木造駅舎が残る交換駅、宗谷本線雄信内を再訪しました。 想像はしていましたが、やはり抜海、南幌延、雄信内、宗谷本線3駅廃止の知らせはショックです(2024/12/13発表)。永年の歴史も、たった「ご利用の少ない駅を見直します」の告知だけで...
宗谷本線雄信内駅廃止でどうなる交換設備と木造駅舎(2025年廃止予定)
木造駅舎が残る交換駅、宗谷本線雄信内を再訪しました。 想像はしていましたが、やはり抜海、南幌延、雄信内、宗谷本線3駅廃止の知らせはショックです(2024/12/13発表)。永年の歴史も、たった「ご利用の少ない駅を見直します」の告知だけで...
急行停車駅で交換駅だった宗谷本線佐久を再訪しました。 集落の玄関にも見える立派な駅舎があるのに、交換駅では無くなることが信じられません(2024/4/25発表)。 佐久からも、抜海からも、交換設備が無くなると、これから宗谷本線のダイヤ...
弘南鉄道大鰐線の、中央弘前駅を訪れました。(2013年訪問) 以前から厳しい状況は伝わっていましたが、とうとう大鰐線も2027年度末での休止が報じられました(2024/11/27報道)。奇しくも久留里線部分廃止のリリースと同じ日でした。...
久留里線上総亀山駅を訪れました。 とうとう、久留里線は久留里~上総亀山の部分廃止に向かうようです(2024年11月27日リリース)。この地球温暖化のさなか「自動車中心の交通体系」にしたいとは、相当な利用者減少が続いているのでしょう。 ...
小田急線の線路跡「下北線路街」オープンから2周年(下北沢~東北沢)
2013年の小田急線地下化から11年、全面オープンから2年たった下北線路街を歩いてきました。 今日は下北線路街「おだきゅうまつり」だったようですが、6月1~2日には「下北線路祭2024」がありました。 すっかり旧沿線の景色ともなじんで...
オープンから9年たった東横線地下化跡地「LOGROAD代官山」から渋谷へ歩く
2013年の地下化から11年、東横線地下化跡地を歩いてきました。 今まで街を横切っていた高架鉄道が消えるというのは、なかなか信じられないことでした。 跡地は「LOGROAD代官山」「SIBUYA BRIDGE」「渋谷リバーストリート」...
開業2年目の宇都宮ライトレールを訪れました。 あの熱かった開業日が昨日のようですが、開業1周年おめでとうございます。利用者数は順調に増えているそうで、うれしい限りです。 今回は、LRTを飛山城跡で下車して、鬼怒川橋りょう辺りを巡ってみ...
新岐阜へ名鉄美濃町線は昼間30分間隔だった新関駅(2005年廃止)
名鉄美濃町線が全廃になる前年、新関を訪れました。(2004年訪問) 宇都宮LRTを見ていると、今更ながらなぜ岐阜では市内電車を手放してしまったのか、と思います。当時から環境問題やコンパクトシティも言われていたのに、本当に残念なことでした...
さらば黒四ダムの絶景が見られた黒部湖遊覧船ガルベ(2024年廃止予定)
線路端のその先へ、久々の航路紀行は黒部湖遊覧船「ガルベ」です。 夜行特急アルプスで信州入りした日、未乗だった立山黒部アルペンルートの大町側を巡ったのです。 なんと、日本最高所という黒部湖遊覧船が今年限りとのこと。「ファイナルクルーズま...
とうとう復活した中央東線の夜行列車、臨時特急アルプスに乗りました。(その2) 朝の白馬で夜行列車を降りた日は、普段と比べて1日が本当に長く感じられました。やはりスタート時間が早いから、そしていつもと違う景色を見るからでしょう。 朝起き...
市役所と市街地に近づくも1面2線にスリム化された室蘭本線室蘭駅
旧駅から後退した室蘭本線室蘭駅を訪れました。(2010年訪問) 昭和の空中写真を見ると、室蘭港周辺は線路が張り巡らされていたことに驚きます。時代の流れといえばそれまでですが、港湾地区の貨物輸送を失った鉄道は、存在価値が低下したのは確かで...
高架化工事が始まっていた予讃線松山駅を訪れました。(2019年訪問) いよいよ先日2024年9月に松山駅は高架化され、特急列車の縦列停車は解消し対面乗り換えになったようです。 ただ、駅のすぐ横に車両基地と貨物取扱があった主要駅が、また...
宗谷本線抜海駅で何十年も耐えてきた最北の木造駅舎もこれまでか
この夏は稚内まで北上し、宗谷本線抜海駅を再訪しました。(その2) 先日もNHKニュース「おはよう日本」で稚内支局の記者と首藤アナが、抜海駅廃止を全国に紹介していました。これほど有名になるのなら、逆にしばらく残った方が北海道にお金は落ちる...
復活した中央東線臨時夜行特急アルプスは満員状態で信州へ(新宿-白馬)
とうとう復活した中央東線の夜行列車、臨時特急アルプスに乗りました。(その1) ご祝儀客も多いのか車内は満員状態で、登山者を含めて多くの人たちが信濃大町や白馬まで向かっていました。今まで無くなる一方だった夜行列車ですが、よくぞ復活したもの...
この夏は稚内まで北上し、宗谷本線抜海駅を訪れました。 交換駅だった抜海駅は結局来春廃止になりそうですが、なんと一足先に今月24日から2線のうち1線は使用停止だそうです(2024/4/25リリース)。 わざわざ本州から訪問する理由になる...
