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歴史逍遥『しばやんの日々』 https://shibayan1954.com/

「しばやんの日々」というブログ名で活動を始めて10年になりました。1月に勤務先を定年退職したこともあり、気分一新してドメインを取得し、新しいブログを立ち上げました。もう少し使い込んでから、活動の中心にする予定です。

しばやん
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2019/03/14

1件〜100件

  • 中国の共産主義化と抗日運動

    満州国の独立に刺激されて、内蒙古が中国から独立する機運が盛り上がった。蒋介石は八万の大軍を送り込んで内蒙古軍を制圧したが、その際に全国民に対して民族戦の決起を促したために、中国全土で抗日の機運が盛り上がった。中国共産党は蒋介石を監禁して共産党と手を握らせ、共産党殲滅作戦を止めさせるとともに彼を抗日に転換させた。

  • ユダヤ人はいかにして世界を撹乱してきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む4

     前回に引き続き、『今次大戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本の一部を紹介したい。当時の非ユダヤ系報道機関が伝えてくれていたことは、現在の世界情勢を理解するうえでもヒントになる内容が少なからずある

  • 英米が仕掛けた「排日」に中国人が積極的に取組み「抗日」に至った経緯

    英米が仕掛けた「排日運動」は、日本人に対して長い間民族的嫉妬心を抱いていたに中国人に火をつけ、英米と同様に日貨排斥を行った。当初から排日教育が行なわれて、共産主義青年団員が排日運動をリードするようになると、その後国民党が国策として取り組むようになり、抗日暴動が頻発するようになる。

  • 第二次世界大戦に至るまでにユダヤ人は何をしてきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む3

     前回に引き続き、国際秘密力研究叢書の本の内容を紹介したい。今回採り上げるのは、この叢書の中で唯一GHQが焚書処分した『今次対戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本である。 この本は、一九三九年九月

  • 中国の排日運動がその後反帝国主義運動となり日本だけが排斥された経緯

    中国の排日運動は、当初は英米が中国大陸から日本を排除する目的で仕掛けたものだが、中国大陸の赤化を狙っていたソ連が中国共産党に反帝国主義運動を始めさせ、最初にイギリス租界に鉾先を向けた。イギリスは租界を返還して反英の動きを止め、さらに蒋介石を抱き込んで、鉾先を日本に向けさせた。

  • 支那事変でユダヤ人は何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む2

     今回は「国際秘密力研究叢書」シリーズの二回目で、赤池濃著『支那事変と猶太(ユダヤ)人』(国際秘密力研究叢書4:昭和14年刊)を紹介したい。著者の赤池濃(あかいけ あつし)は内務官僚で、朝鮮総督府の内務局長、警務局長などを歴任後、大正十二年

  • 英米が排日運動を仕掛けたのは中国だけではなかった

    中国の排日運動の始まりである1919年の「五四運動」に英米人が関与していたことは、当時のわが国の新聞にも多数報道されている。また、朝鮮半島で起きた三・一独立運動も米国宣教師が関与していたと報じられている。これらは、同年一月にわが国がパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出したことと無関係だとは思えない。

  • ユダヤ人はドイツに何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む1

     戦後の出版物でユダヤ問題に関するものは数えるくらいしか存在しないが、戦前にはユダヤ人問題に関する本が大量に出版されていて、ユダヤ人問題研究に関する叢書もいくつか出ている。 中でも政経書房が昭和十二年から十六年にかけて刊行した「国際秘密力研

  • 北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

    1919年のパリ講和会議でわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された22日後に、北京で最初の排日運動(五四運動)が行われている。当時北京の民家に下宿していた長野朗が当時のことを記録しているが、支那の排日運動を煽動したのは英米人であった。彼らは黄色人種間の分断と、支那において日本が開拓した市場を狙っていた。

  • 戦前の新聞社には、世界戦争を引き起こす影の勢力としてユダヤ勢力を捉える記者がいた

     前回に引き続き、神戸大学経済経営研究所の新聞記事文庫から、ユダヤ問題についての記事を紹介したい。第一次世界大戦とユダヤ人 戦後の通史などでは、第一次世界大戦にユダヤ勢力が関与したことは一切触れられることがないのだが、戦前の新聞には、その点

  • 関東大震災で日本支援に動いたのち米国黒人が白人に抵抗できなくなった経緯

    米国黒人たちは彼らの尊厳を認めてくれる日本人を尊敬するようになっていた。1912年に関東大震災が起こり全米で日本に義捐金を送る動きがあったが、黒人向けメディアが日本支援を呼び掛け、貧しい黒人たちも立ち上がった。しかしながら、連邦政府は「排日移民法」を提出し、黒人と日本人とを引き離そうとした。

  • わが国に支社が存在したユダヤ人秘密結社に関する昭和初期の新聞記事を読む

     引き続き「神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫」からユダヤ人問題に関する記事をいくつか紹介してみたい。国際連盟脱退の背後にユダヤ人の組織が動いていたのか 最初に紹介したいのは、昭和8年2月23日の国民新聞の記事である。 日本脱退を遂に決意

  • パリ講和会議で人種差別撤廃提案が否決されたのち米国で黒人暴動が多発した

    第一次大戦後開催されたパリ講和会議で、わが国は国際連盟規約に人種差別撤廃を明記させようと動き、参加国の多数の賛同を得たものの、議長のウィルソン米大統領は全会一致でないことを理由に否決した。世界の有色人種はこの決定に失望し、米国では各地で暴動が起き、エジプトやインド、パレスチナなどでも暴動が起きた。

