「人間とは失敗する者である」 といふフレーズがあります。 これは元来は、神との対比で言はれるものでせう。 「神は全知全能で完全無欠であるのに対して、人間は知能も能力も有限である。だから神は失敗しないが、人間は頻繁に失敗する。そして、その失敗について人間は神に許しを請はねばならない」 といふやうに。 しかしそれならなぜ、完全な神が不完全な人間を創つたのでせうか。創造に失敗したのか。あるいは完全になるや...
「スピリチュアルな人」 と言へば、あまり良いイメージはないかもしれない。 目に見えないものばかり追ひかけて、現実に疎い人。 水晶やら何やらを勧めて金儲けをする界隈の人。 悪いことがあるとすぐ、霊の働きや先祖の因縁に結びつける人。 どことなく怪しげで、いかゞわしい。あるいは、悪人とは言へないまでも、敬して遠ざけたい。そんな感じがあります。 しかし考へてみると、人間が肉身と霊人体の...
前回の記事「神を見つける」で、 「海が語りかける」 とか 「風の音が神秘的な音楽に聞こえる」 などといふ表現が出てきました。 これは本当だらうか? 「本当に、海は語りかけてくるの?」 「風は本当に音楽を奏でるの?」 さういふ疑問もありますね。 ふつうに考へると、海や風みたいな無生物にそんな高度なことができるとは思へない。それなら、私の側の勝手な思ひ込みでせうか。 さらに考へると、海や風では無理でも、...
一つのものに全神経を集中させれば、自然が、海が語りかけていることを知るでしょう。肉身が心と戦っているとき、もっと心のほうに、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらから聞こえてくるでしょうか。そのように、神をみつけるのです。 そのようなことに集中して、黙想するとき、風が吹けば、神秘的な音楽を聞き、太陽がのぼり、小鳥がさえずるとき、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした...
前回の記事「四次元はこの世か、あの世か」の続きで、徒然考へてみます。 アインシュタインが発表した超ド級の四次元理論(相対性理論)。それは「三次元空間」+「時間」といふものでした。 この理論は我々の宇宙観に絶大な転換をもたらした反面、「第四次元空間=三次元世界+霊的世界」といふ従来の視点を閉ざしてしまつた。我々の関心を「四次元時空=三次元世界+時間」に閉じ込めてしまふといふ唯物論回帰を促す結果になつた...
「四次元」といふ概念に、私自身ちよつと混乱があつたのが、この動画を観て整理され、混乱が氷解した。 動画のタイトルに 「アインシュタインを乗り越えることは可能か?」 とある通り、四次元問題には、かの20世紀物理学のトップヒーロー、アインシュタインが大きく関はつてゐるやうです。 どんなふうに氷解したのか、簡単にまとめてみます。 「四次元」といふ概念が初めて登場したのが、今から400年近く前。発起人は英国の神...
私案の段階ですが、かう考へてみます。 「思考」は肉心の働きであり、「直観」は生心から来る。肉心は「思考」自体を意識できない。「思考」を意識できるのは生心である。 肉心は肉体の生理機能を維持できるやうに司る作用であり、動物の本能に当たる。一方、生心は神が臨在する霊人体の中心部分であり、人生における真善美の価値を追求する。 私自身、長い間そんなふうに考へてきま...
えいし君は、3歳の頃から自然に絵を描き始めたらしい。自分の中から湧き上がるまゝに、自由に描く。下書きなしで、とても緻密な絵を描きます。(それをレポートしたドキュメンタリー映像は、記事末にリンクを貼つておきます) ところが面白い(不思議な)ことに、学校に上がつても字が書けないのです。絵はいくらでも自由に描けるのに、字が書けない。変だなあと思ふが、かういふのを「ディスレクシア(識字障害)」と言ふのださ...
現代はストレスの多い時代だとよく言ひます。 どうしてストレスが生まれるのか。AIに訊くと、簡潔明瞭にかう答へてくれます。 ストレスとは、外部から刺激を受けたときに生じる緊張状態のことである。 ストレスの原因は外部にあると言ふ。その外部要因のことを「ストレッサー」と呼ぶやうです。 例へば、 天候や騒音などの「環境要因」。 睡眠不足や病気などの「身体要因」。 人間...
