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北川村

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ブログタイトル
答えは現場にあり!技術屋日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/isobegumi/
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地域と共に生きる!高知の中小建設業の泣き笑いの日々をお届けします。
更新頻度(1年)

298回 / 365日(平均5.7回/週)

ブログ村参加:2008/07/22

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ひのさんの新着記事

1件〜30件

  • 10日ほど前、3頭の子グマを背中にのせて泳ぐ母グマの映像を、朝のNHKニュースで見た。刹那、あと2ヶ月ほどで3人目の子どもが生まれようとする娘のことが思い浮かんだ。つづいて、その娘を含め3人の子を育てた、こちらに背中を向け台所に立っている、妻を見た。そして、わたしたち3人の兄弟を育てた母を想った。「母は偉大なり」そんな言葉が脳内に浮かんだ。「月並みだな」そう自嘲しつつ「いいじゃないか本心だもの」と自答する。そういえば、今月はじめ、日本列島をうかがう台風10号の話題のついでに、北陸で暮らす同年輩の朋友からこんな話を聞いた。ときは昭和36年9月、第二室戸台風が列島を襲ったときのことだという。幼い彼をおぶった母親は、畳をはがして窓に当て、台風の襲来にそなえていたそうだ。そのとき彼の父親は、何を考えたのか、「本家にいか...母

  • 「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人たちには、その重要性が理解できない。(内田樹)

    予期せぬ再会をはたしたあれ以来、本棚をちらと見たあと、朝のトレーニングを開始するのだが、そうそうビビッとくるものではない。「やはりあれはオレを呼んでいたのだ」そう思っていた数日前、こいつがわたしを呼んだ。『下流志向ー学ばない子どもたち、働かない若者たち』(内田樹、講談社)。ブログ内検索をしてみると、2011年1月に読んでいる本だ。「お、きたね」ほくそ笑みつつ、またまた超速の飛ばし読みをしていると、わたしにしてはめずらしいことに鉛筆で書きこみをしているページがあった(マーキングをしながら読むのはわたし的常道だが書きこみはめったにしないのです)。そこには、「青い鳥仕事」と「雪かき仕事」について書かれていた。「青い鳥仕事」とは、言い換えれば「夢を追う」ということ。内田先生ご本人の文章から引いてみる。******「青い...「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人たちには、その重要性が理解できない。(内田樹)

  • 『水害 治水と水防の知恵』(宮村忠)を読む

    『水害治水と水防の知恵』(宮村忠、中公新書)読了。昭和57年の長崎大水害を描いた「序章」から、全国各地の古い治水事例を紹介した第一章「治水のフォークロア」とつづき、どれもとても興味深い。わたし的にはさらにおもしろかったのが、第二章「水防の騒乱」。そこに描きだされている先人たちは、たとえばこんなふうだ。対岸が破堤したら酒盛りをして喜ぶ。大洪水が起きて自分たちの堤防が危険になると、対岸に渡っていた決死隊が堤防を破堤して逃げ帰ると同時に対岸では斥候を用意してそれを防ぐ。両岸で堤防の強化を競い合う。氾濫した水をめぐって激しい血の雨を降らす。わたしにとっては、そのそれぞれがほぼ初見といってよいものだが、それらがまったくもってピンとこないかといえばそうでもなく、実感としてわからないわけではない。現に、わたしが暮らすこの地を...『水害治水と水防の知恵』(宮村忠)を読む

  • 4連休

    「今年のシルバーウィークは・・・」朝食をとりながら、眼前のテレビ画面から流れてきた音声に、「?」と首をひねる。うろ覚えの記憶では、たしか、秋分の日や敬老の日がらみで5連休になるときだけがシルバーウィークと呼ばれるものだったはず。あらためて調べてみると、2009年が初めてで前回は2015年、次回は2026年で、4連休の今回はシルバーウィークという呼称を用いるべきではないらしい。すぐにオーバーな物言いをしたがる現今のマスコミには苦笑を禁じ得ないが、ま、どのような呼び方をしようと、そしてこの先、4連休がシルバーウィークになろうと、わたしにとって基本的にはどうでもよいことだ。ちょっと待てよ。天井を見あげ、少し考えてみる。5年前のわたしは、それから11年後の2026年のシルバーウィークを「どうせオレには関係ないね」と思っ...4連休

