chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 目黒川の桜 2022

    目黒駅から中目黒駅まで。2.7km。右上のビルに注目。橋ごとに撮ってみた。マップ上で数えたら橋は9つ。目黒駅から侵入、最初の橋・目黒新橋から。此処からだと、まだこの程度。このボリューム感が目黒川の桜の特徴。”ぼんぼり”だね。目黒新橋の次の橋からなんだが、地図上名無し。目黒駅側から見て左岸は行き止まりで道は無し。だからなのか。しかも、川沿いの道から階段で登るんで、実は初めての場所かも。ほら、川沿いの道を見下...

  • 六義園の枝垂れ 2022

    3年振りに見る枝垂れ。いつの間にか”東京満開”になってたんで。はしご桜してきた。六義園 - 公園へ行こう!のサイト見たら、事前オンライン予約って話だったんだけど。行ってみたら、普通に入れた。混んでなかったからかな。染井門(駒込駅前入口)側から入ってくると、「終わり?」って感じなんだが。回り込めば、例年通り。とは言え、桜の時期の六義園は2019年3月以来だった。コロナで来れなかったんだな。色は前より濃くなったよ...

  • 千鳥ヶ淵の桜 2022

    最短距離で2.2km(九段下駅〜半蔵門駅)ずっと桜。3/27満開となったらしい東京の桜。いの一番は、やはり此処、千鳥ヶ淵じゃなかろうか。いつも市ヶ谷駅から歩いて靖国神社→千鳥ヶ淵なんだけど。本日は九段下駅から。当然ながら楽。やっぱ、もう満開ですわ。お行儀良さが心地よい。内堀通りで後半戦。紅枝垂れはまだ蕾多しだが。かわりに、舞姫。ちんたら歩いても約50分。...

  • 斉明天皇陵はどっちだ 車木ケンノウ古墳

    宮内庁が斉明天皇陵と治定している、車木ケンノウ古墳。(くるまきけんのう)前回からの続き。牽牛子塚古墳が、本当の斉明天皇陵ってのは、ほぼ確定っぽいんだが。その南西に宮内庁管理の斉明天皇陵がある。牽牛子塚古墳・真弓鑵子塚古墳への道をずっと直進していって、通り過ぎてから南下。飛鳥駅からは約4.6km。電車なら、近鉄で飛鳥駅から吉野口。JRに乗り換えて、JR腋上駅(わきがみ)からは徒歩約1km。これを実践。行きは迷っ...

  • 蘇った八角墳 牽牛子塚古墳

    新たな観光名所になりうるか。数日前にニュースで流れてた、復元整備後の牽牛子塚古墳の公開。で、何処にあるのってことなんだが、それは明日香。飛鳥駅からは徒歩15分(約1.1km)と、かなり近い。黄色がそのルート。駅前から川沿いの道を進み、踏切の所に案内標。実は5年前に真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづか)とともに、訪問。ちなみに、 牽牛子塚古墳(けんごしづか)と読む。今回、真弓鑵子塚古墳へは行ってないので、現状は...

  • 太子町は王陵の谷

    古墳らしい推古天皇陵。全容を目視で確認できるのは此処だけかな。サントリー美術館で見た五ヶ所御廟之絵図(叡福寺蔵 江戸時代 享保17年(1732))聖徳太子御廟の他に、4代の天皇陵が此処には存在する。そのため、「王陵の谷」と呼ばれている訳だが。(「聖徳太子日出づる処の天子」図録より)その4代の天皇がこちら。30代 敏達天皇(推古天皇の夫)母・石姫皇女合葬31代 用明天皇(聖徳太子の父)33代 推古天皇(甥の聖徳太子が皇...

  • 上の太子 叡福寺の聖徳太子御廟

    聖徳太子陵。宮内庁によると、”推古天皇皇太子聖徳太子 磯長陵

  • 中の太子 野中寺

    伝承では聖徳太子建立48寺院の一つ。太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる野中寺(やちゅうじ)。近鉄南大阪線「藤井寺」駅下車、近鉄バスにて「野々上」バス停下車すぐ。バスは10分間隔位で、ひっきりなしに来る。Suica 可。仲哀天皇陵の西を通って、歩いても藤井寺駅から約15分。右奥の森が岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)ですな。Wiki によれば。蘇我馬子が開基とされるも、発掘調査によると創建は白雉元年(650年)頃。も、境...

  • 下の太子 大聖勝軍寺

    丁未の乱の地に、聖徳太子が建立したと伝わる大聖勝軍寺。河内源氏の里と、同じ太子町の叡福寺を訪れる機会を得たので。河内三太子を一気通貫してみたって訳。河内の聖徳太子建立三太子。創建順は下記の通り。「下の太子」大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ):用明天皇2年(587年)創建「中の太子」野中寺(やちゅうじ):白雉元年(650年)頃「上の太子」叡福寺(えいふくじ):伝・神亀元年(724年)聖徳太子建立七大寺の一つである四...

  • 史跡 通法寺跡と源氏三代の墓

    源氏のスーパースター、八幡太郎義家の墓。空海慕っての高野山奥の院同様、周囲には墓石が立ち並ぶ。壺井八幡宮の一之鳥居から。直進0.7km。左折して、左手に見える林の辺りが通法寺跡。既にお墓が見えてるんだけど。ちょっと先にそれらしき門がある。これが、河内源氏2代・源頼義の墓。源氏三代では最も鎌倉に縁のある御人だろう。没年88歳、当時としては凄い長生き。ちなみに、石の墓標や柵は明治末年に造られたもの。石灯籠は元...

  • 源氏三神社 ③壺井八幡宮・壺井権現社

    河内源氏の里に、源頼義が石清水八幡を勧請。河内源氏の氏神、壺井八幡宮。先の多田荘を拓いた源満仲には3人の息子がおりまして。その3男・頼信が寛仁4年(1020年)に河内国国司に任じられて以降、頼信・頼義・義家の3代にわたって、この地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになった。初代・源頼信は、平忠常の乱を平定し、東国における源氏の礎を築いた御人。近鉄・上ノ太子駅からは徒歩20分。多田神社と比べると、結構落差大きいん...

  • 源氏三神社② 多田神社

    源氏5代を祀る多田神社。大阪梅田から阪急宝塚線で川西能勢口(21分)。そこからバスで14分。大阪からは割と近い。多田源氏初代当主・源満仲は、藤原摂関家に仕え、摂津・越後・越前・伊予・陸奥などの受領(国司四等官のうち、現地に赴任して行政責任を負う筆頭者)を歴任。最終的には、父・経基同様、鎮守府将軍までになる。ちなみに、鎮守府将軍とは、陸奥国に置かれた軍政府である鎮守府の長官。鎌倉時代の征夷大将軍設置以前、...

  • 源氏三神社① 六孫王神社

    源氏三神社のひとつ。清和源氏初代・源経基(六孫王)を祀る六孫王神社。京都駅チカにあったのに、知らなかったよ。繰り返します。時政パパの見事な長台詞。「我が主(あるじ)は、清和天皇が第六の皇子(みこ)、 貞純親王のお子たる六孫王より七代の後胤、八幡太郎義家様四代の御孫、 前右兵衛権佐(さきのうひょうえのごんのすけ)、源頼朝殿なるぞ。 馬上よりつべこべ言うのはけしからん。まずは馬から降りやがれ。」(NHK 大河ド...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Martinさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Martinさん
ブログタイトル
Pass Hunter
フォロー
Pass Hunter

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用