ゆめが丘ソラトスが開業したので久々に相鉄いずみ野線ゆめが丘駅へ
相鉄いずみ野線ゆめが丘駅前、ゆめが丘ソラトスへ開業翌日に訪れてきました。 ゆめが丘駅開業の時以来、駅前の今後が気になり続けて二十数年、ようやく目に見えて整備が進んだ感じです。 相鉄線の中でも、鉄骨アーチのホーム覆い、ゆめきぼ切符、駅近...
復活してほしい夜行列車(40) 去りゆく夜行列車のテールランプ
夜行列車だけではないですが、テールランプはみな赤色に決まっているようです。 赤く光る夜行列車の最後尾を見ていると、何となくもの悲しく感じたのは、走り去るものだったからでしょうか。それとも消えゆく存在だったからでしょうか。 今まで数々の...
フェリー船内には到底かなわないとはいえ、夜行列車の狭い車内でもそれなりに時間の過ごし方を選べました。 人それぞれでしょうが、自分は長い夜行列車の乗車時間も苦にならない方です。車窓を眺めるのが好きなのと、本でも読んでいれば暇なく過ごせまし...
夜行列車に乗るために、ホームで長時間待った時代もありました。 一番思い出深いのは165系急行型電車時代の大垣夜行で、東京駅や品川駅のホームにどれだけ並んだことでしょう。でも旅はそこから始まっていました。スマホも無い時代でしたが、並びなが...
夜行列車に乗る前に一度は確認する、駅ホームの発車案内表示。 近郊の行先が表示される中、これから向かう遠方の駅名を見つけた時、旅先へと気持ちは高ぶります。かつてのパタパタ回転表示はすっかり消え、最近は液晶のような表示も広まっているので、L...
思い出の夜行特急ドリームにちりん(博多-宮崎空港)《復活してほしい夜行列車36》
かつて九州島内では、鹿児島・日豊の両本線に夜行列車が走り、旅行には重宝したものでした。 急行日南が「ドリームにちりん」になって宮崎までに短縮されたものの、長い日豊本線に夜行が残ったことにひと安心したこともあります。 しかしそれもつかの...
思い出の夜行特急ドリームつばめ(博多-西鹿児島)《復活してほしい夜行列車35》
夜行急行「かいもん」が787系「ドリームつばめ」に変わったとき、新時代の夜行電車が誕生したことを実感したものでした。 今では、博多-鹿児島中央間は最速1時間十数分で着く時代になり、夜行の意味も消えたかのようです。それでも、新幹線が停まら...
思い出の寝台特急あかつき(京都-長崎)《復活してほしい夜行列車34》
長崎へ直通した寝台特急「あかつき」の廃止は、西九州新幹線が開業する14年前でした。 新幹線開業による発展的解消ならまだ仕方ないともいえますが、利用者減少による廃止だったのは寂しいことでした。 値段相応のサービスだったのか、夜行列車なら...
思い出の寝台特急なは(新大阪-西鹿児島)《復活してほしい夜行列車33》
西鹿児島まで行ける最後の夜行列車だった、寝台特急なは。 九州行のブルートレインは、各線とも車窓から存分に朝の海を眺められ、夜行列車の旅を満喫できたものでした。 新幹線が出来たとはいえ、東海道新幹線と急行銀河・大垣夜行が長らく並行してい...
思い出の寝台特急トワイライトエクスプレス(大阪-札幌)《復活してほしい夜行列車32》
札幌行トワイライトエクスプレスの運行終了は、北斗星と共に本当に惜しまれるものでした。 個人的にはとうとう乗れなかったのですが、そのため今回の写真は富山で見送ったシーンです。 今の超豪華列車「瑞風」も限られた方にはいいと思いますが、手の...
思い出の寝台特急日本海(大阪-函館)《復活してほしい夜行列車31》
大阪から函館へ、寝台特急「日本海」には一度だけ乗りましたが、豪華列車でもない夜行列車での渡道は感激でした。 残念ながら、デジカメ移行後は日本海に乗る機会はなかったので、今回の写真はわずかに撮っていた大阪発車待ちシーンです。 なお、20...
北陸鉄道は石川線の始発駅、野町を久々に訪れました。 野町は中心地の香林坊まであと少しなのに、市内電車廃止後は孤立しているようで残念です。富山のように、石川線と浅野川線がLRTで南北接続されればもっと香林坊や兼六園に行きやすくなるのに、と...
「津山まなびの鉄道館」を初めて見てきました。(2022年訪問) 関東からだとなかなか行けないエリアですが、この扇形庫はぜひ見てみたかったので、木次線に乗った帰りにやっと寄ってきました。 津山も9月にICOCAエリアになるようで(202...
もう1両元小田急線2320形も甲府盆地に保存されていたが今は幻に
甲府盆地にもう1両「いた」元小田急線2320形を見てきました。(2004年訪問) 富士急線に元2200形系列4種全てが譲渡されたのは、ファンにとって喜びでしたが、そう長くは続きませんでした。 今は撤去されましたが、中央本線沿いの甲斐市...
新潟交通の廃線跡歩き、最後は越後大野~新大野です。(2022年訪問) 昨年開業した宇都宮LRTを見ていると、人口51万人規模でLRTが成り立つのなら、人口76万人規模の新潟(5月末現在)でもやっていけるのではと思うほどです。 新潟交通...
国鉄型電気機関車EF64 37「ELぐんまよこかわ」が横川で発車待ち
横川で発車を待つEF64 37を見てきました。(2021年訪問) とうとう、高崎地区の電気機関車とディーゼル機関車が引退するようです(2024/6/6リリース)。これにより、この地区で残る国鉄型機関車が蒸気機関車だけになろうとは、またも...
富士急線に譲渡された元小田急線2200形が甲府盆地で保存されていた
甲府盆地に保存される、元小田急線2200形を見てきました。 先月西武線へ8000形が譲渡されましたが、小田急線通勤車が他社線へ譲渡されたのは富士急線と新潟交通以来でしょうか。 ちょうど20年前になる2004年、甲府盆地に元富士急線57...
