当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
住まいという形のあるものを創り上げていく以上、皆さんにはその結果としての具体物である「住まいそのモノ」が一番気になることは当然のことだと思います。その当然一番気になる具体物を、できれば間違いなく、早く、コスパ良くと思われる方が一番多いです
コロナ禍が深刻な中、先行きの不透明感が私たちを大きく包み込んでしまって、何だか鬱々とした空気感の中で過ごされている方も少なく無いのでは無いのでしょうか。こういう対策をすれば、こういう効果が望めて、こういう結果が導かれると予測される。そうい
高性能が流行り始めて、全く何もしていない「かつての家」より少しでも性能がよければ「高性能」という風潮がなくはありません。要は、そのほうが売れるからです。ただ、住まい手はそういうものも含めて完全防備の鎧か宇宙服のように過信して建てたその「高
まずは過不足なく必要な空間を自分に合わせてコントロール可能な状態にするという謙虚さからすれば、できるだけミニマルにというのが最初です。最小限。その上で、コントロール可能な空間ということは、内外を分ける「性能」というものが必要になります。自
先日、佐賀県小城市で山東美健さんとコラボしているOGYCALシリーズの2等目として、 K邸の地鎮祭が挙行されました。敷地は現在公開中のモデル棟の隣の敷地。外観的にはシリーズを踏襲しながらも、間取りは K御一家のご要望にお答えしてカスタマイ
いつからか、この地球上で我が物顔で文明生活を謳歌して、他の追随を許さず、人類は固有の存在として反映し続けてきました。悪いことだとは言いませんが、その中で少し考え違いをしてきた結果として今があるようにも思います。環境悪化はこれ以上進めてはい
近年の環境変化をとってみても、我々の暮らす住まいがこれまでと同じで良いとは到底思えず、もはや私たちの生命維持としての守りを強化しなければならない状況であることは推して知るべしだと思います。夏はゲリラ豪雨に酷暑と到底屋外にいては危険な領域に
日々急速に、過酷な状況が広がっている昨今の私たちの目の前の世界ですが、観測史上初を連呼する悪化の一途の気象条件や、蔓延するコロナ感染の中で、日々私たちがただ「生きている」という稀有な状態を改めてもう「ほとんど奇跡なんじゃないか」と私などは
全く性能のことを考えなかったかつての住まいが、少し断熱をしたり気密性能を考え始めたりしたら、冬の寒さが軽減されます。そのうち住まいの隅々まで一定の温度で、ヒートショックなどに悩まされない住まいになります。
コロナ以降、日本の住まいはこれまでの高性能化への流れを一気に加速させ始めた感があります。徒然草の吉田兼好の「住まいは夏を旨とすべし」という言葉を、夏向きに建てるのが本来だから、そこまで断熱なんかしなくて良い。風通しよく、建てなさいと解釈し
未だ、精神論で懐古的にかつての日本の住まい作り以外を否定して、「今の日本のすまいづくりは間違っている」「かつての日本の家の方が正しかった」というような暴論を目にしますが、田舎の方へ行くほどにその民家風の建物の外側にエアコンの室外機が何台
毎年酷暑が報道されて、観測史上初とか、例年にないという形容もとても多く見られるようになりましたが、要はもう例年の平均などという物差しが効かないくらい予測不可能な事態になっていると言っても良いかもしれません。ついこの間終わった東京五輪は、時
昔から、恐ろしいものを「地震・雷・火事・親父」と言いますが、親父の威厳がいつしか急速に弱まり、これにコロナが相まって、私たちを取り巻く暮らしも随分と様変わりしています。この数日間は本当にかつて経験したこともないほど福岡でも雨が降りました。
コロナ以降、このところのコミュニケーションの分断は、荒削りな同調圧力を生み、「個人」というものをしばしば蔑ろにしてはいないかということを時々考えます。住まいづくりもいきなり在宅時間が膨大に伸びて、高性能への関心が一気に拡大しているようです
戦後ずっと猛進してきた右肩上がりの「経済」というものも、すでに随分以前から人口減少、少子高齢化に伴い減速から下降に転じているというのに、未だ偏重のベクトルは揺るがず、この度のオリンピックはまるで戦後間もない先の東京五輪から始まった経済復興
戦後ずっと猛進してきた右肩上がりの「経済」というものも、すでに随分以前から人口減少、少子高齢化に伴い減速から下降に転じているというのに、未だ偏重のベクトルは揺るがず、この度のオリンピックはまるで戦後間もない先の東京五輪から始まった経済復興
