前回記事で、昭和初期のわが国で多くの若者が左翼思想に共鳴し、全国の学校だけでなく軍隊にも赤化工作が行われていたことを書いた。当時は私利私欲で動く政治家が政争を繰り返し、庶民は貧困に喘ぐ状況が続いてマルクスやレーニンの思想に共鳴する若者が多く...
わが国の歴史は第二次世界大戦後、戦勝国にとって都合の良い歴史に相当書き換えられました。GHQ焚書など戦前の国内外の書物や新聞記事から、歴史の真実を自分なりに探るブログです。
引き続き戦後タブーとされている史実などを考察していく所存です。 著書:『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』
これまでこのブログで採り上げた米国関連のGHQ焚書 『敵国アメリカの戦争宣伝』(GHQ焚書)を読む3より これまでアメリカに関するGHQ焚書について記事をいろいろ書いてきたが、これまで採り上げた本の記事をブログカード化してみた。今後新たに
柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。 繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一
これまでこのブログで採り上げた英国関連のGHQ焚書 二年前にこのブログの記事で、英国関連のGHQ焚書リストを掲載させていただいたが、その後「国立国会図書館デジタルコレクション」が大幅にリニューアルされて、GHQが焚書処分した本のほとんどが
柿本神社と月照寺 明石市の人丸山の頂上に柿本神社(明石市人丸町1-26)と月照寺(明石市人丸町1-29)がある。明治四年(1871年)の神仏分離令により寺と神社が分離されてしまったのだが、以前は神仏習合で一体であった。 上の画像は柿本神
明石市を観光で訪れる人はあまり多くないと思うのだが、色々調べると結構面白そうな寺や神社などがあるので、先日散策して来た。 御厨神社 最初に訪れたのは明石市二見町東二見1323にある御厨神社(みくりやじんじゃ)。この神社の由緒は火災で記録を
満州における匪賊・共匪との戦い 前回記事で昭和10年ごろに支那共産党が匪賊を取り込んで北支(現在の華北で、河北省、山西省、山東省、河南省)に移動させたことで北支の共産化が進み、一方ソ連も満州の匪賊を取り込んでいて、日本軍が駐留していた満洲
満州馬賊の頭領 前回記事の最後に昭和8年(1933年)3月19日から連載された満州日報の武装苦力の話の一部を紹介させていただいたが、支那で匪賊の討伐軍を起こし匪賊の根拠地に向かわせたところ、討伐軍が「匪賊平定」を声明したので確認すると、匪
琿春(こんしゅん)事件 前回の歴史ノートで支那や満州における匪賊(土匪ともいう)について書いたが、多くの日本人が匪賊によって殺害されたことが最初に新聞に報じられたのは、大正九年(1920年)の琿春事件(間島(かんとう)事件ともいう)であろ
前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと
わが国が「満州」の開拓を始めた歴史的経緯 「満州」という言葉は「州」の字が付くことから、地名と誤解されることが多いのだが、中国語では土地の名前ではなく民族名、即ち満州民族を意味している。しかしながら、清国を支配した満州族の居住地域を、英語
戦前のわが国や世界で、満州についてどのように論じられていたか 現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)、及び内蒙古、熱河省を領土として一九三二年(昭和7年)に成立した「満州国」という国が成立したのだが、戦後のわが国においてマスコミや
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)を読み進んでいく。前回は、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会の中で、白柳が「上海と明治維新」という演題で講演した内容の前半で、英仏米の三国が上海に共同租界を建設して支那経略の足掛
幕末期における英米仏三国の動き 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む5
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容の一部を紹介させていただく。この本は白柳が雑誌などで発表して来た時局に関する論説を収録したものだが、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会で彼が「上海と明治維新」という演題で講
日本を弱体化させた資本主義的外交心理 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む4
経済界が日米外交に多大な影響を与えて来た 前回に引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただく。前回は、わが国の外交が経済界の意向を受けてワシントン会議(1921~22年)以降に方針転換がなされたことを書いた
経済界が歪めた戦前の対米外交 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む3
