最近は有名観光地は外人観光客が多すぎるので敬遠して、あまり有名でない地方の社寺巡りを楽しんでいるのだが、新緑の季節を迎えたタイミングで滋賀県の米原市や長浜市の古社寺巡りの旅程を立てて、初日は米原市内の寺社を巡って来た。徳源院徳源院 本堂 自...
わが国の歴史は第二次世界大戦後、戦勝国にとって都合の良い歴史に相当書き換えられました。GHQ焚書など戦前の国内外の書物や新聞記事から、歴史の真実を自分なりに探るブログです。
引き続き戦後タブーとされている史実などを考察していく所存です。 著書:『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』
最近は有名観光地は外人観光客が多すぎるので敬遠して、あまり有名でない地方の社寺巡りを楽しんでいるのだが、新緑の季節を迎えたタイミングで滋賀県の米原市や長浜市の古社寺巡りの旅程を立てて、初日は米原市内の寺社を巡って来た。徳源院徳源院 本堂 自...
「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとんどないが、わが国では大正期の終わりから昭和初期にかけて共産主...
本のタイトルに「日記」「日誌」を含むGHQ焚書 『戦影日記』『僕らの戦争日記』
GHQ焚書リストから「日記」をキーワードにして絞り込むと二十点が引っかかり、「日誌」では十三点がひっかかった。「日記」の多くは自らの戦争体験を綴ったものだが、中には満州や支那の旅行日記もあれば、タイトルは「日記」でも小説に分類すべき作品も存...
わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に石油の生産が行われており、国内生産量は2022年で41万キロリットルで国内消費量の0.3%程度で、1年のうちわずか一日分程度が自給できて...
本のタイトルに「詩」を含むGHQ焚書 『遠征と詩歌』『われら戦う:ナチスドイツ青年詩集』
GHQ焚書リストの中から、本のタイトルに「詩」を含む本を絞り込むと、「詩集」が多いことは当然であるが、自らの戦争体験を綴った日本兵士の作品もあれば、ドイツ兵の詩集や、幕末の志士の詠んだ漢詩を集めて評釈している本、タイ国の風物詩など様々である...
政府が欧風化を推進した文明開化の時代に、国産品を奨励した僧侶・佐田介石
技術進歩の激しい時代には、新技術をいち早く導入した者が、多くの人々の仕事を奪い取って失業させることになる。それはある程度やむを得ないものではあるのだが、その変化が激しすぎると各地で内乱が起こるなどして社会が不安定になりかねない。 教科書など...
本のタイトルに「歌」を含むGHQ焚書 『短歌戦記』『民族解放の歌』
GHQ焚書リストから、タイトルに「歌」を含むものを絞ってみると、多くが短歌集で、中には兵士が詠んだ秀逸な作品を集めて解説している本もあれば、軍歌を収録した本もあり、南方民族の歌の歌詞を訳して紹介している本もある。またアジアが欧米に侵略され、...
明治の初めのころ「文明開化」の名のもとに、わが国で極端な欧化主義的な考え方が支配したことはこのブログで何度か書いてきた。 わが国が近代国家として西欧に対抗するためには、西欧の技術や科学や文化などをそのまま取り込んで自分のものとして利用してい...
GHQが焚書処分した俳句の本 『新戦場俳句と作法』『俳句と戦線』
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
GHQが焚書処分した俳句の本 『新戦場俳句と作法』『俳句と戦線』
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
GHQが焚書処分した俳句の本 『新戦場俳句と作法』『俳句と戦線』
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
伊藤博文・井上馨が主導する鹿鳴館外交を正面から批判した谷干城
鹿鳴館外交を推進した伊藤博文と井上馨 明治政府が採用した欧化政策のなかで、最も極端であったのは鹿鳴館の舞踏会騒ぎであった。 明治十六年(1883年)八月に伊藤博文がヨーロッパ諸国の諸制度を調べる外遊から帰国すると、太政官制度を廃止して内閣制...
日本語、国語に関するGHQ焚書 『日本語の世界化』『大東亜共栄圏と国語政策』
GHQ焚書リストの中には、なぜこのような本を焚書処分したのかと思うようなタイトルの本が少なからず存在する。軍事のことを書いたわけではなく思想書でもない本の多くが焚書処分されているのだが、「日本語」に関する本まで多くが焚書処分にされていること...
日本語、国語に関するGHQ焚書 『日本語の世界化』『大東亜共栄圏と国語政策』
GHQ焚書リストの中には、なぜこのような本を焚書処分したのかと思うようなタイトルの本が少なからず存在する。軍事のことを書いたわけではなく思想書でもない本の多くが焚書処分されているのだが、「日本語」に関する本まで多くが焚書処分にされていること...
桜の季節になると有名な、観光地はどこも観光客が多すぎて心静かに桜を鑑賞できないところが多いため、毎年なるべく観光客の少ない所を選んで旅程を組むようにしているのだが、今年訪れた大原野は素晴らしい桜を静かに楽しむことが出来た。勝持寺と願徳寺勝持...
日本精神に関するGHQ焚書 『自然景観より観たる日本精神』『日本精神と我が国土』『日本精神読本』
戦前・戦中には「日本精神」に関する書籍が多数出版されており、その多くがGHQによって焚書処分されている。「日本精神」という言葉にはかつては結構深い意味を含んでいたようだが、戦後の日本人は本来の「日本精神」を理解しないままに過ごして来ているよ...