  • ユダヤ人問題に関する昭和初期の新聞記事を読む~~「ユダヤ人に悩まされる世界」「惑星ユダヤ人の動き」

     前回はユダヤ人問題に関する大正時代の記事を紹介したが、今回は昭和初期の記事のいくつかを紹介したい。 銀行家の陰謀 最初に紹介したい記事は昭和6年10月19日付の大阪朝日新聞に寄稿された、津村秀松博士の「ユダヤ人に悩まされる世界」である。著

  • アメリカの黒人知識人たちは日露戦争後の排日運動をどうとらえたか

    アメカの黒人たちは日露戦争に日本が勝利したことは、白人が有色人種を支配する神話を打ち砕いたとして歓迎し、日本人の後に他の有色人種が続いて白人優位の世界が崩壊していくことを期待した。白人たちはそうさせないために、『黄禍論』を全米に広めて、日本人とアメリカ黒人たちの分断を図った。

  • ユダヤ人問題に関する大正時代の新聞記事・解説を読む~~北海タイムス「過激主義の根原」

    ロシア革命はユダヤ人による革命であった 以前このブログで、1917年に起きたロシア革命のことを書いた。レーニンらの活動家に資金を支援したのは、日露戦争でわが国に資金支援したユダヤ人のジェイコブ・シフらであり、革命が成就して生まれた新政府の人

  • 日露戦争後に激化したカリフォルニア州の排日運動をアメリカの知識人はどう捉えていたか

    『日米開戦の人種的側面』によると、カリフォルニア州の移民の1/4がアイルランド系で、サンフランシスコ市の労働運動をリードしていて、日本人排斥に特に熱心であった。このカリフォルニア州の排日運動が、マスコミにより1907年以降全米に広がるのだが、アメリカの「オレンジ計画」と無関係だとは思えない。

  • 紫陽花の季節に北摂の久安寺、勝尾寺を訪ねて

    「あじさい寺」で有名な北摂の寺院を参拝してきた。池田市の久宝寺は、本坊の門前にある具足池に「あじさいうかべ」が行われている時期が見頃である。「勝ちダルマ」で有名な箕面市の勝尾寺も、境内に三千六百株のあじさいが植えられていて、見頃を迎えている。

  • 幕末以降西洋造船技術の導入に取組んだ先人たち~~「最新国防叢書」2

     「最新国防叢書」の第10輯は、金谷三松著『海軍艦船機関の話』(GHQ焚書)だが、嘉永六年(1853年)にペリーが来航する以前から、蒸気船を自力で製造しようとした藩の話が出ている。自力で蒸気機関を製造した薩摩藩 老中阿部正弘は安政の改革の一

  • 日露戦争中に始まったカリフォルニア州地方紙の排日キャンペーン

    カリフォルニア州への支那移民が禁止されると、代わって日本人が移住するようになった。しかしながら労働組合が低賃金で働く日本人を問題にするようになり、同州の新聞で排日キャンペーンが開始された。満州に商業的利益拡大を図っていた米国は、同州の排日の動きを利用し、その後全米に人種差別を煽って反日感情を焚きつけていく。

  • わが国の戦艦発達の歴史を知る~~「最新国防叢書」1

     昭和13年に科学主義工業社から「最新国防叢書」シリーズ10点が刊行され、そのうちの4点がGHQにより焚書処分されている。今回はシリーズの第一輯、藤沢宅雄著『戦艦の話』の一部を紹介したい。軍艦の種類 戦後は軍艦の種類について詳しく学ぶ機会は

  • 鉄道王ハリマンの夢を打ち砕いた小村寿太郎

    米国の鉄道王と呼ばれたハリマンが、ポーツマス会議の最中に訪日している。その目的は、彼の描いた世界一周通路の中の一つである南満州鉄道を日米共同で経営することを日本政府に提案するためであった。桂首相や井上馨はその提案に賛成し、桂は覚書に署名したが、ポーツマス会議から帰国した小村は反対した。

  • 『日露戦役の思ひ出』を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書3

     かつて陸軍省の中に「つはもの編輯部」という部署があり、兵士や国民向けに、兵士の書いた文章などを集めた「つはもの叢書」というシリーズ本が昭和8年から12年までに14点が出版され、そのうち3点がGHQ焚書に指定されている。今回は『日露戦役の思

  • ロシアを確実に揺さぶった明石元二郎の謀略工作活動

    日露戦争開戦のすぐ後に金子堅太郎が渡米した際に、旧友のヘンリー・アダムスから「1年もすればロシアに内乱が起こるので、その煽動をすれば勝てる」との提案を受けた。ロシアには明石元二郎が明治35年から諜報活動に携わっていたが、反政府活動分子と接触し本格的な謀略活動を開始するのは日露開戦後のことである。

  • ポーツマス会議全権随員・本多熊太郎の「講和外交秘話」を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書2

    日露戦争に関するGHQ焚書リストの中に、時事新報社 編『日露戦争を語る. 外交・財政の巻』(昭和10年刊)という本がある。日露戦争の重要な交渉や会議などに関わった人物が、当時のことを回想して記した文章をまとめた本なのだが、簡単に目次と筆者の

  • ロシアが講和会議で強気の交渉が出来た背景と、講和条約に対する日本国民の怒り~~日露講和会議2

    ポーツマス会議でウィッテがわが国に対して強気の交渉ができたのは、日本の連戦連勝が続き、主要各国が強い日本を次第に警戒するようになっていったことが大きかった。アメリカのサンフランシスコで排日プロパガンダが開始され、講和会議でわが国は譲歩するばかりであった。