「天職といふのは誰にでもあるのだらうか」 と考へてゐると、 「誰でも、今してゐる仕事が天職ではないか」 といふ気がしました。 「就職してはみたものゝ、この仕事は自分に合はない。何かもつと他に、自分に向いた仕事があるのではないか」 天職に出会ひたいとは言はないまでも、そんなふうに思つたことのある人、今思つてゐる人は結構多いのではないでせうか。私自身も、これまで何度も思つたことがある。 しかし実は、仕事...
「裏切られた!」 と思つた体験は、多くの人にあるでせう。 何が裏切られたのでせうか。端的に言へば、「自分の期待」が裏切られたのです。 さう考へると、「裏切られる」といふのは、最初に自分の「期待」があり、その「期待」通りにいかなかつたときに抱く感情といふか、自己認識のかたちだと言へます。これは逆に見ると、自分の「期待」がなければ、「裏切られる」といふこともないはずです。 ところが、往々にして、我々は...
ある女性カウンセラーの体験談です。 彼女は日本人ですが、あるときから活動の拠点をイギリスに移し、今はそこで仕事をしてゐます。 夫の親戚がフランスに住んでゐる。その家族から誘ひを受けて、パリにプチ旅行した。親戚の家族には小学生の子どもが3人ゐる。訪問は平日だつたので、子どもたちには学校がある。ところが、親はいろんな理由をつけて子どもたちをみんな休ませ、1日中パリを一緒に観光したのです。 ロンドン...
聖書の「創世記」に出てくるエデンの園。その中央に特別な2本の木が生えてゐたといふ。「生命の木」と「善悪知る木」です。 ところがそれらは本当の木ではない。どちらも比喩だと『原理講論』は見る。「生命の木」とは完成したアダム(男性)であり、「善悪知る木」とは完成したエバ(女性)だといふのです。 この見立ては統一神学の骨格のひとつであり、私も異論を差しはさむつもりはないのですが、少し違ふ観点で見るのも面白...
だから、明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 (マタイ福音書6:34) この一節は有名な「山上の垂訓」の一部です。文脈としては、信仰の薄い者たちを、イエス様が諫め、諭しておられます。 本当に神を信じるなら、何を食べるか何を飲むかと、どうして明日のことを思ひ煩ふのか。もつと神を信じなさい。さう励ま...
堕落性は我々の無意識下で活動してゐます。堕落性は自分のものであるやうに見えながら、制御も克服も容易でないのは、このためだと思はれます。 『原理講論』では、神の愛するものを神と同じ立場で愛せなかつたことが堕落性の根つ子であると説明してゐます。その見解を土台としながら、私はこゝで次のやうに考へてみます。 「堕落性とは、自ら被害者にならうとする性質である」 これは一見、おかしな見方に感じられるかもしれな...
評論家でYoutuberの岡田斗司夫氏が提案する 「いゝ人戦略」 といふものがあります。 生きづらい世の中を、「いゝ人」になつて生き抜いていかうといふ戦略です。留意すべきは、これはあくまでも戦略なので、本当の「いゝ人」にならうといふのではない。「いゝ人」のふりをして、「いゝ人」に見られようといふことです。 どんな人が「いゝ人」か。 他人に親切な人 他人の話をよく聞く人 他人に感謝する人 他人に...
「ペインボディ」といふ概念を提唱したのは、ドイツ人の作家エックハルト・トールだと思ふ。 文字通りに訳せば、「痛みの体」。とは言へ、実体の体があるわけではない。 例へば、子どもの頃、親から愛情をかけられず、寂しく育つた。誰かから裏切られた。暴力を受けて恐怖を感じた。さういふ個人的な痛みの体験が、その人の中にペインボディを形成する。 個人ではなく、集団でのペインボディもあります。 例へば、ヨーロッパか...
私が、「先生も同じ人間でしょう?」「うん」「それなのに、どうして普通の人が探し出せない原理を明らかにして、世界を救うつもりだと言えるんですか?」と言ったら、「邪心を捨てたから」とおっしゃいました。 (『原理に関するみ言の証』史吉子) 質問する「私」は史吉子(サ・キルジャ)女史、「先生」とは文鮮明(ムン・ソンミョン)先生です。 この問答で文先生は、 「誰も根本的に発見できなかつた宇宙の...
