前々から気になっていたのですが、ついつい32年が過ぎてしまった。 バリのことをまったく知らずに、1990年5月からウブド滞在を始めた私です。 ウブドを知るにつけ、頻繁に出てくる名前に「ヴァルター・シュピース(Walter Spies)」があった。 バリ芸能大好きさんなら、すでにご存知のことと思いますが軽く復習しておきましょう。 ヴァルター・シュピース
あのヴァルター・シュピース氏の宿泊していた部屋に泊まれるって!(495)
前々から気になっていたのですが、ついつい32年が過ぎてしまった。 バリのことをまったく知らずに、1990年5月からウブド滞在を始めた私です。 ウブドを知るにつけ、頻繁に出てくる名前に「ヴァルター・シュピース(Walter Spies)」があった。 バリ芸能大好きさんなら、すでにご存知のことと思いますが軽く復習しておきましょう。 ヴァルター・シュピース
ウブドは芸能の村と称されるだけに、毎晩、どこかの村で舞踊の定期公演が催されている。 しかし、観光の見所が少ない。 サレン王宮 蓮池のあるサラスワティ寺院 グヌンルバ寺院 ブキットチンタの散歩道 猿の森 美術館(ネカ、アルマ、プリ・ルキサン、アントニオ・ブランコetc) などが思いつくが、格別人気のある名所でもない。 そこで、私の妄想をひとつ語りたい。 それは、ウブド発祥の地であるチャンプ…
ある日の知人のツイッター。 『バリ島旅行って…ってテーマで考えてみたのですよ。 伝統舞踊を堪能する旅、海を楽しむ旅、わたしのように自然の緑を求め旅。 お買い物をする、現地料理を楽しむ。 みんなそれぞれに色んな目的があってほんとに楽しい。 やっぱりバリ島ってすごいや! わたしはバリ島を教えてくれた母に感謝してるんだ。』 この知人のツイートに便乗して、私は『アンケート募集』をした。 …
開店から現在までの経過 1991年7月10日、サレン王宮ウブドのある変則十字路から、2Km地点のプンゴセカン通りにオープンした。 10年賃貸契約(1990年〜2000年)が終わり、4年の延長。 2004年、影武者裏に2003年から始めた料理教室の建物に移転。 2014年、ニュークニン村の現在の店舗に移転。 『極楽通信・UBUD』17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」 https://informationcenter-apa.com/gt_kagemusha.html …
カチカチカチ どこからともなく聞こえてくる音。 懐かしさを感じる、球を打つ音だ。 朝、下宿でも聞こえた。 窓から覗くと、長男の息子が手にしている物から音がしていた。 それは、私が20代の頃、アメリカン・クラッカーと呼ばれて日本で流行したもだ。 バリでは、昨年(2022年)の初頭から流行っているという。
ウブド地域には、裕福を証明するかのように銀行の数が多い(490)
他の地域に比べて、ウブド村が裕福だと考えられる理由を、数回に分けて検証してきた。 「�@屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)」 https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497987515.html 「�Aバリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)」 https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html ウブド地域には、裕福を証明するかのように銀行の数が多い。 私が滞在始めた1990年初頭には、「バンク・セン…
リピーターのひとりから、こんな質問を受けた。 「ウブドって、他の村に比べて裕福じゃありませんか?」 その質問に、お答えした。 「そうなんです。多くの観光客が訪れ、パフォーマンスの定期公演にお金を落としていくからです」 数年前から、バリ島南部ウルワトゥ岬のケチャが大人気になっている。 ウルワトゥ岬観光プラス、ケチャの公演が成功したのだ。 地元の村は今、きっと裕福になっていることでしょう…
家のことをインドネシア語で「ルマ=Rumah」と言う。 バリは、四つに色分けされた階層(カスタ)・チャトル・ワルナ(チャトル=4/ワルナ=色・Catur Warna)によって、屋敷の名称が異なる。 *階層(カスタ):https://informationcenter-apa.com/kb_kasta.html 高僧(ブラフマ=brahmana)の屋敷は「グリヤ=Geriye」 王族(クシャトリア=kesatria)の屋敷は「プリ=Puri」 貴族(ウエシャ=wasia)の屋敷は「ジェ…
バリ人の家は、日本の一般家庭の家に比べて広いんですよ。 私が長屋住まいだったからそう、感じるのかもしれませんが。 幅15〜20メートルもあり、奥行きは大きなところは50メートルほどある。 ウブドが特別かもしれません。 そんな広い土地に、伝統的配置で各種の棟が緑の中に点在している。 そんなスケールから、私はバリの家を家と呼ばず「屋敷」と表現するようにしている。 バリ人の屋敷には、必ず屋敷寺が…
健康飲料水「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」(486)
たびたび質問のあるインドネシアの国民的健康飲料水。 「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」 チャップ・カキ・ティガは、チャップ=しるし、カキ=足、ティガ=三で、三脚印。 チャ…
「ウブド公設市場」2023年3月完成予定・間に合うかな!(485)
買い物をしない人には、訪れる機会がない場所「ウブド公設市場」。 2階建てが数棟、客の導線を考慮にいれず無秩序に建っている。 通路は狭く、個店が迷路を作るように軒を列ね、迷宮に迷い込んだようだ。 売り子が掛ける声につられて買うも良し、雑然とした光景を楽しむのも良し。 生鮮食品の朝市(パサール)は、早朝の4時頃から昼頃まで、パサール・スニと呼ばれる土産物店は、6時前後に閉店する。 ウブド公…
昨年10月18日:午後3時頃 ウブド大通りのチャンプアン方面は、渋滞だった。 バイクで通ると、ビスマ通りの入口付近で車がとどこおっているのが見える。 ウブド大通りとビスマ通りの交わるT字路は、しばしば自動車渋滞がある。 直角のため見通しも悪く、道幅が狭いので対向車が来ると、立ち往生する。 いつもの自動車渋滞だろうと、私はすり抜けようとした。 T字路角には祠が転がり、道路は泥に満たされていた…
私がウブドに滞在し始めた1990年頃の話。 女性は、長い黒髪を後頭部で一つにまとめていた。 それは、彼女たちの美しさを際立てた。 小、中、高の女学生は、結わえるのが校則なのか、おさげや三つ編みも見かけた。 老婆は、黒く染め、やはり後ろで結わえている。 ミニャクラパ(ココナツオイル)を擦りつけた髪は、艶やかだった。 当時、乱れる髪には悪霊が忍び込むと考えられ、魔女ランダを連想するのでよくな…
