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ひのさんのプロフィール

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北川村
出身
北川村

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ブログタイトル
答えは現場にあり!技術屋日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/isobegumi/
ブログ紹介文
地域と共に生きる!高知の中小建設業の泣き笑いの日々をお届けします。
更新頻度(1年)

325回 / 365日(平均6.2回/週)

ブログ村参加:2008/07/22

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ひのさん
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答えは現場にあり!技術屋日記

ひのさんの新着記事

1件〜30件

  • 努力の先に

    「努力はいつか必ず報われます」と自信たっぷりに諭すその言葉に、ん?と違和感満載のわたしは、今という時代ではやはり変わり者だろうか。(「いつの時代でも変人ぢゃないか」と言われる、「おっしゃるとおり」と答えるしかないですケド)「努力はいつか必ず報われます」たしかに彼はそう言ったわたしが耳をうたがったその言葉は、多数の若者に向けて発せられた。彼がどこのどなたか、そしてその言葉を発した場所がどこであったかを公表するのは差し控えたい。別に彼個人を批判するのが目的ではないのだし、珍奇な言葉でもないからだ。むしろ、今という時代は、その手の発言をする大人が多いとさえ言えるのかもしれない。しかしわたしの見解は、断じてNoだ。「努力は報われない」あるいは「夢はかなわない」いやいや、いくらなんでもそれは極言だ。言い直す。「努力は報わ...努力の先に

  • 「私という物語」をいじる

    昨年の今ごろ、こんな本を読んでいた(らしい)。考えすぎない生き方藤田一照大和書房・・・・・・私たちはたいていの場合、よくない出来事が起きたとき、「私の物語」に対するお邪魔虫みたいな存在としてその問題を見てしまいます。英語でいえばproblemです。「私」にはなにも問題がないはず、問題があるのは外側のほう、だから外側をいじれば問題が消えるはずだ・・・という路線での思考に陥ってしまうんです。あいつさえいなければとか、この人がこうしてくれたらとか、これさえうまくいけば、というように。これって、「私」をいじらないためのトリックですよね。「私」をそのままにしておいて、「私」の外側をいじる。いじるというのは操作する、こちらの都合のいいように変えようとする、という意味です。でも、問題を作り出しているのは、外側の誰かや何かじゃ...「私という物語」をいじる

  • 刺さった言葉

    千手観音。皆さんご存知の、あの手がたくさんある観音さまだ。その千手観音について、とても素敵なテクストを見つけたので紹介したい。と切り出すと、いかにもいかにもな抹香臭い話になってしまい、わたしのような仏教に興味を持つ人以外には拒否反応を持って受け取られがちだろうな、などと思いつつ書いてみる。そのテクストの元は、南直哉さんの『刺さる言葉』。「千の手と眼を持つ慈悲深い観音様(いわゆる千手観音)は、あんなにたくさんの手と眼で、どうしようというのでしょうね?」という問いに対する答えだ。・・・・・・人それぞれの苦しみを、ああだろうかこうだろうかと、想像力を必死で働かせ、多くの失敗を重ねながら、決してあきらめずに、苦悩する他者に関わり続けようとするからなのです。その想像力を千の眼といい、その想像力を千の手と言うのです。(中略...刺さった言葉

  • 1888PV888UU

    下の画像は、きのうのアクセス数だ。ことわっておくがわたしは、「同じ数字が並んだ」とか「ゾロ目」だとかで喜ぶことはない。ましてやそれをして、「縁起がよいなあ」などと思うこともない。そういう類の人間だ。いやいやけして、それで喜んだり縁起をかついだりすることが悪いと申し上げているわけではない。繰り返すが、わたしはそういう類の人間だという、ただそれだけのことだ。「偶然の一致」に意味はない。同じ数字が並んだことにも意味はない。意味のないものを意味のあるものにするのは人間だ。意味のないものに人間が意味を与えることによって意味があるものとなる。つまり、意味とは認識であり言葉である。したがって、「偶然の一致」にも「同じ数字が並んだ」ことにも、それ自体に意味はない。と、ここまで書いてキーを打つ手を止めた。むむむむむ・・・近ごろど...1888PV888UU