前回記事で大正十年(1921年)のワシントン軍縮条約や昭和三年(1928年)のパリ不戦条約が締結されて以降、わが国の外交当局や新聞記者、思想界が、経済界の意向を受けて軍部を悪しざまに罵るようになり、五・一五事件で軍部の不満が爆発したという内
「五・一五事変の史的考察」 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む2
武士・兵士の生活の途を奪うということ 五・一五事件を報じる東京朝日新聞号外 Wikipediaより 今回も引き続き『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容紹介だが、「五・一五事変の史的考察」との題で書かれた白柳の文章をほぼ全文紹介させていた
文保寺 前回記事で丹波市の桜を紹介させていただいたが、常照寺から丹波篠山市に向かう。丹波篠山市の寺社では高蔵寺が桜の名所として有名だが、枝垂れ桜の開花が遅かったのでパスして文保寺(ぶんぽうじ:丹波篠山市味間南1093)に向かう。 文保寺
桜の季節は人が多すぎるところはなるべく避けて、静かに楽しめる寺や神社に行くようにしているのだが、一昨年も、昨年も桜の季節は病院の中で過ごしたので、今年はあまり無理せずに、自宅からそれほど遠くはない兵庫県丹波市と丹波篠山市を巡ることにした。い
戦前の日本外交は何を誤ってきたのか……白柳秀湖『日本外交の血路』を読む1
白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)は、早稲田大学文学部哲学科に在学中に堺利彦・幸徳秋水らの影響を受け社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の先駆となる作品をいくつか残したが、大逆事件以後社会主義とは縁を切り、文学ともはなれ、在野の歴史家、
ラウレル政権の正体 ホセ・ラウレル 1943年 前回の記事で、フィリピン第二共和国のホセ・ラウレル大統領は日本の傀儡ではないことを書いたのだが、ラウレルは回顧録を残しており、十月に挙行される建国式典の直前に日本を訪問して東條首相らと会談し
日本軍がフィリピン人の親日派から支持を失っていったのはなぜか
日本軍政時代の写真 前回の記事で、わが国は昭和十八年(1943年)五月の御前会議でフィリピンを独立させることを決定し、十月にホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が誕生したことを書いたが、日本軍によるフィリピン占領からフィリピン
コレヒドール要塞 バターン半島の沖合にコレヒドール島があり、そこにはスペイン統治時代からマニラ湾を守るための要塞が築かれていたのだが、フィリピンがアメリカ領となったのちアメリカはその補強工事を行い、30センチカノン砲8門、30センチ榴弾砲
バターン半島攻略戦 前回記事で1942年3月11日にマッカーサーがフィリピンを脱出したことを書いたが、その後日本軍は砲兵隊、航空部隊を増強し、3月24日から攻撃機によるバターン半島の爆撃が開始され、4月3日から地上部隊による総攻撃が開始さ
日本軍のバターン半島攻略戦でフィリピンを脱出したマッカーサー司令官
フリーメーソンの資格を与えられたマッカーサー 前回の記事で、ダグラス・マッカーサーが一九三五年にフィリピン軍の軍事顧問に就任したことを書いたが、『マッカーサー回想記』を読むとマニラ到着後母が亡くなり、その後フリーメーソンの資格が与えられた
米西戦争から米比戦争 1898年2月、キューバの港ハヴァナで何者かにメイン号が爆破されて多くの死者が出たことをきっかけに、「メイン号を忘れるな!」(リメンバー・ザ・メイン)の戦争国民標語はたちまち全米を風靡して交戦ムードが高まり、アメリカ
笠置寺(かさぎでら)は京都府の南東部にある標高二百八十九メートルの笠置山の山上にある寺で、この寺の境内の修行場をめぐるのが面白いと聞いていたので、先日チャレンジして来た。結構楽しかったので、今回は笠置寺の歴史を交えながら修業場のレポートをす
月ケ瀬梅林 そろそろ梅の花が見ごろを迎えたので、二月二十八日に月ケ瀬梅林から柳生の里を散策し、その後柳生街道沿いの寺社を訪ねてきた。 月ケ瀬梅林入り口 月ケ瀬梅林は奈良県の北東の端にあり、京都府や三重県の県境に近い場所なのだが、平成十七
勝利の宣伝 前回に引き続きGHQ焚書である中野五郎の『敵国アメリカの戦争宣伝』の内容を紹介させていただく。 日本軍の真珠湾攻撃直後にルーズヴェルト大統領がどのような発言をしていたかについて、本書には以下のように記されている。 日米開戦直
前回に引き続き中野五郎の『敵国アメリカの戦争宣伝』の内容の一部を紹介させていただく。今回は二回目で、昭和16年(1941年)12月8日未明(アメリカ時間では12月7日午後)に行われた真珠湾攻撃に対して、アメリカではどのように報じられ、ルーズ
アメリカでその戦争宣伝の実態を見て来た中野五郎 宣伝戦関連のGHQ焚書をあたっているときに、中野五郎 著『敵国アメリカの戦争宣伝』という本が目に入った。著者中野五郎は昭和5年に東京帝国大学法学部を卒業後東京朝日新聞社に入り、社会部、仏印特