プンゴセカン通りに、昨年2022年8月22日オープンした「TOYA SALT」。 人気タイ料理店「Seeds Eatery」の南隣、以前「道」のあったビル。 ロゴがおしゃれで、オープンした時から気になっていた。
バリは、南北86キロ、東西140キロの小さな島。 私が生誕した愛知県とほぼ同じ広さ。 この小さな島にも、戦国時代があった。 多くの地方領主によって治世されていたバリは、各地で領地拡大の小競り合いが続いた。 第一の戦国時代は、バリ王朝(ワルマデワ王朝=ブダウル王国)に遡るのではないかと考えられる。 第二の戦国時代は、バリ王朝がマジャパヒト王国によって征服されたあと、と私は推測している。 そ…
友人の懐かしいウブドのYouTubeアドレスを入手!(480)
激動の2022年も、いよいよ終わりです。 新年2023年は、もうこれ以上幸せはないというほどの幸福が待っていると信じて、迎えましょう! 来ウブド中の友人から、懐かしい動画を入手しました。 許可を得たので、みんなでシェアしましょう。 ◆今の風景からは想像できないカルナ通り 「1992年のウブド」
バリ人と距離をおいて滞在している人には必要がないですが、知っておいて損はない情報です。 関わりがあれば、心得ておいた方が良いと思います。 思いついたのは9項目です。 まだまだたくさんあるはずですが、私の生活環境ではここまでが限界かもしれません。 もっと詳しく知りたい人は、バリ人男性に嫁いだ日本人女性、バリ人女性を娶った日本人男性に訊ねてみてください。 実生活から会得する情報量の豊富さは…
ボナ村郊外のカフェ「Bono Coffee」の人気の理由を考える(478)
みなさんは「和るん・あんかさ」をご存知でしょうか? (*私のブログを読んでいる人は、ウブド好きと決めつけて書いています) 旧店名は「カフェ・アンカサ」(1997年4月21日開店)で、初店はスゥエタ通りありました。 その後、モンキーフォレスト通りに移転し、現在はコロナの蔓延で閉店を余儀なくされた。 店主コテツちゃんは、現在日本に帰国していますが、近い将来にウブドに戻り「あんかさ」を再開したいと語…
「極楽通信・ウブド」《ウブドnoニュース》からの抜き出しメモです。 1974年以前のウブドの歴史は「極楽通信・UBUD・ウブド歴史年表」を参照してください https://informationcenter-apa.com/kb_rekisi.html 2011年1月11日:「カフェ・フィオレ・チッタ」開店@サンギンガン通り 2011年2月:【NOT FOR SALE】の立て看板@ジュンジュンガン村
新企画「ミー・ゴレン(Mie Goreng)食べ歩きレポート!」10・11・12(476)
あなたは、焼きそばのことを「ミー・ゴレン」と言いますか、それとも「ミ・ゴレン」ですか? 私はミー・ゴレン(Mie Goreng)と言っていますが、インスタント麺の会社インド・ミーは、パッケージに「Mi Goreng」「Mie Goreng」の両方が使われている。 「Mi Goreng」は、ミ・ゴレンじゃないのか? 悩むので、どっちかにして欲しい。 マレーシア語はMee Gorengのようなので、ミーと伸ばしても許します。 YouTube…
Puri Agung Ubud・王宮の前庭についての豆知識(475)
バリでプリ(puri)と言えば、ラジャ(raja=王)の住む「王宮」のこと。 16世紀、ダラム・バトゥレンゴン王が君臨するゲルゲル王朝時代、高僧ニラルタが登場し、王権と祭司のパートナーシップを確立した。 ニラルタは、この時、はっきりとした4つの階層(インドネシア語でカスタ=kasta)を導入した。 王族(クシャトリア)、僧(ブラフマ)、貴族(ウエシャ)、平民(スドラ)の4つだ。 カスタによって、屋敷の…
新企画だった「本当の意味の定点観測」 人気がないので、没企画となりました。 今後は、「360度の定点観測」「定点観測からの徘徊老人」の2つとなります。 これも、人気はイマイチなので、いつまで続くかは疑問です。 ●ウブド定点観測・第6弾・ウブド郵便局前@ジュンバワン通り 郵便局前の定点観測は、ガネーシャブックショップ、バリブッダと老舗が連なっているので、大きな変化はしないだろう。 ジュンバ…
「Cantika Zest Warung」サンティカ・ゼスト・ワルン(473)
サリオーガニック(ボタマリア)のあった散歩道の途中にある「サンティカ・スパ」は、クオリティの高いスパとして有名だ。 ペネスタナン集落内にコスメのプロダクトのショールーム、村はずれには、スパとショールームとレストランがある。 バトゥール山外輪山でレストランをオープンしたのは、コロナ禍前だったか。 コロナが蔓延して、すべて閉店した。 ペネスタナン集落外れのスパが再開したと聞いて、訪れることに…
ウブド現代史・その壱(1974年~2010年12月)(472)
そうそう、そうだったという情報メモです。 1974年以前のウブドの歴史は「極楽通信・UBUD・ウブド歴史年表」を参照してください https://informationcenter-apa.com/kb_rekisi.html 1974年:*電気開通 1976年:ネカ美術館開館 政府から正式に美術館と認められたのは1982年7月7日 1978年:*郵便局開設 1979年11月5日:「ベガーズブッシュ(Beggars Bush)」開店@チャンプアン吊り橋の西袂 …
sun sun warung @ Jl.Jembawan(471)
知人のツイッターにアップされていた、ウブドでツーリストに人気のレストラン「sun sun warung」。 店名はワルン(warung)となっているが、価格はレストランレベルなので、レストランと呼ばせてもらいます。 ジュンバワン通りの老舗レストラン「バリ・ブッダ」の南隣にある。 ブログでも紹介されていて、気になっていたので、初の訪問。
好評の「ミー・ゴレン食べ歩きレポート!」。 ゴメンなさい、好評ではありませんでした。 今回は、第七弾から第九弾を、総集編として公開します。 それぞれ、ブログに投稿しているので、重複することをお許しください。 私のYouTube「バリ島ウブドに沈没」をご覧の方にも、動画が重複してしまうことをお許しください。 グッドボタンの数を増やしたいので、投稿しました。 視聴回数を気にするタイプじゃないの…
Museum Arkelogoi Gedong Arca=グドン・アルチャ考古学博物館(469)
ひと月ほど前のこと。 私のYouTube「バリ島ウブドに沈没(https://www.youtube.com/@bali75)」に、視聴者のひとりから「ペジェンの考古学博物館に行ったことがあるのですが、よくわからなかったので、展示品の説明をしてくれると嬉しいです!」というコメントがあった。 考古学博物館の正式名は「Museum Arkelogoi Gedong Arca」。 日本語に訳すと「グドン・アルチャ考古学博物館」。 ウブドの東2.5キロのペジェン…