日本精神に関するGHQ焚書 『自然景観より観たる日本精神』『日本精神と我が国土』『日本精神読本』
戦前・戦中には「日本精神」に関する書籍が多数出版されており、その多くがGHQによって焚書処分されている。「日本精神」という言葉にはかつては結構深い意味を含んでいたようだが、戦後の日本人は本来の「日本精神」を理解しないままに過ごして来ているよ...
日本精神に関するGHQ焚書 『自然景観より観たる日本精神』『日本精神と我が国土』『日本精神読本』
戦前・戦中には「日本精神」に関する書籍が多数出版されており、その多くがGHQによって焚書処分されている。「日本精神」という言葉にはかつては結構深い意味を含んでいたようだが、戦後の日本人は本来の「日本精神」を理解しないままに過ごして来ているよ...
改暦の詔書下る『新聞集成明治編年史 第一卷』p.512 明治政府が太政官布告第三百三十七号『太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス』を出した日付は明治五年(1872年)十一月九日のことなのだが、それによると「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候...
臣道に関するGHQ焚書 『臣道読本』『日本臣道の本義』『臣民の道』
GHQ焚書リストの中には日本人の生きる姿勢や心構えに関する書籍が少なからず存在する。前々回及び前回に「武士道」及び「武道」に関するGHQ焚書を採り上げたが、今回は「臣道しんどう」(臣民の道)に関するGHQ焚書を紹介させていただくことにしたい...
臣道に関するGHQ焚書 『臣道読本』『日本臣道の本義』『臣民の道』
GHQ焚書リストの中には日本人の生きる姿勢や心構えに関する書籍が少なからず存在する。前々回及び前回に「武士道」及び「武道」に関するGHQ焚書を採り上げたが、今回は「臣道しんどう」(臣民の道)に関するGHQ焚書を紹介させていただくことにしたい...
臣道に関するGHQ焚書 『臣道読本』『日本臣道の本義』『臣民の道』
GHQ焚書リストの中には日本人の生きる姿勢や心構えに関する書籍が少なからず存在する。前々回及び前回に「武士道」及び「武道」に関するGHQ焚書を採り上げたが、今回は「臣道しんどう」(臣民の道)に関するGHQ焚書を紹介させていただくことにしたい...
郵便事業を創始した前島密は飛脚屋の失業対策まで考え抜いていた
郵便事業が開始される前は飛脚が信書を運んでいた 前回記事で明治時代の電信業の始まりの苦労について書いたが、今回は郵便事業の始まりについて書くことにしたい。 明治政府が郵便事業を開始したのは明治三年(1870年)のことなのだが、それ以前に信書...
前回の「GHQ焚書」で、武士道に関するGHQ焚書を紹介させていただいたが、剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではな...
前回の「GHQ焚書」で、武士道に関するGHQ焚書を紹介させていただいたが、剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではな...
前回の「GHQ焚書」で、武士道に関するGHQ焚書を紹介させていただいたが、剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではな...
電信工事に対する民衆の妨害活動や流言飛語に手を焼いた明治政府
ペリーが徳川将軍に贈った電信機 前回の「歴史ノート」で、嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に横浜で汽車の模型を動かしたところ、幕府の役人が子どものように喜んだことを書いたが、ペリーは同時に電信機のデモンストレーションをも実...
武士道等に関するGHQ焚書 『武士道と武士訓』『武士道と日本民族』
「武士道」をキーワードにしてGHQ焚書リストを調べると、結構多くの書籍が引っかかる。よく似た言葉に「士道」という言葉があり、多少ニュアンスは異なるが、ほぼ「武士道」と同様な意味で用いられるようなので、それらを加えると「武士道」に関するGHQ...
武士道等に関するGHQ焚書 『武士道と武士訓』『武士道と日本民族』
「武士道」をキーワードにしてGHQ焚書リストを調べると、結構多くの書籍が引っかかる。よく似た言葉に「士道」という言葉があり、多少ニュアンスは異なるが、ほぼ「武士道」と同様な意味で用いられるようなので、それらを加えると「武士道」に関するGHQ...
武士道等に関するGHQ焚書 『武士道と武士訓』『武士道と日本民族』
「武士道」をキーワードにしてGHQ焚書リストを調べると、結構多くの書籍が引っかかる。よく似た言葉に「士道」という言葉があり、多少ニュアンスは異なるが、ほぼ「武士道」と同様な意味で用いられるようなので、それらを加えると「武士道」に関するGHQ...
沸騰した反対論に打ち克ち、東京横浜間に蒸気機関車を走らせた大隈重信
ペリーが持ち込んだ汽車の模型 嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に、横浜で汽車の模型を動かしたところ幕府の役人たちが、まるで子供のように喜んだことがペリーの『日本遠征記』に残されている。ペリー 小さい機関車と、客車と炭水車...
寿長生すないの郷さと 梅が咲いているのを期待して寿長生の郷(滋賀県大津市大石龍門4-2-1)を三月七日に訪れたのだが、今年は寒い日が続いたので紅梅が少し咲いているだけで、残念ながら白梅はまだ蕾の状態であった。見頃を迎えるのはおそらく三月中旬...
