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2008/07/22

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  • 終結宣言

    さてどうしたものかと考えていた。このまま何もせずにフェードアウトするか、それとも、はっきりと宣することでケジメをつけるか。まったく書かなくなって約ふた月が経った近ごろ、どちらがよいのだろうと考えていた。萌芽はあった。例えば今年1月22日、『勝負の相手』という稿をあらわしたぼくは、こんなふうに記している。積み上げてきたもので勝負しても勝てねえよ。積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえよ。竹原ピストル『オールドルーキー』の一節です。とはいえそれを思い浮かべるのは、今に始まったことではありません。これまでも折に触れてはそうだったし、また、このブログをはじめとして様々な講話でも、主に仕事を遂行する上での心がまえとして紹介してもきた、ぼくにとってはお気に入り中のお気に入り、まちがいなくトップランクに位置する言葉で...終結宣言

  • その怒り、いったん棚あげしてみない?

    その怒り、いったん棚上げしてみたら?というキャプションを、顔を真赤にして怒るかつての自分の写真につけて、ケータイの待ち受け画面にしたのは、昨年の10月初旬のことでした。企図したのはアンガーマネジメントです。いくら「キレてないよ」と抗弁しても、誰がどこからどう見ても「キレてる」としか思えないスキンヘッドのおっさんが、口角泡を飛ばす勢いで眼前の誰かに何かを言っている。それが自分自身だということで羞恥心を呼び起こし、さらにそこへ「棚上げしてみたら?」という揶揄的な提案が重なって、「怒っている」という現実に歯止めをかけようとした。しかもそのフォントは「KFひま字」というふざけた、いやのんびりとしたフォントときているのですから、これはもう効果抜群だろうと、われながら自信満々の企画でした。「怒る」という感情を抱くのは...その怒り、いったん棚あげしてみない?

  • 受動と能動

    このひと(あのひと)と巡り会ったことが、その後の仕事や人生において重要な意味をもった。誰しもに、そう思えることがあるのではないだろうか。そして多くのひとは、だからその出会いが自分にとっての必然だったと捉える。しかしそれは、数多ある他の巡り合いを記憶の彼方に置き去り、その邂逅を残しておくという選択をしたということでもある。いつの場合でも出会いは偶然でしかない。その偶然を必然たらしめたのは、それぞれの選択ゆえである。選択はいつの場合でも、究極的には能動だ。もちろん、そうせざるを得なかったという場合はある。苦渋の選択というやつだ。そして、悲しいことに心身をコントロールされてしまい、何がなんだかわからぬうちに選んでしまうということもあるだろう。しかし、最終局面における判断は自らがする。その一点において選択は能動だ...受動と能動

  • 色覚異常隔世遺伝

    10歳の孫が色覚異常であることが判明した。少しうれしく思う自分がおかしい。これまでにも何度か書いてきたように、ぼくは生まれつきの色覚異常者だ。色覚異常、特定の色を識別する能力が低い状態だ。色のちがいがわかりにくかったり、ひどい場合はちがう色が同じ色に見えたりする。ぼくの場合はそれが赤と緑。といっても巷間よく言われるように、赤が緑に見えたり、赤色の信号が見えないわけではない。仕事関連でいえばそれは、たとえば岩についた苔の緑に赤いスプレーで書いた文字だとか樹木の葉っぱや下草のなかにある赤いスプレーを塗布した杭だとかが見えにくいことであり、ふだんの暮らしでは、濃紺や濃い緑と黒が区別しにくかったり、グリーン系の衣服がどうやら他人とはちがった見え方をしているらしい(自分ではわからない)ことだったりする。つまり、仕事...色覚異常隔世遺伝

  • いられ

    「いられ」という言葉がある。Adobe社のソフト、Illustratorの略ではない(そう呼ぶ人も多いけど)。「いられ」、土佐弁だ。せっかち。短気。そういった気質をもつひとを指して言う。つまり、「待てないひと」のことだ。ぼくには、かつて「いられ」であったという自己認識がある。「かつて」と表現するからには、今はそうではないという前提があるのだが、自分でそう思うほど他人にはそう感じさせていないのかもしれないし、たぶん根っこのところにはこびりついているのだから、「そうではない」と断定することはできない。とはいえ、ぼくのなかでのそれは、かつてとは様相が異なっている。「そうはいってもアンタ、顔にはしっかり出ているよ」と指摘されたら、さもありなんと黙ってアタマを掻くしかないが、とにもかくにも自意識としては、かなり払拭...いられ

  • 好きこそものの

    先日、連携して通年授業を行っている安芸高校で、生徒によるその成果の発表会がありました。そこで「ほぉ」と意外だったのは、複数の生徒から「たのしかった」という言葉が出たことです。たのしい。現代日本において、若者に何かを伝える場合や、何かを協働する場合には、特に念頭においておかなければならないキーワードでしょう。それが良いのかわるいのか、また、そういう態度で物事にのぞむのが好きか嫌いか、それは別の話です。とにもかくにも、今という時代の日本においてはそうなのです。しかしそれならば、何も意外に思うことはありません。「ふむふむそうかそうか、そりゃよかったぢゃないか」と微笑んでいればよいのです。ぼくが意外だったのは、「本当にそうだったのか?」という疑念を払拭できなかったからでした。最後にひと言、と教員に促され皆の前に立...好きこそものの

  • 上下

    かつて(といっても、かなり昔ですが)のぼくは、たとえば部下が失敗をしたとして、それを上に報告する場合、「ぼくの指示なので、責任はぼくにあります」というような物言いをするひとでした。たとえそれが自分自身が指示したものではなかったとしても、そういう筋立てを基本として事にのぞむ人間だったのです。一見すると「よい上司」のように思えます。しかし、そうとばかりも言えません。そして今のぼくは、そういう言動を否定します。いや、上司の方法論としては完全否定するものではありませんし、ときと場合によっては効果的な方法ではあります。それを踏まえてなお今のぼくは、基本的にそれを否定します。などと言うと、なぜ?と訝る人も多いでしょう。自分がリーダーである部署やチームのなかで起こったミスや失敗は、内々では叱責したり指導したりをするにし...上下

  • ムダな工事

    「地域にとってムダな工事は見たことがありません」あるウエブ記事を読んでいて出会った言葉です。とある若い建設業経営者が書いたものです。同様の言説は、時おり目にし耳にすることがあります。まず例外なく、みなさん真剣にそうおっしゃっているのですが、ぼくはといえば苦笑を禁じえず、これまた例外なく、心の内で即答するのです。「あります」ムダな公共工事はない。そう思うのは自由ですけれど、これはもう「ある」としか言いようがありません。長くこの仕事をやってきている業界人であればあるほど、その年数に比例して、「ムダな公共工事」と出会った回数が多いでしょう。もちろん、観点次第ではあります。立場次第でもあります。ものの見方は十人十色。あるひとつの公共事業をとっても、それをムダで意味がないと感じるか、有意義なものと受け取るか、まった...ムダな工事

  • 一事が万事

    北条三代。戦国時代、小田原を拠点とし関東一円を支配した北条氏の治世を指してそう呼ぶが、じつは後北条氏は五代までつづいている。では何故「三代」なのか。それは、滅亡へのトリガーを引いたとされている四代氏政が暗愚の君主であった(諸説あり)ため、彼以降はカウントせず、初代早雲をはじめ、二代氏綱、三代氏康までをもって栄華を誇った北条氏を呼びあらわして「北条三代」、その四代目のエピソードとして有名なのが「汁かけ飯」、氏政が少年時代の話だ。ある日の食事中、汁を一度メシにかけて食べた氏政少年。しかし、案に相違し、メシの量に比して汁は少なく、もう一度汁をかけ足した。それを見た父の氏康。「毎日食事をしておきながら、メシにかける汁の量も測れんとは、北条家もワシの代で終わりか」と嘆息したという。いわゆる、「一事が万事」というやつ...一事が万事

  • 負けても腐るな

    初場所もたけなわ。大方の予想を裏切り、またもや混戦模様となった本命不在の優勝争いが、それはそれでおもしろい。そんななか、それに絡むことはできないが、なかなかに存在感を発揮しているのが阿炎。先日の放送では、師匠である先代錣山(現役時代の四股名は寺尾)が彼に宛てたという言葉が紹介されていた。いわく「負けても腐るな」うん、大切なことだ。とうなずくぼくは、皆さんご存知のように「腐る」ひとだ。負けて腐るのは当然のこと、何かにつけて不貞腐れる。思えば、そんな自分とたたかい、それを克服しようとすることに、人生に与えられた時間の多くを割いてきたような印象すらあるが、それが実を結んだのかどうかと自分に問うてみても芳しい答えは返ってこない。事ほど左様に、負けては腐るし、何かといえば不貞腐れる。いやいやだからこそではないか。だ...負けても腐るな

  • 不完全であるということ

    LINEの着信音が鳴った。知人からだ。折しも、ある事業が終わったのに伴う事務処理についてやり取りをしていた人だ。どれどれ、とのぞいてみると、約2時間を要し仕上げていた渾身のテキストが、完成間際になって飛んでしまったのだという。なんとも言いようがない。「ご愁傷さまです」とだけ返した。と、それから1時間以上が経っただろうか。ふたたび連絡があった。己を叱咤激励して再開したものの、また消えたらしい。今度はかける言葉がない。かつてはぼくにも、その手の事象がよくあった。だから気持ちは痛いほどわかる。しかし、クラウド(主にOneDrive)上で仕事をし、なおかつOffice製品であれば自動保存がオンになっている今のぼくには、ほとんど起こらないことだ。とはいえ、まったくないかといえばそんなことはなく、現に今、こうやって書...不完全であるということ

  • 勝負の相手

    正月前後の長期休暇中、浮かんでは消え消えては浮かびを繰り返す言葉がありました。積み上げてきたもので勝負しても勝てねえよ。積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえよ。竹原ピストル『オールドルーキー』の一節です。とはいえそれを思い浮かべるのは、今に始まったことではありません。これまでも折に触れてはそうだったし、また、このブログをはじめとして様々な講話でも、主に仕事を遂行する上での心がまえとして紹介してもきた、ぼくにとってはお気に入り中のお気に入り、まちがいなくトップランクに位置する言葉です。自分が積み上げてきたもので他人と勝負する。そこには勝ちもあれば負けもあるでしょう。しかし、積み上げてきたもので勝負しようという心の持ちようでいるかぎり、その勝ち負けの割合は負けの方が多くなるでしょうし、やがてはまったく勝て...勝負の相手

  • いやし

    「いやし」である。といっても、昨今もてはやされる「癒やし」ではなく、食べ物に執着する、あるいは、食べ物をやたらとほしがる人を指して言うところの「いやし」、つまり、「いやしんぼ(卑しん坊)」の略としての「いやし」である。「卑しい」と「坊」を組み合わせた言葉だから、もちろん、相手を見下げて用いる語句にちがいない。とはいえそんなことを言うと、ぼくを知っている人なら十中八九が首をかしげるにちがいない。そう。それほどにぼくは食が細い。一般の成人男性と比べると、半分は大げさにしても、けっこうな割合で少食だ。いや、若者が相手だと半分ほどかもしれない。昨今流行りの「大食い」に毒された人ならば、それこそ月とスッポン、比較の対象にもならない。そうはいっても、少食と卑しん坊が並立できないわけではない。別に完全対立をした概念では...いやし