「Kedai D'SAWAH」ミーゴレン食べ歩きレポート@タガス村(468)
ひとりでボ〜としたい時に、訪れるワルン「クダイ・デ・サワ」。 店名の意味は、田んぼ(sawah)にある店、とでも言うのか。 私のお気に入りカフェのひとつ。 場所は、ウブド中心部(変則十字路)から、バイクで10分ほど走ったトゥグス村。 「古代遺跡・ゴアガジャ」に向かうゴアガジャ街道の途中、右手にある。
「Mama’s Warung」ミーゴレン食べ歩きレポート・第十弾!(467)
「ママズ・ワルン」は、トゥブサヨ村スクマ通りにある。 プリアタン区域に属し、民宿の多い地域。 「ママズ・ワルン」も、宿を営んでいる。 民宿だから、呼び名はホームステイでよいのだが、日本人が受けるホームステイとは形態が違う。 同じ屋根の下で宿泊するのではなく、別棟に客室がある。 バリ風建築の一戸建が用意されることもあり、バリ情緒を満喫できる。 古くはバックパカーが多く滞在していたが、現…
「Cafe Tegal=カフェ・テガル」の変遷・現在「CAFE ANGSA」(466)
ハヌマン通りはデサ寺院パダンテガル前のワンティラン(多目的建物)北横にあるレストラン「CAFE ANGSA」。 この通りで唯一、緑地が見渡せる店。(写真:2022年11月1日現在) <…
デワ・ワルンの前身は、ウブド北部のテガランタン村の若者アグン・ライさんとデワさんが立ち上げたワルン。 ウブドの夜市(センゴール)が営業していた、1989年〜1…
のちのち役に立つと考えて、ウブドの十字路を定点観測をしています。 これまでは写真で保存していたが、これからは動画でも保存しようと思っている。 動画は、YouTubeで見られます。 *伊藤博史の生涯旅人「バリ島ウブドに沈没」 https://www.youtube.com/channel/UCuxCYokJu-mzTfxTK5Xe2eg *下書きチャンネル「ウブドの徘徊老人」 https://www.youtube.com/channel/UCs9RdXtZ6jZdHJt1mJPMVLA チャンネル登録…
Tadashi Toriimonbuuさんにユーチュブにお招きいただいた時の動画(463)
もう、一年以上も前の話になる。 ウブド在住の鳥居正さんのYouTubeに、2度、出演させてもらった。 一つは、バリの舞踊について。 もう一つは、ジェゴグについての話をした。 どちらも、コロナ禍で公演のできないバリのガムラングループのオンライン・ライブの予告をした。 日本のファンに向けて有料で応援するという企画に、鳥居さんが賛同してくれての招待。 おかげさまで、どちらも好評に終わった。 …
instagram spot「 GREEN KUBU CAFE ②」あれから5年 @Ubud Bali(462)
ウブドの北・ジュンジュンガン村のさらに北・クリキ村に近いところに来ています。 コロナ禍以前ぶりだから、3年ぶりほどの来店になるかな。 インスタグラムがバリで普及し始めたのを知ったのは、今から5年前、2017年のこと。 その初期に、この店は映えるレストランとして脚光を浴びた。 人気は持続しているようです。 企業努力を感じる接客でした。 YouTube|2017年07月18日のコメントには、こんなことを書…
ミーゴレンの昼食、六回連続で飽きてきた。 ナシ・ゴレンだったら、大丈夫だと思うけど。 一旦休止で、「ワルン・マンガマドゥー」で好物のカレー・アヤムを食べた。 あと6軒くらいは続けるつもりでいる。 それでは、第四弾から第六弾を一挙公開。 *第四弾「Senggol=夜の屋台街」ミー・ゴレン食べ歩きレポ@プリアタン村 土曜日のプリアタン村十字路にある「夜の屋台街」にて。 ウブドTVに闖入してミー…
バリ島関係・マニアックな推薦本・その⑧「熱帯の旅人(A HOUSE IN BALI)バリ島音楽紀行」(460)
久しぶりにコリン・マックフィーの本を読み返して見た。 「熱帯の旅人・バリ島音楽紀行」著者:コリン・マックフィー/訳者:大竹昭子(1990年8月3日・初版発売)
ウブドを東西に突き切る大通りに、南からのモンキーフォレスト通りと北からのスゥエタ通りが微妙にずれる形で交わる十字路がある。 そこは、ウブド王宮のあるウブドの中心地。 この変則十字路には、北側の東北角にウブド王宮、西北角にはワンティラン(多目的ホール)がある。 南側の南北角には村市場、南東角にはウブド市場がある。 四つの角は、王宮以外は、すべて公共施設だということがわかりますね。 王宮の…
ヤヤサン・コペルニク(KOPERNIK)でソーラー充電の懐中電灯を購入(459)
日本は先月末(9月20日から25日まで)、かなりの強風と降雨量をともなった台風が続けて襲い、多大な被害を被っている。 「影武者・女将」は、そのニュースを聞いて、懐中電灯を購入する気持ちになった。 最近の懐中電灯は、ソーラー充電で、USBとスマートホンの電源も確保できる。 一家に一台欲しいアイテムだ。 さてどこで購入するかという話になった。 女将はこの頃、トコペディア愛好家。 トコペディアは、…
ウブド滞在が32年を過ぎた。 ぼ〜と過ごしているので、これといってバリ人とのいざかいもない。 どうして、何も問題なく過ごせているのかを考えてみた。 もしかすると、これって長期滞在の秘訣かもしれない。 ウブド滞在を計画している人の参考になるかもしれないと思い、書き出してみました。 あくまでも私の狭い行動範囲での対処法ですので、そこんとこよろしく! ウブド長期滞在の極意!その壱(457) https…
ウブド滞在が32年を過ぎた。 ぼ〜と過ごしているので、これといってバリ人とのいざかいもない。 どうして、何も問題なく過ごせているのかを考えてみた。 もしかすると、これって長期滞在の秘訣かもしれない。 ウブド滞在を計画している人の参考になるかもしれないと思い、書き出してみました。 あくまでも私の狭い行動範囲での対処法ですので、そこんとこよろしく! ●まずは、ウブド人を理解することですよ…
無性に、焼きそばが食べたくなった。 嬉しいことに、インドネシアにはミー(麺)ゴレン(炒める)と呼ばれる、料理がある。 ケチャップ味のミーゴレンもあれば、しょうゆ味の限りなく日本の焼きそばに近いものもある。 しばらく、私好みの焼きそばを求めて、彷徨ってみたいと思う。 好みが何なのかもわかっていないので、美味しいと感じる味探し。 こうして、ミーゴレンを食べ歩く「ミー・ゴレン食べ歩きレポ!」…
フローズン・ヨーグルトの店「クール・モンキー=Cool Monkey」(456)
