昭和46年七月場所から横綱・大関との対戦 圏外の好成績者の扱いに新たな規定が実施 された。幕内中位以下の好成績者は今後横綱・ 大関と対戦させることができるようになった。 そのためすれ違いの優勝争いはか
大横綱白鵬に意外な記録がある。デビュー 場所の序ノ口で3勝4敗と負け越している のだ。昭和以降の横綱では常ノ花の2勝3敗、 吉葉山の2勝5敗、初代若乃花2勝3敗に 続く序ノ口負け越しである。白鵬はこの
大関は横綱に次ぐ地位に見える。それはあく まで番付上のことで、実績は天と地ほど違う。 大正15年優勝制度がスタートした。それ以来 今年(2021年)の九月場所の横綱照ノ富士の 優勝まで472場所経過し
昭和43年から昭和46年五月場所までのすれ 違いの優勝争いをみていこう。なぜ五月場所 までなのか。それはここを境としてある規定 が施行されたからである。それについては 次回ふれていこう。 昭和43年三
大鵬は昭和42年十一月場所から5場所連続 休場した。巡業で泥にまみれ再起をはかった 大鵬は昭和43年九月場所の土俵にあがった。 初日栃東に敗れ、不安のスタートとなったが、 このあと45連勝した。それも
優勝回数は場所数に左右される。年2場所制 で12回優勝することと年6場所で32回優勝 することはどっちが上か。チャンスが3倍に 増えるわけだから、双葉山は年6場所制なら 36回優勝できた、という方がい
昭和33年、年6場所制がスタートした。昭和 33年から42年までの優勝力士対次点力士戦が 皆無は以下である。番付差による対戦なしが 相変わらず目立つ。昭和40年から部屋別総 あたり制が始まり、同系統と
昭和41年から42年にかけて大鵬が第二次6連 覇を達成した。優勝回数では19回目から26回 目へ伸ばした時期である。新しい力として 北の 冨士、玉乃島、琴櫻が台頭してきた。 昭和41年一月場所、北の冨
横綱は常に優勝を争うべき立場である。それ では横綱の責任勝ち星は何勝か。最低12勝で あろう。大関で何場所11勝を続けても横綱 にはなれない。また、北の富士は横綱で4場 所連続11勝したらイレブン横綱
昭和21年秋場所を開催したが、メモリアル ホール(旧両国国技館)の入りは芳しくなか った。協会は人気回復のために報道陣に意見 を求めた。彼らはまず、好取組が増える系統 別総あたりの復活を提案した。協会
昭和39年から40年、大鵬が23歳から25歳の ときである。優勝でいうと12回目から18回目 を成した時期である。昭和40年から時津風 (元双葉山)理事長の英断によって部屋別 総あたり制がスタートした
2022年土俵の目撃者カレンダーをお届けします。 今年も残り2カ月余りとなりました。 興味深いテーマをこれからもお届けします。 当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします
品格力量抜群につき横綱に推挙する。品格は 定義されていない。それでは力量抜群とは どれくらいの力量になるのだろうか。時代を 築けるほどの力量なら文句は出まい。なに しろ横審が誕生以降も弱い横綱、物足り
昭和7年春秋園事件が勃発し、力士の大量 離脱がおきた。残った幕内力士では足りなく、 十両から繰り上げ入幕した。だが、取組は 東西制では無理があったため、系統別総あた り制となった。これによって優勝者と
昭和37年~38年にかけて大鵬は第一次6連覇 を達成している。柏戸は休場が多い時期で、 大鵬時代がゆるぎないものになった。 昭和37年三月場所、若羽黒は優勝同点力士 大鵬に勝ちながら殊勲賞の受賞とはい
横綱は休場しても地位が落ちないというまこ とに不思議な地位である。特に負けが込むと 休場する傾向がある。また連続不成績後の 休場も珍しくない。つまり横綱に休場はつき 物である。そこで連続横綱フル出場の
九月場所優勝した横綱照ノ富士と次点前頭 10枚目妙義龍・前頭11枚目遠藤との直接対決 はついになかった。いうなればすれ違いの 優勝争いだったわけである。それだけに盛り 上がっているようで、どこかしっく