  • エサしか視えないカエル

    『真釈般若心経』(宮坂宥洪)のなかに、じつに興味深い話が記されていたので紹介したい。ネタ元は、『心眼ーエサしか視えないカエル』という、本邦におけるロボット工学の泰斗である森政弘氏の著書だ。宮坂氏が要約したものを、「していいのか?」と思いつつ、さらに要約するとこんな内容だ。かつて、大陸間弾道弾の防衛方法を検討していたアメリカ海軍は、飛んでくる虫を捕らえるカエルの眼に着目し、厖大な予算のもと、おびただしいカエルを犠牲にして、カエルの目玉について徹底的に研究したという。その結果、カエルの目玉にはさまざまなものが映るが、その脳は、自分に対して向かってくるもの、つまり自分が捕捉して食するものしか認識せず、外に向かうものや止まっているものは網膜に映ってはいても実質的には見えていない、すなわち「視れども見えない」状態だという...エサしか視えないカエル

  • 『真釈 般若心経』(宮坂宥洪)を読む

    『真釈般若心経』(宮坂宥洪、角川ソフィア文庫)読了。この書には、いわゆる「般若心経本」によくあるような「抹香臭さ」、つまり「人としての生き方」や「処世の上で役立つ教え」を説こうとするような般若心経解釈は微塵もない。徹頭徹尾、サンスクリット文法から真釈を解きあかすという姿勢でつらぬかれている。したがって、仏教本は好きだけど、そこからなんらかの処世訓めいたものを引きだそうという気持ちで読んでいるわたしのような人間にはチト荷が重かった。しかし、読むのがイヤだったわけではない。むしろ、興味深く読んだ。亀の歩みではあるけれど、読みつづけた。「荷が重かった」というのは、そういう意味である。著者の般若心経解釈の骨格を成すのが、「般若心経は四層の建物を想定している」という見方だ。すなわち、一階=幼児レベルのフロア(出発地点)二...『真釈般若心経』(宮坂宥洪)を読む

  • テレワーク(のようなもの)

    家に(会社の)仕事はもち帰らない。そして家で(会社の)仕事をしない。これが、わたしが家庭をもってこの方、自営業だった30歳前後の数年をのぞき、選択実行してきたスタイルだった。にもかかわらず、今日は家に一日こもって会社の仕事をしている。これにはちょっとした理由がある。いつものように仕上げなければならない期日から逆算し、「これぐらいから始めれば楽勝だ」と大まかに決めたスタート日をやりすごし、そのあとも「まだまだだいじょうぶだ」とタカを括ってチンタラしていたら、「こりゃ休日出勤をしなければ危ないかな」というところまで迫ってきた。だがそれは、逆の見方をすれば、「休日というバッファを使えばだいじょうぶ」という部分において、まだまだギリギリではない。そして困ったことにこのわたしは、そういったものの見方を採用する人間だ。とい...テレワーク(のようなもの)

  • 「育つとは変わるということですからね」(養老孟司)

    わが家には、かつて祖母の隠居部屋として建てられ、その後、わが子たちが年長になるたびに代々寝起きしてきた六畳一間の離れがある。その部屋が、買ったばかりの懸垂マシンを持ちこんだのをきっかけとして、かねてよりあったフィットネスバイクやダンベルも持ちこみ、ちょっとしたトレーニングルームの様相を呈してきたのにはわけがある。コロナ禍による太鼓練習の中止からはじまり、体調不良→入院→経過観察とつづいた個人的状況のせいですっかりなまってしまったこの身体を、以前なみとまではいかずとも、せめて「いざ」というときに、たとえばロックネットをよじ登って落石発生源にたどり着けるぐらいには回復したいという願望からだ。とはいえなかなかどうして、齢六十が過ぎていったん鈍った身体には、道はるかなり。早晩挫折の憂き目にあってしまうという可能性も大い...「育つとは変わるということですからね」(養老孟司)

  • キャンドルナイト雑感 ~ モネの庭から(その416)