さらに強くなった排日宣伝と年々減少していった対支輸出 前回は昭和8年の「宣伝戦」に関する新聞記事を採り上げさせていただいたのだが、今回は昭和9年以降の記事をいくつか紹介させていただく。 昭和8年にわが国は国際連盟を脱退したのだが、その後欧
日支の紛争からわが国を世界大戦に導く陰謀 新聞記事で読む宣伝戦5
日本を孤立化させる戦略 前回に引き続き「宣伝戦」に関する記事を採り上げていきたいのだが、今回は昭和8年の記事をいくつか紹介させていただく。この時代のわが国の新聞社は、今とは違ってどこかの国に忖度するようなことなく、堂々と「陰謀」という言葉
第一次上海事変 前回は「宣伝戦」に関わる昭和6年の新聞記事を拾ってみたのだが、今回は昭和7年の記事をいくつか紹介させていただくことにしたい。 この年の1月に租界(外国人居留地)のある上海で日支の衝突(第一次上海事変)が起きている。上海には
支那と英国の宣伝戦に振り回される日本 新聞記事で読む宣伝戦3
再び支那の宣伝戦に襲われたわが国 前回記事で、満州事変勃発後直ちに支那は、満鉄を爆破したのは日本であるとの宣伝戦を開始したのだが、国連は支那のために積極的な手段を取らぬことを決議し、支那市場におけるシェア拡大を狙っていた英米も支那が期待し
昭和三十年に関東軍の自作自演に書き換えられた柳条湖事件 満州事変は1931年(昭和6年)9月18日に奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、日露戦争で大日本帝国に譲渡された南満州鉄道の線路が爆破された事件 (柳条湖事件)を機に日支間の武力闘争がはじ
支那の排日を仕掛けたのは英米である 前回まで山中峯太郎の『日本を予言す』(GHQ焚書)のなかで、わが国が支那や英米やソ連の宣伝戦、思想戦に振り回されていたことが書かれている部分を紹介させていただいた。今のわが国の新聞とは違い、当時の新聞に
洗練されていないわが国の宣伝戦対応 ロンドン軍縮会議でイギリスの仕掛けた宣伝戦を報じる大阪毎日新聞 「神戸大学新聞記事文庫」軍事(国防)39-145 「宣伝戦」対策で、連合国主要国は第一次大戦勃発後に対外宣伝のための機関を組織したのに対し、
戦時だけでなく平時においても行われる「謀略戦」 戦後の日本では、どこかの国の謀略があったといった話はたいていの場合「陰謀論だ」とのレッテルが貼られて、それ以降国民の大半が思考停止に陥るパターンが多いのだが、かなり以前から世界の主要国で「謀
中国大陸におけるコミンテルン・ソ連の対日戦略 前回に引き続き山中峯太郎の『日本を予言す』(GHQ焚書)を読み進んでいく。日本の戦後の歴史叙述ではほとんど触れられることのない、盧溝橋事件以降の中国大陸に於けるコミンテルンの動きについて、山中
今回紹介させていただくGHQ焚書は、昭和12年に出版された山中峯太郎著『日本を予言す』である。彼の詳しい経歴などは、昨年末に彼の書いた『日本的人間』(GHQ焚書)という本を紹介させていただいた時に書いたので省略させていただくが、彼の著作の十
古代に日本に渡来したユダヤ人は日本に同化した 今回紹介したいGHQ焚書は中山忠直(なかやま ただなお)という人物の著した『我が日本学』である。タイトルの書かれたページを開くと「本書を二十一世紀に捧ぐ 中山忠直」と書かれており、我々のよう
「国立国会図書館デジタルコレクション」の全文検索で何ができるか このブログの読者から時々、「大量の書籍の中からどうやって本をみつけるのか」との質問を受けることがよくある。昔なら何度も図書館に通い分厚い書籍の目次や本文を丹念に読まないとでき
新年 あけましておめでとうございます。 旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。 楊谷寺 龍の花手水 何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コメント欄
最近GHQ焚書の復刻が相次いでおり、原文の表記を尊重しつつ読みやすいように現代仮名遣いに改められたり、旧字体の漢字を新字体に改められて出版されているものも多いので、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、戦前・戦中の本が読みづらい方は復刻
前回に引き続き『日本的人間』に書かれているエピソードをいくつか紹介していきたい。 正直であること 加藤清正 実直 加藤清正、晩年に、自分の生涯をかえりみて言う。「三歳の時に私は、父を失い、母の手ひとつで育てられた。母が太閤の御母と従姉妹どう
前回に引き続き『日本的人間』に書かれているエピソードをいくつか紹介していきたい。 正直であること 加藤清正 実直 加藤清正、晩年に、自分の生涯をかえりみて言う。「三歳の時に私は、父を失い、母の手ひとつで育てられた。母が太閤の御母と従姉妹どう
山中峯太郎 山中峯太郎は陸軍士官学校に学び、陸軍大学校に進んだのだが、陸軍士官学校で山中と交流を深めた清国からの留学生の多くが辛亥革命後に孫文から政権を奪った袁世凱の専制政治に反対していることを知り、大正二年(1913年)七月に、同志たる
山中峯太郎 山中峯太郎は陸軍士官学校に学び、陸軍大学校に進んだのだが、陸軍士官学校で山中と交流を深めた清国からの留学生の多くが辛亥革命後に孫文から政権を奪った袁世凱の専制政治に反対していることを知り、大正二年(1913年)七月に、同志たる