  • 続・名刺

    1月9日の稿~『名刺』~で紹介した「友人の建設会社経営者Mさん」とは、福島市にある寿建設の森崎社長だ。じつはあのあとすぐ、拙文を読んだ彼からメールが届き、くだんの名刺の「画像を載せてもいいよ」と告げてもらったのだが、「いやいや秘すれば花よ」と丁重にその申し出をことわっていた。その翌日、すすんで自らのブログで名刺を公開するという行為に彼がおよんだのは、わたしが画像掲載をことわったからか。いやいやそんなことはあるまいと、苦笑しながらあらためてその物を見てみると、やはり、これがなかなかおもしろい。ということで、画像転載。さっそく、宣言どおりにパクらせてもらった。森崎さんの名刺は、「トンネル坑口の向こうに社名と姓名その他情報がある+QRコード付き」というところがミソなのに比して、わたしのそれは、単に「QRコード3つ」と...続・名刺

  • 冬に咲く 〜 モネの庭から(その391)

    ふと思い立ち、いつも通る中央階段をあがらずに、スロープを経て池の裏側へとつづく狭い階段をあがってみた。どうということはない。ただの気まぐれだ。そのルートをたどると、最奥部に差しかかってはじめて池が見える。と、白い小さな花のようなものが池のなかにひとつ。一瞬、まさか。と思ったが、見まちがうはずがない。睡蓮だ。しかも白。昨年末に見たアイツにちがいない。それにしても・・・いかに暖冬とはいえ1月も半ば。なんとしぶとい・・・いやいやもとい敬愛の意をこめて言い直すとしよう。なんという健気な花か。何げない思いつきがなければ出会うことがなかったかもしれない一輪の花。であれば、その姿カメラに収めでおけようかと、駐車場にとめたクルマまでとって返し、望遠をひっさげ池に戻る。冬の睡蓮。これを役得と言わずしてなんと言おう。2020年1月...冬に咲く〜モネの庭から(その391)

  • 再会

    高知新聞に『声ひろば』という読者投稿コーナーがある。飛ばし読みどころか、その面自体を無視することがほとんどのわたしだが、なぜだか今朝は投稿ひとつひとつのタイトルをチェックした。するとどうだろう。そのなかの、『ほんとうにありがとう!』と題された記事の投稿者が、中学校時代の恩師だったのだ。生来のへそ曲がりで、幼少よりながいあいだ、渡る世間を斜にかまえて見てきたわたしだからだろうが、学校生活をふりかえってみて、「恩師」と呼ぶにふさわしい教員は彼だけしかいない。その恩師が投稿した記事はというと、国道55合を走行中に突然エンジンが止まってしまいある男性に助けられたこと、さらにそこから数百メートル走ったところでまた止まり、ほとほと困り果てているとくだんの男性がまた助けてくれたこと、どうやら心配になって後をつけて来てくれてい...再会

  • 「タッちゃん」

    2歳の孫が自らの名前で自分のことを称するようになった。もちろん、戸籍に登録された正式なものではない。まわりが彼のことを省略形で呼ぶその名前でだ。誰でもがとおる成長のワンステップだ。じつにほほえましい。年末、まるでそれにタイミングを合わせたかのように、こんなテクストを読んだ。南直哉さんである。・・・・・・振り返って考えるに、いったい私たちはいつ「私」「自分」という言葉を覚え、どうしてそれを使えるようになったのだろうか。記憶している人間は、おそらく誰もいまい。そこで、他人を観察してみると面白いことがわかる。言葉を覚え始めた幼児は、自分のことを「ぼく」だの「わたし」だのとは言わない。他人が呼びかける名前をそのまま自称に使う。父母に「タッちゃん」と呼ばれている幼児は、自分を「タッちゃんはねぇ」と称するだろう。このとき彼...「タッちゃん」

