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ひのさんのプロフィール

住所
北川村
出身
北川村

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ブログタイトル
答えは現場にあり!技術屋日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/isobegumi/
ブログ紹介文
地域と共に生きる!高知の中小建設業の泣き笑いの日々をお届けします。
更新頻度(1年)

331回 / 365日(平均6.3回/週)

ブログ村参加:2008/07/22

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ひのさんの新着記事

1件〜30件

  • i-Constructon講座という催しで『鈍刀を磨く』という詩に出会ったこと。

    令和元年度i-Construction講座を受講。メイン講師は砂子組の真坂さん、タイトルは『ICTを活用した効率化への挑戦』、もちろん、今回わたしが参加したお目当てはそこである。じつによい講演だった。真坂さんの話は何度か聴いているが、今回のそれがわたしにとってはダントツでナンバーワンであると断言できる。そんな話の締めくくり近く、彼が紹介した詩に心を打たれた。・・・・・・『鈍刀を磨く』(坂村真民)鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが何もそんなことばに耳を貸す必要はないせっせと磨くのだ刀は光らないかも知れないが磨く本人が変わってくるつまり刀がすまぬすまぬと言いながら磨く本人を光るものにしてくれるのだそこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だだからせっせと磨くのだ・・・・・・いやあ、まいった。胸がつまり、不覚にも...i-Constructon講座という催しで『鈍刀を磨く』という詩に出会ったこと。

  • 初体験

    先日、新潟からの客人と一献かたむけるためにお城下へ。彼らと共通の知人である女性を誘うべく連絡を入れると、「今日、誕生日なの」と言う。そうと聞けば手ぶらで行くわけにはいかない。すぐさま思い浮かんだのは「花」という言葉だったが、恥ずかしながらこのわたし、どのような手つづきをふめばよいのかが皆目わからない。ならばと、女房殿に電話をしてみた。「◯◯さん、今日が誕生日らしいんやけど」「花がいいね」さすがだ。息があう。わが意を得たりと矢つぎ早に質問した。「いくらぐらい?」「◯千円ぐらいのがええね」「どこにある?」「街へ出たらそこらへんになんぼでもある」「うろうろしたくない。ピンポイントで教えて」「大丸の横」「どんなふうに頼めばいい?」「誕生日、女性、◯千円」「あんまりかさばらないのがえいけど」「じゃあボリューム少なめで指定...初体験

  • 晒し

    ・・・・・・好事魔多し心冷たく腹黒く、ブラックホールを抱えたまま日々を生きるこのオジさんは、そりゃなんたってオジさんだもの、生半にはその本性を見せないように用心深く生きている。だが、いかんせん底が浅い。律して生きているつもりでも、ついつい本音が出てしまうときが、ままある。基本的には、自ら・・・・・・とここまで書いて、そのまま寝入ってしまったのが深夜1時前。「下書き」で保存したつもりが、公開投稿になっていた。気づくと、「いいね」がひとつついている。しかたない。恥ずかしいことこのうえないが、自戒を込め、そのまま置いて晒すことにした。自ら行う公開処刑(のようなもの)である。ということで、ではまたあした。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(有)礒部組現場情報晒し

  • 『善の根拠』(南直哉)を読む

    善の根拠南直哉講談社現代新書近ごろ平易な本ばかりを読んでいたわたしが身も蓋もない感想を述べるとすると「なんともはや、こいつは理屈っぽい」。その「歯応え」に途中なんども心が折れそうになる自分を叱咤激励しつつ『善の根拠』(南直哉)を読む。楽な道ばかりを歩いているとこうなるのだよ、と別のわたしに笑われながら、ナントカカントカ読む。だからといって、すっかりなまってしまったわたしの読解力が、飛躍的に回復するわけでもないが、「わからない」は「わからない」なりに読み進めることも、「本を読む」という行為にとっては重要なのだと、おのれを納得させながら読む。そうするとよくしたもので、なかにはスルスルっと腑に入ってくるような文章にも出会う。たとえばこんなだ。・・・・・・たとえば、「秘密の教義がある」と吹聴する宗教者は、その秘匿によっ...『善の根拠』(南直哉)を読む

