戦後になってからはユダヤ人研究の書物の出版は極めて少なく、テレビなどでユダヤ人について語られる場合は、いかにユダヤ人が迫害されてきたかという被害者としての側面ばかりが強調され、なぜユダヤ人が世界中で迫害されてきたことについて解説されることは...
わが国の歴史は第二次世界大戦後、戦勝国にとって都合の良い歴史に相当書き換えられました。GHQ焚書など戦前の国内外の書物や新聞記事から、歴史の真実を自分なりに探るブログです。
引き続き戦後タブーとされている史実などを考察していく所存です。 著書:『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』
郵便事業を創始した前島密は飛脚屋の失業対策まで考え抜いていた
郵便事業が開始される前は飛脚が信書を運んでいた 前回記事で明治時代の電信業の始まりの苦労について書いたが、今回は郵便事業の始まりについて書くことにしたい。 明治政府が郵便事業を開始したのは明治三年(1870年)のことなのだが、それ以前に信書...
前回の「GHQ焚書」で、武士道に関するGHQ焚書を紹介させていただいたが、剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではな...
前回の「GHQ焚書」で、武士道に関するGHQ焚書を紹介させていただいたが、剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではな...
前回の「GHQ焚書」で、武士道に関するGHQ焚書を紹介させていただいたが、剣道や柔道などの武道に関する研究書や解説書、指導書などもGHQによって焚書処分されている。処分された理由は武道の技術的な面というよりも、おそらくはその精神的な面ではな...
電信工事に対する民衆の妨害活動や流言飛語に手を焼いた明治政府
ペリーが徳川将軍に贈った電信機 前回の「歴史ノート」で、嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に横浜で汽車の模型を動かしたところ、幕府の役人が子どものように喜んだことを書いたが、ペリーは同時に電信機のデモンストレーションをも実...
武士道等に関するGHQ焚書 『武士道と武士訓』『武士道と日本民族』
「武士道」をキーワードにしてGHQ焚書リストを調べると、結構多くの書籍が引っかかる。よく似た言葉に「士道」という言葉があり、多少ニュアンスは異なるが、ほぼ「武士道」と同様な意味で用いられるようなので、それらを加えると「武士道」に関するGHQ...
武士道等に関するGHQ焚書 『武士道と武士訓』『武士道と日本民族』
「武士道」をキーワードにしてGHQ焚書リストを調べると、結構多くの書籍が引っかかる。よく似た言葉に「士道」という言葉があり、多少ニュアンスは異なるが、ほぼ「武士道」と同様な意味で用いられるようなので、それらを加えると「武士道」に関するGHQ...
武士道等に関するGHQ焚書 『武士道と武士訓』『武士道と日本民族』
「武士道」をキーワードにしてGHQ焚書リストを調べると、結構多くの書籍が引っかかる。よく似た言葉に「士道」という言葉があり、多少ニュアンスは異なるが、ほぼ「武士道」と同様な意味で用いられるようなので、それらを加えると「武士道」に関するGHQ...
沸騰した反対論に打ち克ち、東京横浜間に蒸気機関車を走らせた大隈重信
ペリーが持ち込んだ汽車の模型 嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に、横浜で汽車の模型を動かしたところ幕府の役人たちが、まるで子供のように喜んだことがペリーの『日本遠征記』に残されている。ペリー 小さい機関車と、客車と炭水車...
寿長生すないの郷さと 梅が咲いているのを期待して寿長生の郷(滋賀県大津市大石龍門4-2-1)を三月七日に訪れたのだが、今年は寒い日が続いたので紅梅が少し咲いているだけで、残念ながら白梅はまだ蕾の状態であった。見頃を迎えるのはおそらく三月中旬...
大日本帝国憲法が発布された日に初代文部大臣・森有禮が暗殺された事情
西欧文明に傾倒した森有禮 森有禮もりありのりは弘化四年(1847年)に薩摩藩士森喜右衛門の五男として生まれ、元治元年(1864年)より藩の洋学校である開成所に入学して英学講義を受講し、翌年には薩摩藩の第一次英国留学生として五代友厚らとともに...