大日本帝国憲法が発布された日に初代文部大臣・森有禮が暗殺された事情
西欧文明に傾倒した森有禮 森有禮もりありのりは弘化四年(1847年)に薩摩藩士森喜右衛門の五男として生まれ、元治元年(1864年)より藩の洋学校である開成所に入学して英学講義を受講し、翌年には薩摩藩の第一次英国留学生として五代友厚らとともに...
神道関連のGHQ焚書 『海外神社の史的研究』『神道と日本精神』
神道関連の書籍は大型書店に行ってもわずかしか並んでいないのだが、戦前戦中には結構多くの書籍が出ていて、その多くがGHQによって焚書処分されている。よく似た内容のものが少なくないが、ユニークな研究も存在するので、そのうちの2点を紹介させていた...
神道関連のGHQ焚書 『海外神社の史的研究』『神道と日本精神』
神道関連の書籍は大型書店に行ってもわずかしか並んでいないのだが、戦前戦中には結構多くの書籍が出ていて、その多くがGHQによって焚書処分されている。よく似た内容のものが少なくないが、ユニークな研究も存在するので、そのうちの2点を紹介させていた...
神道関連のGHQ焚書 『海外神社の史的研究』『神道と日本精神』
神道関連の書籍は大型書店に行ってもわずかしか並んでいないのだが、戦前戦中には結構多くの書籍が出ていて、その多くがGHQによって焚書処分されている。よく似た内容のものが少なくないが、ユニークな研究も存在するので、そのうちの2点を紹介させていた...
鹿鳴館時代に提出された条約改正案は欧米に媚びる内容で世論の大反対を受けた
前回の「歴史ノート」で、明治の初期から極端な欧化政策が採られて、その最もひどかった時代が鹿鳴館ろくめいかん時代であることを書いた。 鹿鳴館は明治政府が薩摩藩邸の跡地に建てることを決定し、明治十六年(1883年)十一月二十八日に落成した建物で...
中国思想に関するGHQ焚書 『儒教と我が国の徳教』、『孫子』
中国思想に関するGHQ焚書を探してみると、中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)に現れた諸子百家に関するものばかりで、大半は孔子が創始した儒教、あるいは孫子の兵法に関する書物である。孫子が焚書処分されたのは理解できるのだが、孔...
中国思想に関するGHQ焚書 『儒教と我が国の徳教』、『孫子』
中国思想に関するGHQ焚書を探してみると、中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)に現れた諸子百家に関するものばかりで、大半は孔子が創始した儒教、あるいは孫子の兵法に関する書物である。孫子が焚書処分されたのは理解できるのだが、孔...
中国思想に関するGHQ焚書 『儒教と我が国の徳教』、『孫子』
中国思想に関するGHQ焚書を探してみると、中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)に現れた諸子百家に関するものばかりで、大半は孔子が創始した儒教、あるいは孫子の兵法に関する書物である。孫子が焚書処分されたのは理解できるのだが、孔...
極端な欧化主義でわが国の伝統文化や景観破壊を推進した政治家は誰か
極端な欧化主義が推進された 文芸評論家の高須梅渓が大正九年に上梓した『明治大正五十三年史論』によると、廃藩置県以降の明治政府は、復古的、保守的ではなく、むしろ革新的、進歩的に動いたと指摘したあと、次のように述べている。 当時に於ける革新的、...
『シャカ』 仏教に関するGHQ焚書を探していると、仏教の開祖である釈迦に関する子供用の絵本がリストにあるのに驚いた。この絵本は講談社が「大東亜の偉人」を集めたシリーズの中の1冊で、全10冊のすべての作品がGHQによって焚書処分されていること...
『シャカ』 仏教に関するGHQ焚書を探していると、仏教の開祖である釈迦に関する子供用の絵本がリストにあるのに驚いた。この絵本は講談社が「大東亜の偉人」を集めたシリーズの中の1冊で、全10冊のすべての作品がGHQによって焚書処分されていること...
『シャカ』 仏教に関するGHQ焚書を探していると、仏教の開祖である釈迦に関する子供用の絵本がリストにあるのに驚いた。この絵本は講談社が「大東亜の偉人」を集めたシリーズの中の1冊で、全10冊のすべての作品がGHQによって焚書処分されていること...
文明開化とその反動 前回の「歴史ノート」で、歴史学者・徳重浅吉が、明治政府は「御一新の名によって嵐の如く旧物を破壊し尽くしたかの観さえある」と書いていることを紹介した。 『文明開化』の時代に、政府は日本土着の習俗や信仰などを「悪弊」「旧習」...
イスラム教に関するGHQ焚書 『大東亜の回教徒』『回々教大観』
イスラム教は七世紀にマホメットが創始した宗教で「マホメット教」と呼ばれることもあるが、漢字圏では古くから「回教」あるいは「回々フィフイ教」と呼ばれて来た。わが国では最近では「イスラム教」と呼ばれることが最も多く、「回教」と呼ばれることは少な...
イスラム教に関するGHQ焚書 『大東亜の回教徒』『回々教大観』
イスラム教は七世紀にマホメットが創始した宗教で「マホメット教」と呼ばれることもあるが、漢字圏では古くから「回教」あるいは「回々フィフイ教」と呼ばれて来た。わが国では最近では「イスラム教」と呼ばれることが最も多く、「回教」と呼ばれることは少な...
イスラム教に関するGHQ焚書 『大東亜の回教徒』『回々教大観』
イスラム教は七世紀にマホメットが創始した宗教で「マホメット教」と呼ばれることもあるが、漢字圏では古くから「回教」あるいは「回々フィフイ教」と呼ばれて来た。わが国では最近では「イスラム教」と呼ばれることが最も多く、「回教」と呼ばれることは少な...