  • おせっかい

    十年来の知己が緊急入院したというのを知ったのは、彼が退院後にアップロードしたSNSからである。さっそく、ダイレクトメッセージで近況を問うてみると、思いのほか上々らしく、ほっと胸をなでおろした。そのやり取りのなかで彼が書いてきたあるできごとに驚いた。なんと、ぼくが夢の中に何度も出てきたと言うのだ。その文字を見るなり、いやはやまったく・・と苦笑する。いくらおせっかいの質だとはいえ、遠く離れた病床、しかも一時は死をも覚悟したというところにまで顔を出すとは、いくらなんでも度が過ぎるというものだ。苦笑いするしかないではないか。と同時に思い浮かんだのが、若いころ読んだ詩の一節だった。夢の中まで追いかけてきていったい君はぼくにどうしてほしいのかうろ覚えだが、そんなふうな言葉だったと思う。あれはたしか山之口貘・・いやいや...おせっかい

  • HUBとして

    師が亡くなった。といっても不肖の弟子だったぼくに、彼のことを師と呼ぶ資格があるかどうかに少々の疑念がないわけではないが、そのような想いを別にすると、赤の他人の目からは、どこからどう見ても師匠だったはずだ。「よく叱られたねえ」葬儀の席で隣りに座った三十年来の鼓友はそう言うが、思い起こしてみても、ぼくにはそのような記憶がない。ついでに、技術的な指導に関して記憶をたどってみたが、片手の指で余るほどしか思い出せない。たぶんぼくの態度が彼をしてそうさせていたのだろう。人と人との関係は鏡のようなもの。相手は自分を映す鏡であり、相手にとっての自分もまた同様だ。師弟関係というものは、弟子となる者が師に対して「先生はえらい」と思い定め決意しなければ、真の意味で成立しないものだ。それにもかかわらず、ぼくには、彼のみならず誰に...HUBとして

  • 老後の初心

    数年前なら斜にかまえ、興が乗らない顔をして見ていたはずのバーチャルリアリティー(VR)を、高校での授業に使おうと思い立ち、ある現場の点群データと完成モデルに遊び心満載のアセットを加え準備は万端。いざVRアプリケーションという段になって、どうやってもログインできずに悪戦苦闘。すぐに質問するのは傍迷惑だと思い、自己完結を目指してみたが、どうにもならずに、とうとうヘルプミーを発信。それでも上手くいかずに1日半もの時間を費やしたあげく、ふと、「コレってブラウザのせいか?」などと初歩的でシンプルきわまりない原因に思い当たったのがきのうの夕方。一夜明け、仕切り直しとばかりに、なぜだか固執してしまっていたEdgeを普段づかいのChromeに変えて再チャレンジしてみるとなんのことはない、ぴんぽーんの大正解。そのあとも数々...老後の初心

  • 「書く」と「考える」の相互扶助

    思うに今のぼくの「書けない」は、思考したことを綴り、あるいは綴りながら思考をするうちに、論理の筋が外れたりつながらなかったりすることに思い悩み、どうすりゃいいのさと思案したまま脳が立ち往生してしまうことにその多くの要因があるようだ。といっても、なにも飛んだり跳ねたりするわけではないが、横っちょに行ったりループしたり、あるいは地下へ潜ってしまったりと、まともに行くことはほぼない。たぶんその直接的な要因は、「書きながら考える」というぼくのスタイルにある。結論ありきで書くのならば、そこに向けてまっすぐ歩みを進めればよいだけなのだが、ぼくの場合はそうではない。総じて書き始めはよい。しかし、「書きながら考える」うちに、ついていく枝葉に、「ありゃ、これはどうなんだろう」と思い始めたときは既に遅し。当初脳内で描いていた...「書く」と「考える」の相互扶助

  • ミッションコンプリートに向けて

    現場事務所のホワイトボード稼働日はあと4日そして・・・中間目標達成まであと3日。26日(木)の高欄コンクリート打込みが済めばお正月。そして・・・どんなにササクレだった激走のさなかにも安全第一を忘れるなとばかりにきのうは四国安全研修センターさんによる安全パトロールと安全教育。ということで本日もご安全に!(みやうち)ミッションコンプリートに向けて

  • 黒の手帳

    Amazonから届いた黒い手帳の表紙には、右上に金色の字で「2025」とだけ記されている。日本能率協会マネジメントセンター発行の「NOLTY能率手帳A5月間ブロック(黒)」である。薄い罫線が引かれたページをめくると、そうそうこれこれ、と懐かしさに脳ミソが喜んでいるのがわかる。胸ポケットに差したUniJETSTREAM三色ボールペンを取り出し予定を書き込む。なんだか少しぎこちない。相変わらず下手くそな字だなと呆れ返るが、かまわずつづける。日本語ワードプロセッサというものがこの世に登場して以来、長いあいだ字が下手なことにコンプレックスを抱いていたぼくは、これ幸いとそれに飛びつき、周りの誰よりも速く打てるように、自在に使いこなせるようにとトレーニングを重ねた。そのうちそれがパーソナルコンピュータに代わっても同様...黒の手帳

  • ギャップ2

    視力がよかったから、記憶力がよかったから。だからより一層、今の自分に幻滅する。しかし、考えてみればその感覚には、少しばかりの思い違いがあるのかもしれない。「出来た」が「出来なくなった」は、多くの場合で、過去の自分と今の自分という比較にしかすぎないからだ。と書いたきのう。そうとばかりも言えないのではないか、と思えてきたので、過去の自分と今の自分とのギャップにまつわることなどについてまた考えてみた。「思い違い」といえば、「出来たが出来なくなった」という感覚こそがその最たるものなのではないかという疑念が生じたからだ。といってもそれは、突然降って湧いたように生まれたわけではない。ここ数ヶ月のあいだで、折に触れては降りてきて、また、ひょんなことから湧いてきてを繰り返し、ぼくのなかでは確信に近いものになりつつあった。...ギャップ2

  • ギャップ

    視力がよい人は老眼になるのが早いという。たしかにぼくにも覚えがある。四十代の前半から老眼鏡のお世話になるようになったぼくは、視力検査というものに初めて出会ってから数十年間ずっと、両眼ともに2.0の視力をゆずらなかった。なのでぼくには、世の中が「ぼんやりと視える」という体験がほぼない。したがって、それがふつーだという近視の人たちの感覚がよくわからない。だからだろうか、白黒はっきりつけたがる性分なのは、とも思うのだが真偽の程は定かではないし、今日の主旨はそこではないので、いずれまた、ということで前へ進む。思うに、齢を重ね老境に達するということは、出来ていたことが出来なくなったと同義である。いや、身体機能的にはたしかにそうにはちがいないが、精神の上では、必ずしもそう断言することはできない。亀の甲より年の功。経験...ギャップ

  • 漢字か平仮名か

    「現地の人のしこうに合わせて」というそのテロップが画面下に流れたのはNHKの朝のニュース。東南アジアのコーヒー事情に関する報道だった。いくらなんでも「しこう」はないのではないか。と感じたぼくは、皆さんご存知のように、「わかりやすく」を標榜し、また花森安治に習い「ひらがな」で書くことを自らに課してきた者だ(近ごろでは宗旨を少しだけ変えたが、それについてはまた後日)。山本夏彦は、その花森の「実用文十訓」を紹介した『私の岩波物語』でこう書いている。******字句を吟味して、耳で聞いてわからぬ言葉は使うまいとした。極力平がなで書いた。平がなばかりだと読みにくくなる。要所要所に漢字がほしい。そのあんばいに苦心した。だから誌面はかな沢山でまっ白でありながら読みやすいのは苦心の存するところで、ぱっと誌面をひろげてなが...漢字か平仮名か

  • あんどぅりどぅ

    「あゝ元へは戻せないんだよなぁ」スマートフォンやタブレットを使っていると毎日のように思う。長いあいだPCを日常的に使うなかで、アンドゥ(元へ戻す)とリドゥ(やり直す)が至極当たり前のこととして脳内に染みついてしまったぼくには、それができないことに対しての違和感がハンパない。それが紙ならば、はなから期待をしていないので、文字を消したり書き直したりすることに違和感はないのだが、やはりもどかしさは残る。「あゝ元へ戻すことができたらいいのになぁ」いやはや困ったものだ。あえて言うまでもないが、現実世界にはアンドゥもリドゥもない。吐いた言葉は取り消せないし、実行済みの行動はやり直すことはできても、なかったことにすることはできない。「生きる」ということは不可逆だ。不可逆を連続して生きているのが人間だとも言える。それゆえ...あんどぅりどぅ

  • みんな夢のなか

    夢を見た。ブログを書いている夢をだ。いや正しくは、書かなければならないと右往左往しあれこれを思い悩む夢をだ。ずっと見た。といっても、ぼくが「ずっと」と感じているだけで、科学的にはそうではないのだろうが、夜中に2度起きて、そのたびにつづきを見たのだから、感覚的には夜通し「ずっと」だ。どのような夢だったのか。きのうアレを書いたから今日はそのつづき。他にもコレもあるしソレもあるし、どのような順番でどういった切り口で、どう構成するか。そのことについて悩み、喧々諤々と議論をしている。しかもそれは、ココについてなのかアッチ(現場情報)のことなのか。ネタや内容がクロスオーバーしていてよくわからない。そんな夢だ。その対話の相手は、他ならぬぼく自身だ。夢を見ている当事者としてのぼくが、夢のなかの登場人物としてのぼくに話しか...みんな夢のなか

  • 方言とAI

    中岡迂山記念全国書展にぼくがかかわって十数年が経つ。「全国」という名を冠した展示会であるから、各地から応募があって、入賞者も県内の人ではない場合が多いこともある。そして、表彰式のあとには懇親の宴がもよおされ、遠来の方々をもてなすのもぼくの役目のひとつだ。今年のそれは先月末にあった。東京から来た一団のひとりであった男性がにこやかな表情で言う。「いや~地元の言葉がいいですね~」「出てますか?」ぼくが不審げに問うたのには理由がある。今どきの田舎者は方言を使わないからだ。それがぼくより、そう10歳ほども年長ならばいざ知らず、昭和30年代前半生まれであるぼくたちの年代でさえ、意識をしさえすれば日本全国で共通するふつーっぽい話し方はできる。いわゆる標準語をしゃべるという意味ではない。方言や訛りを極力出さずに会話をする...方言とAI

  • 15年後

    かつて、農業に転身するために会社を去っていった20代後半の若者がいた。惜別の宴で、「ここで教わったことを、これから先に活かしていきたい」と、おじさんを泣かせるようなあいさつをしたソイツが、15年の時を経てまたここで働いてくれるという。「変わらんなオマエ」「いや白髪がかなり」思わず頭頂部に手をやったぼくは「あるだけマシよ」と言いかけてやめ「また頼むわ」頭を下げた。別れたあとふと思い立ち当時の写真を見返してみるとぼくの頭頂部には既に毛がない。「なんだオレもさほど変わってないではないか」アタマをなでた。15年後

