あるようでない自分の意志を探しだせば無限の旅に出るような気がしはじめる人の声に左右されどうにもまっすぐ歩けないそんな時は風を呼び風に耳を澄ますそうすれば自然と足が前に出て闇の中から抜け出ることができるもとより人は自然であり風も同じく自然である風は友雨は父である正しいものを教わりたければ人ではなく自然に聴くのがよろしかろう友は風
10年前に今後君の未来はこうなるでしょうと言った事は恐らく100パーセント当たっている事でしょう。なぜなら、顔にそう書いてあったからです。心はスプーンで救うので零れないけれども体はスプーンでは救えないのです、だって重いからいつまでも持っていられない。こうなるからこうした方がいいと言った提言を守れる人はそういないのです。結局自分スタイルにしてしまうのです。そのスタイルが間違っているからのアドバイスは貴方にとって一番面倒な話です。10年はあっという間です。目指した自分がどこに行ったのかさえ分からない自分を探している間に、また10年が過ぎていくのです。未来への提言
いい仕事していい生活をしていても過去に悪いことをしていれば、その代償はかならずやってくる。世間は広そうでとても狭く、今の情報伝達の速さから行けばどこにも逃げ場はない。どうすればいいか、寄付するしかない。金だけではなく、今の自分の力をすべて帰依するのである。仏の話ではなく現実の話である。しでかしたことは消えないし消せないのである。古傷が痛むのは自分だけではないそのことを一生忘れずに、帰依し続ける事が肝要である。古傷が痛む
都合のいいように使われていても騙された振りをして手助けをするもともとお人好しだからそれでいいいちいち都合はメンドクサイ馬鹿だなんだと陰口をたたかれてもそれは聴こえなければ何でもないし自分ではいいことだと思っていれば良しどうせ罰はめぐってもお人好しには落ちて来ない。人の事ばかり気にして罵って何が楽しいのかわからない今の世の中。荷物を全部捨てて気楽に生きていこう、お人好しの仮面さえ持っていれば笑って生きていける。お人好し
文句を言う人の周りには草木も嫌がり生えてきません。勿論人もいなくなりますね。なぜ文句を言うのか?本人もわかっていない病気であります。病名は「我儘」であります。「わがまま」です。小さなころから我慢を覚えないまま育ってしまった人のことです。その病気は人と比べるところから始まります。ですから、無人の未開の地とかに行けば治るのです。比べるものが無くなれば治ります。毎日そばにいて人の「わがまま」を聴いていると頭がおかしくなってきます。そんな時はそっさと無人島行きの切符を準備しましょう。いつまでも頷いていると自分もその人の文句を他人に言うようになります。そう、伝染します。チケットが準備できない場合は、自分が引っ越すのが一番の早道であります。人は「馬の耳に念仏」とはいきません。自分の周りからだんだんと人がいなくなってき...文句ばかりに聞き飽きる
泣き言は効かない。ただ恥かしいだけである。人は聞き逃していない事を忘れてはいけない。なぜなら人はその人の言葉で、その人を評価しているからである。いつも言う「沈黙は金」。本心以外の言葉には、虫が付いている。だから、聴いているとどこかしら痒くなる。自分で選んだ道ならば、自分で決めた言葉だけ言えばよい。心が伴えば何も言わなくても、全部伝わるものである。自分で選んだ道ならば
私の場合、友達と呼べる人は普段は身の回りにはいない。ところが、苦難に逢って苦しくなるとどこからともなく友人が駆けつけてくる。勿論、名前も知らない人たちだけれど。不思議でしょう。でも、普段は一人もいないのです。そして、苦難が去ると風の如くいなくなる。昔から、不幸は我々に真の友人を教えうるという長所があるといわれてますが、私もそう思っています。あなたも、そうでしょう?そう思うでしょ~。苦しいからそばにいる
未来とは今の事である。そんなを聞いたことがあります。そう、明日ではなく今が私たちの未来であり、それを生きているという事であります。だから、くよくよしていられないのであります、どうしてか?来る風と過ぎた風は違うからであります。来る風は新鮮だけれど尖って体に刺さります、過ぎた風は体にぶつかって細かい粒子になり消えていくのです。今が未来ならこの瞬間も時代の風を受けて生きているのです。過去が美しく感じるのは、乗り越えた安堵感と風を和らげてくれた人たちへの思いからだと感じます。振り返っても霧のように消えていく過去しかありません。生きてきた過去に感謝し、姿勢を正し、新しい風に立ち向かう気持ちがあれば、また、今日も清々しく生きることができるのです。幸せの風も、毎日吹いているのです。過去に贈るもの