今、ちまたの若者の間で人気だと言われているソフトクリームのチェーン店「MIXUE」。 ウブドにはないので、ギャニアールまで遠征してきた。 残念なことに、満員で購入不可だった。 待つことができない私には、人気店は鬼門。 ソフトクリームがインプットされた私の頭には、フローズン・ヨーグルトも同類に入ってしまうようだ。 前々から気になっていた店を紹介したい。 モンキーフォレスト通りを南部から来…
’90年代初頭、絶大な人気を博したヒット曲「デンパサール・ムーン」(455)
先日、ツイッターで繋がっている知人のツイートから、懐かしい「曲名」が飛び出してきた。 定かではないが、1993〜4年頃のインドネシアで爆発的に流行っていた歌だ。 タイトルは「デンパサール・ムーン」 自分が滞在するバリ島の州都の名前が、歌に唄われるということが強烈に嬉しかった。 毎日のように、ウブドのカセットショップから流れていた。 今でも、その部分の歌詞は覚えている。 「♪Denpasar moon s…
グヌン・ルバ寺院(Pura Gunung Lebah)の歴史メモ!(454)
前回のブログ「ウブドのルーツを巡る(最終回)グヌン・ルバ寺院@ Campuhan・Ubud(453)」と重複しますが、言い足りない箇所と、見ていただきたい動画があったので、投稿させていただきました。 グヌン・ルバ寺院の歴史は、高僧ルシ・マルカンディアの登場する8世紀から始まる。 高僧ルシ・マルカンディアについては、こちらで。 http://informationcenter-apa.com/kb_markandeya.html マルカンディア一行は、光り…
ウブドのルーツを巡る(最終回)グヌン・ルバ寺院@ Campuhan・Ubud(453)
バリ島では、二つの川が交わる地点はチャンプアンと呼ばれ、エネルギーが強いといわれている。 八世紀、ジャワ島の高僧ルシ・マルカンディアがバリを遠征した。 その時に立ち寄ったのが、ウブドのチャンプアン一帯だった。 そこには、小高い丘の寺院(Pura Gunung Lebah)と呼ばれる寺院が建立された。 マルカンディア一行はバリ島西部に上陸し、ルートはわからないが東進して、ウブドに到着したのだ。 現在のペ…
Bukit Cinta に行って来ました!@ Campuhan・Ubud(452)
グヌン・ルバ寺院(Pura Gunung Lebah=小高い丘の寺院)は、二つの川がY字で交わる鋭角地点にある。 裏手は、名称の如く小高い丘になっていて、尾根伝いに北上できる。 この尾根は、インドネシア語で Bukit Campuhan(チャンプアンの丘)、ツーリスト向けには「Campuhan Ridge Walk」「Campuhan Hill」と呼ばれている。 インスタグラムが普及した頃から、ローカルの間で人気が高まり、カップルが増えると「Bukit Cinta…
アノム氏から、応援のお願い動画。 こんにちは!日本のみなさん、お元気ですか? アノムとスマラ・ラティは、9月25日に再びオンライン公演を開催しま…
ふくろうを描くシーラさんに会いに!@オウル・ハウス=Owl House (450)
ふくろうを描いてる画家として知られている、ワヤン・シーラ(Sila)さん。 1997年から24年間、ビスマ通りでギャラリー「オウル・ハウス」を開設していた。 2年ほど前に、移転したと聞いていたが、やっと場所がわかった。 移転先は、ウブド大通り東端アンドン交差点を北上して「マヤ・ウブド・リゾート&スパ」方面に向かう途中にある。 グーグルの地図を、参照にしてください。 画面の右面にあります。
ウブド村のルーツを巡る・豊富な泉が湧く聖なる場所!(449)
8月17日は、インドネシア共和国の独立記念日。 今年で、77周年にとなる。 この記念すべき日に、唐突にムルカット(沐浴)がしたいと思った。 ムルカットを終えて「和食・影武者」に顔を出すと、スタッフのアユが「正装してどこへ行ってきましたか?」と聞いてきた。 私は「チャンプアンでムルカットして来た!」と答えた。 アユは「ムルカットをするなら、満月の日がいいですよ!」と言う。 それは、知ってい…
夕方のバリをバイクで走っていて、沿道でララパンの垂れ幕がかかったワルンを見かけたことはありませんか? もちろん、自動車でもいいですよ。 なんなら、観光バスでもいいです。 こんな垂れ幕なんですが。
チャイナ・ムーン=China Moon・De Ubud Villas & Spa(447)<br />
チャイナ・ムーンは、ホテル・デ・ウブドのレストラン部門だ。 以前は、ハヌマン通りY字路のモンキーフォレスト方面角にあった。 その頃には、ウブドでは珍しいん台湾料理と友人が勤務していたこともあり、たびたび訪れていた。
ウブドは、幹線道路をそれたプリアタン村から、更に、(アンドン交差点を)西にそれた先にある村。 古くは、ウブドに行くには、この一本道しかなかった。 急坂を下り、プリアタン村との村境の川に架かる橋を渡る。 登り坂の左右には、大樹が道路を覆い隠すほど鬱蒼としている。 さらに、村境の三つの川の橋を下り登りした先に丘があり、行き止まる。 ウブドは、そんな山間の村である。 四つの橋の話は、ここに…
『 OTO KAFE=オトカフェ 』・開放的になって新装開店。(445)
ハヌマン通りの南端にあるY字路。 右手西に向かえば、猿の森・パダンテガル村のダラム寺院に向かう。 途中に、クブクのワルンがある。 直進に見える左手に南下すれば、プンゴセカン村に続く。 1990年代初頭、Y字路周辺の景色は、ほとんどが田んぼ。 数件の土産物屋が、簡素な建物で商っていた。 鋭角の地点には、祠が鎮座している。 その横にあった小さな雑貨屋は、街道の分岐点的で峠の茶屋的存在だった。…
変則十字路角の二重屋根の大きな建物の壁に、映画の垂れ幕がかかっていた。 建物は村の多目的ホールのようで、たまに巡回映画の会場になるようだ。 映画は、週2回上映されている。 インドネシア映画がほとんどだが、時々、海外からの映画も上映される。 インドネシア映画が500ルピアで、外国映画は1000ルピア。 娯楽らしい娯楽のないこの村で、映画は村人の数少ない娯楽のひとつだろう。
ウブドは、幹線道路をそれたプリアタン村から、更にそれた行き止まりの山間の村だった。 行き止まりだった丘は切り開かれ、東西のウォス川が合流する地点には橋が架かり、パヤンガン村方面まで行けるようになった。 プリアタン村を北上して、ウブド東端のアンドン交差点を左折すると、ウブド村に繋がる。 西端のチャンプアン橋までが、ウブドの村を二分する大通りだ。 ウブド大通りは、東西2キロほどの短い通り。 …
度々、ブログにアップしているATMの話。 どんだけ、苦手なんだとお思いでしょう。 それは、私がまったくインドネシア語ができないからなんです。 ATMは、親切にもインドネシア語か英語で対応できるようになっています。 しかし、悲しいことに私は、英語も駄目なんです。 ウブドに滞在しているのだから、インドネシア語を覚えなくてはと、インドネシア語対応を選択しています。 画面に、インドネシア語の長い文…
Warung Jawa Sunda・アヤム・ララパンの食事風景レポ!