旧来の伝統や文化を廃止しようとした政府と、それに抵抗した人々
欧化主義的実利思想 文芸評論家の高須梅渓が大正九年に上梓した『明治大正五十三年史論』に、廃藩置県以降の政治について次のように記している。 廃藩置県後における政府の事業は、復古的、保守的よりも、むしろ革新的、進歩的の色彩を多量に帯びていた。祭...
キリスト教に関するGHQ焚書 『支那事変とローマ教皇庁』、『満州帝国とカトリック教』
『支那事変とローマ教皇庁』GHQ焚書の中でキリスト教に関係する本は決して多くはないのだが、いずれの本も戦後の史書には書かれていないような情報が満載で、戦後に出回っている史書とは全く異なる視点を提供してくれる。ピウス十一世 例えば『支那事変と...
キリスト教に関するGHQ焚書 『支那事変とローマ教皇庁』、『満州帝国とカトリック教』
『支那事変とローマ教皇庁』GHQ焚書の中でキリスト教に関係する本は決して多くはないのだが、いずれの本も戦後の史書には書かれていないような情報が満載で、戦後に出回っている史書とは全く異なる視点を提供してくれる。ピウス十一世 例えば『支那事変と...
キリスト教に関するGHQ焚書 『支那事変とローマ教皇庁』、『満州帝国とカトリック教』
『支那事変とローマ教皇庁』GHQ焚書の中でキリスト教に関係弟る本は決して多くはないのだが、いずれの本も戦後の史書には書かれていないような情報が満載で、戦後に出回っている史書とは全く異なる視点を提供してくれる。ピウス十一世 例えば『支那事変と...
急激な洋装の普及 江戸時代の日本人は、髪を結い和服を着て下駄や草履を履くのが当たり前であったのだが、それが急激に洋装に変化したのが明治の初期のことである。 和装のままでも生活に支障があわけではなかったと思うのだが、周囲の人々の洋装化が進んで...
「文化」「文明」に関するGHQ焚書 『日本文化の支那への影響』
『日本文化の支那への影響』 GHQ焚書のリストの本のタイトル・副題を「文化」「文明」というキーワードで絞り込むと、73点の図書が引っかかったのだが、タイトルがユニークであったので『日本文化の支那への影響』という本の冒頭を読み始めて驚いた。あ...
「文化」「文明」に関するGHQ焚書 『日本文化の支那への影響』
『日本文化の支那への影響』 GHQ焚書のリストの本のタイトル・副題を「文化」「文明」というキーワードで絞り込むと、73点の図書が引っかかったのだが、タイトルがユニークであったので『日本文化の支那への影響』という本の冒頭を読み始めて驚いた。あ...
五箇条の御誓文 慶応四年(1868)三月十四日、明治天皇は京都御所の紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、明治維新の基本方針である「五箇条の御誓文」を神前に奉読され、その場に伺候する全員が署名した。幟仁親王が揮毫した御誓文の原本 Wikiped...
「思想」に関するGHQ焚書 『アジア民族の中心思想』、『思想戦経済戦』
生存競争か、共存共栄か高楠順次郎 『思想』をキーワードにして面白そうなGHQ焚書を探していると、『アジア民族の中心思想 インド篇』という本が目に入った。著者の高楠順次郎は、明治時代から昭和初期にかけて活躍した仏教学者・インド学者で、東京帝国...
デジタル歴史データ探索のすすめ その3 出版された新聞記事集の使い方
「神戸大学新聞記事文庫」以外の新聞記事探索 前回は「神戸大学新聞記事文庫」の検索を用いて歴史を探索する方法を中心に書いたが、このデータベースの最大の弱点は、当時の経済学・経営学研究者にとって興味深いと判断された記事が中心なので、戦争や大事件...
デジタル歴史データ探索のすすめ その2 「神戸大学新聞記事文庫」の使い方
前回は「国立国会図書館デジタルコレクション」の全文検索を用いて歴史データを探索する方法を中心に書いたが、今回は「神戸大学新聞記事文庫」の全文検索を用いて調べる方法について書くこととしたい。神戸大学新聞記事文庫について 最初に、簡単に「神戸大...
デジタル歴史データ探索のすすめ その1 「国立国会図書館デジタルコレクション」の使い方
図書館で調べることの限界 過去の事件や人物について詳しく調べたい時にどうやって関連書物や新聞記事を探し出しているのかと質問されたことがある。その方は、私が市販の書籍やネットの検索などではなかなか知り得ないような内容を記事にしているのが不思議...
誤った日支親善 前回は支那の暴動に巻き込まれて在留邦人が掠奪され暴行されても、支那との融和を説いた幣原喜重郎外相の「軟弱外交」を須藤理助が痛烈に批判している文章を紹介させていただいたが、わが国が当時の支那と融和を図ろうにもこの国では十数年来...
戦前戦中は支那の実態が詳しく報道されていた 前回に引き続き須藤理助の『満蒙は併合せよ : 附・南支問題の真相』の一部を紹介させていただく。念のために書いておくが、当時の支那には多くの日本人が居住していて、大手新聞各社も特派員を派遣しており、...
新年 あけましておめでとうございます。 旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。 何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コメント欄やメールなどで貴重な情報...