  • 頬づえ

    「それをすると幸せになれないよ」と言って、頬についたわたしの右手をテーブルに下げてくれた娘の名前はなんといったか。今となっては思い出す手がかりもないが、時と場所とその顔だけはハッキリと覚えている。1978年のマニラ、カラオケバーでのひとコマだ。爾来、頬づえをつくのを戒めてきた。異邦の地でかけられた何げない一言が、なにゆえそれほどわたしの心の中にとどまったのか、これもまた、今となっては思い出せない。はっきりとした事実として残っているのは、頬づえをつかないようにしようという心持ちを保ちつづけたという、ただそのことだけである。歳月が過ぎ、ふと気づいてみると、近ごろなんだか頬づえをつくことが多い。頬のみならず、顎づえしかり、あれはどう表現したらよいのだろうか、前頭部をてのひらの底でささえていることもしょっちゅうだ。とき...頬づえ

  • 29th Anniversary

    平成2年の今日12月2日は、わたしがこの会社ではじめて仕事をした日だ。ん?2日?なぜにそんな中途半端な?といぶかしがるそこのアナタ。たしかにおっしゃるとおり。半端なことこのうえない。師走からあたらしい職場というその時期が半端なら、1日ではなく2日というその日がまた、ハンパなく半端。なぜ12月?という問いに答えるためには相当な字数を要するし、さすがにそのような内輪話を晒す気にはなれないので秘しておくが、「2日から」というのは簡単に説明できる。初出社の日となる予定だった平成2年12月1日が大雨だったのだ。雨が強く降ったら仕事は休みでその日は無給の、いわゆる日給月給という形態ではたらくことになったわたしは、早朝、「今日は雨でしごとができないので明日から出てきてください」との連絡を受け、その日いちにち何をしたのか、今と...29thAnniversary

  • 切り取り方

    朝のニュースで、隣国の大統領を冷笑して見つめるわが国の首相の画像が流れていた。ご本人がどう思っていたかを確かめるすべはないし、そもそもわたしはアノ方が好きではないが、「こういうのをしたらいかんわな」と思った。悪意のある写真なのだ。もう少しくわしく言えば、「悪意のある切り取り方」をした写真なのだ。切り「撮り」方ではない。切り「取り」方である。「インスタグラムに写真をアップする日々」をはじめてから約一年になろうとしている。「インスタグラムに写真をアップする日々」とは同時に、「インスタグラムにアップする写真を撮る日々」でもある。そんななか、「連写をしない」という流儀を守っている。ポリシーというほど大したものではない。連写したなかからうちわでもっともよいと思えるものをチョイスする、というスタイルが好きではないのだ。「一...切り取り方

  • 絵のような ~ モネの庭から(その384)

    どうだろう?今日は絵画チックに攻めてみた。「技術屋日記」と銘打ちながら近ごろでは「土木」のドの字も「技術」のギの字もないではないかとお思いのそこのアナタ。言っておくが、それは今にはじまったことではない。「土木」の「技術屋」が書くブログだからといって、「土木」と「技術」が満載かといえばそうではない。そもそも、はなから、直接的あるいは狭義の「土木技術」についてだけ書こうとはしてないのだもの、読むほうにそう感じられたとしてもあたり前というものだ(”書けない”、もしくは”書くだけの技術を持ち合わせていない”という指摘は受け付けます。たしかにそのとおりですから)。ということで、4日連チャンの「モネの庭から」。ただねえ、毎日毎日写真にたよっていると、文章が書けなくなるのだよ。さて、、、あしたはどうしようか。↑↑インスタグラ...絵のような~モネの庭から(その384)

  • 秋寂び ~ モネの庭から(その383)

