3月31日、番付編成会議および臨時理事会で 照ノ富士の大関復帰が正式に決定した。協会 から高島(元高望山)と浅香山(元魁皇)が 使者として江東区毛利1-7-4(いなし) の伊勢ヶ濱部屋へ向かった。使者
横綱審議委員会で何が話され、発表される のか注目していた。いまや横綱といっても 白鵬一人である。年齢は36歳で現在5場所 連続休場中。五月場所の休場も明言している。 横綱審議委員会は昨年の十一月場所後
★鶴竜が場所中引退を表明したが あまりにも遅すぎた。ようやく引退したか という印象である。横綱は休場しても地位は 落ちないが、同時に横綱の責任を果たさなけ ればならない立場である。鶴竜に後者は無理 に
千秋楽は見所の多い日となった。関脇隆の勝、 小結御嶽海・大栄翔が7勝7敗で千秋楽を 迎えたのである。ただし対戦相手は幕内中位 から下位の力士である。隆の勝には栃ノ心、 御嶽海には逸ノ城、大栄翔には明瀬
3敗高安の14日目の平幕の対戦相手は誰に なるかと思ったが、翔猿になった。動き回る だけにいやな相手、取りづらい相手かもしれ ない。だが、一緒に動き回るおろかさは13日 目の若隆景戦で学んだはずだ。が
2敗トップの高安は伏兵若隆景と対戦した。 若隆景は8勝4敗と2大関を倒して勝ち越し を決めている。 相撲は、あたり合って突き合い。高安、若隆 景の頭を抑えてのはたき。若隆景こらえて 両者押し合い。若隆
優勝戦線トップ2敗の高安は北勝富士と対戦 した。 7(●××○●○)7北勝富士 五分の成績である。北勝富士はここまで7勝 4敗と勝ち越し目前である。どちらが先手を 取って攻められるか、勝負のポイントは
横綱鶴竜が突如引退した。鶴竜は場所前まだ 気持ちが切れていないので次取りたい、と 語っていた。それが一転しての引退だった。 5場所連続休場。35歳という年齢とともに 誰の目にも限界だった。再起はありえ
★優勝は 1敗高安は大関貴景勝戦が山場であった。 両者あたり合って激しい突き合い押し合いに なった。高安が左に回り込んでの突き合いで 貴景勝をやや後退させる。再び突き合い。 探りあいとなって両者動きが
先場所優勝の大栄翔が調子をあげてきた。 本来の押し相撲が戻ってきた。9日目の対戦 相手は大関正代であった。相撲は真っ向から あたって一気の押し、のど輪で攻め立てその まま押し出してしまった。8日目の朝
東京はあいにく1日中雨だった。両国に着く と風が強く、係の方が、幟が倒れるかもしれ ませんので、離れて歩いてください、と叫ん でいた。観客は13時に入場。三段目の取組が 始まっていた。時間の経過ととも
三役1敗組4力士は7日目で明暗を分けた。 まず隆の勝は先場所負けている大栄翔と対戦 した。相撲は、大栄翔の真っ向からの突き 押しに隆の勝はなすべなく、土俵を割った。 着実に力をつけ、スキのない相撲を取
全勝妙義龍が北勝富士に敗れ1敗となった。 もっとも白鵬が休場したため、前頭西4枚目 の妙義龍までが大関との対戦圏内になる。 妙義龍はこれから3大関・2関脇と対戦して いくことになる。明日7日目の対戦相
大関の負けぬ日はなし大相撲。まず正代は 若隆景と対戦した。正代は圧力をかけて若隆 景を土俵に追いこんんで上手を取った。投げ にでもいこうと思ったのか、呼び込む形と なった。若隆景はつけいって一気に東土
三月場所後、横綱審議委員会が開かれること になった。昨年十一月場所後、白鵬・鶴竜の 両横綱に注意が与えられた。それにもかか わらず、一月場所・三月場所ともに休場し 続けた。カエルの面に何とやらである。
2連勝していた白鵬が突然休場した。右膝蓋 大腿関節軟骨損傷および関節水腫で手術を することになった。手術後はリハリビが必要 なため、五月場所は休場して、七月場所に 進退をかけることになる、という。白鵬
2日目の国技館はけっこう空席が目立った。 イス席はいうまでもないが、マス席C、マス 席Bがブロックで空いていた。そういえば 3日目から千秋楽までチケットはまだ購入 できる状況である。 <空席> 相撲は