『創造の民・日本民族』豊沢豊雄 Wikipediaより 最近ではあまり聞かなくなったが、昔は「日本人は科学でも政治でも教育でも宗教でも芸術でも、日本人は外国の模倣ばかりで創造力に乏しい」とよく言われていたし、戦前でも同様であったようだ。とこ...
前回はGHQ焚書の須藤理助『満蒙は併合せよ:南支問題の真相』の中から、支那軍に関する部分を紹介させていただいた。支那兵に関しては興味深い話が他にもいくつも記されているのだが、今回は支那の統治機構の実態について書かれている部分を少しばかり紹介...
GHQ焚書リストの中で支那大陸に住んで長い間活動をしていた人物の著作を探していたら、たまたま須藤理助の著書『満蒙は併合せよ: 附・南支問題の真相』という本が見つかった。 須藤理助は日露戦争の時に陸軍軍医中尉として支那に渡り、終戦後も何度も支...
GHQ焚書の中から「資源」をキーワードにして本を探すと、様々な国の様々な資源について個別具体的に詳述している本が多いのだが、少年少女向けに書かれた『軍需資源読本』という本は非常にわかりやすく読みやすいので少し紹介させていただく。軍需産業読本...
張学良はなぜ山海関事件を起こしたか 前回の「歴史ノート」で、一九三二年十一月二十一日から開催された満州問題に関する国際連盟理事会においてり日本全権松岡洋右との論戦に勝てず、英仏が日本を支持する側に廻ったことを不満とした支那が、国際連盟に参加...
日本精糖業の父・鈴木藤三郎の伝記『銃眼のある工場』 GHQ焚書のリストから「鉱(業)」あるいは「工(業)」に関する本を探していると『銃眼のある工場』という本が引っかかった。題名が気になったので少し読んでみると、「日本精糖業の父」と言われる鈴...
前回の「歴史ノート」で、一九三一年のアメリカの対支輸出額が、それまで首位であった我が国を抜いて一位になったことを書いた。このことは支那で行われた日貨排斥運動がなければなし得なかったのだが、その運動に裏で英米が関与していた可能性がかなり高いこ...
萬徳寺 前回の記事で紹介させていただいた若狭彦神社から東に800m程度のところに真言宗の萬徳寺(小浜市金谷74-23)がある。この寺はこの地に以前からあった極楽寺を南北朝時代に再興して正照院に改称し、戦国時代に若狭国を治めた若狭武田氏が当寺...
若狭湾に面した福井県の小浜市には千年以上の歴史を持つ神社や仏閣がいくつもあり、国宝や国の重要文化財に指定されている建物や仏像が多数現存し、しかも昔の人と同じように古いお堂の中で仏像が間近に拝観することが出来る古刹が少なくない。 京都や奈良に...
北洋漁業のこと 『北洋物語:漁業日本』 農業・漁業に関するGHQ焚書を調べているたときに、大正中期から戦中期にかけて漁業でソ連と深刻な問題が発生していたことに気が付いたので、今回は『北洋物語:漁業日本』という本の一部を紹介したい。著者の竹村...
国際経済戦の中で行われた支那排日 前回の「歴史ノート」で、昭和七年一月に第一次上海事変が起きるまでの支那の排日運動の状況について書いたが、この事変が起きたことで再び排日運動が活発化することになる。 戦後の歴史叙述では支那排日が英米の動きと
GHQ焚書リストの中から商業・貿易に関する著作を抽出してみた。平和な時代であればこのジャンルの書物は実務的な記述が中心にならざるを得ないが、国際情勢が悪化して戦争が近づいてきたり、わが国も戦争に巻き込まれるとなると、商業や貿易も自由な活動が
前回の「歴史ノート」で、昭和六年に柳条湖事件が起きてわが国は満州事変に巻き込まれて行くのだが、支那の排日貨運動再び激しくなりより徹底化される一方、支那はソ連や英米に接近して日本を孤立化させ消耗させようと動き、その背後には英米が動いていて、彼
「産業戦士」の少女の作文 GHQ焚書リストの中から「産業」という言葉をタイトルに含む本を抽出してみると、「産業戦士」や「産業少女」という言葉を含む書籍が何点か引っかかったのが気になった。 私の親の世代は学生時代に学徒動員で工場や農村で働い
一面抵抗、一面交渉 前回の歴史ノートで満州事件のきっかけとなった柳条湖事件が起きるまでの支那の排日運動がいかなるものであったかについて述べて来たのだが、満州事変以降は支那の排日運動が大きく変化することになる。 長野朗は支那の民族運動を三期
慈光院 矢田丘陵の松尾寺を離れて慈光院(大和郡山市小泉町865)に向かう。駐車場は境内西側の細い道を上りきったところにある。 この寺は大和小泉藩第二代藩主の片桐貞昌が父・貞隆の菩提寺として大徳寺の玉舟和尚を開山に迎えて建立した寺である。片
矢田坐久志玉比古やたにいますくしたまひこ神社 宿をチェックアウトして奈良盆地の北西に位置する矢田やた丘陵に向かう。法隆寺は矢田丘陵の南山麓に位置しているのだが、この丘陵にはほかにも古い神社や寺がいくつかあり、以前から法隆寺方面に行くときに
前回は世界遺産の法隆寺・法起寺および中宮寺、法輪寺のことを書いたが、斑鳩町にはほかにも由緒ある著名な神社や寺、古墳が存在し、貴重な文化財が数多く残されている。 藤ノ木古墳 法隆寺西側の集落を抜けたところに藤ノ木古墳(国史跡、斑鳩町法隆寺西
以前何度か奈良を訪ねたことがあるのだが、教科書に出てくるような有名な寺社しか訪問できていなかったので、斑鳩いかるが町にある法隆寺とその近辺の寺社を巡ることにした。下の地図は「なら旅ネット」のサイトからダウンロードができる。 「斑鳩の里 三塔
『神道・仏道・皇道・臣道を聖徳太子十七条憲法によりて語る』 GHQ焚書リストの中から、憲法や法学に関する本を探すと、聖徳太子が書いた憲法に関する著作が四点もあるのに驚いてしまった。なぜ聖徳太子について書かれた本がGHQに焚書処分されたのか
