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2008/07/22

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  • 答えは現場にあり〈再考〉

    『〈問い〉の問答』(玄侑宗久・南直哉)のなかに、こんなくだりがあった。発言の主は南師である。******だから、何でも答えがあると思うこと自体が間違いだとおっしゃるのはその通りです。ただ、それ以前に「〈問い〉の扱い方」を間違えていますね。答えられる問題に構成し直そうと強引にするからおかしくなる。やはり、「何ともならない」「絶句せざるを得ない」状況を一度受け止めないといけません。これはとても苦しいことですけどね。それで、何度やってもうまくいかないという状況に耐えないと駄目ですよ。どういうことかと言うと、何もしないわけにはいかないから、自分で一生懸命に〈問い〉を問い直す。答えの出る問題に構成し直そうとしても、それはつねに失敗するということに耐えないといけない。そういったある種の知的忍耐力というか、精神的忍耐力...答えは現場にあり〈再考〉

  • すごいハゲ

    ぼくには男の孫が3人いて、ありがたいことにそれが皆、ぼくが先生役を勤める和太鼓教室の生徒だったりする。その内のひとりである長兄が、先日の稽古に友だちを連れてきた。「行ってみる?」と声をかけると「うん!」という軽いノリでついてきたのだという。以下はそのふたりの車中での会話だ。孫:オレのおじいちゃんってよ、ハゲながで。友:おじいちゃんっていうがは、みんなハゲながで。孫:いやいや、それがフツーのハゲじゃなく、すごいハゲながよ。クルマを運転しながら聞くとはなしに彼らの会話を聞いていた母親は、笑いをこらえきれずに思わず吹き出したらしい。稽古が終わり、娘の口からその短い会話を聞いたぼくは、なんだかとても誇らしくなった。言わずもがな、だろうが念のためことわっておくと、小学生が言う「フツーじゃなく」て「すごい」ハゲとは、...すごいハゲ

  • 再起動

    『苦しくて切ないすべての人たちへ』(南直哉、新潮新書)で、やおら読書欲のスイッチが入ってしまったぼくが次に選んだのは、その気が再起動するのを今か今かと待ち構えていた「積ん読」本の数々ではなく新規購入。ぼくと同世代(片やひとつ上でもう一方がひとつ下)の玄侑宗久と南直哉というふたりの禅僧による対談本、『〈問い〉の問答』(佼成出版社)だった。そしてそれがまた久々に、ぼくの心にクリティカルヒットした。2冊つづけてのヒットである。思うにそれは、内容が素晴らしいのはもちろんあるが、文章生成AIが生み出す空虚な言葉に虚しさを覚えつつその可能性を探っているぼくの今がそうさせている(つまり無意識のうちに平衡を保とうとしている)のだという見立てもできるだろう。******南こんどちょっと取り上げて書こうかと思っていますが、『...再起動

  • 虹の七色

    虹は実在しない。見えはするが実際には存在しない。色はグラディエーションであり、その色と色との境界は見ている人の脳内にしかない。虹は七色と決まっているが、だからあの数は、てっきり比喩的なものだと思っていた。なぜならば、実際ぼくに見えているのは、包み隠さず言えば赤黄青の三色だけだと言ってよいからだ。といっても、上から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫という知識はあるので、その気になって見てみると、どうにか五色ぐらいにはなる。だが、どう贔屓目に見てもそれは、七色ではない。え?それってひょっとしてオレが色覚異常者だからか?そんなことを思い、ChatGPTに訊ねてみた。以下はそのQ&Aを落語チックに要約してもらったものである。******与太郎:「大家さん、あっしは虹が3色しか見えないんですけど、これっておかしいんですかね...虹の七色

  • いい加減

    『苦しくて切ないすべての人たちへ』(南直哉)から、場所はホテルの喫茶店、隣席にすわる同僚とおぼしき男二人の会話である。******「だからさあ、そこはプラス思考で行こうよ。何事も前向きでやらんと、君みたいにネガティブに考えてたら、先に進まんもん」「はあ・・・」「ダメ、ダメ!変に考えすぎると、マイナスだよっ!」「ただ、対案を出すとき、もう少し詰めておくべきだったと・・・」「それは済んだこと!もう次を考えんと!ポジティブにいかんと!!」(P.206)******これを読んだだけで皆さんご察しのとおり、「!!」は年配、「・・・」は若い。ぼくはといえば、強烈な既視感を覚え、思わず苦笑いした。そこでの「!!」はぼく、「・・・」は・・・・書けない。が、ひとりではないことだけは確かだ。******「プラス」でも「マイナ...いい加減