神道関連のGHQ焚書 『海外神社の史的研究』『神道と日本精神』
神道関連の書籍は大型書店に行ってもわずかしか並んでいないのだが、戦前戦中には結構多くの書籍が出ていて、その多くがGHQによって焚書処分されている。よく似た内容のものが少なくないが、ユニークな研究も存在するので、そのうちの2点を紹介させていた...
神道関連のGHQ焚書 『海外神社の史的研究』『神道と日本精神』
神道関連の書籍は大型書店に行ってもわずかしか並んでいないのだが、戦前戦中には結構多くの書籍が出ていて、その多くがGHQによって焚書処分されている。よく似た内容のものが少なくないが、ユニークな研究も存在するので、そのうちの2点を紹介させていた...
神道関連のGHQ焚書 『海外神社の史的研究』『神道と日本精神』
神道関連の書籍は大型書店に行ってもわずかしか並んでいないのだが、戦前戦中には結構多くの書籍が出ていて、その多くがGHQによって焚書処分されている。よく似た内容のものが少なくないが、ユニークな研究も存在するので、そのうちの2点を紹介させていた...
鹿鳴館時代に提出された条約改正案は欧米に媚びる内容で世論の大反対を受けた
前回の「歴史ノート」で、明治の初期から極端な欧化政策が採られて、その最もひどかった時代が鹿鳴館ろくめいかん時代であることを書いた。 鹿鳴館は明治政府が薩摩藩邸の跡地に建てることを決定し、明治十六年(1883年)十一月二十八日に落成した建物で...
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戦後になってからはユダヤ人研究の書物の出版は極めて少なく、テレビなどでユダヤ人について語られる場合は、いかにユダヤ人が迫害されてきたかという被害者としての側面ばかりが強調され、なぜユダヤ人が世界中で迫害されてきたことについて解説されることは...
コミンテルン第六回大会の決議内容 「コミンテルン」は「第三インターナショナル」あるいは「国際共産党」とも呼ばれ、世界の共産主義国化のために一九一九年にモスクワで結成された共産主義運動の指導組織であり、日本共産党はコミンテルンの日本支部として...
奈良の神仏分離・廃仏毀釈を考える旅の最後の記事になるが、今回は桜井市の大神おおみわ神社(桜井市三輪1422)を中心に書くことと致したい。大神神社と三輪山大神神社 二の鳥居 大神おおみわ神社はわが国最古の神社の一つとして知られ、御祭神は大物主...
前回の記事で石上神宮と内山永久寺のことを書いたが、今回はその後訪問した談山たんざん神社のことを中心に書くこととしたい。 奈良県桜井市の南方に拡がる山麓一帯を多武峰とおのみねとよぶが、談山神社(奈良県桜井市多武峰319)はその山頂付近にあり、...
以前このブログで奈良の廃仏毀釈や神仏分離について何度か記事を書いたことがある。奈良県は明治九年(1876年)の第二次府県統合で大阪府東部・南部を管轄していた堺県に統合されて「奈良県」の名が地図から消え、さらに明治十四年には堺県が大阪府に編入...
前回記事で、昭和初期のわが国で多くの若者が左翼思想に共鳴し、全国の学校だけでなく軍隊にも赤化工作が行われていたことを書いた。当時は私利私欲で動く政治家が政争を繰り返し、庶民は貧困に喘ぐ状況が続いてマルクスやレーニンの思想に共鳴する若者が多く...
今から五年前に「ユダヤ」関連のGHQ焚書のリストとともに、筈見一郎著『ユダヤ禍の世界』の一部を紹介させていただいたが、当時は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「送信サービス」が開始されておらず、ネットで読むことがかなわなかったのだが、...
前回記事で、小学校から大学まで多くの赤化教員が潜り込んで生徒に左翼思想が拡げられたことなどを書いた。 では、コミンテルンが日本共産党に指令した赤化工作が、実際のところ当時の生徒たちにどの程度の影響を与えたのであろうか。当時の新聞を調べると、...