オダランの行列があるという情報を得た。 午後3時頃だろうと目安をつけて、出発地点のトゥブサヨ村ダラムプリ寺院に出かけた。 行列は、ダラムプリ寺院からプトゥル村ダラム寺院に向かうと聞いている。 正装の村人が、大勢いた。 この風情だと、察するところ、4時頃の出発となりそうだ。 撮影地点を、アンドン交差点の北側で待ち受けることにした。 このアングルが良さそうだ。
バリ島関係・マニアックな推薦本・その⑦姫子・イン・バリ(440)
今回の推薦本は、私がウブド滞在を始めて最初に手にした小説。 題名は「姫子・イン・バリ」。 著者は、有為(うい)エィンジェル。 中央公論社より、1987年12月発行。 私は1990年にウブド滞在を初めているので、想像できる時代の作品だと言える。
ウブドで一番最初にできたパダン料理店は「Sanak」!(439)
ナシ・パダン(パダン料理)って、ご存知ですか? 州都パダン(Padang)を中心とした西スマトラ州を発祥とする伝統的な料理。 インドネシア国内、どこの街へ行ってもあるようです。 数人で入店して席に着くと、注文も取らずに、テーブルの上に少しづつ小皿に分けた料理が並ぶ。 その数20皿はある。 「これ全部食べきれないよぉ〜!」 初めての体験の時、インドネシアに不慣れな旅行者の我々に、これは押し売り…
ウブドには、今でこそジェラート屋が数件あり、コンビニ&ワルンではアイスクリーム冷凍ケースがあり、レストランではメニューにアイスクリームが給されるようになったが、その昔、ウブドでアイスクリームを楽しむことができなかった。 昔と言っても、1990年のことです。 その頃は、ウブドで美味しいアイスクリームを食べるのは、夢のような話だった。 アイスクリームもどきはあった。 インドネシアに古くからあ…
3年ぶりに「バリ・アート・フェスティバル」開催される。 例年通りの内容とはいかないが、有観客で行われるのは嬉しい。 例年6月の第2土曜日に始まり、7月の第2土曜日に終了していたが、理由はわからないが、本年度は第2日曜日に始まって第2日曜日の終了となっている。 ということで、6月12日から7月10日までが開催期間だ。 友人から、コピーしたスケジュール表をもらった。 6月22日に、私の知るグループが出場す…
トランス・メトロ・デワタに乗って、ウブド回遊は楽しいぞ!(436)
6月16日:クニンガン祭礼日の午後2時。 「アパ?情報センター」のワヤン君の案内で、トランス・メトロ・デワタのバスに初試乗した。 公共路線バスの運行は、道路渋滞の緩和策だろう。 インドネシア運輸省がバックアップする、半官半民の公共路線バスのようだ。 以前、トランス・サルバギータ(Trans Sarbagita)と言うのが走っていたが、どうなったのだろうか。 芳しい結果は、出ていなかったと思う。 今回のメ…
「和食・影武者」のスタッフ・ナカン君が、「明日、タティアピ村のオダラン(寺院祭礼)でチャロナラン奉納されるよ」と教えてくれた。 夫妻で働いている、ベテランのスタッフだ。 娘さんがシシアン舞踊に参加し、息子さんがガムラン隊でウガールを叩くらしい。 それは、観ざるを得ないだろう。 この前に「チャロナラン奉納舞踊」を観たのは、2022年3月5日。 この日は、雨に降られた。 *「雨に降られたチャロ…
バリ島関係・マニアックな推薦本・その⑥バリ島楽園紀行(434)
*まず最初に、謝っておきます。 クニンガン祭礼日の前日をマニス・ガルンガンと言っていますが、プナンパハンの間違いです。 この日は、プナンパハンでした。 マニス・ガルンガンは、翌日です。 日頃あまり使わない言葉なので、よく、言い間違いしてしまいますが、お許してください。 *動画を見られる時の注意・・ 途中からカメラが切り替わるのですが、その時に声が大きくなります。 変わる前の声が小…
ウブドに沈没の第�D回目になります。 今回は、センゴール・デビューの話。 *センゴール:http://informationcenter-apa.com/gt_senggol.html 現在、ウブド公設市場は新築工事のための、解体と整地が終わったところ。 本当なら、以前センゴールのあった場所に立って、昔を振り返りたいところですが、それは叶いません。 そんなわけで、今回は、市場のムランティン寺院前にあるレストランに、スマホカメラを設置…
バリ島関係・マニアックな推薦本・その⑤漫画「踊る島の昼と夜」(432)
バリ島関係・マニアックな推薦本紹介の時間です。 先回のその�Cで『アキオ紀行バリ』をオススメしました。 今回は、バリ島関連でもう一作、同じ作家の漫画を紹介したいと思います。 題名は「踊る島の昼と夜」(2003年発行)。 目次は、1)踊る島の昼と夜 2)真昼の蛇 3)チャロナランの夜 4)午後のチャンティック 5)パチャールは朝やってくる 全てブラックマジック・黒魔術・呪術・レヤックの話。 バ…
コロナの呪縛から解放されて、ウブドに観光客の姿が見られるようになってきた。 久しぶりにビスマ通りを歩いてみる。 ゴーストタウンに、活気が戻ってきた感じだ。 現在は、川を挟んでモンキーフォレスト通りと並行して走る自動車道路だが、私が滞在し始めた1990年初頭は、ウブド大通りから300メートルほどのところに数件の宿がある程度の、名も無い通りだった。 スバック(水利組合)の寺院があるところで行き止ま…
ウブドに沈没④・1990年5月のカジェン通りを思い起こす!(430)
一夜明けて1990年5月9日。 ロジャーズ・ホームステイの前。 今日は、カジェン通りの散歩です。 右に行けば、ウブド大通り。 左側は、未知の道。 わたしは未知の方角へ行ってみることにした。 道は、ゆるやかな上り坂。 カジェン通りのコンクリート製石畳は、1975年頃から作り始めているようです。 この石畳のシステムは、寄付によるもの。 村人やツーリストが、コンクリート板を買い上げる。 寄付した…
ウブドに沈没�@ 5月8日は、私の記念すべき日です@UBUD 現在のパサール・ウブドを見ながら、1990年5月8日、私がプラマ社のシャトルバスでウブドに降り立った32年前の話をします。 機会があれば、今後「極楽通信・UBUD」の「ウブドに沈没/1990年〜」を読み返しながら、語って行きたいと思っています。 ご意見、感想をお待ちしています。 http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html
バリ島関係・マニアックな推薦本・その④漫画「アキオ紀行バリ」
は〜い、徘徊老人の伊藤です、で始まる私のYouTube。 推薦本は、漫画「アキオ紀行バリ」です。 慣れないYouTube出演なので、原稿を書いて、それを読みながら喋っております。 原稿どうりに、話は進まないね。 セリフを覚える役者さんって、凄いなと、今更ながら感心しています。 今回のブログは、その原稿を公開しました。 お待ちかねの、バリ島関係・マニアックな推薦本のコーナーです。 誰も待っていな…
徘徊老人ダウン、湧き水で顔を洗う!@Pejeng・Bali(427)
見てはいけにものを見てしまった。 友人のお供をした時に、視線に入った「waterfall」の文字。 water-fallは、インドネシア語では、air terjun。 air(水)のterjun(急落)で、滝の意味になる。 「体力低下のため、渓谷探検や滝巡りは止めます」と、4日前のYouTubeに発言したばかり。 その舌の根も乾かぬうちに、目的地の滝が、ウブドから近い距離だということで、誓いを破ってしまった。 結果、戻りでダウン…