小手指車両基地で、元小田急線8000形を見てきました。 もう西武線の車両になったと思いますが、まだ車番やマークなどはそのままの姿なので、小田急ファンとしては驚くほかありません。 今後西武線に移った8000形のほうが長生きするでしょうか...
青函トンネル内の竜飛海底駅に下車してきました。(2006年訪問) 北海道新幹線の開通後は、トンネル内に降りることはもちろん、津軽海峡線列車でトンネルを通ることすら、不可能になってしまいました。そして先日、津軽線蟹田~三厩間の廃止が合意さ...
小田急線8000形を、東海道本線函南駅で見送ってきました。 まさかのサステナ車両授受発表から8ヶ月、いよいよ西武線へ行く日がやってきました。 小田急ファンとしてはまた塗装車が減るのは残念ですが、廃車されずに活用されるからには新天地での...
この夏、なんと夜行列車で臨時「特急アルプス」が走るそうです。 「快速ムーンライト信州」の復活ではありませんでしたが、久々の臨時夜行列車運行には本当に喜びたいです。あさイチから行動できる夜行列車のメリットが多少は再認識されたのでしょうか、...
「のと鉄道」能登線鹿波駅を訪れてきました。(2004年訪問) かつて日本全国に張り巡らされた鉄道網は、無数の小駅に支えられ、また支えていました。 最近の鉄道網はますます、無数の小駅には支えられず、また支えきれなくなっているようです…。...
山手線最後の踏切、第二中里踏切を見てきました。(2022年訪問) 残り2箇所だった頃から気にはなってはいたのですが、最後の1個所になって初めて訪れることができました。 近くの都道整備後に2029年度目標で廃止されるそうですが、離れるの...
ここからも夜行列車能登・北陸に接続したのと鉄道比良駅(2005年廃止)
穴水から能登線最初の交換駅、のと鉄道比良駅を訪れました。(2004年訪問) 2024年元旦の能登半島地震で不通だった残るのと鉄道ですが、4月6日に運行再開できたようで良かったですね。 まずは能登半島復興のきっかけを喜ぶともに、今後の石...
留萌本線峠下の木造駅舎は最後まで堂々として(2023年廃止)
留萌本線峠下駅の木造駅舎を見てきました。(2019年訪問) しかしなんとこの冬の雪で、旧峠下駅舎は崩壊したという悲報が入ってきました。近くの深名線添牛内とか廃線後20年以上持ちこたえた駅舎もありますが、よほど疲れがたまっていたのでしょう...
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、新幹線を降りて在来線特急ホームへ歩きました。 新幹線ホームの直下にあるとはいえ、九州新幹線の対面乗り換えと比べてしまうと、正直乗り換えは面倒でしょう。 着工があまり長引くようなら、今まで通りに米原へ延伸す...
芦原温泉は2面3線のハピラインふくいと2面2線の北陸新幹線に
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、芦原温泉駅を訪れました。 芦原温泉のホームは、在来線ハピラインふくい2面3線に加えて、北陸新幹線が2面2線対向ホームになりました。 在来線とは別線になる日本の新幹線は、地方へ延びるほど全体として過大ぎみな...
もう特急サンダーバード・しらさぎは来ない北陸本線敦賀駅従来ホーム
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、北陸本線敦賀駅を見てきました。 敦賀発着になった特急サンダーバード・しらさぎは、新幹線高架下の専用特急ホームに移り、今までの在来線ホームは昨日までのにぎわいがウソのように閑散としています。 日本海縦貫の貨...
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、越前たけふ駅を訪れてきました。 武生駅の横に出来れば便利だったのにとも思うのですが、やはり土地の関係で離れた場所にせざるを得なかったのでしょうか。 新高岡もそうですが、今までの駅前市街地も維持させながら、...
「サンダーバード」や「しらさぎ」が去り行く特急街道北陸本線金沢駅
北陸本線金沢駅を訪れてきました。 東北上越新幹線開業後に残った特急街道として、関東からもずっと注目していたのが北陸本線でした。 特急街道の中心駅だった在来線金沢駅から、いよいよサンダーバードとしらさぎも飛び立っていきます・・・。※関...
北陸本線大聖寺駅はIRいしかわ鉄道・ハピラインふくいの境界駅に
北陸本線大聖寺駅を訪れてきました。 いよいよ北陸新幹線敦賀開業が来週に迫り、大聖寺駅は北陸本線としての歴史を閉じようとしています。 かつては北陸鉄道も発着していたそうですが、これから三セク鉄道の境界駅としてどんな歴史を刻むのでしょうか...
みなとみらい線直通まであと半年、さらば東急東横線桜木町駅(2004年廃止)
廃止まであと半年に迫った、東横線桜木町駅を見てきました。(2003年訪問) 四六時中ステンレスカーが発着していた、立派な高架終着駅が無くなるとは、にわかに信じられません。 それでも、ローカル線廃止を悲しがる感覚とは全く別の、都市鉄道の...
みなとみらい線直通まであと半年、さらば東急東横線高島町駅(2004年廃止)
廃止まであと半年に迫った、東横線高島町駅を見てきました。(2003年訪問) 反町と同じく横浜の隣駅なのに、それまで下車したことは無かったのです。 そこそこ利用者も見かけたので根岸線にホームを設置する話でも出るかと思ったのですが、地下鉄...
地下化まであと1週間に迫る、東横線横浜駅を見てきました。(2004年訪問) 素っ気ない高架駅でしたが、まさかみなとみらい線直通で地下化されるとは想像できなかったことでした。 東海道線ホームの小田原方で聞こえていたトラス橋の轟音も、20...