    池へあがるなり、わたしを迎えてくれたキャンドルという名の光たち。なかでもひときわ大きい睡蓮を模したものがくるくる回りながら池のなかを泳いでいる。見るなり苦笑。独りごちそうになる言葉をぐっとのみこんだ。「盆踊りでもあるまいに」キャンドルがくるくる回る池の周りを、くるくる回りながら踊る人たちを想像してまた苦笑い。「夏」ならば、それはそれでわるくないんじゃないか?一瞬だけそんなことを思ったりもした。いやいや、ここはそうではない。「祭り」の喧騒自体はわるくはないが、それは下の駐車場か建物まわりでやればいいだけのことだ。なーんていうのはあくまでも、生来へそが曲がっているこのオヤジの感想でしかなく、来場の皆さんのほとんどは、大小さまざまなキャンドルが灯る池を堪能していたようだ。一年を通じて最大の人気イベントなのだから、それ...キャンドルナイト雑感~モネの庭から(その416)

  • 14

    名刺に「13年連続高知県優良建設工事施工者表彰受賞」という文字を入れたのは、今年はじめごろからだったろうか。言わずもがな、自分たちの業績をアピールするためだ。もちろん、ことさらにPRするのが野暮なふるまいであることは百も承知のうえだ。しかし、当事者が声高らかに言わなければ周知し得ないことも世の中には多くある。これもまたその類のひとつだ。わたしが属する会社が、優良工事表彰の常連であることぐらいは、そのへんの意識がある県内の施工業者なら誰でも知っていることだろうが、それがどのくらい連続しているかまでを主催者がアナウンスしていない以上、いちいちそれを調べている人などは稀だろう。ならば、こちらからアピールするしかない。そう考えてのことだ。それになにより、手前味噌でまことに恐縮だが、大したものだと誇らしく、それは宣伝して...14

  • 写真は愛だ

    土曜日の夜、「モネの庭プレミアムキャンドルナイト」という催しへと行った。年に一度の大人気イベントなのだが、コロナ禍の今年は500名限定の完全予約制。ゆったりとしたスペースを想像して山を上がると、あにはからんや、けっこうな人出であふれかえっていた。さて撮るか・・・もちろんわたしの主たる目的は写真撮影だ。ところが、何枚撮ってもロクなやつが撮れない。どころか、しだいしだいにヤル気が失せてくる。そのうちあることに気づいた。そう、どうしてもこのイベントに感情を移入することができないのだ。撮ろうという気を起こさせない被写体を撮影するほどつまらないものはない。仕事ではないのだ。イヤなものをムリをしてつづける理由などなにもない。きれいサッパリ撮るのをやめた。「写真は愛だ」わたしの持論だ。もちろん多分にウケ狙いの惹句ではある。「...写真は愛だ

  • 「考えてみると人間というのは生きているのが仮の姿、特別の形態なのかもしれない」(大平正芳)

    先日読んだ『田中角栄伝説』(佐高信)で、もっともわたしの心を打ったエピソードは、田中角栄本人のものではなく、彼の盟友として有名な大平正芳のそれだった。ときは1968年、ところは自民党総務会。政調会長だった大平は、田村元、田村良平というふたりの総務から生産者米価をめぐって突き上げをくらう。その主張はこうだ。このような事態(低い生産者米価)を招いたのは、大平が大蔵省のエリート官僚であり、農民の生活など知らないゆえである。ただちに辞職せよ。以下、本文から引用する。*****異口同音にブチ上げる二人にバカバカしくなったのか、大平が席を立とうとする。それを米価調査会長だった田中が、「腹を立てて席を立つ奴があるか。席を立ったら戻れないよ」と言って腕をつかんで引き止めた。しばらく一点を見つめていた大平が立ち上がり、口を開く。...「考えてみると人間というのは生きているのが仮の姿、特別の形態なのかもしれない」(大平正芳)