  • 日本海海戦前後に艦隊から離れたロシア艦のこと~~日露戦争に関するGHQ焚書1

     「歴史ノート」で日本海海戦のことを二回にわたり書いてきた。 バルチック艦隊は、七ヶ月以上もの長い航海を続けてきたため将兵は相当疲労しており、船体にはフジツボなどの貝類が付着し、機関も摩耗していた。ロジェストウェンスキー司令長官にとっては、

  • 国立国会図書館デジタルコレクションで大半のGHQ焚書が閲覧できるようになりました

     国立国会図書館が、令和4年5月19日から「個人向けデジタル化資料送信サービス」を開始した、とのプレスリリースがでています。 このサービスの開始により、国立国会図書館のデジタル化した資料のうち、絶版などの理由で入手困難となっていた152万点

  • 講和会議の交渉がわが国にとって厳しいものになることは当初からわかっていた ~~日露講和会議1

    日本海海戦で日本海軍がバルチック艦隊を撃破すると、セオドア・ルーズベルト米大統領もそろそろ講和談判を開始した方が良いと考え、両国に講和談判を呼び掛け、ポーツマスで講和会議が開かれることとなったが、ロシアは当初から賠償金や領土割譲には応じないスタンスを崩さず、わが国は何度も譲歩を繰り返した。

  • 英文で出版され、7ヶ国で翻訳出版された新渡戸稲造の『武士道』~~GHQが焚書処分した明治期の著作8

     GHQの焚書リストを見ていると、なぜこんな本が焚書処分されたのかと思う本が少なくないのだが、新渡戸稲造の『武士道』もその一つである。新渡戸稲造 この本は新渡戸がアメリカ滞在中の1899年(明治三十二年)にアメリカのフィラデルフィアで英語で

  • わが連合艦隊がバルチック艦隊に大勝した~~日本海海戦2

    連合艦隊とバルチック艦隊の主要な戦力を比較するとほとんど互角であったが、前者は長い航海で将兵は相当披露し、船も整備を必要としており、できればウラジオストックに戻ってから雌雄を決することを望んでいた。しかし、5月27日に日本海軍の信濃丸に艦隊を発見され、連合艦隊は出動の準備を整えた。

  • 日露戦争のあと隻脚の僧侶となった市川禅海の『残花一輪』~~GHQが焚書処分した明治期の著作7

     市川禅海(いちかわ ぜんかい)という人物の経歴がコトバンクに記されている。明治十六年に長野県中込村(現・佐久市)に生まれ、明治三十六年に海軍兵学校を卒業後、「日露戦争に参戦して負傷し、片足を切断する。明治四十二年剃髪し、修行のかたわら各地

  • バルチック艦隊将兵の士気が高まらなかった事情~~日本海海戦1

    バルチック艦隊は1904年10月にリバウ軍から出航した早々、英国漁船を日本海軍の水雷艇と誤認して撃沈する問題を起こし、ロシアは賠償金を支払ったが、その後英国は同艦隊が航路上にある中立の各国の港に寄港できないように圧力をかけ、ロシアと契約していた運輸会社に英国産の石炭の供給を止めるなどして航行の妨害を続けた。

  • 水雷艇長として日本海海戦に従軍した水野広徳の『此一戦』~~GHQが焚書処分した明治の著作6

     水野広徳は明治八年に愛媛県の三津浜(現松山市)に生まれ、幼少期に両親をなくして伯父に育てられたのだが、伯父の父の妻は秋山好古・真之兄弟の親戚だったという。松山中学を経て江田島の海軍兵学校を卒業し海軍の軍人となり、日露戦争では第四十一号水雷

  • 日露戦争最大の陸戦となった奉天会戦で兵力の劣る日本軍が勝利できたのはなぜか

    日露陸戦最後の大会戦となった奉天会戦はも兵力では圧倒的にロシア軍が優勢で、しかも日本兵は旅順攻囲戦で消耗していた。日本軍は兵力が少ないにもかかわらずロシア軍を包囲する戦略をとったが、これはリスクが高かったにもかかわらず成功した。ロシア側の記録を読むとロシア兵は乃木軍を恐れていたことがわかる。

  • 日露戦争に騎兵として戦った由上治三郎の従軍手記『鉄蹄夜話』~~GHQが焚書処分した明治期の著作5

     由上治三郎という人物については陸軍の軍人で第一軍の騎兵中尉として日露戦争で戦い、戦後に大尉になった人物であることぐらいしかわからないのだが、由上の唯一の著作『鉄蹄夜話』は明治四十四年に刊行された古い本である。 緒言(まえがき)に由上は、「

  • 旅順要塞を短期間で落城させた乃木希典を世界が賞賛した~~旅順攻囲戦2

    明治37年11月27日からの二〇三高地をめぐる戦いは壮絶を極めた。日本軍が勝利し、二〇三高地から旅順港の敵艦に砲撃を仕掛けて極東艦隊を全滅させると、乃木は旅順要塞に大量の爆薬を仕掛けて突入し次々と堡塁を奪取していき、翌年1月2日についに旅順要塞は落城した。世界は短期間で日本軍が勝利したことを賞賛した。