地下化まであと1週間に迫る、東横線反町駅を見てきました。(2004年訪問) もうふた昔前になるとは信じられません。今月で東横線の桜木町廃止・みなとみらい線直通からはや20年です。 未だに記憶は新鮮な気もしますが、反町、横浜、高島町、桜...
能登線の終着駅、蛸島を訪れてきました。(2004年訪問) かつて金沢から蛸島まで鉄道では3時間以上もかかり、能登半島の大きさを実感したものです。 鉄路が奥能登まで伸びていたことに当時は当たり前に思っていましたが、ファンとって幸せな時代...
箱根登山線の入生田から箱根湯本へ、残る踏切を見てきました。 箱根登山鉄道といえば、今春の会社再編では社名が消えてしまうようです(2024/1/24発表)。 沿線の登山鉄道らしい情景が急に消えることはないと思いますが、ファンとしては少し...
のと鉄道能登線中居駅からの七尾北湾遠望もよかった(2005年廃止)
穴水から能登線の一駅目、のと鉄道中居駅を訪れました。(2004年訪問) 2024年元旦の能登半島地震はかなり地形が変動したことも衝撃でしたが、能登線が残っていたとしても大変な被害だったことでしょう。 現地へのお見舞いと復興をお祈りしな...
ポケモンお花ジャンボが発着していた頃の羽田空港第2ターミナル
羽田空港2タミの展望デッキから、ポケモンお花ジャンボを見てきました。(2009年訪問) 2024年正月2日のC滑走路での事故はショックでしたが、基本的な動作がその後を大きく左右することを再考させられました。一方全員脱出できたJAL機のニ...
水車踏切の行方が気になり、箱根登山線風祭駅を訪れました。 以前あった踏切存続検討の告知は無くなっていて、当面は残る感じなので安堵しました。 しかしそれもつかの間、風祭駅の構内踏切が廃止になっていたのは驚きでした。立体化はあきらめ、至近...
沿線の紫陽花でも有名な、箱根登山線宮ノ下駅を訪れました。(2021年訪問) 宮ノ下温泉ホテル・旅館への下車駅ですが、2月からは無人駅になってしまうようです。(2023/12/27発表) 観光地への玄関口なので、せめて観光案内の人とかが...
さらば白い小田急ロマンスカーVSE、鉄道展2015での晴れ姿
小田急鉄道展2015で、ロマンスカーVSEを間近に見てきました。 とうとう今月2023年12月で運行を終えたVSEですが、意外と短期間の活躍で終わったしまったのが未だに信じられません。 連接車体、展望席、これから小田急ロマンスカーはど...
北陸新幹線の敦賀開業時に閉所される、金沢総合車両所「松任本所」を見てきました。 近くに新幹線白山総合車両所が出来、一方国鉄主要工場だった旧松任工場が消えるのは、時代の流れとはいえ信じられません。 金沢総合車両所になっても、「松任本所」...
北海道新幹線を降りて、キハ40で函館駅へ向かいました。 いよいよ北海道でもキハ40が最終期になり、普通列車では2025年春迄になるようです(2023/11/24道新)。わざわざ新聞記事になるのも驚きですが、多くの人に知られている存在なの...
氷見線の終着駅氷見駅を訪れてきました。(2017年訪問) なんと氷見線と城端線が、本当に「あいの風とやま鉄道」へ移管されるようです。(2023/11/29 NHK) 氷見線は高校時代に旧型客車で乗っていたので思い入れがあり、まさか三セ...
さらば函館本線池田園駅、1面1線でもこ線橋があった(2022年廃止)
函館本線は砂原線の池田園駅を訪れてきました。(2021年訪問) 観光地大沼公園も近く、辺りは穏やかな住宅・別荘地のようでした。今も暮らす人たちがいます。 地方線区はバス停のようなきめ細やかな集客も必要と思いますが、とはいっても維持費は...
鶴見線の車庫がある弁天橋を訪れてきました。 いよいよ12月から新車E131系が運転開始だそうで、鶴見線の205系時代も終わりが近づいたようです。(2023/11/1発表) 205系導入当初は鶴見線までもステンレス車かとがっかりしたこと...
城端線城端駅を訪れてきました。(2017年訪問) 一時はLRT化の話も出ていた城端線ですが、なんとあいの風とやま鉄道へ移管される方向になるそうです。(2023/9/7報道) たしかに、新幹線新高岡駅への接続を良くするためにも、地域一体...
西武線への塗装車譲渡は想像できなかった小田急線8000形の2020年年越し
2020年へ新宿駅で年越ししていた、8000形10両編成を見ました。 小田急線8000形でやはり最近驚いたのは、誰もが想像しなかった?西武線への譲渡です。(2023/9/26リリース) これで8000形が少し長生きできると安堵しながら...
小田原駅橋上駅舎化の頃はまだアイボリー色通勤車が多かった小田急線
小田原駅が橋上駅舎化された翌日、新駅舎を見てきました。(2003年訪問) 2003年3月30日に小田急線・東海道線小田原駅が橋上化されてから、早くも20年がたちます。当時の小田急線ホームは、アイボリー色の通勤車がまだ多く発着していました...
新幹線開業翌日に、長崎本線西諫早駅を訪れました。 西九州新幹線開業から1年、そして西諌早が非電化化されて1年がたちました。今まで並行在来線は、新幹線開業による廃止はありましたが、廃止以外で架線が撤去されるのは初めてでしょう、しかも一部は...