  • あばたも

    あばたもえくぼ。恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見えてしまう。贔屓目に見れば、どんな欠点でも長所に見えてしまうものだということの喩えだ。といっても、土木施工においてはそうはいかない。「あばた」は欠陥。しかも施工不良がもとで生じる欠陥のひとつだからだ。こと土木の世界では、どこからどう見ても「えくぼ」に見えることはない。先日、お城下でひらかれた「よいコンクリート」をつくる施工技術の講習会に行ってきた。斯界の第一人者であるTさんが来ると聞き、自ら志願をしての参加だ。特段あたらしい発見があったわけでもなく、基礎技術を学び直したという形だが、歳を取ると、覚えていたことを次から次へと忘れていくのだから、こうやって再確認するのもわるくない。特にそれが基礎的なことならなおさらだ。途中、施工不良による不具合...あばたも

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その18 ~令和6年のファックス通信~

    ある人のデスクに置かれていた一枚の紙は、どうやらファックスで送られてきたもののようです。表題に惹かれ何気なく内容を確かめていたぼくの目が、次の一文に釘付けになりました。「申込については、下記URL(申込みフォーム)から必要事項を入力のうえ、◯月◯日までに送信してください」文末には、そのサイトのURLとQRコードが貼ってあります。はて?これを受け取った受信者各自は、いったいどのような対応をするのだろうか?想像をめぐらしてみました。紙に記載されたURLをひと文字ずつ入力してサイトへ飛ぶ?まさか、スマホで写真を撮ってURLのテキストをクリックするとサイトへジャンプするという技を知っていたりするのだろうか?どうしてもぼくの想像は、ファックスというその情報伝達手段ゆえに、受け取り手を勝手に情報弱者と決めつけてしまっ...〈私的〉建設DX〈考〉その18~令和6年のファックス通信~

  • 不「不惑」

    どうも勘違いをしていたようだ。『論語(為政)』に記された孔子の言葉、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えずにおける年齢の解釈を、である。この言葉に対して、ぼくが次のように書いたのはつい一週間ほど前のことだ。古代中国における平均寿命が、いったい幾つなのか、今となっては知る由も調べようもないが、ごく大雑把な感覚としても、そこにおける70を現代の90と置き換えても、なんら不都合はない気がするし、むしろ、プラス20ぐらいがちょうどよい加減のような気もする。(中略)となると、まもなく60と7つを数えるぼくの場合は、「天命を知る」少し前ということになろうか。つまり、そこになってはじめて、自...不「不惑」

  • ぼくと娘とヒノショーヘイ

    「火野正平に似ている」これまでに幾度となくそう言われてきた。以下は、そんなぼくとぼくの家族のあいだで、かつて繰り広げられた「ひの的エピソード」だ。******「宅急便が届いちゅうよ」「誰から?」「自分がなんか注文したがじゃない?」「いやー覚えがないなぁ」大きなその荷物の送り先を確認しようと持ってみると、やけに軽い。「これだから、Amazonってやつはイヤなんだ」これまでに、いく度口にしたか知れない独り言をまたつぶやきつつ、送り先を読もうとして愛用の遠近両用メガネをかけていないことに気づく。まこと年寄りというのは面倒くさい。メガネをかけて仕切り直すと、その大仰な図体に比して異様に軽い荷物は、予想に反してAmazonではなくZOZOからだ。表書きには、首都圏に住む次女の名前が記されていた。さては…「父の日のプ...ぼくと娘とヒノショーヘイ

  • 16.43835616

    今朝、ブログ編集画面を開くなりまっ先に、左上隅にあるブログ開設からの日数を表示する箇所に目がとまりました。ふだんなら気にも留めないところです。だなのになぜ・・・理由は、考えるまでもなくすぐに判明しました。ブログ開設から6000日。たまさかの、きれいに丸まった数字にふと思いつき、365で割ってみました。答えは、16.43835616。かつてのように「ほぼ毎日」となることは二度と再びないでしょうが、もう少しつづけようと思っています。以上とりあえず、ご報告まで。16.43835616

  • 土木と濁音

    2つの語が結びついて1つになるとき、後ろにつく側の頭の静音が濁音に変化することを連濁と呼びあらわす。手紙(てがみ)、日差し(ひざし)、戸棚(とだな)、人々(ひとびと)などなど。いくらでもその例が思いつく。といってもそれは、あくまでも原則であり、例外もまた多くある。その例外について、ひとつの法則を見つけ出したのは、明治政府に「お雇い外国人」として招かれたベンジャミン・スミス・ライマン(本職は鉱山学者)。後ろの単語に濁音がある場合には連濁が起きないという、いわゆるライマンの法則を発見した。はる+かぜ≠はるがぜ→はるかぜ(春風)おお+とかげ≠おおどかげ→おおとかげ(大蜥蜴)もっとも、本邦では既に賀茂真淵や本居宣長によってこの法則が見つけられていたらしいのだが、本題ではないので、ここでは触れるだけにしておく。とこ...土木と濁音

  • いごっそう〈考〉

    先日の高知新聞にあった「球児監督粋な振る舞い」という記事は、安芸球場で秋季キャンプ中の阪神タイガース藤川球児監督(高知市出身)が、地元企業や飲食店の協力を得て、選手や球団スタッフ、報道陣らに高知県地場産のごちそうを提供しているという内容で、その意図について「人をおもてなしする高知の文化は、僕も大切にしているところ。メディアの方々には少しでも楽しんでもらいたいし、選手やスタッフには癒やしの時間になってくれればうれしい」という藤川監督の言葉が紹介されていました。それ自体はじつにけっこうなことで、文句をつける筋合いのものではないどころか、むしろ拍手をもって称えるべきものでしょう。ところがぼくは、思わず「?」となってしまった。その原因は記事中、某スポーツ紙記者が言ったというこの言葉です。「監督のいごっそうな心意気...いごっそう〈考〉

  • ひとは人生で平均4回しか引っ越ししない、ってホントか?

    「ねえ知ってる?ひとは人生で平均4回しか引っ越ししないんだって」というCMをはじめて目にした。ホンマかそれ。と思ったぼくがさっそく検索したのは言うまでもない。国立社会保障・人口問題研究所が5年に一度行っている人口移動調査の最新データ(第9回、2023年)の結果によると、日本人の平均引っ越し回数は3.24回。男女別にみると、男性が3.29回に対し女性が3.19回と男性の方がやや高くなる傾向がみられる。つまり、川口春奈さんには申し訳ないが、「ひとは人生で平均4回しか引っ越ししないんだって」という彼女の言葉は正しくなく、ホームズのあのCMは、「ねえ知ってる?ひとは人生で平均3回しか引っ越ししないんだって」と修正されなければならない(笑)。年齢別にみると、20歳代前半から40歳代前半にかけて急速に増加し、60~6...ひとは人生で平均4回しか引っ越ししない、ってホントか?

  • 人間は考える葦であった

    ******たとえば、かつて編集者のみなさんと会食中に、お定まりのダイエット談義となり、ついつい話の流れで「デブ」という言葉の語源に及んだことがあった。(中略)しかし、このごろではどうなるかというと、考える間もなく一斉に、ロボットの知識を頼るのである。つまり、考える前に調べてしまう。デブの語源までとっさに教えてくれるとは思えぬが、どうやら進化を遂げたロボットは、世の中の疑問のたいていをたちまち解いてくれるらしい。はっきり言って、つまらん。それではまるで、ろくに考えもせずにクイズの解答を見てしまうようなものではないか。あるいは卑近なたとえをするなら、翌日の新聞でレース結果を見て、同時にあっけなく散財を知るようなものではないか。科学者はどうか知らぬが、文科系の思考回路を持つ人々は、結論に重きを置かないものであ...人間は考える葦であった

  • 惑い惑わされて

    孔子の時代ですら50才で天命を知るくらいですから、いまの長寿時代なら60才くらいで不惑、70過ぎてからようやく天命を知るのかもしれません。わたしも70代に向けて迷走、道草を楽しみたいと思います。ぼくよりひと回りほど年下の敬愛してやまない知人が、フェイスブックに投じた文章に、我同意せりとついつい膝を打った自分自身に思わず苦笑。それが20年も前ならば、「チャンチャラおかしいや、老兵は消え去るのみだ」と鼻で笑っていたかもしれないことを思えば、まことに身勝手なことこの上ない。しかし、恥かきついでに言わせてもらえば、その位置に立たなければわからないことが確かにある。年齢と、それを重ねたことによってちがってくる感覚や自己評価などは、その最たるものかもしれない。ちなみに、孔子が七十余年の生涯を閉じたのは、今からざっと2...惑い惑わされて

  • 宗旨替え

    なぜ動画?と思っていたのは初めのころだけで、すぐに、動画でされたそれには心がシャッターをおろしてしまい、まったく脳内に届かなくなってしまった。チュートリアルというかハウツーというか、どの表現が正しいのかわからないが、動画でツールやアプリケーションの使い方を教える、あ、そうそう教材ビデオ的なものに対してだ。それでも、先生役が顔を見せて説明する形式なら、すぐ退屈はするが、受け入れられないことはない。しかし、PC画面だけを見せられながら操作手順を説明する類のものは、まったくといってよいほど届かない。なのに、ぼくが発するその手の疑問や質問に答えるのにも、動画でもって返事をされることがある。「動画、アップしときましたから」なんだかなぁ、と思いながら、その労を考えると無下にするのもしのびなく、向き合ってみるにはみるが...宗旨替え

  • Take it easy

    長いあいだ稿を投じなくても、このブログのアクセス数には、更新の有無によってそれほど大きな差異があるわけではない。具体的には100uuほどもなく、数十といったところか。いや、日によっては、何もしていないのに、毎日更新しているときより多いアクセスだということもある。という事実から、ここを目当てで訪れてくれる方たちの数を大まかに推定することができるのだが、だからといってがっかりするどころか、相も変わらず付き合ってくださる奇特な方たちに対しては感謝の念しか湧いてこない。そこからわかるのは、検索ワードからここへ辿り着いている人が、比較として多いということだ。16年半に渡って有象無象を書き散らかしてきた結果、けっして爆発的とはならないものの、それなりにヒットする記事がこの場所にはあるということの表れだ。ひとえにそれは...Takeiteasy

  • 他者と生きる

    ひとの行為が意味をもつためには、誰かの反応が必要です。誰かの反応があったとき、自分の行為が他者にどのような影響を与えたのかがわかり、その結果として自分にとっての意味が生まれ、そうやって生み出された行為の意味は、それへの反応、またさらなる反応という反応のキャッチボールが、次の行為、次の反応を引き出し、あらたな意味が付与されながら変化していきます。それはすなわち、あるひとの行為がもつ意味は、他者の反応に依存しているということに他なりません。そこにあるのは相互作用です。そのなかでひとは、自分の行為の意味を見つけたり、自分の行為に意味を見出したりするのです。たとえば誰かに喜んでもらおうとしたとします。「喜んでもらう」ためにしたその行為は、自分自身の存在意義を他者との関係性のなかで見出すためのひとつの方法であり、他...他者と生きる