  • 昭和32年

    「ミヤウチヤスヒト、昭和32年12月27日生まれ」受付のたび、そして検査や診察のたびに、「お名前と生年月日を」とうながされ、そのたびにそう繰り返すわたし。大きな病院というやつはアレがふつうなのだろうか。この歳になるまで、自分自身のこととしてああいう施設に縁がなかったわたしにはわからない。それにしても・・口にだすそのたびに少しおかしいのは、「昭和32年」という冒頭のセリフである。ひょっとしてコチラのほうがよいのだろうかと「1957年」というのを何回か試してみたが、やはり「昭和32年」のほうがしっくりくる。しっくりはくるのだが、少しおかしくて、そのたびに笑みがこぼれそうになる。想像してみてほしい。スキンヘッドのおじさんが、看護師さんを前にして、なぜだかそのときばかりは直立不動になって唱える姿を。まるで囚人のようでは...昭和32年

  • 人間だもの

    夏の盛りに、なんということがない出来事がきっかけで、いっとき休んでいたインスタグラムだが、どうにか再開することができ、あいかわらずの試行錯誤で続行中だ。さてそのインスタグラム、わたしはもっぱらiPad(ときどきiPhone)から投稿するようにしている。理由は、編集加工が簡単にできるからだ。加工、といっても大層なことをするわけではない。かるく手を加える、という程度だ。なかで、もっとも使う頻度が高いのがトリミングだが、そのたびにチトひっかかってしまうことがある。たとえばこれはiPhone上の画面だが・・・編集しようとすると、まずまっ先にiPadあるいはiPhoneが、たぶん人物や建築物の垂直水平を判断しているのだろう、こちらがなにも手を加えないうちに補正をしてしまうのだ。ほっといてくれ。腹立たしいと言えばやや大げさ...人間だもの

  • 善意

    5日ほど前、某国外相が記者会見で、あることへの釈明をしているさなか、口にした言葉。「善意でお聞きしたまで」善意だったら許されるとご本人が思っているか、はたまた、「善意」という言葉を使えば少々のミスは帳消しになってしまうと考えてのことか、どちらか真意は測りかねるが、いずれにしても、プラス方向の用途として使ったことにはまちがいがないようだ。聞くなり、千鳥の相席食堂風に「ちょっと待てぃ」と即座に反応するこの辺境の土木屋62歳はしかし、「善意」という単語を、必ずしもポジティブワードとしてはとらえていなかったりする。善意。辞書で引いてみる。*****(『デジタル大辞泉』より)1.よい心。2.他人のためを思う親切心。好意。3.好意的に相手の言動などをとらえること。よい意味。4.(略)*****どこをどう解釈しても、悪い意味...善意

  • 休みのあと

    土曜日日曜日と2日の休みを、ゆず畑への通い道の倒木処理からはじまり、孫の世話(といいながらそのじつは、遊ばれてるだけなのですが)、家の諸事もろもろ、和太鼓教室、と盛りだくさんのメニューのそれぞれを全力でこなした次の朝。つまり週はじめ。朝起きたら、その日やる仕事が思い浮かばなかった。なんてこったい!マジか?少々あわてた。だが、そこはそれ。深刻には考えない。とりあえずデスクにすわれば思いだすだろう、と開きなおって出社した。その前の週前半までは、やることがないではなかった。しかし、さして急ぎの用もないのにかまけて、タスクの交通整理と優先順位付けに常日頃重宝しているデスクの前のタスクボード(ホワイトボードに「やること」「次にやること」「やっていること」などを付箋でベタベタ貼って、そのつどの状況により位置替えをする)は倒...休みのあと

  • 「かつてない」

    ときおり強く吹く風の音を聞きながら『水害〜治水と水防の知恵』(宮村忠、中公新書)を読んでいる。ここ数日、テレビでは、「かつてない」とか「かつてないほど」とかいう形容をともなって台風10号への警戒を呼びかけている。もちろんわたしは、この台風が弩級であることを否定するものではないし、できるならば九州の被害が最小限であってほしいと願っている。そして、これぐらいのクラスになると、たかだかわたしの60年程度の人生経験では予測できないことも多い。現に、通常なら「影響ないね」とタカを括っていられるはずのあのコースでも、こうして強い風が吹き、雨は断続的に降っている。ゆめ油断してはならないのは当然だ。しかし、それを踏まえてなお、あの「かつてない」という形容にはクエスチョンマークがぬぐえない。そういえば、数日前、「やっぱり異常気象...「かつてない」

  • 「東大卒のへなちょこどもだけで戦に勝てるか」(田中角栄)

