京に法華宗をもたらしたのは日像で、彼の門流を四条門流という。四条門流を継いだのが公家出身の大覚で、彼はその人脈を最大限に活用し、精力的な布教を続けた。この四条門流の始めとした法華宗各派は「応仁の乱」以降、その勢力を大きく後退させた他宗派(特に禅宗)のニッチを埋めるかのように、洛中において次々と巨大寺院を建立していく。 その最盛期は1530年代である。一向一揆が畿内を暴れまわった混乱に乗じ、京は完全に法華宗徒らの手に落ちたのだ。町衆=法華宗徒らによる軍隊が組織され、「洛中洛外のご政道」つまりは警察・治安維持活動、そして刑事裁判権までを彼らが行っていたことが記録に残っている。 「天文法華の乱」につ…