GHQ焚書の全リストの第二十八回目で、今回はタイトルが「り」から「わ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。今回が「GHQ焚書 全リスト」の最終回になる。 今回のリストの中で、以前このブログで採り
現代史を学ぶ際に石油問題を知ることの重要性~~『世界石油史物語』を読む
今回紹介するGHQ焚書は、昭和十八年に大文館書店から刊行された、佐藤定勝著『世界石油史物語』という本である。著者の佐藤定勝についてはネットの情報はほとんどなくどのような経歴の人物であるかはよくわからないのだが、著者が戦前に著した本で『太平洋
フランス人が書いた英国の戦争方法~~『ヨーロッパの悲劇』を読む
イギリスの真の姿とはいかなるものかを描いた本 GHQは外国人の著作も数多く焚書処分したのだが、今回は『ヨーロッパの悲劇―英国の戦争方法―』という本を紹介させていただく。 著者のドクター・フランツ・グローセという人物についてはネットで調べて
GHQ焚書の全リストの第二十七回目で、今回はタイトルが「む」から「ら」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
『素描祖国の歴史』を読む④~~室町期の邦人の海外発展と豊臣秀吉の天下統一
「倭寇」と『明史』に記録された経緯 『 倭寇図巻 』 ( 東京大学史料編纂所所蔵 ) 室町時代の邦人の海外発展については「倭寇」という言葉が教科書などに必ず出てくる。学生時代に学んだ時に、日本人が海賊行為を働いたとの説明に違和感を覚えた記
GHQ焚書の全リストの第二十六回目で、今回はタイトルが「まんし」から「み」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである
但馬妙見山の妙見信仰 昨年の秋にこのブログで大阪府にある能勢妙見山のことを書いたが、この能勢妙見山は、福島県相馬市の相馬中村神社、熊本県八代市の八代神社とともに日本三大妙見の一つに数えられている。しかしながら、かつては兵庫県八鹿にある但馬
十一年前に兵庫県丹波市内の紅葉名所を観光して旧ブログで記事を書いたのだが、その当時丹波市は『丹波もみじめぐり』と題して、市内の紅葉名所九ヵ所を紹介するパンフレットを作成していたので、それを参考にして五ヶ寺を選んで旅程を組んだ。 久しぶりに
GHQ焚書の全リストの第二十五回目で、今回はタイトルが「ほ」から「まんけ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである
「西山」とは 三方を山に囲まれた盆地である京都では、市街地北側に連なる山々を北山、東側に連なる山々を東山、西側に連なる山々を西山と呼び、「西山連峰」の一番北側に位置するのが愛宕山系の山々で、高尾山には神護寺や西明寺、高山寺などがあり、その
かなの発明 『素描祖国の歴史』には政治史や外交史についてはあまり記されておらず、わが国の文化史が中心に描かれていて、平安時代については「かなの発明」について一章が設けられているだけである。 紫式部像(土佐光起画、石山寺蔵) わが国の文化
下谷上農村歌舞伎舞台 神戸市北区山田町は南は六甲山系、北は帝釈・丹生山系に挟まれた谷筋を流れる山田川流域に開けた地域で、神戸市内とは言っても都会のイメージとは程遠いのだが、古き良き伝統行事や文化財などが多数残されているのに興味を覚えて、訪
GHQ焚書の全リストの第二十四回目で、今回はタイトルが「ふ」から「へ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
七月に緊急入院した後小腸の病変部を切除し八月に退院して、その後は検査や治療のために三週に一度程度の通院が続いている。ようやく秋らしい季節になって来たので、久しぶりにトライブして寺社を巡りたいのだが、何度も抗がん剤の治療を受けたことから造血機
聖徳太子の時代 前回記事で清水三男は『素描祖国の歴史』のなかで、我々の祖先はかなり古くから他の民族よりも国家意識が強かったことを指摘し、その原因として「国生み神話」でいざなぎ・いざなみ二神が日本列島を創造したことが記されていることを紹介さ
GHQ焚書の全リストの第二十三回目で、今回はタイトルが「は」から「ひ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
シベリア抑留で亡くなった歴史学者の遺著~~『素描祖国の歴史』を読む①
シベリアに抑留された新進気鋭の日本史研究者 GHQ焚書リストの中に清水三男著『素描祖国の歴史』という本がある。著者の清水三男は戦前に日本中世史の新進気鋭の歴史学者として活躍していたが、昭和十八年(三十五歳の時)に陸軍に応召され、その直後に
GHQ焚書の全リストの第二十二回目で、今回はタイトルが「にほんそ」から「の」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりであ
「アラビアのロレンス」 T.E.ロレンス (Wikipediaより) T.E.ロレンスの生涯とオスマン帝国からのアラブ独立運動を描いた『アラビアのロレンス』という映画がある。1962年に公開され第35回アカデミー賞を受賞した作品だが、T.