  • 仙人

    一部の人たちから「師匠」と呼ばれるようになって久しい。もちろんそれは、いわゆるニックネーム、愛称のようなものであり、当然ながら、ぼくのことを本当に師であると思い定めてくれた人は、そのうちのごくごく僅かな人たちにすぎない。呼ばれはじめた当初は、なんだか尻がこそばゆく、ついつい苦笑いを浮かべてアタマをぼりぼりと掻いていたものだが、いつしかそれにも慣れ、今では「師匠」と呼ばれると、「ハイ」と返事をしてしまう。いやはやどうにも困ったものだが、それはそれで御愛嬌の部類だろうと観念している。そんなぼくを「仙人」と呼ぶ人がいる。はじめてそう呼んだのは、とある地方自治体の土木部幹部だった。いくらなんでも「仙人」はないだろうと、聞こえないフリをしていた。その後もそれはつづいたが、ぼくのどこをどう見たらそのような表現となるの...仙人

  • 螺旋式

    日曜の朝は、しばしば『ボクらの時代』というテレビ番組を観ます。観るか否かの判断は、その出演者が既知である場合は誰が出ているか、また未知の人であるときは、それが何を生業としている人間かによります。20日ほど前は、山田孝之、仲野太賀、岡山天音という3人の男性俳優がそれでした。仲野くんはぼくが気に入っている役者です。観ない手はありません。以下、10月13日放送『ボクらの時代【山田孝之×仲野太賀×岡山天音】』より一部分の文字起こしです。******山田何か新しいことを挑戦するっていうときに、やっぱり、特に今の時代はネット、SNSがあるから、批判の声を恐れて行動できないことが多いんだけども、でも、初めてやることって下手くそで当たり前だと。だから、とりあえずやってみたらいいじゃん。で、何をやったって「つまんねぇ」とか...螺旋式

  • 劣化と付き合う

    自信家でした。もちろん人というものは、ある一面だけで成り立っているものではなく、ましてやぼくは、たぶん他人よりも多面性があると自認しているのですから、自信をもてない自分というものを内に抱えながらではあったものの、基本的には自信家でした。その最たるものは記憶力です。誰にも負けない、というほど世間知らずではありませんが、そんじょそこらの連中が束になってかかってきても、おいそれと勝ちは譲らないほどには自信がありました。しかし、すでにお気づきのように、すべて過去形。近ごろのぼくときたら、往時をしのばせる欠片もなく、「認知症になりかけているのでは?」と感じることもしばしばです。といってもそれは、高齢者となればたぶん大方の身の上に起こるものの範疇を出てはいないでしょう。しかし、かつてのぼくを知るぼくだからこそ、その落...劣化と付き合う

  • どっこい生きている

    近ごろ流行りのNetflixというやつに登録した。『極悪女王』(白石和彌監督)を観るためだ。全5話を観終わった流れで、間髪を入れず『1985年のクラッシュギャルズ』(柳澤健著)を読んだ。ふだんは下線、折る、書き込み等々なんでもありで、読了するころには購入時の見る影もなくなってしまう本たちが、今回にかぎってはほぼそのままなのは、『極悪・・・』をべたぼめしていた息子や娘が読むかもしれないと考えてのこと。だが、そんな目論見も、「あとがき」になってあえなく潰え、思わず知らず端っこを折ってしまったページに書かれていたのは、こんな文章だった。******人の心を動かすには、その人がその人自身になるしかない。欠点も、弱点も背負った上で、「私は私です」と、開き直ったその人自身を、見せていくしかないのだと思う。(雨宮まみ期...どっこい生きている

  • 会社のため

    数ヶ月前、十数年ぶりに会った知人と談笑中のことです。「会社のためを思ってやっていたら、いつのまにかクビになっていた」そう話す彼は今、フリーランスです。その場にはもうひとり。これまた数年ぶりに顔を合わす知人がいました。「ぼくも同じ。会社のためにがんばってたけどクビ」顔を見合わせて笑うふたりに挟まれたぼくはしかし、軽く苦笑いを浮かべただけでした。彼らに心底同意をすることができなかったからです。「会社のため」と語る彼らの言葉に含意するのは正義です。しかし、その形態が解雇なのか退職勧告なのかはわかりませんが、「クビ」を突きつけた側はそれを不義ととった。正義を善意、不義を悪意と言い換えてもかまいません。いずれにしても、正義と不義、善意と悪意は対極にあります。正反対です。今風に言えば真逆です。なぜそう受け取られてしま...会社のため

  • ボツの逆襲

    朝、起き抜けにアイフォンにあらわれた現場ではたらく男の写真に、「ほぉ、いいじゃないか」と独り言ち、あらためてながめてみる。全体を見る。ディテールを見る。申し分ない。「あれ?ひょっとしたらこれは」と思い、インスタグラムの過去投稿を探してみる。案の定、ない。「はて、オレはなぜこれをボツにしたのだろう?」と首を傾げ、あらためて見てみる。やはり、まごうことなきぼくの好みだ。今となっては、確たる理由は定かでない。たぶん、そのときに撮ったであろう一連の写真群や、前後の投稿とのバランスなどを考慮した結果、「ボツ」という判断が下ったのだろう。インスタグラムを主戦場(というか今のところ、ほぼそれしかない)とするぼくの場合、よくある話だ。そして、その時々の主観でハジかれたもの(たとえ客観的に判断したにしても主観を排除すること...ボツの逆襲

  • その怒り、いったん棚上げしてみたら?

    「急に怒り出すというけれど、それまで我慢してたんだよ」ある知人がSNSにアップしたひと言です。その彼にはじつに申しわけないと思いつつ、ついつい吹き出しそうになったのは、それがかつての自分だったからに他なりません。「急に怒り出した」と感じたのは他者です。「それまで我慢してた」は自己分析です。他者の関心事は、「怒り出した」しかも「急に」という現象にあり、それに伴って生じる感情がポジティブなものとなる可能性はきわめて低いと言わざるを得ません。対して「我慢してた」自分は、それゆえに、怒りの発露を当然のもの、または仕方がないものとして捉えています。この場合、我慢という自らの内的行為は大きなポイントでしょう。ですから、むしろ悪いのは、それまで我慢させていた相手であり、抑えこんでいた怒りを沸点まで上げ、表出せざるを得な...その怒り、いったん棚上げしてみたら?

  • 口中にて

    初めて見聞きする、という言葉と出会うことがよくある。その度に「知らなかった」と己の浅学を嘆くのだが、考えてみれば、SNS全盛の今は、日々あらたな言葉が生み出され、人の目に触れるところとなっているのだから、大方の場合のそれは、別に嘆くことはないし、ぼくの学びが浅いわけでもない。そんななか、先日聞いたのが「口中丼」。ふむ。初耳ではあるが、意味は容易に想像できる。そして実際、そのとおりではあった。白飯を主食とし,主菜,副菜,汁から構成される日本の食事様式は室町時代に完成した(らしい)。その基本的な食べ方は、飯と汁、飯と菜を交互に食べていくというものだ。つまり、飯と汁や菜を交互に食べ、口の中に残る汁や菜の味で、味が薄い白飯を食う。この食べ方を「口中調味」と呼ぶ。いつからそう呼ぶようになったかは定かではない。定説に...口中にて

  • 私的「読む」の現在地

    ぼくの「読み」が、ほぼ電子書籍になってからどのくらいの月日が経ったのでしょう。探し出すあてもないのですが、いずれにしても、十年ではきかないはずです。しかし、最初にそれをしている人を見たのは、しっかりハッキリと覚えています。山手線の車内でした。席に座ってiPadで本を読んでいるのは、四十代とおぼしき男性でした。「ふ~ん、これが噂の電子書籍というやつか」指でスワイプしながら本を読んでいる男を、珍奇なものを見るかのような目で見ていたであろうぼくの手には新書(もちろん紙です)がありました。『日本辺境論』(内田樹)です。その男の姿は、多大な影響を受けた新書の外観とともに、ぼくの網膜にしっかりと刻みこまれ今に至っています。「やっぱ紙やないと」そう思ったぼくの「読み」が、その後、ほぼKindleに変貌してしまうとは、ま...私的「読む」の現在地

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その17 〜新しい技術を活かすのはプロの技術とシロートの発想です〜

    三遊亭圓丈発「新作を演じるのに必要なのは、プロの芸と素人の発想だ」3年前に亡くなった三遊亭圓丈の言葉だそうです。現代新作落語のパイオニア(同じ「新作」でも圓丈以前と以後では大きく異なっているような気がするので)であり旗頭であり大家として、あとにつづく噺家たちに大きな影響を与え、一部では神のように崇め奉られるほどの存在だった圓丈がどのような意味でそう言ったのか、今となっては定かではありませんが、ぼくはこれを「芸」=「技術」と置き換えることで理解し、耳にするなり、ぼくが求めてきたのはまさにそれなのだと膝を打ちました。もちろん「芸」は技術を含みはしますが、「技術」のみをもって「芸」だとするのはあまりにも乱暴にすぎる解釈でしょう。技術はあくまでも芸の一部であり、「芸=技術」でもな「芸く技術」でもなく「芸>技術」で...〈私的〉建設DX〈考〉その17〜新しい技術を活かすのはプロの技術とシロートの発想です〜

  • キレる老人

    きのう受講した、とある講習会でのことです。講習会といっても、業界で通常よくあるような技術者もしくは技能者を相手としたそれではなく、ある「業」の登録資格にからむものであったがゆえに、受講者の年齢層も比較的高いように見受けられました。おそらく、4時間という限られた時間内で定められた内容のすべてを伝えるように命ぜられているのでしょう、おまけにそのあとには試験がついているときているものですから、講師はおそろしく早口で、そのなかに重要なポイント(つまり試験に出る)の伝達が入るのですから、「聞き逃すまいぞ」とばかりの受講生たちの真剣さが会場に充満していました。さてそれは、始まって1時間も経っていたでしょうか。「ここ大事ですからね。チェックをしておいてください」講師が言いました。間髪を入れず会場の静寂を打ち破るような声...キレる老人

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その16 ~揺り戻し~

    YAHOOニュース9/176:44配信より******【シリコンバレー共同】米IT大手アマゾン・コムは16日、従業員に原則として週5日、職場に出勤するよう要請したことを明らかにした。来年1月からこのルールの適用を開始する。アンディ・ジャシー最高経営責任者(CEO)は従業員宛ての書簡で「企業文化と社内チームを強化するため」と狙いを説明した。******Amazonでは今、少なくとも週3日の出勤が義務づけられているのだといいます。それに2日をプラスする、つまり、コロナ禍を契機として全世界にリモートワークが広がる以前の状態に戻すということ。しかも、職場に各自が作業をするためのデスクを割り当てる制度も復活させるというのですから、「へぇーあのアマゾンがねえ」と思わず二度読みをしたことでした。同じく共同通信が、4月2...〈私的〉建設DX〈考〉その16~揺り戻し~