  • コミュ力

    本日も南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ』から。今日はコミュ力についての言葉を紹介しよう。「こみゅか」ではない。「こみゅりょく」だ。と、くだらないことを書いてしまったついでに、その理由を付け足しておこう。どうもぼくには、カタカナと漢字が同じに見えてしまう癖があって、たとえば「エ」(え)と「工」(こう)、「ニ」(に)と「二」(に)、そして「カ」(か)に「力」(ちから)。といっても、もちろん自分が読む際には区別ができるのだが、文字として書き表した場合に、きちんと読み取ってくれるだろうかと不安になる。つまり、コミュ力の例で言えば、「こみゅか」と読まれはしないかと想像し、その表現を採用することが憚られてしまうということだ。その結果、あえてコミュニケーション能力などという誰が読んでもはっきりとわかる言葉にしてし...コミュ力

  • 切なさの転換

    「ただの苦労話は自慢話と同じだ。聞いて面白いと思うヤツは誰もいない。頼まれない限り、するな。どうしてもしなければいけない時には、全部笑い話にしろ」南直哉師の父親の言葉だという。もちろん、子である直哉師に向けての言葉だ。そして、これには次のような前段があったと師は書いている。「オマエな、他人が『オレはうまくいった、得をした、褒められた』というような話を聞かされて、面白いか?そんなわけないだろ?いいか、他人が聞いて面白い話は、オマエが失敗した、損をした、怒られた、酷い目にあったという話だ。だから、そういう経験を大事にしろ。ただし・・・」のあとに冒頭の言葉がつづいたらしい。ついでにもうひとつ。師が失敗して落ち込んでいるときに父親に言われた言葉がこれだ。「まあしょうがないな。利口者は、他人から言われた時にわかる。...切なさの転換

  • 賢爺愚爺

    『苦しくて切ないすべての人たちへ』(南直哉)のなかに『住職の地獄耳』という一文がある。晩秋のある夕暮れ、境内を掃き掃除をする直哉師が妙な気配を感じて振り返ると、そこには4、5歳とおぼしき男児が立っており、鋭い視線とともにこう言ったという。「あの、ぼく、なんでここにいるんですか?」******言うまでもないが、これは「お母さんが連れてきてくれたんでしょう」などという、阿呆なその場しのぎの答えが通用する代物ではない。彼は、自分がこの世に存在する意味を問うているのだ。私は、この種の問いも、それを言う子供も、絶対に舐めない。そもそも、これを問うなら、その人物は私にとって「子供」ではない。「小さい大人」である。私には、このような問いを何度も舐めた答えで誤魔化されてきた、痛恨の記憶がある。こういう時、大抵の場合、答え...賢爺愚爺

  • 読んでよかった

    今回の旅のお供は『苦しくて切ないすべての人たちへ』(南直哉)。帰路の機中で読了した。「苦しくて切ない人たちへ」ぼくが触手を伸ばす類のタイトルではない。その上ごていねいなことに、表紙には「恐山の禅僧が説く、心の重荷を軽くするメッセージ」という添え書きがある。そうなると、読んでいるのを誰かに気づかれるだけで恥ずかしい。南直哉の著作でなければ、おそらく買ってはいないだろう。言い換えれば、南直哉著だからこそ買った。どうやらそれは直哉老師も同様だったようで、「事タイトルに関しては、編集者尊重主義者」の氏も、さすがにこれには抵抗があったと、のっけから記している。ところがどっこい。ぼくの方に故もあって、じつにタイムリーに胸に響く一冊となった。*******思うに、人は自分の生まれてくる理由も、目的も、意味も知らない。し...読んでよかった

  • 退屈しのぎ

    伊丹空港で高知行きの飛行機を待つあいだ、その時間の長さに退屈しきったぼくの脳内にふと浮かんだのはChatGPTに遊んでもらうというアイデア。そうかその手があったかと、ひとりニヤけながら選んだテーマが「利他」だったのは、その前の2日間をスーツの裏地に「利他の心」と刺繍しているわが盟友M氏といっしょだったゆえだろう(たぶん)。さて、と一瞬考えて入力した最初の質問は「『徂徠豆腐』という話を知ってますか?」私流ChatGPTとの会話のコツは、いきなり核心から入ることなく、じわりじわりと本題に入っていくことである。今回のようなテーマなら特にそう。徐々にこちらの土俵に引きずり込んでいくことが肝要だ。以下、ChatGPTの返答は省略して、ぼくがチャットの前半にした質問のみを記す。「講談話ですが落語でも演じられます」「落...退屈しのぎ