  • 遺影

    老人ひとりが死んだあとの遺品その他の整理というのは、これほどに手間ひまがかかるものかと、自分ではほとんどせず女房殿にその多くをまかせっきりにしながら、そんなことを思う今日このごろ。「こんな写真があったんやけど」と、彼女が差し出したのは軍服姿の青年の肖像だった。旧日本陸軍の軍装に肩章には星が2つならんでいるから一等兵。どこをどう見てもまちがいなく兵隊さんだが坊主頭ではなく、その黒髪はロクヨンぐらいの割合できっちりと分けられている。顔にはメガネ。そこはかとなく頭脳の明晰さを感じさせる青年だ。写真の右下には「K.TAKAHASHIKOCHI」という文字が刻まれている。写真館の名前だろうか。おそらく入営し、戦場へと赴く前に撮ったものだと推測された。わが家から兵士となり戦場に散った人はふたりいる。いずれも祖父の兄弟である...遺影

  • 名刺

    名刺管理アプリ”Eight”を愛用しはじめてどれぐらいになるだろう。いつでもどこでもインターネットを受信することができる端末さえあれば、知人友人、よく知っている人あまり知らない人、何回も会っている人一回しか会ってない人、記憶にくっきりと刻まれている人まったく覚えてはいない人、そんなこんなの区別はいっさいなく、検索して情報を得ることができる。はるか以前は、会社に電話をして、「名刺ファイルのなかに◯◯さん、ってあるはずやけど調べてくれん?え?ない?おっかしいなあ。」などと、自分自身の整理の悪さは棚に上げ、そんなことを口走ったりもしていたが、今ではそのようなことは一切ない。”Eight”のおかげだ。まこと便利なものよのう、と重宝している。その”Eight”、わたしが登録している人のうち、これまでにメンバーではない誰か...名刺

  • 待つ人

    年末から孫娘姪甥妹娘姪姪の子姉姪孫娘息子と入れかわり立ちかわりで引きもきらさずわが家を訪れてくれた人たち。正月は、「帰る人」と「待つ人」が触れあう場であり交歓のときである。そのラストとなった息子が帰った次の日、つまりきのうは、9月に亡くなった母の百箇日忌だった。百箇日忌、またの名を「卒哭忌(そっこくき)」。「遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業する」という意味があるそうだ。母の死からこのかた、とうとう一滴の涙もこぼさなかったわたしは、「薄情な息子ですまんな」と、そんなことは百も承知二百もガッテンしているであろう仏前に向かって手を合わせた。夏には、「あの世」からと「この世」からの「帰る人」で、この家がまた賑わう。その情景を想像すると、「待つ人」であることも悪くない。自分自身が「帰る人」であったときと同様の風景なのだ...待つ人

  • 年のはじめに

    長い休みのなかであらためて思ったこと。「もっと休日を」「もっと余暇を」そのためには「もっと労働(時間)を少なく」ソッチ方面では、ただでさえ他産業と比較して遅れているわが建設業界だもの、それに応えることができなければ未来はない(たぶん)。しかしその一方で、「では、皆が皆そうであって、それで未来はあるのか?」という疑念がアタマから離れない。そんなとき、いつも思い出すのが内田先生が「オーバーアチーブメント」について書いたテクストだ。・・・・・・仕事というのは「額に汗して」するものであり、先般も申し上げたように本質的に「オーバーアチーブメント」なのである。(『内田樹の研究室』2005.5.19『資本主義の黄昏』より)人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、「やりたいこと...年のはじめに

  • 「自信」と「怯え」

    「自信が10の芸は鼻に付く。怯えが10の芸は見ていられない。自信が怯えを少しだけ上回った芸こそが魅力的な芸。」落語家立川志らくさんが、昨年末のM-1グランプリで2位となった漫才コンビ「かまいたち」を、自身のツイッターで評するなかであらわした持論だ。読むなり、深くうなずくわたしはこれを、「芸」の話とは受け取らない。すべからく、「人」の在りようとしてそうありたいと思う。と同時に、そうではない人、つまり「自信が10」を全身にみなぎらせている人たちがわたしは苦手だ。話やたたずまいに「怯え」がない人がきらいだ。その逆に、「怯え」が「自信」を上回った人はどうか。これはどうも、ことが「仕事」である場合は特に、困りものだ。あたりまえだ。「ボク怯えてるよ」と、顔や態度にあらわしていては、成るものも成らない。そういうわたしはどうか...「自信」と「怯え」