福井駅高架ホームは北陸新幹線1面2線と在来線ハピラインふくい2面4線に
来年北陸新幹線を迎える福井駅を見てきました。 いよいよ先日、敦賀までの新幹線試運転開始が報じられていましたが、新線開業にまた胸は高まってきます。 福井駅には高架化後初めて下車したのですが、在来線ホーム2面4線(+越美北線)に加えて新幹...
宇都宮ライトレールの開業日、営業開始一番電車を見てきました。 まさかねと思っていたら、とうとう実現されました、ライトレールの新線開業。とても信じられない思いです。 日本でもやはり環境の大切さと、コンパクトシティの思想が広まってきた証し...
今なお残る横田基地へのジェット燃料輸送列車が出る鶴見線浜安善終点
厚木、三沢、瑞穂、横田、の次は、鶴見線の(旧)浜安善を訪れました。 米軍基地への鉄道輸送も、ここ浜安善発が最後になるのでしょうか。 いわば前回の世界大戦後の名残りともいえる、貴重な光景を目に焼き付けてきました。※関連記事 今なお残る...
小田急線の多摩川鉄橋を訪れてきました。 そういえば一昔前、鉄橋付近はバーベキューを楽しむ人たちで賑やかすぎた感もありましたが・・・、それも今は昔。 今一番賑やかなのは少年チームのかけ声、あとはボールで遊ぶ人、走る人、釣る人、寝る人、撮...
屋久島のトロッコ道を少しだけ歩いてきました。(2011年訪問) 現代に残る森林軌道は奇跡としか言いようがありません。今まで書物の中だけだったものが、直接見られて感無量でした。 今回は島も周回したかったので、40分ほどの滞在でしたが、そ...
思い出の寝台特急出雲(東京-出雲市)《復活してほしい夜行列車30》
かつて山陰を延々と浜田まで、寝台特急出雲で乗り通したことが忘れられません。 日本海側沿いの非電化単線をディーゼル機関車に牽かれて坦々と走る時間は、永遠に続くかのような貴重な時間でした。 東京と日本の各地を鉄道で直結していたブルートレイ...
思い出の寝台特急はやぶさ(東京-熊本)《復活してほしい夜行列車29》
西鹿児島までの「はやぶさ」には乗れませんでしたが、熊本から「はやぶさ」で帰京したことがありました。 関東から九州への旅行というと、多くの人は飛行機でしょうが、中には自分のように鉄道でという人もいると思います。そんなときに片道は新幹線でも...
思い出の寝台特急さくら(東京-長崎)《復活してほしい夜行列車28》
はるか長崎まで、東京から夜行列車1本で行けたのは素晴らしいことでした。 北海道へと共に九州への夜行列車が1日1本でも走れば、日本の鉄道旅行はまた変わると思うのですがどうでしょう。 乗ることが目的の観光列車が各地で盛んですが、そこへ行く...
思い出の寝台特急あさかぜ(東京-下関)《復活してほしい夜行列車27》
ブルートレインでも元祖といわれた夜行「あさかぜ」すら消えてしまったのは残念でした。 その後「サンライズゆめ」下関発に名残が残ったりしましたが、それも最近見られなくなっています。 東海道山陽というメインラインには、新幹線に次ぐ第2の選択...
思い出の寝台急行銀河(東京-大阪)《復活してほしい夜行列車26》
「銀河」は初めて乗った夜行列車なので思い入れがあります。 当時14系座席車の臨時急行「銀河」を選んだ理由は、やはり高校生でも周遊券でそれなりに安く遠くまで行けたことでした。初旅行の夜行列車が印象深いと、いつになっても夜行列車で旅に出たく...
思い出の夜行急行アルプス(新宿-信濃大町)《復活してほしい夜行列車25》
中央東線の夜行列車は、以前は急行アルプスと上諏訪夜行を選択できたのが便利でした。 アルプスというと、新宿駅のアルプス広場も思い出します。急行アルプスに乗らない人も、ここは通ったことあるでしょう。かつて夜行列車などに乗る人たちが並んだとい...
思い出の夜行急行ちくま(長野-大阪)《復活してほしい夜行列車24》
客車の頃に乗ったことはありましたが、電車になった夜行列車「ちくま」には乗れずじまいでした。 かつて中央東線夜行「アルプス」と、中央西線夜行「ちくま」は、信州を目指す人たちの滞在時間を広げてくれました。 朝早くから登る山屋さんなど朝着き...
思い出の寝台急行きたぐに(新潟-大阪)《復活してほしい夜行列車23》
新潟から大阪へ、一度だけ夜行列車「きたぐに」に乗ったことがあります。 大阪からの「雷鳥」が来なくなり、日本海縦貫特急「白鳥」も消え、毎晩新潟と関西を直通していた列車が「きたぐに」でした。 グリーン座席とA寝台・B寝台を備え、サンライズ...
思い出の寝台特急北陸(上野-金沢)《復活してほしい夜行列車22》
「北陸」はまさに夜移動するだけの短距離ブルートレインでしたが、その分時間を効率的に使えました。 いよいよ来春には、北陸本線の大部分が第3セクター鉄道になります。北陸への夜行列車の復活など、ますます夢物語でしょう。 それでもやはり、公共...
思い出の夜行急行能登(上野-金沢)《復活してほしい夜行列車21》
急行「能登」で乗り過ごして上越国境を越えたことはありませんが・・・、もっと乗りたかった列車です。 いよいよ北陸新幹線の敦賀延伸が来春に迫りました。それはそれで嬉しいのですが、夜行列車で北陸へ旅立つのは完全に昔話になってしまうようです。...
縄文杉への入口荒川登山口で屋久島の森林鉄道トロッコ軌道を見た
屋久島の荒川登山口を訪れました。(2011年訪問) 先日NHKブラタモリでは「屋久島」が放送され、やはり当然?のようにトロッコが登場したので、12年前の訪島を思い出しました。 さすがに縄文杉や宮之浦岳には登れなかったのですが、いつかま...