  • 宮崎にて

    宮崎市内の宿にいる。ゴータマ・ブッダは、在りし日に「一切皆苦」と言った。「一切」である。人が生きていれば、喜怒哀楽が世の常であろう。その全部をひっくるめて、ブッダは「苦」と言うのだ。嬉しいことも、楽しいこともあるだろうが、それでも「苦」なのだ。(略)笑い話を笑ってすませ切れない、拗れた苦しさが残る。同時に苦しいことの中に、何とかその意味を見出そうとする、滑稽な切なさがある。(『苦しくて切ないすべての人たちへ』南直哉、P.5)道中、機上で読んだこんな文章に胸を詰まらせ、「三方良しの公共事業カンファレンス2024宮崎」では、北の大地のボンと土佐の高知の若の発言に目を潤ませ、そのたびに、いやはやまったく焼きが回ったもんだわいと苦笑する辺境の土木屋66歳と5ヶ月。さて、出よう。宮崎にて

  • できるのか?

    高知県土木施工管理技士会主催の技術者研修会で話しをするようになってから、今年で12年になる。近年は、毎年県内3会場(以前は4会場だった)の日程が終わるたびに、もうこれでお終いかなと思うのだが、翌春になれば、その案に相違してまた声がかかる。声がかかるうちが花だと思い引き受けはするが、何をしゃべるか、これにはいつもアタマを悩ませており、ギリギリまで決まらないこともしばしばだ。最悪の場合はタイトルだけ告げて、締め切り寸前までその内容が決まらないこともある(というかその方が多い)。それが、いつもになく今年はすんなりと決まった。お題は、『現場技術者のための生成AI活用術』である。内容も9割方は固まっている。なんのことはない。自分自身が使ってきた経緯と活用の仕方を実例を交えながらしゃべればよいだけのことだ。その前段と...できるのか?

  • とりあえず

    この三月ほどのあいだ、ぼくの「書く」は順調この上なかった。ところがなぜか近ごろでは、世をすねたような論調にしかならない。締めくくりさえポジティブであればそれもカバーできるのだが、そうやって終うこともできない。さて、しばらく書くことができないかもしれないなと思う。かといって心身ともに健康、会社でも社会でも、すこぶる付きでポジティブに生きているからご心配なく。と記して下書きのまま保存をしたのが4月9日18時33分。それ以来、きのうまでのひと月余りで、わずか8度しか稿を投じていなかった。ひょっとしたらこのまま消えてなくなるか・・・であればそれもそれ・・・と達観していたが、きのう突如、書く気になった。そうなると重要なのは今日である。今日というこの日をどうするかで今後がおおきく左右されてしまう。といっても、正直なと...とりあえず

  • The die is cast.

    「家では呑まない」というひとは少なくない。もちろん、その前段に「外では呑むが」という括弧がついたうえでの「家では呑まない」だ。その理由はひとによってそれぞれだろう。先日出会ったひと回り以上も年下の男性の場合はこうだった。「時間がもったいないから」「ナルホド、よくわかるなその気持ち」。一年365日、病気にでもならないかぎり家呑みをつづけるぼくが、そう言って即座に同意したのは、幾度となくそう感じたことがあるからだ。彼はなぜ「時間がもったいない」のか。ぼくはすぐ理解できたが、まわりはそうでもなかったらしい。その表情を見て取った彼は、すぐに言葉を足して理由をあきらかにした。「呑むとなんにもする気がなくなるから」「なんにも」といっても、本当に何もしないわけではない。だが、建設的な何かや生産的な何かをする気は薄れるし...Thedieiscast.

  • 積ん読 ~令和6年春~

    近ごろ、まとまった本を読んでいない。ちょこちょこと、エッセイのようなもののつまみ読みはしているのだが、まとまったものは読んでいない。とは言いつつ、読もうという意思がないわけではなく、先週の旅のお供には『道と日本史』(金田章裕)をもっていき、実際に読んでもみたが、6割ほど行ったところで中断した。推測するところその「読めない」は、もっぱらぼくの読書が、いつでも開けてどこでも閉じることができる電子書籍であることに起因するところ大なのではなかろうか。そう当たりをつけて、久しぶりに紙の本を買った。多くの方がお気づきのように、ここのところの論理展開はかなり大雑把で、たぶん見当外れにちがいない。だが、まあよいではないかと、紙の本を買った。あろうことか4冊もである。そのラインアップは『テクノロジーに利他はあるのか?』(未...積ん読~令和6年春~

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