家の中から雨を見ていると寂しい気持ちになるけれど、傘を差して雨の中にいるともっと独りぼっちになる。そんな時は、傘を捨ててみればいい。きっと、心が晴れる。雨の景色
冬の終わりを告げるために光狂うのか眠る獣を揺り起こすために泣き叫ぶのか雷鳴は神の叫び声だと聞かされていた驕り過ぎる人間を諫めるために確かに一発の雷のエネルギーさえ人間には作れないそれを忘れないように教えるように脅かすかのように空が地が河が揺れる春雷が過ぎ去った後許された柔らかな少しの時が空気を桜色に染める春雷の後
いつのまにか付き合っていつの間にか結婚してた女の子。「いつも、にこにこして、頭を下げてくる男の子がいるんですけど、私の思い過ごしですよね」「恋はそんな感じの時が最高の時間だよね」そう言ったような言わなかったような。なんにせよ、オメデトウの絵を贈ります。思い過ごしも恋
やさしいお父さんの話を聞いた。無口だったけれど、いつも耳元で「なかなかいいじゃない」と言ってくれたらしい。「なにが?」と聞くと「うん?何がだろうね?」と笑ってくれていたと、思い出し笑いをして話してくれた。素敵なお話しをありがとう。やさしい思い出話し
人の評価はいいから自分の為に口を開くことを大事にしよう。最初の言葉は何にしようと思ったら「ありがとう」にしたらいい。日本語で一番美しい言葉である。以前駅のホームで「ありがとう」を連呼するおばあさんがいて何をしているのかと思ったら、駅の掃除をする人だった。駅にはいろんな顔があっていろんな人が行き来する。おばあさんはいらないゴミを捨てる人に「ありがとう」といいながら笑顔で挨拶をしている。そこに子供たちがきて「おばあちゃん、ありがとう?ってこれゴミだよ」と不思議そうに問いかけている。おばあちゃんは「うん、でも最初からゴミだったものはないからね、作った人にもゴミになってしまったこの物にも、ありがとうを言わないとね」と諭していた。否定できる人のいない大事な教えである。ゴミ拾いは心拾い、小さなころから教えられてきた事...大切な言葉を口にする
そう言われた。言葉が出ない人が僕の絵を見て、必死に話しかけてくる。「これは僕と彼女の絵?」と指で話しかけてくる。「そうですよ、あなた達の絵ですよ」というと大きく、深く、頷く。「素敵な出逢いでしたね」というとニコニコしながらまた首を縦に振った。少し、涙が零れた。彼は僕の手を握りしめて「泣いてくれてありがとう」と言った。泣いてくれてありがとう
猫のイラストを描いてプレゼントしたら、嘘みたいに喜ばれて、バレンタインのお返しは貰った分だけ絵を作ることに決めた。しかし、猫を買った事はないけどペットショップなんかに行くと、目玉が飛び出るほどの値段が付いている。家のバロンは拾ったけど一応アメショーなので同じ種類の猫はうん十万マンもする。都会では多分外猫はあまりいないだろうけど、コロナで増えた飼い主も飽きて捨てる人も多いと聞いた。やめてほしい、捨て猫みたら全部拾う覚悟だけど。と言うか我が家の庭はただっぴろいので、知らん猫たちがいっぱい遊びに来る。地域猫と言うやつね、耳が🌸カットしてある。ただ、長居はできない、超大型犬がいるので、追いかけ回す。予定だけどそんな光景観たこともない。歳を取るともう生き物は売ってくれなくなる、飼い主が高齢で面倒が見れなくなるから。...猫のイラスト本
子供の頃泥だらけで遊んだ帰りに橋のたもとに捨てられた子猫が段ボールに入っていた。「あれ?君どうしたの‥捨てられたの・・」ニャーとも言わない子猫3匹どうしたものかとも全然思わず、「ちょっと待っててね、手汚れてるから川で洗ってくるね」と話しかけて草の堤防を降りて行った時、何かにつまずいて川に落ちてしまった。ドボーン!結構水の流れが速くてなかなか岸にたどり着けないでいると、川の中から「あれ、君どうしたの?・・落ちたの?」という声がした。不思議に思った瞬間身体がすーっと浮いて岸の上の方まで運ばれた。「???」「ありがとう」と言って捨て猫のところに駆け寄った。「さっ、帰ろうか」と話しかけて家につれて帰った。親父が「おう、どこで拾った?」と聞くので「仏橋の下」と言うと「おう、そうか、いいことをしたな」と頭を撫でた。次...君も同じように