GHQ焚書の全リストの第二十一回目で、今回はタイトルが「にほんさ」から「にほんせ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとお
前回までスパイに関する戦前の新聞記事を4回に分けて紹介させていただいたが、わが国で多くの英国スパイが暗躍していたことは当時の新聞にはしっかりと報じられていた。 英国のスパイの起源は14世紀までさかのぼるのだそうだが、その500年以上にわた
GHQ焚書の全リストの第二十回目で、今回はタイトルが「に」から「にほんこ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
盧溝橋事件直前の英国スパイの動き 前回の記事で、昭和11年(1936年)の2・26事件以降統制派が陸軍の主導権を固めて、翌年には内閣の組閣人事に介入して政府に対する発言力を強めるようになったことを書いた。さらに新聞統制が行われて「一県一紙
GHQ焚書の全リストの第十九回目で、今回はタイトルが「な」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。 下記のリストで
某国スパイ活動に協力した日本人たち 前回記事で、昭和9年12月に某国の美男スパイに保弄されて軍事機密情報を漏洩したことで十数名の日本人女性が取調べを受けた事件を報じた記事を紹介させていただいたが、その後もさまざまなスパイ事件が報じられてい
GHQ焚書の全リストの第十八回目で、今回はタイトルが「て」から「と」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。 下
アメリカに機密情報を流していた日系アメリカ人 前回記事で、昭和8年7月13日付の大阪毎日新聞に関東大防空演習に関する秘密情報が外国に筒抜けであったことが報じられていることを紹介したが、昭和9年になるともっと重要な機密情報が奪われて大問題に
GHQ焚書の全リストの第十七回目で、今回はタイトルが「たいの」から「つ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
外国勢力の工作活動によって内部から国家の安全保障を脅かされることがないように、スパイ行為に対してはどの国も厳罰に処すことを法律で定めている。しかしながら、戦後のわが国においては『スパイ防止法』が存在せず、外国のスパイが情報工作を仕掛けたりわ
GHQ焚書の全リストの第十六回目で、今回はタイトルが「た」から「たいに」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
火野葦平が戦友に訴えたかったこと~~『戦友に愬ふ』(GHQ焚書)を読む
前回の「GHQ焚書」で、アサヒカメラ編『兵隊の撮つた戦線写真報告』という本の後半部にある火野葦平の「僕のアルバム」のなかから、火野自身が撮影した何枚かの写真を紹介させていただいた。彼の経歴についてはWikipediaに詳しく記されているが、
GHQ焚書の全リストの第十五回目で、今回はタイトルが「せんす」から「そ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
火野葦平が支那事変に出征した際に撮影した写真~~『兵隊の撮つた戦線写真報告』(GHQ焚書)より
火野葦平「僕のアルバム」 GHQが焚書処分したリストの中に、昭和十五年に朝日新聞から刊行されたアサヒカメラ編『兵隊の撮つた戦線写真報告』という本がある。この本は、支那事変で戦った兵士たちが撮影した写真を集めたものだが、途中からは火野葦平(
GHQ焚書の全リストの第十四回目で、今回はタイトルが「せき」から「せんし」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである
GHQが焚書処分した中国人留学生の手記『支那の少年は語る』を読む
今回紹介したいGHQ焚書は、戦前に日本に留学していた中国人たちの手記をまとめた『支那の少年は語る』(大日本雄弁会講談社 昭和16年刊)である。編者の渡辺泰亮は新潟県の尋常高等小学校の校長を務めたのち、陸軍参謀本部の依頼により中国の要人らの子
GHQ焚書の全リストの第十一回目で、今回はタイトルが「しに」から「しょ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。下記
GHQが焚書処分した田中喜四郎の政治詩集を読む~~その1 『戦争と戦争』
GHQが焚書処分した詩集や句集には戦意高揚させるような作品が多いのだが、世界情勢や国内の情勢について記された詩集も存在する。今回は田中喜四郎という人物が著した『戦争と戦争』の中から、いくつかの作品を紹介させていただくこととしたい。 著者の
GHQ焚書の全リストの第十回目で、今回はタイトルが「し」から「しな」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。下記の表