白鵬が久々に土俵に復帰した。しかし、初日 早々いやな相手と組まれた。先場所の優勝者 であり、押し相撲の大栄翔である。結びの 一番、比較的近くで見る白鵬は肌のはりは 見られず、筋肉は躍動していなく、いか
鶴竜がまたまた休場を決め込んだ。そもそも 一月場所を全休することは即引退を意味して いた。それに輪をかけて三月場所も休場だと いう。北の富士さんは一月場所全休した鶴竜 に対して、鶴竜は案外したたかかも
横綱鶴竜が早々と休場を決め込んだ。鶴竜は まだ気持ちが切れていないので次取りたい、 と語ったという。一月場所に続いて怠慢休場 を続けるのだから、白けるばかりである。 鶴竜には横綱の宿命がわかっていない
引き続き大関復帰をかける照ノ富士の15番 勝負をみていこう。 4(××××××)8鶴竜 対戦成績には優勝決定戦が含まれている。 最後の対戦は2017年三月場所、稀勢の里が 新横綱で優勝した場所である。
平成12年三月場所。横綱陣は、曙が12勝、 貴乃花・武蔵丸が11勝、若乃花が場所中引退 した。大関陣は、出島が11勝、千代大海が 8勝、貴ノ浪は7勝と負け越した。優勝は 幕尻の貴闘力であった。3横綱3
三月場所は照ノ富士が大関復帰をかける場所 になる。ここまで13勝-11勝とハイレベルな 成績をあげてきただけに、絶好のチャンスで ある。そこで、照ノ富士と戦う対戦相手との 戦いを分析してみることにした
平成に入って関脇・小結全員が最初に勝ち 越したのは平成元年十一月場所であった。 この場所横綱陣は、千代の富士が13勝、北勝 海が11勝、大乃国は全休であった。大関陣は、 小錦が14勝で初優勝した。旭富
両横綱の休場が続いている。そんなときこそ 大関は優勝のチャンスと思いがちだが、印象 は薄い。ここ3年1場所、つまり平成30年 以降、全横綱の休場が9場所あった。その うち大関が優勝したのは令和2年十一
昭和40年代2回目の関脇・小結全員勝ち越し は、昭和44年三月場所であった。この場所は 横綱大鵬の連勝記録が誤審でストップする というとんでもない場所であった。ショック の大鵬は途中休場。横綱柏戸は9
ここ3場所横綱の土俵入りは見られなかった。 2横綱の休場が続いたからである。三月場所、 鶴竜が出場の意向を固めた。だがファンの間 では最後まで取れるかというと、かなり懐疑 的である。そのため、早い段階
一月場所は関脇・小結全員が勝ち越した。 4人の成績と大関戦は以下である。高齢横綱 は休場が続いている場所であった。大関陣は、 貴景勝が負け越し。正代・朝乃山は11勝4敗 であった。優勝は前頭筆頭の大栄
昭和51年九月場所、大関から降格して5場所 目になる魁傑が前頭西4枚目で優勝した。 横綱輪島12勝(同部屋のため対戦なし)、 横綱北の湖10勝、大関陣は貴ノ花10勝、旭國 10勝、三重ノ海9勝であった
きたる三月場所の番付は以下となった。 前頭筆頭で優勝した大栄翔は小結2と1枚 上がっただけだった。これは歴史的に見て どうなのか。つまり平幕上位で優勝した力士 の翌場所の地位はと比較して妥当なのか。
番付は関脇以下を編成するものである。関脇 小結が全員勝ち越しのなか、西前頭筆頭13勝 2敗で優勝した大栄翔は小結2と渋ちんアッ プで終わった。成績を重視するなら西関脇 でもおかしくはない。その場合西関
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七月場所が始まった。初日は幸い危険な猛暑とはいかず、霧雨がいくぶんあったほどであった。 先場所優勝した大の里は新関脇として登場した。対戦相手は番付を成績以上に大きくアップ下御嶽海である。御嶽海はここの
土俵の目撃者をいつもご愛読いただき誠にありがとうございます。足を使い、この目で見た生の大相撲をお届けするために、七月場所の初日から千秋楽まで愛知県体育館で観戦します。 <七月場所の案内> 名古屋で観戦
14日から酷暑の七月場所が始まる。第2日曜として最も遅い日になった。そのためオリンピックと重なる日が出てくる珍しい興行となった。あくまで予定だが、愛知県体育館が会場となるのは今年が最後である。 <大の