いろんな絵を作っているけれど、考えてみればよく売れる絵はみんなにっこりと笑っている。そう、幸せな気持ちになる絵は大人気であります。なかでも、仏様の絵は見ているだけでも極楽に行けるような気がします。天変地異、世情不安、世界崩壊、迷惑国家、そりゃみんな心のどこかに恐怖心、戸惑い、逃げ場所を探して生きようと思うのは至極当然であります。しかし、日々の生活に追われて結局、そんな不安は後回しにされているのが現状です。そんなあなたにお勧めなのは「雲谷くん」です。嫌なこと哀しい事悔しい事、そうマイナスイメージを一瞬で取り去るまさに「神絵」であります。さあ、きょうも笑ってまいりましょう。逃げ場はどこにでもあるのです。ぎりぎりまで挑戦してダメな時はそく撤収と参りましょう。よく売れる絵
歳を取って記憶力が低下しているわけではなく馬鹿になったわけでもない。頭に入ってくる情報が多すぎてついていけずに脳が覚えるのを放棄しているだけである。特にテレビばっかり見ている日本人、いやいやテレビは最近見ないという人はそれ以上にネットやSNSを当たり前のように見ている。流石に人間の脳みそがいかに優れていても全部処理することは不可能である。一度携帯を置こう、テレビを消そうと思うと不安になる人がどれだけいることだろう。特に都会で生きていくには絶対必須アイテムである。何はなくても携帯電話である。このシステム怖すぎると思い返す人もいないのがまた怖い。電気が止まって充電ができなくなったら会社にも行けなくなる。みんな同じだから大丈夫なのか。それでも自分だけは生き延びようと思えば、いまから人と違うライフラインの在り方を...馬鹿じゃなく麻痺
まっすぐ進んでおけばこんな事にならなかったのに、と思う事が人生にはあります。ついつい見捨てられずに手を差し伸べたばっかりにその世界から抜け出れなくなるという事もあります。その時はすぐ元の世界に帰るつもりでも、時間は流れていく事を忘れていてそのシーンごと人生が流されていくのです。そうなるともう新しい道を進むしかない。しかし、新しい道などなかなか作れないのは、昔の華々しい場所への執着心があるからでしょう。やり直しはきかない人生のペナルティです。すべて、自分の身から出た錆とあきらめて、また、自分を信じて頑張るしかないのでしょう。大体そんな人の未来は光っているものですから。どんなペナルティを課されても自分は自分らしく壁をぶち壊していくスタイルは何歳からでも始められるものでもあります。大事なことは後悔するなら死んじ...人生のペナルティ
雨の昨日は泣いて暮らし花の今日は笑って過ごそう日々は続いているけど同じじゃないから色んな名前を付けないと生きる事が嫌になる時もある人は生きる為だけに必死に歩いている誰であろうとその道を阻むことは許されないそんな時は一人でも立ち向かえそう父から教わった花の今日は明日散っても風という名の日にまた種子となって必ず帰ってくる花の今日
幸福は蝶のようなもの追いかければ逃げていくが、静かにしていればあなたのそばにやってくる。蝶の翅は風に揺れ、太陽の光を浴びて輝く。幸福もまた、そんな風に舞い降りる。時には手の届かない高みへ、時には目の前の花々に。静かに立ち止まり、その瞬間を感じることで、幸福は私たちに微笑む。蝶のように繊細で美しい、幸福の瞬間を大切にしよう。追いかけずに、ただ受け入れて、私たちは幸せになるのだ。幸せと蝶
花と人
花と人
イギリス旅行は私にとって、文学、歴史、そして美しい風景が織りなす魅力的な体験でした。ロンドン、エジンバラ、湖水地方を訪れ、それぞれの地で独特の魅力と歴史を堪能しました。ロンドンでは、ビッグベンやロンドンアイといった象徴的な観光地を訪れました。特に印象的だったのは、ブリティッシュミュージアムでの一日でした。世界各国から集められた貴重な展示品を見ながら、人類の歴史と文化の多様性に思いを馳せました。また、シェイクスピアの劇が上演されるグローブ劇場を訪れた際には、英国の文学に対する深い敬意を感じました。エジンバラへの旅では、この古い街の神秘的な雰囲気に魅了されました。エジンバラ城からの眺めは壮観で、街の歴史を一望に見ることができました。ロイヤルマイルを歩きながら、中世の時代にタイムスリップしたような感覚に陥りまし...想い出のイギリス
人生は思ったより短い落ち込んでいる暇などない落ち込むような話を聞かなくてよい落ち込むような話をする人を相手にしなくていいあなたを元気にする言葉を言ってくれる人を探せばいいそう何人も優しい人はいなくていいそんな人は一人探せばいいしかたないじゃないか