    秋寂びの池あかい紅葉(もみじ)冷たい雨誰もいないきこえるのは水面(みなも)に落ちる雨の音だけ・・・これだけそろえば、そりゃ詩情をかきたてられて当然というものだが、残念しごくなことながら、オジさんなんにも出てこない。嗚呼・・凡才の哀しさ。せめて画像なりとアイホンをポケットから取りだして写真を撮る。よいよい。これでよい。なんとなれば、目は口ほどに物を言う。おのれの非才をなげく前に、あの手この手で勝負してみる。正しいオジさんとはそういうものだ。などとうそぶきながら秋寂びの「水の庭」を歩く。しとしとぴっちゃんとふりつづくこの雨があがって、ぬけるような青空になれば、あおい水面(みなも)にあかい紅葉(もみじ)。勝手な期待をふくらませながら秋寂びの「水の庭」を歩く。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(...秋寂び~モネの庭から(その383)

  • どっこい生きている 〜 モネの庭から(その382)

    もみじ散る池に咲く白い睡蓮。半年以上にわたりさまざまな顔を見せてくれた睡蓮たちも残りわずか。とはいえどっこい生きている。どうか、もう少したのしませておくれ。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(有)礒部組現場情報どっこい生きている〜モネの庭から(その382)

  • 裏を見せ表を見せて 〜 モネの庭から(その381)

    夏日に一歩手前まで気温が上がったきのうは特別にしても、そして日によってその差はあるにせよ、おしなべてみれば暖かい日がつづいている。そのせいだろうか。紅葉の色づきが、例年よりまばらな気がしてならない。と、そこで別のわたしがツッこむ。「いつもは毎日来てないやろが」ナルホド。言われてみればたしかにそうだ。例年決まって行う修繕工事は年明けからはじめて2月いっぱいで完了させるのが常だし、今回リニューアルする「光の庭」をあたらしくつくった11年前は、たしかに日参はしたが、今ほどこの庭を鑑賞する眼がそなわってなかった。観察眼やそこから受ける感性などというものは、「鍛えられる」ものでもあるなと、今さらながらに思いつつ、散る紅葉(もみじ)と散らぬ紅葉、あかい紅葉とあおい紅葉、まばらな紅葉と池とのコントラストをたのしんだ。その一部...裏を見せ表を見せて〜モネの庭から(その381)

  • 紙とえんぴつ

    お気づきの方もおられるだろうが、日曜日のブログ更新をやめてから2ヶ月ほどになる。これまでは、「今日は書けない」あるいは「書くネタがない」日には更新しないできた。不定期である。もともとが行きあたりばったりで生きている身だもの、それでどおってことはなくやってきたのだが、ある日突然決めたのだ。日曜は休みだと。とはいえなんのことはない。諸事重なりバタバタして、更新できない日曜日が何日かつづいていることに気づいたのがキッカケとなっただけのことだ。また、元のように不定期の休みに戻る可能性はじゅうぶんある。あくまで今のところ、というただし書きつきの日曜休日だ。ということで休み明け、週はじめの朝だ。ライトなネタでいこう。残土処理場予定地をレーザースキャナで測量し、点群データにした。もちろん、わたしが、ではない。測ったのもつくっ...紙とえんぴつ

  • 『夫のトリセツ』(黒川伊保子)を読む

    そのーなんというか、「トリセツ」という語感が嫌なのだ。ましてや、生身の人間をあつかうのに適した言葉だとは到底思えない。「アタマ固い、死ね」と誹られたなら甘んじて受けよう。しかしわたしは今風であろうとどうあろうと「トリセツ」という言葉を人間に対しては使いたくない。てなことを思いながら『妻のトリセツ』と同じ著者が書いた『夫のトリセツ』を読む。「なんだ読むのかよ」と言われたら、へへへとアタマを掻くしかないが、読みたくなったのだから仕方がない。ということで『夫のトリセツ』だ。黒川伊保子講談社+α新書出版の時系列でいくと『女の機嫌の直し方』(2017年)『妻のトリセツ』(2018年)『夫のトリセツ』(2019年)だ。いかに売れようと、二番煎じ三番煎じ、二匹目のドジョウに三匹目のドジョウ。わたしにとっては『女の機嫌の直し方...『夫のトリセツ』(黒川伊保子)を読む