ジンギスカンについて書かれた絵本がGHQに焚書処分されている
GHQの焚書リストの中には、小学校低学年向けに書かれたと思われる絵本が少なからず存在する。今回紹介させていただくGHQ焚書は昭和十九年に刊行された『ジンギスカン』という絵本なのだが、わが国の偉人の伝記でもなく、蒙古帝国を築いた英雄について
GHQ焚書の全リストの第九回目で、今回はタイトルが「こくま」から「さ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。下記の
GHQは様々なジャンルの本を焚書処分して戦後の日本人に読めなくさせたのだが、焚書リストの中にはどうしてこのような本をGHQが焚書したのかと不思議に思うようなタイトルの本が少なくない。多忠龍 今回紹介したいのは、昭和十七年に多忠龍(おおの
GHQ焚書の全リストの第八回目で、今回はタイトルが「こうま」から「こくほ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
GHQ焚書の全リストの第七回目で、今回はタイトルが「こ」から「こうほ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。下記の
GHQ焚書の全リストの第六回目で、今回はタイトルが「く」から「け」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。 下記の表
GHQ焚書の全リストの第五回目で、今回はタイトルが「き」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。 下記の表がGHQ焚
GHQ焚書の全リストの第四回目で、今回はタイトルが「か」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は火野葦平『海南島記』と、永松浅造『海
7月20日の夜から翌日の朝にかけて数回にわたり下血をし、21日に緊急入院しました。一昨年の2月に悪性リンパ腫が悪化し、その治療のために大阪市のO病院で入退院を繰り返してきました。昨年の11月に、最新の治療を受けるために兵庫県のH病院に移りま
GHQ焚書の全リストの第三回目で、今回は本・パンフレットのタイトルが「え」~「お」で始まる書籍及びその国立国会図書館のURLをまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は次の三点である。また西尾幹
『映画戦』(GHQ焚書)を読んで、第二次大戦前の宣伝戦、思想戦、情報戦を知る
戦争は最後は武力によって勝敗が決まるものだが、武力に優位性がある方が戦争に勝利するとはかぎらない。もし他国から思想戦、宣伝戦、情報戦等が仕掛けられて国民が分断されたり国民の戦意が乏しくなっていては、そもそも勝てるはずがないのだ。そのような
GHQ焚書の全リストの第二回目で、今回は本・パンフレットのタイトルが「い」~「う」で始まる書籍及びその国立国会図書館のURLをまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は次の三点である。 また西尾
戦後日本人に知らされていないインドの歴史~~『印度』(GHQ焚書)を読む
以前このブログで武藤貞一の本をいくつか紹介した。 この人物は今ではほとんど知れていないが、調べると、戦前の昭和十一年から「大阪朝日新聞」の論説委員となり、「天声人語」欄を執筆。昭和十四年に「報知新聞」の主筆となり、戦中の昭和十七年に読売新
ネット公開されている「GHQ焚書リスト」 第二次大戦終戦後わが国に進駐してきた占領軍が、昭和21年から23年(1946~48年)にかけて、当時流通していた書籍のなかから戦後の日本人に読ませたくない書籍やパンフレットのリストを作成し、それらを
「ブログリーダー」を活用して、しばやんさんをフォローしませんか?
前回記事で、昭和初期のわが国で多くの若者が左翼思想に共鳴し、全国の学校だけでなく軍隊にも赤化工作が行われていたことを書いた。当時は私利私欲で動く政治家が政争を繰り返し、庶民は貧困に喘ぐ状況が続いてマルクスやレーニンの思想に共鳴する若者が多く...
今から五年前に「ユダヤ」関連のGHQ焚書のリストとともに、筈見一郎著『ユダヤ禍の世界』の一部を紹介させていただいたが、当時は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「送信サービス」が開始されておらず、ネットで読むことがかなわなかったのだが、...
前回記事で、小学校から大学まで多くの赤化教員が潜り込んで生徒に左翼思想が拡げられたことなどを書いた。 では、コミンテルンが日本共産党に指令した赤化工作が、実際のところ当時の生徒たちにどの程度の影響を与えたのであろうか。当時の新聞を調べると、...