ついてないときは何もせずに空を見上げたりしていると雨まで降ってくる。チッとしながら空を睨みつけていたら可愛いメジロが梅の木にとまっているのが見えた。「ほ~う、それはそれでね~いいもんか~。」ついていればこの風景は見れないから。そんな風だからついていない事の方が多くても、人はあまり感じないのかもしれない。私に限らずである。人生、裏と表しかないのだから。ついてないとき
今までの経験値はこれからの資源にはならない。世の中が変わりすぎていくから。過去にすがって生きようとするととても生きづらくなるだろう。人らしくなくなっていくのが怖くないのか。もっと言えば自分の生き様が恥ずかしくないのかという話が多すぎる。時代を壊した人たちの武勇伝は、もう飽きました。もう口をと閉ざした方がいいでしょう。あちこちに落とし穴が掘ってあるから。真面目が一番って、昔から言われているだけの事で、ダメなものはダメなのです。最近は小さな子供に声をかける事もなくなったが、それが正しいかどうかさえ分からない時代になった。ダメな事はダメなのにね。これからとこれまで
現実逃避のできない毎日ならせめて夢の旅にでよう満員電車にのると「あ~この人たち会社勤めで大変ね~」と思いながら自分も同じ方向へ歩く。会社に着くと「あ~この人たちいやいや仕事してるのね~」と思いながら同じ席に着く。会社が終わり帰りの駅ビルで食事を済ませ家へ帰る。そんな毎日だけど同じじゃないと思いながら「さ~いい夢でも見るか~」と浅い眠りにつく。でも、ここからが本番、貴方の人生はこの夢の中にあるかもしれない。今が嫌なら、夢で生きればいい。夢も現実も大して変わらない。良い枕や布団を買ってぐっすりと眠ればいい。死ねば永遠に眠れるんだからなんていう人もいるが、死んだら夢は見れない。脳みそが無くなるんだから。現実世界でうまく生きれなくても夢の世界で思い通りに生きればそれはそれで楽しい人生になる。人間、生きているという...半分は夢の世界
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あるようでない自分の意志を探しだせば無限の旅に出るような気がしはじめる人の声に左右されどうにもまっすぐ歩けないそんな時は風を呼び風に耳を澄ますそうすれば自然と足が前に出て闇の中から抜け出ることができるもとより人は自然であり風も同じく自然である風は友雨は父である正しいものを教わりたければ人ではなく自然に聴くのがよろしかろう友は風
AIの進歩でなくなる仕事も増えるだろうけれど、それ以上に経営者のエゴで優秀な社員を失う事の方が増えている。これからホワイトカラーの仕事は減りブルーカラーの仕事が増えるのは確実であるのに、経営を知らない雇われ社長などがいる会社や施設はどんどんなくなっていくだろう。私利私欲では社会貢献は出来ないし、やる気もないのだろうが、こんなにSNSが発達した時代にまだ昭和初期の経営体系がいつまでもまかり通るはずがない。誰かの一言ですべてが変わるこの時代、最終的に残るのはやはり、社会貢献を軸とする経営体系であることは間違いない。自分の会社の粗探しをしている役員がいるような会社は結局は世間の粗探しの餌食となる。真面目にかなうものはやはりどこにもないのである。無くなる会社
規則的な仕事の人たちが街の雑踏に戻る事となるそうして何もなかったように普段の日々が始まる形だけでも休みを謳歌したような気持になりたいみんなであるがそうそう暢気でもいられない今度の連休まで頑張る人もいれば会社辞めたい人も出てくる何のための休日なのか何のための仕事なのかそれをゆっくり考えるのが本当は黄金の連休なのだけれど終わってから悩む人がその殆どである休日を満喫する
日々自分にとって耳障りの良い言葉を色んなところで探すそれ以外の事は目にも耳にも入れないそんな生き方もしばらくはいいただ、そればかりでは何かが物足りなくなるやはり人は人に愛されたいのであるでも愛され方がわからない時それを忘れた時は誰かや何かを愛する事から始めたらいいそうすることで耳障りの世界も気にならなくなっていく言葉探し
準備運動の足りなさからか、ふくらはぎが肉離れを起こしてしまった。普通なら冷やすのだが、できるだけ血行を良くした方がいいと聞きそのままボウリングをしたら、次の日結構腫れているではないかい。それも昭和生まれ育ちの体育会系なので、庭の除草作業を頑張った結果、ずいぶんと歩きやすくなった。根性で治るはずもないが、神経がマヒしているのかもしれないと思ったが、痛くなけりゃそれが完治と言うのだろうという事にした。やはり昭和の人間はおかしいのかも・・・いや、私だけでしょう、おほほほほ。肉離れ
