音寺墓地花岡山心合寺山古墳」第36回新シリーズ歴史再考2025年3月31日

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