  • 世界16ヶ国に翻訳された櫻井忠温の名著『肉弾』~~GHQが焚書処分した明治期の著作4

     櫻井忠温(さくらい ただよし)の著書でGHQに焚書された本は、このブログでこれまで『常勝陸軍』と『子供のための戦争の話』の2冊を紹介させて頂いた。 しかし、櫻井の著作で最も有名なのは、明治三十九年(1906年)に出版された『肉弾:旅順実戦

  • わずかな兵力・火力で旅順要塞攻略を求められた乃木希典~~旅順攻囲戦1

    明治37年5月に乃木希典が第三軍司令官に任ぜられ、旅順の奪取を命ぜられた。しかし、旅順の要塞は想像以上に堅固に造られており、弾薬も兵員も絶対的に不足していた。参謀本部は「歩兵万能主義」で、砲兵の力に依存しないで、「如何なる要塞も陣地も強襲にて攻略し得るもの」と考えであった。

  • 日露戦争に出征した猪熊敬一郎の遺著『鉄血』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の著作3

     前回は「GHQ焚書」で、一兵卒として日露戦争に出征した大月隆仗の戦記である『兵車行』を採り上げたが、今回は歩兵第一連隊の小隊長として出征し、連隊旗手として軍旗を奉じて二〇三高地に突撃した猪熊敬一郎が書いた『鉄血』を紹介したい。この本は、猪

  • 三度にわたり決行された旅順港閉塞作戦とその結果

    明治37年2月9日に日本海軍は仁川沖海戦で勝利したが、その後ロシアの極東艦隊は旅順港内の奥に閉じこもってしまった。ロシアは旅順港の背後に旅順要塞を築き、数多くの砲台が設置されているために、日本海軍はこの港には容易に近づけなかった。そこで考案されたのが旅順港の狭い入り口を塞いでしまおうという旅順港閉塞作戦で、三度にわたり実行に移された。

  • 一兵卒の書いた日露戦争体験記『兵車行』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の著作2

     GHQが焚書処分した明治時代に書かれた作品紹介の第二回目だが、今回は大月隆仗著『兵車行』(兵卒の見たる日露戦争)という本を採り上げたい。著者は明治十六年(1883年)の岡山県生まれで二十歳の時に陸軍歩兵上等兵として日露戦争に出征し、この本

  • 日露戦争の戦費調達で総額十三億円もの外債発行を成功に導いた高橋是清

    第一回の外債発行が成功すると、政府からは二度目の募集の催促が来て、高橋是清は11月に第二回債の起債を成功させて帰国した。しかしその後も戦費調達のため、高橋は口説かれて再び米国に向かった。高橋はその後も起債の交渉を続け、総計13億円の資金調達を成功させている。

  • 坪谷善四郎 著『北清観戦記』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の作品1

     GHQが焚書処分したのは昭和時代に刊行された本が大半だが、たまに明治時代に刊行されたものが没収廃棄されている。GHQが没収したのは一般の書店で流通している本やパンフレットであり、古書まではその対象としていなかったのだが、明治期に刊行された

  • なぜジェイコブ・シフは日露開戦直後にわが国の外債発行を支援したのか

    明治37年2月4日の御前会議で日露戦争開戦が決定したものの、この戦争が何年続き戦費がいくらかかるかもわからず、調達の目途も立ってなかった。外債発行交渉のため高橋是清が早速渡米したが、米国は起債出来る環境になく、英国に向かい4か月目に5百万ポンドの外債発行の仮契約まで持ち込んだ。年内にさらに同額の調達が必要であったが、そこに全額を引き受けるというユダヤ人が現れた。

  • 海軍機関学校で学ぶ生徒たち~~永松浅造『舞鶴』を読む

     永松浅造の著作のなかで、海軍機関学校を志望する少年のために書かれた『舞鶴:海軍機関学校物語』という本がGHQ焚書のリストに挙がっている。 戦前戦中には陸海軍の将校を養成する学校がいくつか存在したのだが、第二次世界大戦の敗戦で軍隊は解体され

  • 日露戦争開戦前後の欧州列強国の思惑

    日露戦争に関する欧州列強のスタンスは様々であった。フランスは日露戦争に反対していたが、ドイツはロシアが鉾先をドイツではなく極東に向けるように日露戦争を仕掛けたと言って良い。独皇帝ウィルヘルム二世は露皇帝ニコライ二世に私信を送り、「朝鮮を獲れ」とけしかけている。イギリスは当初は日露戦争反対であったが、途中で方針を転換している。

  • 日本海軍の戦史を知る~~永松浅造『海ゆかば:皇国海戦史』を読む

     永松浅造の戦前・戦中における著書の4割以上がGHQによって焚書処分されていることを書いたが、今回紹介させていただく『海ゆかば:皇国海戦史』もまたGHQ焚書である。 GHQは日本が戦争で勝利した話の多くを封印しようとしたと理解すればよいのだ

  • なぜ米大統領は金子堅太郎に日露開戦当初から日本が勝つと明言したのか

    金子堅太郎が渡米して大統領の口から「今度の戦いは日本が勝つ」との発言が出たのに金子は驚いた。後日金子は旧友のヘンリー・アダムス宅の晩餐会に招かれ、アダムスよりアメリカの考えを詳しく聞く機会を得た。軍事力を比較するとロシアの方が優勢であったが、一年日本が頑張ればロシアで内乱が起きてもおかしくなく、どうすれば勝てるという秘策まで授かっている。

  • 帝国海軍を育てた人々~~永松浅造『くろがねの父』を読む

     前回に引き続き、GHQに焚書処分された永松浅造の著作を紹介したい。今回紹介する本は昭和十七年に発刊された『くろがねの父』という本で、帝国海軍を育てた勝海舟、伊東祐亨、山本権兵衛、東郷平八郎、加藤寛治の海軍人生を詳述した本であるが、GHQは