紀行と旅行記はいずれも旅行に関する記録であるが、紀行は文化や歴史についての情報提供が中心で、旅行記というと個人的な出来事や感想を書いたもので、文章の途中に写真や挿絵などがありそうなイメージがある。今回GHQ焚書リストの中から、本のタイトルか...
前回は一九二八年(昭和三年)の七月から九月にかけてモスクワで第六回コミンテルン大会が開催され、七月には長春、奉天、鉄嶺、安東の日本軍に対して赤化宣伝文書が大量配布されたことが国民新聞に報じられていることを書いた。 しかしながら軍隊の赤化宣伝...
GHQが焚書処分したリストの中から、本のタイトルに「風土(記)」あるいは「風物誌(詩)」を含むものを探してみたが全部で十点が引っかかった。 以前このブログで、支那事変以降に多くの小説家や画家が日本軍に従軍して戦場に向かい、多くの記録を残して...
米原市の湯谷神社を参拝したのち長浜市の須賀谷温泉(長浜市須賀谷町36)で一泊し、長浜市の主な観光地は数年前に長浜曳山祭りを見た際に訪問していたので、二日目は長浜市から米原市に向かって、あまり知られていない古い寺社や博物館などを中心に巡ってき...
最近は有名観光地は外人観光客が多すぎるので敬遠して、あまり有名でない地方の社寺巡りを楽しんでいるのだが、新緑の季節を迎えたタイミングで滋賀県の米原市や長浜市の古社寺巡りの旅程を立てて、初日は米原市内の寺社を巡って来た。徳源院徳源院 本堂 自...
「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとんどないが、わが国では大正期の終わりから昭和初期にかけて共産主...
GHQ焚書リストから「日記」をキーワードにして絞り込むと二十点が引っかかり、「日誌」では十三点がひっかかった。「日記」の多くは自らの戦争体験を綴ったものだが、中には満州や支那の旅行日記もあれば、タイトルは「日記」でも小説に分類すべき作品も存...
わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に石油の生産が行われており、国内生産量は2022年で41万キロリットルで国内消費量の0.3%程度で、1年のうちわずか一日分程度が自給できて...
GHQ焚書リストの中から、本のタイトルに「詩」を含む本を絞り込むと、「詩集」が多いことは当然であるが、自らの戦争体験を綴った日本兵士の作品もあれば、ドイツ兵の詩集や、幕末の志士の詠んだ漢詩を集めて評釈している本、タイ国の風物詩など様々である...
技術進歩の激しい時代には、新技術をいち早く導入した者が、多くの人々の仕事を奪い取って失業させることになる。それはある程度やむを得ないものではあるのだが、その変化が激しすぎると各地で内乱が起こるなどして社会が不安定になりかねない。 教科書など...
GHQ焚書リストから、タイトルに「歌」を含むものを絞ってみると、多くが短歌集で、中には兵士が詠んだ秀逸な作品を集めて解説している本もあれば、軍歌を収録した本もあり、南方民族の歌の歌詞を訳して紹介している本もある。またアジアが欧米に侵略され、...
明治の初めのころ「文明開化」の名のもとに、わが国で極端な欧化主義的な考え方が支配したことはこのブログで何度か書いてきた。 わが国が近代国家として西欧に対抗するためには、西欧の技術や科学や文化などをそのまま取り込んで自分のものとして利用してい...