  • 発気揚々

    ♪これがネたまるかネよんべの夢にねーとチャッチャッ好きなあのこの手をひいておんしゃなんならおらシバテンよおんちゃん相撲とろとろうチヤチャッチャッはっけよいよいはっけよいよいはっけよいよいはっけよいよいソレのこったのこったまだまだのこった♪「しばてん踊り」の一節です。シバテンとは高知県や徳島県に伝わるカッパのような姿形をした妖怪のことで、全身が毛深く、背は子どものように低いが怪力の持ち主です。だからでしょうか、その最大の特徴はといえば、人間を見ると相撲をとろうとすること。「おんしゃなんなら(オマエはなに?)」という問いかけに対し、「おらシバテンよ」と名乗り、間髪を入れず「おんちゃん(おじさん)相撲とろ」と挑んでくる上記の歌詞は、まさにその様子をあらわしたところです。といっても、土佐に古くから伝わる妖怪シバテ...発気揚々

  • 爺と少年

    夏のあいだぼくに課せられた任務のひとつに孫との川遊びがあります。やらなければならないことは幾つもあるのですが、そのなかでも重要項目として位置づけされるものです(ちなみに誰に頼まれたわけでもないのですが)。「爺いの出る幕ではないのでは」とお思いの方もたくさんいるでしょうが、そこはそれ、今という時代の子どもたちが相手なれば、昔なら先輩たちの姿を目で見て覚えたようなことでも、大人がていねいに教えてやった方がよいことが多々あります。見るところ、「川で遊ぶ」というのはそのうちの一つでしょう。そう思うがゆえに自らにその任務を与え、数年が経ちます。もちろん、相手は年々成長し、こちらは年々衰える。これが自然の理なのですから、いつまでもつづけることはできないでしょうが、ただ今のところは、まだまだ大丈夫。ということで、淵、瀬...爺と少年

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その15 ~バランシングバー~

    ******中島西部邁先生がよく言っていたのは、現代というのは非常に変化が激しいので、まさにサーカスで綱渡りをしているようなものである、と。綱渡りをするときに、非常に重要なのは何かというと、あのバランシングバーである、と。あの棒というのが、死者からやってきた「伝統」とか「基準」というもので、これがあるがゆえに、細い、危なっかしい道を渡ることができる。みんな、バランシングバーには意味がないというふうに思いがちだけど、これが大切なんだと言っていたんです。(『ええかげん論』土井善晴、中島岳志、P.160)******公共建設業におけるDXを考えれば考えるほど、アナログを捨ててはいけないという思いが強くなってきているぼくには、このメタファーが腑に落ちます。そもそも、デジタルとアナログを二項対立的な図式で語るのが、...〈私的〉建設DX〈考〉その15~バランシングバー~

  • 心変わり

    そのメッセージが届いたのは4年前の夏の夜でした。届け主は14歳。中学2年生です。インスタグラムメッセージ上での長いチャットをかいつまみ、最重要事項だけピックアップすると、「高校を卒業したら礒部組に入りたい」と、そういう内容です。「待ってます」と返したぼくも、さすがにそのことをずっと覚えておけるはずはなく、いつしか忘却の彼方へと消え去っていました。突然思い出したのは数日前です。あの子は今、何年生だ?足し算をすればすぐにわかることですが、念のため指を折って数えてみると、ちょうど高校3年生です。さっそく連絡をとってみました。「進路は決めましたか?」しごくあっさりと、県外の建設会社に就職する旨の返事がありました。「がんばりや」と返したぼくはもちろん、彼の心変わりを責める気はありません。なんとなれば、「歳歳年年人同...心変わり

  • プロだぜ俺は

    渦中の兵庫県知事が、予約制夕食を当日に取りたいと言い出し、断られたあげくに激怒してこう言ったというニュースが全国を駆けめぐりました。「オレは知事だぞ」真偽のほどは定かではありませんが、本当だとしたら、それはもうタチの悪い冗談としか受け取れないソレを指して、ある芸人が「そんな言葉は人生で一回も使わない」とコメントしたとか。「そうでもないぞ」とぼくは思います。その手の言葉や態度を何度か見聞きしたことがあるからです。たとえば「オレは社長だぞ」すぐに幾人かの顔が思い浮かびました。その他、権力をもつ人が言いがちなのがその言葉「オレは◯◯だぞ」です。一方、ただの平社員が「オレはひらだぞ」と大見得を切ればそれはそれで格好がよいのですが、そんな人はそうそう存在するものではありません(と言いつつ、ぼくの親父がそうだったこと...プロだぜ俺は

  • 贅肉

    Audibleで藤本義一の講演録『言葉と文字』を聴き、打ちのめされたのは先月の初めでした。にもかかわらず、それから3度も繰り返して聴いてしまったのは、そのショックが真っ当な言説を聴いたがゆえのものだったからでしょう。言葉と文章はちがうと氏は言います。例として挙げたのが次の言葉です。私は妻と結婚して三十年がたった。氏によると、これは文章ではなく言葉なのだそうです。理由は、贅肉がつきすぎているから。ではどうすれば文章となるのか。この言葉を例題として、段階的に贅肉を削ぎ落としたのが次の流れです。まず「私」という主語を切る。妻と結婚して三十年がたった。しかしこれではシロート以下だそうです。次にするのは「妻」を切ることです。結婚して三十年がたった。これがわかるのが、ものを書き始めてだいたい5年ぐらい経ったころだとか...贅肉

  • おじさんたちの「ちゃんづけ」

    つぐみちゃん月に一度の社内安全パトロール日は、同時に数少ない外食ランチの日でもあります。先月のそれは、ぼくよりひとつ年上の労働安全コンサルタントさんと、四十代前半の男女4名、計6名が参加して先々週の半ばに行われました。問題が起こったのはその席でのことです。向かい合った前期高齢者ふたりの会話は、時節柄もあって、自然とパリオリンピックの話題になりました。「つぐみちゃん、帰って来るらしいねえ」「えらかったねえ、つぐみちゃん」4名のうちのひとりが口をはさみます。「誰ですか?つぐみちゃんって」ぼくとコンサルタントさんは、思わず「え?」という顔を見合わせ、ほとんど同時にその声の方を向きながら、ほぼ同じタイミングでこう言いました。「つぐみちゃんはつぐみちゃんよ」「だから誰ですか?」どうしようもない年寄りたちだという顔を...おじさんたちの「ちゃんづけ」

  • 「慣れ」の力

    昨夜、たてつづけに鳴ったLINEの着信音に、早めの就寝を決めこんでいたぼくが起こされたのは10時になる前でした。目を閉じて1時間も経っていないというのに、なぜだか不機嫌にもなることなく、パッチリと目が覚めたので確認してみると、娘からです。送られてきたのは、400字詰め原稿用紙3枚に綴られた孫の読書感想文でした。最初の3割ほどは、きれいな字で書かれており、文章もまあまあしっかりしているのですが、集中力がつづかなかったのか、あるいは気力の限界ゆえか、その後がいけません。見るからに、そして読めばなお、どんどんとまとまりのない文章になっていくのがあきらかでした。とはいえ爺バカです。内容はわるくないのになあ。ついつい身びいきしたくなってしまうぼくがいました。そのあと幾つかのやり取りがあり、しばらくして、送られてきた...「慣れ」の力

  • 詰める〈考〉その6/6 ~あしたはどっちだ~

    はじめから読んでみてあげようかという人はコチラからどうぞ↓↓その1その2その3その4その5ぼくにとって「なぜ?」は「詰める」の代表選手ですので、問題を「なぜ?」という「詰める」の一手法にしぼってきましたが、そろそろ結論とするために、ここらで「詰める」に戻すこととします。「詰める」を「責められている」と感受するのには、もうひとつの理由があります。それに思い当たると、「オレはよかれと思っている。そう受け取るのは思いこみにすぎない」とばかりも言ってはおられません。じつはそれは、あながち見当違いではないからです。「詰める」には権力の行使という側面があり、その根底に支配欲があります。ついつい詰問という形式になってしまうぼくの「詰める」には、たぶんそれがあるのでしょう。それゆえに、多くの場合にぼくの「詰める」は、他者...詰める〈考〉その6/6~あしたはどっちだ~

  • 詰める〈考〉その5 ~ものごとはそもそも複雑である~

    かつて、「なぜ?」の発し手であるぼくが抱える最大の問題は、その「善かれの思い込み」にもとづく無自覚かつ脳天気な態度にありました。そのことについて、薄れかけた記憶をたどり、色々と考えをめぐらせているうちに、あるひとつの、しかし大きな要因であると思しきものにたどり着きました。TOCとぼくが出会ったのは2006年12月ですから、今から18年も前のことになります。その基本的考え方はこうです。******TOC(TheoryOfConstrains:「制約理論」または「制約条件の理論」)は、「どんなシステムであれ、常に、ごく少数(たぶん唯一)の要素または因子によって、そのパフォーマンスが制限されている」という仮定から出発した包括的な経営改善の哲学であり手法です。(中略)この仮定からまず読み取れるのは、「制約にフォー...詰める〈考〉その5~ものごとはそもそも複雑である~

  • 詰める〈考〉その4 ~指差し非難、他人の失敗。笑って誤魔化せ、自分の失敗。~

    本来、物事をよい方向にみちびき、問題解決を図るための「なぜ?」の使用が、どうしてわるい方向へと行ってしまうのでしょうか。その要因のひとつに、「なぜ?」を受け取る人それぞれのマインドセットのちがいがあります。人は失敗を隠します。正しくは、隠そうとするタイプと、オープンにして次へ活かそうとするタイプとがあるのですが、基本的性質は「隠す」だと考えて差し支えないでしょう。理由は、自分の身を守るためです。人は失敗をします。失敗をしやすい人とそうでない人がいますが、失敗をしない人間なぞは、誰ひとりとして存在しません。失敗は自分の力を伸ばすうえで欠かせないものとしてごく自然に受け止めることができるマインドセットであればよいのですが、その一方で、失敗は自分の無能力の証拠であり恥であるという思考傾向をもつ人は、失敗を隠そう...詰める〈考〉その4~指差し非難、他人の失敗。笑って誤魔化せ、自分の失敗。~

  • 詰める〈考〉その3 ~〈なぜ〉がやめられない~

    たとえば「なぜ?」あるいは「なんで?」ときには「どうして?」Whyは、かつてのぼくの口癖のようなものでした。過去形にしたのは、意識をしてそれを少なくするようにして今があるからです。もちろん、悪気はありません。たしかに自分自身に生来備わっている底意地のわるさは認めますが、むしろ善意にもとづいたものであることが多かったはずです。しかし、こちら側の悪気の有無はことの是非には関係がありません。いやむしろ、「善かれの思いこみ」、しかも〈上〉が〈下〉に対するそれは、考えようによってはタチがわるいとさえ言えます。「少なくなった」といっても、今でもいつも、心のなかに「なぜ」は芽生えます。それを心中で飼うか殺すか、あるいは口から表出させるか。それだけのちがいであり、数が少なくなったわけでもなければ、一切なくなってしまうこと...詰める〈考〉その3~〈なぜ〉がやめられない~