行った先でケンカするくらいなら家でゆっくりしとけばいいのにそう思う人も多いし実際そんな家族やカップルをたくさん見かける遠いところは何も車でなくてもいける。今流行りのバーチャルリアリティーを使えば、観たこともない素晴らしい世界が観れる。酔うかと思ったが意外と酔わないものだ。まあ、五感を騙す方法と言えばそれだけであるが、ケンカするよりはいいかもしれない。旅行したつもりで、買えない金額でもないし。ただ、ゴーグル外したら連休が終わってたというのも、なんか嫌な感じではあるけれど。目をつむって体休めていい夢見れば、それもまた良し。晴れた庭にビニールチェアを置いて鶯の歌を鑑賞するのは、尚更いい。連休
ここから先へは一歩も行かせない。それがディフェンダーの仕事である。重装備の心と体で守り抜くことを常としどんな力にも対応していく。そんなロボットあなたは持っていますか?これからは必要になりますよ、冷蔵庫の前に是非、購入を検討してください。私?要りませんよ、自分がディフェンダーですから。ディフェンダー
ようやくストライクを連発することができるようになった。元々は野球でピッチャーやっていたのでコントロールはいい方である。ただ、人生のストライクって言うのは中々うまく続かない。このお話のストライクはボウリングの事である。ボウリングの場合はピンとピンがぶつかり合って寝ているピンをたたき起こさないとストライクにはならないものです。あはは。ストライク
自己保身に走る人は遠回しな言葉で人にわかってもらおうとするけれど、他人はわかっていてもメンドクサイので相手にしなくなる。人から嫌われたくないならはっきり口にした方がいい事の方が多い。忖度はお互いに壁を作るだけである。昔からファン心理がないのでデリカシーに欠けるけれど、たまには「1,2,3、ダァー」でいいと思う。口ごもっていてはな~んにも伝わりませぬ。遠回しな言葉で
最近は習う事もなくなった心ない言葉。大事なものだが窮屈だから消されていく心ある言葉。努力しない者が力あるものに勝てたような錯覚に陥る世界になってきて、苦労を避ける話ばかりが育てていくシステムの未来は暗い。嫌な事の後にしか楽しい事はないのは犬でもわかっているのに。心ない言葉
人は影を失うと生きていけない影は太陽に照らされている時だけ映るものではない。見えないだけで暗闇にも影は映る。影の正体を知らないまま生きていると、いつか自分が誰かの影になる。人影
人から当てにされない事である。人を当てにしているとそのうち当てにされない事となる。「空」とは嘘の世界ではない。空しさとは
もともと魚だった人間はそのうち足が生えてきたことであまり泳げなくなっただから水が嫌いになった雨の日の記憶は大体暗いものが多いでもよく考えたら雨の記憶はいつも繊細で静かなものが多い池の水面を踊るあめんぼうイヤホンから流れてくる音楽に合わせて泳いでいるように見える心地よいけれどイヤホン外して聴こえる雨音の方がその踊りとシンクロしているように見えるのは人の水の記憶のせいなのかもしれないあめんぼう
毎日必ず一回はやってくる人との出会いたとえば君と出かける時君に何かを伝える物語が起きる「ほらね、優しいでしょみんな」とか「ほら、叫んでるでしょみんな」とか。いろんな人の赤裸々な思いが伝わるような出来事が起きるそれはすべて、頑張る君を励ますストーリー、心を広く持てばどんなことさえ、その謎が解けてくるでしょう。ワンストーリー
練習の成果を発揮する舞台を設定しよう。圧倒的な力をみなさんにお見せしましょう。並みじゃない事の一つや二つあるでしょう。100メートルを7秒で走ったら世界一だし、200キロのボールを投げたらキャッチャーもとれないし、そんなだったらまず捕獲されていろんな実験されるので、爪を隠してきたけれどね~我慢するのも疲れたのでほんの少しだけ披露しましょうよ、ねえ、そこのあなた・・・。実践
人に言われて気づくことではないけれど拾うものと捨てるものを間違えてはいけない拾うのはゴミとか人の心とかだが捨てるのはプライドとかである誰かが有名になってそのまねをしても功徳はない人には分があるので捨てないと拾えないものであるだから拾いもしないが捨てもしないのが一番自分の為には楽な人生になる現代ではまさにそういう人が多いから当たり前の事が凄いことになっているのである。落ちている100円を拾う時にポケットから零れ落ちる500円に気づかないようなものである拾うのではなく捨てるもの