起きてゐるときばかりでなく、寝てゐるときでも首回りが固く凝つてしかたない。そのせいなのかどうか、頭痛もよく起こる。 先夜、寝ようとしてベッドに入つたとき、枕に乗せようとした首がひどく緊張してゐるのに気がついた。 その瞬間、ふつと、 「首が最後の関所として、気を張つて頑張り過ぎてゐるな」 といふ気がしたのです。 体といふのは、全身が複雑に連携し合つてゐるでせう。 例へば、歩いてゐて片方の足首に不具合が...
我々は今、ふたつの世界に跨つて生きてゐます。ひとつは、肉心の世界、もうひとつは生心の世界です。 「跨つて」といふのは、ちよつとニュアンスがおかしいかもしれない。ふたつの世界は別々にあるといふより、重なつてゐる。 肉心の世界は空間+時間の4次元世界。生心の世界はそのひとつ上の5次元世界。俗には、前者を「この世」、後者を「あの世」とも呼びますが、「あの世」は死なないと行けない世界ではない。我々は今ままさ...
第二もこれと同様である、 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」 これら二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。 (マタイ福音書22:39-40) この聖句に関して、これまでに何度も記事を書いてきました。今でも折にふれて、この聖句が思ひ浮かんでくることがあります。 最近は、 「自分を愛してゐないと、自分が創り出したものも愛せないな」 と思ふ。 例へば、私はブログ記事を頻繁に...
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「人間とは失敗する者である」 といふフレーズがあります。 これは元来は、神との対比で言はれるものでせう。 「神は全知全能で完全無欠であるのに対して、人間は知能も能力も有限である。だから神は失敗しないが、人間は頻繁に失敗する。そして、その失敗について人間は神に許しを請はねばならない」 といふやうに。 しかしそれならなぜ、完全な神が不完全な人間を創つたのでせうか。創造に失敗したのか。あるいは完全になるや...
正しいことをしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。(創世記4:7) アダムの2人の息子、カインとアベルが神に供へ物を捧げたとき、長男カインのものだけ受け取られなかつた。彼がひどく煩悶してゐると、冒頭のやうな神の声が臨んだといふ記述です。 神の声と言つても、音波として彼の耳に聞こえたわけではあるまい。もし何らかの...
夢はいつも、思ひがけない。しかし、少し意識の深層を探れば、何らかのつながりがありさうにも思へる。 今朝の夢はちよつとおかしくて、うら若い、か細い女性が、私を肩車してくれるのです。女性だし、か細いのだから、私を肩に乗せたとき、うまく重心が取れずに足元がふらついて、よろよろする。肩に乗つてゐる私も、倒れやしないかとひやひやする。 しかし間もなく重心を得て、彼女は安定してくる。か細いのに結構しつかりして...
人類はこれまで、助力を、力添えを必要としながら、他者を認識する記憶を夢中になって蓄積してきました。ホ・オポノポノは、そういう記憶を我々の潜在意識から解き放つことなのです。問題が ”内” ではなく、「ほら、そこにある」と口にする概念を繰り返す意識下の記憶を捨てることなのです。(『ハワイの秘宝』ジョー・ビターリ) この言葉は著者ビターリの言葉ではない。彼が風の噂にホ・オポノポノのこ...
たとへば、私が課長で、部下の仕事ぶりを見るとします。彼の営業成績が今ひとつ振るはない。その理由を、私は「仕事の段取りが悪い」からだと考へる。ところが課長代理は「上司への報告がいゝ加減」だからではないかと疑つてゐる。さらに社内カウンセラーは「過去のトラウマが精神を不安定にしてゐる」といふ見立てをする。 どの見立てが当たつてゐるのか。あるいは、どれもみな部分的には正しく、部分的には間違つてゐるのか。そ...