    佐高信『田中角栄伝説』(光文社知恵の森文庫)より。まず渡辺美智雄の言。・・・・・・「時計には、短針、長針、秒針がある。この時計が正常に動くことができるのは、その裏側に非常に細かい部品があって、それがうまく機能しているからなんだ。細かい部品、一つでも狂ってくると、時計は機能しない。わたしは表に出ているけれど、みんなが、それぞれの役割をやってくれている。だから、わたしも仕事ができるんだ。どの仕事であれ、上とか下とかない。この中で、だれか一人でも狂うときには、みんなが狂ってしまうんだぞ」・・・・・・次に田中角栄。・・・・・・「城攻めには切れ者の軍略家や三百代言、ソロバン達者、手だれの荒武者に巾着切り、足軽の大群もい必要だ。敵様が当方の強さを知れば、戦わずに城を明け渡す。なのにお前は、あれは阿呆だ、これも駄目だと講釈ば...「東大卒のへなちょこどもだけで戦に勝てるか」(田中角栄)

  • 1975年の生徒総会

    今朝のNHKニュース。いつものように見るとはなしに見ていると、高校生とおぼしき男女らが「Tシャツ短パン」といった姿で授業を受けている光景が映し出されていた。「あら、おもしろそうやんか」まじめに聞くことにした。テレビ画面に写っていた少年少女が通うのは岐阜県立加納高校。ニュースの内容を、"NHKNEWSWEB"から引用してみたい。・・・・・・9月に入っても厳しい暑さが見込まれる中、岐阜市にある県立高校では暑さ対策として私服での通学が認められ、生徒たちが涼しい服装で授業を受けています。岐阜市にある県立加納高校は新型コロナウイルスの影響で夏休みが短くなり、8月19日から授業を再開しました。加納高校では制服通学しか認めていませんが、「汗をかくと制服が肌にまとわりつく」とか「長ズボンは暑い」といった生徒からの声を受けて、9...1975年の生徒総会

  • 野暮

    月曜夜、NHK『家族に乾杯』を妻といっしょに見ていたら、出演していた一般の方が、笑福亭鶴瓶と収録後にかわした会話のなか、心に残った言葉があるという。「小さな縁(の積み重ね)が大きな運へ(つながる)」たしかそのようなものだった。ビビッときた。このような場合はふつう、すぐさまメモをするのがわたしの慣わしなのだが、その時はそれをしようともしなかった。なぜか。鶴瓶師匠が心がけているらしいその行いは、常日ごろわたしが心がけているそれに他ならなかったからだ。深くうなずき妻の方へと向きなおると、彼女もわたしの方を見ていた。なにか言いたげなその顔を判じて、言葉が出てくるのを待つ。だが、いつまでたってもその「なにか」が出てこない。しびれを切らしてコチラから「オレもそうしてきたな」そう口に出すと、「うん、今それを言おうと思ったけど...野暮

  • 大したもんだ

    あいかわらず「大したことがない」な、などと感じている。わたしとその仲間たちに対してである。とは言うものの、つい先だっても高知県建設優良工事施工者表彰を14年連続でいただくことが決まったのだもの(表彰式で表彰状をもらってはじめて実績として確定するのですが)、その会社の番頭たる身が、「大したことがない」と言ったところで、他所さまにとっては嫌味でしかないし、そのようなことを公言してしまうとどこから石が飛んでくるかわからない。それゆえに、小さな声で言うのだが、「あいかわらず大したことはない」。しかしその一方で、「大したもんだ」とも思っている。たとえばCIM(のようなもの)への取り組みだ。「田舎の小さな会社がよくぞここまで」つい最近も、そう感じさせられることがあり、しばし感涙にむせんだ。(ホントに、じゃないですよ。それぐ...大したもんだ