差し伸べていた手をゆっくりと放すことが成長へのおおきなステップです。私の場合は極端で手を振りほどくことの方が多いのですが、いつまでも補助輪付きの自転車ではスピードも出ないし、遠くへも行けません。子供が独り歩きできるようになると、寂しさもあるでしょうが、その背中のたくましさに感動して納得することが大事なのだといつも思います。一人歩き
すべての物語はおはようからはじまる月曜の朝は特に大事で「おはよう」と口にすると自分の中で何かが始まる準備をするものである。相手は花でもいい、できれば返事が返ってこない方がいい、相手の気持ちを考えなくていいから。私の場合、額に入れて机に置いた絵に「おはよう」そこから、また新しいページがはじまる。おはようから始まる
自然の中でもそうであるように危険なものほど美しい見とれるほどの絶景は常に明と暗の背中合わせであり人も美しいものほど危険な刃を隠し持っているものである危険なほど美しい
躊躇している暇はないどこにも余裕などない学べそれしか恐怖に打ち勝つ道はないのだから学べ
たまには目を閉じて五感を研ぎ澄ます練習をしましょう。あまりにも視覚に頼りすぎる生活が多くなって人間らしさを取り戻す事が必要な時代になってます人としてのバランスはファイブセンスで保たれていますそれが崩れると体調がおかしくなったり病気になったりします簡単に言えばさっきも書きましたが、人間らしさを失っていくのです。私達は脳だけで生きているのではありません体全体で生きているのですAI技術が進んで人間が支配されそうなときそれに対抗するのはファイブセンスとその先にあるシックスセンスなのかもしれません。ファイブセンス
その子は空地に住んでおりました空地に友人が家を建てまして家が建つのをその子はいつも寝転んでみていました名前もしらないのでおいでおいでと呼ぶとニャーニャーと言って怖がりもしないで近寄って私の足にすり寄ってきておりましたあれから何年たった事でしょうそれぞれの時間が過ぎてお互い歳を取りましていつしかお別れの時が来ましたここに来るのは久しぶりでしたがなぜか呼ばれた気がしましたその日声をかけて帰宅したあと琴切れたと聞きましたすれ違う時間の中で出逢いと別れが交錯していきますその一瞬を無駄にしない生き方をこの子にまた気づかされて私は生きてゆくのですそんな出会いと別れで人生は創られている事を忘れずに・・・ある猫のお話
なんでもすぐ言葉にしないで心の中でじわじわと増殖していくような感動を味わってみるといい理論を越えた世界があってそれは人でしか味わえない境地でもある茜色に染まる夕日が自分の視界を全部満たす位にあふれた時きっと人はそれを見て感動するだろう「まじきれい」ではなく「素晴らしく綺麗」だろう人が人間らしさを捨てた進化を望むなら容易に手に入る金と欲の代わりに心を失ってしまわないように注意しなければならない人の最後の砦は言葉ではなく心なのだから・・・心が揺れ動くような感動
初夏の風に揺れる稲穂あざやかな緑に包まれて日差しを浴びて揺れる暑さと清涼が交錯する季節潮風がそよぐ海岸に砂浜を踏みしめ歩き出す太陽が降り注ぐきらめく海と空の間で初夏の初々しい恋心胸に秘めささやかな夢を抱いて風に揺れる花々にあなたの面影を感じる初夏
君が苦しい時には僕が一緒に背負うよひとりじゃないよ、そばにいるよ信じて、手を伸ばして風が吹き荒れる日も雨が降り続く夜も共に進もう、踏みしめていこういつだって、一緒に乗り越えよう笑顔が失われた日には涙を流してもいいんだ弱さを隠さず、受け止める勇気見つけ出すために、僕がそばにいる信じて、手を伸ばして一歩ずつ、歩き出そう共に進もう、踏みしめていこういつだって、一緒に乗り越えよう風が吹き荒れる日も雨が降り続く夜も共に進もう、踏みしめていこういつだって、一緒に乗り越えようこの詩が、誰かの心に少しでも届き、支えとなれば嬉しいです。一緒に乗り越える
朝、目を覚ます瞬間。一日のスタートです。この瞬間を「目覚め」と呼ぶのも、なんだか意味があるような気がします。この瞬間、新しい一日が始まるわけですが、どんな一日にしたいですか?何か新しいことに挑戦したいですか?それとも、いつもと同じように過ごすだけでいいですか?もちろん、いつもと同じように過ごすことも大切です。ルーティンを守り、自分の生活リズムを整えることで、心身ともに健康的に過ごせます。しかし、それだけでは成長や進歩はありません。何か新しいことに挑戦し、自分自身を成長させることが必要です。「目覚め」という言葉には、目が覚めた瞬間に新しい気づきや気持ちが生まれるという意味も含まれています。朝の時間を使って、自分の目標や夢を振り返り、どうしたらそれを達成できるかを考えてみましょう。そして、今日から何か新しいこ...目覚め
