1493年4月、将軍・義稙(よしたね)と畠山政長が不在の隙に仕掛けた「明応の政変」により、新たに第11代将軍・義澄(よしずみ)を擁立した細川政元。政元の政治力はかなりのもので、彼の呼びかけに応じ、総州畠山家攻めのため河内に軍を勧めていた諸大名たちは、両者を見限って次々と帰洛してしまったのである。 2万の兵はあっという間に8000程度に減ってしまう。政長らは正覚寺を城塞化してここに籠城することにする。政元は4万の軍を動員し、これを包囲した。 政長の希望は、領国・紀州からの援軍にあった。紀州で動員した畠山軍に、同盟関係にあった根来寺の兵を加え、約1万の兵がこれを救わんと北上を試みたのである。しかし…