いつまで残るのか宗谷本線最北の無人駅兜沼・勇知・抜海から宗谷岬へ
いつまで残るかわからない、最北の無人駅3駅を夜訪れました。(2004年訪問) ここ数年ハラハラしてきた宗谷本線抜海駅ですが、今度こそ2025年3月迄に廃止になるようです。(2023/7/14道新) 存続問題が、ある自治体・集落だけの話...
日田彦山線添田駅は分岐駅からBRTひこぼしライン乗り換え駅に
BRT工事が始まる前、2021年に日田彦山線添田駅を訪れました。 いよいよ「日田彦山線BRTひこぼしライン」は、8月28日に開業だそうです(2023/5/28リリース)。これで、日田と彦山には直接通じない「日田彦山線」になってしまいます...
小田急線足柄駅から延びていた、専売公社への廃線跡を歩いてきました。 JT小田原工場は2011年に閉鎖されたそうですが、跡地は来春にもイオンタウンになるとのこと、その変化には驚きます。 小田急沿線では珍しい廃線跡なので注目していましたが...
42駅廃止検討候補に入った宗谷本線南幌延駅の板張りホームと待合小屋
なんとか生き残っている、宗谷本線南幌延駅を訪れてきました。(2020年訪問) 廃止されずにホッとしていたのもつかの間、次は語呂も良くない42駅無人駅廃止検討(2023/6/17道新)だそうです・・・。 これがバス停廃止だったら知らずの...
新潟交通の廃線跡、遊歩道になった東関屋~平島を歩いてきました。(2022年訪問) 県庁所在地でこれだけの市街地を走っていた路線が、廃止になったのはつくづく残念でした。 廃線跡で昔の名残を探すのも楽しいものですが、やはり現役の路線を見て...
田町駅から京浜運河にかけて、新幹線回送線と大汐線が併走する線路沿いを歩いてきました。 ようやく昨日港区では、羽田空港アクセス線の起工式が行われたようです。(2023/6/2報道) 東海道貨物線だった大汐線を、上野東京ライン15両編成が...
新幹線奥津軽いまべつ駅の開業日、津軽線津軽二股駅にも訪れました。 新幹線開業でも奇跡的に残った津軽線は、2022年の大雨で不通になり、とうとう一部が最後通告されたようです。(2023/5/13報道) さすがに1日5本では・・・とは思い...
備後落合から新見まで、芸備線に乗ってきました。 以前から芸備線もよくもっているなと思ってはいましたが、今さら利用促進といっても簡単ではないでしょうし、とうとう最後通知が出そうな感じです。(2022年6月2日報道) とはいっても、例えば...
久留里線上総亀山駅を訪れました。(2004年訪問) コロナ渦で乗客減少が早まってしまい、関東のローカル線も例外なく廃止旋風が巻き上がってきたようです。お隣り小湊鐵道線なら所帯も小さいからという感覚は持てますが、久留里線の動きにはやはりが...
今や夕陽の名所、予讃線下灘駅を訪れてきました。(2019年訪問) 以前からくすぶっていた四国のローカル線問題は、今年の事業計画に「適切な公共交通ネットワークのあり方」を検討とあり、ズバリ廃止の可能性もある検討が始まるようです。そうなると...
小湊鐵道月崎駅へ訪れてきました。(2006年訪問) 大丈夫かと思っていた小湊鐵道も、コロナ渦が影響したのか、上総牛久から先は廃止の検討も必要だそうです(2023/4/29報道)。千葉県なので今まであまり深刻に考えていませんでしたが、何げ...
日本平ロープウェイに初乗車してきました。 今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』は、1983年大河ドラマ『徳川家康』との違いが気になり見ていたのですが、そうなるとゆかりの地も気になり、初めて日本平を訪れました。 太平洋を望むこんな絶景...
鶴見線新芝浦駅へ訪れてきました。 いよいよお隣り南武線浜川崎支線には、今年度にも205系の後継にE127系が入るようです。(2023/2/17リリース) となると、鶴見線205系もそう先は長くないのかもしれません。今のうちに、もう少し...
さらば留萌本線留萌駅、また旧支庁中心駅が失われた(2023年廃止)
あって当たり前だった留萌地方の中心駅、留萌駅を訪れました。(2015年訪問) かつては羽幌線が分岐した留萌本線にあり、留萌市や旧留萌支庁の中心駅だった、あの「大駅」が廃止とは信じられません。 しかし地元では廃止やむなしの意向らしく、月...
さらば留萌本線増毛駅、灯台の麓に木造駅舎終着駅(2016年廃止)
留萌本線増毛駅へ最後に訪れたのは、2015年夏でした。 深名線廃止の頃は特に心配していなかった留萌本線も、いつの間にか廃止対象に。これで道内で日本海を存分に見られるローカル線は消えてしまいました。 時代の波にのまれて次々と廃止される路...
あれから3年、今度は相鉄・東急直通線の開業日を見てきました。 埼京線への直通だけでも信じられなかったのに、それに加えて東横線・副都心線・東上線・目黒線・三田線・南北線・埼玉高速線へも直通とは、もう夢の時代としか言いようがない感じです。...
東急新横浜線新綱島駅の開業日、早速降りてきました。 東横線綱島駅からほど近いところに地下新駅が出来たのは意外でした。何となく、反町地下駅が開業した時のことを思い出したりして。。 それにしても、東急線ネットワークがまた強化されたのは、つ...
「ブログリーダー」を活用して、ひょうたん山さんをフォローしませんか?