タバナン・バトゥリティにある温泉に行ってきました!(426)
カフェ・トピの悟さんのソーシャルメディアに、たびたび温泉の情報が流れる。 直接、話も聞いた。 聞けば聞くほど、行って見たくなる。 場所は、ユネスコ世界遺産のジェトゥルイに近いところ。 このエリアには、温泉が多く湧いているようだ。 目的地の温泉の名前は「WET New Hotspring Water Bali」。 住所:Jl.Raya Apuan Senganan-Baturitu.Tabnan。 ウブドからは、結構の距離がある。 悟さんのルート…
「極楽通信・UBUD:バリ島関係・推薦本」の中でも、特にオススメするマニアックな本、数冊です。 http://informationcenter-apa.com/suisen_hon.html まずは、この3冊から。 その�@「バリ島・海のない村へ」 著者・シルビオ・サントーサ」 ビーチばかりがバリじゃない 地元インドネシア人が孫の手的に案内する。 村の旅・徹底ガイド こいつは”目からウロコ”だ! 現地特製 総天然色マップ付き …
先月、リピーター第一号さんの第一声が「思ったより、店が開いていました」だった。 「この2年間、ウブドはゴーストタウンだったんですよ」とお答えしたのですが、想像できないようでした。 賑わいを見せ始めたのは、4月15日くらいからです。 日に日に、開店する店が増えてます。 この調子で、観光客が戻って来て欲しいものです。 私のバリ島到着は、1990年の5月7日。 小牧市の名古屋国際空港から、ガルーダ…
アノム・バリス氏の屋敷を突撃訪問したのは、2021年の3月21日のことです。 インドネシア大統領・Joko Widodo氏の前で、ハヌマン姿でワクチンを打った時の話を聞きに立ち寄った私は、ミーハー(死語?)です。
クラパ・ムダ=Kelapa Muda Ubud / Pool Bar & Kitchen(422)
ひと月ほど前にアンドン通りを散歩した時から、「グヌン・ムルタ・バンガロー」のことが気になっていた。 1990年代初頭、知人が泊まると、訪ねて行ったことのある宿だ。 1988年創業で、多くの日本人が定宿にする人気のバンガロー。 オーナーのイダさんは、サヌールのバリ・ビーチホテル(現在のインナ バリ ビーチ ホテル)に、20年ほど務めた後、フリーランスの日本語と英語のガイドになった。 (バリ・ビーチホテ…
カフェ・トピのサンデーマケットは、2ヶ月に一度、ワンデーマーケットとして主催される。 https://kafe-topi.business.site/ 開催時間は、朝9時30分から15時まで。 場所は、プンゴセカン通りとニュークニン通りのT字路のニュークニン村寄りの右手にある「複合店舗ガーデン」内。 悟さんのフェイスブックに、「ニルマラTシャツ」のアウトレットが出店するとあった。 https://www.instagram.com/nirmala_tshirt/ …
グリーンフィルド・リゾート=Green Field Resort @ UBUD (420)
昨年12月末のある日、出掛けようとする私に、大家の息子が、声をかけてきた。 「ボスが会いたいと言っている!」 前置きもなく唐突だったが、彼の勤め先がグリーンフィルドなのは知っていたので、推測はできた。 グリーンフィルドは、プンゴセカン通りにある、美しいライスフィールドが見られる人気の高いバンガロー 。 和食・影武者がプンゴセカン通りにあった頃、近くだったことから顔見知になった。 影武者…
ベジ寺院の沐浴場で、ムルカット(マンディ=水浴び)(419)
この日(4月5日)は、午後から陽射しが強くなり、部屋にいると蒸し暑さを感じる日だった。 こんな日には、部屋のシャワーで何度も水浴びをする。 近くにあるグリーンフィルド・リゾートで、格安の「プール・パケット」を利用することもある。 さて今日の水浴びは、どうしようか? グリーンフィルドのプールでは、近すぎて外出した気分にならない。 一つの懸案を思い出した! 昨年末のことだ、スマララティのア…
ワルン・ティティ(Warung titi) @ UBUD(418)
今回は、日本語の達者なゴローさんの店を紹介します。 レストランの名前は「ワルン・ティティ=Warung titi」。 場所は、クトゥ・クロッド村ティルタ・タワール(Tirta Tawar)通り。 まずは、動画で見てください。
コロナ禍の中でも、連日満席のレストランがある。 ギャニアール市郊外にあるバビグリンの店「Babiguring Pande Egi」は、その一つだ。 ここは、ローカル顧客のワルン(食堂)。 バビグリンは、豚(バビ)一頭を串挿しにして、グリングリン(転がす)して焼いた、バリの伝統料理のこと。 バリ人が大好物の、豚の丸焼き料理だ。 イスラム教徒は豚を食すことはご法度だが、キリスト教徒の多い中華系インドネシア人に…
ナシチャンプールの日@Warung Candra (416)
ウイズ・コロナで出入国の隔離が緩和されることによって、海外渡航者が増えることは予想される。 ウブド滞在者としては、大いに歓迎である。 これからウブドを訪れたいと考えている旅行者にとって気になるところは、約2年の間、途絶えた観光客の受け入れは大丈夫か、という点。 主に、宿泊施設と食事処だろう。 ウブド在住の私は、ホテルなどの施設を利用することがないので、まったく情報はありません。 ネット…
Kuni Takeuchi氏から、一枚の写真が届いた。 ウブド大通り北進し、アンドンの交差点をテガララン方面に左折して、10分くらい歩いた場所で20年前に撮った写真だと言う。 1990年5月から滞在している私…
ワルン・ビアビアが、今年9月に20周年を迎える。 ゴータマ通りにオープンしたのは、2002年のこと。 モンキフォレスト通りとハヌマン通りに挟まれたゴータマ通りは、デヴィシータ通りで交差するが、その先は鬱蒼とした森と竹林だった。 ビアビアは、デヴィシータ通りまでの250mほどの屋敷町にある。 当時は、ウブドの老舗ワルン「デワ・ワルン」しかなかった寂しい通り。 観光客が通るのも珍しいほどの場所のため…
定期を解約して、通帳に入金してもらうだけでも一苦労(413)
銀行の預金が、そろそろ底を着く頃だ。 通常は、手持ちの日本円を両替しているが、昨年の初頭から円安でレート(2022年3月17日現在:119.90)が悪くなり、定期預金を解約してしのいでいる。 (定期預金をした時点では、レートが130だった) 今、キャッシュのマネーチェンジは良策じゃない。 解約して預金した金額が、残り少なくなりそう。 なくなりそうと心細いのは、残高証明ができないからです。 通帳を持っ…
それは、今月9日のことです。 この日バリでは、ランブット・スダナ(Rambut Sedana)の吉日だった。 ウク暦の第二十八週(Kelawu)の rabu(水)-wageの日。 (ウク暦:http://informationcenter-apa.com/kb_wuku.html) お金に感謝し、大金の貸し借りはしない、借金を返さない日とされている。 商売を営んでいる家では、必ず、祠に供物を捧げる。 近くに市場の寺院(ムランティン)がある場合は、お祈りをして…
今夜(3月5日)、チャロナランの奉納舞踊があるとの情報が「アパ?情報センター」のワヤンさんから入った。 場所は、モンキーフォレスト内にあるダラム寺院パダンテガル村。 チャロナラン歌舞劇は、私の追っかけしていたバリ芸能。 下宿から近い寺院なので、久しぶりにオダラン(寺院祭礼)に参加しようという気になった。 と言っても、お祈りに行くのではなく、奉納舞踊の見学が目的。 ここ数年ぶり、オダラン参…