  • 日露開戦を決定した直後に戦争を終わらせる準備を怠らなかった伊藤博文

    明治37年2月4日の御前会議で対露断交と開戦を決定した夕刻に、伊藤博文は金子堅太郎を呼び、すぐに渡米してほしいと告げた。伊藤はこれから戦争が何年続くかわからないが、もし勝敗が決しなければ両国の間に立って調停する国が必要となる。頼むところはアメリカしかない。君は大統領のルーズベルトと懇意の仲であり、直ちにそのことを依頼してほしいと告げた。

  • 近代戦における航空部隊の重要性~~永松浅造 『海軍航空隊』を読む

     著者の永松浅造の経歴についてはネットでは調べてもよくわからないのだが、戦中は毎日新聞の記者であったらしい。戦後も『ゾルゲ事件』など多くの作品を残しているが、戦前・戦中に彼が書き残した12点がGHQに焚書処分されている。 国立国会図書館デジ

  • 満州占領のあと韓国を占領しようとしたロシア

    ロシアは満州から撤退するという清との約束を履行せず、むしろ満韓国境方面に兵力を増強し、さらに韓国の龍岩浦を占領し、要塞工事に取り掛かった。満韓に対する侵略の意図を隠さないロシアの動きは、俄然わが国の国論を硬化させた。伊藤博文や桂首相らは出来得る限り外交により解決を図ろうとしたが、ロシアは既に対日作戦計画を立案して裁可を得、極東艦隊が旅順を出港した。

  • アメリカにおける人種問題~~「戦争文化叢書」を読む10

     アメリカには多種多様な民族が混在して暮らしており、学生時代に「人種のるつぼ」などと学んだ記憶があるのだが、今では「人種のサラダボウル」などと言われることが多いのだそうだ。 「るつぼ」という言葉には、様々な国の移民が入り込み1つに融合すると

  • 義和団による暴動をチャンスとし、満州占領に動いたロシア

    義和団が天津や北京で暴れている時に、ロシアは八ヵ国連合軍が天津・北京で義和団の暴徒らと戦っている最中に、満州に大軍を送り込んでいる。ロシア軍は十月には全満州を占領してしまうのだが、満州におけるロシア軍は、ブラゴチェンスク居住の支那人三千人を虐殺し、黒龍江(アムール川)に沈めるなどひどいものであり、日本人に大きな衝撃を与えた。

  • 明治以降の農村の都会化によって失われたもの~~「戦争文化叢書」を読む9

     GHQによって世界創造社の「戦争文化叢書」シリーズの大半が焚書処分されているのだが、今回は『日本農兵戦争』という本の一部を紹介したい。 著者の清水宣雄がどういう経歴の人物であったかは詳しくはわからないが、「国会図書館デジタルコレクション」

  • 義和団の乱鎮圧に貢献し軍紀の厳正さにおいても世界から評価された日本軍

    明治33年6月に北京の各国公使館区域が20万人を超えるという義和団に包囲され、さらに清軍が加わって列国に対して宣戦布告するに至った。公使館区域に残る約4千人を救出するため、各国が増援軍を派遣したが、約2万人の総兵力の半数が日本兵であった。8月14日に各国軍は北京に入城し籠城者を救出したが、日本軍の活躍とその軍紀の厳正さを世界が称賛した。他国軍は掠奪、暴行などの悪事が記録されている。

  • 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』の増刷が完了しました

     いつもこのブログにアクセスいただきありがとうございます。 拙著『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』が発売されて2年10ヶ月になりますが、昨年末に出版社の在庫がなくなり、年初にアマゾンや楽天などの在庫もゼロとなり、長

  • 今も親日国の多い南洋群島の、日本による委任統治時代を考える~~「戦争文化叢書」を読む8

     太平洋に点在するポリネシア・メラネシア・ミクロネシアの島々は、今では「南の楽園」などと呼ばれているが、この島々はかつてわが国の領土であった。 17世紀になってスペインがこの地域一帯を植民地化し、フィリピンと共に「スペイン領東インド」を形成

  • 義和団の暴徒に囲まれた北京の各国公使館区域全滅の危機

    日清戦争に大敗した清国に対し、列強諸国が利権獲得に動き出した。自国の中を外国人勢力が跋扈するようになると、1899年に山東省に起こった義和団は「扶清滅洋」を唱えて排外活動を始め、それが瞬く間に清国全土に拡がっていった。攘夷主義者の西太后は、義和団に北京の公使館区域を襲わせたため、区域に住む約四千人が孤立無援の状態になってしまった。

  • 戦前の欧州をめぐる世界情勢をどう理解するべきか~~「戦争文化叢書」を読む7

     前回に引き続き「戦争文化叢書」のGHQ焚書を紹介したい。今回紹介するのは白鳥敏夫 著『欧洲を繞(めぐ)る世界情勢』という本である。 著者の白鳥敏夫はWikipediaによると、「大正、昭和期の日本の外交官・政治家。戦前期における外務省革新

  • 三国干渉に激昂した人々と尾崎行雄らの政府弾劾決議案

    露独仏の三国干渉により、下関条約で獲得した遼東半島を清国に返還することを余儀なくされた。世論を鎮静させるために、明治天皇が「遼東還付の詔勅」を発されたが、国民の怒りは収まらず、議会では政府の失政を糾弾する動きがあり、政府は言論を弾圧した。明治29年の第9回帝国議会で尾崎行雄が登壇し、内閣を弾劾する上奏案が提出された。その後、政府も軍備増強の急務を認識した。