紀行と旅行記はいずれも旅行に関する記録であるが、紀行は文化や歴史についての情報提供が中心で、旅行記というと個人的な出来事や感想を書いたもので、文章の途中に写真や挿絵などがありそうなイメージがある。今回GHQ焚書リストの中から、本のタイトルか...
前回は一九二八年(昭和三年)の七月から九月にかけてモスクワで第六回コミンテルン大会が開催され、七月には長春、奉天、鉄嶺、安東の日本軍に対して赤化宣伝文書が大量配布されたことが国民新聞に報じられていることを書いた。 しかしながら軍隊の赤化宣伝...
GHQが焚書処分したリストの中から、本のタイトルに「風土(記)」あるいは「風物誌(詩)」を含むものを探してみたが全部で十点が引っかかった。 以前このブログで、支那事変以降に多くの小説家や画家が日本軍に従軍して戦場に向かい、多くの記録を残して...
米原市の湯谷神社を参拝したのち長浜市の須賀谷温泉(長浜市須賀谷町36)で一泊し、長浜市の主な観光地は数年前に長浜曳山祭りを見た際に訪問していたので、二日目は長浜市から米原市に向かって、あまり知られていない古い寺社や博物館などを中心に巡ってき...
最近は有名観光地は外人観光客が多すぎるので敬遠して、あまり有名でない地方の社寺巡りを楽しんでいるのだが、新緑の季節を迎えたタイミングで滋賀県の米原市や長浜市の古社寺巡りの旅程を立てて、初日は米原市内の寺社を巡って来た。徳源院徳源院 本堂 自...
「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとんどないが、わが国では大正期の終わりから昭和初期にかけて共産主...
GHQ焚書リストから「日記」をキーワードにして絞り込むと二十点が引っかかり、「日誌」では十三点がひっかかった。「日記」の多くは自らの戦争体験を綴ったものだが、中には満州や支那の旅行日記もあれば、タイトルは「日記」でも小説に分類すべき作品も存...
わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に石油の生産が行われており、国内生産量は2022年で41万キロリットルで国内消費量の0.3%程度で、1年のうちわずか一日分程度が自給できて...
GHQ焚書リストの中から、本のタイトルに「詩」を含む本を絞り込むと、「詩集」が多いことは当然であるが、自らの戦争体験を綴った日本兵士の作品もあれば、ドイツ兵の詩集や、幕末の志士の詠んだ漢詩を集めて評釈している本、タイ国の風物詩など様々である...
技術進歩の激しい時代には、新技術をいち早く導入した者が、多くの人々の仕事を奪い取って失業させることになる。それはある程度やむを得ないものではあるのだが、その変化が激しすぎると各地で内乱が起こるなどして社会が不安定になりかねない。 教科書など...
GHQ焚書リストから、タイトルに「歌」を含むものを絞ってみると、多くが短歌集で、中には兵士が詠んだ秀逸な作品を集めて解説している本もあれば、軍歌を収録した本もあり、南方民族の歌の歌詞を訳して紹介している本もある。またアジアが欧米に侵略され、...
明治の初めのころ「文明開化」の名のもとに、わが国で極端な欧化主義的な考え方が支配したことはこのブログで何度か書いてきた。 わが国が近代国家として西欧に対抗するためには、西欧の技術や科学や文化などをそのまま取り込んで自分のものとして利用してい...
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
GHQ焚書リストの中に俳句に関する本が六点あるのだが、焚書処分された理由は兵士たちが戦場などで詠んだ作品を多数採り上げている点にあるからであろう。 私も含めて戦後に生まれた日本人のほとんどは学校やテレビ新聞で繰り返し解説される自虐史観に洗脳...
鹿鳴館外交を推進した伊藤博文と井上馨 明治政府が採用した欧化政策のなかで、最も極端であったのは鹿鳴館の舞踏会騒ぎであった。 明治十六年(1883年)八月に伊藤博文がヨーロッパ諸国の諸制度を調べる外遊から帰国すると、太政官制度を廃止して内閣制...
GHQ焚書リストの中には、なぜこのような本を焚書処分したのかと思うようなタイトルの本が少なからず存在する。軍事のことを書いたわけではなく思想書でもない本の多くが焚書処分されているのだが、「日本語」に関する本まで多くが焚書処分にされていること...