  • 『先生のお人形』(藤のよう)を読む

    Aさんは、わたしがもっとも信頼を置いている読み手のひとりだ。その彼が、2019年自身が読んだ本のなかでベストだというのがこれ。むむむ・・・いくら信頼している人のススメだとはいえ、このタイトルとこの表紙は・・・「いいのか?」さすがに少しばかり躊躇してしまったが、そこはそれ、人と人との信頼関係に勝るものはない。ということで、『先生のお人形』(藤のよう)を読む。kindle版がある第1巻と第2巻をつづけて読む。やはりAさんだな、と感心しつつ読む。しかし・・やはりこのタイトルはどうも・・とアタマを掻きつつ『先生のお人形』を読む。〜〜〜〜〜〜親から育児放棄され、基本的な生活習慣すら身につかないまま育ってきた、女子高生スミカ。親戚の間をたらいまわしにされた末、教師をしている昭明に引き取られる。(中略)人は、なんのために学ぶ...『先生のお人形』(藤のよう)を読む

  • ささやかな邂逅

    「これお父さんのやろ?」台所からそう問いかける女房殿の声に、思い当たる節あり。その前の晩、酔うたあげくに就寝前の歯磨きをすませ、洗面所から持ってきたその歯ブラシを、面倒くさいので台所にそのまま置いて床についた記憶がよみがえってきて、「あ、そうそう、すまんすまん」と答える。「あら。よく見たらこれ、けっこうボロボロやんか」「あ、そう。別に違和感ないけどね」「あたらしいのに変えようか?」「うん、どうぞ」という会話のあと、歯ブラシの在庫をゴソゴソと探す音が聞こえていたかと思うと、「仮面ライダーはどう?」自分自身の思いつきがたのしくてたまらないような笑い声で彼女がそう言った。ふむ、別に悪くはない。「あ、ええよ」すぐに使ってみた。悪くない。どころか、「ほほ〜〜ええやないの」とさえ思う。と同時に、ふつふつと湧きあがる疑問。「...ささやかな邂逅

  • 地域の建設業は「訛っている」ことこそが重要な美点(武器)なのです。

    2020年元日、外はまだ暗い。床のなかで、「何時だろう」と枕元のケータイを見ると、5時を少しすぎたばかりだった。ダイレクトメッセージがひとつ届いている。昨年知り合った、ある学校の教員からだ。年頭にあたっての所信表明(のようなもの)が記されている。「ああ、そういえばそんな手もアリだな」そう思った。2020年いのイチバンの当ブログに何をどう書くか、についてである。「所信表明(みたいなもの)にしてみようか」まだ身体は床のなかだ。さて・・・すぐに降りてきた惹句がある。地域の建設業は「訛っている」ことこそが重要な美点(武器)である。今、思いついた言葉ではない。ここで書いたことも、発表者あるいは話者という立場で何度か他人さまに披歴したこともある。オリジナルな言葉でもない。元ネタは林英哲。かつて英哲さんは、その著書『あしたの...地域の建設業は「訛っている」ことこそが重要な美点(武器)なのです。

  • 出会いから13年たった冬に

    かつて「けっこうな影響を受けた」のだとその人は言った。この夏のことである。だが、そのあとにつづいた言葉は「今はかなり変わりましたからね」。しかも、いかにも残念そうな表情つきでだ。さもあらん。たしかに変わった。なにがって、このブログがだ。書いている当の本人も認めているのだから「その人」の言葉に対して異論はないし、「残念そうな」ことについては、もうしわけないとしか言いようがない。ではどこがどのように「変わった」のか。「その人」は具体的な言及は避けたが、その場における前後の会話からすれば、ことさらに推察するほどのこともなくあきらかだった。建設業の工程管理、あるいは建設現場におけるプロジェクトマネジメントに関するテクストが、ほとんどとなくなったことを、「かなり変わりましたからね」という言葉で彼は指摘したかったのだろう。...出会いから13年たった冬に