  • ソ連・コミンテルンによる中国の赤化工作を知る~~「戦争文化叢書」を読む6

     前回に引き続き満田巌著『日本世界戦争』の文章を紹介したい。戦後に書かれた著作では、中国で民族運動が昂揚した背景にどこの国が関与していたかについて触れることは皆無に近いのだが、この書物には詳しく記されている。ソ連・コミンテルンによる中国の赤

  • 三国干渉に直面したわが国と主要国の動き

    三国干渉を主導したロシア 日清戦争でわが国は世界の予想を裏切って清に圧勝し、講和談判が下関で行われて、明治二十八年(1895年)四月十七日に講和条約(下関条約)が調印された。 この条約によって清国はわが国に①朝鮮の独立②遼東半島・台湾・澎湖

  • 第二次世界大戦が勃発した頃の世界の関係とイギリスの戦略的外交~~「戦争文化叢書」を読む5

     今回紹介するGHQ焚書は戦争文化叢書 ; 第12輯の満田巌著『日本世界戦争』である。 著者の満田巌については何冊か著作を残しているが、どんな人物かと調べていると、 夫人の満田道子さんが『わかれ霜』 という歌集を出していることが分かった。内

  • 連戦連勝の日清戦争と下関講和交渉の決着

    明治27年7月に豊島沖海戦、成歓の戦に圧勝したのち、平壌の戦、黄海海戦、鴨緑江作戦、旅順口の戦い、威海衛の戦いと連戦連勝し、28年3月には遼東半島全域を占領し、いよいよ首都北京に迫ろうとした。とうとう清は全権大使李鴻章をわが国に派遣し、下関で講和にむけての交渉を開始させた。

  • 戦前においても日本を軽視する知識人が少なくなかった要因と、学ぶべき国民の歴史~~「戦争文化叢書」を読む4

     GHQによって世界創造社の『戦争文化叢書』のシリーズの大半が焚書処分されたのだが、今回はアジア問題研究所編『支那人は日本人なり』という変わったタイトルの本の一部を紹介したい。この本はわが国の歴史について、戦後の歴史叙述などには見出しがたい

  • 東学党の乱とその後の日清両国の動き

    1894年4月に朝鮮半島南部で「東学党の乱」が起きたが、朝鮮国の軍隊では鎮圧が出来ず、朝鮮政府は清国に援助を求めている。一方わが国では、清国が朝鮮半島に出兵したことは国防上の危機と捉え、わが国も朝鮮半島に出兵することを決定した。 大鳥公使は朝鮮政府に対し、内政改革と清国軍の撤退、清朝間の宗属関係の解消を要求した。

  • イギリスの伝統的な植民地統治手法である「分割統治」とは~~「戦争文化叢書」を読む3

     前回に引き続き、戦争文化叢書 第25輯の『英国の世界統治策』を読み進もう。 この本の第三章は「分割して支配する」だが、わかりやすく言えば、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法である。英国はこの手法で世界

  • 朝鮮半島を狙ったロシア・イギリスと李氏朝鮮の国情

    甲申事件の後明治十八年に日清間で締結された天津条約によって日清両軍は朝鮮より撤兵したが、今度はロシアや英国が朝鮮半島に進出しようとし、英国は巨文島を占領した。朝鮮国の近代化を図ろうとした朝鮮独立党の金玉均は甲申事変ののち日本に亡命したが、のちに上海に呼び出されて暗殺された。この暗殺に清国政府が関わっていたことは明らかであり、日本国内で暴支膺懲の声が高まった。

  • イギリスこそが世界最大の侵略国だった~~「戦争文化叢書」を読む2

     前回はに引き続き、GHQが大半の書籍を焚書処分した世界創造社の「戦争文化叢書」の中から、今回は『英国の世界統治策』(GHQ焚書)という本を紹介させて頂きたい。イギリスは如何にして植民地を獲得したのか この本の第一章は「如何にして植民地を獲

  • 開国後の朝鮮国をめぐる日本・清国の対立

    日朝修好通商条規締結後の朝鮮は、金弘集の進言により積極的開国に転じるようになった。しかし1882年に旧軍兵が政権に不満を抱く下層市民を巻きこむ大暴動(壬午事変)が起き、この鎮圧を清国軍に頼ったことからその後ソウルに清国軍が駐留し、清国は軍事力を背景に宗主権の強化再編に乗り出した。金玉均らが清国に阿る守旧派一掃を企てて甲申事変を起こすが失敗した。

  • 支那事変でわが国が「敵国」と認識していたのはイギリスだった~~「戦争文化叢書」を読む1

    大半がGHQに焚書処分された『戦争文化叢書』 昭和十四年(1939年)から十六年(1941年)にかけて、世界創造社という出版社から『戦争文化叢書』というシリーズ本が出版されている。全部で三十五冊の本が刊行されているのだが、そのうち二十九冊(

  • 江華島事件と李氏朝鮮の開国

    明治八年に朝鮮国を開国させようとする交渉が難航したため、威嚇することを目的に五月に軍艦雲揚を釜山に向かわせた。その後九月に再び雲揚が情報収集で朝鮮半島に向かうと、江華島沖で朝鮮軍からの砲撃を受けた。日本軍は応戦し永宗島を陥れた。この事件を機に政府は黒田清隆を全権として条約締結に持ち込もうとした。