  • 詰める〈考〉その2 ~「詰める」は悪か~

    皆さんがご想像するとおり、あきらかにぼくは「詰める側」の人間でした。過去形にしたのは、現在は少しばかり様相が異なってきたのではないかという自己認識があるからです。とはいえ本質的には変わらず「詰める」人間です。気質としてもそうですが、立場もまたそうです。しかもかつてのぼくは、そうすることにまったく悪意がなく、当然罪悪感も感じてはいませんでした。その一方で、立場という側面から見れば、かつてはぼくもまた、多くの場合で「詰められる側」にあったことにちがいはありませんし、なんならば今も、妻との関係では、「詰める」よりも「詰められる」方の比率が高いと言えます(冗談です。内緒にしておいてください)。対して現在の社会的立ち位置は、けっして「詰める」方ではないでしょう。そこに身を置かないようにしているといった方がよいでしょ...詰める〈考〉その2~「詰める」は悪か~

  • 詰める〈考〉その1 ~鬼詰め~

    「鬼詰め」なる言葉があるそうです。「そうです」という以上、もちろん、つい最近知りました。昨夜、『隠し剣鬼の爪』という映画をテレビで観たのですが、もちろんあの美しいドラマとは何の因果も関係もない「鬼詰め」です。といっても、一般的に流布されているとは言い難い語句のようです。なんとなれば、Google日本語入力で「おにづめ」と入力しても変換されて出てくる感じは「鬼爪」ですし、「鬼」と「詰め」に分けて「鬼詰め」と変換した上で検索しても、まともな情報はヒットしません。しかし、次のような記事があるにはあるので、やはり使われていることにちがいはないのでしょう。******私が社会人3年目、初めて営業部長になった時毎週月曜日の11時が大っ嫌いでした。なぜなら、鬼詰めされるからです。笑目標が達成できていないなら当然のように...詰める〈考〉その1~鬼詰め~

  • うけとってくれる他者

    湯船につかりながら本を読むという行為は、以前からしていたのですけれど、もっぱらそれは電子書籍にかぎってのことでした。湿気に弱いという特性を考えたとき、紙の本ではできないと決めつけていたからです。ある日のことです。ふと、だいじょうぶなのではないかという思いが沸きあがり、試してみようと思い立ったのは。たぶんそれは、手にしていたその本の質が比較的硬質だったからでしょう。そこでぼくは、環境をそこそこに保っていさえすれば、そこそこいけるのだということに気づきます。それは只今のところ、令和6年度最大の発見でした。というのは少々大げさですが、近ごろ、それまでの「ほぼKindle」とは一転し、旅や出先以外では極力電子書籍読書を避けているぼくが歓喜雀躍したのは言うまでもありません。ですが、何と言おうと紙は紙です。湯がかかっ...うけとってくれる他者

  • コメント乱

    そのコメントが届いたのは10日ほど前のことでした。あいかわらずコメントがこないブログなので、たまに来ると、オッと目を見開いてびっくりしたりするのですが、今回もまた例に漏れず、すぐに到着を知らせるメールに記されたアドレスをクリックしてみたのです。同時に、「頭悪そう」というコメント主の名と、「ふざけてるな」というタイトルが目に飛び込んできました。この時点で既にぼくの心はゲンナリとしていますが、「なら、あなたの部下が亡くなったら責任取れますか?」というコメント本文を目にして、さらにその思いが強くなりました。その元記事は、『熱中症は「甘え」か?』というタイトルで書いた2018年7月19日のものです。どのようなことを書いたのかについては、ハッキリと記憶にありましたが、念のために読んでみることにしました。その稿は、か...コメント乱

  • ハゲにシャンプーブラシ ~無意味のなかの意味~

    猫に小判を与えても、その価値がわからないので何の意味もありません。ですから、どんなによいものでも、その値打ちがわからない者にとっては無価値であるということをたとえて、「猫に小判」と言います。と、いかにもと勿体をつけて書かずとも、日本語を話せる大人ならば、それぐらいのことはほとんどの人が承知していることでしょう。さて、古今東西これに類する言葉は、主体となる動物を変えていくつもありますが、皆さんはどのくらい言えるでしょうか。豚に真珠犬に論語馬の耳に念仏牛に麝香(じゃこう)兎に祭文そんなことを考えていたのは昨夜、日付が変わる少し前のことです。夕方から、中学校の同窓会がありました。5年に一度会おうと決めている会なのですが、ご多分に漏れないコロナ禍で65歳の年の開催を断念。おまけにぼくは、その前の会に参加することが...ハゲにシャンプーブラシ~無意味のなかの意味~

  • ぼくの確証バイアス

    8月8日16時43分日向灘を震源とする地震が発生県外に住む数人の方に「だいじょうぶか?」と心配するメッセージをいただいたきのうの地震ですが、会社がある奈半利町は震度1で津波もなし。地震の規模とここからの距離を考えれば、それぐらいで済んでいるのが不思議な感がありました。そんなものですから、当方落ち着いています。宮崎で地震、とわかった直後、まずは情報を確認。震源が日向灘とわかると、少しばかり緊張が走ったのは、そこが静岡県沖からつづく南海トラフの延長部にあたり、巨大地震の想定震源域に含まれるからでした。各地の震度を確認します。最大は日南市で震度6弱。それこそ震源域の端っこで起こった地震のようです。意外なことに高知の西南地方で最大は宿毛市の震度3、そのとなりである土佐清水市は震度1でしかありません。この地震を受け...ぼくの確証バイアス

  • 道の選択

    道はたくさんあります。そして、どの道を選ぶかは人それぞれです。たとえばAとB、ふたりの人間がいて、おなじ環境おなじシチュエーションに置かれていたとして、おなじ道を歩くとはかぎりません。そこには必ず、〈選択〉という行為があり、選ぶ主体の好みや考え方などが反映されます。「いや、オレには選択肢はなかった」とおっしゃる人は数多いかもしれません。たしかに、選ばざるを得なかったというのは、世の中の多くの局面であり得ることです。しかし、そこにも必ず〈選択〉という行為はあったはずです。そしてその行動の主体は、まぎれもないその人自身なのです。であれば、最後は自身が〈選択〉をしている。少なくとも、その理を無視して、そうせざるを得なかったことに大きく影響をおよぼした他人や環境に責任を押しかぶせるのが、筋ちがいであることは承知し...道の選択

  • もうひとつの〈2024年問題〉

    大事なことに気づいた→金曜日のつづきさて、そこでぼくは、とても大事なことに気づいてしまいました。(というか、けっこう以前からもやもやとしていたことが、ハッキリと形をもって脳内にあらわれたというのが正しいのですけど)ポイントはここです。******ところが、如何せん能力がない。いや、そうは認めたくないが、そう認めざるを得ない現実に、何度も天を仰いで嘆息したものです。しかし、あきらめ切れなかった。その経緯の一つひとつを詳らかにするほど覚えてはいないのですが、牛のように、ゆっくり歩いては立ち止まり、立ち止まってはまたゆっくり歩きをつづけているうちに、気がつけば、「なんとかまあまあ」というぐらいのレベルにはたどり着いたようです。ところがこれは、何より効率を重んじるビジネスの世界では非常によくない。〈時間対効果〉を...もうひとつの〈2024年問題〉

  • 諦めがわるい男

    このごろは、あたらしい現場の3次元お絵かきをしているのですが、自分で言うのもなんなのですけれど、「やっとここまで来れたな」と、少しばかり感慨深げなのです。そして、「つくづく時間がかかる男だな」と、我ながら可笑しくもあります。といっても、それほど大したレベルにあるわけではありません。どころかむしろ技術的には、まったく大したことがないと言った方が適切なぐらいのレベルでしょう。それでも「やっと」なのですから、あとの言葉が「つくづく」となるのです。かつて、〈3次元〉の必要性と重要度に気づいたぼくが、まず最初に起こしたアクションは、外部講師を招いての社内研修である『グーグルスケッチアップの基礎』講座でした(当時はGoogleだったのです)。2011年の夏、今からちょうど13年前のことです。その実習講座は、ぼくの目論...諦めがわるい男

  • ついつい〈初老〉という語句に反応して書いてみた。

    去る29日、パリオリンピック総合馬術団体で銅メダルを獲得した日本代表のメンバーが、チームの愛称を〈初老ジャパン〉と名づけて話題となりました。そもそも馬術という競技にさしたる興味もないぼくは、ふ~ん歳を取っているのだろうなと受け流し、その内容を確かめもしなかったのですが、よくよく聞いてみるとメンバーのうち最年少は38歳で最年長は48歳、4名の平均が41.5歳だというではありませんか。いやいや、いわゆるアラフォーではないか。それが初老などと・・・ではオレはなんなんだ?思わずそう問い返したくなるほどに、今の40歳は若い。いくらなんでもそれはないだろうと思い、〈初老〉の定義を辞書で引いてみると、「古くは40歳の異称であり老人の域に入りかけた年頃」だとあります。たしかに、『論語』において孔子が、自らの人生を顧みて人...ついつい〈初老〉という語句に反応して書いてみた。

  • チームの種類(2)

    答えは・・・そのうち見つかるのでしょうか、はてさて如何あいなりますやら。ぼくの場合、山々が産気づいても結局出てきたのはネズミ一匹、なんて例は枚挙にいとまがありません。ゆるゆると考えていくこととしましょう。と、いかにも未来に期待を抱かせるような書きようで締めくくったきのう。その一助とすべく、試しにと『ぼけと利他』を開いて、くだんの箇所までページをめくってみると、なんと、そのあとにすぐ、一応の「答え」はあったのです。あゝ、なんとしたことでしょうかと嘆きつつ、きのう引用した最後の部分も含めて、ふたたび引いてみることにします。******冒険には焚き火が必要ですが、生活は意志の力だけではどうにもなりません。生活において偉大なのはむしろ気分の力です。「こうしよう」と威勢のいいかけ声をかけるリーダーシップ、あるいは自...チームの種類(2)

  • チームの種類

    『ぼけと利他』(伊藤亜紗&村瀬考生、ミシマ社)に次のような記述があります。というか、その箇所を写真に撮ってスマホに納めていたことに、不要な画像を削除していたきのう、気づいたのです。書き出しは「チームにはふたつの種類がある」です。******ひとつ目は、みんなで火を囲んで同心円状に集まる「焚き火」タイプ。これは「意志」によって焚きつけられた集団で、お互いの顔が見えています。火の近くは熱いくらいですが、遠ざかるにつれて、徐々に熱は弱まっていきます。もうひとつはみんなで同じお湯に浸かっている「温泉」タイプ。温泉に入ると他人同士無言で、お互い目が合わないようにしていたりもするけれど、お湯という同じ「気分」には浸かっています。お湯に入っていさえすれば、温度はどこもだいたい同じです。冒険には焚き火が必要ですが、生活は...チームの種類