これまでこのブログで採り上げた中国関連のGHQ焚書 これまで中国に関するGHQ焚書について記事をいくつか書いてきたが、中国に関するGHQ焚書は五百点をはるかに超え、国別のGHQ焚書点数を調べると英米などをはるかに上回り、ぶっちぎりの第一位
リットン調査団の派遣 一九三一年昭和六年九月十八日に満州事変の発端となった柳条湖事件が起きたのだが、その三日後に支那政府は紛争の拡大防止を国際連盟に提訴している。それを受けて国際連盟理事会が開かれたのは九月三十日のことで、この時には支那の
これまで英国関連、米国関連、満州関連の焚書リストを紹介させていただいたが、今回はソ連、ロシア関連のGHQ焚書リストを公開させていただく。これまでこのブログの記事でロシア及びソ連についていろいろ書いてきたが、これまで採り上げさせていただいたG
満州はいつから漢民族が支配するようになったのか 紀元前三世紀に中国を統一した秦の始皇帝は、遊牧民が生活していた満州・蒙古を統一することが出来ず、彼らによる北方からの侵入を防ぐために万里の長城を建設している。このことは二千年前において満州・
これまで英国関連、米国関連の焚書リストを紹介させていただいたが、満州関連のGHQ焚書リストの点数が、英国と米国のGHQ焚書点数を合計した点数したよりも多いというのは、私にとっても意外であった。 GHQが戦後の日本人に読まれないように処分した
張学良軍が総崩れとなった理由 一九三一年九月十八日、奉天から北東に八キロ程の柳条湖で、南満州鉄道の線路が何者かによって爆破された。この付近の警備に当たっていた関東軍守備隊は大隊本部と特殊機関に報告をし、関東軍はこれを張学良率いる東北軍の仕
これまでこのブログで採り上げた米国関連のGHQ焚書 『敵国アメリカの戦争宣伝』(GHQ焚書)を読む3より これまでアメリカに関するGHQ焚書について記事をいろいろ書いてきたが、これまで採り上げた本の記事をブログカード化してみた。今後新たに
柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。 繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一
これまでこのブログで採り上げた英国関連のGHQ焚書 二年前にこのブログの記事で、英国関連のGHQ焚書リストを掲載させていただいたが、その後「国立国会図書館デジタルコレクション」が大幅にリニューアルされて、GHQが焚書処分した本のほとんどが
柿本神社と月照寺 明石市の人丸山の頂上に柿本神社(明石市人丸町1-26)と月照寺(明石市人丸町1-29)がある。明治四年(1871年)の神仏分離令により寺と神社が分離されてしまったのだが、以前は神仏習合で一体であった。 上の画像は柿本神
明石市を観光で訪れる人はあまり多くないと思うのだが、色々調べると結構面白そうな寺や神社などがあるので、先日散策して来た。 御厨神社 最初に訪れたのは明石市二見町東二見1323にある御厨神社(みくりやじんじゃ)。この神社の由緒は火災で記録を
満州における匪賊・共匪との戦い 前回記事で昭和10年ごろに支那共産党が匪賊を取り込んで北支(現在の華北で、河北省、山西省、山東省、河南省)に移動させたことで北支の共産化が進み、一方ソ連も満州の匪賊を取り込んでいて、日本軍が駐留していた満洲
満州馬賊の頭領 前回記事の最後に昭和8年(1933年)3月19日から連載された満州日報の武装苦力の話の一部を紹介させていただいたが、支那で匪賊の討伐軍を起こし匪賊の根拠地に向かわせたところ、討伐軍が「匪賊平定」を声明したので確認すると、匪
琿春(こんしゅん)事件 前回の歴史ノートで支那や満州における匪賊(土匪ともいう)について書いたが、多くの日本人が匪賊によって殺害されたことが最初に新聞に報じられたのは、大正九年(1920年)の琿春事件(間島(かんとう)事件ともいう)であろ
前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと
わが国が「満州」の開拓を始めた歴史的経緯 「満州」という言葉は「州」の字が付くことから、地名と誤解されることが多いのだが、中国語では土地の名前ではなく民族名、即ち満州民族を意味している。しかしながら、清国を支配した満州族の居住地域を、英語
戦前のわが国や世界で、満州についてどのように論じられていたか 現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)、及び内蒙古、熱河省を領土として一九三二年(昭和7年)に成立した「満州国」という国が成立したのだが、戦後のわが国においてマスコミや
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)を読み進んでいく。前回は、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会の中で、白柳が「上海と明治維新」という演題で講演した内容の前半で、英仏米の三国が上海に共同租界を建設して支那経略の足掛
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容の一部を紹介させていただく。この本は白柳が雑誌などで発表して来た時局に関する論説を収録したものだが、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会で彼が「上海と明治維新」という演題で講
経済界が日米外交に多大な影響を与えて来た 前回に引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただく。前回は、わが国の外交が経済界の意向を受けてワシントン会議(1921~22年)以降に方針転換がなされたことを書いた