  • いい夫婦の日

    休みをもらって柚子をとった。ゆず畑は西谷川の対岸にある。そこへと向かうには短い橋を渡らなければならない。その橋の下には淵がある。その淵を見るのが好きで、いつもクルマの速度を落としてゆっくりと走るようにしている。なにか、目をひくものがあれば止まる。今日も止まった。オシドリだ。助手席にすわる女房殿が、「今日は“いい夫婦の日”よ」と言った。ドキっ。胸が騒ぐ。そうか、11月22日は“いい夫婦の日”なのだ。ん?なんという偶然。“いい夫婦の日”に、仲睦まじげなオシドリに出会う。もしかして吉兆か?たぶんそうだ。いや、そうにちがいない。まちがいない。きっとそうだ。そう自分自身に行って聞かせてみる。「ちょっと家に帰るね」そう言って引き返したのにはわけがある。iPhoneで撮った写真がこうだったからだ。偶然である。だが、偶然だから...いい夫婦の日

  • オジさん、お嬢さんに会う。

    若いお嬢さん、と書いて、歳をとったお嬢さんなどというものが存在するのか?とふと考えたが、まあいい、若いお嬢さんは若いお嬢さんだものと思い直し、この稿、書き始める。少し前のことだ。若いお嬢さんと会った。旧知の女性だ。彼女と会ったのは何年前だったろう。女子高生と、民間講師として赴いたオジさんというシチュエーションで、である。『いつも通る道、渡る橋』と題して行った話のあと、皆から感想文をもらった。そんななか、彼女の文章はよく覚えている。その他何人かとともに「かっこいい」というキーワードを使ってくれていたからだ。「かっこいい」「土木の仕事が“かっこいい”」なんて……じ〜ん……。そのときの感動がよみがえった。しばし、はずんだ会話のあと、彼女と別れて会社に帰り、どれどれたしかこのへんにあったはずと、適当だと目ぼしいところを...オジさん、お嬢さんに会う。

  • 出勤途上の車中にて

    なんだかとてもそんな気分なので、『実年行進曲』を聴きながら出社した。のっけ、植木等の声が車内にひびく。”気にしない気にしないただ前進あるのみ行くぞ!”「いやあ、いい歳をして”前進あるのみ”はいただけないよ」と、よせばいいのに真面目に思う。「前進あるのみ」ごくごく若いころは大好きな言葉だった。折にふれては使っていたような、そんな記憶がある。「前進」あるいは「前向き」。悪い意味で使われる言葉ではないし、悪い意味にとる人も少ないだろう。しかし、「前進あるのみ」はどうだろうか。青少年がそう言うならともかく、いい歳をした大人が使うのはチトいただけない。一心不乱無我夢中熱中集中一生懸命・・・、コンセントレーションを高めるのは悪くないが、入りこんでしまう、つまり没入するのはよくないとわたしは思う。「前進する」ことに没入すると...出勤途上の車中にて

  • ちる紅葉ちらぬ紅葉は ~ モネの庭から(その380)

    水面(みなも)に映る紅葉(もみじ)の見ごろはこの週末ぐらいだろうか。などと考えつつ、池のまわりを歩く。とはいえ柚子の収穫で拘束されているわが身だもの、社休日は貴重だ。「紅葉でも観に行こうか」なんぞという能天気が許されるはずもない。と、ふとあることに思い当たった。「毎日来てるじゃないか」そう、毎日しかも日に何度か、この池のまわりを通って現場へと歩いて行っているのは誰あろう、当のわたし自身なのに、ついつい例年のような感覚で考えていた自分を笑う。そう、今年はいつもの年とはチトちがう。毎日毎日、日に日に色づきその様相を変える池の水面(みなも)を観察しつつ、現場へと行けばそれでよいではないか。そう、それがよいそれがよいと心のなかで一件落着。太鼓橋から下をのぞくと、はや散ってしまった楓の木の葉っぱがいくつか、睡蓮の葉に寄り...ちる紅葉ちらぬ紅葉は~モネの庭から(その380)