  • ある日の「読む」

    立てつづけに本が届いた。つごう4冊。全部が文庫本だ。「どうして文庫本にしてしまったのだろう?」首をひねったのにはわけがある。わたしの本読みは、そのほとんどがKindle、つまり電子書籍で、紙の割合はかなり少ない。そこへもってきて、長いあいだの老眼暮らしときているものだから、自ずと文庫本は敬遠しがちとなってしまう。それなのに文庫本だ。しかもつごう4冊ときている。もちろんそれらは、自分で選択してポチッとしたものだ。当然、文庫本だとわかって買っている。しかし、4冊が揃ったのを目の前にすると、さすがに少々気がひけた。とはいえそれらは、自分が読みたくて買った本だ。さてどれからやっつけようかと、あらためてタイトルを確認してみた。『水害ー治水と水防の知恵』(宮村忠、中公新書)『田中角栄伝説』(佐高信、光文社知恵の森文庫)『真...ある日の「読む」

  • ウケねらい

    先日、県のトップとの意見交換会というやつに出席した。村民のひとりとしてだ。しかも、土木関係者ではなく教育関係者としてだ。「オマエでよいのか」という疑念と指摘はごもっともだが、「頼む」という人がいて、そして、「ハイな」というわたしがいてそうなった。それ以上でも以下でもない。内容はさておく。「あ~ぁ、まったくどうも困ったもんだね、このオヤジも」席上、そんな感情が、いくどか自分自身に対してわきあがってきたので書きとめておくことにした。失言癖をもつ政治家がいる。正真正銘のバカは論外として、よく見受けられるのが、支持者の前での「ウケねらい」だろう。体裁よく言えばリップサービス。有り体は軽口だ。「やめといたらええのに」その手の報に接するたび、同情の念を禁じえない。そういうわたし自身に同様の傾向があるからだ。事前に用意してい...ウケねらい

  • 全国第5位の町

    今朝(8月28日)の高知新聞18面の「一面ぶち抜き」記事に、知り合いの写真を見つけて目が止まる。それもふたりだ。見出しには「明日の活力ああスナック」「県内”再密集地”奈半利町」「繁華街の名残20軒健在」「癒やし求め安芸、室戸からも」という文字が踊っている。奈半利町における「市区町村ごとの人口あたりスナック軒数」が全国5位であることは以前にも紹介した。↓↓わが奈半利町が「市区町村ごとの人口あたりのスナック軒数」で栄えある全国第5位だったこと『スナック研究序説日本の夜の公共圏』外伝それが縁で、編著者である谷口教授と知り合い、全国第5位の町探訪としゃれ込んだこともある(といいつつ、折りわるく嵐が吹き荒れる町内で、一軒しか行けなかったが)。日本の夜の公共圏:スナック研究序説谷口功一、スナック研究会白水社「奈半利が全国第...全国第5位の町

  • 光の庭2020年夏 ~ モネの庭から(その415)

    夏は盛り色とりどりに妖しの花今春できたこの池の、なんと熱帯性スイレンの似合うことかと、その製作者のひとりとしては、想定の内であり、それを見こしてつくってはいたものの、いざ眼前にあらわれると、少しばかり感激してしまったわたしなのである。そして「ボルディゲラの庭」などという呼び名はけっして口にしないぞと誓ったことなど、どうでもよく思えてきた。そういえば「ボルディゲラの庭」という呼称がいかによくないかを口角泡を飛ばして力説するわたしの前で、シュバリエ・ムッシュ・カワカミは、それに取り合うでもなく、いつもニコニコ笑っていたのを思い出した。たとえそれが「光の庭」であっても「ボルディゲラの庭」であっても、やることは変わらないのだから。ひょっとしたらあの笑顔は、そんなふうに言いたかったのだろうか。夏の陽ざしに照らされて映える...光の庭2020年夏~モネの庭から(その415)

  • 今日の誓い

    先日読んだ『しょぼい生活革命』(中田考、内田樹、えらいてんちょう)のなかで、内田さんいわくだ。・・・・・・僕は朝道場で「お勤め」をするんですけれど、そのときに中村天風先生の「今日の誓い」を唱えます。「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に・・・」というのですけれど、「怒らず、恐れず、悲しまず」と口にすると、改めて「怒っちゃいけない、恐れちゃいけない、悲しんじゃいけない」ということが身に染みる。言葉にして誓うというのは有効ですよね。・・・・・・さっそく調べてみた。中村天風『今日の誓い』、全文はこうだ。・・・・・・今日一日怒らず怖れず悲しまず正直親切愉快に力と勇気と信念を持って自己の人生に対する責務を果たし恒に平和と愛を失わざる立派な人間として生きることを厳かに誓います・・・・・・「口にすると・・・...今日の誓い