盛り上がりを見せた「オゴホゴ神輿行列」 @ プンゴセカン村(410)
コロナ感染症の蔓延で、2020年&2021年と2年続けて中止となった「オゴホゴ(Ogoh-ogoh)神輿行列」。 オゴホゴ:http://informationcenter-apa.com/kb_ogoh_ogoh.html 2020年は、完成まじかで中止の宣告。 ”オゴホゴで疫病払いだ”と意気込んでいた、村人の落胆は大きかった。 8月に神輿行列ができるかもとの噂があったが、それも中止。 翌年2021年には担ぐことができるだろうと、オゴホゴは保存された。 そ…
カフェ・ワヤ「 Wyah Art & Creative space 」@スバリ村(409)
動画の始まりに、パヨガン村を抜けて突き当たりを右折しますが、突き当たりにプチャ・パヨガン(Pucak Payogan)寺院があります。 この寺院は、高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)が瞑想した場所。 http://informationcenter-apa.com/kb_markandeya.html パヨガンの、Pa-yoga-nは、yoga(瞑想)から由来していると言われている。 通りの名称が、ルシ・マルカンディアとなっているのが頷ける。
コワーキングスペースPARQを徘徊! @ Ubud・Bali(408)
コロナ禍に入ってから、バリ島ウブドでも、ノマドワーク、ノマドワーカーの言葉をよく耳にするようになった。 ノマドという言葉に、私はウブドにある「レストラン・ノマド」を連想する。 滞在始めた1990年初頭には、シシカバブを食べに、よく通った。 定住を望まないジプシー体質の私は、遊牧民と言う意味のノマドという言葉が好きだ。 ワークとワーカーは、仕事、仕事をする人のことだと、私は理解している。 定…
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前々から気になっていたのですが、ついつい32年が過ぎてしまった。 バリのことをまったく知らずに、1990年5月からウブド滞在を始めた私です。 ウブドを知るにつけ、頻繁に出てくる名前に「ヴァルター・シュピース(Walter Spies)」があった。 バリ芸能大好きさんなら、すでにご存知のことと思いますが軽く復習しておきましょう。 ヴァルター・シュピース
ウブドは芸能の村と称されるだけに、毎晩、どこかの村で舞踊の定期公演が催されている。 しかし、観光の見所が少ない。 サレン王宮 蓮池のあるサラスワティ寺院 グヌンルバ寺院 ブキットチンタの散歩道 猿の森 美術館(ネカ、アルマ、プリ・ルキサン、アントニオ・ブランコetc) などが思いつくが、格別人気のある名所でもない。 そこで、私の妄想をひとつ語りたい。 それは、ウブド発祥の地であるチャンプ…
ある日の知人のツイッター。 『バリ島旅行って…ってテーマで考えてみたのですよ。 伝統舞踊を堪能する旅、海を楽しむ旅、わたしのように自然の緑を求め旅。 お買い物をする、現地料理を楽しむ。 みんなそれぞれに色んな目的があってほんとに楽しい。 やっぱりバリ島ってすごいや! わたしはバリ島を教えてくれた母に感謝してるんだ。』 この知人のツイートに便乗して、私は『アンケート募集』をした。 …
開店から現在までの経過 1991年7月10日、サレン王宮ウブドのある変則十字路から、2Km地点のプンゴセカン通りにオープンした。 10年賃貸契約(1990年〜2000年)が終わり、4年の延長。 2004年、影武者裏に2003年から始めた料理教室の建物に移転。 2014年、ニュークニン村の現在の店舗に移転。 『極楽通信・UBUD』17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」 https://informationcenter-apa.com/gt_kagemusha.html …
カチカチカチ どこからともなく聞こえてくる音。 懐かしさを感じる、球を打つ音だ。 朝、下宿でも聞こえた。 窓から覗くと、長男の息子が手にしている物から音がしていた。 それは、私が20代の頃、アメリカン・クラッカーと呼ばれて日本で流行したもだ。 バリでは、昨年(2022年)の初頭から流行っているという。
他の地域に比べて、ウブド村が裕福だと考えられる理由を、数回に分けて検証してきた。 「�@屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)」 https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497987515.html 「�Aバリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)」 https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html ウブド地域には、裕福を証明するかのように銀行の数が多い。 私が滞在始めた1990年初頭には、「バンク・セン…
リピーターのひとりから、こんな質問を受けた。 「ウブドって、他の村に比べて裕福じゃありませんか?」 その質問に、お答えした。 「そうなんです。多くの観光客が訪れ、パフォーマンスの定期公演にお金を落としていくからです」 数年前から、バリ島南部ウルワトゥ岬のケチャが大人気になっている。 ウルワトゥ岬観光プラス、ケチャの公演が成功したのだ。 地元の村は今、きっと裕福になっていることでしょう…
家のことをインドネシア語で「ルマ=Rumah」と言う。 バリは、四つに色分けされた階層(カスタ)・チャトル・ワルナ(チャトル=4/ワルナ=色・Catur Warna)によって、屋敷の名称が異なる。 *階層(カスタ):https://informationcenter-apa.com/kb_kasta.html 高僧(ブラフマ=brahmana)の屋敷は「グリヤ=Geriye」 王族(クシャトリア=kesatria)の屋敷は「プリ=Puri」 貴族(ウエシャ=wasia)の屋敷は「ジェ…
バリ人の家は、日本の一般家庭の家に比べて広いんですよ。 私が長屋住まいだったからそう、感じるのかもしれませんが。 幅15〜20メートルもあり、奥行きは大きなところは50メートルほどある。 ウブドが特別かもしれません。 そんな広い土地に、伝統的配置で各種の棟が緑の中に点在している。 そんなスケールから、私はバリの家を家と呼ばず「屋敷」と表現するようにしている。 バリ人の屋敷には、必ず屋敷寺が…
たびたび質問のあるインドネシアの国民的健康飲料水。 「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」 チャップ・カキ・ティガは、チャップ=しるし、カキ=足、ティガ=三で、三脚印。 チャ…
買い物をしない人には、訪れる機会がない場所「ウブド公設市場」。 2階建てが数棟、客の導線を考慮にいれず無秩序に建っている。 通路は狭く、個店が迷路を作るように軒を列ね、迷宮に迷い込んだようだ。 売り子が掛ける声につられて買うも良し、雑然とした光景を楽しむのも良し。 生鮮食品の朝市(パサール)は、早朝の4時頃から昼頃まで、パサール・スニと呼ばれる土産物店は、6時前後に閉店する。 ウブド公…
