奈良、つまり大和国は興福寺の力が非常に強い国である。その影響力の強さ故、幕府が守護を置くことができなかったほどで、大和の武士たちも衆徒として興福寺に組み込まれていた。 戦国期に入ると流石に往年の力は落ちてきて、衆徒らの中から「大和四家」と言われる筒井氏・越智氏・十市氏・箸尾氏の勢力が台頭してくるが、それでも興福寺は未だに大きな影響力を持っていた。 7月16日、そんな大和の地にて一向一揆が蜂起する。一揆の明確な発生原因はよく分かっていないのだが、かねてからこの地の本願寺門徒らは興福寺の統治体制に不満を持っていた、ということだろう。奈良の商人・雁金屋(かりがねや)らを指導者とする一向一揆が蜂起、ま…