木造駅舎が残る交換駅、宗谷本線雄信内を再訪しました。 想像はしていましたが、やはり抜海、南幌延、雄信内、宗谷本線3駅廃止の知らせはショックです(2024/12/13発表)。永年の歴史も、たった「ご利用の少ない駅を見直します」の告知だけで...
急行停車駅で交換駅だった宗谷本線佐久を再訪しました。 集落の玄関にも見える立派な駅舎があるのに、交換駅では無くなることが信じられません(2024/4/25発表)。 佐久からも、抜海からも、交換設備が無くなると、これから宗谷本線のダイヤ...
弘南鉄道大鰐線の、中央弘前駅を訪れました。(2013年訪問) 以前から厳しい状況は伝わっていましたが、とうとう大鰐線も2027年度末での休止が報じられました(2024/11/27報道)。奇しくも久留里線部分廃止のリリースと同じ日でした。...
久留里線上総亀山駅を訪れました。 とうとう、久留里線は久留里~上総亀山の部分廃止に向かうようです(2024年11月27日リリース)。この地球温暖化のさなか「自動車中心の交通体系」にしたいとは、相当な利用者減少が続いているのでしょう。 ...
2013年の小田急線地下化から11年、全面オープンから2年たった下北線路街を歩いてきました。 今日は下北線路街「おだきゅうまつり」だったようですが、6月1~2日には「下北線路祭2024」がありました。 すっかり旧沿線の景色ともなじんで...
2013年の地下化から11年、東横線地下化跡地を歩いてきました。 今まで街を横切っていた高架鉄道が消えるというのは、なかなか信じられないことでした。 跡地は「LOGROAD代官山」「SIBUYA BRIDGE」「渋谷リバーストリート」...
開業2年目の宇都宮ライトレールを訪れました。 あの熱かった開業日が昨日のようですが、開業1周年おめでとうございます。利用者数は順調に増えているそうで、うれしい限りです。 今回は、LRTを飛山城跡で下車して、鬼怒川橋りょう辺りを巡ってみ...
名鉄美濃町線が全廃になる前年、新関を訪れました。(2004年訪問) 宇都宮LRTを見ていると、今更ながらなぜ岐阜では市内電車を手放してしまったのか、と思います。当時から環境問題やコンパクトシティも言われていたのに、本当に残念なことでした...
線路端のその先へ、久々の航路紀行は黒部湖遊覧船「ガルベ」です。 夜行特急アルプスで信州入りした日、未乗だった立山黒部アルペンルートの大町側を巡ったのです。 なんと、日本最高所という黒部湖遊覧船が今年限りとのこと。「ファイナルクルーズま...
とうとう復活した中央東線の夜行列車、臨時特急アルプスに乗りました。(その2) 朝の白馬で夜行列車を降りた日は、普段と比べて1日が本当に長く感じられました。やはりスタート時間が早いから、そしていつもと違う景色を見るからでしょう。 朝起き...
旧駅から後退した室蘭本線室蘭駅を訪れました。(2010年訪問) 昭和の空中写真を見ると、室蘭港周辺は線路が張り巡らされていたことに驚きます。時代の流れといえばそれまでですが、港湾地区の貨物輸送を失った鉄道は、存在価値が低下したのは確かで...
高架化工事が始まっていた予讃線松山駅を訪れました。(2019年訪問) いよいよ先日2024年9月に松山駅は高架化され、特急列車の縦列停車は解消し対面乗り換えになったようです。 ただ、駅のすぐ横に車両基地と貨物取扱があった主要駅が、また...
この夏は稚内まで北上し、宗谷本線抜海駅を再訪しました。(その2) 先日もNHKニュース「おはよう日本」で稚内支局の記者と首藤アナが、抜海駅廃止を全国に紹介していました。これほど有名になるのなら、逆にしばらく残った方が北海道にお金は落ちる...
とうとう復活した中央東線の夜行列車、臨時特急アルプスに乗りました。(その1) ご祝儀客も多いのか車内は満員状態で、登山者を含めて多くの人たちが信濃大町や白馬まで向かっていました。今まで無くなる一方だった夜行列車ですが、よくぞ復活したもの...
この夏は稚内まで北上し、宗谷本線抜海駅を訪れました。 交換駅だった抜海駅は結局来春廃止になりそうですが、なんと一足先に今月24日から2線のうち1線は使用停止だそうです(2024/4/25リリース)。 わざわざ本州から訪問する理由になる...
相鉄いずみ野線ゆめが丘駅前、ゆめが丘ソラトスへ開業翌日に訪れてきました。 ゆめが丘駅開業の時以来、駅前の今後が気になり続けて二十数年、ようやく目に見えて整備が進んだ感じです。 相鉄線の中でも、鉄骨アーチのホーム覆い、ゆめきぼ切符、駅近...
夜行列車だけではないですが、テールランプはみな赤色に決まっているようです。 赤く光る夜行列車の最後尾を見ていると、何となくもの悲しく感じたのは、走り去るものだったからでしょうか。それとも消えゆく存在だったからでしょうか。 今まで数々の...
フェリー船内には到底かなわないとはいえ、夜行列車の狭い車内でもそれなりに時間の過ごし方を選べました。 人それぞれでしょうが、自分は長い夜行列車の乗車時間も苦にならない方です。車窓を眺めるのが好きなのと、本でも読んでいれば暇なく過ごせまし...
夜行列車に乗るために、ホームで長時間待った時代もありました。 一番思い出深いのは165系急行型電車時代の大垣夜行で、東京駅や品川駅のホームにどれだけ並んだことでしょう。でも旅はそこから始まっていました。スマホも無い時代でしたが、並びなが...