昨年10月18日:午後3時頃 ウブド大通りのチャンプアン方面は、渋滞だった。 バイクで通ると、ビスマ通りの入口付近で車がとどこおっているのが見える。 ウブド大通りとビスマ通りの交わるT字路は、しばしば自動車渋滞がある。 直角のため見通しも悪く、道幅が狭いので対向車が来ると、立ち往生する。 いつもの自動車渋滞だろうと、私はすり抜けようとした。 T字路角には祠が転がり、道路は泥に満たされていた…
私がウブドに滞在し始めた1990年頃の話。 女性は、長い黒髪を後頭部で一つにまとめていた。 それは、彼女たちの美しさを際立てた。 小、中、高の女学生は、結わえるのが校則なのか、おさげや三つ編みも見かけた。 老婆は、黒く染め、やはり後ろで結わえている。 ミニャクラパ(ココナツオイル)を擦りつけた髪は、艶やかだった。 当時、乱れる髪には悪霊が忍び込むと考えられ、魔女ランダを連想するのでよくな…
プンゴセカン通りに、昨年2022年8月22日オープンした「TOYA SALT」。 人気タイ料理店「Seeds Eatery」の南隣、以前「道」のあったビル。 ロゴがおしゃれで、オープンした時から気になっていた。
バリは、南北86キロ、東西140キロの小さな島。 私が生誕した愛知県とほぼ同じ広さ。 この小さな島にも、戦国時代があった。 多くの地方領主によって治世されていたバリは、各地で領地拡大の小競り合いが続いた。 第一の戦国時代は、バリ王朝(ワルマデワ王朝=ブダウル王国)に遡るのではないかと考えられる。 第二の戦国時代は、バリ王朝がマジャパヒト王国によって征服されたあと、と私は推測している。 そ…
激動の2022年も、いよいよ終わりです。 新年2023年は、もうこれ以上幸せはないというほどの幸福が待っていると信じて、迎えましょう! 来ウブド中の友人から、懐かしい動画を入手しました。 許可を得たので、みんなでシェアしましょう。 ◆今の風景からは想像できないカルナ通り 「1992年のウブド」
バリ人と距離をおいて滞在している人には必要がないですが、知っておいて損はない情報です。 関わりがあれば、心得ておいた方が良いと思います。 思いついたのは9項目です。 まだまだたくさんあるはずですが、私の生活環境ではここまでが限界かもしれません。 もっと詳しく知りたい人は、バリ人男性に嫁いだ日本人女性、バリ人女性を娶った日本人男性に訊ねてみてください。 実生活から会得する情報量の豊富さは…
みなさんは「和るん・あんかさ」をご存知でしょうか? (*私のブログを読んでいる人は、ウブド好きと決めつけて書いています) 旧店名は「カフェ・アンカサ」(1997年4月21日開店)で、初店はスゥエタ通りありました。 その後、モンキーフォレスト通りに移転し、現在はコロナの蔓延で閉店を余儀なくされた。 店主コテツちゃんは、現在日本に帰国していますが、近い将来にウブドに戻り「あんかさ」を再開したいと語…
「極楽通信・ウブド」《ウブドnoニュース》からの抜き出しメモです。 1974年以前のウブドの歴史は「極楽通信・UBUD・ウブド歴史年表」を参照してください https://informationcenter-apa.com/kb_rekisi.html 2011年1月11日:「カフェ・フィオレ・チッタ」開店@サンギンガン通り 2011年2月:【NOT FOR SALE】の立て看板@ジュンジュンガン村
あなたは、焼きそばのことを「ミー・ゴレン」と言いますか、それとも「ミ・ゴレン」ですか? 私はミー・ゴレン(Mie Goreng)と言っていますが、インスタント麺の会社インド・ミーは、パッケージに「Mi Goreng」「Mie Goreng」の両方が使われている。 「Mi Goreng」は、ミ・ゴレンじゃないのか? 悩むので、どっちかにして欲しい。 マレーシア語はMee Gorengのようなので、ミーと伸ばしても許します。 YouTube…
ワルン・ビアビアが、今年9月に20周年を迎える。 ゴータマ通りにオープンしたのは、2002年のこと。 モンキフォレスト通りとハヌマン通りに挟まれたゴータマ通りは、デヴィシータ通りで交差するが、その先は鬱蒼とした森と竹林だった。 ビアビアは、デヴィシータ通りまでの250mほどの屋敷町にある。 当時は、ウブドの老舗ワルン「デワ・ワルン」しかなかった寂しい通り。 観光客が通るのも珍しいほどの場所のため…
銀行の預金が、そろそろ底を着く頃だ。 通常は、手持ちの日本円を両替しているが、昨年の初頭から円安でレート(2022年3月17日現在:119.90)が悪くなり、定期預金を解約してしのいでいる。 (定期預金をした時点では、レートが130だった) 今、キャッシュのマネーチェンジは良策じゃない。 解約して預金した金額が、残り少なくなりそう。 なくなりそうと心細いのは、残高証明ができないからです。 通帳を持っ…
それは、今月9日のことです。 この日バリでは、ランブット・スダナ(Rambut Sedana)の吉日だった。 ウク暦の第二十八週(Kelawu)の rabu(水)-wageの日。 (ウク暦:http://informationcenter-apa.com/kb_wuku.html) お金に感謝し、大金の貸し借りはしない、借金を返さない日とされている。 商売を営んでいる家では、必ず、祠に供物を捧げる。 近くに市場の寺院(ムランティン)がある場合は、お祈りをして…
今夜(3月5日)、チャロナランの奉納舞踊があるとの情報が「アパ?情報センター」のワヤンさんから入った。 場所は、モンキーフォレスト内にあるダラム寺院パダンテガル村。 チャロナラン歌舞劇は、私の追っかけしていたバリ芸能。 下宿から近い寺院なので、久しぶりにオダラン(寺院祭礼)に参加しようという気になった。 と言っても、お祈りに行くのではなく、奉納舞踊の見学が目的。 ここ数年ぶり、オダラン参…
コロナ感染症の蔓延で、2020年&2021年と2年続けて中止となった「オゴホゴ(Ogoh-ogoh)神輿行列」。 オゴホゴ:http://informationcenter-apa.com/kb_ogoh_ogoh.html 2020年は、完成まじかで中止の宣告。 ”オゴホゴで疫病払いだ”と意気込んでいた、村人の落胆は大きかった。 8月に神輿行列ができるかもとの噂があったが、それも中止。 翌年2021年には担ぐことができるだろうと、オゴホゴは保存された。 そ…
動画の始まりに、パヨガン村を抜けて突き当たりを右折しますが、突き当たりにプチャ・パヨガン(Pucak Payogan)寺院があります。 この寺院は、高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)が瞑想した場所。 http://informationcenter-apa.com/kb_markandeya.html パヨガンの、Pa-yoga-nは、yoga(瞑想)から由来していると言われている。 通りの名称が、ルシ・マルカンディアとなっているのが頷ける。
コロナ禍に入ってから、バリ島ウブドでも、ノマドワーク、ノマドワーカーの言葉をよく耳にするようになった。 ノマドという言葉に、私はウブドにある「レストラン・ノマド」を連想する。 滞在始めた1990年初頭には、シシカバブを食べに、よく通った。 定住を望まないジプシー体質の私は、遊牧民と言う意味のノマドという言葉が好きだ。 ワークとワーカーは、仕事、仕事をする人のことだと、私は理解している。 定…