  • 2019年の〆に南直哉本を読む

    「ハマってしまった」と広言し、お次はこいつだと宣言して読みはじめた「『正法眼蔵』を読む存在するとはどういうことか」(南直哉)だが、ところがどっこい、これがまた予想以上の歯ごたえだ。しかし、おもしろい。難しいがおもしろい。こんな感覚をおぼえながら本を読むのはめずらしいことだ。とはいえ、わたしにはやはり難解に過ぎるのもたしかだ。そのなかで、このオジさんのヘッポコアタマでも理解できるような箇所をところどころ見つけては、それをよすがに読みすすめている。ということで、一計を案じてみた。同じ著者の別の本、つまり、もそっと読みやすいものをあいだに挟みつつ読み進めるという方法をとってみたのだ。指名したのはこれ。『刺さる言葉ー「恐山あれこれ日記」抄』。正月休みは、まだまだ鳥羽口にさしかかったばかりだ。まだまだ時間はたっぷりある。...2019年の〆に南直哉本を読む

  • 130年の重み

    この夏のことだ。わが永遠のアイドル砂子組で一席やってくれとの依頼を受け、無謀にも、役員ほか幹部社員を前にして長広舌をふるったそのあと、同じく登壇したのは新潟県胎内市にある小野組小野社長だった。小野組は創業明治21年、130年つづく老舗企業だ。小野さんいわく、「自分はバトンランナー」だという。次代の人がうまくいって、やっとお役御免無罪放免になるのが自らの役割なのだそうだ。その講話の冒頭、彼が聴衆に投げかけたのは、こんな問いだった。「100年つづく企業になるためにもっとも大切にしなければならないのはなんでしょうか?次の三つのうちから選んでください」その三つとは、「顧客」「株主」「従業員」だ。こう言っちゃあ悪いが、この手の質問を駆使する話がわたしは嫌いだ。「自分に当てられたらどうしよう」とヒヤヒヤするからだ。小心者の...130年の重み

  • かつてパソコン用に使っていた机がテレビ台になった。わたしがはじめてパーソナルコンピューターというやつを個人で手にしたときに、それを置くために買ったのだから、20年ほど前からわが家に存在しているものだ。文机というのだろうかローデスクというのだろうか、座して使うそれは、右に引き出しが上下に並んでふたつあり、その左にはキーボードを置く台があってスライド式で出し入れするようになっている。当然、そこで使用されるパソコンはデスクトップ型だった。「いつも机に向かってパソコンばかり」インターネットを経験しはじめたころ、また、「ブログを書く」という日々をはじめたころ、女房殿に何度かそうなじられたのを覚えている。ことほど左様に、わたしにとっての必需品だった。わたしが家のパソコンを使わなくなって久しい。それからこの机は彼女のものにな...机

  • 夕陽の丘にて2019年師走 〜 モネの庭から(その390)

    太鼓橋から西方をのぞむと、かすかに土佐湾が見える。そこに沈む夕陽と、すっかり葉が落ちてしまった楓の木のコントラストが、この庭へと足しげく通いはじめたころからずっと、わたしのお気に入りのひとつだ。落陽と落葉。そんな愚にもつかない言葉合わせが思い浮かび、ひとりクスッと笑うが、もちろんわたしの他には誰もいない。当然のこと、撮らねばならない。だが、手持ちのカメラは現場用のコンデジとiPhoneのみ。とはいえ、この景色を目の前にして、撮らぬという選択肢は万にひとつもない。どちらにしようかな裏の神さまに・・選んだのはiPhoneだ。夕陽の丘にて、2019年師走。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(有)礒部組現場情報夕陽の丘にて2019年師走〜モネの庭から(その390)