  • 認めて許せ

    ある日の朝餉でのことです。箸立てから自分のものをとろうとしたとき、「ん?どっちだ?」とアタマをひねったのは、そこにいつものぼくの箸と似た色のものが隣り合わせていたからでした。念のためにと、ひと揃えずつを合わせ、確かめてから席につき、おもむろに味噌汁をすすります。なんとしたことでしょう。口に入れた途端、念を入れて揃えたはずのその箸が、ちがう組み合わせだったことに気づきます。しかも、よく見ると似た色だと思っていたそれは、ただ暗色だということだけが同じで、柄もちがうしサイズもちがう。どこからどう見れば似ていると思えるのか、不思議にさえ感じるほど異なった物なのでした。あいやこりゃまたどうしたことかと、あまりのバカさ加減に思わず吹き出しそうになったぼくは、そんな恥ずかしいことはゼッタイ妻に悟られてはならないと、笑い...認めて許せ

  • 老人と髪

    人は歳をとります。そして老いていきます。その向こうには死があります。誰しもが避けようがないこの事実を、ぼくはようやく実感として認識できるようになりました。現代日本における「老」をめぐる問題でもっとも切実なもののひとつが介護でしょう。その程度をあらわす指標として、「要介護度」があります。といっても実感としてピンとくる人はそうそういないのかもしれません。そういうぼくも、その言葉自体はよく聞くにしても、くわしく説明せよと言われるとたちまち答えに窮してしまうにちがいないのですから、他人のことを言う資格はないのです。ということで、きちんと調べてみました。介護レベルや認定区分という呼び方をされることもあるそれは、かんたんにいうと「介護の必要性の程度をあらわす指標」、公的介護保険制度における要介護認定申請の際に判定され...老人と髪

  • 母子あり

    先日、羽田から高知空港へ向かう飛行機のなかでのことです。グループ5の内側席だったぼくが、ほとんど殿(しんがり)で乗りこむと、当然のことながら窓側と真ん中には既に先客がいました。幼い姉妹を2人連れた若い女性です。もっともそれは、想定をしていたことでした。というのも、ぼくが予約した1週間前にはほぼ満席だった座席には、ぼくの選択肢が入る余地はほとんどなく、横も幼児、前も幼児という、多くの人が敬遠しがちな席を指定する他、みっつかよっつしか空きがなかったからです。といっても、ぼくがそれを嫌がっていたわけではありません。なんとなればぼくは、他人より増して子ども好きであり、狭い飛行機のなかで乳幼児が泣いたとしても、もちろんそれを気にしないことはないのですが、それが原因でイライラすることはありません。なんならば、周囲に気...母子あり

  • オレ記念日

    ぼくがぼくをあらわす一人称は、ここでは「ぼく」ですが、会社や家庭ではちがいます。大まかに分けるとそれは、フォーマルあるいはオフィシャルには「わたし」で、カジュアルもしくはプライベートでは「オレ」、となります。つまり、「ぼく」という一人称は、ここだけで用いられる特殊なものなのです。「わたし」については、それを使いはじめた頃の確たる記憶があります。社会人になってすぐのことです。当時の上司との会話のなかで自らを「ぼく」と称したぼくに、「それは社会人が使うものではない。私と言いなさい」と嗜めると同時に指導した7つ年長の彼の言葉にしたがって以来、ぼくは「私」になりました。一方オレは、いつの頃からそうなったのか。これについては確かな記憶がありませんし、何か信念めいたものがあったわけでもありません。わかっているのは、ど...オレ記念日

  • 時間が速くたつ理由

    「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」これをジャネーの法則と言います。たとえば「1年」を例にとりましょう。現在ぼくには3人の孫がいますが、最年長は10歳。66歳のぼくと、その約7分の1ほどしか生きていない彼とでは体感時間がまるでちがいます。というように、歳をとるにつれて自分の人生における「1年」の比率がちいさくなるので、体感として時間が早く過ぎると感じてしまうということです。以前、このことを調べていたとき、北祐会神経内科病院『北祐会ブログ』というサイトでわかりやすい表をみつけていたので、ちょっと拝借してみますね。これによると、1歳の赤ちゃんにとって1年は365日ですが、10歳にとっては37日、66歳のぼくに至っては、なんと6日でしかないということになります。彼我の比は37:6≒6:1。...時間が速くたつ理由

  • 「たがや」という落語があります。「たが」は箍。主人公は箍をつくる職人。つまり箍屋です。舞台は両国の川びらきに打ちあげられる花火見物客でごった返す橋の上で、ご存知「た~まや~」という掛け声と、「たがや」とをかけたダジャレで終わる地口オチの代表格ともいえる古典です。箍とは、桶や樽の外側を締める木や鉄でできた輪っかのことです。今では意匠としてしか存在しないものが多いのですが、ぼくがちいさかった頃にはまだ、タガが締まってなければその機能を発揮しない桶や樽が現役のモノとしてありました。そこから派生したのが「タガを締める」や「タガがゆるむ」、あるいは「タガが外れる」といった言葉です。「タガを締める」。ゆるんだ気持ちや規律を引き締めることを指します。対して「タガがゆるむ」は、緊張が弛んで締まりがなくなることを言います。...箍

  • 「継続は力なり」を考える

    「継続する力」があるかないか「継続は力なり」と言います。例によって、ある日ふと疑問に思ったのです。「はて、何がちからなのだろうか」と。1.継続するという行為が「力」を生み出すから「継続は力なり」なのか。2.「力」がなければ継続することができないから「継続は力なり」なのか。いったいどちらなのだろうかと。今さらではあるのです。そして、そんなことも知らずに使っていたのかオマエは、と笑われそうです。もちろんぼくとて、闇雲に使っていたわけではないのですが、「ではあらためて」と検索してみたのです。正解は、みなさんご存知のとおり、一般的には1です。ぼくの考えももまた同じでした。たしかにそれは、まちがいではありません。とにかく「つづける」。そうすることによって、結果がついてくる場合は、たしかに数多くありますし、ぼくもまた...「継続は力なり」を考える

  • メガネをなくした爺さん

    「目をなくしたカバ」という寓話が教えてくれるものは、「やみくもの愚かさ」でもあります。闇に雲と書いてやみくも。名詞または形容動詞としては、先の見通しもなくむやみに事をすることや、そのさまを指す言葉です。「むやみやたらに」という副詞としての使い方もあります。いずれにしても、褒められたことではありませんが、世の中には、ついついそうなってしまうという類の人間がいます。誰あろう、このぼくもその内のひとりです。たとえば「目をなくしたカバ」に登場するバカなカバのように、なにかを失くしてしまったとします。といってもそれは、本当の意味で失くしたものではありません。どこかに置いてあるけれど、その場所がわからない、という意味での「失くした」、つまり、きちんと探せば見つかるという種類のものです。そうそう、ぼくは今、『ぼけと利他...メガネをなくした爺さん

  • 「目をなくしたカバ」ふたたび

    目をなくしたカバきのう、かつて『「目をなくしたカバ」が教えてくれたもの』というテキストを書いていた(2021年6月11日)のを教えてくれたのは、当ブログのスマホ画面の下の方にある「人気記事」一覧でした。どうやら、「検索」でアクセスしてきた人が相当数いたようです。そういえば・・・と思い起こすと、そのような記事を書いた記憶がよみがえってきました。「目をなくしたカバ」とは寓話のタイトルです。せっかくですので、3年前と同様に、内容を『座右の寓話』(戸田智弘、ディスカヴァー携書)から引いてみましょう。******一頭のカバが川を渡っているときに自分の片方の目をなくした。カバは必死になって目を探した。前を見たり、後ろを見たり、右側を見たり、左側を見たり、体の下を見たりしたが、目は見つからない。川岸にいる鳥や動物たちは...「目をなくしたカバ」ふたたび

  • 令和6年のモデルチェンジ

    じつに私的極まりない「建設DX」についての論考を書いているうちに、このブログをはじめてから丸16年が過ぎ、17年目に突入していました。といっても、15年という節目を迎えた昨年には、いったんやめるという選択をしたあと、3ヶ月が経過してまたリスタートしたのですから、これを連続したものとして捉えるかどうかは、ビミョーなところがあるのも事実です。ともあれ16年です。オギャーと産まれた赤ん坊が高校一年生になってしまうほどの歳月であり、ニキビヅラの高校球児がベテランプロ野球選手と呼ばれるようになってしまうほどの歳月であり、65歳で定年退職した爺さんが、八十過ぎの爺さんになってしまうほどの歳月です(どっちも爺さんですが)。漫然とつづけるだけでは、惰性に陥ってしまうのは必至です。それがマイナーチェンジかフルモデルチェンジ...令和6年のモデルチェンジ

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その14 ~ 階上、階下を笑うべからず。

    いったん「お終い」としてケリをつけたつもりでしたが、案の定、というべきか、いつものように、というべきか、気がつけば、思い出したかのように思索を進めている自分がいます。とあれば、当然のことですが出力せねばなりません。13回で終わった連続物としての『〈私的〉建設DX〈考〉』とは別に、随時つれづれなるままに綴っていこうと思います。ですから、便宜上の通し番号(その〇〇)は振っていますが、ここから先は、必ずしも「前項を受けて」とはならず単発です。いや、そうなるかどうかさえ定かではありません。なんとなれば、そう思いついたはよいが今日このテキストを最後にあとはなし、ということにもなりかねないのですから。ということで、『〈私的〉建設DX〈考〉』、前回までとつながってはいますが、直接的に「その13」を受けてはいない「その1...〈私的〉建設DX〈考〉その14~階上、階下を笑うべからず。

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その13 〜 余録です

    余録です。結局のところ、(デジタル化を手段として)「変わりつづける」ことで、「あらたな仕事のやり方」を見つけ(それもまた「変わりつづける」のですけど)、組織の文化を変えていくことが、ぼくの考える(中小建設業の)建設DXなのです。という締めくくりでこの連投を終えたあと、手にとった本は南直哉『刺さる言葉』でした。といっても、何の関連もありません。ただの思いつきです。しかも、初読ではありません。二度目です。思うところあって、初読再読を含め、直哉さんに浸ってみようかと考えていたからです(と思い立ってから3冊読んだあと、ミシマ社の「利他本」を2つ読んでいるのですから、相変わらず移り気ではありますが)。読み始める、すぐに出会ったのがこんな文章でした。******「好きでやっている坐禅は凡夫だな。しなければならなくてや...〈私的〉建設DX〈考〉その13〜余録です

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その12 〜 結(のようなもの)

    あらためてことわっておきますが、ぼくは、デジタル化をすればそれですべてが上手く行くなどという、能天気な考えの持ち主ではないし、デジタル化の行く末にあるのがバラ色の未来だとも思っていません。心の底を吐露するならば、むしろ懐疑的な想いのほうが強い。しかしぼくは、こと土木という仕事においてはデジタルに賭けてみようと思い、それを実践するという道を選びました。であれば、そこにおいてのぼく自身は、引き裂かれた己と向き合うことを余儀なくされてしまいます。とはいえぼくという人間は、それがデジタルであるかないかにかかわらず、テクノロジーというやつを全肯定できない心持ちを常に自らのなかに抱えながら土木「工学」と向き合ってきました。土木には、「工学」としての側面とそれだけでは測ることができない部分とがあるというのが、土木屋とし...〈私的〉建設DX〈考〉その12〜結(のようなもの)