  • 江華島事件と李氏朝鮮の開国

    明治八年に朝鮮国を開国させようとする交渉が難航したため、威嚇することを目的に五月に軍艦雲揚を釜山に向かわせた。その後九月に再び雲揚が情報収集で朝鮮半島に向かうと、江華島沖で朝鮮軍からの砲撃を受けた。日本軍は応戦し永宗島を陥れた。この事件を機に政府は黒田清隆を全権として条約締結に持ち込もうとした。

  • 神戸大学「新聞記事文庫」で古い記事の探し方と利用方法

     前回の記事で「国立国会図書館デジタルコレクション」で本の探し方について書いたが、新聞記事についてもネット検索で多くの情報を入手することが可能である。大手の新聞社のなかには、過去記事を有料会員になることで入手できるところもあるようだが、私が

  • 「国立国会図書館デジタルコレクション」で古い本の探し方

     先日友人から「どうやって古い本の記事や古い新聞記事を見つけてくるのか」と聞かれたが、以前にも同じ質問をある方から聞かれたことがある。「図書館通いしておられるのか」と尋ねられたこともよくあるのだが、私の場合は殆んど自室に閉じこもって、専らパ

  • 2022年新年のご挨拶

     新年 あけましておめでとうございます。 旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。 何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コメント欄やメールなどで貴重な情

  • 戦前の日本人は主要国の外交政策をどう捉えていたか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む5

     今まで4回に分けて山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』(昭和11年刊)の内容を紹介してきたが、今回はその最終回で、著者が当時の主要国の外交姿勢について述べている部分を紹介したい。この本は青少年を対象に書かれている本であり非常に読みやすく

  • 石川県の不平士族らによる大久保利通暗殺(紀尾井坂の変)

    石川県の士族たちの明治政府に対する不満は大きく、島田一良らは西南戦争の際に西郷等に呼応して現政権を倒そうと考えたが、メンバーの説得に失敗し挙兵のタイミングを失してしまった。そこで彼等は要人の暗殺に方針を変更し、明治11年5月に大久保利通の暗殺に成功している。彼らの斬奸状には「有司専制の弊害を改め、速やかに民会を興し」とあるが、事件の二か月後に三新法が公布され、府県会の選挙が行われることとなった。

  • 満州国を攪乱したソ連と支那共産党~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む4

     ソヴィエト連邦の極東政策 今回も『少年満洲事変と上海事変』の文章を紹介したい。満州国が建国されたのち、極東の情勢がどのように変わったかについて、戦後出版された教科書などにはあまり記されていないのだが、昭和11年に青少年向けの本に書かれてい

  • 赤坂喰違の変で岩倉具視はいかにして難を逃れたか

    明治六年の政変で士族たちが絶大な信頼を置いていた西郷らが下野したことで、政府に対する不平不満は烈しいものとなり、各地で士族の不満が爆発しそうな不穏な情勢となっていた。 翌年の一月に岩倉具視を乗せた馬車が赤坂喰違坂で九名の高知県士族に襲われたのだが、いかにして難を逃れたか。

  • 第一次上海事変はなぜ起きたのか~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む3

    戦後の教科書ではなぜか触れることが少ない第一次上海事変 前回の記事で、昭和11年に出版された『少年満州事変と上海事変』に、満州事変勃発から満州国の成立についてどう記されているかを紹介した。今回は引き続き第一次上海事変についての解説を紹介した

  • 西南戦争がはじまると高知県でも政府転覆に動く計画が動き出した

    西南戦争が始まると高知県でも政府転覆に起ち上ろうとする動きがあった。元高知県令の林有造は、多くの兵士が西南戦争に集められてわずかの留守番兵が残っている大阪鎮台を乗っ取ろうと考え、帰郷して多くの兵士を集め、大江卓らは木戸孝允の暗殺を計画した。

  • 戦前の日本人の満州事変の理解を知る~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 2

    柳条溝鉄道爆破事件 前回の記事で山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』で、満州事変の発端となった昭和六年(1931年)九月十八日の柳条溝事件が起きるまでの支那の国情について書いた。今回はその続きである。  萬寶山事件 に次ぐに、中村大尉虐殺

  • 西郷隆盛は何のために起ち上がったのか~~西南戦争2

    西郷軍は2月15日に鹿児島を発って最初に熊本城を目指したが、鎮台兵は西郷軍が想定していた以上に強く、最大の激戦地となった田原坂で西郷軍は敗色濃厚となる。西郷は官軍の包囲から脱出するため可愛岳突破し、鹿児島に向かった。しかし鹿児島到着後総勢7万の官軍の兵士が372人の西郷軍を取り囲み、西郷は最後の決戦を挑んでいる。

  • 満州事変の前に何が起こっていたのか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 1

    満州事変についてのGHQ焚書の9割はネット公開されていない 本のタイトルから判断して満州事変に関する本は30点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているのは3点のみで、9割

  • 西南戦争が起こる前の鹿児島県は如何なる状況であったのか~~西南戦争1

    明治六年政変で西郷隆盛が下野した以降の鹿児島は、一種の独立国のようになった。西郷は私学校を創設し、県令の大山綱吉は西郷が戻ってからは新政府に租税を納めていなかった。 大久保利通は、薩摩を政府の統制下に据えるためな役人の異動を行おうとし、スパイを鹿児島に送り込んだのだが、激昂した私学校党の青年たちは火薬庫を襲撃し武器を奪い取った。西郷は政府と闘う肚を固めた。