今朝方、うつらうつらしてゐるとき、「摂理はすること。み旨はある(なる)こと」 といふフレーズを得ました。 やゝ単純化されすぎかとも思ひますが、これを少し掘り下げてみたいと思ひます。 まづ想起するのは、『原理講論』の堕落論にある一節です。 では、完成するそのときを仰ぎ見ながら成長していた未完成のアダムの願いであった生命の木とは、いったい何であったろうか。それは、彼が堕落せず...
一人の女性を参院選の公認候補にしようとしたことで、それまで昇龍の勢ひにあつたその党は一気に奈落へ落ち込んだ。 その女性は有能で、8年前まで国会議員として将来を嘱望された人だつたが、不倫の噂が立ち、不倫相手の妻が自ら命を絶つた。彼女に釈明と謝罪を要求する世論が一気に盛り上がり、遂には政界から身を引かざるを得なくなつた。その彼女が雌伏8年、今度は別の党から国会に復帰するといふ動きを察知した世論は、再び彼...
前回の記事「『在る』女性」を書くために、久しぶりにヒューレン博士の本を読み返した。分かつてゐたつもりでも、読み返すと、何かしら新しい発見があるものです。 ホ・オポノポノでは 「体験する出来事のすべては、記憶の再生である」 と言ふ。 それは、 「自分の外で起きてゐることは何もない。すべては自分の中で起きてゐる」 といふ認識が前提となつてゐるのです。 そこでまづ、この前提認識について確認してみます。 たと...
昨日(6月19日)の明け方、自分が死ぬといふ夢を見ました。自分が間もなく死ぬといふことが分かって、周りの人たちにそのことを知らせてゐる。そして、自分の心の中では、子どもたちが可哀さうだなと、つらい気持ちになつてゐるのです。 子どもたちにとつてはずいぶん昔に母親を亡くしたうえに、今度は父親までも失つてしまふ。子どもたちを残して父母がこんなに早くゐなくなるといふのが、あまりに不憫に感じてゐるのです。 た...
「思考の世界」と「体験の世界」といふ2つの世界があると想定してみます。世界があると言つても、あそことこゝに別々に存在するといふわけではありません。謂はば、私の意識の中にある世界です。 私の意識が「思考」に惹かれれば、私は「思考の世界」の住人となり、「体験」にゆだねれば「体験の世界」の住人となる。さういふふうに、この2つの世界は存在します。 目の前の出来事(現象)はひとつです。それなのに、2つの世界そ...
井筒俊彦といふ哲学者。最近まで名前も聞いたことがなかつた。その哲学はかじつてみたばかりで、中身はまだあまり分かつてはゐないが、あの西田幾多郎と比較研究する人もゐるほどのレベルのやうです。 数千年にわたつて東洋が蓄積してきた思想の豊穣を、いかに言語化するか。そのことに腐心し、イスラムの神秘主義も含めて、西洋哲学の手法を利用しながら、独自の哲学世界を作り上げた。 少年の頃、禅に造詣の深い父親から、禅を...
仏教には、 「苦しみの中に仏がゐる」 といふ考へ(あるいは悟り、体験)がある。 その意味を、私なりに考へてみようと思ひます。 最近、村上和雄さんの『SWITCH(スウィッチ)』を読んでゐます。村上さんと言へば、30年以上前から「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」といふ表現で、この世の神秘的な仕組みを遺伝子学の見地から発信し続けてゐるかたです。 本書でもその主張は一貫してゐるが、特に「遺伝子のスイッチ...
『人間の建設』といふ対談本の中で、数学者の岡潔が、数学4000年以上の歴史上、最近初めて分かつたことがあるとして、対談相手の評論家、小林秀雄に説明してゐます。(最近と言っても、60年前の対談ですが) そんな大発見とは、一体何か。数学は抽象的な数字を扱ふ。それゆゑ、知性の世界だけに存在し得ると考へられてきたのに、さうではなかつたといふのです。 専門的な難しいことは分からないが、結論だけ言へば、二つの仮定を...
私の暮らす田舎では、毎年春と秋の2回、住民総出の川の草刈り作業があります。地域には自治会があり、その下により小さな組(くみ)組織がある。今年は我が家が組長の当番で、かういふ作業の段取りを担当する役回りなのです。 ところが、この「段取り」といふものほど、私の苦手なものはない。草刈りといふ作業、一般の参加者にとつてはその当日だけのものですが、組長は事前の準備から作業後の後始末まで、お金の問題や差し入れ...