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その11 〜 テセウス・パラドックス

    ぼくたち公共建設工事を生業にしている者の大元締めは、言わずと知れた国土交通省です。その国交省が「インフラ分野のDX」を推進しているのですから、同業者同士の会話のなかで「建設DX」が話題にのぼることが少なくないのは当然のことでしょう。しかし、そのなかで、何故だか誰もが触れたがらないところがあることを、はたして皆さんは認識しているでしょうか?その呼称は各企業で色々さまざまでしょうが、いわゆる総務部門のデジタル化についてが、ぼくたちがDXの話をするときに話題の中心となることは、ほぼないのです。なんてことを言うと「オレたちゃ技術系だから当然でしょ」という答えが返ってくるのかもしれませんが、それだけでしょうか?ひょっとしたら、そこがあまりにも旧態依然すぎて、アンタッチャブルなものになっているからなのではないかと、ぼ...〈私的〉建設DX〈考〉その11〜テセウス・パラドックス

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その10 ~ 後方2回宙返り1回ひねり

    かつて、近年のレベルやセオドライト(トランシット)はもちろん、かの日本測量界の父である伊能忠敬が使っていた象限儀に至るまで、測量機は「のぞく」ものというのが相場でした。【のぞく】(デジタル大辞泉より)1.物陰やすきま、小さな穴などから見る。2.装置を用いて物体を見る。3.高い所から低い所を見る。4.ひそかにようすをうかがう。また、隠しごとや秘密にしている物などをこっそりと見る。etc・・・言わずもがなですが、この場合の「のぞく」は2。望遠鏡を覗くの「のぞく」です。コペ転の起点となったのは2012年、株式会社トプコンが自動追尾・自動視準のトータルステーションPSシリーズを発売したことでした。これが「のぞかない」測量の萌芽です。さらにトプコンは、2014年、建設現場における杭打ちや墨出し作業を「誰でも簡単に1...〈私的〉建設DX〈考〉その10~後方2回宙返り1回ひねり

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その9 ~ ライダー・・・へんしん!!

    前回の締めくくりでぼくは、DXへと至るプロセスとして提示した3パターンのうち「メタモルフォーゼ」を、ローカルで生きる中小建設業が「建設DX」を考えるうえでの対象外としました。どう足掻いても、たとえば「ケータイからスマートフォン」というイノベーションなど起こしようがないぼくたち小規模建設業者には、そのイノベーションが実現したことによって手に入れたデジタルテクノロジー(ツール)を自分のものとして、どのように活用できるかが勝負の分かれ道だと考えるからです。しかし、そのデジタルツールの使途として当初の想定にはなかった活用方法を考え出し、自分たちの仕事のやり方を変え、さらにそれを発展させていくということは、ローカルかつ小規模な企業や、そこではたらく個人であっても、十分に実現可能なことです。ぼくが、ぼくやあなたのよう...〈私的〉建設DX〈考〉その9~ライダー・・・へんしん!!

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その8 ~ ラテラルで行こう

    ラテラル思考、といってもピンとこないひとは、またオマエわけのわからない言葉をひねり出したな、と思われるかもしれませんが、残念ながらそうではありません。ラテラル(lateral)とは「横に向かった」「水平な」という意味で、論理を縦方向に深く掘り下げるロジカルシンキングに対して、発想を横にひろげる、つまり、常識や既成概念や固定観念に固執せずに自由な発想でアイデアを生み出す思考法のことです。その起源はけっこう古く、今から60年以上前、マルタの医師であり心理学者でもあるエドワード・デボノが提唱した考え方で、一般に、ラテラルシンキングまたは「水平思考」と言います。ぷっ、じゃあなぜ、わざわざラテラル思考と呼称を変えたんだよ、と口に含んだコーヒーを吹き出しかけたそこのあなた、いやいや、有り体に言えば特段の意味はなんにも...〈私的〉建設DX〈考〉その8~ラテラルで行こう

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その7 〜 コペ転

    前回は、「ケータイからスマホへ」を例にとってデジタイゼーションあるいはデジタライゼーションからDXへと昇華する形態として、メタモルフォーゼを挙げました。メタモルフォーゼ(変態)を遂げてトランスフォーメーション(変形)へと至る、というのもおかしな話ですが、とにかくその進化と有り様は、まさにメタモルフォーゼと表現するのがふさわしいと感じたからです。では、メタモルフォーゼだけがデジタル化を起点としてDXへとステップアップする形態なのでしょうか?いくつかの例をつらつら考えてみるに、どうもそうではないようです。いや、むしろそのパターンは希少なのかもしれません。なぜならば、メタモルフォーゼを遂げるためには、さまざまな偶然や因果が関係し合う必要があるからです。つまり、自らの意思や行動のみでそうなることは、ほとんどないと...〈私的〉建設DX〈考〉その7〜コペ転

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その6 ~ ケータイのメタモルフォーゼ

    ここで、いったん建設DXという枠から外へ出てみます。デジタルテクノロジー(ツール)がどのようにして世の中を変え、デジタル・トランスフォーメーションを引き起こしたかについて考えるとき、その代表的な例として思い浮かぶのがスマートフォンです。そうそうそういえば一昨日のことです。職長のGoくんと同じセミナーを聴講した帰路、会場から出るか出ないかぐらいのタイミングで彼がこう言いました。「イチバンはスマホの進化なんですよね・・・」たしかに。得たりと膝を打ちました。ぼくもまたそのセミナーで受信したことは数々あったけれど、スマートフォンをどうやって仕事に活かせるかがキーポイントだな、という思いを抱かされたセミナーではあったからです。スマートフォン以前ーーー今から思うと、ビフォースマートフォンとかアフタースマートフォンとか...〈私的〉建設DX〈考〉その6~ケータイのメタモルフォーゼ

  • 〈私的〉建設DX〈考〉 その5 〜 余談です

    前回まではこちら→『〈私的〉建設DX〈考〉その1~序』→『〈私的〉建設DX〈考〉その2~これってDX(じゃん)』→『〈私的〉建設DX〈考〉その3~DXってむずかしい』→『〈私的〉建設DX〈考〉その4~デジタル三段跳び』昨晩9時過ぎ、布団に入り、少しだけ読んでから寝ようと手にしたのは、南直哉『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』でした。******人が理解し合えないのは当たり前です。まず自分をわかって欲しいと思わないことです。自分だって自分のことをよくわかっていないのに、他人にわかるわけがありません。自分以外の人間には絶対になれない以上、他人のことは決して全部わからないのです。もし、相手のことをわかったと思うのなら、あるいは、自分を理解してもらえたと感じるのなら、それはしょせん誤解にすぎません。「理解」...〈私的〉建設DX〈考〉その5〜余談です

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その4 ~ デジタル三段跳び

    前回まではこちら→『〈私的〉建設DX〈考〉その1~序』→『〈私的〉建設DX〈考〉その2~これってDX(じゃん)』→『〈私的〉建設DX〈考〉その3~DXってむずかしい』DXという言葉ばかりがクローズアップされるため、一般には馴染みが浅い言葉ですが、デジタル化を語る概念としてデジタイゼーションとデジタライゼーションがあります。それがどういう意味なのか、いくつかの定義を紹介するとことから今日の稿をはじめます。まず、国連開発計画(UNDP)では次のように定義しています。・デジタイゼーション:既存の紙のプロセスを自動化するなど、物質的な情報をデジタル形式に変換すること。・デジタライゼーション:組織のビジネスモデル全体を一新し、顧客やパートナーに対してサービスを提供するより良い方法を構築すること。令和3年の『総務省情...〈私的〉建設DX〈考〉その4~デジタル三段跳び

  • 〈私的〉建設DX〈考〉その3 ~ DXってむずかしい

    前回まではこちら→『〈私的〉建設DX〈考〉その1~序』→『〈私的〉建設DX〈考〉その2~これってDX(じゃん)』日本の建設業で「生産性向上」が叫ばれはじめて久しくなりました。とりも直さずそれは、こと「生産性」という側面でわが建設業は、圧倒的に他産業(ぼくの見るところ、どうもそれは製造業をあらわしているようですが)の後塵を拝しているという現状があったからです。生産性向上については、色々さまざまな説明がありますが、ひと口に言ってしまえば、限られたリソース(人員、資機材、時間)のなかでより多くの成果を生み出すこと。これで差し支えないでしょう。人員や資機材が同じならば時間を短く、時間が同じならば人員や資機材を少なく。それが実現したときの状態を、生産性が向上したと言いあらわします。繰り返しますが、その実現を図る武器...〈私的〉建設DX〈考〉その3~DXってむずかしい

  • 〈私的〉DX〈考〉その2 ~ これってDX(じゃん)

    きのうの稿。→『DX〈考〉その1~序』「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDXであるらしい」とぼくは規定しました。末尾の「らしい」は単なる照れ(のようなもの)であって他意はありません。大上段に振りかぶってはみたものの、ちょっとばかり照れくさくなってアタマを掻いてみただけのことなのです。なので、一般的には上記説明でなんら問題はないはずです(たぶん)(これも同様)。以前からぼくは、「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」という分数モデルを提示し、「あたらしい技術」という分母をいくら大きくしたところで、分子である「あらたな仕事のやり方」がちいさいままでは、その効果は部分...〈私的〉DX〈考〉その2~これってDX(じゃん)

  • 〈私的〉DX〈考〉その1 ~ 序

    DXという言葉を見聞きしない日がないのは、今のぼくが、地域の土木建設業というビジネスの中心にそれを置いているからであり、それがそのままパソコンの画面に反映されるのがインターネットというものの仕組みである以上、致し方のないことではあります。それにしても、このインターネットというやつは相当に気をつけていなければ、物ごとの移ろいを見誤ってしまうものだと、近ごろつくづく思います。俗に言うトレンド、つまり流行り廃りでさえも、客観的なそれがそのとおりに反映されてぼくたちのスマホやパソコンに表れ出てくるわけではありません。そこでの情報は、あくまでもその検索主体であるぼくたちの嗜好や意向が反映されているものにすぎませんし、それがたとえばGoogleが大成功をおさめたビジネスモデルそのものであるにもかかわらず、多くの人はそ...〈私的〉DX〈考〉その1~序

  • 一に止まる

    「正」という字は「一」に「止まる」と書く。この場合の「一」は、何かを「正しい」と思うぼくやアナタの「正」である。己が言を正論だと信じて述べるのはよい。そうでなければ自信をもって発言することはできないのだもの、そうすることになんら不都合はない。だが、そこに「止まる」のはよくない。なぜならば、「正」が未来永劫まで「正」のままいるとは限らないからだ。あしたのアナタやぼくは、今日のぼくやアナタではないかもしれないように、ぼくたちが置かれている状況もまた同じではないかもしれない。いや、人の世のみならず、地球上に生きとし生けるもののすべてが諸行無常に万物流転だ。だとしたら、そもそも同じだと捉えること自体に無理がある。であるにもかかわらず、その「一」に「止まっている」としたら、いったんは信じた「正」が正しくなくなってし...一に止まる

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