大正八年(1919年)の排日運動 前回の歴史ノートで西安事件で蒋介石が張学良に拉致されたあと第二次国共合作が成立したことを書いたが、今回はそれまでの排日運動で実際にどのようなことが起こっていたかについて、当時の記録を紹介しながらまとめるこ
GHQ焚書リストの中から外交に関する書籍を読んでみると、戦後出版された書物やマスコミ等では触れられていない話題が満載である。少年少女を対象に刊行された本も読んでみるとなかなか面白い。 古代における帰化人の活躍 帰化人 秦河勝 『前賢故実』よ
前回の「歴史ノート」で支那の排日運動が始まって以降日貨排斥が行われることになり、そのやり方が次第に過激になっていったことを述べたが、昭和十年(1935年)以降になると排日運動は次第に局面が変わっていくことになる。 北支問題を契機に抗日運動が
「経済」とは、社会に於いて財・サービスの生産・流通・消費活動を調整するシステムを言い、その調整は貨幣を通じて行われるものである。戦後平和な時代が長く続いたわが国では、「経済」や「財政」・「金融」に関する本が数多く出版されてベストセラーになる
伊和都比売神社ときらきら坂 赤穂旅行の二日目の早朝に旅館のすぐ近くの伊和都比売いわつひめ神社(赤穂市御崎1)を訪ねる。 伊和都比売神社 拝殿 この神社は平安時代の延喜式神名帳で赤穂郡三座の筆頭に記されている古社で、御祭神は伊和都比売大神で
兵庫県赤穂市は三十年ほど前に友人の家族と一緒に旅行して赤穂城跡を訪ねたこと以外はあまり覚えていないのだが、赤穂周辺で行きたい場所がいくつかあったので、旅程を組んで行ってきた。 赤穂城跡と大石神社 最初に赤穂城跡(赤穂市上仮屋1424-1)
前回の「歴史ノート」で支那の排日運動が始まったのは大正八年(1919年)で、当時北京の支那人の家に下宿した長野朗の『支那三十年』(GHQ焚書)によると、初期における支那の排日運動の背後には英米が動いていたことなどを紹介させていただいた。 次
竹田安次 著 『政党の罪悪と議会制度の刷新』 GHQ焚書リストの中から政治に関する書籍やパンフレットを検索していくと、全部で236点見つけることが出来た。その中から、今回は『政党の罪悪と議会制度の刷新』という本の一部を紹介したい。著者の竹
五四運動から支那の排日運動が始まった 支那の排日運動が本格化したのは大正八年(1919年)からなのだが、中国研究者の長野朗が昭和十七年に著した『支那三十年』に、支那で排日運動が起こった事情が記されている。長野は当時北京の中国人の家に一人で
GHQ焚書の中に世界全体を俯瞰的に論じている本が少なからず存在するので、焚書リストから「世界」「国際」をキーワードにして抽出することを試みたのだが、世界情勢を論じている本から世界観や世界の軍事・戦争・政治・経済・文化等を論じている本、あるい
わが国が国際連盟を脱退した経緯⑧ その後の張学良・蒋介石の動き
総会決議前後の張学良の動き 前回の記事で一九三三年二月二十四日に国際連盟総会において松岡洋右が最後の演説を行い、そのあとで満州問題に関する報告書草案の採決が行われ、賛成四十二票、反対一票で可決されたことを書いた。草案には、国際連盟は満州の
「太平洋」、「南洋」、「南方」の周辺諸国 「太平洋」はユーラシア、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれる世界最大の海洋を言うが、この太平洋の周辺部や海洋に点在する島々に関するGHQ焚書はかなり多い。 戦後に刊行されたタイトル
前回に引き続き、一九三三年二月二十四日に開かれた国際連盟特別総会に於ける、報告書草案採決直前の松岡の最後の演説の紹介を続けることしたい。 国際連盟の満州認識について 松岡はリットン報告書における満州理解の誤りについて以下のように述べている
「東洋」「アジア」「(大)東亜」の違い 「東洋」は「西洋」の対概念であるが、指し示す地域は本によって異なり、トルコから東のアジア全域を含むケースもあれば中東を除くケースなど様々であるが、一般的には東アジア、東南アジア、南アジアの地域を指す
わが国が国際連盟を脱退した経緯⑥ 総会を意識した張学良の動きと最後の松岡演説前半
運命の国連総会の日が決まる 前回の「歴史ノート」で、昭和八年の正月以降の支那やアメリカ、国連事務局等の動きを書いたが、アメリカが圧力をかけたことで国際連盟の委員会の流れが一気に変わり、満州国を承認しない方向に傾いていったことを書いた。 「
戦前・戦中期の「第一次世界大戦」の呼称 GHQ焚書のリストの中には、本のタイトルに国名ではなく「欧州(ヨーロッパ)」「欧米」「西洋」という言葉を用いて、ヨーロッパ全体や西洋全体の歴史や政治情勢などを俯瞰して論じている本が少なからず存在する
わが国が国際連盟を脱退した経緯⑤ 山海関事件とアメリカの干渉で流れが変わった
山海関事件 「神戸大学新聞記事文庫」外交122-3 前回の「歴史ノート」で、一九三二年十二月八日の国際連盟総会における松岡洋右の演説とその直後の支那の動きを書いたのだが、一九三三年の正月早々に万里の長城の東端の山海関さんかいかんにある日本
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最近は有名観光地は外人観光客が多すぎるので敬遠して、あまり有名でない地方の社寺巡りを楽しんでいるのだが、新緑の季節を迎えたタイミングで滋賀県の米原市や長浜市の古社寺巡りの旅程を立てて、初日は米原市内の寺社を巡って来た。徳源院徳源院 本堂 自...