  • GHQが焚書処分したナチス研究書4~~水野正次 著『総力戦と宣伝戦:ナチス思想謀略の研究』

    著者:水野正次について 前回まではアルス社の「ナチス叢書」の本を3点紹介させて頂いたが、今回は新民書房から昭和十六年七月に刊行された『総力戦と宣伝戦:ナチス思想謀略の研究』という本を紹介したい。 著者の水野正次がどんな人物なのかを知りたくて

  • 大久保利通が台湾出兵を決断し、自ら清国との談判に臨み賠償金を獲得したこと

    明治4年に宮古島の船が台湾に漂着して、船員の衣類が略奪され54名が虐殺される事件があった。その後も同様の事件が続き、台湾を膺懲せよとの世論が高まって行った。大久保利通は明治六年に征韓論に反対し、西郷隆盛らが下野する原因を作った人物だが、その4か月後に、木戸孝允の反対を押し切って征台論を主張し、台湾出兵を実行した。

  • 京都府久美浜町の歴史と文化にふれる旅

    久美浜町湊宮の五軒家と天明の大飢饉 京都府京丹後市にある久美浜湾は、東から佐濃谷川、川上谷川、久美谷川の三河川が注いでおり、北は小天橋(しょうてんきょう)と呼ばれる砂洲によって大部分が日本海と隔てられ、淡水と海水が混ざり合う、波穏やかな潟湖

  • 紅葉の季節に西脇の歴史・文化を訪ねて

     毎年紅葉の季節に地方の古刹などを観光するのだが、今年は兵庫県西脇市を訪ねてきた。(11/18訪問、撮影)西林寺 最初に訪れたのは紅葉で知られる西林寺(西脇市坂本455)。高野山真言宗の寺院である。西林寺 仁王門 寺伝によるとこの寺は白雉二

  • 前原一誠と萩の乱

    福岡の秋月の乱の翌日に山口で前原一誠らが起ちあがった。前原は維新後参議を務めた人物だが、「国民皆兵」の徴兵制路線や奇兵隊の処分を主張した木戸孝允と意見が対立し、明治三年九月に官を辞して萩に帰郷していた。前原は明治九年十月に、熊本で神風連、福岡で秋月の乱が起きた情報が入ると、二十七日に萩の不平士族たちを明倫館の講堂に招集し決起することを決定した。

  • GHQが焚書処分したナチス研究書3~~八条隆孟 著『ナチス政治論』

     前回に引き続き、GHQによってシリーズの大半が焚書処分された株式会社アルスの『ナチス叢書』のなかから、今回は八条隆孟 著『ナチス政治論』(昭和十六年五月刊)という本を紹介したい。 ドイツ革命とその後の混乱 以前このブログで、ロシア革命はユ

  • 神風連の乱の三日後に起きた秋月の乱

    熊本の神風連が蹶起すると聞き、福岡の秋月も挙兵を決めた。秋月で集まったのは百五十人程度であったが、挙兵に加わる約束をしていた旧黒田藩に裏切られて何とか危地を脱したものの、食糧も乏しくなり、多くの者が脱落していった。今村百太郎がわずか十七名で最後の決戦を試みた。

  • GHQが焚書処分したナチス研究書2~~末次信正著『日本とナチス独逸』

    日独伊三国同盟はなぜ結ばれたのか 前回のこのコーナーで株式会社アルスが出版した『ナチス叢書』の大半が焚書処分されていることを書いたが、今回も『ナチス叢書』のなかから末次信正 著『日本とナチス独逸』(昭和十五年十一月刊)の一部を紹介したい。末

  • 廃刀令が出た半年後に起きた熊本神風連の乱

    明治維新後士族を取り巻く環境が激変し収入も激減していたのだが、明治九年の廃刀令で不平士族の不満が爆発した。熊本では神風連の党員約170名が新政府施政の過ちを正そうと起ちあがり、熊本鎮台司令官宅、熊本県令宅、熊本鎮台などを襲撃した。翌日鎮圧されたが、この事件に呼応して、秋月の乱、萩の乱が起きている。

  • GHQが焚書処分したナチス研究書1~~深尾重正著『ナチスの放送戦争』

    大半がGHQによって焚書処分されたアルス社の『ナチス叢書』 前回はヒットラーの著書を紹介したので、今回はナチスに関する研究書を紹介することとしたい。 今は存在しないが、かつて株式会社アルスという出版社が存在した。詩人として有名な北原白秋の弟

  • 江藤新平と佐賀の乱~~戦争煽動責任は政府にあるのではないか

    明治六年の政変の後、政府に対する不満が各地で爆発し、七年一月には岩倉具視が襲われる事件が起きた。岩倉は無事であったが、公務を休んで療養中に佐賀の乱が起きている。佐賀では征韓論中止に士族たちが激昂していた。江藤は佐賀の不穏な空気を鎮めようと急いで帰郷したのだが、こともあろうに政府は内乱が起きてもいない佐賀に軍隊を送りこみ、江藤らは政府軍との戦いを余儀なくされる。

  • GHQが焚書処分したヒットラーの著書を読む 2~~『我が闘争  第2巻 下』

    4冊のうち3冊がGHQによって焚書処分された『我が闘争』の目次 前回の記事で、ヒットラーの『我が闘争』は 東亜研究所版の4冊のうち「第1巻 上」を除く3冊が焚書処分されていて、「第2巻 上」だけが国立国会図書館でネット公開されていることを書

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