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根来戦記の世界 https://negorosenki.hatenablog.com/

 戦国期の根来衆、そして京都についてのブログ。かなり角度の入った分野の日本史ブログですが、楽しんでいただければ幸甚です。

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2022/07/22

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  • 非人について~その⑬ 京の声聞師たち・通夜参籠(つやさんろう)の術(下) 淀君の暴走と秀吉の葛藤、そして秀次の死

    先の記事で少し触れたが、声聞師たちは秀吉によって弾圧を受けている。1594年、堺で10人、大阪で8人、そして京都で109人の声聞師たちが、尾張に強制移住させられているのだ。 この奇妙な事件を、これまでの史学会ではどう説明していたのか?声聞師たちは治水の技術を(呪術的なものを含む)持っていたらしく、それを尾張における灌漑のために役立てたかったのだ、というのが通説のようだ。しかし裏には次のような事情があったのではないか――というのが服部氏の論旨なのだ。 西洞院時慶が記した「時慶記」1593年10月19日の条には、このような旨の記載がある――「大阪城にいた声聞師が追放された。男女の問題で金塊を得たと…

  • 非人について~その⑫ 京の声聞師たち・通夜(つや)参籠(さんろう)の術(上)秀頼は誰の子か?

    話が唐突にそれるのだが、秀頼は秀吉の実子ではない・・・というのは「現代医学的には」間違いのないところらしい。幾つかのデータを現代医学の知見から見てみよう。 服部英雄氏の著作「河原ノ者・非人・秀吉」によると、好色な秀吉が生涯に愛した女性の数は、100人以上いたらしい。己の出自が卑しい、という強烈なコンプレックスがあったため、その多くが高貴な身分の女性であった。 その数を厳密に数えることはできないが、中には経産婦も多数いたことが分かっている。代表的な女性に、秀吉の最もお気に入りの側室であった京極龍子がいる。この龍子、秀吉の元に嫁す前に三人の子を産んでいるのだ。 にもかかわらず、秀吉との間には子ども…

  • 非人について~その⑪ 京の声聞師たち・秀吉による追放令――豊臣家の大スキャンダル

    先の記事で、戦乱の世を乗り越えられなかった声聞師集団として「小犬党」を紹介した。こうした党は他にもあって、室町期の記録にはあるが、戦国期の記録には出てこない党として「柳原党」「犬若党」「蝶阿党」などがある。 まず「柳原党」だが、これは比較的大きな集団であったようだ。相国寺に隷属し、その西方にあった柳原散所を本拠としていた。声聞師たちは、どうもこうした大きな党を母体として、更に小さな党を形成していた節がある。犬若党や蝶阿党などは、もしかしたらここに所属していた声聞師が別に結成した、小さな党だったかもしれない。或いは柳原散所を本拠として活動する幾つかの声聞師集団を、まとめて柳原党と呼んでいた可能性…

  • 非人について~その⑨ 京の声聞師たち・室町の世を一世風靡した芸能集団・「小犬党」

    先の記事で、応仁の乱を境に声聞師集団のパワーバランスが変化した可能性がある、と書いた。室町期に見られた幾つかの党が、戦国期の記録には見られなくなるのだ。 室町期に存在した有名な声聞師集団に「小犬党」がある。 相国寺の西、柳原に居住していたと思われる声聞師集団である。各種記録には「小犬党」の他、「唱門師小犬」「小犬太夫」「小犬座」などという名で登場している。この小犬党を率いていた者の名は、「小犬」である。これは個人名ではなく、小犬党を率いていたリーダーが、代々名乗っていた名前なのである。名を継ぐ、という点では、河原者の死刑執行人・天部又次郎と同じである。 この声聞師集団「小犬党」は、少なくとも1…

  • 非人について~その⑨ 京の声聞師たち・声聞師大黒党と大左義長

    京の声聞師集団は、正月の4日・5日の両日に禁裏、7日には将軍邸を訪れ、そこで中世のミュージカルである「曲舞(くせまい)」を披露して正月を祝った、と当時の記録にある。この行事を「千秋万歳(せんずまんさい)」と呼ぶ。 まず4日に行われる「千秋万歳」を行っていたのが、声聞師集団「大黒党」である。1570年の正月には、千秋万歳とは別にその名の由来となる「大黒舞」を正親町天皇の前で披露した、という記録が残っている。 この大黒党であるが、禁裏の近くの今出川町辺りに集住していたようだ。その起源は古く、13世紀に遡る。京の声聞師集団の中でもそれなりに力を持っていた、由緒ある党であったと思われる。 中世の加茂川…

  • 非人について~その⑦ 京の声聞師たち・彼らを仕切っていた組織

    大道芸で食っていた声聞師たちであるが、それぞれが勝手気ままに町中を徘徊し、芸を行っていたわけではない。混乱や争いを避けるために、彼らなりの仕来りがあり、縄張りもあるのだ。つまり彼らを仕切っていた組織があったのである。 こうした組織として、奈良にあった「五カ所」と「十座」が有名である。両組織を統括する立場にあった、興福寺・大乗院の史料が豊富に残されているから、詳細な研究が進んでいるのだ。 両者は大和における声聞師の指導者的立場にいた集団で、いわゆるひとつの「座」を形成していた。まず「十座」は、大和数十カ所に対する声聞師の座頭として、「七道に対する自専権」を持っていた。そして「五カ所」と呼ばれた声…

  • 非人について~その⑥ 京の声聞師たち・芸能の民

    拙著1巻「京の印地打ち」に登場する「大黒印地衆」は「声聞師(しょもじ)」たちから成る印地集団である。声聞師とは「広義の非人」の中に分類された職能のひとつで、民間で芸能ごとを行っていた人々である。安倍晴明で有名な陰陽師の系譜を引く、という触れ込みで活動していたが、嘘であろう。 世界的に見ても凡そ全ての芸能は、「祝い」という宗教的な行事がその源流にある。声聞師たちの携わっていた芸能もそうである。そして中世は現在よりも遥かに、こうした祝福芸能を大変に重視した社会なのである。なので、その種類も大変に多かった。 声聞師の代表的な芸をあげると、まず「陰陽」は卜占や加持祈祷、「金鼓」は鉦を打ちながら経文を唱…

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