我々が日常的に受け取る情報を大きく分けると、ひとつは「外からの情報」、もうひとつは「内からの情報」といふことになるでせう。 どちらの情報が多いかと考へれば、それは圧倒的に外からの情報のやうに思へる。身近な情報は五官を通して、絶えず入つてくる。遠い情報も、インターネットにつながれば、瞬時に世界中から膨大な量が入つてくる。 しかもそれらの情報には色もあれば音声もあり、動きまである。とても刺激的で、魅力...
さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。(へブル人への手紙11:1~2) これは、聖書による「信仰」の定義として有名な箇所ですね。 「望んでいる」も「まだ見ていない」も、文字通りまだ目の前に現れてゐない。どれだけ先のことかは分からないが、未来のことです。それを「確信」し、「確認」する。それが信仰であるとい...
4月初旬に桜が満開になり、あつといふ間に散り去つたあと、次の主人公としてツツジが一斉に咲き始める。そして今、そのツツジもほゞ終はる季節を迎へつゝあります。 残り少なくなつたピンクのツツジの花を眺めながら、ふとひとつの疑問が生じた。 「桜もツツジも毎年春になれば同じ木から花が咲くから、種子を残す必要もなささうなのに、どうして毎年あんなにたくさんな花を咲かせるのだらう」 小学生のやうな疑問だとは思ひな...
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人たちが尋ねたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形で来るものではない。『見よ、こゝにある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。(ルカ福音書 17:20-21) 古来有名な、イエス様の「神の国論」の一節です。あるとき、この答へには裏があるのではないかと思つたことがある。 つまり、「悪の帝国...
前の記事で文豪漱石を読んだので、この際、文豪つながりで、同時代のもう一人の文豪、鷗外についても少しふれてみようと思ひます。 山に登らうとする所に沼がある。汀(みぎわ)には去年見た時のやうに、枯葦が縦横に乱れてゐるが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔(ほとり)から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を...
「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」 「別な人にはなりませんわ。貴方は?」 「僕も同じ事です」 三千代は其時、少し窘(たしな)める様な調子で、 「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、 「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。 三千代は忽ち視線...
ビューと風を切る音が聞こえ、銃弾が皮膚を裂くのを感じたことで、すぐに何かがおかしいと気づいた。 衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。米国ペンシルバニア州バトラーで演説中に、共和党のトランプ大統領候補が銃撃を受けた。弾丸のひとつがトランプ氏の右耳を掠めて(一説には貫通したとも)流血はあつたものゝ、奇跡的に軽症ですみ、暗殺未遂に終はつた。 1981年のレーガン大統領暗殺未遂以来で、43年ぶ...
東京都知事選が終はつてみると、現職の候補者にこそ敵はなかつたものゝ、トップ挑戦者と見なされてゐた蓮舫候補者をかなり引き離して、驚きの2位当選した石丸伸二といふ男。選挙期間中からその認知度は急速に上がつたが、選挙が終はつてからも「石丸構文」などといふフレーズがネットを賑はすなど、引き続き注目度の高さを見せてゐます。 これを 「石丸現象」 と呼んでみませう。 この現象についてはすでに、多くの人が分析をし...
私たちが、何かが分かる、あるいは誰かの正体が分かるといふのは、一体どういふことでせうか。ふだん当たり前のやうに思つてゐるこのことを、改めて考へてみます。 たとへば、目の前に一輪の花があるとします。 その花を見て、 「あゝ、これは百合だな」 と即座に思ふ。 ところが、さう言つたとたん、私はその花の正体が分からなくなるのではないか。そんな気がするのです。 昔からその花の種類には「百合」といふ名前をつけて...
今からおよそ100年前、当代物理学のヒーロー、アインシュタインと、哲学の泰斗ベルグソンとの間で、「時間」を巡る大論争が巻き起こつたことがあります。 ご存じのやうに、アインシュタインはその一般相対性理論によつて、時間は空間とともに歪み、観測者の移動速度や重力場によつて伸びたり縮んだりすることを論証しました。 それに対してベルグソンは、アインシュタインが時間を実質的に空間の一部として捉へ、直感的な時間の...
