chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
kitasendo
フォロー
住所
益田市
出身
島根県
ブログ村参加

2009/10/24

arrow_drop_down
  • 私はすべてを受け入れる

    神は何でも「受け入れる」。存在するものを神が受け入れないはずはない。拒否するというのは、その存在を否定することだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 存在するものは、どんなものでもすべて受け入れる。それが神の性稟のやうです。本当でせうか。 存在するものを受け入れることを「肯定」、受け入れないことを「否定」とすれば、我々の態度にはどんな場合も「肯定」か「否定」かの二択しか...

  • 友だちなんて要らない

    およそ2年ぶりくらゐで訪ねてみると、男の子はずいぶん成長したやうな声に変はつてゐた。Youtubeのチャンネル「神様が見える子供たち」です。 神様から聞いた話だと言ふ彼の話がとても興味深い。 「人間関係なんていらない。友だちなんていらない」 と言ふのです。 しかも、 「無理して友だちを作らなくてもいゝ」 といふやうな話ではなく、 「友だちはないほうがいゝ」 と言ふのです。 本当に神様の話だらうか。少なくとも、...

  • それは虐待です

    昨秋から母の介護を動画にしてYoutubeにアップしてゐるのですが、先日、動画のひとつにかういふコメントがつきました。 こういうのやめてくれないかしら? 世界では虐待とよびます。 「虐待」といふ言葉を見た瞬間、ドキリとしました。 「私が一体いつ、どんなふうに、てつこさんを虐待したのだらうか?」 と、不意を突かれたやうな気がしたのです。 動画は、「ぐるぐる動き回る...

  • 娘がすごく甘えてくるんです

    先日、知り合ひの婦人と話してゐると、娘が妊娠中だといふ。 「初孫になりますか。無事に生まれるといゝですね」 と言ふと、その婦人は少し眉を曇らせて、 「つわりがひどくて、仕事も休んで、今家に帰つてきてるんですが、すごく甘えるんです」 と言ふ。 体がしんどいから、背中をさすつてほしいとか、あれしてほしい、これほしいと、しきりにねだつてくる。 「つわりは大変でせうから、それくらゐしてあげたらいゝぢやないで...

  • 質問はあるが、答へはない

    本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。 (『学生との対話』小林秀雄) 昭和49年(1974年)に、小林は鹿児島で学生相手の講義を行なひ、そのあとの質疑応答で、冒頭のやうな答へをしてゐま...

  • 二分法の境界は線ではない

    河合隼雄の『とりかへばや、男と女』。タイトルの「とりかへばや」は平安朝に書かれたとされる物語『とりかえばや』に由来してゐます。 権大納言に息子と娘があつた。ところが息子は控えめで優しく、女の子の遊びを好み、娘は反対に、大胆で、男の子のやうに振る舞ふ。父はそのうち変はるだらうと思つてゐたが、ふたりの振る舞ひは変はらない。仕方なく、娘は男として、息子は女として育てると決意するのです。 物語のテーマとし...

  • LGBTQでない人は、なぜ存在するのか

    LGBTQに関する法案をG7サミット前に国会に提出するかどうかで、自民党内が紛糾してゐる様子を見ながら、改めてこの問題に意識が向きます。 世間では、 「LGBTQの人々を差別するな」 といふ論調や 「この法案を通せば、社会が却つて混乱する」 などといふ論調がほとんどのやうに見受けられます。 それも確かに問題ではあるけれど、私としてはもう少し基本的なところ、つまり、 「なぜ、LGBTQといふやうな人々が存在するのか」 と...

  • 驚くべき多神教

    我々の中には「良心」があります。そして、この「良心」は「私だけの第二の神」であるといふ。 現在、世界に80億の人々が生きてゐるなら、80億の「良心」があるといふことであり、それはつまり80億の「第二の神」がゐるといふことにもなります。日本では「八百万の神」と言ひますが、その100倍の神がおられるとは、驚くべき多神教です。 さらに考へてみると、神は宇宙のどこにも存在する遍在神でもあるといふ神観もあります。そ...

  • これからの「内的な山登り」

    村上春樹の小説『アフターダーク』の中で、男が女にこんな話を教へる場面がある。男は「ハワイに伝はる神話だ」と言ひますが、実際は村上の創作のやうです。 3人の若い兄弟が漁に出て嵐にあひ、流されて、島に漂着する。美しい島で、真ん中に高い山が聳えてゐる。 漂着した夜、3人が同じ夢を見て、神様のお告げを聞く。 「少し離れた海岸に3つの大きな岩がある。それを転がして、好きなところへ行き...

  • 人格は高潔である

    「自我とは、考へる生き物である」 さう言つてもいゝほどに、自我は朝から晩まで考へ続けてゐます。 「自我」とは、ふつうに「私」と思つてゐる意識です。その「私」がどうしてそんなに考へ続けてゐるかと言へば、「私」を守るためだと思ふ。 「私」がちやんと生きていくためには、「私」を環境に適応させなくてはいけない。どうやつて食料を過不足なく確保するか。それは今だけでなく、将来にわたつても考へなくてはいけない。...