  • 『宇宙のカケラ 物理学者、般若心経を語る』(佐治晴夫)を読む

    宇宙のカケラ物理学者、般若心経を語る佐治晴夫毎日新聞出版『宇宙のカケラ物理学者、般若心経を語る』(佐治晴夫)を読む。のっけからこんな文章に出会った。・・・・・・私たちの体を構成しているすべての物質は、星が光り輝く過程でつくられました。その星が超新星爆発という形で終焉を迎え、宇宙空間にばらまかれた。その星のひとかけらから地球ができ、人間が誕生しました。私たちはその星のひとかけら、つまり自然の分身です。(P.14)・・・・・・それをふまえて著者は「生きる」ということについてこう説く。・・・・・・私は「生きる」ということはあなた自身の物語をつくることだと思っています。生まれながらにして全員が、作者というわけです。物語をつくるには、自分ひとりでは成立しません。自分と自然とのかかわり、自分と相手とのかかわり、それはすてき...『宇宙のカケラ物理学者、般若心経を語る』(佐治晴夫)を読む

  • どうも近ごろ夢見が悪い。かといってそれが精神状態がどうだからこうだからと考えるほどにナイーブではないが、少なくとも、見ている最中の気分の悪さには辟易としてしまう。今日未明、そんな夢のさなかに自問自答した。これは夢だな。うん、夢だ。ということはその創造主たるオレが目覚めたらコイツらの命運は尽きるわけだ。たしかに。じゃあやっちまえ。けど眠い。なんだよ意気地のないやつだな。でも眠い。まったく煮え切らないやつだ。わかった、やるよ。よし、やれ。いいか、起きるぞ。さあ、起きろ。バチっと目をあけ、しばし布団にくるまり考えごとをしていると、そのうちウトウトと眠気が。ではふたたび、おやすみなさい。朝方、なんと彼奴らがまた登場してきた。嗚呼・・・そんなこんなで夜が更けた、某月某日。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木の...夢

  • 夕暮れどき ~ モネの庭から(その379)

    「うちの奥さんがね」含み笑いをしながら近づいてきた彼がつづける。「見たらしいんですよ」言っておくがわたしは、この手の持って回った言い方がキライだ。「何を?」不機嫌になりかけが、少し顔に出ていたかもしれない。そんなわたしには委細かまわず、迂遠に話をするのがとてもたのしそうな彼がつづける。「びっくりしたって」「・・・・・」「すごいねって」「だーかーらーっ。何を?何に?何が?」会話を急かせるわたし。「インターネットですよ」ん?なんだかピンと来た。「そうか、見たか。どうやって見つけた?」「モネの庭関連で調べてたら行き当たったらしいんですよ」不機嫌一転、この時点ですでにわたしの相好はくずれていたはずだ。「で、なにを見つけたの」「ブログですよ、ブログ」「で、感想は?なんて言いよった?」「すごいって。よっぽどモネの庭が好きな...夕暮れどき~モネの庭から(その379)

  • セピア色の写真

    机の上に一枚の葉書がある。その半分を占めているのはセピア色の写真だ。写っているのは、グレンチェックのロングスカートに、コートのフードをすっぽりと被り欅並木を見上げる女性のうしろ姿。ちらほらと粉雪が舞っているようだ。樹々はその枝の先までが光に包まれている。これまでライトアップの悪口を散々広言してきたわたしが言うのもなんだけど、そのライトアップはうつくしい。写真につけられたキャプションには「仙台光のページェント2018にて」とある。定禅寺通りだ。葉書の送り主がその写真をセピア色にしたのは、「見る人それぞれが色をつけてほしい」と期待したからか、それとも自身の思い出を象徴する色としてセピアを使ったか。どちらかはわからないが、わたしは前者のような気がして見た。刹那、まばゆい光が目に飛び込んできたような気がしたが、すぐにセ...セピア色の写真