昭和35年は栃若時代の終焉を迎えた年であっ た。五月場所栃錦が初日、2日目に連敗する とあっさり引退した。若乃花は九月場所が 最後の優勝となった。また、昭和35年は大鵬 が一月場所新入幕して大きな話題
横綱大鵬は晩年、横綱になって間もない北の 富士、玉の海の全勝優勝を阻止してきた。 「先輩横綱は苦労して全勝優勝を達成して きた。それを横綱になりたてにやられてたま るか」そこには意地があった。結局北の
2代目若乃花はその素質・素材は大きな期待 をもたれた逸材だった。元安藝ノ海の永田氏 は「北の富士級の横綱になれる」と見ていた。 実際は4回の優勝で、なんとなく低空飛行で 終わった感が強い。だが、2代目
勝利数となると数がものをいうだけに6場所 制力士の独断場である。横綱の代でいえば 大鵬以降になる。6場所制の申し子大鵬が 引退したとき、その記録は当分破られない、 と思われた。後にメディアで話題になっ
2017年に殊勲賞の中身を5回掲載した。その 続編を久々に発表することにした。前回昭和 32年までだったので、今回は昭和33年からの スタートになる。この年から年6場所制が 始まった。若乃花が横綱に昇
かつて相撲専門誌の展望号には優勝力士一覧 が掲載されていた。それは明治42年夏場所の 国技館開設以降からであった。史実は時事 新報社が幕内最高成績の力士の優勝額を国技 館に掲げる制度だった。幕内最高成
2021年十一月場所のチケット一般発売の10月 2日から1週間が経過した。大相撲ファン クラブ会員にはすでに9月13日から先行予約 販売がされていた。当初一般発売は九月場所 七日目の9月18日だった。
連勝。それは選ばれし強豪にしかできない 途方もない偉業である。常陸山も栃木山も 羽黒山も北の湖も貴乃花も朝青龍も連勝には 無縁あるいは30台連勝だった。栃木山の時代 は対戦相手が休場すると自分の星取表
十両の阿炎が13勝2敗の十両優勝で幕内復帰 を決定的にした。阿炎といえば2020年七月 場所、途中休場し、その後3場所出場停止と なった。理由は外出禁止期間に数回キャバ クラ通いした上に、虚偽の報告と
年間最多勝。それは野球のホームラン王の ように勝ち星が多い力士に輝く栄光である。 したがって例外はあるにせよ休場はマイナス に働く。大正15年にスタートした優勝制度 以降年間最多勝はけんか玉の玉錦5回
白鵬引退報道から1週間が経過した。土俵 生活20年と5場所、白鵬は数々の偉大な功績 を築いてきた。記録の価値判断は人それぞれ であるが、ここでは独断と偏見で選ばせて いただいた。第1回は誰もが知る数字
九月場所の優勝候補は照ノ富士しかいなく、 その通り照ノ富士が優勝した。きたる十一月 場所も状況は変わらない。妙義龍が優勝争い をしたからといって、上位と連日対戦する 地位で優勝争いに再び加わるとは考え
10月2日午後1時琴勇輝の引退相撲がおこな われた。コロナ禍初の引退相撲となった。 観客はいれず、関係者を中心とした興行だっ た。その関係者に相撲仲間がいた。彼から 写真数枚とメモが送られてきた。その
白鵬の引退および間垣襲名が条件付で理事会 において承認された。条件とは誓約書の署名 であるのだから異例のことである。その誓約 書の内容は明文化すると以下である。 1.新人の親方として、理事長をはじめ先
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2日目、愛知の相撲仲間と出会った。彼から様々な情報を得ることができた。2日目は客足が早かった。理由は炎鵬が序ノ口に登場するからである。応援空しく敗れたという。首はこわい。体が不自由になる恐れがあった木
七月場所が始まった。初日は幸い危険な猛暑とはいかず、霧雨がいくぶんあったほどであった。 先場所優勝した大の里は新関脇として登場した。対戦相手は番付を成績以上に大きくアップ下御嶽海である。御嶽海はここの
土俵の目撃者をいつもご愛読いただき誠にありがとうございます。足を使い、この目で見た生の大相撲をお届けするために、七月場所の初日から千秋楽まで愛知県体育館で観戦します。 <七月場所の案内> 名古屋で観戦