風の時代とは、変化が激しい社会のことを言います。この時代に生きる私たちは、どのように対応すればいいのでしょうか?今回のブログでは、風の時代に適応するための3つのポイントを紹介します。1.柔軟性を持つ風の時代には、予測不能な出来事が多く起こります。そのため、固定観念にとらわれず、状況に応じて柔軟に対応することが重要です。例えば、仕事では新しいスキルや知識を学ぶことや、異なる分野や人と協力することが求められるかもしれません。プライベートでは、ライフスタイルや価値観が変わることもあります。そうした変化に対して、自分の考えや行動を見直すことで、風の時代に適応できるようになります。2.チャレンジする風の時代には、チャンスも多くあります。新しい技術やサービスが登場したり、社会的な問題が解決されたりする可能性があります...今の時代(風)
穏やかな朝、窓から差し込む光心地よい風が運んでくる花の香り何もかもを忘れてただ眺める景色これが素敵な休日の始まり自然に囲まれた公園を歩きながら鳥たちのさえずりが耳に心地よく響く木漏れ日が照らす小さな池に鯉が泳ぐ心が穏やかになる、そんな瞬間お気に入りのカフェで読書を楽しみながらゆったりとした時間が流れるカフェラテの温かさが身体を包み込む何もかもを忘れてただひたすらにリラックス夕陽が染める海岸を歩きながら波の音が聞こえてくる心が洗われるような感覚に包まれるこれが素敵な休日の終わり素晴らしい自然と過ごす休日心と身体がリフレッシュする瞬間何もかもを忘れてただ過ごすそんな素敵な休日を過ごしてみたい素敵な休日
道のりは長く、時に曲がりくねり、人生の旅路を歩んでゆく。拾ったものと捨てたものが、その背中に積み重なる砂時計。拾ったものは愛と知恵、心を満たす無尽蔵の宝物。出会いや経験から生まれる、これからの旅を彩る彩り。捨てたものは悲しみと痛み、重たい荷物を背負わずに済む。過去の過ちや失敗を振り払い、新しい道へと歩み出す力。拾ったものと捨てたものが、織りなす人生の物語。時には涙に濡れ、時には笑顔に溢れ、それぞれの形で心に残る。人生の旅路で出会うすべてのものに、ありがとうと言葉をかける。拾ったものと捨てたものが、私たちの成長を築く足跡となる。何を拾い、何を捨てるかで、人生の風景は変わってゆく。この旅を続けながら、大切なものを見つけ、手放し、学ぶ。人生で拾ったもの捨てたもの
贈り物は静かにやってくる、心の奥底から輝く星。ふとした瞬間に顔を見せ、心を満たす、この宝物。風が運ぶ綿毛のような優しさを感じるたび、プレゼントがそっと包んでくれる大切な想い出の数々。時が過ぎても色あせない、心に刻まれた宝石。愛と喜びの形を持ち、プレゼントは輝く夢のカケラ。出会い、別れ、笑顔も涙も、すべてが贈り物だと気付く。それぞれが織りなす物語、プレゼントと言う詩が生まれる。ありがとう、この瞬間に。ありがとう、すべての出会いに。心から溢れる感謝の言葉、プレゼントと言う詩に込めて。プレゼント
空に浮かぶ蒼穹の色5月の朝、夜明けのとき穏やかな風が吹き抜ける新緑の葉に微かな露鳥たちの歌声は高く静かな世界を満たす心地良い温もりと共にいざ目覚めよ、大地よ花々は微笑むかの如く優しい光を放ちながら小川は清らかに流れる水面に映る朝の光子どもたちの笑い声元気に響く街角で歩く人々の笑顔も新たな日々の証5月の朝、希望とともに恵みの風を運ぶ心の中に生まれる愛すべては新たな始まり5月の朝
故郷は遠きにありて思うもの昔の日々、心に刻む静かなる時の流れに、浮かぶ記憶遠い空に、夕陽が沈む故郷の風、香りを運ぶ幼き日の夢、今もまだ生きる故郷の川、流れる清らか幾度となく遊んだ場所遠い昔、宝物のように抱いて友と共に歩んだ道笑い声、喜び、そして涙遠く離れても、心の中で繋がる故郷は遠きにありて思うものどこへ行っても、心の拠り所時が経ち、歳を重ねてもいつか帰る、その地へ心安らぐ、愛しい場所故郷は遠きにありて、思うもの故郷