  • ある朝の気づき

    「このブログ、どうも最近年寄りっぽくていけないネ」とお思いのそこのアナタ。その感想、まちがってはいないが、唐の詩人劉希夷いわく「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」だ。毎年、花は同じように咲くが、人は変わって同じではない。歳をとると齢を重ねたぶんだけ変化する。わたしがその例外であるはずもない。と断っておいて、今日も年寄りっぽくいってみる。「あれ?なんなんだこの疲れは?」と首をひねり、きのうのわが身の行動を思い返してみるが、心当たりはない。そのようなことが、この夏から断続的につづいていた。夏が過ぎ、秋が深まり、徐々にその回数が少なくなり、間隔も長くなりしてくると、「ああ、アレはきっと夏バテというやつだったんだ」と、その正体の訳がわからないまま、適当な結論を与えて納得していた今日このごろ。ある日、ふと気がついた...ある朝の気づき

  • 『妻のトリセツ』(黒川伊保子)を読む

    妻のトリセツ黒川伊保子講談社+α新書「トリセツとは」検索するまでもない。取扱説明書の略である。『妻のトリセツ』を読む。「トリセツはアウトでしょうよトリセツは」などと、「いかにも」キャッチーなタイトルに文句をつけながら『妻のトリセツ』を読む。わたしが著者の書いたものを最初に読んだのは、名著の誉れ高い(わたしのなかでは)アノ『女の機嫌の直し方』だった。女の機嫌の直し方(インターナショナル新書)黒川伊保子集英社インターナショナルその内容がよほど衝撃的だったのだろう。読みはじめてから2回、読み終わってから2回と、つごう4回に渡って、感想やその他もろもろをこのブログに綴っている。そして、その他数作を読んで『妻のトリセツ』だ。うっすらと予想されていたこととはいえ、さほどカイゼンされてはいないわたしの現実がある。読んでいて、...『妻のトリセツ』(黒川伊保子)を読む

  • ゆず農家の至福

    収穫のよろこび、などと言えば体はいいが、そして、それを「たのしい」とかのたまう人が実際に存在するのも知ってはいるが、少なくともその作業にかかわっているあいだは、わたしにとって苦役以外のなにものでもない。何がって、柚子の収穫が、である。とはいえ、そんな一日が終わり、晩餉のときともなると、その様相は一変する。何がって、これがあるからである。実生のゆずを大量にしぼり入れた焼酎の上からソーダを注ぐ。沈んでは浮き、浮いては沈みをくりかえしながら、きらめく泡に身をおどらせる柚子の種にわが身の来し方をかさね、一杯一杯またいっぱい。ああ、柚子農家の至福ここにあり。「って結局、たのしんでるんじゃないかよ」という指摘は受けつけないので悪しからず。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(有)礒部組現場情報ゆず農家の至福

  • 『寂聴 観音経 愛とは』(瀬戸内寂聴)を読む

    寂聴観音経愛とは瀬戸内寂聴中公文庫ふと観音経に興味を抱き読んでいた。声に出して、である。観音経、法華経のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」だ。しかし、「どんな困難や苦難に直面しても、南無観世音菩薩と一心に称名すれば、観音様が現れて救ってくれる」という即物的かつ現世利益の権化のような経文が、どうにもココロと身体にフィットしてこない。とはいえ、その言葉が持つ音とリズムの力強さとバランスのよさに、辺境の太鼓打ちとしてはなんだかとても惹かれるものがある。さて・・・と考えて、経典を解説した本を読んでみようとAmazonをのぞいてみた。さすがに般若心経関連ほどの数はないが、多数ある。そのなかで、すぐに目にとまったのが「寂聴版」だ。『寂聴般若心経生きるとは』を読んだばかりで気をよくしているところだ、ちゅうちょなくポチッとした...『寂聴観音経愛とは』(瀬戸内寂聴)を読む

  • 冷え性

    「わ、つめたーい!」偶然わたしの手に触れた子どもがそう叫ぶ。いつものことだ。「ココロが冷たいきね」さらっと受け流す。そんなことがよくある。それにしても、この冷え性はなんとかならないものか。齢を重ねれば重ねるほど、どんどん悪化しているような気がする。毎年毎年、寒くなり始めるとそう感じるのだが、今年は特にその感が強い(ような気がする)。かといって着膨れするのは嫌だ。真冬でも、できるかぎり軽装でいたい。そんなオジさんにはユニクロのヒートテックシャツだとかウルトラライトダウンベストがありがたい。軽くてあたたかい。このうえは、手先はいたしかたないとしても、足先を暖める何か、軽くてあたたかい何かをつくってくれないだろうか。そんなことを考えながらクルマを走らせ出社していたら、前方に自転車乗りハッケン。いつもこの時刻に追い越す...冷え性