夜行列車に乗る前に一度は確認する、駅ホームの発車案内表示。 近郊の行先が表示される中、これから向かう遠方の駅名を見つけた時、旅先へと気持ちは高ぶります。かつてのパタパタ回転表示はすっかり消え、最近は液晶のような表示も広まっているので、L...
小田急鉄道展2015で、ロマンスカーVSEを間近に見てきました。 とうとう今月2023年12月で運行を終えたVSEですが、意外と短期間の活躍で終わったしまったのが未だに信じられません。 連接車体、展望席、これから小田急ロマンスカーはど...
北陸新幹線の敦賀開業時に閉所される、金沢総合車両所「松任本所」を見てきました。 近くに新幹線白山総合車両所が出来、一方国鉄主要工場だった旧松任工場が消えるのは、時代の流れとはいえ信じられません。 金沢総合車両所になっても、「松任本所」...
北海道新幹線を降りて、キハ40で函館駅へ向かいました。 いよいよ北海道でもキハ40が最終期になり、普通列車では2025年春迄になるようです(2023/11/24道新)。わざわざ新聞記事になるのも驚きですが、多くの人に知られている存在なの...
氷見線の終着駅氷見駅を訪れてきました。(2017年訪問) なんと氷見線と城端線が、本当に「あいの風とやま鉄道」へ移管されるようです。(2023/11/29 NHK) 氷見線は高校時代に旧型客車で乗っていたので思い入れがあり、まさか三セ...
函館本線は砂原線の池田園駅を訪れてきました。(2021年訪問) 観光地大沼公園も近く、辺りは穏やかな住宅・別荘地のようでした。今も暮らす人たちがいます。 地方線区はバス停のようなきめ細やかな集客も必要と思いますが、とはいっても維持費は...
鶴見線の車庫がある弁天橋を訪れてきました。 いよいよ12月から新車E131系が運転開始だそうで、鶴見線の205系時代も終わりが近づいたようです。(2023/11/1発表) 205系導入当初は鶴見線までもステンレス車かとがっかりしたこと...
城端線城端駅を訪れてきました。(2017年訪問) 一時はLRT化の話も出ていた城端線ですが、なんとあいの風とやま鉄道へ移管される方向になるそうです。(2023/9/7報道) たしかに、新幹線新高岡駅への接続を良くするためにも、地域一体...
2020年へ新宿駅で年越ししていた、8000形10両編成を見ました。 小田急線8000形でやはり最近驚いたのは、誰もが想像しなかった?西武線への譲渡です。(2023/9/26リリース) これで8000形が少し長生きできると安堵しながら...
小田原駅が橋上駅舎化された翌日、新駅舎を見てきました。(2003年訪問) 2003年3月30日に小田急線・東海道線小田原駅が橋上化されてから、早くも20年がたちます。当時の小田急線ホームは、アイボリー色の通勤車がまだ多く発着していました...
新幹線開業翌日に、長崎本線西諫早駅を訪れました。 西九州新幹線開業から1年、そして西諌早が非電化化されて1年がたちました。今まで並行在来線は、新幹線開業による廃止はありましたが、廃止以外で架線が撤去されるのは初めてでしょう、しかも一部は...
来年北陸新幹線を迎える福井駅を見てきました。 いよいよ先日、敦賀までの新幹線試運転開始が報じられていましたが、新線開業にまた胸は高まってきます。 福井駅には高架化後初めて下車したのですが、在来線ホーム2面4線(+越美北線)に加えて新幹...
宇都宮ライトレールの開業日、営業開始一番電車を見てきました。 まさかねと思っていたら、とうとう実現されました、ライトレールの新線開業。とても信じられない思いです。 日本でもやはり環境の大切さと、コンパクトシティの思想が広まってきた証し...
厚木、三沢、瑞穂、横田、の次は、鶴見線の(旧)浜安善を訪れました。 米軍基地への鉄道輸送も、ここ浜安善発が最後になるのでしょうか。 いわば前回の世界大戦後の名残りともいえる、貴重な光景を目に焼き付けてきました。※関連記事 今なお残る...
小田急線の多摩川鉄橋を訪れてきました。 そういえば一昔前、鉄橋付近はバーベキューを楽しむ人たちで賑やかすぎた感もありましたが・・・、それも今は昔。 今一番賑やかなのは少年チームのかけ声、あとはボールで遊ぶ人、走る人、釣る人、寝る人、撮...
屋久島のトロッコ道を少しだけ歩いてきました。(2011年訪問) 現代に残る森林軌道は奇跡としか言いようがありません。今まで書物の中だけだったものが、直接見られて感無量でした。 今回は島も周回したかったので、40分ほどの滞在でしたが、そ...
かつて山陰を延々と浜田まで、寝台特急出雲で乗り通したことが忘れられません。 日本海側沿いの非電化単線をディーゼル機関車に牽かれて坦々と走る時間は、永遠に続くかのような貴重な時間でした。 東京と日本の各地を鉄道で直結していたブルートレイ...
西鹿児島までの「はやぶさ」には乗れませんでしたが、熊本から「はやぶさ」で帰京したことがありました。 関東から九州への旅行というと、多くの人は飛行機でしょうが、中には自分のように鉄道でという人もいると思います。そんなときに片道は新幹線でも...
はるか長崎まで、東京から夜行列車1本で行けたのは素晴らしいことでした。 北海道へと共に九州への夜行列車が1日1本でも走れば、日本の鉄道旅行はまた変わると思うのですがどうでしょう。 乗ることが目的の観光列車が各地で盛んですが、そこへ行く...
ブルートレインでも元祖といわれた夜行「あさかぜ」すら消えてしまったのは残念でした。 その後「サンライズゆめ」下関発に名残が残ったりしましたが、それも最近見られなくなっています。 東海道山陽というメインラインには、新幹線に次ぐ第2の選択...