これまでこのブログで採り上げた米国関連のGHQ焚書 『敵国アメリカの戦争宣伝』(GHQ焚書)を読む3より これまでアメリカに関するGHQ焚書について記事をいろいろ書いてきたが、これまで採り上げた本の記事をブログカード化してみた。今後新たに
柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。 繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一
これまでこのブログで採り上げた英国関連のGHQ焚書 二年前にこのブログの記事で、英国関連のGHQ焚書リストを掲載させていただいたが、その後「国立国会図書館デジタルコレクション」が大幅にリニューアルされて、GHQが焚書処分した本のほとんどが
柿本神社と月照寺 明石市の人丸山の頂上に柿本神社(明石市人丸町1-26)と月照寺(明石市人丸町1-29)がある。明治四年(1871年)の神仏分離令により寺と神社が分離されてしまったのだが、以前は神仏習合で一体であった。 上の画像は柿本神
明石市を観光で訪れる人はあまり多くないと思うのだが、色々調べると結構面白そうな寺や神社などがあるので、先日散策して来た。 御厨神社 最初に訪れたのは明石市二見町東二見1323にある御厨神社(みくりやじんじゃ)。この神社の由緒は火災で記録を
満州における匪賊・共匪との戦い 前回記事で昭和10年ごろに支那共産党が匪賊を取り込んで北支(現在の華北で、河北省、山西省、山東省、河南省)に移動させたことで北支の共産化が進み、一方ソ連も満州の匪賊を取り込んでいて、日本軍が駐留していた満洲
満州馬賊の頭領 前回記事の最後に昭和8年(1933年)3月19日から連載された満州日報の武装苦力の話の一部を紹介させていただいたが、支那で匪賊の討伐軍を起こし匪賊の根拠地に向かわせたところ、討伐軍が「匪賊平定」を声明したので確認すると、匪
琿春(こんしゅん)事件 前回の歴史ノートで支那や満州における匪賊(土匪ともいう)について書いたが、多くの日本人が匪賊によって殺害されたことが最初に新聞に報じられたのは、大正九年(1920年)の琿春事件(間島(かんとう)事件ともいう)であろ
前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと
わが国が「満州」の開拓を始めた歴史的経緯 「満州」という言葉は「州」の字が付くことから、地名と誤解されることが多いのだが、中国語では土地の名前ではなく民族名、即ち満州民族を意味している。しかしながら、清国を支配した満州族の居住地域を、英語
戦前のわが国や世界で、満州についてどのように論じられていたか 現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)、及び内蒙古、熱河省を領土として一九三二年(昭和7年)に成立した「満州国」という国が成立したのだが、戦後のわが国においてマスコミや
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)を読み進んでいく。前回は、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会の中で、白柳が「上海と明治維新」という演題で講演した内容の前半で、英仏米の三国が上海に共同租界を建設して支那経略の足掛
引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容の一部を紹介させていただく。この本は白柳が雑誌などで発表して来た時局に関する論説を収録したものだが、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会で彼が「上海と明治維新」という演題で講
経済界が日米外交に多大な影響を与えて来た 前回に引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただく。前回は、わが国の外交が経済界の意向を受けてワシントン会議(1921~22年)以降に方針転換がなされたことを書いた
前回記事で大正十年(1921年)のワシントン軍縮条約や昭和三年(1928年)のパリ不戦条約が締結されて以降、わが国の外交当局や新聞記者、思想界が、経済界の意向を受けて軍部を悪しざまに罵るようになり、五・一五事件で軍部の不満が爆発したという内
武士・兵士の生活の途を奪うということ 五・一五事件を報じる東京朝日新聞号外 Wikipediaより 今回も引き続き『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容紹介だが、「五・一五事変の史的考察」との題で書かれた白柳の文章をほぼ全文紹介させていた
文保寺 前回記事で丹波市の桜を紹介させていただいたが、常照寺から丹波篠山市に向かう。丹波篠山市の寺社では高蔵寺が桜の名所として有名だが、枝垂れ桜の開花が遅かったのでパスして文保寺(ぶんぽうじ:丹波篠山市味間南1093)に向かう。 文保寺
桜の季節は人が多すぎるところはなるべく避けて、静かに楽しめる寺や神社に行くようにしているのだが、一昨年も、昨年も桜の季節は病院の中で過ごしたので、今年はあまり無理せずに、自宅からそれほど遠くはない兵庫県丹波市と丹波篠山市を巡ることにした。い
白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)は、早稲田大学文学部哲学科に在学中に堺利彦・幸徳秋水らの影響を受け社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の先駆となる作品をいくつか残したが、大逆事件以後社会主義とは縁を切り、文学ともはなれ、在野の歴史家、
ラウレル政権の正体 ホセ・ラウレル 1943年 前回の記事で、フィリピン第二共和国のホセ・ラウレル大統領は日本の傀儡ではないことを書いたのだが、ラウレルは回顧録を残しており、十月に挙行される建国式典の直前に日本を訪問して東條首相らと会談し