  • 分からうとしない

    「分からう、としない。分かつたと思つた瞬間、神との関係が断たれる」 といふことについて、考へてみようと思ひます。 例へば、今私が隣人との人間関係の問題を抱えてゐたとします。 細かな問題でよくぶつかり、その都度ひどく文句を言はれる。どうしてこんなに性に合はない人が目の前に現れてくるのか。どうしたらその悩みを解決できるのか。それを私は知らうとするでせう。知つて、対処してこそ、その問題から脱却できると思...

  • 走り続ける人生

    インターネットで偶々出会つた動画。わづか5分あまりの短いものですが、その間、づつとバイクで走り続けてゐます。 若い男性が運転し、女性が後ろに座って、必死に男性にしがみついてゐます。そのバイクを後ろからづつと追ひかけてゐるのは、多分白バイでせう。動画はその白バイから撮つてゐます。 どんな悪事を働いたのかは分かりませんが、とにかく白バイに捕まらないやうに、凄いスピードで逃げ続ける。かなり巧みなハンドル...

  • 思ひ通りにいくから、大丈夫

    「思ひ通りでなくても、大丈夫」 といふアファメーションがあります。 夫が家庭のことを顧みてくれない。 子どもが期待通りに育つてくれない。 いくら頑張つても、仕事で実績が出ない…。 人生には、思ひ通りににいかないことがいくらでも起こる。むしろ、ほとんど思ひ通りにいかないと言つたほうがいゝかもしれないほどです。 だから、さういふときに 「思ひ通りにいかなくても、大丈夫」 と自分自身に言ひ聞かせることで、自分...

  • ヒントをもらつて、気づく

    以前の記事「天国人にならうとする人」で、 「天国を創らうとする人は、天国を創れない」 と書いたことがあります。 その理由も書いたのですが、今回は少し違ふ観点から、改めて理由を考へてみようと思ひます。 我々の霊性は、段階的に成長していくと言つていゝでせう。全体的にもさうだし、個人的にもさうです。 一段階上がるとき、最も重要な切つ掛けは「気づき」だと思ふ。それまで見えてゐなかつたものが、何かの切つ掛けで...

  • 被害者は攻撃する

    児童虐待がエスカレートして、遂には我が子を死に至らしめたといふやうなニュースが、最近は珍しくない。 さういふニュースを聞くと、我々はたいてい、 「そんなひどい、残酷な親がゐるものか!」 と驚くし、マスコミもそれが異常だと思ふからこそニュースにするわけでせう。 しかし、そこまではいかない虐待といふものなら、世間にいくらでも溢れてゐると思ふ。 言ふことを聞かなければ、大声で叱る、時には殴る。イライラが募...

  • 修正版・天国実現私案

    先日、「天国実現私案」なる記事をアップしたのですが、書きあげてみると、我ながら何だかおかしい。この方法では天国実現はかなり難しい、むしろだんだん遠のいていくやうな気がしてきたのです。 それで、どこをどう修正したらいゝのかと考へてゐると、ハッと、あることに思ひ至りました。何のことはない、元のアイデアを全部そつくりそのまゝひつくり返してみたらどうか。そのことに気づいたのです。 つまり、かういふことにな...

  • 私の中の家庭で堕落性を脱ぐ

    我々誰もが、例外なく、身の内に持つてゐる堕落性。これが、いろいろな状況に遭遇するたびに出てきて、私を苦悶させます。 なぜ出てくるのか。 その性質を直してほしいと思つて、出てくる。私を苦しめようなどといふ意図はないのです。さう考へてみてはどうかと思ふ。 性質はどのやうに作られるかといふと、その構成要素は「記憶」ではないか。それが私の一つのアイデアです。 過去の体験と、そのときに抱いた思ひが、記憶とし...

  • 天国実現私案

    我々はいかにして天国をこの地上に建設していくか。そのための基本理念と基本的実践方案を合はせて、簡略ながら、こゝでまとめて提示してみたいと思ひます。 まづもつて一番重要な基本前提は、 「我々こそが、教祖の教説を正しく受け継ぐ、唯一の正統であることを確信し、それを宣布すること」 です。 従ひまして、我々の理解といさゝかでも食ひ違ふと思はれる者たちのグループには、「異端」あるいは「霊的グループ」とのレッテ...

  • 信じるものを見る

    前の記事「概念の人」で、 「(概念の人は)見えないものを見る」 と書きました。 これは言ひ替へると、 「信じるものを見る」 とも言へますね。 例へば、今自分の目の前の人に困らせられるとき、 「私は意地悪な人を見てゐる」 と思ひます。 しかし実は、目の前に「意地悪な人」はゐないのです。さうではなく、私がその人を「意地悪な人」と信じるので、その人が意地悪に見える。それが真実でせう。 あるいは、「世間体」とい...

  • 創られた神

    神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (創世記1:27) 人を創造した神を「創造主」と言ひ、神に創造された人を「被造物」と呼んだりします。ところで、「神のかたち」に創造された人は、どういふ「被造物」と言つたらいゝのでせうか。 神を「創つた神」と呼ぶなら、人は「創られた神」と言へるのではないか。人は「神のかたち」なのだから、神と言つておか...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、kitasendoさんをフォローしませんか?

ハンドル名
kitasendoさん
ブログタイトル
まるくまーる(元教育部長の講義日記)
フォロー
まるくまーる(元教育部長の講義日記)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用