福岡ではこの三日間くらい、ずっと雨が降り続けました。線状降雨帯なる聞きなれない気象用語が近頃にわかに多用されて、まるで亜熱帯の雨季のような経験したことのないような気象を体験することが多くなりました。地球の時間からすれば、瞬きにも満たない我
本日、8月15日はポツダム宣言受諾で時の天皇がラジオで玉音放送によって戦争の終わりを告げた日です。76年という月日が経って、その実体験者が年々減っている中、戦後の産まれの私たちがこの日をどういう形で送らなければならないか、その視点は様々だ
このところ、一見「高性能」に水を差すような言い回し(本意は真逆ですが)になってしまい恐縮ですが、このブームに懸念することをお伝えしておかなければという思いが私の中でどんどん強くなっていますのであえて書いています。住まいの性能はあくまで前提
しばらくは一つ一つのご質問に、こちらから掘り返してその辺りをご説明するという途方もないことをやっていましたが、多忙の中では限界があり、最近はあまりにもこのパターンが多いので、惜しいなあと思いつつも質問されたことにお答えせざるを得ない状態が
カオスのような旧態然とした住宅業界の状況を維持しながら、極めて掻い摘んだ選択肢のみで様々な住まいを横並びに並べておいて「さあ、どれにしようかな」とやりたい気持ちはよくわかります。何となく、ご自分で考えた気分になれます。しかし、本当にそれが
巷では、人口減少、少子高齢化でこの国の「住宅産業」は本来斜陽な分野と言わざるを得ないのではないでしょうか。産めよ増やせよの戦後の高度成長期には、国力の右肩上がりにも比例して、郊外のベッドタウン開発が至るところで行われ、作れば飛ぶように売れ
茹だるような暑い日々が続いていますが、このところの酷暑は本当に厳しいものがありますね。年々激しくなるこの状況が、地球温暖化の影響と直結しているのだとしたら、その加速度は現実に皮膚感覚で感じることができて実におそろしく、本当に深刻な状況だと
本日は6日の広島に続き、長崎の原爆の日です。九州に暮らす私にとっては、この長崎の方がなんとなく身近で、被爆者の方ともお会いした経験などがあるものですから、この日の方がより実感が湧きますが、いずれにしても「戦争」という愚行を一年に一度深く思
この、酷暑の中で、折り合いをつけるという言葉を使って暮らし方を考えてきました。俗にいう、打ち水、風鈴的なじょうちょに訴える夏のしのぎかたでは歯が立たないこの厳しい暑さには、エアコンという20世紀の大発明を駆使してクラスほか術がありません。
さて、この酷暑を乗り切るために使わざるを得ないエアコンというものは、非常に効率のよい室温を調整する機械であることは言うまでもないのですが、実はそれを夜雨高に使い切るためには、スカスカ空気ただ漏れ、熱の侵入も防げないような器としての住まいの
何せ、気温が人間の体温を超えるような温度になっているのですから、以前と同じような我慢の範疇ではないことは明らかで、命に関わることですから、無理をせず、エアコンなどを賢く使う知恵のある暮らしにシフトしていかなければなりません。 ヒートポンプ
とにかく、毎年毎年、観測史上初と言う言葉が並ぶほどに記録を乗り越える気候変動が押し寄せてきます。夏の酷暑も年々ひどくなっているのではないでしょうか。雨といえばゲリラ豪雨、晴れると身を焦すような日射でからだは溜まったものじゃない。そもそも体
このところの夏は、全国でも酷暑が続き、ゲリラ豪雨などの災害も起きやすく、なんだか人間の短い数十年単位の時間スパンで俯瞰しても急激に気候が変動しているのがわかりますね。まさに、地球温暖化という言葉を皮膚感覚で感じざるを得ない状況ですが、近年
三重苦のような現在の世の中の有様を見ていると、もっと革命的に物事が変化して然るべきだと思うような場面が多々あります。ただ、改善のための大きな変化も、既得権益を守ろうというパワーの大きな抵抗があって、現状維持を貫こうという大きなうねりの中で
高騰している木材も高止まりしてやがて消費者に呆れられ、敬遠され始めれば、落ち着きます。残念ながら次の下げ止まりは元の値段よりは多少高いの常がですが、それでも今のようなパニックは論外として、通常に戻るのではないかと思います。今すぐ建てなけれ
ウッドショックの原因は、近年安価な外材に頼り切っていたこの国の住宅業界の弱点を、コロナに始まった劇的な社会変化が直撃している様相です。ただ、私に言わせればここにいう住宅業界というのは先ほど来お話ししている量産体制を戦後維持し続
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史