「因果律」といふ概念は、宗教にも科学にもあります。そもそも、私たちの頭の認識形式そのものの基本に「因果律」があるのでせう。だから、日常の判断のほとんども、この「因果律」から無縁ではない。 簡単な例で考へてみませう。 「2倍の力で投げたら、2倍の距離飛んだ」 これは分かりやすいですね。「2倍の力で投げる」といふ原因が「2倍の距離飛ぶ」といふ結果を生み出す。科学的原則に則つてゐる感じがするので、何ら抵抗な...
共産主義思想の生みの親はカール・マルクス(1818~1883)です。彼についても彼の思想についても、私は聞きかじり程の知識しかないので、AIに尋ねてみたところ、その回答が以下です。 「マルクスが共産主義思想を生み出した動機は何ですか?」1.社会的不平等への批判2.資本主義の矛盾の指摘3.労働者の団結と解放4.共産主義社会の理想 至極まつとうな回答ですね。...
礼拝に対するアンケートを行なつてみた。その動機と所感について、書いてみようと思います。取り留めのない散文になることをお断はりしておきます。 まづ、動機。 日曜礼拝は長いキリスト教から続く伝統の中心と言つていゝでせう。だから教会に所属する者にとつて、礼拝に参加(あるいは礼拝を捧げる)ことは、言はゞ有無を言はさない当然のこと(信仰的な義務のやうなもの)と受け止められてゐる。 にも拘らず、これが意外に有...
教会で熱心に信仰する男性が神様の家を訪ねて行つたときの話があります。 家を訪ねて玄関のベルを鳴らすと、しばらくしてドアの小窓があき、その窓越しに神様が顔を出して尋ねられた。 「久しぶりによく来たね。ところで、君には息子がゐたと思ふが、今日は一緒ではないのかね?」 男性は少し躊躇して答へた。 「息子はゐるのですが、最近彼は教会にあまり行きたがりません。今日も誘つてはみたのですが、やつぱり首を縦に振り...
五感の中でも触覚といふものがあります。何のためにこの感覚があるのでせうか。 ふつうには、ものに触つて、その形や大きさを確かめ、ザラザラやスベスベなどの質感を感知するのが触覚の働きと考へる。確かにそれはあるでせう。 たとへば、赤ん坊が手元のボールに触つてみる。そのときの感触が「丸い」といふ概念のもとになります。それ以外にも、針の先は痛い。沸騰したお湯は熱い。鉄は冷たくて重い。さういふことはすべて触覚...
『ラストマン 全盲の捜査官』(AmazonPrime)は福山雅治、大泉洋のダブルフィーチャーによる刑事ものドラマ。福山演じる皆実広見(みなみひろみ)は日本人でありながら、米国FBIの捜査官となつて、トップクラスの検挙実績を出し、日米捜査官の交流の一環として来日する。ただ、皆実は全盲です。彼の目になつて常に同行するバディ(buddy=パートナー)として、大泉演ずる護道(ごどう)が選ばれるのです。 ドラマの筋書きや見どこ...
私の妻は2人の子どもを生んだのですが、下の子が5歳になる前に他界した。それで子どもの養育には母の手を随分借りた。 もし妻が生きてゐたら、どんなふうに子育てをしただらうかと、ときどき考へます。母親がゐないせいで、平均的な父親よりはいくらか、子どもたちと関はる時間が多かつたかなとも思ふ。しかし、どんなに頑張つても、母親のやうには子どもを愛せないとも思ふ。 母親は子どもに対してどんな愛を持つのでせうか。 ...
母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
気の置けない者同士が数人集まつて思ひのまゝに話してゐるときでも、急に正論を述べ始める人が、ときどきゐるものです。 「さういふ考へはもう古いよ。こんなふうに変へたほうがいゝと思ふ」 たとへば、こんな正論が出てくると、話してゐる人はとたんに話の腰が折られたやうで、二の句が継げなくなる。それ以上、自分の素直な気持ちを話したいといふ思ひが萎えてしまふ。 正論を述べる人には、たいてい悪気はないのです。相手の...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...