  • 『「悟り」は開けない』(南直哉)を読む

    「悟り」は開けない南直哉ベスト新書ハマるとは、趣味や食べ物などに夢中になって抜け出せなくなっている、という意味の俗語。穴などにぴったり入る、あてはまる、溝などに落ちるという意味の「嵌る、填る(はまる)」からきており、ぴったりサイズの穴に入ってしまって抜け出せない状況を表している。(『笑える国語辞典』より)どうやら、みごとにハマってしまったようだ。南直哉本にである。最初に読んだ『善の根拠』が、わたしにとってはあまりに難物で、数ページ読んでうっちゃっておいてから約一年、わかりやすいもの、平易なもの、さほどエネルギーを使わなくても済むものへと流されがちだったわが読書生活に喝を入れるべく、Kindleのライブラリーから指名して引っ張り出し、やっとこさ読み終えると、すぐさまポチったのが『悟りは開けない』。主として「10分...『「悟り」は開けない』(南直哉)を読む

  • 「スキンヘッドは美学であり、出すことで隠してるの」(マキタスポーツ)

    『「M-1騒動」とは何だったのか?ーーマキタスポーツが振り返る”第一芸能界の内輪揉め”』というweb記事を読んでいて「衝撃的」な言葉に出会った。その発言の主とはマキタスポーツいわく「スキンヘッドは美学であり、出すことで隠してるの」その前後の脈絡はこうだ。・・・・・・マキタスキンヘッドっていうのは、強烈な自我の表れだよ。髪が薄いことを隠したい、ハゲてることに触れてほしくないから剃っているのであって、決して無精だからじゃない。おぐらたしかに手入れは大変ですよね。マキタスキンヘッドの人の近くに行ってみな、ものすごくいい匂いするから。おぐらよく「剃っちゃったほうが楽だから」って聞きますけど……。マキタ楽なもんか!めちゃめちゃ神経質だよ。ハゲで無精っていうのは、江頭(2:<wbr/>50)さんみたいな人のことを言うんだよ...「スキンヘッドは美学であり、出すことで隠してるの」(マキタスポーツ)

  • 一年前 〜 モネの庭から(その389)

    「よもやこの時季にお目にかかることができるとは・・」と白い睡蓮との邂逅に大よろこびした土曜日、「どうよコレ」とわざわざ庭の責任者ムッシュ・シュヴァリエ・川上に写真を見せて「こんなの見たことないですよ」というお墨付きをもらったまではいいが、同じ日、Facebookから届いた『過去の思い出を振り返ってみましょう』を何の気なしにのぞいてみると、ナ、ナント、「白い睡蓮」が写っているではないか。しかも同じ位置に同じ種類の花が、である。あゝなんということだ。いやはや歳はとりたくないものだとボウズアタマをボリボリ掻きつつ、去年と今年の「白い睡蓮」を見比べると、こう言っちゃあなんだか、今年のそれのほうが断然すぐれている。う〜ん・・悪くない。そして・・まだまだ「伸びる」余地あり。ついさっきの想いはどこへやら。「勝負はこれからだわ...一年前〜モネの庭から(その389)

  • 冬の睡蓮 ~ モネの庭から(その388)

    あれはもしかして?「まさか?」と目を凝らして見るとやはりまちがいではなかった。小春日に名残りの睡蓮ひとつ。しかも白だ。よもやこの時季にお目にかかることができるとは・・純白の睡蓮だと確認した刹那、まっ黒なわたしのココロが洗われたような・・よいではないか。いっとき腹黒なこのオジさんに勘違いをさせてよい気分のまま居させておくれ。そんな気がする昼下がり。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(有)礒部組現場情報冬の睡蓮~モネの庭から(その388)

  • 冬来りなば

    朝、サクサクという音を立てて現場へと庭を歩く。休みのあいだは園路のそうじも必要はなく、おかげで色とりどりの紅葉を踏みしめて歩くという恩恵にありつけている。すこぶるつきで気分がいい。「水の庭」の途中から左へ別れる道を折れるところ、正面に、うつむいて作業をする人々が目に入った。こりゃ総出ではなかろうか?というほどにおおぜいだ。そうか。チューリップだ。作業の中身はすぐに推察できたが、いかに早咲きとはいえこのような紅葉もまだ残っているようなこの時季にチューリップを植えるなどとは。少なからぬ驚きと少しばかりの感動をおぼえた。冬来りなば春遠からじ。冬もまともに来てはいないのに春がそこまでやってきているかのような錯覚をおぼえ、なんだかとてもうれしくなってきた辺境の土木屋、62歳マイナス7日。そう、冬が来たなら春が来ないという...冬来りなば