「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとんどないが、わが国では大正期の終わりから昭和初期にかけて共産主...
GHQ焚書リストから「日記」をキーワードにして絞り込むと二十点が引っかかり、「日誌」では十三点がひっかかった。「日記」の多くは自らの戦争体験を綴ったものだが、中には満州や支那の旅行日記もあれば、タイトルは「日記」でも小説に分類すべき作品も存...
わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に石油の生産が行われており、国内生産量は2022年で41万キロリットルで国内消費量の0.3%程度で、1年のうちわずか一日分程度が自給できて...
GHQ焚書リストの中から、本のタイトルに「詩」を含む本を絞り込むと、「詩集」が多いことは当然であるが、自らの戦争体験を綴った日本兵士の作品もあれば、ドイツ兵の詩集や、幕末の志士の詠んだ漢詩を集めて評釈している本、タイ国の風物詩など様々である...
技術進歩の激しい時代には、新技術をいち早く導入した者が、多くの人々の仕事を奪い取って失業させることになる。それはある程度やむを得ないものではあるのだが、その変化が激しすぎると各地で内乱が起こるなどして社会が不安定になりかねない。 教科書など...
GHQ焚書リストから、タイトルに「歌」を含むものを絞ってみると、多くが短歌集で、中には兵士が詠んだ秀逸な作品を集めて解説している本もあれば、軍歌を収録した本もあり、南方民族の歌の歌詞を訳して紹介している本もある。またアジアが欧米に侵略され、...
明治の初めのころ「文明開化」の名のもとに、わが国で極端な欧化主義的な考え方が支配したことはこのブログで何度か書いてきた。 わが国が近代国家として西欧に対抗するためには、西欧の技術や科学や文化などをそのまま取り込んで自分のものとして利用してい...
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
鹿鳴館外交を推進した伊藤博文と井上馨 明治政府が採用した欧化政策のなかで、最も極端であったのは鹿鳴館の舞踏会騒ぎであった。 明治十六年(1883年)八月に伊藤博文がヨーロッパ諸国の諸制度を調べる外遊から帰国すると、太政官制度を廃止して内閣制...
GHQ焚書リストの中には、なぜこのような本を焚書処分したのかと思うようなタイトルの本が少なからず存在する。軍事のことを書いたわけではなく思想書でもない本の多くが焚書処分されているのだが、「日本語」に関する本まで多くが焚書処分にされていること...
GHQ焚書リストの中には、なぜこのような本を焚書処分したのかと思うようなタイトルの本が少なからず存在する。軍事のことを書いたわけではなく思想書でもない本の多くが焚書処分されているのだが、「日本語」に関する本まで多くが焚書処分にされていること...
桜の季節になると有名な、観光地はどこも観光客が多すぎて心静かに桜を鑑賞できないところが多いため、毎年なるべく観光客の少ない所を選んで旅程を組むようにしているのだが、今年訪れた大原野は素晴らしい桜を静かに楽しむことが出来た。勝持寺と願徳寺勝持...
戦前・戦中には「日本精神」に関する書籍が多数出版されており、その多くがGHQによって焚書処分されている。「日本精神」という言葉にはかつては結構深い意味を含んでいたようだが、戦後の日本人は本来の「日本精神」を理解しないままに過ごして来ているよ...
戦前・戦中には「日本精神」に関する書籍が多数出版されており、その多くがGHQによって焚書処分されている。「日本精神」という言葉にはかつては結構深い意味を含んでいたようだが、戦後の日本人は本来の「日本精神」を理解しないままに過ごして来ているよ...
戦前・戦中には「日本精神」に関する書籍が多数出版されており、その多くがGHQによって焚書処分されている。「日本精神」という言葉にはかつては結構深い意味を含んでいたようだが、戦後の日本人は本来の「日本精神」を理解しないままに過ごして来ているよ...
改暦の詔書下る『新聞集成明治編年史 第一卷』p.512 明治政府が太政官布告第三百三十七号『太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス』を出した日付は明治五年(1872年)十一月九日のことなのだが、それによると「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候...
GHQ焚書リストの中には日本人の生きる姿勢や心構えに関する書籍が少なからず存在する。前々回及び前回に「武士道」及び「武道」に関するGHQ焚書を採り上げたが、今回は「臣道しんどう」(臣民の道)に関するGHQ焚書を紹介させていただくことにしたい...