■難敵引き続き3人目以降の難敵をみていこう。 11(××〇×××)10高安かなり接近した対戦成績である。貴景勝が初優勝したときははずみで負けている。もつれると貴景勝は危ない。 1(××××〇●)1平戸
令和元年は五月場所から始まり、現在30場所を経過した。令和2年に1場所中止になっている。開催したものの無観客が1場所ある。また13時入場の場所もあった。 令和の関脇以下の優勝力士キラーは誰か。ただし、
■三賞獲得9回 鶴竜 殊2・技7鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願をしたため日本語がわかる教授に翻訳してもらい、それを日本相撲振興会に送った。受け取った会長は会員と相談後井筒(元逆鉾)に託して入門が
貴景勝は3場所連続休場中である。三月場所角番だったが、七月場所再び角番である。こうした状況は貴景勝の角番が容易ならざるものにしている。貴景勝の具体的な対戦相手から角番脱出がなるか、検討してみよう。 ■
先場所優勝した大の里。場合によっては七月場所の成績・相撲内容次第では大関もあり得る。実現したら入幕5場所目に大関という年6場所制では驚異の記録になる。 これは大の里がすごいのか。筆者は長年大相撲をみて
■三賞獲得9回今回取り上げる力士は偶然横綱までいった方々である。 旭富士 殊2・敢2・技5立浪(元安念山=2代目羽黒山)部屋の分家大島(元旭國)部屋出身。近大に進学したが、2年のとき中退。柔軟な体で津
大関の座を開け渡した霧島が復帰にむけて始動している。首の痛みが引き、優勝を目指すつもりで10勝以上をあげるという。大関から落ちた直後の場所、10勝以上で復帰できる規定によるものである。 6場所制ととも
照ノ富士の一人横綱が続いている。照ノ富士が新横綱のとき白鵬はコロナ部屋ごと休場だった。場所後引退した。照ノ富士の一人横綱は番付上きたる七月場所で17場所に及ぶ。その照ノ富士は休場がちである。すでに晩年
■三賞獲得9回 大麒麟 殊5・技4体が柔軟でもろざしから吊り。うっちゃりもあった。四つは右四つで素質・素材はすばらしかった。ここ一番に弱く大関のチャンスを2度逃し、3度目で手中にした。優勝はついになか
プロレスの本を読んでいると、相撲につながる知られざる面が多々ある。本は闘魂と王道というタイトルで副題として昭和プロレスの16年戦争としている。著者は堀江ガンツ氏で株式会社ワニブックスより発行された。5
7月に入って、七月場所の番付が発表された。1横綱3大関と寂しくなった。先場所優勝した大の里は新関脇となった。入幕から4場所目のことであるから驚異の新人である。 <大の里(右)> 平戸海が小結に昇進した
阿炎阿炎が優勝したのは2022年十一月場所である。優勝決定巴戦を制しての結果であった。その後の阿炎は73勝62敗である。大関戦は8勝10敗である。負け越しは1場所しかない。阿炎としてはよくやっている、
■三賞獲得8回引き続き三賞8回獲得者をみていこう。 黒姫山 殊4・敢3・技1幕下にいる黒姫山の祖父である。立ち合いの強烈なぶちかましからの突き押しでD51と呼ばれた。再入幕2場所目に敢闘賞を受賞した。
照ノ富士混迷の時代、照ノ富士は3回優勝している。7回目、8回目、9回目の優勝である。それだけ聞くとよくやっていると思いがちだが、つぶさに検討すると、そうはいかない。7回目の優勝後の成績は58勝25敗9
三賞が実施されたのは昭和22年秋場所であった。相撲人気の低迷脱出に記者クラブと相撲協会が考案した。ファンにも力士にも好評であった。優勝はどうしても限られた者、選ばれし者になってしまう。三賞なら誰にでも
混迷の時代は2022年一月場所から始まった。誰が優勝するか場所前から予想できない。ときには思いがけない力士が優勝したりする。混迷の時代の優勝者はその時はヒーローである。しかし、その後はどうしているのか
七月場所のチケットはとうに完売になっていた。売れ行きからみて完売は時間の問題だった。期待の新鋭大の里が優勝したことが大きい。大相撲の面白さは新入幕尊富士が優勝して以来続いている。 <七月場所の案内>