  • モネの庭で工事記録写真のことなどを思う 

    はて、この前は・・・と記憶をたどってみたがどうも定かではない。けっきょく記憶に頼るのはやめにして調べてみたが、これまたよくわからない。だからといってどうということはない。白黒をはっきりしなければならないような事柄ではないのだ。感覚としては、ひと月ほどのごぶさただろうか。夏の盛りは、同時に睡蓮たちの盛り。そのジャストシーズンに、池を見ることなく過ごしていたわたしを、久々にむかえてくれたのは、まさに繚乱という表現がふさわしい睡蓮の池だった。どれ、今日はじっくり撮ってみるべ。珍しくどっしりかまえ、次から次へと撮りつづけるなか、さて、これはどちらにフォーカスしようかなとアタマをひねったのも一瞬、両方撮ればよいだけのことだと、前の花と後ろの花、それぞれにピントを合わせてシャッターを押した一群の花がこれだ。どちらがよいか。...モネの庭で工事記録写真のことなどを思う

  • 情報発信はかくあるべき

    村で人気の・・・というよりは全県的な人気を博し、平日にかかわらず営業日には必ず行列ができる「いごっそラーメン店長」に、次のような張り紙が。太字の箇所を先に書き、張り出したのだろう。お客さんにとって必要な情報はそこに含まれている。その告知をながめてみた「おっちゃん」は、「はて?」と考えた。「ワシの想いが入っちゃあせんじゃないか」と。そこで、しばし沈思黙考したあと、おもむろにマジックをとり出し、つけ加えてみた。『あつくてがまんができませんごめんなさい』「よし!しかし・・・、肝心な何かが欠けている」そして、またつけ加えてみた。『しばらくまって下さいねごめんなさい』以上は、すべてわたしの憶測。つくり話。フィクションだ。しかし、当たらずといえども遠からずだろうと、まことに勝手ながら、そう思っている。そして、そんなストーリ...情報発信はかくあるべき

  • 膵管内乳頭粘液性(すいかんないにゅうとうねんえきせい)腫瘍が見つかったこと

    「そんな漢字だらけの言葉、覚えられへんがな」とかナントカ思いつつ、眼前の医師が口にした疾患名を断片的に記憶した。診察が終わり、そのキーワードをたよりに検索してみる。「膵臓」「乳頭」「粘液」すぐにヒットしたのを確認し、勘所をすべてカバーしていた自分を褒めてやる。その名前は膵管内乳頭粘液性腫瘍。「すいかんないにゅうとうねんえきせいしゅよう」と読む。略してIPMNとも呼ばれるようだ。数分前に耳にした医師の言葉を脳内で反芻してみる。「良性と悪性の中間のようなもの」“どきっ“と心臓が鳴った(ような気がした)。あのような表現をされたら誰だってそうなるだろう。見かけによらず小心者のわたしだもの、なおさらだ。その後の説明をよくよく聞くと、今は大丈夫だが今後「悪性」になる可能性があるという意味のようだった。と、これまたその数分後...膵管内乳頭粘液性(すいかんないにゅうとうねんえきせい)腫瘍が見つかったこと

  • カテーテルアブレーションという方法で心房細動の治療をしたこと

    カテーテルアブレーション(※)という方法で心房細動の手術をして一月半ほどが経った今日、経過観察のため、病院へ行った。以前は、とるたびに千々に乱れていた心電図が、まるで他人事だったかのように思えるほど、今はみごとなまでに規則的な図形となって目の前にあるのが、少なからず感動的だった。とはいえそれは、不整脈とは無縁の人、つまりほとんどの人にとっては、ごくごく当たり前のものにすぎない。当のわたしにしても、手術直後の説明と、そのあと今に至るまでの自らの体調と自覚症状のなさで、「そうなのだろうな」と推測してはいたが、「治った、ということですか?」という質問に対して「そうです」という医師の答えをもらったときはさすがに、快哉を叫んで小躍りしたいような気分になった。この持病については、3年ほど前、『「致死性不整脈」というニュース...カテーテルアブレーションという方法で心房細動の治療をしたこと

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