満州馬賊の頭領 前回記事の最後に昭和8年(1933年)3月19日から連載された満州日報の武装苦力の話の一部を紹介させていただいたが、支那で匪賊の討伐軍を起こし匪賊の根拠地に向かわせたところ、討伐軍が「匪賊平定」を声明したので確認すると、匪
琿春(こんしゅん)事件 前回の歴史ノートで支那や満州における匪賊(土匪ともいう)について書いたが、多くの日本人が匪賊によって殺害されたことが最初に新聞に報じられたのは、大正九年(1920年)の琿春事件(間島(かんとう)事件ともいう)であろ
前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと
わが国が「満州」の開拓を始めた歴史的経緯 「満州」という言葉は「州」の字が付くことから、地名と誤解されることが多いのだが、中国語では土地の名前ではなく民族名、即ち満州民族を意味している。しかしながら、清国を支配した満州族の居住地域を、英語
戦前のわが国や世界で、満州についてどのように論じられていたか 現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)、及び内蒙古、熱河省を領土として一九三二年(昭和7年)に成立した「満州国」という国が成立したのだが、戦後のわが国においてマスコミや
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)を読み進んでいく。前回は、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会の中で、白柳が「上海と明治維新」という演題で講演した内容の前半で、英仏米の三国が上海に共同租界を建設して支那経略の足掛
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容の一部を紹介させていただく。この本は白柳が雑誌などで発表して来た時局に関する論説を収録したものだが、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会で彼が「上海と明治維新」という演題で講
経済界が日米外交に多大な影響を与えて来た 前回に引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただく。前回は、わが国の外交が経済界の意向を受けてワシントン会議(1921~22年)以降に方針転換がなされたことを書いた
前回記事で大正十年(1921年)のワシントン軍縮条約や昭和三年(1928年)のパリ不戦条約が締結されて以降、わが国の外交当局や新聞記者、思想界が、経済界の意向を受けて軍部を悪しざまに罵るようになり、五・一五事件で軍部の不満が爆発したという内
武士・兵士の生活の途を奪うということ 五・一五事件を報じる東京朝日新聞号外 Wikipediaより 今回も引き続き『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容紹介だが、「五・一五事変の史的考察」との題で書かれた白柳の文章をほぼ全文紹介させていた
文保寺 前回記事で丹波市の桜を紹介させていただいたが、常照寺から丹波篠山市に向かう。丹波篠山市の寺社では高蔵寺が桜の名所として有名だが、枝垂れ桜の開花が遅かったのでパスして文保寺(ぶんぽうじ:丹波篠山市味間南1093)に向かう。 文保寺
桜の季節は人が多すぎるところはなるべく避けて、静かに楽しめる寺や神社に行くようにしているのだが、一昨年も、昨年も桜の季節は病院の中で過ごしたので、今年はあまり無理せずに、自宅からそれほど遠くはない兵庫県丹波市と丹波篠山市を巡ることにした。い
白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)は、早稲田大学文学部哲学科に在学中に堺利彦・幸徳秋水らの影響を受け社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の先駆となる作品をいくつか残したが、大逆事件以後社会主義とは縁を切り、文学ともはなれ、在野の歴史家、
ラウレル政権の正体 ホセ・ラウレル 1943年 前回の記事で、フィリピン第二共和国のホセ・ラウレル大統領は日本の傀儡ではないことを書いたのだが、ラウレルは回顧録を残しており、十月に挙行される建国式典の直前に日本を訪問して東條首相らと会談し
日本軍政時代の写真 前回の記事で、わが国は昭和十八年(1943年)五月の御前会議でフィリピンを独立させることを決定し、十月にホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が誕生したことを書いたが、日本軍によるフィリピン占領からフィリピン
コレヒドール要塞 バターン半島の沖合にコレヒドール島があり、そこにはスペイン統治時代からマニラ湾を守るための要塞が築かれていたのだが、フィリピンがアメリカ領となったのちアメリカはその補強工事を行い、30センチカノン砲8門、30センチ榴弾砲
バターン半島攻略戦 前回記事で1942年3月11日にマッカーサーがフィリピンを脱出したことを書いたが、その後日本軍は砲兵隊、航空部隊を増強し、3月24日から攻撃機によるバターン半島の爆撃が開始され、4月3日から地上部隊による総攻撃が開始さ
フリーメーソンの資格を与えられたマッカーサー 前回の記事で、ダグラス・マッカーサーが一九三五年にフィリピン軍の軍事顧問に就任したことを書いたが、『マッカーサー回想記』を読むとマニラ到着後母が亡くなり、その後フリーメーソンの資格が与えられた
米西戦争から米比戦争 1898年2月、キューバの港ハヴァナで何者かにメイン号が爆破されて多くの死者が出たことをきっかけに、「メイン号を忘れるな!」(リメンバー・ザ・メイン)の戦争国民標語はたちまち全米を風靡して交戦ムードが高まり、アメリカ
笠置寺(かさぎでら)は京都府の南東部にある標高二百八十九メートルの笠置山の山上にある寺で、この寺の境内の修行場をめぐるのが面白いと聞いていたので、先日チャレンジして来た。結構楽しかったので、今回は笠置寺の歴史を交えながら修業場のレポートをす