  • 生涯一片青山

    30回目をむかえた中岡迂山記念全国書展が終わったあと、村に寄贈されたこれまでの招待作品と無鑑査作品を廉価で販売しようという頒布会(村民限定)があり、昼休みにちょいとのぞいてみた。入り口から順に、それほどゆっくりではなく、かといって早足でもなく歩いていると、一幅の書に目がとまった。「生涯一片青山」その字からそう読みとれたわけではなく、となりにあるタイトル書きでそう書かれているとわかった。むしょうに興味をひかれ、その場で言葉の意味を調べてみた。まっ先に読んだのは、Googleブックスのなかのこんな解説だった。・・・・・・「青山」とは、青い山(自分自身の理想郷)という意味のほかに「墓地」の意味をもっています。人生は山あり谷ありです。喜びもあれば悲しみもある。調子が良いときもあれば、何もかもがうまくいかないときもある。...生涯一片青山

  • ぐーぺたぴん

    今月はじめ、北国から来た客人たちを、うちひとりのたってのリクエストで、「むろと廃校水族館」へ連れて行ってさしあげた。「ホントにいいの?」と念を押すわたしに、「どうしても行きたいのだ」と彼は言う。なぜわざわざ念を押したかにはわけがある。この「むろと廃校水族館」。いわゆる水族館として見れば、その施設は貧弱だ。したがって、「な~んだたいしたことないじゃない」という感想をもらす人もいる。しかし、あの施設の素晴らしさはそういった部分での勝負ではなく、関係者の予想を超える大きな反響を呼び、一躍人気スポットになった理由もそこではない。目で見て感じて判断してもらえばそれで済むことなのだが、なにせ遠来の客人だ。いちおう念のために「ホントにいいの?」と確認した。というわけである。ところがどっこい「そのひとり」は、ちゃ~んとリサーチ...ぐーぺたぴん

  • そのうちなんとかなるだろう 〜 モネの庭から(その386)

    あおい空しろい雲とくれば「そのうちなんとかなるだろう」と答えるのは暦をひとまわり以上したオヤジぐらいだろうななどと今は亡き植木等のあの突き抜けた歌声を脳内にひびかせながら池のまわりを歩く。それほどにきのうのわたしは機嫌がよかった。なんとなればやっとめぐり会えたのだもの。あおい空しろい雲あかい紅葉(もみじ)とメタセコイヤ。それらとそれらを映し出す水面(みなも)が渾然一体となったこの景色にそろそろ紅葉のシーズンも終わる今やっとめぐり会えたのだもの。歌わでおけるか。♪見ろよあおい空しろい雲そのうちなんとかなるだろう♪なんて。↑↑インスタグラムーisobegumiー↑↑土木のしごと~(有)礒部組現場情報そのうちなんとかなるだろう〜モネの庭から(その386)

  • 答えのきざし

    朝、答えのきざしが突然おりてきた。折にふれ、「どうしてこんなに苦しいのだろう」と考えていたことについてだ。あらあら、11年ものあいだブログという「晒し」の場に自分自身を置いてはきたが、そのようなことを白状するのはきわめて稀だ。まあよいではないか、ことのついでだ、つづきを行ってみよう。と自分自身に言い聞かせて書いてみる。なにがそれほど苦しいのか?伝わらないことがである。わかってもらえないことがである。以前はこれほどではなかったはずなのになぜ?と悩んでいた。やれ「イメージの共有」だなんだと、いわゆる(自称)「ゆる~いCIM」だの「伝家の宝刀CCPM」だのを駆使し、コミュニケーション&コラボレーションで仕事を進めようとすればするほど、「わかってもらえない」あるいは「伝わらない」現実が次から次へと眼前にあらわれてくる。...答えのきざし

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