14日から酷暑の七月場所が始まる。第2日曜として最も遅い日になった。そのためオリンピックと重なる日が出てくる珍しい興行となった。あくまで予定だが、愛知県体育館が会場となるのは今年が最後である。 <大の
■難敵引き続き3人目以降の難敵をみていこう。 11(××〇×××)10高安かなり接近した対戦成績である。貴景勝が初優勝したときははずみで負けている。もつれると貴景勝は危ない。 1(××××〇●)1平戸
令和元年は五月場所から始まり、現在30場所を経過した。令和2年に1場所中止になっている。開催したものの無観客が1場所ある。また13時入場の場所もあった。 令和の関脇以下の優勝力士キラーは誰か。ただし、
■三賞獲得9回 鶴竜 殊2・技7鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願をしたため日本語がわかる教授に翻訳してもらい、それを日本相撲振興会に送った。受け取った会長は会員と相談後井筒(元逆鉾)に託して入門が
貴景勝は3場所連続休場中である。三月場所角番だったが、七月場所再び角番である。こうした状況は貴景勝の角番が容易ならざるものにしている。貴景勝の具体的な対戦相手から角番脱出がなるか、検討してみよう。 ■
先場所優勝した大の里。場合によっては七月場所の成績・相撲内容次第では大関もあり得る。実現したら入幕5場所目に大関という年6場所制では驚異の記録になる。 これは大の里がすごいのか。筆者は長年大相撲をみて
■三賞獲得9回今回取り上げる力士は偶然横綱までいった方々である。 旭富士 殊2・敢2・技5立浪(元安念山=2代目羽黒山)部屋の分家大島(元旭國)部屋出身。近大に進学したが、2年のとき中退。柔軟な体で津
大関の座を開け渡した霧島が復帰にむけて始動している。首の痛みが引き、優勝を目指すつもりで10勝以上をあげるという。大関から落ちた直後の場所、10勝以上で復帰できる規定によるものである。 6場所制ととも
照ノ富士の一人横綱が続いている。照ノ富士が新横綱のとき白鵬はコロナ部屋ごと休場だった。場所後引退した。照ノ富士の一人横綱は番付上きたる七月場所で17場所に及ぶ。その照ノ富士は休場がちである。すでに晩年
■三賞獲得9回 大麒麟 殊5・技4体が柔軟でもろざしから吊り。うっちゃりもあった。四つは右四つで素質・素材はすばらしかった。ここ一番に弱く大関のチャンスを2度逃し、3度目で手中にした。優勝はついになか
プロレスの本を読んでいると、相撲につながる知られざる面が多々ある。本は闘魂と王道というタイトルで副題として昭和プロレスの16年戦争としている。著者は堀江ガンツ氏で株式会社ワニブックスより発行された。5
7月に入って、七月場所の番付が発表された。1横綱3大関と寂しくなった。先場所優勝した大の里は新関脇となった。入幕から4場所目のことであるから驚異の新人である。 <大の里(右)> 平戸海が小結に昇進した
阿炎阿炎が優勝したのは2022年十一月場所である。優勝決定巴戦を制しての結果であった。その後の阿炎は73勝62敗である。大関戦は8勝10敗である。負け越しは1場所しかない。阿炎としてはよくやっている、
■三賞獲得8回引き続き三賞8回獲得者をみていこう。 黒姫山 殊4・敢3・技1幕下にいる黒姫山の祖父である。立ち合いの強烈なぶちかましからの突き押しでD51と呼ばれた。再入幕2場所目に敢闘賞を受賞した。
照ノ富士混迷の時代、照ノ富士は3回優勝している。7回目、8回目、9回目の優勝である。それだけ聞くとよくやっていると思いがちだが、つぶさに検討すると、そうはいかない。7回目の優勝後の成績は58勝25敗9
三賞が実施されたのは昭和22年秋場所であった。相撲人気の低迷脱出に記者クラブと相撲協会が考案した。ファンにも力士にも好評であった。優勝はどうしても限られた者、選ばれし者になってしまう。三賞なら誰にでも
混迷の時代は2022年一月場所から始まった。誰が優勝するか場所前から予想できない。ときには思いがけない力士が優勝したりする。混迷の時代の優勝者はその時はヒーローである。しかし、その後はどうしているのか