  • きょう持っていくもの

    こんな画像を見せてもらった。小学一年生が自宅のホワイトボードに書いていたという。「持ちもの」とは、「学校へ持っていくもの」だろう。忘れないようにと、ホワイトボードに記入しておく。よい心がけだ。そして、よい教育だ。忘れ物常習者だったわたしが言うからマチガイない。とはいえふつうは、ハンカチとか色えんぴつとかの物品を書くものだろう。なんてったって「持ちもの」である。「もの」しか思い浮かばなくてあたり前だ。ところがこの小学一年生はチトちがう。いやかなりチガウと言っていい。持ちもの。やる気。今日、持っていくもの。やる気。今日、忘れてはならないもの。やる気。ほんの小さなできごとの積み重ねで、少々ヤル気を失っていたオジさんは目を見はった。大きくはない目をめいっぱい開いてその三文字を見た。むむむむむハンカチを忘れてもいいティッ...きょう持っていくもの

  • (仕事の)常識

    「水位は?」「だいぶ下がりました。もうちょっと下がってくれたらいいんですけど」という言葉のやりとりのあと、「もう大きな雨はないわ、11月やし」という言葉を口に出しかけて、「いや待てよ」と飲みこんだ。ここいらの「土木の常識」で言えば、川の仕事はこれからの季節が本番である。理由は簡単。もちろん、遊漁期が終わったというのもあるが、第一番には「雨が少ない」からだ。当然のことだが、雨が降らなければ水位が上がることはない。水位が下がれば仕事がしやすくなる。したがって、河川工事のみならず、すべからく「川に関係する仕事」は、11〜2月の「雨が少ない」時季にがんばらなければならない。これが、ここいらの「土木の常識」だ。しかし、その常識が通用しなくなってきている。11月でも12月でも、その回数と確率はぐっと少なくはなるにせよ大雨は...(仕事の)常識

  • 実年行進曲

    バックホウが2台とダンプトラックが1台。いわゆる床掘という作業をしている現場でドローンオペレーターをしていて、ふと気づいたこと。現場正面上空から俯瞰して、右から68歳、60歳、69歳。その年齢構成に思わずニコリ。ある歌が脳内で流れた。♪オレたちゃ実年文句があるか♪青島幸男の歌詞に大滝詠一が曲をつけ(逆か?)、歌っているのはハナ肇とクレージーキャッツだ。実年。今では誰も使うことがなくなったその言葉は、実年行進曲がリリースされる前年の1985年、当時の厚生省が公募にもとづいて決めた50〜60歳代をあらわす言葉で、当時においても、お役所が期待したほどには普及しなかった。そのようなことはまあいい。実年行進曲である。オジさんたちの流れるようなチームワークに別れを告げ、車上の人となったわたしのクルマには、なぜかその実年行進...実年行進曲

  • 『寂聴 般若心経 生きるとは』(瀬戸内寂聴)を読む

    瀬戸内寂聴『般若心経生きるとは』中公文庫瀬戸内寂聴さんは、いまだかつて、わたしが読みたいと欲する類のなかには一度も出てきたことがない作家だ。そして、半額以下の値段で購入できるKindle版でも文庫本でもなく、なぜか単行本で読みたくなった本である。で、どうだったかというと、「とてもよかった」というのが率直な感想だ。いい歳をしたオヤジが使うような表現ではないのだろうが、「とてもよかった」という言葉がまず思い浮かんだのだから仕方がない。・・・・・・この最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」、これは訳していないんです。サンスクリットそのまんまを伝えているんです。強いて訳せば「行け、行け、彼の岸へ行け」、というようなことになります。そう訳してしまうと、それだけの意味になってしまう。だけれども、それだけではないもの...『寂聴般若心経生きるとは』(瀬戸内寂聴)を読む

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