遠い所へ行こう、君と共に空を彩る夕焼けに誘われ静かな海を渡り、遥かな地へ手を取り合い、未知の旅へ風に舞う花のように、自由に君と歩む、この広い世界で見たこともない景色、出会い感じる心の高鳴り、永遠に遠い所へ行こう、時を越えて歴史の彼方、物語の中へ古き良き時代を訪れ、感じる時代とともに変わる、愛のかたち遠い所へ行こう、星の彼方へ無限の宇宙、その広がりの中で君と二人、光を追いかけ永遠の愛を紡ぐ、未来へ遠い所へ行こう、君と共にすべての経験を抱きしめながら心の中に刻む、この旅の記憶二人だけの宝物、永遠に旅
良い年寄は、知恵と優しさを持ち世代を超えて、人々に愛されるその言葉は、時を経ても色褪せぬ悪い年寄は、心に妬みと怒りを抱く過去に囚われ、未来を閉ざしてしまうその姿は、人々を遠ざける影となる良い年寄の心は、若者を導く光経験と知恵を分け与え、共に歩むその存在は、世代をつなぐ架け橋となる悪い年寄の心は、暗い影に隠れる自らの過去にしがみつき、進まぬその姿は、世代の溝を深くするだけ良い年寄は、変化を受け入れる勇気新しい時代にも、柔軟な心で立ち向かうその姿勢は、永遠の教訓となるだろう悪い年寄は、変化を恐れ、拒む過去の栄光にすがり、未来を閉ざすその姿は、進歩の足枷となってしまうなりたい年寄に向かって進み良い年寄の心を持ち続けよう世代を繋ぎ、未来への道しるべとなれ良い年寄と悪い年寄
風が吹く街角で、静かな夜の帳が下りる。街灯のぼんやりとした光が、やわらかく優しく照らす。歩く人々のざわめきも、風にさらわれ遠く消えてゆく。窓の向こうには、あたたかい家庭の笑顔が揺れる。風の街で吹き抜ける、たくさんの思い出と出会い。愛する人と手をつなぎ、新しい物語が始まる。風が運んでくる季節の移ろい、花の香りや雨の匂いを感じる。それぞれの胸に秘めた想い、風に乗せてどこまでも広がる。風の街で出逢った人たち、時には優しく、時には厳しく。それでも信じる未来へと、共に歩む道を続ける。風の街に包まれながら、いつか見た夢が叶うその日まで。僕らは歩みを進める、この風の街で、永遠に。風の街へ
ひとりよがりの世界で、独り占めの夢を見つめる。自分だけの空間、誰もいない孤独な場所で。月明かりが差し込む夜、影と踊り、自問自答。心の奥底に秘められた痛み、ひとりよがりが生む哀しみ。幸せを探し求めて、手を伸ばすものの届かない。ひとりよがりの中で迷い込む、無限の迷路のような存在。他人と繋がりたい願い、隠したままの素直な心。分かち合いたい喜びと悲しみ、見せぬままの弱さと痛み。ひとりよがりの果てに見える、光と影の交差する道。選ぶべきは自分だけの未来か、それとも手を繋ぎ歩む仲間か。過去の自分を乗り越え、新たな道を切り開く勇気。ひとりよがりの世界を捨て、共に歩む仲間と共に進む。ひとりよがりから解放された時、心に溢れる喜びと感謝。繋がりと共に生きる力を知り、輝く未来へと歩みだす。ひとりよがり
今日は雨が降っている花はしおれているでも心配しないで明日は晴れるだろう明日は違う色になる花は咲き誇るでも驚かないで明日は変わるだろう明日は何が起こるかわからない花は散ってしまうかもしれないでも悲しまないで明日は生きるだろう明日咲く
人はそれぞれ何かしらの能力を持っています何もない人は一人もいないただ気づかないでいるだけたまに気づかないふりの人もいます何故なら面倒くさいからただ静かに生きて生きたいからそれもいいでしょう貴方が望んでいないなら・・でも人は望まなくてもやらなければならないことだらけで構成されています例えば・・・息をする事・・食する事・・・そして・・・愛されること・・・必ず誰かから人は愛されるようになっているのです・・・この物語の少年のように・・・さあ、立ち上がりますよ、少年と共に・・・「なにかしら」
雲の上から眼も開けていられないくらいの光が矢のようにとがって横になっている少年の胸に突き刺さった「さあ、起きなさい」と優しい声がするすると死んだように倒れていた少年はスクッと立ち上がった。「さあ、坊やの時間ですよ、ちゃんと目を覚ましなさい」と母親のような口調で声が続いた。「あなたは選ばれしもの」「すべての生き物を死から守るもの」少年は黙って頷いた・・・「すべてを救うもの・・・オロチ」ここに覚醒する・・・すると
色々と忙しい環境で疲れて眠る少年のもとに森から逃げてきた生き物たちが駆け寄ってきたすると生き物たちは声を揃えて「オロチ・・イル」「タスケル・・オロチ・タスケル・・」と言い出した。この島の先住者たちは「オロチ」をいや「少年」を知っていた。そして、先住者たちは天を見上げて星を見つめてみんな目を潤ませだした・・・「オロチ・・オロチ・・光の死者。オロチオロチ光の使者・・」どっちかはわからないが、そんな声が光もない島に響き渡った。いつの間にか